1.ジャーナリストによる漫画家らの提訴
ネット上に、
「伊藤詩織さん、はすみとしこさんらを提訴 『ツイッターで虚偽の内容を投稿された』」
との記事が掲載されていました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0f023370f34adba41267684acda4bd25c7148e57
記事には、
「ジャーナリストの伊藤詩織さんが6月8日、元TBS記者の山口敬之さんからの性暴力被害を訴えた事件を巡り、ツイッターに虚偽の内容を投稿され名誉を傷つけられたとして、漫画家のはすみとしこさんら3人を相手取り、慰謝料など計770万円の支払いと謝罪広告、投稿削除などを求めて東京地裁に提訴した。」
「イラストは伊藤さんの名前を明示せず、『この作品はフィクション』と付記したものもあるが、風貌や『伊藤さんと面識がある者、書籍の読者や、マスコミ報道を通して伊藤さんの属性または経験を知る人がイラストをみた場合は、イラストに描かれた女性と伊藤さんとを同定することは容易に可能』だと主張。」
「ツイートが社会的評価を著しく評価させることは明らかで、名誉および名誉感情を毀損するとしている。」
「他2人は、はすみさんのツイートをリツイートした。『フォロワーに対し、ツイートの内容に賛同する意思を示しておこなう表現行為と解するのが相当』として、社会的評価の低下や名誉感情の毀損について、責任を負うべきとしている。」
などと書かれています。
2.フィクションであることは権利侵害性を否定するか?
フィクションであると言い張っても、そのこと自体には、あまり意味はないと思います。権利侵害性との関係で重要なのは、登場人物に日常接している人からの同定可能性が認められるかどうかです。
記事の原告代理人が依拠しているのは、おそらく東京高判平13.2.15判例タイムズ1061ー289だと思います。これは「石に泳ぐ魚」事件という有名な最高裁判例(最三小判平14.9.24判例タイムズ1106-72)の二審判決です。
この事件はモデル小説のプライバシー・名誉侵害性が問題になった事案です。
裁判所はモデル(被控訴人)と詳説中の人物との間の同定可能性について、
「・・・このような被控訴人の属性からすると、T大の多くの学生や被控訴人が日常的に接する人々のみならず、被控訴人の幼いころからの知人らにとっても、本件小説中の『朴里花』を被控訴人と同定することは容易なことである。したがって、本件小説中の『朴里花』と被控訴人との同定可能性が肯定される。」
と判示しています。
モデルが一介の無名の留学生であり、不特定多数の読者が小説中の人物とモデルになった人物とを同定することはできないのだから、プライバシー等を侵害することはありえないとの小説家側の主張に対しては、
「表現の対象となったある事実を知らない者には当該表現から誰を指すのか不明であっても、その事実を知る者が多数おり、その者らにとって、当該表現が誰を指すのかが明らかであれば、それで公然性の要件は充足されている。」
と判示し、これを排斥しました。
文学的価値と名誉・プライバシーとの関係についても、
「文学作品が人間を描き、これが多数の人々に読まれることは、人々の人間存在についての認識の内容を豊かなものとする。このことの社会的価値を否定してはならないことは、控訴人らの主張するとおりである。しかし、小説を創作する際、他者の人格的価値、特に、障害を有する者をモデルとする場合はその者の心の痛みにも思いを致し、その名誉やプライバシーを損なわないよう、モデルとの同定の可能性を排除することができないはずはないのである。このような創作上の配慮をすることなく、小説の公表によって他者の尊厳を傷つけることがあれば、その侵害に対して法的に責任を負うのは当然のことである。ことは人間の尊厳にかかわるのであって、芸術の名によってもその侵害を容認することはできない。他者の実生活が、文学作品の形成のために犠牲に供されてはならないのである。」
と判示しています。
要するに、身近な人が普通の捉え方をして、モデルをその人だと同定することができるのであれば、同定可能性としては足りるのであり、別人だとか、特定できないはずだとか、はたまた、芸術作品だとか言い張ったところで、権利侵害性との関係では、あまり意味がないということです。
芸術作品として何か訴えたいことがあるのであれば、同定可能性を排除するような工夫のもとで行ってくださいというのが裁判所の考え方であり、この考え方は上級審でも維持され、その後の裁判例にも影響を与えています。
上記はモデル小説についての裁判例ですが、その考え方は風刺画や漫画にも妥当する可能性があります。重要なのは、見る人が見て人物の同定可能性があるのかどうかであり、フィクションだと文字で付記したとしても、そのこと自体は、法的な責任を免れる理由にはならないのではないかと思われます。
3.リツイートは名誉毀損か?
これは近時話題になった新しい裁判例(大阪地判令元.9.12判例タイムズ1471-121)を踏まえた議論だと思います。
上記大阪地裁の裁判例は、元大阪府知事が、自分の名誉を毀損するメッセージをリツイートした方を相手取り、リツイート行為が名誉毀損であるとして損害賠償を請求した事件です。
この事件で、裁判所は、リツイート行為の性質について、次のような判示をしています。
「ツイッターにおいては、投稿者は、自己の発言を投稿するのみならず、他者の投稿(元ツイート)を引用する形式で投稿(リツイート)することができるところ、リツイートの際には、自己のコメントを付して引用することや、自己のコメントを何も付さずに単に元ツイートをそのまま引用することもできる。そして、投稿者がリツイートの形式で投稿する場合、被告が主張するように、元ツイートの内容に賛同する目的でこれを引用する場合や、元ツイートの内容を批判する目的で引用する場合など、様々な目的でこれを行うことが考えられる。」
「しかし、他者の元ツイートの内容を批判する目的や元ツイートを他に紹介(拡散)して議論を喚起する目的で当該元ツイートを引用する場合、何らのコメントも付加しないで元ツイートをそのまま引用することは考え難く、投稿者の立場が元ツイートの投稿者とは異なることなどを明らかにするべく、当該元ツイートに対する批判的ないし中立的なコメントを付すことが通常であると考えられる。したがって、ツイッターが、140文字という字数制限のあるインターネット上の簡便な情報ネットワークであって、その利用者において、詳細な説明や論述をすることなく、簡易・簡略な表現によって気軽に投稿することが想定される媒体であることを考慮しても、上記のような、何らのコメントも付加せず元ツイートをそのまま引用するリツイートは、ツイッターを利用する一般の閲読者の普通の注意と読み方を基準とすれば、例えば、前後のツイートの内容から投稿者が当該リツイートをした意図が読み取れる場合など、一般の閲読者をして投稿者が当該リツイートをした意図が理解できるような特段の事情の認められない限り、リツイートの投稿者が、自身のフォロワーに対し、当該元ツイートの内容に賛同する意思を示して行う表現行為と解するのが相当である。」
要するに、前後の脈絡から意図を読み取れない場合、メッセージのない単なるリツイートは、元ツイートの内容に賛同する意思を示した表現と解するのが相当だと言っています。
この判示に対しては行き過ぎではないかと指摘する実務家も相当数います。上記大阪地裁の裁判例は控訴されており、これが高裁でも維持されるかは分かりません。
しかし、未確定裁判例であっても裁判例には違いないので、ジャーナリスト側は、さっそく活用を試みることにしたのではないかと思われます。
4.判決の行方は・・・
本件は、風刺画・一枚漫画の登場人物のモデルとの同定の認定方法や、リツイート行為に対する法的評価など、学術的に興味深い論点を含んだ事件になると思います。
個人的には、表現したいことがあるにしても、絵に実在の人物との同定可能性のある人物を登場させなければならない必要性がどこまであったのかという感覚はありますが、どのような判決が言い渡されるのか注目されます。