弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

差別と合理性-合理性のある差別も許されない?

1.差別と合理性の関係

 障害者基本法4条は、

「何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない。」

と規定しています。

 それでは、ここで規定されている「差別」という言葉は、具体的に何を意味しているのでしょうか。

 昨日ご紹介した高松高判令2.3.11労働判例ジャーナル99-24 高知県事件は、この問題でも示唆に富んだ判示をしています。

2.高知県事件

 本件は職業訓練の受講を申し込み、その選考を受験した方が、広汎性発達障害を理由として不合格処分を受けたとして、国に対して損害賠償等を請求した事件です。

 本件では不合格処分が障害者差別なのではないかが問題になりました。

 この論点の判断の中で、裁判所は、障害者基本法上の差別について、次のような解釈を示しました。

(裁判所の判断)

「障害者基本法は、障害者に対して、障害を理由として差別することを禁止しており(平成16年改正法3条3項)、障害に基づくあらゆる差別を禁止する旨の障害者権利条約も平成26年2月には国内的効力を発していること等に鑑みれば、本件不合格の当時、障害者に対する障害を理由とする差別の禁止は、国家賠償法上の違法性を基礎付けるだけの規範的意義を有していたものと解するべきである。」
「そして、上記障害者基本法の文理等からすれば、ここにいう『差別』については、不利益取扱い一般を指すものと解され、また、障害を『理由として』の行為かどうかについては、少なくとも、障害ないしこれに随伴する症状、特性等が存在せず、又は不利益取扱いの行為者がこれらを認識していなかったとすれば、不利益な取扱いが行われていなかったであろうという関係が認められる場合には、これに当たるものと解するのが相当である。」
「もっとも、障害そのものや障害特性等を理由とする不利益取扱いの場合であっても、例えば、視覚障害者について、視力が不足することにより、自動車運転免許の付与を拒絶する場合のように、これが合理的なものであれば、国家賠償法上違法とはいえないから、障害を理由とする不利益取扱いが国家賠償法上違法といえるためには、これが不合理なものであることを要するというべきである。」

3.差別=不利益取扱い一般か?

 差別禁止と言われる時の「差別」には、伝統的に「合理性」という概念が取り入れられてきました。

 例えば、最大判昭39.5.27民集18-4-676は、憲法14条1項(法の下の平等)等の解釈について、

「国民に対し絶対的な平等を保障したものではなく、差別すべき合理的な理由なくして差別することを禁止している趣旨と解すべきであるから、事柄の性質に即応して合理的と認められる差別的取扱をすることは、なんら・・・法条の否定するところではない。」

との解釈を示しています。

 要するに、法が禁止しているのは、差別一般ではなく、合理的な理由のない差別だという趣旨です。

 高知県事件で高松高裁が示した判断で興味深いのは、障害者基本法が禁止している「差別」概念について「合理性」という要素を捨象している点です。高松高裁は「差別」とは「不利益取扱い一般」であるとし、合理性は国家賠償法上の違法性判断のレベルで問題になるにすぎないものとして整理しています。

 これのどこが興味深いのかというと差止請求訴訟への応用が考えられる点です。

 従来の合理性の内在化した「差別」概念に従えば、障害者基本法4条に基づいて差別行為の差止を請求する時(障害者基本法4条が差止請求の根拠規範になるのかという議論はありますが)、対象行為が「合理性のない差別」であることまで立証する必要があることになります。

 しかし、差別概念から合理性という要素が切り離されると、それが合理性を有するかどうかを問わず、不利益取扱い一般の存在の立証をもって、禁止対象となっている差別が行われたことを立証したと認めてもらえる可能性が生じます。

 こうした理解に立つと、差別かどうかを画するのは、不利益取扱いの程度となってくるのではないかと思います。このような考え方は、不利益の程度が著しい場面においては、合理性によっても差別を正当化することが許容されないという議論へと発展する可能性を持っています。これは「合理性がある差別は許される」という従来の議論から、より人権保障的な方向へと一歩枠を踏み出す考え方です。

 高知県事件の高松高裁の考え方は、差別の概念の変容の契機となる可能性を持っている点でも注目に値します。