弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

賃金減額への同意-メールの「了解です。」くらいなら覆せる可能性あり

1.賃金減額の同意

 合意は、錯誤、詐欺、強迫といった問題がない限り、取り消すことができなのが原則です。

 しかし、労働法の幾つかの領域においては、こうした原則的な意思表示理論が修正されています。賃金減額への同意も、そうした意思表示理論が修正されている場面の一つです。

 具体的に言うと、山梨県民信用組合事件(最二小判平28.2.19民集70-2-123)において、

就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である(最高裁昭和44年(オ)第1073号同48年1月19日第二小法廷判決・民集27巻1号27頁、最高裁昭和63年(オ)第4号平成2年11月26日第二小法廷判決・民集44巻8号1085頁等参照)」

というルールが設定されています。

 分かりやすく言うと、賃金減額の同意は、錯誤、詐欺、強迫といった問題がなかったとしても「自由な意思に基づいてなされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在」しない場合には、その効力を否定することできるということです。

 この「自由な意思」の認定にあたっては、合意後にどのような行動をとったのかが意味を持ってくることがあります。昨日、ご紹介させて頂いた、東京地判令2.1.29労働判例ジャーナル99-34 岡部保全事件は、合意後の行動が「自由な意思」の認定に影響を与えることを実証する事例としても価値のある裁判例です。

2.岡部保全事件

 本件は親族経営の合名会社において、原告の基本給を、

月額309万円 から 月額107万4434円

に減額することの可否が問題になった事案です。

 賃金減額の後、上記合名会社は、原告を辞職した扱いとしたため、原告から地位確認や未払賃金の支払いを求める訴訟を提起されました。

 賃金減額の可否は、そうした訴訟での争点の一つです。

 賃金の減額措置について、被告会社は同意があるから減額措置は有効だと主張しました。その根拠になったのは、原告のメールです。

 被告代表者は、平成29年10月12日の定例ミーティングにおいて、原告の給料を減額することを告げました。

 翌日、被告従業員dが

「副社長のお給料は10月分より、社長の職務給の半額に当たる107万4434円」

等のメールを出したところ、原告から

「了解です。では、管理物件の移行も直ぐに進めます。」

といったメールが返ってきました。被告会社は、この「了解です。」が賃金減額への同意だと主張しました。

 これに対し、原告は「了解です」とのメールは被告代表者の性格を考慮し、直ちに強く抗議するのではなく一度間をおいて改めて抗議して再考を促そうと考えて送信したものであり賃金減額の承諾ではない、実際にも、その後、被告代表者に減額を考え直すように抗議していると反論しました。

 裁判所は、次のとおり判示して、「了解です」のメールに賃金減額の同意としての効力を認めませんでした。

(裁判所の判断)

「被告が原告に支払っていた金銭は賃金に当たるところ、賃金の減額に対する労働者の同意は、形式的に存在するのみでは足りず、自由な意思に基づいてされたものであることを要するというべきである。本件は、被告代表者と原告との間に親族関係がある点で、通常の労働者、使用者との関係と全く同様とはいえないが、賃金の減額に対する同意の有無を慎重に判断する必要がある点は異ならないと解すべきである。」
「前記認定事実のとおり、原告は、本件減額の告知を受けた翌日の平成29年10月13日、賃金額を説明するdのメールに対し、『了解です』との返信をしたものの、その後、同月25日及び26日には、本件減額を認めていない旨のメールをd宛に送信し、同月30日には、被告代表者の執務室へ赴いて本件減額について考え直してほしい旨を直接告げ、同年12月には、原告代理人に依頼して、賃金の差額を請求する旨を通知した。『了解です』との言葉の意味は、内容を承諾した旨とも内容を理解した旨とも解釈可能であり、原告が、『了解です』とのメールを送信したのは、被告代表者に話をするには時間を置いた方がよいと考えたためであると説明していることに加え、同メール送信後ほどなく、減額告知後の最初の給与支給日までには、被告による本件減額に対して明示的な拒否の意思を伝えていることからすると、原告が、被告に対して、本件減額に同意する意思を表明したということはできない。

3.注目するポイント

 本件は幾つかの注目すべき判示を含んでいます。

 一つは、賃金であれば就業規則に定められたものではなかったとしても、その変更の同意に「自由な意思」を要するとしたことです。

 山梨県民信用組合事件は「自由な意思」が必要とされる対象を「就業規則に定められた賃金・・・の変更」と記述していました。

 昨日の記事でもご紹介させて頂いたとおり、被告の賃金規定では、基本給の上限額が100号俸・34万8000円と設定されていました。

 これを超える部分には必ずしも就業規則上の根拠がありませんでしたが、裁判所は、賃金である以上「被告代表者と原告との間に親族関係がある点で、通常の労働者、使用者との関係と全く同様とはいえないが、賃金の減額に対する同意の有無を慎重に判断する必要がある点は異ならない」と、山梨県民信用組合事件と同様の枠組みのもとで減額同意の認定を行うことを明らかにしました。

 これは親族経営の会社における賃金減額の可否を議論するにあたり、活用できる可能性のある判示事項です。

 もう一つは、「了解です」後の一連の抗議活動を重視して、同意の事実を認定しなかったことです。

 合意は締結後・成立後に文句を言っても、後の祭りにしかならないのが原則です。しかし、賃金減額のような「自由な意思」が必要とされる局面においては、まだ熱い内に抗議活動を行っておくことが事実認定上有意な意味を持つことがあります。本件はこうした労働事件における事実認定の特徴を実証する裁判例としても意味があります。

4.賃金減額に不本意な同意をしてしまったら、すぐに慣れた弁護士に相談を

 何が重要かというと、賃金減額の同意の効力を争うような場面では、どの弁護士に相談するかによって結果が変わってくる可能性があるということです。

 上述のとおり、事後的に抗議活動を展開することによって、合意の効力に影響が生じるというのは労働法領域独特の考え方です。労働法的な考え方に慣れていない弁護士だと「了解する前に来てくれればよかったのに。」という形で流されてしまう可能性があると思います。

 しかし、岡部保全事件で裁判所が示したとおり、労働法の領域では事後的な抗議活動が訴訟での事実認定に有利に響いてくることがあるのです。そして、抗議活動の効力は、不本意な了解から時間的に近接していればいるほど効力を持ちます。岡部保全事件のような事案で労働者側から相談を受けた弁護士の対応としては「直ちに了解していない意思を鮮明にしましょう。」というのが正解です。

 賃金減額の同意の効力が争われる場面は、担当弁護士によって結論に差が生じることがあり得る事件類型です。

 本稿が適切な弁護士を選ぶための一助になれば幸いです。