1.ストレス-脆弱性理論
労災の場面で「ストレス-脆弱性理論」という言葉が使われることがあります。
これは、
「対象疾病の発病に至る原因の考え方は、環境由来の心理的負荷(ストレス)と、個体側の反応性、脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まり、心理的負荷が非常に強ければ、個体側の脆弱性が小さくても精神的破綻が起こるし、逆に脆弱性が大きければ、心理的負荷が小さくても破綻が生ずる」
とする理論です。
簡単に言うと、
強いストレスがかかれば強い人でもメンタルを病んでしまう、弱い人だと弱いストレスしかかかっていなくてもメンタルを病んでしまう、
という意味の医学的知見で、現在の労災認定実務はこの理論的基盤の上に成立しています(基発1226第1号 平成23年12月26日 改正 基発0529第1号 令和2年5月29日「心理的負荷による精神障害の認定基準について」参照)。
この「ストレス-脆弱性理論」は、しばしば労災であることを否定する脈絡のもとで使われます。
具体的に言うと、
「この程度のストレスでメンタルを病んでしまうのは、本人の弱さ(脆弱性)に問題がある。よって、業務に内在している危険が現実化した(業務起因性がある)とはいえない。」
という論法が用いられます。
それでは、仕事に強い思い入れを持っていることは、労災認定における「脆弱性」との関係で、どのように評価されるのでしょうか?
仕事に思い入れを持っていると、その思い入れが強ければ強いほど、仕事に支障が生じた時に、大きな心理的負荷を受け、精神障害を発症し易くなります。こうした傾向を踏まえ、仕事に強い思い入れを持っていたことを、心理的負荷に対する脆弱性として労災認定で不利に取り扱うこと/有利に取り扱わないことは許容されるのでしょうか?
この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令元.10.30労働経済判例速報2414-21 三田労基署長事件です。
2.三田労基署長事件
本件は自殺した労働者(亡A1)の遺族(妻)が提起した労災の不支給処分に対する取消訴訟です。
亡A1が勤務していたのは、パブリック事業、エンタープライズ事業、テレコムキャリア事業等を行う株式会社(B1)でした。
自殺当時、亡A1はB1の社会貢献室でメセナ活動(芸術文化支援活動)を中心とした業務をしていました。
亡Aはメセナ活動に対する思い入れが深かったようで、次の事実が認定されています。
「亡A1は、クラッシック音楽に造詣が深く、自ら強く希望してメセナの課長職に就任し、B1のメセナ活動に情熱をもって取り組み、平成9年には、社団法人V1協議会の発行する『□□』において『W1』の一人に挙げられ、平成12年には、B1の『Z1賞』受賞に貢献した。」
自殺に至る経過は、大雑把に言うと、リーマンショック後の業績悪化を受けて、メセナ活動の費用対効果が組織的な検討対象となり、音楽活動支援に係る予算が削減されるとともに、亡A1は担当業務を変更になりました。上司からの指示と、支援打ち切りによって重大な影響を受けるこれまで関係を築いてきた支援先との間で葛藤が生じ、うつ病の発症、自殺へと至ったという流れです。
裁判所は業務起因性を否定する結論を出しましたが、その中で、A1の仕事に対する思い入れについて、次のとおり判示しました。
(裁判所の判断)
「確かに、亡A1は、音楽活動に対する支援打切りによる支援先への影響や音楽活動支援に対する自身の思い入れなどから、従前どおりの支援を継続しようとして苦慮したものと推察される。しかし、業務起因性を肯定するには、前記1のとおり、当該疾病等の結果が労働者の従事していた業務に内在する危険が現実化したものであると評価できることが必要であり、その際には平均的労働者を基準とする以上、上記のような亡A1の音楽活動支援等に対する個人的思いなど主観的事情に起因する要素を大きく評価することは、業務自体に内在する危険以外の要素を重視することとなり不相当であるから、採用することができない。結局、上司との対立や業務の支障の程度が大きいと評価することはできず、心理的負荷を『強』とみることはできない。」
3.強い思い入れは心理的負荷の増強要因にはならない
裁判所は平均的労働者を基準とする労災のシステム上、個人的思いなどの主観的事情を大きく評価することは不相当だと判断し、思い入れの強さに伴って生じるストレスを心理的負荷の増強要因と評価することを否定しました。
仕事に思い入れを持つことが平均的労働者からそれほど乖離するものなのかという疑問はありますが、仕事への思い入れの強さが労災との関係で必ずしも積極的に評価されるわけではないことは、留意しておいて良いだろうと思います。