弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

労働者が10分単位又は15分単位で入力していた機械的正確性のない出勤簿に基づいて労働時間が認定された例

1.業務関連性は明白であるが、機械的正確性のない証拠

 残業代を請求するにあたり、労働時間の立証手段となる証拠には、

機械的正確性があり、成立に使用者が関与していて業務関連性も明白な証拠

成立に使用者が関与していて業務関連性は明白であるが、機械的正確性のない証拠、

機械的正確性はあるが業務関連性が明白でない証拠、

機械的正確性がなく、業務関連性も明白でない証拠、

の四類型があります(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ』〔青林書院、改訂版、令3〕169頁参照)。

 使用者の指示のもと、従業員が始業時刻、終業時刻を自己申告的に記入していた勤務簿は、

成立に使用者が関与していて業務関連性は明白であるが、機械的正確性のない証拠

に分類されます。

 こうした証拠に関しては、

「内容に機械的な正確さがないことから、信用性の吟味が必要となり、事案における具体的な事情により証拠価値が異なってくる」(前掲『労働関係訴訟の実務Ⅰ』171頁参照)。

と理解されています。

 このような議論状況のもと、近時公刊された判例集に、労働者が10分単位又は15分単位で入力していた機械的正確性のない出勤簿に基づいて実労働時間が認定された裁判例が掲載されていました。東京地判令5.7.18労働判例ジャーナル144-44 空色スペース事件です。

2.空色スペース事件

 本件は控訴人(一審被告)との間で雇用契約を締結し、その後業務委託契約を締結した被控訴人(一審原告)が時間外勤務手当等を請求した事件です。原審簡裁が一審原告の請求を一部認容したことを受け、一審被告が控訴したのが本件です。

 一審被告は居宅介護支援事業を目的とする合同会社です。

 一審原告は、一審被告でケアマネージャーの仕事に従事していた方です。

 一審原告は時間外勤務手当等を請求するにあたり、出勤簿に基づいて実労働時間を主張しました。この出勤簿は、一審原告自ら出社時間と退社時間を記入したもので、15分単位又は10分単位でパソコンでの記入が行われていました。

 要するに、自己申告制であるうえ、体裁上、機械的な正確性がなかったわけですが、裁判所は、次のとおり述べて、本件出勤簿に基づいて実労働時間を認定しました。

(裁判所の判断)

証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、控訴人は、タイムカード等の客観的な記録による労働時間管理を行っておらず、被控訴人に対し、出勤簿の書式を用意して記入するよう指示し、これにより労働時間を把握することとし、被控訴人は、上記指示に従って、上記書式に『出社時間』及び『退社時間』をパソコンで記入していたものと認められるところ(以下、上記の手順で作成された出勤簿を『本件出勤簿』という。)、控訴人は、本件出勤簿の内容を確認の上、不正確な記載があれば被控訴人に対して訂正を命ずるなどの対応をとることができたにもかかわらず、当時、上記対応をとっていなかったことを踏まえると、本件出勤簿の記載に反する客観的な証拠があるなどの事情のない限り、本件出勤簿記載のとおりの始業時刻及び終業時刻を認めるのが相当である。

本件出勤簿の『出社時間』及び『退社時間』は15分単位又は10分単位で入力されており、1分単位では記入されていなかったところ、4月11日の本件出勤簿記載の終業時刻(午後6時30分)についてみると、被控訴人は、控訴人に対し、午後6時23分に『終了します』とメッセージを送信しており、これに対する控訴人の異議等の返信はなかったこと・・・、控訴人において、同時刻から午後6時30分まで業務に従事したことに関する具体的な主張立証はないことからすると、被控訴人は、午後6時23分に労働から解放されたものと認めるのが相当である。そうすると、同日の終業時刻は上記時刻となる。

「控訴人は、〔1〕5月14日及び同月28日の休日出勤については、出勤の事実がないか、必要性のない出勤である旨、〔2〕被控訴人に対して、およそ時間外労働を指示した事実はない旨主張する。」

「しかしながら、被控訴人が業務上の必要性がないのに出勤又は残業をする理由はないし、控訴人は、本件出勤簿の内容を確認の上、不正確な記載があれば被控訴人に対して訂正を命ずるなどの対応をとることができたにもかかわらず、上記対応をとっていなかったのであるから、控訴人の前記主張はいずれも採用することができない。」

「そして、他に被控訴人の始業時刻及び終業時刻につき、本件出勤簿の記載に反する客観的な証拠があるなどの事情はうかがわれない。」

「以上を前提にすると、被控訴人の4月から6月までの労働時間は、別紙2-1(裁判所時間シート)のとおり認定できる。」

3.盛られた日があっても、訂正が命じられていなければ証拠価値は失われない

 自作の勤務簿に基づく労働時間立証が認められた事例は、本件に限ったことではありません。

従業員が入力していた勤務簿(エクセルデータ)での労働時間立証が認められた例 - 弁護士 師子角允彬のブログ

 本件の特徴は、15分単位又は10分単位という体裁上明らかに厳密性がない出勤簿について、盛られた日の存在が明らかにされても、

「控訴人は、本件出勤簿の内容を確認の上、不正確な記載があれば被控訴人に対して訂正を命ずるなどの対応をとることができたにもかかわらず、当時、上記対応をとっていなかった」

として、証拠としての全体的な信用性が維持されたことにあります。

 上述のようなロジックを用いた労働時間の認定方法は、自己申告制で労働時間が記録されている会社に対して残業代を請求するにあたり広く活用できる可能性があります。特に、自己申告制で記録された労働時間に一部不正確な点があることが明らかにされた場合に、先例としての意義を発揮してくる可能性があり、実務上参考になります。

 

在籍出向の規定を欠く会社との間では、出向することが記載されている雇用契約書の取り交わしに応じなくても問題ないとされた例

1.出向

 最二小判平15.4.18労働判例847-14 新日本製鐵(日鐵運輸第2)事件は、労働者の同意を前提としない出向命令の可否について、

「(1)本件各出向命令は、被上告人が八幡製鐵所の構内輸送業務のうち鉄道輸送部門の一定の業務を協力会社である株式会社日鐵運輸(以下『日鐵運輸』という。)に業務委託することに伴い、委託される業務に従事していた上告人らにいわゆる在籍出向を命ずるものであること、(2)上告人らの入社時及び本件各出向命令発令時の被上告人の就業規則には、『会社は従業員に対し業務上の必要によって社外勤務をさせることがある。』という規定があること、(3)上告人らに適用される労働協約にも社外勤務条項として同旨の規定があり、労働協約である社外勤務協定において、社外勤務の定義、出向期間、出向中の社員の地位、賃金、退職金、各種の出向手当、昇格・昇給等の査定その他処遇等に関して出向労働者の利益に配慮した詳細な規定が設けられていること、という事情がある。」

「以上のような事情の下においては、被上告人は、上告人らに対し、その個別的同意なしに、被上告人の従業員としての地位を維持しながら出向先である日鐵運輸においてその指揮監督の下に労務を提供することを命ずる本件各出向命令を発令することかできるというべきである。」

と判示しています。

 つまり、出向命令を有効に行うためには、

就業規則上に根拠規定があることなどの事情があるか、

個別的同意があるか、

いずれかの場合であることが必要になります。

 近時公刊された判例集に、「事情」がないにもかかわらず、労働者から出向に関する個別的同意を取ろうとして失敗した事例が掲載されていました。昨日もご紹介させて頂いた、横浜地判令5.12.12労働判例ジャーナル144-16学校法人M幼稚園事件です。

2.学校法人M幼稚園事件

 本件で被告になったのは、認定こども園である幼稚園(本件幼稚園)を運営する学校法人です。

 原告になったのは、被告との間で期間の定めのない労働契約を締結し、本件幼稚園で、

主任として勤務していた方(原告P1)、

教諭として預かり保育のリーダー等の園務を担当していた方(原告P2)

の二名です。被告から解雇されたことを受け、その無効を主張し、労働契約上の地位の確認等を請求したのが本件です。

 被告から多数の解雇理由が主張されたこともあり、本件の争点は多岐にわたりますが、その中の一つに雇用契約書の取り交わしの拒否がありました。

 具体的に言うと、被告は、解雇理由の一つとして、

「原告P1は、令和4年、各職員において通例となっている年度ごとの雇用契約書の締結をせず、雇用契約の変更に合意しなかったことにより、被告との間の雇用の信頼関係を破綻させ、園内の秩序を乱した」

ことを主張しました。

 ただ、被告代表者が押印を求めた雇用契約書は、

「令和4年4月1日頃、原告らに対し、就業の場所を出向園、就業日及び労働時間を出向先の園に準ずる、という内容」

の明確性に欠けたものでした。

 裁判所は、被告が主張する上記解雇理由について、次のとおり述べて、信頼関係を破壊したり、秩序を乱したりするものではないと判示しました。

(裁判所の判断)

「被告は、原告P1解雇事由〔1〕につき、通例となっている年度ごとの雇用契約書の締結をせず労働契約の変更に合意しなかったことにより、雇用の信頼関係を破綻させ、園内の秩序を乱した旨主張する。しかし、原告P1と被告との間の労働契約は、期限の定めのない労働契約であるところ・・・、当該年度ごとの労働契約の内容に変更がある場合に、労働者が労働契約の変更に常に応じなければならないような義務はない。また、原告P1が締結を拒否した雇用契約書には、原告P1が出向することが記載されていたところ、出向先、就業日、就業時間及び休憩時間は明らかにされていない上、被告代表者が原告P1に対して雇用契約書への押印を求めたという令和4年4月1日頃時点において、被告の就業規則に、在籍出向に関する有効な規定がおかれていたと認めることはできない。そのため、原告P1が当該労働契約の変更に応じないことが雇用の信頼関係を破壊するものとも、園内の秩序を乱すものとも認められない。

3.根拠なき要請に応じる義務はない

 就業規則の規定などの事情がない場合、一方的な出向命令は下せません。下されたとしても、労働者は個別的合意をしないことができます。個別的合意をしないと懲戒処分を受けるというのでは、合意の意味がありません。したがって、個別的同意をしなかったとしても、それを理由に懲戒処分を受けることはありません。

 出向を強要され、断ると懲戒処分を受ける例は、残念ながら少なくありません。こうした扱いを受けた方は、懲戒処分の効力を争うことができないか、一度、弁護士の下に相談に行っても良いのではないかと思います。

 

出向先や労働条件が不明確であるとして出向命令が無効とされた事例

1.出向を命ずることができる場合

 労働契約法14条は、

使用者が労働者に出向を命ずることができる場合において、当該出向の命令が、その必要性、対象労働者の選定に係る事情その他の事情に照らして、その権利を濫用したものと認められる場合には、当該命令は、無効とする。」

と規定しています。

 労働契約法制定前の事案ではありますが、最二小判平15.4.18労働判例847-14 新日本製鐵(日鐵運輸第2)事件は、労働者の同意を前提としない出向命令の可否について、

「(1)本件各出向命令は、被上告人が八幡製鐵所の構内輸送業務のうち鉄道輸送部門の一定の業務を協力会社である株式会社日鐵運輸(以下「日鐵運輸」という。)に業務委託することに伴い、委託される業務に従事していた上告人らにいわゆる在籍出向を命ずるものであること、(2)上告人らの入社時及び本件各出向命令発令時の被上告人の就業規則には、『会社は従業員に対し業務上の必要によって社外勤務をさせることがある。』という規定があること、(3)上告人らに適用される労働協約にも社外勤務条項として同旨の規定があり、労働協約である社外勤務協定において、社外勤務の定義、出向期間、出向中の社員の地位、賃金、退職金、各種の出向手当、昇格・昇給等の査定その他処遇等に関して出向労働者の利益に配慮した詳細な規定が設けられていること、という事情がある。

「以上のような事情の下においては、被上告人は、上告人らに対し、その個別的同意なしに、被上告人の従業員としての地位を維持しながら出向先である日鐵運輸においてその指揮監督の下に労務を提供することを命ずる本件各出向命令を発令することかできるというべきである。」

と判示しています。

 こうした判示を受け、

「使用者が、労働者に対し、その個別的同意を得ることなく出向を命ずるためには、就業規則、出向規程ないし労働協約等において、『会社は、業務上必要がある場合は、社員に出向を命ずることができる。』といった一般的な規程・・・が設けられていることを主張立証するだけでは足りず、出向期間中の労働条件、出向期間、勤続年数の取扱い等に関する具体的な規定が整っていることを主張立証する必要がある。」

と理解されています(佐々木宗啓ほか『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ』〔青林書院、改訂版、令3〕316-317頁参照)。

 要するに、具体性に欠ける出向命令は有効とは認められないわけですが、法律相談をしていると、労働条件が不明確な出向命令が出されている例は結構あります。近時公刊された判例集にも、出向先や労働条件が不明確であるとして、その効力が否定された裁判例が掲載されていました。横浜地判令5.12.12労働判例ジャーナル144-16学校法人M幼稚園事件です。

2.学校法人M幼稚園事件

 本件で被告になったのは、認定こども園である幼稚園(本件幼稚園)を運営する学校法人です。

 原告になったのは、被告との間で期間の定めのない労働契約を締結し、本件幼稚園で、

主任として勤務していた方(原告P1)、

教諭として預かり保育のリーダー等の園務を担当していた方(原告P2)

の二名です。被告から解雇されたことを受け、その無効を主張し、労働契約上の地位の確認等を請求したのが本件です。

 被告から多数の解雇理由が主張されたこともあり、本件の争点は多岐にわたりますが、その中の一つに出向命令の効力がありました。

 被告は、原告P1の解雇理由として、

「原告P1は、令和4年4月25日付けの在籍出向命令を拒否し続けた」

などと主張しましたが、原告P1は、

「出向命令を行うためには、出向命令権の労働契約上の根拠が必要であるが、就業規則上の出向に関する規定(44条)の新設は不存在又は無効であり、就業規則上の出向の定めはない。」

などと主張し、その効力を争いました。

 この論点について、裁判所は、次のとおり述べて、出向命令の効力を否定しました。

(裁判所の判断)

・原告らに対する出向の打診等

「被告代表者は、令和3年7月から同年9月頃までにかけて、原告らに対し、複数回にわたり、出向命令を出すことを検討している旨述べ、同年11月30日には、原告らに対し、出向してほしいと思っているが出向先はまだ決まっておらず、出向を受入れるのであれば出向先を探すため年内に返事を聞かせてほしい旨述べた。」 

「原告P2は同年12月17日、原告P1は同月21日、それぞれ被告代表者に対し、出向せずに本件幼稚園に残る選択をした場合にはどうなるのか尋ねたのに対し、被告代表者は、退職してもらうしかない旨回答した。」

「原告P1は、令和3年12月22日、被告代表者に対し、出向を拒否したところ、被告代表者は、原告P1に対し、解雇をする旨述べた。もっとも、被告代表者は、令和4年1月8日、同発言を撤回した。」

「被告代表者は、令和3年12月22日、原告P2と面談した際、同人に対し、視野や枠を広げてほしい、園長という立場の人への対応を学んでほしい、出向しないのであれば自主退職をお願いすることになるなどと述べた。原告P2は、「出向に対する異議申し立て」と題する同日付け文書を被告代表者に交付し、出向を拒否した。これに対し、被告代表者は、予想してなかった旨述べ、原告P2と被告代表者は、後日もう一度面談を行うこととした。被告代表者は、同月24日、原告P2と面談をし、同人には退職してもらうしかない旨述べた。もっとも、被告代表者は、令和4年2月2日、同発言を撤回した。」

「原告らは、令和3年12月23日、被告に勤務する職員数名とともに、労働組合宮の台ゆにおん(以下『本件組合』という。)を結成した・・・。」

・就業規則の改定、出向命令等

「被告は、令和4年2月1日、被告の就業規則を改定し、在籍出向に関し、44条1項として、『園は、教職員に対し、他の事業主(以下「出向先事業主」という)の運営する認定こども園、幼稚園または保育園への出向を命ずることがある。』、同条2項として、『前項の場合において、園と教職員との雇用契約は存続するものとし、具体的な待遇については、学校法人宮の台幼稚園と出向先事業主との出向契約により定める。』との規定を新設することとして、同日から改定後の就業規則を施行するものとした・・・。」

「被告は、令和4年2月2日、原告らに対し、就業規則44条に基づき、以下の内容の出向命令をしたが(・・・以下、原告P1に対する出向命令を『原告P1出向命令〔1〕』といい、原告P2に対する出向命令を『原告P2出向命令〔1〕』という。)、原告らはこれを拒否した(弁論の全趣旨)。」

出向目的:本件幼稚園、主任としての功績を讃え、さらなる成長を期待して以下のような目的とする。〔1〕キリスト教保育の理解、〔2〕幼稚園における組織の在り方の学び、〔3〕立場の違いの経験における人間性の拡張、〔4〕本件幼稚園を外から見る学び、〔5〕新人の立場で新人教育を体験する

出向先:他の学校法人が運営する幼稚園、認定こども園

「出向期限:令和4年4月1日から令和5年3月31日まで」

雇用条件:出向先の幼稚園、認定こども園の就業規則に準ずる

給与:現在の基本給を維持する。手当に関しては出向先の園の規則による。

(中略)

被告は、令和4年4月25日、原告らに対し、就業規則44条に基づき、以下の内容の出向命令をしたが(・・・以下、原告P1に対する出向命令を「原告P1出向命令〔2〕」といい、原告P2に対する出向命令を「原告P2出向命令〔2〕」という。)、原告らは(原告P1は口頭で)これを拒否した・・・。

出向目的、出向先、雇用条件は上記・・・の出向命令と同じ。

出向期限:出向先と協議し最長で4年間とする

給与:現在の基本給を維持する。手当に関しては出向先の園の規則による。現状から9%以上の差がないようにし、差が生じる場合は特別補助をする。

戻る際:『主幹(補佐を含む)』同等以上の職位を担っていただく。

返答方法:書面にて理由を明記すること

返答期限:5月6日午後5時まで

(中略)

「原告P1解雇事由〔4〕につき、被告は、原告P1が原告P1出向命令〔2〕を拒否し続けた旨主張する。」

「しかし、仮に、原告P1出向命令〔2〕がされた時点で就業規則44条が有効であったとしても、原告P1出向命令〔2〕は具体的な出向先が特定されておらず、基本給は維持するなど給与については一定の配慮があり、被告に戻った際の条件も『主幹(補佐を含む)』同等以上の職位を担うとされてはいるものの、その他の労働条件は全く明らかになっていない。被告は、出向先及び労働条件については、今後の協議事項としての余白を残し、不利益がないよう配慮したと主張するが、原告P1にとって不利益でない労働条件になるのかは不確定と言わざるを得ない。そうすると、原告P1が、このような原告P1出向命令〔2〕に従わないこと(原告P1解雇事由〔4〕)は、懲戒解雇の根拠規定である就業規則38条の〔3〕の4『正当な理由なく、しばしば業務上の指示・命令に従わない場合』、同7『素行不良で著しく園内の秩序又は風紀を乱した場合』、同14『その他前各号に準ずる不適切な行為がある場合』に該当しないから、解雇の根拠規定である就業規則28条の6『懲戒解雇事由に該当する場合』に該当しないし、同条の5『その他、就業に適さないと認められる場合』にも該当しない。

3.具体性に欠ける出向命令のイメージ

 具体性に欠ける出向命令の効力が否定されるという一般論は比較的良く知られているのですが、どういう出向命令が否定されるのかは、それほど明確に意識されているわけではありません。

 本件の裁判所は、

「出向先:他の学校法人が運営する幼稚園、認定こども園」

「雇用条件:出向先の幼稚園、認定こども園の就業規則に準ずる」

「給与:現在の基本給を維持する。手当に関しては出向先の園の規則による。現状から9%以上の差がないようにし、差が生じる場合は特別補助をする。」

「戻る際:『主幹(補佐を含む)』同等以上の職位を担っていただく。」

といったような提示の仕方ではダメだと判示しました。

 本裁判例は出向命令の効力を争うにあたり、実務上参考になります。

 

「退職するとなったときにはそれらの費用(就労準備費用)を負担してもらいますが大丈夫ですか」⇒「大丈夫です」では、費用の返還義務は生じないとされた例

1.就労準備費用の返還請求

 少子高齢化ほか様々な要因により、本邦では至るところで人手不足・人材不足が進行しています。人手不足・人材不足が深刻化すると、労働者の調達コストが上昇します。労働者の調達コストが上がると、採用にあたり、使用者から、

退職するなら、かかった費用を負担してもらう、

といった条件を提示され、退職時にトラブルになる事案が増えることになります。

 こうしたトラブルに対処するため、先ず考えられるのは、労働基準法16条の活用です。

 労働基準法16条は、

「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。」

と規定しています。

 使用者から請求を受けた労働者としては、退職したら一定額の金銭を支払えというのは、労働基準法16条で禁止されている「労働契約の不履行について」の「違約金」そのものではないかといった理屈で支払いを拒むことが考えられます。

 しかし、就労準備費用を労働者に転嫁したい使用者からは、しばしば、

違約金を定めたものではない、

これは就労準備費用の貸付(金銭消費貸借契約)である、

元々、貸金返還義務があるところ、一定期間働いたらそれが免除される形になっているだけだ、

といった反論が寄せられます。

 こうした主張の応酬は最早一定の様式になっている感があるのですが、近時公刊された判例集に、こうした金銭消費貸借契約の成立を否定した裁判例が掲載されていました。横浜地判令5.11.15労働判例ジャーナル144-20川久保企画事件です。

2.川久保企画事件

 本件で原告になったのは、外国人を雇用する株式会社です。

 被告になったのは、ベトナム出身の外国人であり、原告との間で、期間の定めのない労働契約を締結した方です(令和3年2月1日又は3月1日締結)。

 被告が令和4年2月28日に退職したことを受け、原告は、

「令和元年7月頃、ベトナム・ハノイにおける採用活動に応募した被告との間で、被告の採用及び就労準備に要する費用(本件就労準備費用)につき、被告が原告において5年間就業した場合はその返還を免除し、5年間を経ずに退職した場合にはその全額を返還する旨の合意(以下「本件金銭消費貸借契約」という。)をし、原告は、被告の就労準備費用として85万9811円を負担した。」

などと主張し、被告に対して同額の返還を求める訴訟を提起しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、原告の請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

原告は、原告代表者が、採用面接時に被告に対し、『少なくとも5年間は勤務してほしいと思っていますが大丈夫ですか』と質問したところ、被告が『大丈夫です』と返答し、さらに、被告に対し、被告が日本で就労するためには、ビザの関連費用、旅費、仲介会社に対する手数料等の諸費用が発生することを説明し、『被告が原告を退職するとなったときにはそれらの費用を負担してもらいますが大丈夫ですか』と質問したところ、被告が『辞めるつもりはないから大丈夫です』と返事をし、本件金銭消費貸借契約が成立したと主張し、これに沿う陳述をする・・・。
 しかし、被告は、原告代表者との間で上記の会話があったことを否認する。原告が、令和3年4月30日に株式会社ワールディングに、被告を含む3名の採用のために257万9435円を支払った・・・ことは認められるが、原告が、被告に対し、ビザの関連費用、旅費、仲介会社に対する手数料等の就労準備費用が発生すること、被告が5年間を経ずに原告を退職した場合にそれらの費用を負担することになるとの説明をし、被告がこれを了解したことを裏付ける的確な証拠はない。そして、仮に原告の主張どおりのやり取りがあったとしても、採用の際に、被告が原告から就労準備費用としていくら借入れをしたことになるのか、被告の負担すべき就労準備費用の内訳がどのようなものかを原告代表者が被告に説明したとは認められない。就労準備費用の負担については、雇用契約書・・・に記載がなく、原告と被告との合意を裏付けるような書面の作成もないのであって、本件金銭消費貸借契約が成立したとは認めるに足りない。なお、厚生労働省の指針によれば、事業主による渡航費用等の負担の有無や負担割合をあらかじめ明確にするよう努めることが求められている・・・。」

「よって、原告の主張は採用できず、原告の被告に対する本件就労準備費用の返還請求は認められない。」

3.外国人に限った問題ではない

 本件は本邦の会社と外国人労働者との紛争ですが、就労準備費用の転嫁の可否が問題になるのは、何も外国人労働者との間に限った問題ではありません。

 この問題で労働者を守るためには、冒頭で述べたとおり、労働基準法16条違反の法律構成が考えられます。しかし、金銭消費貸借契約が労働基準法16条違反を構成するかどうかは、純然たる貸借契約であるのか/実質的に見て労働契約の不履行に違約金・損害賠償予約を定めたものといえるのかという事実認定の問題にかかってくるため、必ずしも安定した判断が得られるわけではありません。そのため、金銭消費貸借契約の成立の段階で防御することができれば、それに越したことはありません。労働契約法16条の議論は成立している債権に対して、その効力をどう考えるのかという問題だからです。

 本件の裁判所は、傍論ながら、

『被告が原告を退職するとなったときにはそれらの費用を負担してもらいますが大丈夫ですか』

『辞めるつもりはないから大丈夫です』

程度のやりとりでは、金銭消費貸借の成立には至らないと判示しました。

 本件のようなやりとりが交わされることは少なくないように思いますが、雇入れ時の自分の発言が気になって退職を躊躇している方がおられましたら、参考にしても良いように思います。

 

退職合意書の清算条項が労働者の有利に働いた事例

1.清算条項

 退職の時、清算条項付きの合意書の取り交しを求められることがあります。

 清算条項とは、

「甲と乙は、本合意書に定めるほか、甲と乙との間に、何ら債権債務のないことを、相互に確認する」

といった趣旨の条項です。

 会社側が労働者に清算条項付きの合意書の取り交しを求める背景には、退職後の労働者から残業代を請求されたり、ハラスメントを理由とする損害賠償を請求されたりすることを防ぎたいという事情があります(こうした清算条項付きの合意を取り交わしたからといって直ちに残業代が請求できなくなるわけではありませんが)。

 清算条項付きの合意書の取り交しを求められても、会社側からの求めである限り、それが労働者に有利に働くことは、あまり考えられません。

 しかし、近時公刊された判例集に、退職合意書の清算条項が労働者側の有利に機能しが裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、千葉地判令5.11.28労働判例ジャーナル144-18 医療社団法人響心会事件です。

2.医療法人社団響心会事件

 本件は医療法人社団が原告となって、

元従業員である被告B、

被告Bの身元保証人である被告C

に対し、研修費用の立替金相当額の支払を求めた事件です。

 原告には、

「原告にて勤務する従業員に対して、従業員の自己啓発又はスキルアップのための研修費用等を立替払いして貸与する制度があり、これは従業員が原告に特定の研修を指定し、その研修を受講したい旨を原告に『研修費稟議書』を提出して個別に申込み、原告が許可すれば、原告が従業員に代わって直接研修費用を支払う」

という仕組みがありました(研修費用立替制度)。

 本件の原告は、この研修費用立替制度に基づいて立替金が発生しているとして、被告らに対し、89万9300円の支払を請求する訴えを提起しました。

 これに対し、被告側は、

受講した研修は研修費用立替制度を利用した場合の研修とは異なる研修である、

立替金支払請求権があったとしても、退職合意書の清算条項によって清算済みである、

などと主張し、として立替金相当額の支払義務を争いました。

 裁判所は、

受講した研修は本件研修費用立替制度を理容した研修とは全く別物であるところ、立替金返還合意がないとして、立替金の支払義務がない

としながらも、清算条項の効力について、次のとおり判示しました。

(裁判所の判断)

「被告Bは、令和4年9月26日をもって、原告を退職したが、その際、被告Bと原告との間で退職合意書が取り交わされているところ、双方それぞれに弁護士が代理人として就任しており、双方代理人間で取り交わされた同書面の冒頭には、原告と被告との雇用関係について下記の内容で合意するとの記載があり、下記部分として3項目の具体的条項が記載されており、その第3項に本合意書に定めるもののほか、何らの債権債務がないことを相互に確認するといういわゆる全部精算条項が記載されている・・・。」

(中略)

「前記・・・のとおり、原告と被告Bとの間で退職合意書が取り交わされ、この退職合意書は原告及び被告Bともに委任している法律専門家である弁護士間で取り交わされた合意書であり、清算の範囲については何らの限定がされていないことが認められる。

「また、本件退職合意書が作成された経緯についても、証拠・・・によれば、被告の主張にあるとおり、退職後に原告は被告Bからの給与及び損害賠償の請求を防止するために、他方、被告Bは原告からの本件各講座の研修費の請求を防止するために全部清算条項を作成したことは容易に認められ、これと異なる原告の前記主張は認められず、本件請求を認める余地はない。

3.労働者側でも清算したい債務がないかを検討してみてもいいかも知れない

 個人的な実務経験の範囲内でいうと、会社側から求められた清算条項付きの合意書の取り交しに応じても、労働者側にはメリットがないことの方が多いように思います。

 しかし、本件のような事案もあるため、労働者側にも清算したい関係に心当たりがある場合、会社側から退職合意書が提示されたら、事前に弁護士と相談のうえ、問題なさそうであれば、退職合意書を取り交わしても良いかも知れません(なお、事前に法専門家に相談することなく、会社側から示された清算条項付きの退職合意書に署名することは危険なので、くれぐれもご注意ください)。

 

労働者に対して行われる研修費用の本来的な負担者は誰なのか?

1.研修費用の取扱い

 労働者に対して行われる研修には、二面性があります。

 一つは、使用者が自分の業務を遂行するために行っているという面です。

 もう一つは、労働者自身の職業能力の向上という面です。

 前者の面を強調すれば、労働者に対して行われる研修費用は、使用者自身が負担すべき経費として位置付けられます。

 後者の面を強調すれば、研修費用は職業能力の向上という恩恵を受ける労働者の側で負担すべき費用として理解されます。

 研修費用の本来的な負担者について言うと、使用者から労働者に対して研修の受講命令が出されている場合には、使用者側になるのではないかと思われます。

 問題は、研修の申込者が労働者である場合です。研修費用の負担について特段の定めがない場合、研修費用の本来的な負担者は、労働者・使用者のどちらと考えられるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。千葉地判令5.11.28労働判例ジャーナル144-18 医療社団法人響心会事件です。

2.医療法人社団響心会事件

 本件は医療法人社団が原告となって、

元従業員である被告B、

被告Bの身元保証人である被告C

に対し、研修費用の立替金相当額の支払を求めた事件です。

 原告には、

「原告にて勤務する従業員に対して、従業員の自己啓発又はスキルアップのための研修費用等を立替払いして貸与する制度があり、これは従業員が原告に特定の研修を指定し、その研修を受講したい旨を原告に『研修費稟議書』を提出して個別に申込み、原告が許可すれば、原告が従業員に代わって直接研修費用を支払う」

という仕組みがありました(研修費用立替制度)。

 この研修費用立替制度に基づく立替金は

「基本的には全額の返還を要するものの、研修を受講してから1年以内に退職した場合には1万円の免除を、2年以内に退職した場合には2万円の免除、3年以内に退職した場合には3万円の免除(以下、1年ごとに1万円ずつ免除額が増える)をすることにし、その差額につき返還を求めること」

とされていました。

 被告Bは、下記のとおり、四つの研修を受講しました。

(1)令和2年7月15日受講(支払日令和2年1月25日)
料金24万7500円
アチーブメントテクノロジーコース特別講座2期(東京)
免除額2万円 請求額22万7500円

(2)令和2年8月27日受講(支払日令和2年7月31日)
料金10万4500円
『頂点への道』講座ダイナミックコース306期(東京)
免除額2万円 請求額8万4500円

(3)令和2年12月10日受講(支払日令和2年12月3日)
料金29万4800円
『頂点への道』講座ダイナミックアドバンスコース302期(東京)
免除額1万円 請求額28万4800円

(4)令和3年11月4日受講(支払日令和2年12月30日)
『頂点への道』講座ピークパフォーマンスコース145期(大磯)
免除額なし 請求額30万2500円

 本件で原告が求めたのは、この四つの研修費用の立替金相当額です。

 被告Bは各研修について、研修費用立替制度を利用した場合の研修とは異なる研修であるとして立替金相当額の支払義務を争いました。

 裁判所は、次のとおり述べて、研修費用立替金の支払義務を否定しました。

(裁判所の判断)

通常は、従業員が研修費用立替制度を利用する場合、『研修費稟議書』を提出することとなっていたというのであるから、被告Bからの『研修費稟議書』が存在しない以上、被告Bはこの『研修費稟議書』を提出していないということであり、これによれば、被告Bが原告の研修費用立替制度を利用していたという原告の主張は認めることができない。

また、被告Bは原告に雇用されるに際して提出した誓約書・・・に記載されている研修と前記『研修費稟議書』を提出して決済を受けなければならないとされている、本件研修費用立替制度を利用した研修とは全く別物であることが認められ、被告Bが前記誓約書に署名捺印していることによって、本件研修費用立替制度の利用に同意していたとは認められない。

「なお、この点について、原告は、前記原告の主張にあるように、D氏が被告Bの求めに応じて特別に決済していたと主張するが、たとえD氏が決裁権を有していたとしても、原告は、医療法人として組織として運営し、組織として費用の出捐を行っている以上、何らの裏付けもなく、費用のみを出捐していたということはにわかに信用することができず、また、証拠・・・によれば、被告Bは、本件研修費用立替制度を利用する方法として、被告Bは、研修先で研修を受け終えた程度のタイミングで、研修会社から新たな研修の案内を受けて、その都度D氏に直接電話をして、研修費用立替制度を利用して研修を受講することを依頼してきたとのことであるが、被告Bが原告に雇用されたのは令和2年3月19日で、この時はまだ契約社員として雇用されたに過ぎないところ、原告が請求している計4件の立替金のうち、(1)の立替金の支払日は令和2年1月25日であり・・・、被告Bが原告に入社する以前の出来事であることに照らせば、たとえグループ法人に入社していたとはいえ、原告に採用される以前の段階で、被告BがD氏から原告の研修費用立替制度の説明を受けていたこと、ましてや、まだ原告に雇用さえされてもいない段階で、決裁権者であり原告の理事でもあるD氏に直接電話で高額な研修の受講を依頼したなどということは、到底信じることができない。」

「さらに証拠・・・によれば、(1)の研修を受講した後、被告Bは会社の投資だけでは変わらないと研修アシスタントであるF氏に話し、自らの費用でマスタープログラム・・・を自費購入したことが認められ、この事実からも、原告の請求する本件各講座は原告の負担で被告Bが受講した研修講座であることが認められる。」

「よって、被告Bは、いかなる意味においても、原告との間で立替金を返還する旨の合意をしていた事実は認められず、本件各講座の研修費用立替金の支払義務はないと言わなければならない。」

3.裁判所は特段の合意がない場合の負担者を使用者と考えているのではないか?

 裁判所の論理は、要するに、

研修費用立替制度の利用にあたっては、研修稟議書を提出することとされていた、

本件で問題となっている研修の受講にあたり、研修稟議書が提出された事実はない、

ゆえに、本件で問題とされている研修費用は、研修費用立替制度の適用外である、

というものです。

 研修費用立替制度の適用外である場合、研修費用の帰趨は、本来的な負担者が誰なのかによって判断されることになるはずですが、裁判所は、使用者による請求を認めませんでした。こうした判断の背景には、特別な合意がない場合、研修費用は基本的には使用者側で負担すべきものという発想があるように思われます。

 本件は一見すると特殊な事例判断にも見えますが、研修費用に関する裁判所の考え方を知るうえで参考になります。

 

勤務時間が定められていなかったとしても元からであったとして、労働契約を合意解約して業務委託契約を締結したとの主張が排斥された例

1.労働者と業務受託者

 労働者は労働基準法をはじめとする労働関係法令の保護を受けます。

 これに対して、業務委託契約を交わして業務を遂行する個人事業主(フリーランス)は、労働関係法令の保護を受けることができません。昨年、「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律」というフリーランスの就業環境整備を目的に含む法律が成立しましたが(未施行)、労働者ほど強力な保護が与えられているわけではありません。

 労働者が保護されるということは、裏を返すと、使用者が好き勝手できないということです。こうした不自由さを嫌い、一部使用者の間で、従業員との間の契約を、労働契約から業務委託契約へと切り替えようとする動きがあります。

 以前、労働契約を業務委託契約に変更する合意について、

「原告が自由な意思に基づいて上記の契約の形式の変更に同意したものと容易く認定することもできない。」

と述べて、その効力を否定した裁判例をご紹介しました。

業務委託契約に変更されていても、なお労働者であると認められた例(自由な意思の法理の適用?) - 弁護士 師子角允彬のブログ

 これは明示的な変更合意の事実があったことを前提として、その効力が問題となったものですが、近時公刊された判例集に、労働契約の合意解除と新たな業務委託契約の締結の事実自体の立証が否定された裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、東京地判令5.7.19労働判例ジャーナル144-32 ネクサスジャパン事件です。

2.ネクサスジャパン事件

 本件は三つの事件が併合されている複雑な事件です。

 賃金を支払わなかった会社の代表取締役の個人責任との関係でいうと、本件で被告になったのは、

弁当、総菜の加工、販売等を目的とする株式会社(被告ネクサス)

被告ネクサスの代表取締役B(被告B)

の二名です。

 原告になったのは、被告ネクサスとの間で雇用契約を締結し、弁当工場で労務を提供するなどしていた方です(原告A)。

被告ネクサスに対して雇用契約に基づいて支払われるべき未払賃金を請求するとともに、

被告ネクサスが賃金を支払わなかったのは、取締役としての任務懈怠にあたるとして、被告Bに会社法429条1項に基づく損害賠償を

請求しました。

 これに対し、被告ネクサスは、

「被告Bは、平成30年3月頃までに、原告Aに対し、本件雇用契約を業務委託契約(原告は主に弁当等の配送業務に従事し、被告ネクサスが業務委託料(月額20万円。ただし、令和元年8月以降は、月額10万円)を支払うもの)に切り替えることを提案し、原告Aはこれを了承し、以後、原告Aは同契約に基づき、業務を遂行した」

と述べ、労働契約は途中解消されていると主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、労働契約の業務委託契約への切り替えを否定しました。

(裁判所の判断)

「原告Aは、平成26年11月、原告にしむらとの間で期間の定めのない雇用契約を締結し、弁当工場で労務を提供した。弁当工場、従業員のほか、取引関係全体を引き継いだ被告ネクサスは、平成28年9月頃に原告Aと本件雇用契約を締結した。」

「原告Aは、遅くとも平成29年6月には、被告Bが運営する居酒屋での勤務を開始したが、同店は平成30年1月に閉店したため、原告Aは、同年2月から3月まで有限会社メイジに出向した・・・。」

「原告Aは、平成30年3月には弁当工場での業務に戻り、令和3年4月25日まで、被告Bが取引先から発注を受けた弁当総菜の配送のほか、被告Bから指示を受けて材料の仕入れ、弁当の製造等の業務を行った・・・。」

「被告ネクサスは、本件雇用契約が平成30年3月頃に合意解約され、新たに原告Aと被告ネクサスとの間で業務委託契約が締結された旨主張し、被告Bもその旨供述する・・・。」

しかしながら、本件では、本件雇用契約が平成30年3月頃に合意解約され、新たに業務委託契約が締結されたことに関する書面は作成されていない・・・。また、原告Aも雇用関係が終了する前提での話をされたことはなく、今後は業務委託になる等の話をされたこともない旨述べて、雇用契約の解約と業務委託契約の締結を否定する供述をしていること・・・からすると、本件雇用契約が平成30年3月頃に合意解約され、新たに業務委託契約が締結されたとは認められない。

「被告ネクサスは、

〔1〕原告Aが同年3月以降に従事した業務は、被告の工場において製造された弁当総菜を取引先へ配送するドライバーとしての仕事であり、配送が必要な時にその都度、業務に従事することになるから、所定の勤務時間中に継続的に業務を行う必要はなかった、

〔2〕原告Aに対してスムージーの製造加工を依頼することもあったが、これについても同様に必要があるときに被告の製造工場を訪れれば足り、それ以外に製造工場への出勤を義務付けられていたわけではなかった

ことから、原告Aは被告ネクサスの指揮命令下にはなく、したがって業務委託契約に基づき業務を提供していたというべきであるとも主張する。」

「しかしながら、証拠・・・によれば、原告Aは被告Bから業務上の指示を受けており、被告ネクサスの指揮命令下にあったというべきである。加えて、被告Bの供述・・・によれば、

〔1〕原告Aについては、雇用契約において勤務時間が明確には定められておらず、現に被告Bは原告Aの勤務時間を把握していなかったこと、

〔2〕被告Bは、雇用契約であろうと、業務委託契約であろうと、原告Aに20万円を支払えばいいのではないかと考えていたこと

が認められるから、被告ネクサスの主張する上記〔1〕、〔2〕の事情があり、原告Aの勤務時間が明確に定められていないとの事情があったとしても、原告Aの勤務状況は、雇用契約が締結されていたことに争いのない平成30年3月以前と同様であり、被告ネクサスの指揮命令下において労務を提供していたというべきである。

「以上によれば、本件雇用契約が平成30年3月頃に合意解約され、新たに業務委託契約が締結されたとは認められない。」

3.労働者性を否定する要素があっても、元からであれば大した意味はない

 労働者性の判断にあたり、

「勤務場所及び勤務時間が指定され、管理されていることは、一般的には、指揮監督関係の基本的な要素である。」

と理解されています。

https://jsite.mhlw.go.jp/osaka-roudoukyoku/library/osaka-roudoukyoku/H23/23kantoku/roudousyasei.pdf

 勤務時間が定められていないことは、労働者性を否定する要素になるはずです。しかし、裁判所は、勤務時間が明確に定められていないことは、雇用契約が締結されていた時代と変わらないとして、労働者性を否定する事実として重視しませんでした。

 当たり前と言えば当たり前のことですが、労働契約から業務委託契約への切り替えを否定する論理の一つとして参考になります。