弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

賃金センサスを下回る賃金水準でも管理監督者性を認めていいのか?

1.管理監督者性

 管理監督者には、労働基準法上の労働時間規制が適用されません(労働基準法41条2号)。俗に、管理職に残業代が支払われないいといわれるのは、このためです。

 残業代が支払われるのか/支払われないのかの分水嶺になることから、管理監督者への該当性は、しばしば裁判で熾烈に争われます。

 管理監督者とは、

「労働条件その他労務管理について経営者と一体的な立場にある者」

の意と解されています。そして、裁判例の多くは、①事業主の経営上の決定に参画し、労務管理上の決定権限を有していること(経営者との一体性)、②自己の労働時間についての裁量を有していること(労働時間の裁量)、③管理監督者にふさわしい賃金等の待遇を得ていること(賃金等の待遇)といった要素を満たす者を労基法上の管理監督者と認めています(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ」〔青林書院、改訂版、令3〕249-250頁参照)。

 このうち③の要素との関係では、

「定期に支給される基本給、その他の手当において、その地位にふさわしい待遇を受けているか、賞与等の一時金の支給率やその算定基礎において、一般労働者に比べて優遇されているかなどに留意する必要がある」

とされています(前掲『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ』253頁参照)。

 このように「待遇」を評価するうえでは一般労働者との対比が重要な視点とされています。しかし、管理監督者性の判断にあたり、一般労働者との相対的な優位性だけを見ることが妥当といえるのでしょうか? 管理監督者として労働時間の枠組みを外すにあたっては、やはり絶対的な意味でも一定の処遇が必要ではないのでしょうか? 特に、賃金センサスを下回るような処遇でも管理監督者性を認めることが許されるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地判令4.8.29労働判例ジャーナル130-26 F.TEN事件です。

2.F.TEN事件

 本件で被告になったのは、瓦・屋根材・壁材販売卸及び施工等を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告で本社営業部長の地位にあった方です。退職した後、時間外労働等を行ったとして割増賃金(残業代)を請求する訴えを提起したのが本件です。

 被告は原告の管理監督者性を主張するなどして、請求の棄却を求めました。

 この事案で、裁判所は、次のとおり判示し、原告の管理監督者性を認めました。

(裁判所の判断)

「労基法においては、労働時間は一日8時間以内が原則とされ(労基法32条2項)、これを超えて労働させた場合には割増賃金の支払が必要とされている(労基法37条1項)。他方で、管理監督者については、労働時間、休憩及び休日に関する労働基準法の規定の適用が除外されているところ(労基法41条2号)、これは、管理監督者が、その職務権限・責任の重要さから同法の定める労働時間に関する規制を超えて活動することが求められる立場にあり、その権限・責任の帰結として自らの労働時間は自らの裁量で律することができることや、その地位に応じた高い待遇を受けることなどから、労働時間等に関する規定の適用の対象外としても、労基法1条の基本理念、同法37条1項の趣旨等に反せず、かつ、労働時間の規制を適用するのが不適当であるためと解される。そうすると、管理監督者に当たるというためには、その役職の名称のみから判断するのではなく、実態に即して判断する必要があり、職務内容、権限及び責任の重要性、労働時間に関する裁量、待遇等の観点から総合的に検討することが必要である。」

・職務内容、権限及び責任の重要性について

「被告の組織図・・・をみると、原告より上位に配置されているのは被告代表者とP9専務のみであったこと(なお、P9専務は非常勤勤務)、原告はP6営業所も監督していたこと、原告は本社の営業部長であったこと、本社を含めて原告以外に『部長』は配置されていないこと、原告自身が、本社営業部長より上の地位は役員ぐらいである旨自認していること・・・、韓国旅行への原告以外の参加者が、被告代表者、P9専務、被告の後継者であるP9専務の息子であったことなどからすれば、原告は、被告において上から3番目の地位にあったものと評価することができ、このことは、原告が、自らが所属する本社のみならず、P4支店の従業員に対して、P4支店長を通すことなく積算作業を指示していること・・・からもうかがわれる(なお、原告は、P4支店のP10支店長に相談して了承を得た旨主張するが、相談・了承の形跡はうかがわれない。)。」

「また、原告は、ルート営業部の売上目標を立てているところ・・・、本社の営業部門という主要部門の売上目標を立てるということは、被告の経営に関する重要な事柄であるということができる。」

「さらに、原告は、平成30年の盆休みに会議のために被告代表者、P9専務及びP9専務の息子とともに韓国にバカンスを兼ねた重役会議に行っているところ・・・、その参加者に照らせば、経営の首脳陣のみが参加するものであったということができ、取引先約600社に発行するP2レポートという被告の認識する市場の動向やメーカーの動向を記載した書面の最終確認をしていたこと・・・、原告が部門長会議のアジェンダを作成したり、司会進行を担当していたほか、部門長会議の開会挨拶をも担当していたこと、ほかに部門長会議で挨拶・報告担当として名前が挙がっているのが被告代表者及びP9専務のみであること・・・をも併せ考慮すれば、原告は、正に経営者と一体的な立場にあったということができる。」

「加えて、原告は、商品の値段決定等に関する権限を有していたところ、商品の値段を決定するということは会社の営業の根幹にかかわる業務であるから、重要な権限を有していたということができ、このことは、被告の売上げの約40%に係る仕入先であるケイミューとの取引という極めて重要な取引相手との取引について価格交渉を行っていることに照らせば、より強くいえる。」

「そして、原告は、取引会社の担当者が参加するゴルフコンペを開催したり・・・、取引相手や業界団体が開催する高額の飲食を伴う各種会合に参加したり・・・、高額な旅行に参加する予定となっていたところ・・・、以前は被告代表者が参加することもあったものの、最近は、P15が数回参加したほかは、原告が参加していたというのであって・・・、これらの事実に照らせば、対外的にも原告が被告を代表する立場にある人物として扱われていたことをうかがわせる事情であるということができる。」

「ほかにも、原告は、被告の従業員から提出された退職届という重要な書類を受け取り、それをひとまず預かるなどの判断をしているところ・・・、原告が退職届の受領に関して何らの権限を有していないのであれば、独自の判断で『ひとまず預かる』というようなことはできず、担当している者に引き継ぐことになるはずであるから、かかる行為からは、原告が人事に関して一定の権限を有していたことがうかがわれ、原告が本社の営業部長という立場にあったことからすれば、原告がそのような権限を有していたとしても何ら不自然・不合理ではない(なお、原告は、採用面接も行っている・・・)。」

「加えて、原告は、従業員から提出された禀議書等の各種書類について決裁権限を有していたこと・・・、従業員から交通事故や出社に関する報告を受けていたこと・・・、賞与引当金に関して監査役とやり取りをしていたほか、原告の供述を前提としても、賞与引当金の範囲内で部下の具体的な賞与額を決定していたこと・・・などが認められるところ、その内容に照らせば、労務管理や経費処理について、一定の権限を有していたことがうかがわれ、このことは、自らに係る仮払金処理を支出当日に申請・処理していること・・・からもうかがわれる。」

・労働時間裁量について

「原告は、タイムカードについて、出勤時にはおおむね打刻しているものの、退勤時には打刻していないこと・・・、平日に開催されたゴルフコンペに参加していること・・・、ETC履歴を見ると、原告が就業規則において営業職の終業時刻として規定されている午後5時より早い時刻に自宅近くのICを通過していること(調査嘱託の結果)、午後5時より早く退社する場合であっても、理由を聞かれていないことを原告自身が自認していること・・・などからすれば、労働時間についても、一定の裁量を有していたということができる。」

・待遇について

「原告、P10取締役、P3の月額給与・報酬は認定事実・・・のとおりであるところ、原告が最も高い金額となっている(なお、約2万円程度ではあるが、取締役より高い金額でもある。)。年収で見ても、600万円から670万円という金額であったほか、原告の下位に配置されているP3・・・と比較すると、平成28年及び平成30年を見ると、おおむね100万円程度、原告の方が多い金額となっている(差が小さい平成29年については、本社ルート営業部の業績が悪い時期であることが影響しているものと思われる。)・・・。また、原告は運転代行を利用することが認められていたものである・・・。そうすると、年収で比較した場合、P10取締役の方が原告より高額になることなどを考慮しても(本社とP4支店の業績の違いが影響しているとする被告の主張は首肯し得るものである。)、管理監督者としてふさわしい待遇であったと評価することができる。」

原告は、賃金センサスの『全男性』、『50歳から54歳』の年収額と比較すると、原告の年収が平均賃金を下回るから、管理監督者として十分な待遇ではない旨主張する。

しかし、賃金の額は企業の規模によって異なるものであって、大企業と中小企業との間に賃金格差があることに照らせば、賃金センサスの『全男性』の年収額をもって、原告の待遇が管理監督者としてふさわしくないものの証左であるということはできない。

・小括

「以上を総合考慮すれば、原告は、管理監督者の地位にあったと認めることができる。」

3.賃金センサスを下回る賃金水準でもいいのか?

 上述のとおり、裁判所は、賃金センサスを下回っていることだけでは管理監督者性を否定する理由にはならないと判示しました。

 個人的には賃金センサスを下回るような水準でも管理監督者性を認めることには疑問を覚えますが、事件の筋を正確に見通すにあたっては、本件のような裁判例が存在することも意識しておく必要があるのだろうと思われます。

 

査定なしでも考課対象期間の満了日の経過をもって賞与が具体的に確定したと評価された例

1.賞与請求権と査定

 賞与の多くは「毎月6月および12月に会社の業績、従業員の勤務成績等を考慮して賞与を支給する」といった規定に基づいて支給されています。このような規定のもと、具体的な支給率・額についての使用者の決定がない場合、

「裁判例の多くは、具体的な額の決定がない以上、賞与請求権は具体的には発生しない」

との立場を採用しています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕591頁参照)。

 毎回同様の方法によって長期間にわたり賞与が算定されてきたという実態に照らし、労働契約の意思解釈(黙示の合意の認定)によって賞与請求権の存在を肯定した裁判例もありますが(上記『詳解 労働法』591頁参照)、査定を経ない状態での賞与の請求が認められることは多くはありません。

 このような状況の中、使用者側の査定がなくても、考課対象期間の満了日の経過をもって賞与が具体的に確定した(賞与請求権が具体的な権利として成立した)と判断された裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。昨日もご紹介した、松山地判令4.11.2労働判例ジャーナル130-1 医療法人佐藤環器内科事件です。

2.医療法人佐藤循環器内科事件

 本件で被告になったのは、診療所や有料老人ホーム等を運営する医療法人です。

 原告になったのは、被告に正職員として雇用され、有料老人ホーム等で勤務していた方(C)の母親です。Cが急性白血病に罹患し、腸管穿孔により死亡・退職したことを受け、唯一の相続人として、未払賞与を請求したのが本件です。

 被告医療法人側は、大意、

賞与の金額は被告理事長の判断によって最終確定されるところ、その作業がなされたのはCの死亡後である、

賞与には支給日在籍要件があるが、支給日以前に死亡したCは支給日在職要件を満たしていない、

などと賞与の支払義務を争いました。

 前者は要するに査定が経られていないことを指摘するものですが、裁判所は、この問題について、次のとおり述べて、賞与の支給額は具体的に確定していると判示しました。

(裁判所の判断)

「一般に、賞与は、その時々の経済状況や業績等によって支給額が変動し得るものであり、支給対象期間の勤務に対応する賃金の後払いとしての性格を有すると共に、功労報償的な意味合いや、将来の貢献を期待する勤労奨励的な性格も併せ持つものであると解するのが相当である。また、賞与は、あらかじめ支給額が定められておらず、具体的な算定方式や支給額の決定に当たっては、勤続年数、職種、出勤年数等の客観的要素のほか、勤務実績、人事考課等の使用者の評価も考慮されることが多いものと解される。」

「そうすると、賞与の支払請求権が認められるためには、当該賞与の支給額が、使用者の決定等を経て具体的に確定したものと評価することができることを要するというべきである。」

「被告における賞与は、本件規程に根拠を持つ金銭給付であるところ、本件規程は、賞与は、毎年夏季及び冬季の賞与支給日に在籍する従業員に対し、医院の業績、従業員の勤務成績等を勘案して支給すること、経営状況の著しい悪化、その他止むを得ない事由がある場合には、支給日を変更するか、又は支給しないことがあることなどを定めている(18条、19条)。」

「このような定めに照らすと、被告における賞与は、査定の過程を経て、被告の経営状況等を含む諸般の事情を踏まえて支給の可否及びその額が確定されるものであって、前記・・・のような一般に賞与が有するとされる複合的な性格、すなわち、賃金の後払いとしての性格に加えて、功労報償的な意味合いや、将来の貢献を期待する勤労奨励的な性格も併せ持つものであると解される。」

「そこで、Cについて、本件夏季賞与の支給額が、使用者の決定等を経て具体的に確定したものと評価することができるか否か検討する。」

「a 本件規程によれば、被告理事長の査定を経て賞与の支給の可否や支給額が定まる建前にはなっているものの、前記・・・のとおり、被告において、夏季賞与額は、原則として、その支給される年の基本給1か月分の額に1.5を乗じた額にて算定される取扱いが定着しており、このように算定された夏季賞与の支給見込み額は、前年の12月に従業員に被告理事長名にて通知される運用(本件運用)とされ、考課対象期間に産休や育休などで長期欠勤していた等の事情で当該通知額と実際の支給額とに差異が生じることはあったものの、業績を原因としてその金額が変動したことはなかったと認められる。

また、前記・・・によれば、考課対象期間満了後、賞与の支給前に予定されている被告理事長の支給決定手続は、考課対象期間中における当該従業員の勤務実績や人事考課等に関する評価といった実質を伴うものではなく、むしろ支払のための形式的な事務手続としての側面が大きかったものと考えるのが合理的である。

これらによれば、考課対象期間中に被告に在籍し、かつその期間中、長期欠勤などの夏季賞与の支給額が上記通知額を下回るような事情の存しない従業員の夏季賞与の支給額は、当該考課対象期間満了日の経過をもって、具体的に確定したと評価されるものと認められる。

Cは、本件夏季賞与にかかる考課対象期間中、被告において継続して勤務しており、Cに長期欠勤などの本件夏季賞与の支給額が前年の通知額を下回るような事情は存しないから,本件夏季賞与の支給額は、本件夏季賞与の考課対象期間満了日である平成31年4月15日の経過をもって、具体的に確定したものと認められる。

「被告は、本件運用の下で前年の12月に通知される支給見込み額は飽くまで参考額である、被告理事長の最終的な判断を経て、支給等処理のために会計事務所に夏季賞与額のデータが送付される以前にCが死亡している以上、Cの本件夏季賞与の支給額は具体的に確定していないし、本件夏季賞与の支払請求権は具体的権利として発生していないと主張するが、前記・・・のとおりであるから、採用することができない。」

3.査定なしでも賞与請求が認められた例

 本件では、

「被告は、平成30年12月、Cに対し、本件運用に従い本件夏季賞与の見込み額を34万1300円と通知した

という事実が認定されています。上記は査定そのものではないものの、権利が具体化したと認定するにあたり重要な事実だとは思われます。

 それでも、査定が行われないまま、賞与請求を認めた裁判所の判断は、かなり画期的です。

 冒頭で述べたとおり、査定がなくても賞与請求権が認められる事例は、決して多くはありません。本件は、その数少ない査定なくして賞与請求が認められた事案として参考になります。

 

賞与支給日在職要件の適用が公序良俗違反とされた例(労働者が死亡したケース)

1.賞与支給日在職要件

 就業規則等で賞与の支給対象者が支給日に在職している者に限定されていることがあります。これを賞与支給日在職要件といいます。

 賞与支給日在籍要件に関しては、

「判例上は、支給日在籍要件の定めも合理性を有し、支給日前に退職した者には賞与請求権は発生しないとしたものがある。もっとも、①賞与が当初の予定より遅れて支給され、その間に退職した労働者について、支給日在籍要件の適用を否定して賞与支払請求を認容した裁判例や、②労働者側に帰責性のない退職(整理解雇)により支給日に在籍できなかった労働者からの賞与支払請求につき、支給日在籍要件を定めた条項を公序違反・無効(民法90条)として請求を認容した裁判例もある」

とされています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕592頁参照)。

 このように賞与支給日在職要件に関しては、その効力を肯定するものと否定するものとがありましたが、近時公刊された判例集に否定例に一例を加える事案が掲載されていました。松山地判令4.11.2労働判例ジャーナル130-1 医療法人佐藤環器内科事件です。

2.医療法人佐藤循環器内科事件

 本件で被告になったのは、診療所や有料老人ホーム等を運営する医療法人です。

 原告になったのは、被告に正職員として雇用され、有料老人ホーム等で勤務していた方(C)の母親です。Cが急性白血病に罹患し、腸管穿孔により死亡・退職したことを受け、唯一の相続人として、未払賞与を請求したのが本件です。賞与が支給されなかったのは、Cが支給日の20日前に死亡し、これと同時に退職したため、被告の就業規則で定められていた支給日在職要件を満たさなくなったからでした。

 本件では支給日在職要件を適用することの当否が問題になりましたが、裁判所は、次のとおり述べて、その適用を否定しました。

(裁判所の判断)

「賞与は、毎月1回以上の期日に支払われる月例給与に加えて支給されるものであり、使用者は、賞与を支給する義務を当然に負うものではないから、賞与についていかなる支給基準を設けるかは個別の労働契約等によることとなり、賞与の受給資格のある者の範囲を明確な基準で定めることの必要性を一般に否定することはできない。また、前記のとおり、被告における賞与は、賃金の後払いとしての性格、功労報償的な意味合いのみならず、将来の貢献を期待する勤労奨励的な性格も併せ持つものであると解されることから、考課対象期間より後の在籍の有無を考慮することも認められる。これらに加えて、支給日在籍要件によって、賞与の支給要件が明確な基準で定められることにより、労働者は、自らが予定ないし企図する退職時期と賞与の支給予定日とを比較対照することで、自らが賞与の支給対象となるか否かを予測することができ、労働者に不測の損害が生じることを避けることができるという利点があることも考慮すれば、支給日在籍要件には合理性が認められ、この点について当事者に争いはない。」

「もっとも、本件のような病死による退職は、整理解雇のように使用者側の事情による退職ではないものの、定年退職や任意退職とは異なり、労働者は、その退職時期を事前に予測したり、自己の意思で選択したりすることはできない。このような場合にも支給日在籍要件を機械的に適用すれば、労働者に不測の損害が生じ得ることになる。また、病死による退職は、懲戒解雇などとは異なり、功労報償の必要性を減じられてもやむを得ないような労働者の責めに帰すべき理由による退職ではないから、上記のような不測の損害を労働者に甘受させることは相当ではない。そして、賞与の有する賃金の後払いとしての性格や功労報償的な意味合いを踏まえると、労働者が考課対象期間の満了後に病死で退職するに至った場合、労働者は、一般に、考課対象期間満了前に病死した場合に比して、賞与の支給を受けることに対する強い期待を有しているものと考えるのが相当である。

「本件においては、Cが、本件夏季賞与に係る考課対象期間中、長期欠勤等なく稼働することによって、本件夏季賞与の支給額は、上記考課対象期間満了日の経過をもって既に具体的に確定していたものと評価される状態にあったのであるから(前記(1)イ)、Cの本件夏季賞与の支給を受けることに対する期待は、単なる主観的な期待感の類いのものではなく、法的な保護に値し得るだけの高い具体性を備えたものであったといえる。」

「また、Cが病死により被告を退職したのが本件夏季賞与の支給日の20日前であったという事情も考慮すれば、本件夏季賞与について、本件支給日在籍要件を機械的に適用して、本件夏季賞与に係る賞与支払請求権の発生を否定することは、Cにとって、あまりに酷であるといわざるを得ない。」

以上のことを考慮すると、Cに対する本件夏季賞与についての本件支給日在籍要件の適用は、民法90条(平成29年法律第44号による改正前のもの)により排除されるべきであり、Cが本件夏季賞与の支給日において被告に在籍していなかったことは、本件夏季賞与に係る賞与支払請求権の発生を妨げるものではないと認められる。

3.労働者死亡の事案では請求が可能とされた

 従来、支給日が遅延していた事案や、整理解雇の事案で、支給日在職要件の効力を否定した例が出されてきました。

 今回の裁判例は、支給日在職要件の適用が否定される類型に一例(労働者が死亡したケース)を加えるもので、大変意味のある裁判であるように思われます。

 

供述の変遷を突かれるリスク-事実関係の確認は正確に

1.主張書面の確認

 訴状や準備書面など、当事者の言い分を記載した書面を「主張書面」といいます。

 主張書面を裁判所に提出するにあたっては、事前に依頼者に送り、記載された事実関係の正誤を確認してもらうのが普通です。

 この確認作業は、かなり入念に行ってもらうことが必要です。なぜなら、主張した事実が誤っていたとして、後日、主張を訂正する場合、そのこと自体が不合理な主張の変遷として、裁判で不利に取り扱われる危険があるからです。

 近時公刊された判例集にも、供述の変遷が一因となって、原告労働者の主張が排斥された裁判例が掲載されていました。大阪地判令4.7.20労働判例ジャーナル129-32 ONE CHOICE事件です。

2.ONE CHOICE事件

 本件で被告になったのは、不動産の管理、賃貸借、売買、仲介及びコンサルティング等を主たる事業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で労働契約を締結し、主に中国人向けの不動産の売買契約又は賃貸借契約の仲介に係る営業業務に従事していた方です。未払の歩合給があるとして、その支払いを求める訴えを提起したのが本件です。

 本件では、歩合給を支給する合意の有無及び内容が争点となりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、主張の変遷を一因として挙示したうえ、歩合給合意の存在を否定しました。

(裁判所の判断)

(1)原告の主張及び原告本人の供述等

「原告は、平成30年1月に、本件歩合給合意が成立したと主張し、原告本人の供述等には、bが、平成29年12月末の忘年会で、原告に対し、原告について歩合給を導入することを予定しており、歩合給は15%にする予定である、これまでの原告の営業実績からすると、総支給額は増える、などと述べ、その後、bは、平成30年1月初旬、被告の会議において、原告及びcを対象として歩合給を導入する旨を告げ,その際に配布されたメモには、売上実績の15%が歩合給となる旨が記載されていた、歩合給は、原告が担当する客について契約が成立した場合に支払われることになっていた。などと、原告の主張に沿う部分がある。」

(2)原告本人の供述を裏付ける客観的証拠がなく、被告代表者の反対供述があること

「しかしながら、原告本人の供述を直接裏付けるに足りる客観的な証拠はないところ、被告代表者は、平成28年12月分以降の賃金において、原告の最低保証給を月額25万円とし、原告が不動産取引の新規の顧客を連れてきた場合、新規の対象物件を取り付けてきた場合、被告に利益が出るようなアドバイスをした場合などで、被告に利益が発生した場合には、ボーナスを支給していた、『ボーナス分割』若しくは『売上協力』又は『歩合給』名目の金員には、固定給である25万円と基本給の18万円との差額7万円が含まれている、歩合給を支給する合意はなかった旨供述するところ、確かに、原告の賃金台帳の内容によれば、平成29年1月分の役職手当が1円単位の金額となり、同年2月分以降は、同年5月分から同年8月分までを除き、ボーナス分割の項目に1円単位の相当額の金員が計上されていて、これらの合計が原告に支払われているのであって、被告代表者の供述が一定裏付けられている。」

(3)原告が主張し、原告本人が供述等する合意内容が不明確であり、合理性にも疑問があること

「一方、原告本人の供述等の内容についてみると、原告本人が供述等する歩合給の支給要件は、自らが担当する取引において契約が成立したこと以外には定まっておらず、その内容が具体的に書面化されてもいないというのであり、とりわけ、他の営業担当者に協力した場合の歩合給については、細かいルールはなく、原告は、自らが協力してもらったと認めた営業担当者の氏名を記載していた、というのであって、非常に曖昧なものである。」

「また、原告は、本件歩合給合意の適用が開始される時期という重要な事実について、令和元年9月2日付け訴状において、平成29年1月に同年2月分以降の賃金から歩合給を支給するとの合意が成立した旨被告代表者の供述に沿う主張をしていたが、その後、令和3年12月6日に提出した同日付け準備書面において、平成30年1月に同年2月分の賃金から歩合給を支給するとの合意が成立した旨主張を訂正している(なお、原告は、令和4年5月17日の口頭弁論期日で、平成30年1月に同月分以降の賃金から歩合給を支給するとの合意が成立した旨訂正の上で同準備書面を陳述している。)ところ、そのように訂正するに至った理由は不明であって、かかる経過からは、原告本人の供述等の信用性を慎重に吟味せざるを得ない。

「そして、仮に、原告本人が供述等するように、自らが担当者として関与し、又は別の担当者に何らかの形で協力した取引において契約が成立するに至ったことのみによって、その利益(仕入価格と売却価格の差をいうものと解される。)の15%もの歩合給が支給されるとすると、g店舗住宅のように自社で仕入れてこれを転売し、多額の転売差益が発生した場合には、仲介契約の場合に比べて非常に歩合給が高額となる可能性がある(仲介の場合、仲介手数料は販売額の3%程度(原告本人))。しかも、転売の場合、被告は、売却するまでの間に発生する税金や諸費用を負担する必要があるほか、仕入れ及び転売に際しても、それぞれ一定の諸費用が発生するはずであって、にもかかわらず、このような費用等を考慮せず、転売差益の多寡を問わず、仲介手数料と同様に転売差益すなわち仕入価格と売却価格の差額の15%もの額を歩合給として支払うというような賃金条件は合理的なものとは言い難く、そのような賃金条件を被告が定めるとは直ちには考えにくい。」

「むしろ、原告本人の供述等によれば、各営業担当者は、獲得した売上実績を記載した売上計算書を作成して被告に提出するものの、歩合給の支給対象となるかどうかは、最終的にbが決めることになっていて、具体的な支給基準は定められていなかったというのであって、かかる供述等によれば、具体的な歩合給の支給の有無及びその額の決定はbの裁量に委ねられていた可能性が高く、原告が、cから、100万円以上の歩合給が支給されるような大きな売上実績を上げたにもかかわらず、手取額が数十万円しかなかったとの話を聞かされていたこと(原告本人)もこのような判断を裏付けるものであるといえる。そして、このような性質の歩合給は、むしろ、被告代表者が供述するように被告が会社の業績や従業員の実績等を踏まえて査定し、決定するボーナスすなわち賞与としての性格が強いものといえる。」

3.主張変遷のリスクに注意

 本件は主張の変遷だけで敗訴した事案ではありません。

 しかし、主張の変遷は、色眼鏡となって、供述の信用性等を慎重に吟味検討しなければならない根拠として指摘されるなど、裁判全体に好ましくない影響を与えています。

 主張の変遷は、このように裁判全体に悪影響を与える可能性もあるため、事実関係の正誤のチェックは、できるだけ入念に行ておくことが推奨されます。

 

業務上の負傷・疾病の療養中であることを無視した解雇と賃金請求

1.業務上の負傷・疾病の療養のための休業期間における解雇制限

 労働基準法19条1項本文は、

使用者は、労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかり療養のために休業する期間及びその後三十日間並びに産前産後の女性が第六十五条の規定によつて休業する期間及びその後三十日間は、解雇してはならない。

と規定しています。この規定があるため、いわゆる労災事案において休業期間中に解雇されることはありません。

 しかし、休業する原因となっている負傷・疾病について、私傷病なのか業務起因性のあるものなのかで、使用者と労働者との間の認識が相違することがあります。

 それでは、業務起因性のある負傷・疾病であるのに、私傷病であるとの認識のもと使用者によって解雇が強行されてしまった場合、労働基準法19条1項本文違反を主張する労働者が、解雇無効と共に賃金を請求することはできるのでしょうか?

 これは負傷・疾病により労務提供能力に疑義のある場合でも賃金請求が可能なのかという問題です。

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。昨日もご紹介させて頂いた、高松高判令4.8.30労働判例ジャーナル129-26 せとうち周桑バス事件です。

2.せとうち周桑バス事件

 本件で被告になったのは、乗合バス、貸切バスを使用した旅客自動車運送事業等を営むことを目的とする株式会社です。

 原告になったのは、平成24年2月1日に被告に入社し、以降、運行管理、貸切バスの予約業務、車両トラブルへの対応、運転手の点呼等の業務に従事していた方です。被告から解雇されたことを受け、解雇無効を主張して地位確認等を求めるとともに、パワハラを理由とした慰謝料等の支払いを求める訴えを提起しました。

 原審裁判所は、地位確認請求のみ認容し、その余の請求を棄却しました。これに対し、原告、被告の双方から控訴されたのが本件です。

 裁判所は、本件解雇が労働基準法19条1項本文に違反すると指摘したうえ、次のとおり述べて、原告による賃金請求を認めました。

(裁判所の判断)

本件解雇は、労基法19条1項本文に反し無効であり、第1審原告は、第1審被告がした違法な本件解雇によって、その労務の提供を拒否されているのであるから、履行不能について、債権者の責めに帰すべき事由によって就労が不能となっているものと認めるのが相当である。

「この点、第1審被告は、仮に本件解雇が無効であったとしても、第1審原告は、平成27年7月26日以降休職しているところ、その理由は、私傷病である抑うつ状態又はうつ病によるものであるから、本件解雇後、第1審原告による労務の提供が履行不能であることは、第1審被告の責めに帰すべき事由によるものではないと主張する。」

「しかしながら、前記認定のとおり、第1審原告のうつ病が第1審被告における業務に起因するものであるというべきであるから、第1審原告のうつ病が私傷病であるとする第1審被告の主張は採用できない。そして、前記のとおり、第1審原告のうつ病の発症は、第1審原告が第1次解雇前に従事していた業務から第1審原告を排除しようとする一連の行為が繰り返されたことによるものであるから、第1審被告の責めに帰すべき事由によるものというべきである。第1審被告の上記主張は、採用できない。」

3.損害賠償請求だけではなく賃金請求も可能

 業務に起因する負傷・疾病で働くことができなくなり、賃金相当額の利益を逸失した場合、損害賠償請求を行うことにより被害回復を図る例が比較的多いのではないかと思います。

 しかし、損害賠償請求を行うためには、使用者の側に注意義務違反や過失が認められなければなりません。慰謝料等を請求するにあたっては、やはり損害賠償請求の構成を採らざるを得ませんが、業務起因性と解雇の事実のみで逸失利益の填補を実現することができる賃金請求の構成もとることができれば、それに越したことはありません。

 賃金請求は、

「債権者の責めに帰すべき事由によって債務(労務提供義務)を履行することができなくなったとき」

に認められます(民法536条2項)。

 条文の文言と照合すると、業務上の負傷・疾病事案で賃金請求が認められることは当たり前のようにも見えますが、実際に認容例があることは、覚えておいて損はないように思います。

 

解雇の撤回により心理的負荷は緩和・除去されるのか?

1.解雇による心理的負荷

 解雇を通告されると、労働者はかなりの衝撃を受けます。精神的な不調をきたしてしまう人も少なくありません。

 精神障害の労災認定に用いられる

平成23年12月26日 基発1226第1号「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(最終改正:令和2年8月21日 基発0821第4号)

も、

「突然解雇の通告を受け、何ら理由が説明されることなく、説明を求めても応じられず、撤回されることもなかった」

場合、強い心理的負荷が発生すると規定しています。

 それでは、このような解雇によって生じた心理的負荷は、解雇撤回によって緩和・除去されるといえるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。高松高判令4.8.30労働判例ジャーナル129-26 せとうち周桑バス事件です。

2.せとうち周桑バス事件

 本件で被告になったのは、乗合バス、貸切バスを使用した旅客自動車運送事業等を営むことを目的とする株式会社です。

 原告になったのは、平成24年2月1日に被告に入社し、以降、運行管理、貸切バスの予約業務、車両トラブルへの対応、運転手の点呼等の業務に従事していた方です。被告から解雇されたことを受け、解雇無効を主張して地位確認等を求めるとともに、パワハラを理由とした慰謝料等の支払いを求める訴えを提起しました。

 原審裁判所は、地位確認請求のみ認容し、その余の請求を棄却しました。これに対し、原告、被告の双方から控訴されたのが本件です。

 本件で第一審原告が解雇無効の理由として活用したのは、労働基準法19条1項の

「使用者は、労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかり療養のために休業する期間及びその後三十日間・・・は、解雇してはならない。」

という条文です。業務に起因して鬱病を発症し、その療養のために休業していた期間に行われた解雇だから無効だというのが原告の主張の骨子です。

 本件では訴訟で効力が問題となった解雇に先行して、一旦解雇⇒解雇撤回されたという経緯がありました(第一次解雇)。この第一次解雇がもたらした心理的負荷について、裁判所は次のとおり述べて鬱病と業務との相当因果関係を認め、解雇の効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「前記認定事実によれば、第1審原告は、平成25年6月14日に第1審被告から同年7月15日付けで解雇(第1次解雇)するとの通知を受け、同年10月15日に復職(本件復職)したものの、従前従事していた業務とは異なるバスの清掃等を中心とする業務のみに従事させられ、その結果、長時間行うべき業務がない状態に置かれた上、事務所設置のパソコンのパスワードも知らされず、第1審被告の当時の代表者であるDからしばしば叱責されていたことが認められる。」

「第1審被告による上記取扱いは、これを受けた第1審原告の側から見れば、第1審原告が第1次解雇前に従事していた業務から第1審原告を排除しようとする行為が繰り返された一連のものであり、平成25年6月14日に始まり、うつ病を発症した時期に近接する平成26年2月まで継続したものということができるから、上記取扱いにより第1審原告が受けた心理的負荷の程度を評価する場合には、その開始時からの全ての行為を一体として評価し、かつ、行為が繰り返されたことにより心理的負荷が強まったものとして評価するのが相当である・・・。」

「そして、第1次解雇の通告は、その性質上、第1審原告に強い心理的負荷を与える行為というべきであり(認定基準別表1の業務による心理的負荷評価表の具体的出来事20『退職を強要された』参照)、従前事務的作業をしていた第1審原告が、主としてバスの清掃を命じられ、他に行うべき業務がない状態に置かれた上、第1審被告の当時の代表者からしばしば叱責され、事務所のパソコンのパスワードを知らされなかったという異例の業務内容の変更とそれに付随する職場における状況も、第1審原告に強い心理的負荷を与えるものというべきであって(認定基準別表1の業務による心理的負荷評価表の具体的出来事21『配置転換があった』参照)、これらの行為が繰り返されたことにより心理的負荷が強まったというべきであるから、第1審原告に強度の心理的負荷を与えるものであったというべきである。

「この点、第1審被告は、第1次解雇は前件調停において撤回されているから、第1次解雇は、『退職を強要された』には該当しないし、仮に撤回後も第1次解雇による心理的負荷が残っているとしても、心理的負荷の強度は『弱』を超えることはない旨主張する。

しかしながら、突然の解雇が労働者に対して強い心理的負荷を与えるものであることは明らかであり、第1審原告が結果として復職できたとしても、その心理的負荷の程度が残っていないとか、軽微であるなどということはできない。第1審被告の上記主張は、採用できない。

「また、第1審被告は、バスの清掃業務は、その他の業務内容と比較して特別異質なものではなく、本件復職後の担当業務の減少は、従前2人勤務体制であったものが3人勤務体制になったことによるものであって、第1審原告が第1次解雇前にパソコンを使用して業務を行うことはほとんどなかったなどとして、認定基準別表1の業務による心理的負荷評価表の具体的出来事21の『配置転換があった』には当たらないと主張する。」

「しかしながら、第1審原告について、第1次解雇前と本件復職後とで、業務を行う部署に変更はなかったとしても、具体的な担当業務に変更があったことは明らかであって、そのような担当業務の変更は、『配置転換があった』ものとして心理的負荷を与えるものであったというべきである。第1審被告の上記主張は、採用できない。」

「さらに、第1審被告は、『退職を強要された』、『配置転換があった』との出来事があったとしても、それらは、第1審被告が、第1審原告を第1次解雇前の業務から排除する意図をもってした一連の出来事などということはできず、相互に関連するものではないから、それらの出来事が相まって心理的負荷の強度が上がるとはいえないと主張する。」

「しかしながら、上記各出来事を客観的に見れば、第1審被告は、第1審原告を第1次解雇前の業務に就かせなかったのであり、第1審原告の立場からみると、第1審原告を第1次解雇前の業務から排除する意図をもって行われた一連の出来事であるというべきであるから、それらの出来事を一体のものと評価し、それらが継続することによって心理的負荷が強まるものと解するのが相当である。第1審被告の上記主張は、採用できない。」

「以上によれば、C医師が第1審原告をADHDと診断していることなどを考慮しても、第1審被告における業務による心理的負荷が相対的に有力な要因となってうつ病を発病させたと認められるから、第1審原告のうつ病の発症と第1審被告における業務との間に相当因果関係が認められると解するのが相当である。」

・・・

「したがって、本件解雇は、第1審原告が業務上の疾病にかかり療養のために休業していた期間にされたものと認められるから、労基法19条1項本文に反し無効である。」

3.一旦解雇によって生じた心理的負荷は解雇撤回によっても治癒されない

 上述のとおり、裁判所は、先行する第一次解雇について、これを撤回したとしても、解雇により生じた心理的負荷が治癒されることを否定しました。

 冒頭で述べたとおり、解雇を通告されて精神に不調を生じさせてしまう方は少なくありません。形成不利とみた使用者から一方的に解雇を撤回されたとしても、わだかまりが残り続けるのが普通です。

 この判断は業務起因性に関するものですが、本件の判示事項は、解雇⇒解雇撤回された場合に、就労を拒否しつつ賃金を請求することができるのかという問題を考えるうえでも参考になるのではないかと思われます。

 

家事使用人に該当することを理由とする労災不支給処分の取消訴訟で処分行政庁が業務起因性の欠如を追加主張することは許されるのか

1.労働者災害補償保険法上の保険給付の不支給事由

 労働者災害補償保険法上の保険給付おを受給するためには、幾つかの要件が充足されている必要があります。

 疾病や負傷が業務に起因していることや(業務起因性)、労働基準法の家事使用人ではないことは(労働基準法116条2項、労働者災害補償保険法12条の8第2項参照)、そうした法律要件の一つです。

 それでは、家事使用人に該当するとして行われた労災の不支給処分に対し、取消訴訟の段階で処分行政庁が新たに業務起因性がないと主張を追加することは許されるのでしょうか? 昨日ご紹介した東京地判令4.9.24労働判例ジャーナル129-1 国・渋谷労基署長(介護ヘルパー)事件は、この問題を考えるうえでも参考になる判断を示しています。

2.国・渋谷労基署長(介護ヘルパー)事件

 本件で原告になったのは、急性心筋梗塞又は心停止(本件疾病)で死亡した労働者亡Eの配偶者です。亡Eは、会社(本件会社)から紹介や斡旋を受けて、個人宅や障害者施設等で家政婦として勤務していました。また、本件会社との間で労働契約を締結し、非常勤の訪問介護ヘルパーとしても働いていました。

 亡Eは本件会社から紹介を受けて、F宅で家政婦として家事及び介護を行う業務(本件家事業務)に従事するとともに、訪問介護ヘルパーとして訪問介護サービスを提供する業務(本件介護業務)を行いました。業務開始後ほどなくして亡Eが本件疾病で死亡したことを受け、原告の方は、労働者災害補償保険法に基づく遺族給付及び葬祭料を請求しました。

 しかし、処分行政庁(渋谷労働基準監督署長)は、亡Eが家事使用人として介護及び家事の仕事に従事していたことを理由に、各保険給付を不支給とする処分を行いました。これに対し、原告が各不支給処分(本件各処分)の取消を求める訴えを提起したのが本件です。

 当初、本件の処分行政庁側は家事使用人に該当することを指摘していました。しかし、取消訴訟の係属中、処分行政庁側は、家事使用人であることに加え、業務起因性がないことを主張しました。

 原告は処分理由の追加は許されないと主張しましたが、裁判所は、次のとおり述べて、追加を認めました。

(裁判所の判断)

「(1)処分理由の差替えの当否に関する判断枠組みについて」
「 取消訴訟の訴訟物は処分の違法一般であるところ、行政事件訴訟法は取消訴訟における行政庁の主張の制限について特段の規定を置いていない。したがって、取消訴訟においては、別異に解すべき特別の理由のない限り、原則として、被告(行政庁)は、取消しを訴求されている処分の適法性を維持ないし基礎付けるため、処分時の認定事実や根拠法規の解釈適用にとらわれることなく、訴訟物の範囲で客観的に存在した一切の法律上及び事実上の根拠を主張することが許されるものと解すべきである(最高裁昭和51年(行ツ)第113号同53年9月19日第三小法廷判決・裁判集民事125号69頁参照)。しかして、上記のように処分理由の差替え(処分理由の追加を含む。以下同じ。)は、訴訟物である当該処分の範囲内で許されるのであって、処分理由の差替えにより処分の同一性が失われることとなる場合は、当該訴訟物とは無関係の処分理由により当該処分の適法性を基礎付けようとするものにほかならないから、そのような処分理由の差替えは許されないと解すべきであるところ、処分は、公権力の行使として実定行政法規が定める処分要件が充足されて初めて処分としての適法性が基礎付けられることになるのであるから、取消訴訟における審判対象となる処分の違法一般がどのような事項を含むかも個別の実定行政法規の規定及びその解釈により定まるものと解され、処分理由の差替えが処分の同一性を害することになるか否かも、当該処分に係る個別の実定行政法規の解釈、すなわち当該実定行政法規が処分時の理由に基づいてされた処分と差替え後の処分理由に基づく処分とをそれぞれ別個の処分として措定するという立法政策を採用しているか否かという観点から検討するのが相当というべきである。」

「(2)被告による処分理由の追加の当否について」

「これを本件について見るに、本件各処分は、労災保険法が予定する保険給付を支給しない旨の処分であるところ、労災保険法は、対象疾病に起因する被災労働者の療養、休業、後遺障害及び死亡結果等の被災事由ごとに保険給付の支給を予定しているところ、概要、いずれも申請者から被災労働者の『傷病』及びそ『災害原因』等を特定した請求書の提出を受けた上で、申請された傷病が対象疾病に該当し、これに業務起因性が認められ、他の支給制限事由が存在しない限り、申請された保険給付の種別に応じた個別の要件(具体的な療養費用や給付基礎日額の計算、後遺障害等級の認定等)の充足をもってこれを支給するものと規定している(労災保険法7条1項、12条の8第2項、労災保険法施行規則第3章)。そうすると、労災保険法は、保険給付の種別に応じて処分要件を措定し、申請者が申告した具体的な『傷病』及びその『災害原因』の存否に関する判断を踏まえて申請に係る保険給付の支給の可否を決定するという仕組みを採用しているといえるから、同一の種別の保険給付の範囲内であり、対象疾病の内容及びその原因について同一性があるといえる限りは同一の処分として取り扱うという立法政策を採用しているものと解するのが相当である。
イ 以上を踏まえ、被告による処分理由の追加により本件各処分の同一性が害されることになるか否かについて見ると、本件各処分は、亡Eが労基法116条2項の『家事使用人』に該当することを理由に不支給としたものであるが、同規定は『家事使用人』について労基法の適用を除外し、労災保険法の適用も排除するという法律効果を定めた規定であると解されるから、『家事使用人』の該当性の有無は、業務起因性と同様に労災保険給付の支給要件と位置付けているものと解される。また、本件各処分が処分時において前提とした亡Eの傷病と災害原因は被告による処分理由の追加によっても変わるところはない。この点、本件各処分に際しては、不支給決定の理由として亡Eが労基法116条所定の『家事使用人』に該当し同法の適用除外となり、労災保険法も適用されないという処分理由が提示されているところ、これは本件各申請に係る労災保険給付の給付要件を欠くものであることを示したものといえ、処分庁の判断の慎重、合理性を担保してその恣意を抑制するとともに処分の理由を相手方に知らせて不服申立ての便宜を与えるために処分理由の提示を義務付けている行政手続法8条の趣旨も全うされているといえるから、本件各処分の理由付記に取消事由を構成する違法があるともいえない。

「以上によれば、本件において、被告が本件各処分の処分理由として業務起因性の不存在を追加的に主張したとしても本件各処分の同一性は害されないといえるから、被告による処分理由の追加は許されるものと解するのが相当である。」

3.最早別の処分であるようにも思われるが・・・

 家事使用人か否かと業務起因性の有無は質的に違う理由であり、最早別処分というべきではないかとも思われます。しかし、裁判所は、本件各処分の同一性は害されないとして、処分理由の追加を認めました。

 裁判所の判断には違和感もありますが、本件は理由追加を許容した裁判例としても実務上参考になります。