弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

労働者に不利益となる人事評価区分を導入し、年度初めに遡って評価することの可否

1.法の不遡及の原則

 「一般に、法令は国民の権利義務に影響を与えるものであるので、既に発生し、成立した状態に対して新しい法令を、その施行の時点よりも遡って適用すること、すなわち法令の遡及適用は、法的安定性を害し、国民の利益に不測の侵害を及ぼす可能性が高いため、原則として行うべきではないとされています。」

これを法の不遡及の原則といいます。

https://houseikyoku.sangiin.go.jp/column/column009.htm

 罰則との関係で語られることの多い原則ではあるものの、法の不遡及の原則が妥当するのは刑罰法令の領域だけではありません。民事的な領域においても、既に存在している権利利益を新たに定めたルールで一方的に剥奪することは、基本的には認められていません。

 それでは、就業規則の改正により、年度途中に労働者の不利益となる人事評価区分を導入し、当該年度の成績を、その区分をもって評価するようなことは、法的に許容されるのでしょうか?

 近時公刊された判例集に、この問題が争われた裁判例が掲載されていました。東京地判令2.6.11労働判例ジャーナル103-72学校法人静岡理工科大学事件です。

2.学校法人静岡理工科大学事件

 本件の被告は、大学を開設し、運営する学校法人です。

 原告になったのは、被告の総合情報学部(本件学部)のコンピューターシステム学科の准教授の方です。

 この大学の評価規程は、元々、教員をS、A、B、Cの四段階で評価し、C評価であったとしても昇給する建付けになっていました。

 これが年度途中の平成29年1月20日に改正され、教員評価はS、A+、A、B、C、D六段階で行われることになりました。また、新評価規程のもとでのD評価の昇給号給は、ゼロとされました。

 本件では、こうした新評価規程に基づいて原告の方の平成28年度(平成28年4月1日~平成29年3月31日)の業績を査定してD評価を下し、平成29年度の昇給幅をゼロとすることの適否が問題になりました。

 裁判所は、これを就業規則の周知性の問題として理解し、次のとおり述べて、D評価を下すことは適法だと判示しました。

(裁判所の判断)

「原告は、平成28年度の評価は同年4月1日から平成29年3月末までの職務態様が評価対象とされるところ、本件改正は、平成28年4月1日時点において周知されておらず、周知性の要件を充たさないと主張する。」

「しかし、本件評価規程3条は、教員評価の評価期間を前年4月から当年3月の1年間、評価実施時期を当年4月と定めており(この点は、本件改正による変更はない。)、平成28年度の教員評価の評価実施時期は平成29年4月であるから、その評価が給与等に反映するのは同月以降であることに照らせば、本件改正について必ずしも平成28年4月1日の時点で周知されなければならないものとはいえない。また、本件改正の過程において、本件大学の教員に対する周知はなされていたと認めるのが相当であることは上記認定説示のとおりであるから、原告の当該主張もまた、採用することができない。

3.周知性の問題か?

 原告も裁判所も、本件を周知性の問題として整理しているように思われます。

 しかし、この問題は、

「平成28年度の業績査定において昇給を受ける権利」

という既得権を一方的に剥奪することができるのか? という議論として理解した方が問題の捉え方として適切ではないかと思います。そして、こうした理解をした方が、平成28年度の業績査定としてD評価とすることは許されないとの結論が導かれ易かったのではないかと思います。

 また、判決文によると、評価規程改正に係る第一回目の説明会がなされたのは、平成28年10月18日とされています。それまでの間、周知されていなかったことが不問とされたり、平年度の半分以上が経過した段階で構想が周知されていたことをもって、平成29年1月20日に成立したルールの周知性に問題がないとされたりしていることは、あまりにも周知性の概念を弛緩させるものであり、周知性の観点から問題なしとされたことには、かなり強い違和感を覚えます。