弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

労働者に泣き寝入りを勧めるかのような記事の問題点

1.ネット上に存在する労働事件に関する不正確な情報

 ネット上に、

「ウーバーイーツ問題、会社と闘うことは簡単ではない」

との記事が掲載されていました。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191207-00058508-jbpressz-soci&p=1

 記事は、

「もしあなたが同じように、会社から報酬減額などを一方的に通知された場合、どのように対峙すればいいのでしょうか。」

と問題提起したうえ、労働基準監督署を利用することにも、労働組合を利用することにも、労働審判を利用することにも難点があると主張しているようです。

 しかし、記事には不正確な情報が多々含まれているように思われます。

2.労働基準監督署の利用について

 記事には、

「労基署に『報酬の一方的な引き下げ』を相談したとしましょう。あなたは証拠としてタイムカードや出勤簿などを持参しています。監督官に事情を説明したら、『まずは自分で会社に相談してください』と言われるはずです。会社の違法性が高い場合は、次のようになるでしょう。『会社に連絡しますが、あなたの名前を話しても構いませんよね?』。」

「労基署に通報するというのは『労基法に違反しています』とタレ込むことと同じです。『名前は伏せてください』は通じません。次に、あなたが通報したことが会社に知られたとしましょう。労基署への申告を理由に、不利益を与えることはできませんが、そのまま平穏に済むとは思わないほうがいいでしょう。会社にとって、あなたは裏切り者だからです。」

と書かれています。

 しかし、記事は賃金の一方的な引き下げ(労働条件の不利益変更)と時間外勤務手当等の不払いを混同しているのではないかと思われます。

 労働基準監督署が管轄しているのは、基本的には以下の法律です。

○労働基準法 ○最低賃金法 ○労働安全衛生法 ○作業環境測定法
○じん肺法 ○賃金の支払の確保等に関する法律 ○家内労働法

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/mail_madoguchi.html

 賃金の一方的な減額は労働契約法に関係する問題であるため、この種の相談が「会社に相談してください」となる可能性はなくはないと思います。

 しかし、時間外勤務手当等の不払いは労働基準法の問題です。タイムカードや出勤簿により不払いが立証できる場合、所掲のような冷たい対応がとられることはそれほど多くはないと思います。また、労働基準監督署に身元を秘匿したまま相談するのは難しいと思いますが、会社・事業場に匿名にしてもらうことは可能です。実際、厚生労働省の「労働基準関係情報メール窓口」 送信フォームでも、

匿名だが、情報提供内容(メールの内容)を明らかにしてよい
匿名だが、情報提供があったこと(メールがあったこと)のみ明らかにしてよい
匿名の上、メールがあったことも明かさないでもらいたい

を選択できるようになっています。

https://www.mhlw.go.jp/form/pub/mhlw01/roudoukijun_getmail

 実際にも、情報提供者を秘匿したまま立入調査をして時間外勤務手当等の不払いの是正・指導をすることは、それほど珍しいわけでもないと思います。

3.労働組合の利用について

 記事には、

「東京都労働委員会『審査の期間の目標と達成状況の公表』のデータを紹介します。」「『平成20年1月1日以降の新規申立事件1,220件のうち、平成30年12月末までの11年間に終結した事件は1,030件であり、このうち1年6か月以内で終結したものは729件であった。また、終結事件1,030件に係る平均処理日数は424.4日であった』(原文ママ)とあります。」

ここからは、一定の判断がでるまで1年半程度かかることがわかります。救済措置が出たとしても『報酬の一方的な引き下げ』によって失ったペイを獲得できるわけではありません。不当労働行為が認定されても、会社に指導が入るだけです。

「会社が交渉にのらない場合、労組は、スト、ビラまき、街宣活動などの争議をおこないます。会社に損失を与えても『正当』であれば、民事上・刑事上の責任を問われません。あなたは、自分の名前がはいったビラをまき、会社のまわりをシュプレヒコールしながら街宣活動することができるでしょうか。かなりの勇気が必要になると思います。」

と書かれています。

 しかし、所掲の統計から一定の判断が出るまで1年半程度かかると言うのはかなり強引な主張ではないかと思います。

 記事が言及している統計は、東京都労働委員会のホームぺージで公表されている次のデータだと思います。

http://www.toroui.metro.tokyo.jp/toukeimokuhyou.html

 これによると、1030件中311件(約30.2%)は6か月以内に終わっています。不当労働行為の審査の内実は、背景事情が込み入っているうえ関係者も多人数に及ぶ事案から、そうでもない比較的単純な事案まで様々です。想定されている賃金の一方的な引き下げが組合絡みの不当労働行為という枠にあてはまるか(救済命令の申立の対象になるか)という問題はありますが、話が比較的単純な事案であれば、1年6月もかかるかは疑問に思われます。

 また、労働組合法32条は、

「使用者が第二十七条の二十の規定による裁判所の命令に違反したときは、五十万円(当該命令が作為を命ずるものであるときは、その命令の日の翌日から起算して不履行の日数が五日を超える場合にはその超える日数一日につき十万円の割合で算定した金額を加えた金額)以下の過料に処する。第二十七条の十三第一項(第二十七条の十七の規定により準用する場合を含む。)の規定により確定した救済命令等に違反した場合も、同様とする。

と規定しています。

 そして、労働組合法27条の13第1項は、

「使用者が救済命令等について第二十七条の十九第一項の期間内に同項の取消しの訴えを提起しないときは、救済命令等は、確定する。」

と規定しています。

 労働委員会が出す救済命令には罰則がついています。しかも、作為が命じられている場合には5日以内に履行しないと、1日につき最大10万円の割合で計算した過料までついてきます。

 かなり強烈な効果が定められており、筆者が何を根拠に「会社に指導が入るだけです」と述べているのかは分かりません。

 また、当然のことながら、労働組合や労働委員会を利用したからといって、自分の名前が入ったビラをままいたり、シュプレヒコールをしながら街宣活動をしたりしなければならないわけではありません。このようなことまで覚悟しなければならないということは全くないだろうと思います。

3.労働審判の利用について

 記事には、

労働審判は、解雇や給料の不払などの労働関係に関するトラブルを、迅速に解決する手段です。これも異議申立てがあれば本訴に移行します。和解できなければ、地裁で1~2年、高裁に移行すればさらに1年。結構な時間がかかります。判決で勝訴しても、民事では『支払わないことに対する罰則』は存在しません。つまり、相手が一枚上手ならまったく回収ができません。用意周到に預金を他に移されていたら『THE END』です。

「では、運よく、労働審判3回でケリがついたとします。詳細なデータはありませんが、筆者の知る限り、相場は月収の3~5カ月程度です。あなたの月収が30万円なら、90~150万円が和解金の相場ということになります。ここから、裁判費用や弁護士報酬を引かなければいけません。手にする金額としては割りに合わないとは思いませんか。」

と書かれています。

 しかし、これも労働審判の実体を踏まえたものなのかなという気がします。

 令和元年7月19日、裁判所が

「裁判の迅速化に係る検証結果の公表(第8回))について」

という発表をしています。

http://www.courts.go.jp/about/siryo/hokoku_08_about/index.html

 これによると、労働審判事件の平均審理日数は80.7日で、事件の72.6%(2491件)が調停成立で終局しています。労働審判に至った504件のうち161件は異議申立なく確定しています。

http://www.courts.go.jp/vcms_lf/hokoku_08_gaiyou.pdf

 つまり、全体の8割弱は本訴に移行しないまま解決しているのであり、記事は時間がかかることを殊更に協調しすぎている傾向があります。

 また、一定の規模で事業活動を行っている会社であれば差し押さえの対象は幾らでもありますし(備品、得意先への債権など)、「強制執行を受け、若しくは受けるべき財産を隠匿し、損壊し、若しくはその譲渡を仮装し、又は債務の負担を仮装する行為」は強制執行妨害目的財産損壊等の罪として刑法犯とされているため(刑法96条の2第1号)、用意周到に預金を他に移して『THE END』になるのは預金を移した側ではないかとも思われます。また、賃金を支払わないことは、それ自体も犯罪とされており(労働基準法120条1項1号、同法24条)、支払わないことに対する罰則も存在します。

 解決金水準を「相場は月収の3~5カ月程度です。」としているのも、単に筆者が実体を知らないだけだと思います。

 前提として言うと、一般に解決金水準とされているのは、解雇を金銭的に解決する場面(退職の効力を認める代わりに一定額の解決金の支払を受けるという枠組みで解決させる場合)のことであり、賃金の一方的減額の場合とは局面が異なります。

 また、解決金水準は、解雇が違法無効である可能性が濃厚な事案と、解雇が適法有効である可能性が高い事案とで大分違いがあります。

 厚生労働省が平成28年6月6日付けで公表している

「金銭解決に関する統計分析」

によると、

「労働審判制度の解決金は、正社員では勤続年数あたり0.3程度という大きさで月収倍率が増加するが、解決金月収倍率の大きいグループと小さいグループで大きく異なる。」

「解決金月収倍率の小さいグループ(解雇効力の確度が相対的に高い(解雇有効の可能性が高い)と想定)では、解決金月収倍率は2.3か月程度で勤続年数とは無関係。」「大きいグループ(解雇効力の確度が相対的に低い(解雇無効の可能性が高い)と想定)では、解決金月収倍率は勤続年数の0.84倍程度で増える。」
「この結果は、解雇効力の確度が高い(解雇有効の可能性が高い)場合には2~3か月の解決金のみで、解雇効力の確度が十分低い(解雇無効の可能性が高い)場合にはより大きな金額になるという当検討会での議論(2016/4/25検討会における難波弁護士の説明)と対応」

「2.労働審判の解決金分析」

「正社員の平均では変動の約17%の説明力」
「解決金月収倍率≒5.5+0.33*勤続年数」
「月収倍率が低いグループでは、解決金月収倍率≒2.3 (下位10%)で勤続年数とは無関係」
月収倍率が高いグループほど勤続年数との関係が強くなる

解決金月収倍率≒9.1+0.84*勤続年数 (上位10%)

「解決金月収倍率がかなり高ければ解雇効力の確度が低い(解雇無効の可能性が高い)、逆にかなり低ければ解雇効力の確度が高い(解雇有効の可能性が高い)と仮定す
ると、解雇有効の場合と無効の場合で勤続年数の効果が異なっている可能性」

との報告がされています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000126428.html

https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11201000-Roudoukijunkyoku-Soumuka/0000126517.pdf

 解雇無効の可能性が高く、勤続年数がそれなりにあれば、年収を超える解決金水準となることも珍しいわけではありません。

4.泣き寝入りをしろと言っているのではないというが・・・

 記事には、

「泣き寝入りしろと言っているのではありません。労働者個人の視点で見れば、あまりに負担が大きく、得られる果実もそう多くはない場合が多い、ということを知っていただきたいのです。」

と書かれています。

 しかし、所掲の記事は正確性を欠く情報をもとに、労働者に泣き寝入りをしろと言っているように聞こえます。

 会社と争うことの負担が軽いと言うつもりはありませんが、法制度に関しては記事に書かれているほど絶望的な状況ではないため、あまり悲観する必要はないと思います。