弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

社用車で自損事故を起こした労働者は、会社にどの程度の損害賠償責任を負うのか?

1.使用者に対する損害賠償義務

 労働者が職務を遂行するにあたり、必要な注意を怠って労働契約上の義務に違反して使用者に損害を与えた場合、債務不履行に基づく損害賠償責任を負うことがあります。

 しかし、労働者の職務遂行にかかる損害賠償責任には、二つのレベルで制限が加えられています。

 一つ目は、損害の有無のレベルでの議論です。損害賠償責任が発生する場面を故意又は重過失がある場合に限定する裁判例は少なくありません。

 二つ目は、損害賠償の限度のレベルでの議論です。損害賠償責任を負う場合であっても、その範囲は、損害の公平な分担という観点から、信義則上相当と認められる限度に制限されると理解されています(以上について、水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕244-245頁参照)。

 それでは、社用車で自損事故を起こした場合、労働者はどの範囲で損害賠償責任を負うのでしょうか?

 自損事故の特徴は、文字通り相手方がいないことです。これは、事故の責任が100%運転者にあることを意味します。

 こうした場合に発生する労働者の責任の範囲を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地判令3.11.24労働判例ジャーナル121-36 坂本商会事件です。

2.坂本商会事件

 本件は使用者が労働者に対して提起した損害賠償請求事件(甲事件)と、労働者が使用者に対して提起した未払賃金請求事件(乙事件)とが併合された事件です。

 甲事件の原告になったのは、建設機械の賃貸等を目的とする株式会社です。

 被告になったのは、賃金月額27万3310円で、原告の従業員として稼働していた方です。原告会社の所有する普通貨物自動車(本件車両)を運転中、自損事故を起こしてしまいました。事故の態様は、

「本件車両の運転操作を誤り、本件車両を道路脇の岸和田土木事務所管理に係る横断防止柵に衝突させ、本件車両の右前部及び上記横断防止柵を損傷させた」

というものだったと認定されています。

 この事故により本件車両を廃車にせざるを得なくなったとして、被告労働者は原告会社から時価相当額32万円の請求を受けました。

 原告会社の請求を原審は10万円の限度でのみ認めました。これに対し、原告会社が控訴したのが本件です。

 この事案で、裁判所は、次のとおり判示して、原審の判断を維持しました。

(裁判所の判断)

「使用者が、その事業の執行につきなされた被用者の加害行為により、直接損害を被り又は使用者としての損害賠償責任を負担したことに基づき損害を被った場合には、使用者は、その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、被用者に対し損害の賠償又は求償の請求をすることができるものと解すべきである(最高裁昭和49年(オ)第1073号同51年7月8日第一小法廷判決・民集30巻7号689頁参照)。」

(中略)

「控訴人は、本件事故により32万円の損害を被っており、証拠・・・によれば、本件事故は被控訴人による自損事故であり、その原因は専ら被控訴人の過失にあることが認められる。

「他方、既に認定・説示したとおり、被控訴人は、控訴人代表者の運転手を勤めながら、日常的に控訴人代表者の命じる様々な雑用をこなし、これを通じて控訴人の業務に従事して控訴人に貢献していたものであり、かかる事情は、損失の公平な分担の見地から考慮されるべきである。」

「そうすると、本件の事実関係の下においては、控訴人が本件事故により被った損害のうち被控訴人に対して賠償を請求し得る範囲は、信義則上10万円を限度とするのが相当であり、控訴人が被控訴人に対してこれを超える部分の請求をすることは認められないというべきである。

3.専ら労働者の過失によるものであっても、かなりの減額を実現できる

 本件では事故の原因が専ら労働者の過失によると認定されています。それでも、責任割合は3分の1以下にまで減縮されました。賃金額が通常の範囲に収まっている労働者が責任を負う範囲は、自損事故であってもかなり限定的に理解されていることが分かります。

 事故を起こした場合、特に自損事故のような自分に100%原因のある事故を起こした場合、自責の念から損害を全て賠償しなければならないと誤解している方は少なくありません。

 しかし、本件の裁判所が判示しているとおり、労働者が責任を負う範囲は、かなり制限的に理解されています。そのため、使用者の言い値を支払わなければならないということはありません。

 また、本件では責任の有無が争点化された形跡はありませんが、重過失がないことを理由に責任の存否自体を問題にできた余地もあるように思われます。

 使用者からの損害賠償請求事件は、比較的減額を実現しやすい事件類型でもありますので、被請求者になった時には、弁護士のもとに相談に行くことが大切です。

無期転換ルールの適用を主張するタイミング 在職中に「研究者」該当性を争えるのか?

1.無期転換ルールとその例外

 労働契約法18条1項本文は、

「同一の使用者との間で締結された二以上の有期労働契約・・・の契約期間を通算した期間・・・が五年を超える労働者が、当該使用者に対し、現に締結している有期労働契約の契約期間が満了する日までの間に、当該満了する日の翌日から労務が提供される期間の定めのない労働契約の締結の申込みをしたときは、使用者は当該申込みを承諾したものとみなす。」

と規定しています。

 これは、簡単に言うと、有期労働契約が反復更新されて、通算期間が5年以上になった場合、労働者には有期労働契約を無期労働契約に転換する権利(無期転換権)が生じるというルールです(無期転換ルール)。

 しかし、この無期転換ルールには幾つかの例外があります。

 その中の一つが、

研究者等であって研究開発法人又は大学等を設置する者との間で期間の定めのある労働契約・・・を締結したもの」

です。

 これは「科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律」(科技イノベ活性化法)という名称の法律の第15条の2第1項1号に根拠があります。上記に該当する方は、5年ではなく10年が経過しなければ無期転換権が発生しないとされています。

2.確認の利益の問題

 昨日ご紹介した裁判例(東京地判令3.12.16労働判例1259-41 学校法人専修大学(無期転換)事件)は、科技イノベ活性化法に規定されている「研究者」に該当するためには、

「研究開発法人又は有期労働契約を締結した者が設置する大学等において、研究業務及びこれに関連する業務に従事している者であることを要する」

との理解を示しました

 このような理解に立つと、専ら授業等の職務を担当し、研究に従事していない非常勤講師の方などは、「研究者」に含まれず、原則通り5年で無期転換権の行使を主張できることになります。

 それでは、無期転換権の行使により、期限の定めのない労働契約上の権利を有する地位にあることの確認を求める訴えは、どのタイミングで提起することができるのでしょうか?

 一般論として、確認の訴えを提起できる場面は限定されています。他により適切な方法がある場合や、今権利関係を確認しておく必要があるとはいえない場合、訴訟を提起しても、確認の利益(訴えの利益)がないとして、不適法却下されてしまいます。

 「研究者」該当性を争って、5年を超過した段階で無期転換権を行使し、期限の定めのない労働契約上の権利を有する地位にあることの確認を求める訴えとの関係では、

無期転換権侵害を理由とする損害賠償請求など、金銭に還元した方がより適切な手段とはいえないのか、

職場から排除された時点で初めて問題にすれば足りるのではないか、

といったことが問題になります。

 昨日ご紹介した、東京地判令3.12.16労働判例1259-41 学校法人専修大学(無期転換)事件は、この問題との関係でも有益な判断を示しています。

3.学校法人専修大学(無期転換)事件

 本件で被告になったのは、専修大学などの大学を設置している学校法人です。

 原告になったのは、被告の非常勤講師として、A語初級から中級までの授業、試験及びこれに関連する業務を担当していた方です。

 被告は、原告を科技イノベ活性化法15条の2第1項1号の「研究者」として位置付け、5年以上を経過しても無期転換申込権の発生を認めないいう扱いをとってきました。これに対し、原告の方が、期間の定めのない労働契約上の権利を有する地位にあることの確認を求て被告を訴えたのが本件です。

 本件では在職中に期間の定めの有無を争うことの適否など、果たして確認の利益を認めることができるのかが問題になりました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり判示し、確認の利益を認めました。

(裁判所の判断)

「確認の利益は、現に、原告の権利又は法律的地位に危険又は不安が存在し、これを除去するため被告に対し確認判決を得ることが必要かつ適切な場合に認められると解される。」

原告と被告との間の労働契約は現在も継続しているものの・・・、被告は、期間の定めがある旨主張しており、期間の定めのある労働契約は原則として期間満了により労働契約が終了するものであって、雇止めに対する規制は労契法19条のみが適用されるところ、同条の規制は無期雇用の解雇に関する労契法16条の規制よりも対象が狭く緩やかなものであるから、原告には、使用者である被告との間に期間の定めの有無について争いがあることにより、雇止めによる契約終了の危険又は不安があると認められる。そして、原告は、被告が原告の無期転換申込権を認めない態度を示したことを理由とする不法行為に基づく損害賠償を求める給付の訴えを提起しているが、前記請求が認容されるには、原告に無期転換申込権があることのほか、これを認めない被告の行為が違法であって、故意又は過失があること、及び、被告の行為による損害の発生などが必要であり、原告に無期転換申込権があるからといって、損害賠償請求が認容されるとは限らないものである。そうすると、地位確認請求以外に、原告の権利又は法律的地位の危険又は不安を除去するための他の直接かつ抜本的な紛争解決手段があるということはできない。

したがって、使用者である被告との間に期間の定めの有無について争いがあることにより、原告には雇止めによる契約終了の危険又は不安があり、これを除去するためには、被告に対し確認判決を得ることが必要かつ適切であると認められる。

以上から、原告の地位確認請求については確認の利益がある。

4.在職している段階から争える

 上述のとおり、裁判所は、失職していない段階においても、無期労働者として労働契約上の権利を求める地位にあることの確認の訴えを提起することを認めました。

 地位確認を求める訴えで結論が得られるまでには、かなりの時間を要するのが通例です。収入が得られなくなった段階で手続をとることには、物心両面で多大な負担がかかります。こうした負担を忌避して法的措置をとることに慎重な姿勢になる方は決して少なくありません。

 今回、来たるべき契約満了に備え、在職中に労働契約上の性質の確認を求める訴えの提起を認めたことは、権利の救済を容易にする点において、「研究者」の意味内容を限定的に判示したのと同じく、画期的な判断であるように思われます。

 

無期転換ルール 授業要員としての非常勤講師は「研究者」か?

1.無期転換ルールとその例外

 労働契約法18条1項本文は、

「同一の使用者との間で締結された二以上の有期労働契約・・・の契約期間を通算した期間・・・が五年を超える労働者が、当該使用者に対し、現に締結している有期労働契約の契約期間が満了する日までの間に、当該満了する日の翌日から労務が提供される期間の定めのない労働契約の締結の申込みをしたときは、使用者は当該申込みを承諾したものとみなす。」

と規定しています。

 これは、簡単に言うと、有期労働契約が反復更新されて、通算期間が5年以上になった場合、労働者には有期労働契約を無期労働契約に転換する権利(無期転換権)が生じるというルールです(無期転換ルール)。

 しかし、この無期転換ルールには幾つかの例外があります。

 その中の一つが、

「研究者等であって研究開発法人又は大学等を設置する者との間で期間の定めのある労働契約・・・を締結したもの」

です。

 これは「科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律」(科技イノベ活性化法)という名称の法律の第15条の2第1項1号に根拠があります。上記に該当する方は、5年ではなく10年が経過しなければ無期転換権が発生しないとされています。

 この例外措置との関係で、大学の非常勤講師の方は、かなり長い間働いても無期転換権が発生しないという辛い立場に置かれてきました。

 そうした中、近時公刊された判例集に、画期的な判断がなされた裁判例が掲載されていました。東京地判令3.12.16労働判例1259-41 学校法人専修大学(無期転換)事件です。

2.学校法人専修大学事件

 本件で被告になったのは、専修大学などの大学を設置している学校法人です。

 原告になったのは、被告の非常勤講師として、A語初級から中級までの授業、試験及びこれに関連する業務を担当していた方です。

 被告は、原告を科技イノベ活性化法15条の2第1項1号の「研究者」として位置付け、5年以上を経過しても無期転換申込権の発生を認めないいう扱いをとってきました。これに対し、原告の方が、期間の定めのない労働契約上の権利を有する地位にあることの確認を求て被告を訴えたのが本件です。

 本件の原告は、研究関連業務には従事しておらず、研究室の割当てや研究費の支給もを受けていませんでした。本件では、こういった方を、本当に「研究者」として取り扱ってもいいのかが問題になりました。

 しかし、この問題について、裁判所は、次のとおり判示し、原告を「研究者」ではないと判示しました。結論としても、無期転換権の行使を認め、期間の定めのない労働契約の確認を求める原告の請求を認容しています。

(裁判所の判断)

「イノベ活性化法15条の2の文言によれば、同法15条の2の趣旨は、科学技術に関する試験若しくは研究又は科学技術に関する開発(同法2条1項の定義する『研究開発』と同旨。以下『研究開発』というときこれを指す。)は、5年を超えた期間の定めのあるプロジェクトとして行われることも少なくないところ、このような有期のプロジェクトに参画し、研究開発及びこれに関連する業務に従事するため、研究開発法人又は大学等(同法2条の定義によるもの。以下『研究開発法人』、『大学等』というときこれを指す。)を設置する者と有期労働契約を締結している労働者に対し、労契法18条によって通算契約期間が5年を超えた時点で無期転換申込権が認められると、無期転換回避のために通算契約期間が5年を超える前に雇止めされるおそれがあり、これによりプロジェクトについての専門的知見が散逸し、かつ当該労働者が業績を挙げることができなくなるため、このような事態を回避することにあると解される。そうすると、科技イノベ活性化法15条の2第1項1号の『研究者』というには、研究開発及びこれに関連する業務に従事するため有期労働契約を締結している者であること、すなわち、研究開発法人又は有期労働契約を締結した者が設置する大学等において、研究業務及びこれに関連する業務に従事している者であることを要するというべきである。そして、この考えは、学校教育法及び前記・・・の審議過程とも整合するものである。すなわち、学校教育法92条10項は、『講師は、教授又は准教授に準ずる職務に従事する。』と規定しているところ、教授及び准教授の職務は、『専攻分野について、教育上、研究上又は実務上の優れた(教授の場合は『特に優れた』)知識、能力及び実績を有するものであって、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する』こととされ(同条6項、7項)、大学の教授、准教授及び講師の職務において、研究と教育は区別され、必ずしも不可分一体ではなく、研究は担当せず、教育のみを担当する教授、准教授及び講師が存在することが想定されている。さらに、講師については、大学設置基準16条において、その資格として、『教授又は准教授となることができる者』(1号)のほかに、『その他特殊な専攻分野について、大学における教育を担当するにふさわしい教育上の能力を有すると認められる者』(号)が加えられており、教育上の能力に基づいて大学の教育のみを担当する者を講師とすることが想定されている。前記アウの審議過程において、大学の講師も基本的に『研究者』に当たるとする理由として、大学における教育と研究は一体である旨の一般論が説明されるとともに、講師は、教育及び研究を行う教授又は准教授に準ずる職務に従事すると学校教育法に位置付けられているからである旨の説明がされていることからすれば、学校教育法92条10項及び大学設置基準16条が想定する教育のみを担当する講師については、教育及び研究を行う教授又は准教授に準ずる職務に従事する者とはいえないのであるから、これを『研究者』として10年超えの特例の対象とすることは想定していなかったといえる。」

「したがって、科技イノベ活性化法15条の2第1項1号の『研究者』というには、研究開発法人又は有期労働契約を締結した者が設置する大学等において、研究開発及びこれに関連する業務に従事している者であることを要するというべきであり、有期雇用契約を締結した者が設置する大学において研究開発及びこれに関連する業務に従事していない非常勤講師については、同号の『研究者』とすることは立法趣旨に合致しないというべきである。

3.研究業務に従事していない非常勤講師は5年で無期転換を主張できる

 本件の裁判所は、上述のとおり判示し、研究業務に従事していない非常勤講師の「研究者」該当性を否定しました。

 現在、大学では、科技イノベ法の特例の適用を前提に、かなり多くの非常勤職員が5年以上働いても無期転換権を行使できない形で働いています。地裁レベルの一事例ではありますが、こうした人達の保護を考えて行くにあたり、本件の判示は極めて重要な意義を持っています。

 

配転の効力を争う仮処分における保全の必要性-住居の確保ほか経済的負担が生じることだけでは弱い

1.配転の効力の争い方

 違法・無効な配転の効力を争うにあたっては、大きく言って二つの方法があります。

 一つ目は、異議を留保したうえで配転命令に服し、配転先で働きながら、その効力を争って行く方法です。

 二つ目は、仮処分です。本案に先立ち、配転先で勤務すべき義務のないことを求める仮処分を申立てる方法です。

 理屈の上では、配転先での就労を拒否し、その効力を争うという方法も、なくはありません。しかし、配転先での就労を拒否すると、多くの場合、ほどなくして無断欠勤を理由に解雇されます。解雇の効力は、配転命令が有効なのかどうかに左右されますが、使用者の側に広範な裁量が認められるため、配転命令が無効とされる事案は極めて限定的です(最二小判昭61.7.14労働判例477-6 東亜ペイント事件参照)。そのため、解雇による失職リスクを回避したうえで配転の効力を争おうと思った場合、労働者側が採ることができる選択肢は、

異議を留保したうえ、配転先で働きながら争うか、

先ずは仮処分で争うか、

の二つに限定されます。

2.手続の選択

 上記二つの方法は、いずれも一長一短があります。

 働きながら争う方法の短所は、かなり長い期間、配転先での労務提供を強いられることです。判決が出るまでには、時として1年以上かかることもあります。仮に裁判で勝てたとしても、それまでの間、結局、配転命令に服しているの同じような状態を甘受しなければなりません。ただ、勝訴要件はシンプルで、配転命令の効力さえ潰せれば、それだけで勝つことができます。

 他方、仮処分は判決に比べれば随分早く結論が出ます。結論といっても、飽くまでも暫定的なものですが、仮処分が出てしまえば、配転先での労務の提供を拒んだまま配転命令の効力を争っても、直ちに解雇されてしまうことはありません。しかし、仮処分で勝つためには、配転命令が無効であることに加え、「保全の必要性」を疎明する必要があります。

 この「保全の必要性」というのは厄介で、それほど容易には認められない傾向にあります。近時公刊された判例集にも、そのことが分かる裁判例が掲載されていました。福岡地小倉支判令3.12.15労働経済判例速報2473-13 学校法人コングレガシオン・ド・ノートルダム事件です。

3.学校法人コングレガシオン・ド・ノートルダム事件

 本件は配転先で勤務すべき義務のないことを求めて労働者が申し立てた仮処分事件です。

 本件で債務者とされたのは、Q2市に所在する学校法人です。Q2市に学校Aを設置しています。Q1市に所在する学校法人を合併した関係で、同市に設置された学校Bも運営しています。

 債権者になったのは、債務者の常勤講師として採用され、高等学校の教諭として働いていた方です。一度、債務者から解雇されてしまうのですが、その効力を争う訴訟に勝って復職を果たした経緯があります。元々、Q2市の学校Bで勤務していましたが、債務者からQ2市内のAでの勤務を命じられました。これに対し、配転の効力を争って仮処分の申立をしたのが本件です。

 債権者の方は、

「本件配転命令は、着任日を令和4年1月5日と定めており、債権者は同月からQ2市で勤務するうえで、住居の確保等の著しい経済的出捐その他の大きな負担を余儀なくされるから、保全の必要性がある。」

と主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて保全の必要性を否定し、債権者の申立てを却下しました。

(裁判所の判断)

「事案に鑑み、まず保全の必要性を判断する。」

「債権者は、Q1市内に自宅を保有しており、Q2に転居することにより転居費用やQ2市での住居の賃料等、相応の費用が発生することが想定される。上記費用のうち、転居費用は債務者から支給されるものの、債務者の住宅手当の規程に照らすと、住居の賃料の全額が支給されるとは限らないことから、本件配転命令に従って転居することによりある程度の経済的負担が債権者に生ずる可能性が高いと認められる。しかしながら、債権者は、前件控訴審判決確定後、毎月43万7409円の賃金を受領しており、本件配転命令に基づく異動の前後で賃金の受領額に変動はないのであるから、債権者の世帯構成を勘案すると、上記経済的負担を賄えない等の特段の事情があるとは認められない。」

「債権者は独身であることに加え、平成28年度以降、Bにおける授業を担当しておらず、令和4年度においても担当予定授業がなく、その他本件において、Q1市に転居できない特段の事情はない。」

「以上からすると、転居を伴う転勤は、一般に、労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えるものであることを考慮しても、本件配転命令に従ってQ2市において就労することにより、債権者に著しい損害又は急迫の危険が掃除るとはいえず、保全の必要性が認められない。」

「以上すると、被保全権利について判断するまでもなく、本件申立ては理由がないから却下する」

4.一般的な転勤に伴う不利益+αが必要

 上述のとおり、裁判所は、単に転居を伴う転勤というだけでは保全の必要性が認められないと判示しました。

 解雇の訴訟で勝ったことによって得られる賃金は、本来払われて然るべきのものが現に払われたというにすぎず、別段、利得を生じさせるわけではりません。それでも、裁判所は、これを配転命令の効力を維持するための事情として指摘しました。

 本件のような判断を見ると、やはり配転の効力を仮処分事件で争うにあたっては、一般的な転勤に伴う不利益を超える何かがなければ難しそうです。

 

労働密度・労働強度の問題から不活動時間の労働時間性が否定された例

1.不活動時間の労働時間性

 不活動仮眠時間の労働時間性について、最一小判平14.2.28労働判例822-5大星ビル管理事件は、

「不活動仮眠時間であっても労働からの解放が保障されていない場合には労基法上の労働時間に当たるというべきである。そして、当該時間において労働契約上の役務の提供が義務付けられていると評価される場合には、労働からの解放が保障されているとはいえず、労働者は使用者の指揮命令下に置かれているというのが相当である。」

と判示しています。

 ただ、これは何か問題が起きた時に対応することが義務付けられていさえすれば、不活動時間であっても直ちに労働時間に該当するという趣旨ではありません。

 判決が、

「そこで、本件仮眠時間についてみるに、前記事実関係によれば、上告人らは、本件仮眠時間中、労働契約に基づく義務として、仮眠室における待機と警報や電話等に対して直ちに相当の対応をすることを義務付けられているのであり、実作業への従事がその必要が生じた場合に限られるとしても、その必要が生じることが皆無に等しいなど実質的に上記のような義務付けがされていないと認めることができるような事情も存しないから、本件仮眠時間は全体として労働からの解放が保障されているとはいえず、労働契約上の役務の提供が義務付けられていると評価することができる。したがって、上告人らは、本件仮眠時間中は不活動仮眠時間も含めて被上告人の指揮命令下に置かれているものであり、本件仮眠時間は労基法上の労働時間に当たるというベきである。」

と続けてるとおり、不活動時間の労働時間性を判断するにあたっては、実作業に従事する必要がどの程度あったのかを検討する必要があります。

 検討した結果、

「仮眠時間中、労働契約に基づく義務として、仮眠室における待機と警報や電話等に対応することが義務づけられていても、その必要が生じることが皆無に等しいなど実質的に上記のような義務づけがされていないと認めることができるような事情が認められる場合においては、労働時間には当たらない」

と帰結されます(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ』〔青林書院、改訂版、令3〕154頁参照)。

 それでは、「皆無に等しい」とは、具体的にどの程度実作業のことを言うのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊されたは例集に掲載されていました。東京地判令3.10.7労働判例ジャーナル120-42 国・藤沢労基署長事件です。

2.国・藤沢労基署長事件

 本件は労災の休業補償給付の不支給処分に対する取消訴訟です。

 原告になったのは、株式会社パールケア(パールケア)において、訪問介護看護等の業務に従事していた方です。

 業務上の事由により鬱病、適応障害、抑鬱状態を発症したとして、労災保険法の規定による休業補償給付の請求をしましたが、処分行政庁は休業補償給付を支給しない処分を行いました(本件不支給処分)。審査請求の棄却裁決を経て、取消訴訟を提起したのが本件です。

 原告は幾つかの負荷要因を主張していますが、その中に、訪問介護看護事業におけるオペレーター業務がありました。

 パールケアでは介護保険法8条15項に規定する定期巡回・随時対応型訪問介護看護を行っていました(訪問介護看護事業)。

 定期巡回・随時対応型訪問介護看護は、従来からある訪問介護などの住宅サービスにおいて、重度者をはじめとする要介護高齢者の在宅生活を24時間支える仕組みを確保し、医療と介護の連携を図る目的で設立された制度です。この事業を行う事業者は、常時利用者の状況や要望を把握するほか、オペレーターを配置して、24時間利用者からの通報(コール)を受け付けた上、コールがあれば、訪問介護員が、利用者の自宅を訪問し、利用者の要望に応じて、入浴、排泄、食事等の介護、日常生活上緊急時の対応等の援助をする体制を構築する必要があるとされています。

 原告の方は本件介護事業における唯一のオペレーターとして、コールや訪問介護員への要望・苦情に関する連絡を全て受け付けて、その都度対応する役割を担っていました。

 こうした事実関係を踏まえ、原告は、

「本件介護看護事業における緊急コールの対応は、24時間体制で業務を実施するために不可欠のものであり、緊急コール対応が、事業主の指揮命令下で行われていたことは明らかである。定期巡回は外部に委託していたものの、緊急コール対応は委託の対象とされておらず、原告が24時間体制で行っていたのであるから、この心理的負荷は非常に大きかった。介護保険法及び労働基準法を遵守するためには、オペレーターを5名は配置しなければならないにもかかわらず、原告一人しか配置されなかったため、原告は、24時間365日にわたってオペレーター業務に従事することを強いられていた。

と主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、オペレーター業務の労働時間性を否定しました。結論としても、精神障害の業務起因性を否定し、原告の請求を棄却しています。

(裁判所の判断)

「原告は、オペレーター業務について、24時間体制で行っていたことに加えて、コールの際に、速やかに状況を判断して介護者又は看護師に連絡し、緊急性を要する場合には医師に取り次ぐ必要もあるから、常に精神的な緊張感があり、コールへの対応が遅れた場合には、本件介護看護事業の管理者としての契約上の責任に加えて、刑事責任を追及されることもあり得たことなどを指摘して、待機時間も含めて労働時間とみるべきであり、また、仮に労働時間に当たらないとしても、拘束時間や待機時間が極端に長い勤務形態として、業務起因性の判断に当たって考慮されるべきであると主張する。」

「しかし、定期巡回・随時対応型訪問介護看護の制度上、オペレーター及び管理者に課せられた責務が上記原告の主張するとおりであり、それ故に法令により資格条件及び必要員数等が定められているにしても、業務と精神障害の発病との間の相当因果関係が認められるか否かを判断する際に、業務による心理的負荷を評価する上では、労働者が置かれた具体的状況を前提とすることになる・・・。そして、本件で原告が置かれた具体的状況としては、前記認定事実・・・のとおり、利用者の人数が最大でも7名でしかなく、所定労働時間の内外を通じて、コールの頻度も非常に少なかった上に、前記認定事実・・・のとおり、社用携帯電話にコールが入った際に、原告が救急車を呼ぶ必要が生じたことはなく、主治医に連絡をしたことが1回、原告が利用者の様子を見に行ったことが2回、訪問介護員を伴って利用者居宅を訪問したことが数回あった程度であり、原告自身、コールの内容は原告からみれば深刻ではないものが多く、事前に利用者との間で流れを確認しているので、対応に悩むことはなかった旨を述べていること・・・からすると、原告の主張するような心理的負荷がかかる状況であったとは認められない。

「なお、原告は、本人尋問において、スマケアを通さず、したがって記録に残らない社用携帯電話への連絡が最低一夜に3回程度はあった旨を述べる・・・。しかし、当該供述は、裏付けとなる証拠を欠く上、原告自身が休業補償給付を請求した際に『夜間における利用者からの緊急コール自体は、あまりありませんでした。』と申告していること・・・とも整合しない。のみならず、前記認定事実・・・のとおり、利用者本人は、ほぼコールボタンにより通話をしており、電話をかけてくるのは、利用者の家族に限られていたところ、社用携帯電話の番号は利用者に教えられておらず、ナースケア鎌倉からパールケアに移ってきた利用者2名か、原告からのコールバックを受けた者しか番号を知らなかったはずであり、前記認定事実・・・のとおり、最大でも7名であった利用者の家族のうち実際に上記方法により連絡をすることが可能であったのはごく少数であったと考えられるから、夜間に上記のような頻回のコールがあったとは考え難く、原告本人の上記供述は採用することができない。もとより、社用携帯電話への着信が皆無であったとはいえないとしても、それが頻回になされ、原告に精神的な緊張を強いていた事実を認めるに足りる証拠はない。」

「以上に加え、前記認定事実・・・のとおり、所定労働時間外における飲酒も制限されていなかったことに照らすと、所定労働時間外のオペレーター業務について、原告がコールに現に対応していた時間(コールを受けて利用者以外の者との連絡を取っていた時間及び利用者居宅を訪問していた時間を含む。)を除く、いわゆる不活動時間については、労働からの解放が保障されていたというべきであるから、労働時間とは認められず、また上記業務による心理的負荷も小さいものであったといわざるを得ない。

3.労災保険法上の労働時間と労基法上の労働時間とは必ずしも一致しないが・・・・

 司法判断において、労災保険法上の労働時間と労基法上の労働時間とは、必ずしも一致するとは理解されていません。

労働時間概念の相対性-労災認定の場面では厳密な労働時間「数」の立証がいらないこともある - 弁護士 師子角允彬のブログ

 とはいえ、厚生労働省は、

「労災認定における労働時間は労働基準法第 32条で定める労働時間と同義であること」

と労災保険法上の労働時間と労基法上の労働時間を同一概念だとしていますし(令和3年3月30日 基補発 0330 第1号 労働時間の認定に係る質疑応答・参考事例集の活用について参照)、労災保険法上の労働時間と労基法上の労働時間とは重複する部分が多いのも確かです。そのため、本件の判示は、残業代を請求する事件においても参考になるように思われます。

 

賃金仮払い仮処分-保全の必要性の理解が厳しすぎではないだろうか

1.賃金仮払いの仮処分

 解雇にしても賃金減額にしても、判決が言い渡されるまでの間には、かなりの時間を要するのが通例です。

 このタイムラグによって労働者が致命的な損害を受けることを避けるための仕組みに「賃金仮払いの仮処分」という手続があります。これは使用者に対して賃金を仮に支払うよう、裁判所に命令を出してもらうための手続です。迅速に判断が得られる労働審判の普及に伴って、従前ほど活発に利用されることはなくなりましたが、緊急性の高い事件や、労働審判に不向きの事件では、現在でもしばしば用いられてます。

 しかし、「賃金仮払いの仮処分」は、労働者側にとって、それほど使い勝手の良い制度ではありません。それは「保全の必要性」の要件が、あまりにも厳格だからです。

 保全処分が認められるためには、

被保全権利の存在と、

保全の必要性

が認められる必要があります。

 賃金仮払いの仮処分で保全の必要性が認められるためには、

「争いがある権利関係について債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けるためこれを必要とするとき」(民事保全法23条2項)

である必要があります。

 物々しい枕詞がついていることから想像がつくように、「著しい損害」や「急迫の危険」は容易には認められません。配偶者等の収入まで開示したうえ、生活費の不足額が幾らなのかの特定まで求められるのが通例です。

 近時公刊された判例集にも、そうした裁判所の厳しい姿勢が表れた裁判例が掲載されていました。大阪地決令3.10.14労働判例ジャーナル120-60 南海興行事件です。

2.南海興行事件

 本件は賃金支払の仮処分事件です。

 債務者になったのは、産業廃棄物の収集・運搬・中間処理等を目的とする株式会社です。

 債権者になったのは、債務者との間で労働契約を締結している労働者の方です。令和2年5月以降、それまで月額合計28万円であった賃金を月額合計23万円にまで一方的に引き下げられました。こうした措置を受け、賃金の仮払を求める仮処分の申立をしたのが本件です。

 本件では保全の必要性が認められるのか否かが争点となり、債権者は次のとおり主張しました。

(債権者の主張)

「債権者は、妻C(以下『C』という。)及び義父D(以下「D」といい、債権者、C及びDを併せて債権者世帯」という。)とともに、清澄寺所有の土地上にある平家建建物に居住しているところ、債権者世帯の収入は、債権者の債務者からの賃金収入及びDの年金収入であり、そのうちDの年金収入は2か月で約35万円である。一方、債権者の賃金収入に係る1か月の手取り額は、本件減額前まで21万3485円であったが、本件減額後16万7355円に減少している。」 

「一方、Cは、睡眠障害、うつ病等を発症しており、病弱で足に障害があり、通院が欠かせず、要支援2の認定を受け、日常生活に支援が必要な状態であって、稼働できない状態にある。また、Dも、要介護4の認定を受け、介護老人保健施設に入所しており、稼働は困難である。したがって、債権者世帯の収入の増加は見込めない。」

「債権者世帯の支出の状況は、令和3年2月及び同年3月が別紙1、同年6月及び同年7月が別紙2の各家計収支表のとおりである。」

「C及びDは定期的に通院し、薬の処方も受けており、債権者世帯の令和2年の医療費支出は20万1780円に上っていた。そのほか、債権者世帯は、年1回清澄寺に地代を支払っている。債権者は、生活費が不足した場合には、三井住友銀行のカードローンで賄っている。。」

「しかも、Dは、かねてからアルツハイマー型認知症及び高血圧症を発症していたところ、令和3年4月15日に急性心不全等で救急搬送されてそのまま入院した。Dは、寝たきりとなって、自宅に戻ることができる状態ではなくなったため、同年5月20日に退院した後、特別養護老人ホームに入所し、要介護4の認定を受け、同年6月10日以降、介護老人保健施設に入所している。この間、債権者は、Dの入通院治療費として25万8780円、特別養護老人ホームの利用料金として7万8231円を要したほか、介護老人保健施設の利用料及び日用品や肌着のリース料として、同年6月10日から同月30日までの21日間で合計9万6432円を要した。今後もDが同施設に入所し、同様の割合で利用料等を支払うとすると、1か月当たり13万7760円を要することになり、同人の年金を含めた債権者世帯の1か月当たりの収入額36万4795円からこれを差し引くと、残額は22万7035円となり、債務者指摘の勤労者世帯の消費支出額を大きく下回る。」

「なお、保全の必要性の判断に当たっては、標準生計費の額を基準とすべきではない。債権者世帯は、Dが要介護4で施設入所を余儀なくされ、Cも要支援2の状態にあり、債権者だけが稼働可能であり、Dの入所施設からの連絡等に対応できるのも債権者だけであり、自宅でも家事やCの日常生活の支援をしているところ、標準生計費はそのような世帯を前提としていない。」

「債権者世帯には、預貯金を含めてめぼしい資産はなく、本件減額により、債権者世帯は生活に窮しており、カードローンによる借入金で本件減額による差額分を調達し、生活を賄っている状況にあって、令和3年3月2日の時点でのカードローンによる借入金の残高は164万6116円であり、令和2年5月2日時点での100万7965円から増加している。Dの入院費用等を支払うために借り入れた後の令和3年7月26日の時点では、192万4839円と借入金の残高がさらに増加している。」

「以上によれば、現在の状態が続くと、債権者世帯は生活に窮し、回復し難い損害を被ることになる。よって、本件申立てにつき保全の必要性があるというべきである。」

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、保全の必要性を認めず、債権者の申立てを却下しました。

(裁判所の判断)

「債権者は妻C及び義父Dと同居していたところ、本件減額後の債権者世帯の1か月当たりの収入は、令和3年2月及び同年3月が36万4795円、同年6月及び同年7月が36万9307円であるのに対し、3人世帯の令和2年4月の標準生計費は1か月当たり17万6230円とされていて、債権者世帯の収入はこれを大きく上回っている。

「また、本件減額前と本件減額後の賃金の手取り額の差額は、令和2年9月分から令和3年3月分までが1万9827円、同年6月分及び同年7月分が1万6144円といずれも2万円に満たず、差が大きかった令和2年5月分から同年8月分までについても4万4730円ないし4万6130円であり、その余の収入が令和3年2月及び同年3月と同じであると仮定すると、1か月当たりの債権者世帯の収入減少率は、最大でも11%程度(=4万6130円÷(4万6130円+36万4795円))にとどまるのであって、債権者主張の医療費等を考慮しても、月5万円の仮払を命じなければ、債権者の生活の維持が困難となり、著しい損害が生じるおそれがあるとは言い難い。」

「もっとも、前記・・・の認定事実によれば、Dは、令和3年6月10日以降介護老人福祉施設であるFに入所し、これにより1か月当たり14万円程度の利用料等の支出が生じているほか、令和3年8月にも入院治療を受け、10万円程度の医療費を支出していることが認められる。」

「この点、介護老人保健施設は、要介護者であって、主としてその心身の機能の維持回復を図り、居宅における生活を営むことができるようにするための支援が必要である者に対し、施設サービス計画に基づいて、看護、医学的管理の下における介護及び機能訓練その他必要な医療並びに日常生活上の世話を行うことを目的とする施設であり(介護保険法8条28項)、Fの事業目的及び運営方針においても、居宅における生活への復帰を目指すことが挙げられており、入所期間は原則3か月単位とされていること・・・からすると、現在の支出の状況が今後も続くものとは直ちには認め難い。」

「仮に、これが継続するものとして債権者世帯の収支の状況についてみても、前記・・・の認定事実によれば、債権者世帯の令和3年6月分及び同年7月分の1か月当たりの収入は36万9307円であるのに対し、Dの同年7月分のFへの入所費用等は合計14万1259円であるから、これを控除すると、その残額は22万8048円となり、令和2年4月の2人世帯の標準生計費15万3040円(乙5)を7万円以上上回ることになる。なお、債権者は、標準生計費との比較で保全の必要性を判断すべきではないと主張するが、標準生計費は、標準的な生活モデルを設定し、その生活に要する費用を算定したものである・・・から、仮払を命じる必要があるかどうかを判断するに当たって参考にすべきものといえる。債権者の主張は採用できない。」

「そのほか、債権者は、〔1〕令和3年4月にDが救急搬送されたことによる合計25万5480円の医療費やその後の特別養護老人ホームへの入所費用7万8231円を負担したこと、〔2〕Cが定期的に通院しており、その医療費の負担が見込まれること、〔3〕本件減額によりカードローンの残高が増加し、その返済を要すること、〔4〕債権者は、Dの入所施設からの連絡に対応し、Cを自宅で支援し、家事をこなす必要もあること、〔5〕カードローンの融資枠が近いうちになくなることなどを指摘する。
 しかしながら、〔1〕については、令和3年4月の救急搬送に加え、同年8月にも入院し、治療費として10万円程度の支出を要してはいるものの、基本的には一時的な支出にとどまるといえる上、高額医療費制度の適用により、負担が相当程度軽減されるものと見込まれる。また、〔2〕については、標準生計費の算定に当たっては、一定の医療費支出が考慮されている・・・上、前記(1)の認定事実によれば、債権者世帯の医療費は、Dが同居していた令和2年分で20万1780円、1か月当たり1万6815円にとどまり、令和3年2月分も1万2770円、同年3月分も9010円にとどまっている。Dが入院し又は施設で入所するようになった後についても、同年6月分が2万2357円、同年8月分がC分で1万0900円にとどまり、同年7月分は27万9820円であるものの、これにはDの入通院に伴う医療費25万5480円が含まれているものと推認され、これを除くと2万4340円となるから、医療費の支出状況に変化はないものと認められるのであって、これらの負担内容に照らすと、Dを除く債権者世帯の医療費は、その収入で十分賄うことができるものといえる。〔3〕については、カードローンの返済についても、そもそも、前記(1)の認定事実によれば、令和2年5月2日時点で既に100万円以上の借入残高があり、本件減額の以前に借入れたものが相当含まれていると考えられ、また、その残高が増加している原因には、残高の増加に伴う利払額の増加も考えられるのであって、本件減額のみがその原因とは認められない。実際の返済額をみても、1か月の返済額は3万2000円にとどまっており(なお、令和3年7月26日時点での返済予定額は2万5000円となっている(甲29〔4〕))、今後、生活を見直すことにより、借入金やその返済額を減らすことも可能と考えられる。〔4〕については、Dの施設からの連絡については、どの程度の頻度でこれがあるのかは本件疎明によっても不明であり、Cの自宅での支援や家事への従事等を含め、これがどの程度の収入の減少又は支出の増加をもたらすのかもやはり不明といわざるを得ない。」

「だとすれば、DのFへの入所が今後継続するとしても、本件減額に係る差額分の未払の状況が続くことにより、債権者の生活の維持が困難となり、著しい損害が生じるおそれがあるということはできない。」

3.世帯収入を見られる/標準生活費のような画一的指標が影響力を持つ

 保全の必要性を判断するにあたっては、この裁判例にみられるように、しばしば世帯単位での収入を明らかにするように求められます。家族の収入を詳細に明らかにすることに関しては、当該家族のプライバシーとの関係から不適切ではないかという疑問があります。しかし、裁判所は、基本的に、世帯の他の構成員の収入まで全部明らかにすることを求めています。

 また、標準生計費とは、標準的な生活モデルを設定し、その生活に要する費用を算定したものをいいます。人事院が国家公務員の給与勧告を行う際に活用されている資料です。

統計局ホームページ/統計FAQ 16C-Q05 平均的な生活費(標準生計費)

 その家族が生計を維持するために必要な金銭は、個別の事情が大きく作用するはずです。しかし、保全の必要性を判断するにあたっては、個別の事情を捨象した画一的な指標が影響力を持っています。

 余程高給であったり多額の資産が蓄積されてでもいない限り、一方的に賃金を減額されれば家計を直撃することは明らかであり、それをもって保全の必要性が認められても良さそうに思われますが、裁判実務がそうした発想で動いていないことは注意する必要があります。

労災の不支給処分に対する取消訴訟-組合活動の労働時間性

1.心理的負荷による精神障害の認定基準(長時間労働)

 精神障害の発症が労働災害に該当するのか(業務に起因するのか)を判断する基準として、平成23年12月26日 基発1226第1号「心理的負荷による精神障害の認定基準について(最終改正:令和2年8月21日 基発0821第4号)があります(認定基準)。

精神障害の労災補償について|厚生労働省

https://www.mhlw.go.jp/content/000661301.pdf

 認定基準は、業務による強い心理的負荷が認められることを、精神障害を業務上の疾病として取り扱う要件として掲げています。そのうえで、具体的な出来事について、出来事毎の心理的負荷の強度を定めています。

 この具体的な出来事の類型の一つに、長時間の時間外労働があります。

 認定基準は、

1か月に80時間以上の時間外労働が行われた場合

を「中」とし、

発症直前の連続した2か月間に、1月当たりおおむね120時間以上の時間外労働を行い、その業務内容が通常その程度の労働時間を要するものであった場合、

発病直前の連続した3か月間に、1月当たりおおむね100時間以上の時間外労働を行い、その業務内容が通常その程度の労働時間を要するものであった場合、

を「強」としています。

2.自殺の業務起因性

 強い心理的負荷が発生したことにより、精神障害を発症した方が自殺した場合、自殺にも業務起因性が認められます。

 これは、認定基準が、

「業務によりICD-10のF0からF4に分類される精神障害を発病したと認められる者が自殺を図った場合には、精神障害によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、あるいは自殺行為を思いとどまる精神的抑制力が著しく阻害されている状態に陥ったものと推定し、業務起因性を認める。」

と規定しているからです。

3.労使協調主義的な組合活動の労働時間性

 上述のとおり、時間外労働の時間数は、精神障害の発症や、それに引き続く自殺に業務起因性が認められるのか否かの判断に強い影響力を持っています。そのため、労災の不支給処分に対する取消訴訟では、しばしば時間外労働の時間数をめぐって熾烈な争いが繰り広げられます。

 それでは、労使協調主義的な労働組合の組合活動に要していた時間を、労働時間としてカウントすることはできないのでしょうか?

 ひとくちに労働組合といっても、その実体は様々です。その中には、当然、会社と協調する路線をとるものもあります。そして、労使協調型の労働組合に対しては、執行部経験者を昇進の際に有利に取り扱うなど積極的な評価を与えている会社も少なくありません。こうした労働組合で組合活動に従事した時間は、労災との関係において、労働時間にカウントすることができないのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令3.10.14労働判例ジャーナル120-38 国・八王子労基署長事件です。

4.国・八王子労基署長事件

 本件は労災の不支給処分に対する取消訴訟です。

 原告になったのは、自殺した労働者亡Dの父親です。亡Dは、光分析機器の開発・製造・販売事業等を行う会社(本件会社)で働いていた方です。平成11年4月1日に入社し、平成23年には本件会社の従業員で構成される労働組合(本件組合)の書記長を、平成25年9月からは執行委員長を務めていました。

 平成26年、亡Dは気分(感情)障害(本件疾患)を発症し、同年5月21日、橋から投身自殺しました。

 原告の方は、処分行政庁に対し、労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求しました。しかし、処分行政庁は本件疾患の業務起因性を認めず、遺族補償給付及び葬祭料を至急しない処分(本件処分)を行いました。

 これに対し、審査請求、再審査請求を経て、取消訴訟を提起したのが本件です。

 本件では強い心理的負荷が認められるのか否かの判断との関係で、組合活動の労働時間該当性が問題になりました。

 原告は、

「本件組合の組織率は95パーセントを超えており、本件会社の従業員は管理職を除きほぼ全ての従業員が本件組合に加入していた。したがって、本件組合は、ほぼ全ての従業員から労働条件や労働環境についての意見を吸い上げ、これを取りまとめて整理し、本件会社に対して要求をする役目を果たしていた。」

「本件組合は労使協調路線の組合であり、勤務時間中の組合活動であっても従業員の申告に係る純然たる組合内活動以外は労働時間とされ、本件会社はその時間についての賃金を支払う扱いがされていた。労働協約で団体交渉時間は労働時間とすることが明示されているように、組合活動についても少しでも本件会社との関りがあれば労働時間とされ、従業員が賃金を減額されることはなかった。これらの事情は、本件会社にとっても、本件組合の果たす役割が経営上有益であることを示すものである。」

「従業員が勤務時間中に組合活動をする場合には、上司にその旨を告げれば容易に職場を離れることができ、この際には周囲の従業員が支援していた。また、本件組合の執行委員長等の執行部経験者は、昇進において多かれ少なかれ有利に扱われる場合が多かった。」

「以上のとおり、本件組合は、本件会社の人事労務管理を担当する一部署という性質を多分に有していたものであり、本件組合における組合活動の時間は、純然たる私生活の一部ではなく本件会社のための活動の時間として労働時間に当たる。」

と主張し、組合活動の労働時間性を主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、組合活動の労働時間性を否定しました。

(裁判所の判断)

「労働組合は、労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として労働者が組織する団体であり、その構成員である組合員が従事する組合活動も上記目的のための活動である。だからこそ、労組法7条3号は、使用者による支配介入や経費上の援助を不当労働行為として禁止しているものと解される。このように、組合員の組合活動は、労働組合の構成員として労働条件の維持改善等という目的のため、組合員が主体的に取り組む使用者との団体交渉等を含むあらゆる活動であるから、その性質上、労働組合における組合活動が同時に使用者の指揮命令下にあり、職務専念義務を負っている労働時間に当たるということは考え難く、組合活動の時間が労働時間に当たるのは、その実態が、使用者の指揮命令下に置かれ、自主的な労働条件の維持改善等のための組合活動の実質を喪失したような場合に限られ、組合活動の実質を有する労働者の活動時間が同時に使用者の業務に従事した時間として労働時間にも該当するということは想定し難いというべきである。

「原告は、本件組合における組合活動は、本件組合が労使協調路線をとり、ほぼ全ての従業員から労働条件や労働環境についての意見を吸い上げて、取りまとめて本件会社に対して要求をする役目を果たしていたことや、本件会社が同活動に要した時間についての賃金を減額しない便宜を図っており、本件会社が本件組合における組合活動を経営上有益であると認識していることなどの事情に照らし、本件会社のための活動に当たるとして、組合員の組合活動の時間が労働時間に当たる旨主張する。」

「しかしながら、労働組合との団体交渉における意見の交換等を通じて、従業員の意見が使用者に伝わることについて使用者として有益性を感じているとしても、それは労働組合における組合活動がそのように機能するという側面があるにとどまり、そのことをもって、組合員の組合活動の時間が使用者の指揮命令下に行われた労働時間とみることができないことは前判示のとおりである。また、本件会社が団体交渉に要した時間について賃金を減額しない措置を執っていることについても、労組法7条3号ただし書が規定する範囲での便宜として、所定労働時間中に団体交渉を行った時間について賃金を減額しない取扱いをしているものにすぎないとみるのが相当である。

「したがって、亡Dが行っていた本件組合における組合活動の時間が労働時間に当たるということはできず、この点に関する原告の主張は、採用することができない。

(中略)

「上記のとおり、亡Dは、平成26年3月下旬に本件疾患を発症したと認められるところ、前記前提事実及び認定事実によれば、亡Dは、その約6か月前の平成25年9月に本件組合の執行委員長となり、その後、本件組合の執行委員長として、本件会社との団体交渉等の組合活動を行っており、その間の春闘では、ベースアップについて本件会社から厳しい回答を受けていた。そして、亡Dは、本件疾患の発症後に自傷行為を行ったことを受けて行われた産業医との面談においても、本件組合の執行委員長に就任したことを後悔し、春闘における本件会社の厳しい対応により本件組合内で辛い思いをしたなどと述べていた。」

「このように現に亡Dが本件組合の執行委員長として組合活動を行っていたことについて精神的負荷を感じていたことを述べていた以上、認定基準別表2に適切な出来事は例示されていないものの、本件組合の執行委員長として組合活動を行っていたことによる亡Dの精神的負荷は、一定程度強いものであったと認めるのが相当である。

5.基本的には否定される

 本件の認定からすると、やや酷であるようにも思われますが、若干の例外を除き、組合活動の労働時間性が基本的に否定されてしまうことには、留意しておく必要がありそうです。