弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

無駄そうに思える場合であっても、パワハラを会社に相談する意味はある

1.労災認定基準の改定

 長時間労働やパワハラで精神的な疾患にかかってしまった場合、労災認定を受けられる可能性があります。その基準となっているのが、

平成23年12月26日付け基発1226第1号

「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(認定基準)

という行政文書です。

 これが5月29日に改正されたとの報道発表がありました。

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_11494.html

 厚生労働省によると、パワーハラスメント防止対策の法制化を踏まえ、「心理的負荷

評価表」に「パワーハラスメント」という出来事を追加するなどの見直しを行ったとのことです。

 心理的負荷表というのは、具体的な出来事毎に、それが労働者にどの程度の心理的負荷を与えるのかを類型化した表をいいます。心理的負荷は「強」「中」「弱」の三段階に分けられています。

 心理的負荷を与えた出来事をこの表にあてはめ、総合評価が「強」と判断される場合、発症した精神障害は業務上の疾病として労災の対象になります。

2.改正認定基準は単なる言葉の言い換えか?

 改正前の認定基準でも「(ひどい)嫌がらせ、いじめ、又は暴行を受けた」という具体的出来事が規定されていて、この枠組みの中で、パワハラによる精神疾患が労災認定を受けられるのかどうかは判断されていました。

 そのため、「パワーハラスメント」という出来事が追加されたとしても、従来労災認定の対象でなかったものが労災認定の対象になるといったような劇的な影響があるわけではありません。

 その趣旨は同時に公表されている

「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会報告書 令和2年5月」(専門検討会報告書)

の中でも、

今般の見直しは、新たな医学的知見等に基づきパワーハラスメントに係る出来事を新しく評価対象とするものではなく、パワーハラスメント防止対策の法制化等に伴い職場における『パワーハラスメント』の用語の定義が法律上規定されたことを踏まえ、同出来事を心理的負荷評価表に明記するとともに、これに伴って整理を要すると考えられる心理的負荷評価表の項目について必要な改定を行うものである。」

と書かれているとおりです。

https://www.mhlw.go.jp/content/11201000/000634906.pdf

 それでは、今回の認定基準の改定は、単に概念整理が行われただけで、実務的にそれほど大きな影響はないと考えてもいいのでしょうか?

 まだ実務が動き始めていませんし、専門家によって評価は分かれるのだとは思いますが、私は必ずしもそうではないだろうと思います。

3.会社が適切に対応しなかった場合の取り扱い

 個人的に一番着目しているのは、会社が適切に対応しなかった場合の取り扱いです。

 専門検討会報告書の中には、心理的負荷が『強』である具体例として、

「心理的負荷としては『中』程度の身体的攻撃、精神的攻撃等を受けた場合であって、会社に相談しても適切な対応がなく、改善されなかった場合

が明記されています。

 つまり、心理的負荷が「中」の出来事しかなかったとしても、会社に申告して適切な対応がなかったという事実があれば、精神疾患の発症が労災として認められる可能性が出てくるということです。

 これは私の主観的な感覚になりますが、パワーハラスメントによる精神疾患を労災と認定してもらうためのハードルはかなり高いという印象を持っています。

 余程のことがなければ、心理的負荷を「強」として評価してもらうことは難しいですし、「中」のエピソードを幾ら集めても総合評価で「強」を勝ち取ることは決して容易ではありません。

 そうした状況の中、

「心理的負荷としては『中』程度の身体的攻撃、精神的攻撃等を受けた場合であって、会社に相談しても適切な対応がなく、改善されなかった場合」

を心理的負荷が「強」となる類型として規定したことにはかなり大きな意味があるように思います。

 なお、パワーハラスメントに該当しない同僚間の暴行やいじめ、嫌がらせは「パワーハラスメント」の括りではなく「同僚等から、暴行又は(ひどい)いじめ・嫌がらせを受けた」という類型として扱われます。

 この類型においても、

「心理的負荷としては『中』程度の暴行又はいじめ・嫌がらせを受けた場合であって、会社に相談しても適切な対応がなく、改善されなかった場合」

は心理的負荷が「強」になる場面として位置付けられています。

3.労災が認定されると?

 当然のことながら、労災が認定されると労災保険給付が受けられます。

 また、それ以外にも、労働者側にはメリットが生じます。それは民事訴訟で損害賠償請求を行う時に、精神障害によって生じた損害(長期間働けなくなったなど)に加害行為との因果関係が認められやすくなることです。

 労災の業務起因性の判断は、厳密には区別されはするものの、労災民訴における加害行為と損害との間の因果関係の認定と密接に関連しています。業務起因性が認められながら、相当因果関係が否定されるということはあまりありません。

 そのことは、水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕819頁の

「理論的には、労災保険法上の労災認定における業務起因性と、労災民訴における義務違反と損害との相当因果関係とは、別の問題であるが、判例・裁判例は両者を理論的に明確に区別せずに論じていることも少なくない。」

との記述からも伺われます。

 労災認定がされると、そのこと自体が、加害行為と精神障害によって生じた損害との間の相当因果関係を立証するうえでの有力な根拠になります。

4.相当因果関係が認定されると?

 相当因果関係が認定されると、パワハラの慰謝料が跳ね上がる可能性が高まります。

 慰謝料は労災保険給付の対象にならないので、これを請求しようと思えば、民事訴訟によらざるをえません。

 パワハラの慰謝料は予測が難しい訴訟類型の一つです。

 東京弁護士会労働法制特別委員会編『労働事件における慰謝料』〔経営書院、第1版、平27〕112頁以下で、平成15年1月~平成25年12月の労働判例という雑誌に掲載されたパワハラによる慰謝料事案の分析がされていますが、これによると、

10万円以下・・・・・・・・・・・7件

10万超~50万円以下・・・・・12件

50万円超~100万円以下・・・・7件

100万円超~150万円以下・・17件

150万円超~200万円以下・・・1件

200万円超・・・・・・・・・・・4件

といった分布状況になっています。

 基本的に金額は伸びにくいのですが、

「自殺に追い込まれるほどパワハラの程度が重い事案や、パワハラ行為が原因で精神疾患等を発症した事案では、比較的高額な慰謝料が認容される傾向」

があることが報告されています(同117頁参照)。

 低い方の数十万円程度しか慰謝料が得られない可能性もあるため、パワハラを理由とする慰謝料請求事件を弁護士に依頼することが経済的に割に合うのかは悩みどころです。

 しかし、労災認定が先行していて、業務に起因して精神疾患にかかったことが明確になっている場合、働けなくなった期間などにもよりますが、それなりに高額の慰謝料を請求できる芽が出て来ます。

5.無駄だと思わず会社に相談を

 労働得柵総合推進法30条の2第3項の規定に基づいて、厚生労働省から令和2年1月15日付けで、

「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」

という告示が出ています。

 この告示は事業主が講ずべき措置の内容として、

「相談(苦情を含む。以下同じ。)に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備」

を掲げています。

 罰則がないだとか、相談しても握りつぶされてしまうのではないかだとか、パワハラの防止対策には疑問を呈する人もいます。

 しかし、仮に、会社がきちんとした対応をとらなかったとしても、相談していた事実は、後々、労災認定や労災民訴(損害賠償請求訴訟)の場面で意味を持ってくる可能性があります。

 会社がきちんとした対応をとってくれれば何の問題もありませんし、仮に、きちんとした対応をとってくれなかったとしても、相談することに意味がないわけではありません。

 制度を実効性のあるものにするためにも、パワハラの被害に遭ったら、きちんと相談してみることをお勧めします。

 独力での相談が難しい場面では、弁護士が代理することもできます。パワハラへの対応に関しては、メディアにありがちな「罰則がないからどうせ・・・」といった言説に惑わされないことが大切です。