弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

差別と合理性-合理性のある差別も許されない?

1.差別と合理性の関係

 障害者基本法4条は、

「何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない。」

と規定しています。

 それでは、ここで規定されている「差別」という言葉は、具体的に何を意味しているのでしょうか。

 昨日ご紹介した高松高判令2.3.11労働判例ジャーナル99-24 高知県事件は、この問題でも示唆に富んだ判示をしています。

2.高知県事件

 本件は職業訓練の受講を申し込み、その選考を受験した方が、広汎性発達障害を理由として不合格処分を受けたとして、国に対して損害賠償等を請求した事件です。

 本件では不合格処分が障害者差別なのではないかが問題になりました。

 この論点の判断の中で、裁判所は、障害者基本法上の差別について、次のような解釈を示しました。

(裁判所の判断)

「障害者基本法は、障害者に対して、障害を理由として差別することを禁止しており(平成16年改正法3条3項)、障害に基づくあらゆる差別を禁止する旨の障害者権利条約も平成26年2月には国内的効力を発していること等に鑑みれば、本件不合格の当時、障害者に対する障害を理由とする差別の禁止は、国家賠償法上の違法性を基礎付けるだけの規範的意義を有していたものと解するべきである。」
「そして、上記障害者基本法の文理等からすれば、ここにいう『差別』については、不利益取扱い一般を指すものと解され、また、障害を『理由として』の行為かどうかについては、少なくとも、障害ないしこれに随伴する症状、特性等が存在せず、又は不利益取扱いの行為者がこれらを認識していなかったとすれば、不利益な取扱いが行われていなかったであろうという関係が認められる場合には、これに当たるものと解するのが相当である。」
「もっとも、障害そのものや障害特性等を理由とする不利益取扱いの場合であっても、例えば、視覚障害者について、視力が不足することにより、自動車運転免許の付与を拒絶する場合のように、これが合理的なものであれば、国家賠償法上違法とはいえないから、障害を理由とする不利益取扱いが国家賠償法上違法といえるためには、これが不合理なものであることを要するというべきである。」

3.差別=不利益取扱い一般か?

 差別禁止と言われる時の「差別」には、伝統的に「合理性」という概念が取り入れられてきました。

 例えば、最大判昭39.5.27民集18-4-676は、憲法14条1項(法の下の平等)等の解釈について、

「国民に対し絶対的な平等を保障したものではなく、差別すべき合理的な理由なくして差別することを禁止している趣旨と解すべきであるから、事柄の性質に即応して合理的と認められる差別的取扱をすることは、なんら・・・法条の否定するところではない。」

との解釈を示しています。

 要するに、法が禁止しているのは、差別一般ではなく、合理的な理由のない差別だという趣旨です。

 高知県事件で高松高裁が示した判断で興味深いのは、障害者基本法が禁止している「差別」概念について「合理性」という要素を捨象している点です。高松高裁は「差別」とは「不利益取扱い一般」であるとし、合理性は国家賠償法上の違法性判断のレベルで問題になるにすぎないものとして整理しています。

 これのどこが興味深いのかというと差止請求訴訟への応用が考えられる点です。

 従来の合理性の内在化した「差別」概念に従えば、障害者基本法4条に基づいて差別行為の差止を請求する時(障害者基本法4条が差止請求の根拠規範になるのかという議論はありますが)、対象行為が「合理性のない差別」であることまで立証する必要があることになります。

 しかし、差別概念から合理性という要素が切り離されると、それが合理性を有するかどうかを問わず、不利益取扱い一般の存在の立証をもって、禁止対象となっている差別が行われたことを立証したと認めてもらえる可能性が生じます。

 こうした理解に立つと、差別かどうかを画するのは、不利益取扱いの程度となってくるのではないかと思います。このような考え方は、不利益の程度が著しい場面においては、合理性によっても差別を正当化することが許容されないという議論へと発展する可能性を持っています。これは「合理性がある差別は許される」という従来の議論から、より人権保障的な方向へと一歩枠を踏み出す考え方です。

 高知県事件の高松高裁の考え方は、差別の概念の変容の契機となる可能性を持っている点でも注目に値します。

 

発達障害を理由とする不合格処分が違法とされた例-国家賠償法と障害法制(〇〇基本法)との関係性

1.国家賠償請求訴訟における違法性要件と根拠規範の範囲

 国家賠償法1条1項は、

「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。」

と規定しています。

 この違法性要件の理解は極めて難解なのですが、

「最高裁判所の判例の趨勢は、国賠法上の違法性について、違法性相対説・職務行為基準説に立っている」

と理解されています(宇賀克也ほか編著『条解国家賠償法』〔弘文堂、初版、平31〕118頁参照)。

 一般の方は、違法性相対説、職務行為基準説と言われても何のことか分からないと思います。

 違法性相対説とは行政処分の「違法性」と国家賠償法上の「違法性」とは意味内容が異なるとする見解です。職務行為基準説とは、ごく簡単に言えば、国家賠償法上の違法性を公務員の職務上の注意義務に違反として把握する考え方を言います。

 この考え方を前提にすると、処分要件を満たさない行政処分が行われたことが立証できたとしても、それが公務員の職務上の注意義務違反に起因するものでない場合、国家賠償請求は棄却されることになります。

 つまり、国家賠償請求訴訟で勝ち切るためには、

① 行政に何等かの法令違反が観念できること、

② 当該法令違反が公務員としての職務上の注意義務違反に起因していること、

の二つの立証命題をクリアする必要があります。

 私の感覚ではあまり活発に議論されているという認識はないのですが、この「法令違反」を導くための根拠法令をどこまで読み込むことができるのかという問題があります。処分の根拠法令に限定されるのか、それとも、処分の根拠法令を離れた法令まで含まれるのか、含まれるとしてそれをどこまで拡張できるのかという問題です。

 この問題を理解するうえで、興味深い裁判例が近時公刊された判例集に掲載されていました。高松高判令2.3.11労働判例ジャーナル99-24 高知県事件です。

2.高知県事件

 本件は職業訓練の受講を申し込み、その選考を受験した方が、広汎性発達障害を理由として不合格処分を受けたとして、国に対して損害賠償等を請求した事件です。

 選考は筆記試験(100点満点)と面接試験(100点満点)で構成されていて、原告を入れて14名が受験しました。

 原告の方の筆記試験の成績は94点・3位でしたが、面接試験の結果は12点・14位でした。総合順位は8位であったものの、面接試験の「安全に実技を行うことができる健康状態であり、訓練を受講・修了することに支障がない」との項目がゼロ評価されたため、選考結果の最下位に位置付けられました。

 その後、不合格理由の文書開示請求などを経て、こうした事情を認識した原告から、障害者差別ではないかという問題提起がされたという流れになります。

 職業訓練は職業能力開発法4条2項を根拠とする事業です。

 職業能力開発法4条2項は、

国及び都道府県は、事業主その他の関係者の自主的な努力を尊重しつつ、その実情に応じて必要な援助等を行うことにより事業主その他の関係者の行う職業訓練及び職業能力検定の振興並びにこれらの内容の充実並びに労働者が自ら職業に関する教育訓練又は職業能力検定を受ける機会を確保するために事業主の行う援助その他労働者が職業生活設計に即して自発的な職業能力の開発及び向上を図ることを容易にするために事業主の講ずる措置等の奨励に努めるとともに、職業を転換しようとする労働者その他職業能力の開発及び向上について特に援助を必要とする者に対する職業訓練の実施、事業主、事業主の団体等により行われる職業訓練の状況等にかんがみ必要とされる職業訓練の実施、労働者が職業生活設計に即して自発的な職業能力の開発及び向上を図ることを容易にするための援助、技能検定の円滑な実施等に努めなければならない。

と規定しています。

 この規定には職業訓練にあたり障害者を差別したらダメだということは書かれていないわけですが、原告は、障害法制(憲法、障害者権利条約、障害者基本法、障害者差別解消法)との関係で差別禁止は規範となっていたといえるのだから、これに反する評価・決定は国家賠償法上違法になると主張しました。

 本件ではこうした立論の当否が問題になりました。

 裁判所は、障害法制と国家賠償法上の違法性要件との関係について、次のとおり判示しました。

(裁判所の判断)

障害者基本法は、障害者に対して、障害を理由として差別することを禁止しており(平成16年改正法3条3項)、障害に基づくあらゆる差別を禁止する旨の障害者権利条約も平成26年2月には国内的効力を発していること等に鑑みれば、本件不合格の当時、障害者に対する障害を理由とする差別の禁止は、国家賠償法上の違法性を基礎付けるだけの規範的意義を有していたものと解するべきである。
「そして、上記障害者基本法の文理等からすれば、ここにいう『差別』については、不利益取扱い一般を指すものと解され、また、障害を『理由として』の行為かどうかについては、少なくとも、障害ないしこれに随伴する症状、特性等が存在せず、又は不利益取扱いの行為者がこれらを認識していなかったとすれば、不利益な取扱いが行われていなかったであろうという関係が認められる場合には、これに当たるものと解するのが相当である。
「もっとも、障害そのものや障害特性等を理由とする不利益取扱いの場合であっても、例えば、視覚障害者について、視力が不足することにより、自動車運転免許の付与を拒絶する場合のように、これが合理的なものであれば、国家賠償法上違法とはいえないから、障害を理由とする不利益取扱いが国家賠償法上違法といえるためには、これが不合理なものであることを要するというべきである。

3.職務行為が「〇〇基本法」により拘束される

 裁判所は国家賠償法上の違法性判断にあたり、障害法制が規範的意義を有していることを正面から認めました。結論としても、不合格処分に違法性を認め、国に対して慰謝料の支払いを命じています。

 これは非常に画期的なことだと思います。今回問題になったのは、障害法制ですが、本邦にはたくさんの「〇〇基本法」が存在します。こうした基本法上の価値が国家賠償請求事件における違法性判断に影響を与えるとすると、国家賠償請求訴訟における違法性を論証するためのツールが、かなりの広がりを持つことになります。そのような意味において、本件は、各種基本法で否定されている「〇〇差別」に苦しんでいる人が、問題提起を行っていくことを、力強く後押しする裁判例として位置付けられます。

 この裁判例は、障害を「理由として」いるのかどうかの認定手法、障害を理由とする不利益取扱いの合理性判断の手法でも示唆に富んだ判示をしています。これらの判示事項は、また別の日に紹介したいと思います。

 

賃金減額への同意-メールの「了解です。」くらいなら覆せる可能性あり

1.賃金減額の同意

 合意は、錯誤、詐欺、強迫といった問題がない限り、取り消すことができなのが原則です。

 しかし、労働法の幾つかの領域においては、こうした原則的な意思表示理論が修正されています。賃金減額への同意も、そうした意思表示理論が修正されている場面の一つです。

 具体的に言うと、山梨県民信用組合事件(最二小判平28.2.19民集70-2-123)において、

就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である(最高裁昭和44年(オ)第1073号同48年1月19日第二小法廷判決・民集27巻1号27頁、最高裁昭和63年(オ)第4号平成2年11月26日第二小法廷判決・民集44巻8号1085頁等参照)」

というルールが設定されています。

 分かりやすく言うと、賃金減額の同意は、錯誤、詐欺、強迫といった問題がなかったとしても「自由な意思に基づいてなされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在」しない場合には、その効力を否定することできるということです。

 この「自由な意思」の認定にあたっては、合意後にどのような行動をとったのかが意味を持ってくることがあります。昨日、ご紹介させて頂いた、東京地判令2.1.29労働判例ジャーナル99-34 岡部保全事件は、合意後の行動が「自由な意思」の認定に影響を与えることを実証する事例としても価値のある裁判例です。

2.岡部保全事件

 本件は親族経営の合名会社において、原告の基本給を、

月額309万円 から 月額107万4434円

に減額することの可否が問題になった事案です。

 賃金減額の後、上記合名会社は、原告を辞職した扱いとしたため、原告から地位確認や未払賃金の支払いを求める訴訟を提起されました。

 賃金減額の可否は、そうした訴訟での争点の一つです。

 賃金の減額措置について、被告会社は同意があるから減額措置は有効だと主張しました。その根拠になったのは、原告のメールです。

 被告代表者は、平成29年10月12日の定例ミーティングにおいて、原告の給料を減額することを告げました。

 翌日、被告従業員dが

「副社長のお給料は10月分より、社長の職務給の半額に当たる107万4434円」

等のメールを出したところ、原告から

「了解です。では、管理物件の移行も直ぐに進めます。」

といったメールが返ってきました。被告会社は、この「了解です。」が賃金減額への同意だと主張しました。

 これに対し、原告は「了解です」とのメールは被告代表者の性格を考慮し、直ちに強く抗議するのではなく一度間をおいて改めて抗議して再考を促そうと考えて送信したものであり賃金減額の承諾ではない、実際にも、その後、被告代表者に減額を考え直すように抗議していると反論しました。

 裁判所は、次のとおり判示して、「了解です」のメールに賃金減額の同意としての効力を認めませんでした。

(裁判所の判断)

「被告が原告に支払っていた金銭は賃金に当たるところ、賃金の減額に対する労働者の同意は、形式的に存在するのみでは足りず、自由な意思に基づいてされたものであることを要するというべきである。本件は、被告代表者と原告との間に親族関係がある点で、通常の労働者、使用者との関係と全く同様とはいえないが、賃金の減額に対する同意の有無を慎重に判断する必要がある点は異ならないと解すべきである。」
「前記認定事実のとおり、原告は、本件減額の告知を受けた翌日の平成29年10月13日、賃金額を説明するdのメールに対し、『了解です』との返信をしたものの、その後、同月25日及び26日には、本件減額を認めていない旨のメールをd宛に送信し、同月30日には、被告代表者の執務室へ赴いて本件減額について考え直してほしい旨を直接告げ、同年12月には、原告代理人に依頼して、賃金の差額を請求する旨を通知した。『了解です』との言葉の意味は、内容を承諾した旨とも内容を理解した旨とも解釈可能であり、原告が、『了解です』とのメールを送信したのは、被告代表者に話をするには時間を置いた方がよいと考えたためであると説明していることに加え、同メール送信後ほどなく、減額告知後の最初の給与支給日までには、被告による本件減額に対して明示的な拒否の意思を伝えていることからすると、原告が、被告に対して、本件減額に同意する意思を表明したということはできない。

3.注目するポイント

 本件は幾つかの注目すべき判示を含んでいます。

 一つは、賃金であれば就業規則に定められたものではなかったとしても、その変更の同意に「自由な意思」を要するとしたことです。

 山梨県民信用組合事件は「自由な意思」が必要とされる対象を「就業規則に定められた賃金・・・の変更」と記述していました。

 昨日の記事でもご紹介させて頂いたとおり、被告の賃金規定では、基本給の上限額が100号俸・34万8000円と設定されていました。

 これを超える部分には必ずしも就業規則上の根拠がありませんでしたが、裁判所は、賃金である以上「被告代表者と原告との間に親族関係がある点で、通常の労働者、使用者との関係と全く同様とはいえないが、賃金の減額に対する同意の有無を慎重に判断する必要がある点は異ならない」と、山梨県民信用組合事件と同様の枠組みのもとで減額同意の認定を行うことを明らかにしました。

 これは親族経営の会社における賃金減額の可否を議論するにあたり、活用できる可能性のある判示事項です。

 もう一つは、「了解です」後の一連の抗議活動を重視して、同意の事実を認定しなかったことです。

 合意は締結後・成立後に文句を言っても、後の祭りにしかならないのが原則です。しかし、賃金減額のような「自由な意思」が必要とされる局面においては、まだ熱い内に抗議活動を行っておくことが事実認定上有意な意味を持つことがあります。本件はこうした労働事件における事実認定の特徴を実証する裁判例としても意味があります。

4.賃金減額に不本意な同意をしてしまったら、すぐに慣れた弁護士に相談を

 何が重要かというと、賃金減額の同意の効力を争うような場面では、どの弁護士に相談するかによって結果が変わってくる可能性があるということです。

 上述のとおり、事後的に抗議活動を展開することによって、合意の効力に影響が生じるというのは労働法領域独特の考え方です。労働法的な考え方に慣れていない弁護士だと「了解する前に来てくれればよかったのに。」という形で流されてしまう可能性があると思います。

 しかし、岡部保全事件で裁判所が示したとおり、労働法の領域では事後的な抗議活動が訴訟での事実認定に有利に響いてくることがあるのです。そして、抗議活動の効力は、不本意な了解から時間的に近接していればいるほど効力を持ちます。岡部保全事件のような事案で労働者側から相談を受けた弁護士の対応としては「直ちに了解していない意思を鮮明にしましょう。」というのが正解です。

 賃金減額の同意の効力が争われる場面は、担当弁護士によって結論に差が生じることがあり得る事件類型です。

 本稿が適切な弁護士を選ぶための一助になれば幸いです。

親族経営の会社における給与の意義-賃金か恩恵的給付か?

1.親族経営の会社で親族従業員に支払われる給与の意義

 親族経営の会社においては、親族である従業員に対し、給与の名目で極めて高額の金銭が支給されていることがあります。非親族である従業員の給与額との間に、顕著な差が生じていることも珍しくありません。

 こうした場面で支給されている金銭は、労務の対償としての「賃金」(労働基準法11条)に該当するのでしょうか。それとも、親族であるが故に支給されている恩恵的な給付なのでしょうか。

 この問題は会社で内紛が生じ、特定の従業員の給与額が極端に減らされたときに顕在化します。賃金であるとすれば、原則として一方的に減額することは認められませんが、恩恵的な給付であるとすると、それほど強い法的保護を与える必要はないのではないかという議論の余地が生じます。

 この高額給与の法的性質の理解が問題になった事案が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令2.1.29労働判例ジャーナル99-34 岡部保全事件です。

2.岡部保全事件

 本件で被告になったのは、不動産の管理等を事業目的とする合名会社です。

 原告になったのは、被告代表者の二女の夫です。社員(合名会社に対し持分と業務執行権を持っている立場の人です)ではない形で被告会社で勤務していたと認定されています。

 平成29年9月当時、被告会社から原告には、基本給名目で月額309万円、扶養手当名目で月額1万円が支払われていました。

 しかし、被告の時期代表者を長女cとすることを決めた被告代表者は、平成29年10月12日の定例ミーティングにおいて、原告に給料の減額を告げました。

 これにより、原告に支給される基本給は、月額309万円から月額107万4434円に減額されました。原告が不服を表明したところ、被告会社への反逆行為として辞職扱いとされ、給与全額が支給されなくなり、地位確認や未払賃金を求める訴えが提起されたという経過が辿られています。

 原告からの賃金支払の請求に対し、被告会社は原告への支給金額のうち労務の対償としての部分はわずかであり、就業規則及び給与規定の上限額(34万8000円)を超える部分は親族関係に基づく単なる任意的恩恵的給付だと反論しました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、被告の主張を排斥し、原告に支払われていた金銭は賃金だと判示しました。

(裁判所の判断)

「被告は、原告へ支給してきた金銭は、賃金ではなく、任意的恩恵的給付や福利厚生給付であると主張し、雇用契約の存在をも否定するような主張をしている。確かに、被告が原告に支払っていた給与の額は、平成29年9月時点で基本給として月額309万円であり、被告の給与規定の定める上限や世間一般の感覚を優に超える金額である。
しかし、特に、小規模な会社においては、後継者と目される親族関係のある従業員に対し、通常の従業員の給与額と比較して相当高額の金員を給与名目で支払うことはまま見られるところ、高額であることのみをもって給与としての性質を喪失するものとは解されず、会社の規模、売上等、経営者に対して支払われる報酬額、当該親族従業員の労務提供の実質、これによる会社の売上に対する貢献等を考慮して、支払われていた金銭が、賃金であるのか、賃金以外の給付も含まれるのかを決すべきである。
本件においては、被告は、社員及び従業員がそれぞれ4名ずつの小規模な合名会社であり、前記認定事実のとおり、被告の業績は拡大し、原告の給与や他の従業員の給与も増額されていったこと、被告代表者には、平成29年9月当時、月額589万円が支払われていたこと、被告は、原告に対し、入社当時から、給与規定(ただし、規定の施行は原告の入社後である。)の定める上限を超える月額35万円の給与を支給し、原告は、不動産業に精通するため、資格や学位を取得し、人脈を広げる努力をした上、被告において不動産業者や銀行との打合せや交渉を担ってきた事実を踏まえると、被告の規模の会社で、親族であり、副社長と呼ばれて様々な業務を行っていた原告に対し、月額309万円の基本給が給与として支払われていたとしても不合理ではなく、加えて、被告が、原告に支払った給与から雇用保険料を控除し、給与であることを前提に税務申告も行ってきたことを考慮すると、原告と被告との間には雇用契約が存在し、被告が原告に支払っていた金銭の性質は、賃金であると認めるのが相当である。
「被告は、給与規定における100号俸の基本給である34万8000円を超える部分は、賃金ではないと主張しているが、当該主張及び原告の入社時の賃金が月額35万円であったことを前提とすると、他の従業員は被告の利益拡大に応じて賃金の増額が行われたのに、原告の賃金は、入社以降変わらず月額34万8000円で、原告のみが賃金を増額されなかったこととなって不合理である。また、被告は、原告が新興商事の代表取締役のほか、数社の会社の代表取締役にも就任しており、通常許されるはずのない掛け持ち勤務や掛け持ち経営を行っていることから、原告と被告との間の契約は労働契約ではなく、支給されていた金銭は賃金ではないとの趣旨の主張もしているが、前記認定事実のとおり、原告は、10年以上も新興商事の取締役と被告での業務を兼務しており、被告は、原告が新興商事株式会社の代表取締役に就任して以降も、減額はしたものの原告に給与を支払い続けていたのであるから、他社の経営との兼務は被告から黙認されていたというべきであって、被告から原告に支払われていた金銭の賃金該当性を否定する理由とはならない。原告がβにマンションを購入した時期と原告の給与が月額166万3750円から月額274万6500円に増額された時期が一致又は近接していることは、原告に支払われた金銭の中に被告代表者からの生活扶助の趣旨の金銭が含まれているとの被告の主張を裏付けるものとも思われるが、平成27年1月期の被告の税引後利益は、前年度と比較して約6億数千万円も増大しており、原告が入社して以降最大の伸び幅であることを踏まえると、利益の拡大に伴う昇給と考えて矛盾はないというべきである。」

3.給与名目で支給されていれば安心できるわけではないのであろう

 裁判所は、給与名目なのだからと形式的に判断することなく、

「会社の規模、売上等、経営者に対して支払われる報酬額、当該親族従業員の労務提供の実質、これによる会社の売上に対する貢献等を考慮して、支払われていた金銭が、賃金であるのか、賃金以外の給付も含まれるのかを決すべきである。」

との一般論を展開し、そこから原告に支給されていた給与が賃金なのかどうかを実質的に判断して行きました。

 賃金かどうかは実質的に判断されます。名ばかりフリーランスに支払われている業務委託料などのお金を賃金だと主張する場面に比し、賃金名目で支給されているお金が賃金ではないと主張される場面は、それほど多く目にするわけではありません。しかし、判断が実質的に行われる以上、そのような主張が使用者側からなされても、理論的にはおかしくないことになります。

 他の非親族従業員よりも著しく高額の給与をもらってきた場合、給与を一気に減額された時に、それを通常の賃金減額の判断枠組でのみ理解して甘い見通しを立てると、痛い目を見る可能性があります。

 こうした場合、労務の対償としての性格を緻密に論証することが必要になるため、やはり単純な賃金減額事案なのだからと安易には考えず、きちんと弁護士等の専門家に対処を相談した方が良いのだろうと思います。

 

不更新条項付きの有期労働契約の雇止めが否定された例-契約書を交わした後でも不服を表明することは大事

1.不更新条項の問題

 有期労働契約において、契約期間満了に際し、使用者から次期の契約更新を拒絶することを、一般に「雇止め」といいます(第二東京弁護士会 労働問題検討委員会『2018年 労働事件ハンドブック』〔労働開発研究会、第1版、平30〕384頁参照)。

 使用者は雇止めを自由にすることができるかと言えば、そういうわけではありません。労働契約法19条は、有期労働契約の更新が反復されていて期間の定めのない契約と同視できるようになっている場合や(1号類型)、契約更新に向けた合理的期待がある場合(2号類型)において、雇止めをするにあたっては、客観的合理的理由・社会通念上の相当性が必要になると規定しています。

 こうしたルールをかいくぐるためのテクニックとして、会社側が「不更新条項」という方法を用いてくることがあります。

 不更新条項というのは、平たく言うと、

「契約を結ぶのは、今回が最後だ。」

「今回更新を行う条件として、次回更新がないことを了解した。」

といった内容の契約条項を言います。

 不更新条項付きの労働契約書を交わした後、会社は、大意、

不更新条項付きの労働契約書にサインしているのだから、次回更新時には契約が更新されることへの期待はなくなっているはずである、

よって本件は2号類型には該当せず、期間の満了とともに労働契約は終了になる、

という主張を展開してきます。

 1号類型は適用のハードルが高くて、それほど簡単には認められないため、会社側としては、2号類型をいかにコントロール下に置くのかが課題となるのです。

 しかし、こうした手法で雇止めを合法化することは認められるのでしょうか。

 有期契約の労働者の中には、目先の生活を確保するため、不本意ながらも不更新条項にサインしてしまう人が少なからずいます。

 不更新条項付きの有期労働契約書にサインしてしまった場合、その契約が終わってしまったら、もう雇止めの効力を争うことができなくなってしまうのでしょうか?

 この問題についての裁判例は安定していません。佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務』〔青林書院、初版平29〕293頁以下で比較的相殺な検討が加えられていますが、裁判例は否定例と肯定例に分かれています。契約更新時に不更新条項が設けられた場合、

労働者の自由意思に基づいた意思表示といえるのかを慎重に認定する必要があること

不更新条項があるからといって、それが直ちに結論に直結するわけではないこと、

までは一般に承認されていても、そこから先、不更新条項の雇止めの可否を判断するにあたっての要素としての位置づけや、それがどこまで決定的な事情となるのかは、非常に分かりにくくなっています。

 そのため、不更新条項付きの労働契約書にサインしてしまった方が雇止めの相談に来られた場合、正確な見通しを立てることは極めて困難です。

 個人的な実務経験の範囲内でも、

「肯定例と否定例とが分かれていて、これといった法則性も見出しがたいため、どうなるのかは事件化してみなければ分かりませんが、やりますか?」

といった回答になることが多いように感じています。

 前振りが長くなりましたが、こうした議論状況のもと、近時公刊された判例集に、不更新条項付きの労働契約書を交わしながらも、雇止めの効力を否定した裁判例が掲載されていました。福岡地判令2.3.17労働判例ジャーナル99-22 博報堂事件 です。

2.博報堂事件

 本件で原告になったのは、1年ごとの有期雇用契約を29回に渡って更新してきた方です。

 しかし、通算契約期間が5年を超える場合に無期転換権が生じるという、いわゆる無期転換ルール(労働契約法18条)の導入とともに、これを免れるため、被告会社は雇用契約書に、

「2018年3月31日3月31日以降は契約を更新しない」

旨の条項を盛り込むようになりました。

 そのため、原告との間で平成25年4月1日以降に交わされた契約書には全て不更新条項が挿入され、平成29年4月1日付けの契約書にも、

「本契約の期間は、2017年4月1日から2018年3月31日までとし、本契約期間以降は契約を更新しない。」

との条項が入れられました。

 この約定に従って、2018年(平成30年)3月31日をもって雇用期間が満了したのだというのが被告会社の理屈です。

 これに対し、原告の方は、大意、

無期転換逃れの不更新条項なんか公序良俗に反するものとして無効だ、

不更新条項付きの契約書に署名押印しなければ雇用契約が更新されないのであるから、自由な意思に基づく有効な同意として評価することはできない、

という議論を展開しました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、不更新条項の効力を否定しました。結論としても、雇止めの効力を否定し、地位確認請求を認容しています。

(裁判所の判断)

「確かに、原告は、平成25年から、平成30年3月31日以降に契約を更新しない旨が記載された雇用契約書に署名押印をし、最終更新時の平成29年4月1日時点でも、同様の記載がある雇用契約書に署名押印しているのであり、そのような記載の意味内容についても十分知悉していたものと考えられる。」
「ところで、約30年にわたり本件雇用契約を更新してきた原告にとって、被告との有期雇用契約を終了させることは、その生活面のみならず、社会的な立場等にも大きな変化をもたらすものであり、その負担も少なくないものと考えられるから、原告と被告との間で本件雇用契約を終了させる合意を認定するには慎重を期す必要があり、これを肯定するには、原告の明確な意思が認められなければならないものというべきである。
しかるに、不更新条項が記載された雇用契約書への署名押印を拒否することは、原告にとって、本件雇用契約が更新できないことを意味するのであるから、このような条項のある雇用契約書に署名押印をしていたからといって、直ちに、原告が雇用契約を終了させる旨の明確な意思を表明したものとみることは相当ではない。」
また、平成29年5月17日に転職支援会社であるキャプコに氏名等の登録をした事実は認められるものの、平成30年3月31日をもって雇止めになるという不安から、やむなく登録をしたとも考えられるところであり、このような事情があるからといって、本件雇用契約を終了させる旨の原告の意思が明らかであったとまでいうことはできない。むしろ、原告は、平成29年5月にはεに対して雇止めは困ると述べ、同年6月には福岡労働局へ相談して、被告に対して契約が更新されないことの理由書を求めた上、被告の社長に対して雇用継続を求める手紙を送付するなどの行動をとっており、これらは、原告が労働契約の終了に同意したことと相反する事情であるということができる。
「そして、他に、被告の上記主張を裏付けるに足る的確な証拠はない。」
以上からすれば、本件雇用契約が合意によって終了したものと認めることはできず、平成25年の契約書から5年間継続して記載された平成30年3月31日以降は更新しない旨の記載は、雇止めの予告とみるべきであるから、被告は、契約期間満了日である平成30年3月31日に原告を雇止めしたものというべきである。」

3.事後の不服の表明が事実認定に影響を与えることがある

 不更新条項の法的な理解の仕方は錯綜していて、

① 合意解約に類似したものと考える立場、

② 更新に対する合理的期待の放棄と捉える立場、

③ 雇止めの合理性・相当性審査の評価障害事実として捉える立場、

などに整理されます(前掲『類型別 労働関係訴訟の実務』295頁)。

 本件は不更新条項を①の類型の問題として捉えた裁判例だと位置づけられます。

 私が本件で特に興味を覚えたのは、「明確な意思」とうい文言もさることながら(自由な意思と何か違うのか)、契約締結後に雇止めは困るとして、労働局に相談したり、雇用継続を求める手紙を送ったりしていることが、「明確な意思」があったという認定を妨げる事情として考慮されている部分です。

 合意の内容を法的に解釈するうえで重要になるのは、基本的には合意締結・成立の前までの事情になります。事後的に合意の内容を都合よく変えることができたのでは、約束としての意味がないからです。後で都合が悪くなって文句を言っても、それは合意内容の解釈には影響を与えないのが原則です。

 しかし、労働法関係の裁判例を分析していると、事後的な不服の表明が合意当時の意思の認定に影響している例を、少なからず目にすることがあります。本件も労働者の事後的な行動が裁判所の事実認定を後押しした形になっています。

 労働事件は、契約書を取り交わしてしまったら終わり、というものではありません。不味い契約を交わしたと思っても、そこで諦めず、弁護士のもとに相談に行くことが大切です。事後的にでも不服を表明し、争った形跡を残すことが、後の紛争において勝率を高めることに繋がるからです。本件は、そうした早期相談の重要性を実証する事案としても位置付けられます。

 見通しを語ることが難しい事件類型であることは確かですが、お困りの方は、ぜひ一度ご相談頂ければと思います。

 

ハラスメントを継続的不法行為として構成する時のポイントは主観面?

1.ハラスメントを理由とする損害賠償請求

 ハラスメントを理由として損害賠償を請求する時、

単発の不法行為がたくさんあるものとして構成する方法

と、

一個の継続的不法行為として構成する方法

があります。

 例えば、不法行為を構成するA事実、B事実、C事実があるとして、

A事実に基づいて慰謝料α円が発生する、B事実に基づいて慰謝料β円が発生する、C事実に基づいて慰謝料γ円が発生する、よって、α円+β円+γ円を払え

というのが前者の構成で、

A事実、B事実、C事実は、一個の継続した不法行為である、この継続した不法行為を理由として慰謝料をδ円払え

というのが後者の継続的不法行為構成です。

 この二つの法律構成のうち、どちらが有利なのかに関する実証研究は見たことがありません。ただ、継続的不法行為として構成した場合、最後の事実から消滅時効が進行すると理解できる可能性があります(なお、これは飽くまでも「可能性」です。時折、誤解と思われる記事が散見されますが、継続的不法行為であれば即ち最後の事実から消滅時効が進行するというわけではありません。例えば、土地の不法占有のようなケースでは、日々新しい不法行為に基づく損害として各損害を知った時から別個に別個に事項が進行するものと理解されています。継続的不法行為の場合、「損害及び加害者を知った時」(民法724条)の時点が個別事案に応じて慎重に検討されるというだけです(我妻榮ほか『我妻・有泉コンメンタール民法 総則・物権・債権』〔日本評論社、第6版、令元〕1565頁参照)。その結果として、最後の不法行為の時点から消滅時効が起算されることがあるというのが正確な理解だと思います。)。

 そうしたこともり、特にハラスメントが長期間に渡る場合には、慰謝料の考慮要素とされる事実をより古くまで遡れるため、継続的不法行為として構成する例が実務的には多いのではないかと思います。

 しかし、原告側で継続的不法行為の構成で訴訟提起したとしても、判決になると、裁判所が勝手に、A事実ではα円、B事実ではβ円、C事実ではγ円といったように、各不法行為・ハラスメントを分解して損害論を組み立てることがあります。

 裁判所が、継続的不法行為をそのまま一個の不法行為として扱う場合と、勝手に分解してしまう場合とで、何か法則性・規則性がないのか、ずっと気になっていたところ、近時の判例集に、一つの示唆を与えてくれる裁判例が掲載されていました。那覇地判令元.12.24労働判例ジャーナル98-28 国立大学法人琉球大学事件です。

2.国立大学法人琉球大学事件

 これは琉球大学大学院医学研究科の講師が原告となって、研究科の教授P2及びP3から違法な退職勧奨を含むパワーハラスメントを受け、精神的苦痛を被ったとして、大学及びP2、P3に対して慰謝料を請求する訴えを起こした事件です。

 本件は、平成28年にP2、P3個人に対する訴えが先行して提起され(第1事件)、その後、平成29年に大学が被告として追加される(第2事件)という変則的な経過が辿られています。

 原告がパワーハラスメント行為として挙示した事実のうち、最も古いものは平成26年1月10日のものでした。しかし、被告大学に対する訴訟提起が平成29年12月8日であったことから、被告大学との関係では、一部事実に基づく損害賠償請求権が消滅時効(3年)にかかっているのではないのかが問題になりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、被告大学の消滅時効に係る主張を排斥しました。

(裁判所の判断)

「被告大学は、被告個人らによるハラスメント行為が日時・場所を異にする別個の不法行為であることを前提に、平成26年12月7日以前に行われた行為に基づく損害賠償債務について消滅時効を援用するが、・・・原告に対するハラスメント行為は、被告P2の原告を退職に誘導しようとする同一の意思に基づく一連の行為であるということができ、その終了時まで消滅時効期間が進行を開始することはないというべきであるから、被告大学に対する第2事件の訴え提起の日である平成29年12月8日の時点において、不法行為の終了の日から3年が経過していたと認めることはできず、被告大学の消滅時効の主張には理由がない。」

3.主観面がポイントになるのか?

 国立大学法人琉球大学事件の裁判所は、

「退職に誘導しようとする同一の意思に基づく一連の行為」

であることを、消滅時効期間の起算点が一連の行為の終了時になるとする根拠として指摘しました。

 行為の一連性を主張しても勝手に分解されてしまうケースは結構あるため、個人的には、ポイントになったのは主観面なのかという印象を持っています。

 主観的要件を主張、立証したからといって、直ちに継続的不法行為として構成した主張が分解されなくなるわけではないと思いますが、分解されにくくするための一つの工夫として、主観的な意図を強調することは、考えられてもよいのだろうと思います。

 

名誉毀損で提訴された漫画家の方のヘッダー変更の件で思うこと

1.名誉毀損で提訴された漫画家の方に関する報道

 ネット上に、

「伊藤詩織さんが提訴の漫画家、ツイッターでは自らへの『誹謗中傷』訴える ヘッダーは問題の画像」

という記事が掲載されています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/cd133e12c421ccaed49d4fcc3d543c0071f96b29

 記事には、

「今回の提訴では、伊藤さんが前日の8日に記者会見して、・・・」

(中略)

「伊藤さんが顔や名前を明かし、元TBS記者の山口敬之さんからの性行為強要を訴えた直後からになる。伊藤さんの名前に似た『山ロ(ヤマロ)沙織』を主人公にして、大物記者と寝る『枕営業』をしたと描写したり、伊藤さんの著書『BLACK BOX』に似た名前の『CLAP BOX』を『デッチあげ』だとしたりしていた。」

「投稿は、伊藤さんが山口さんに1審で勝訴した19年12月まで続いた。」

「伊藤さんは、勝訴したときの会見で、はすみさんらについても法的措置を考えていることを明かした。これに対し、はすみさんは、イラストなどの風刺画は伊藤さんとは無関係なフィクションだとし、作品を削除しないと明言した。

「伊藤さんは、5月14日付の内容証明郵便で、550万円の損害賠償支払いと投稿の削除、謝罪広告の掲載を求めたが、はすみさんが応じなかったため、同じ内容の提訴に踏み切っていた。」

(中略)

はすみさんは6月10日、ツイッターのヘッダー画像に『枕営業』のイラストを掲載している。伊藤さんからの提訴については、近日中に広報するとはしていた。」

(中略)

「はすみさんの提訴後の動きについて、伊藤さんの代理人をしている山口元一弁護士は9日、『訴訟の中身にも関わりますので、ノーコメントにさせて下さい』と取材に答えた。リツイートした2人の動きについても、ノーコメントだとした。」

などと書かれています。

 一般論として言うと、被告側の漫画家の対応は、あまり適切な訴訟対応ではないように思われます。

2.ヘッダー変更の時期

 常識的に考えれば分かると思いますが、フィクションだと断りさえ入れれば、実在の人物をモデルにして名誉権・プライバシー権を侵害する内容の表現をすることが許容されるわけではありません。

 小説にモデル小説という領域があります。これは実在の人物をモデルにした小説のことで、

「モデル小説の場合、作家は、『実在人物をモチーフにはしたが、作中人物は自分が独自に変容して創作したものだ』という感覚を持っている」

とされています(佃克彦『名誉毀損の法律実務』〔弘文堂、第3版、平29〕286頁)。

 しかし、以前書いたとおり、裁判所は文学的価値が違法性を阻却するという考え方を否定していますし、身近な人が見て人物の同定可能性があればアウトだという考え方を採用しています。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/06/08/231343

 モデル小説に名誉権・プライバシー権の侵害を認めた裁判例も相当数出されていますし(前掲著、同頁以下参照)、本件においても、イラストを見た普通の人にとって同定可能であれば、フィクションだと言い張ったところで、通りそうにない理屈ではないかと思われます。

 このように元々フィクションだという主張には難がありましたが、ツイッター画像を変更したことは、更に免責を困難にしたのではないかと思われます。

 タイミングが提訴会見の2日後と近接しすぎているからです。伊藤氏とイラストとが無関係であれば、このタイミングで敢えてヘッダー画像を問題の画像に変更したことの理由が説明できなければなりません。これが合理的に説明できないと、ヘッダー画像は伊藤氏を意識し揶揄する趣旨で変更したもの、揶揄になるのは件の人物のモデルが伊藤氏であるからだという形で、人物の同定可能性の立証のダメ押しになるのではないかと思われます。

3.訴訟提起した人を揶揄するのは止めておいた方がいい

 訴訟提起すると、金銭目的であるといった揶揄をされることが少なからずあります。

 しかし、こうした揶揄は適切ではありませんし、止めておいた方が良いです。

 適切ではないというのは、金銭賠償の原則といって、現行法体系の問題として、不法行為は基本的に金銭の問題に還元して考えるというルールが採用されているからです。

 民法423条は、

「損害賠償は、別段の意思表示がないときは、金銭をもってその額を定める。」

と規定しています。

 これが不法行為の場面でも準用されているため(民法723条)、法制度上、不法行為で被害を受けた方が救済を求めようと思えば、金銭の形で賠償を求めざるを得ないのです。謝罪広告などの処分は、名誉毀損型の不法行為の一部類型で例外的に認められている措置にすぎません。

 法制度上、被害の救済は金銭で行われるような建付けになっているため、被害者としては金銭以外に救済を受ける方法がありません。金銭を請求することの否定は、不法行為の被害者に口を噤めと言うことと同義です。だから、訴訟提起した人を金銭目的であると揶揄するのは適切ではないのです。

 このような法制度を持っている関係もあり、裁判所は金銭目的で訴訟を提起したという揶揄を好みません。そのような揶揄は違法だと断じることもあります。

 例えば、医療過誤で病院を訴えたという事件で、被告病院側が原告側を「金銭目的の悪質なクレーマーの典型」などと揶揄したことがありました(東京地判平15.6.27LLI/DB判例秘書登載)。

 この事件で裁判所は、

「訴訟活動としての社会的相当性を明らかに超えたD及び原告らに対する侮辱的言辞を用いていることが認められる。」

「かかる被告らの訴訟活動は、一般に慰謝料額の考慮において斟酌される被告としての対応や応訴態度の不相当を超えて、原告らに対する独立した不法行為に当たる」

と当該言動に違法性を認めています。

 また、交通事故にあたり、週刊誌に「ぼくが有名人やから、大金とれると思い、訴えたんやろな。」というタレントの発言が掲載された事件があります(大阪地判平13.9.25LLI/DB判例秘書登載)。

 この発言についても、裁判所は、

「原告が本件事故に関し同被告に対して何らの正当な権利がないにもかかわらず、同被告が有名人であり大金が取れると原告が考えて本件訴訟(甲・乙事件)を不当に提起したものであるとの事実を摘示して、品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について原告が社会から受ける客観的評価を低下させたものであり、原告の名誉を毀損する不法行為に該当するものであるといわなければならない」

と違法性を認めています。

 損害を与えた側が被害者を金銭目的で裁判を起こしたなどと揶揄すると、慰謝料の増額要素として考慮されたり、別個独立の不法行為を構成するとして追加で慰謝料の支払いを命じられたりすることがあります。

 そのため、訴えられた側の基本的な対応としては、原告側を挑発するようなことは言わない方が良いのです。まして、金銭目的であることを匂わしたり、示唆したりすることは、メリットが何もないにもかかわらず、リスクだけはある行為でしかありません。

4.ノーコメントなのは少し意外であった

 はすみ氏の動きは、おそらく上述のように整理されるのではないかと思います。同定可能性の議論においても、損害論の局面においても、一般論としては悪手ではないかという感覚があります。

 私個人は、生きている事件、まして初期段階の事件の情報をマスコミに流すことには、かなり消極的な見解を持っているため、提訴会見をする弁護士がどのような発想を持っているのかは今一想像しにくいのですが、コメントをすることが原告側に不利とも思われなかったので、はすみ氏の動きについて原告代理人が特に解説・言及しなかったのは、少し意外でした。