1.大学の非常勤講師への空手形
大学の非常勤講師には、低賃金・不安定雇用に悩んでいる方が少なくありません。
そうした非常勤講師に対し、「専任教員にしてやる。」といった趣旨の言葉を使って自分の仕事を手伝わせるなどの行為に及ぶ方がいます。
それで専任講師にしてくれればよいのですが、利用するだけ利用して、専任講師にもしてくれないということがあります。こうした場合、利用された非常勤講師は、専任講師や大学に対して文句の一つも言うことができないのでしょうか。
この点が問題になった事案が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令元.5.30労働判例ジャーナル92-40・学校法人中央学院事件です。
2.学校法人中央学院事件
(1)事案の概要
この事件で原告になったのは、大学の非常勤講師の方です。
被告になったのは、原告が勤務する大学を設置・運営する学校法人です。
本件の争点は多岐に及びますが、原告が定立した請求の一つが契約締結上の過失を損害場を根拠とする損害賠償請求です。
原告は、被告の法学部教授や法学部長から「専任化のことを考えている。」「必ず専任にするので他の大学に行かないように」等と言われ、学長選挙や書籍出版に協力させらたにも関わらず、専任講師にしてくれなかったのは酷いではないかと主張して、問題の法学部教授や法学部長の使用者である被告に慰謝料の支払い等を求めました。
(2)裁判所の判断
裁判所は次のように述べて、原告の請求を棄却しました。
「P4教授が原告に対して平成12年3月29日に原告を本件大学の専任教員として採用することを考えている旨を述べたことがあったほか、被告補助参加人も、原告に対し、平成15年5月23日に、自分は原告を本件大学の専任教員に入れる旨を述べ、平成21年1月頃以降には、被告補助参加人が平成22年5月に予定されていた本件大学の学長選挙に勝利すれば原告を本件大学の専任教員にする旨を繰り返し述べ、学長選挙への協力を求めたり、同年10月頃からは本件書籍の出版に関して株式会社御茶の水書房への仲介や本件出版・編集作業を行うことを依頼したりしていたほか、平成22年の学長選挙に落選した後も、平成25年4月頃以降に、平成26年5月に予定されていた本件大学の学長選挙に勝利すれば原告を本件大学の専任教員にする旨を述べるなどしていたものと認めることができる」
(中略)
「歴代の法学部長において特定の候補者が法学部の専任教員として採用されるように他の教授らに働き掛けを行うことが事実上あり得るとしても、教授教授会の決議等の定められた手続を経ることなく、当該候補者を専任教員として採用することはできず、結局のところ、当該候補者が専任教員として採用されるかどうかは教授教授会の決議の結果次第なのであるから、P4教授及び被告補助参加人が自身の意のままに特定の候補者を本件大学の専任教員として採用させることができたという意味での事実上の人事権を有していたということもできない(なお、本件大学の学長が上記の意味における事実上の人事権を有していたことを認めるに足りる客観的かつ的確な証拠もない。)。」
「したがって、仮に被告補助参加人において特定の候補者が法学部の専任教員として採用されるように他の教授らに働き掛けを行い、結果的に当該候補者が専任教員として採用されたことがあったとしても、被告補助参加人が原告に対して被告補助参加人が本件大学の学長選挙に勝利すれば原告を本件大学の専任教員とする旨等を繰り返し述べたことをもって、原告と被告の間で、原告を本件大学の専任教員として採用することについての契約交渉が具体的に開始され、契約内容が具体化されるなど交渉が進展し、主たる事項が定まるに至ったなどということができないことに変わりはなく、原告と被告が原告を専任教員として雇用することについての契約締結段階に入ったということはできないというべきである。」
3.尽くす相手は慎重に見極める必要がある
人事的な権限を持たない方から「専任教員にしてやる。」と言われて甲斐甲斐しく勤めても、専任教員としての地位・権利が自動的に認められるわけではありませんし、専任教員にしてもらえなかったときに損害賠償請求を認めてもらえるわけでもありません。「専任教員にしてやる。」といった言葉のもとで、発言の主に協力したとしても、それは契約締結段階に入ったものとは考えられていないからです。
下積みからのキャリアアップを図るため、特定の人について行こうとする場合、非常勤講師の方は、自分が尽くそうとしている人の言葉の真偽を慎重に見極める必要があります。