弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

過労死の労災認定基準の時間外労働時間のカウント

1.過労死の労災認定基準

 厚生労働省のパンフレットでは、「過労死」は次のとおり説明されています。

 「心筋梗塞などの『心疾患』、脳梗塞などの『脳血管疾患』については、その発症の基礎となる血管病変等が、主に加齢、食生活、生活環境などの日常生活による諸要因や遺伝等による要因により徐々に増悪して発症するものですが、仕事が主な原因で発症する場合もあります。これらは『過労死』とも呼ばれます。」

https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/rousai/dl/040325-11.pdf

 厚生労働省は脳血管疾患の主な原因が仕事であるといえるかどうかを判断するため、「基発1063号 平成13年12月12日 改正基発0507第3号 平成22年5月7日 脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」という文書を作成しています。

https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/rousai/dl/040325-11a.pdf

 脳血管疾患及び虚血性心疾患等の労災には、①異常な出来事、②短期間の過重業務、③長期間の過重業務の三つの類型があります。

 このうち、③長期間の過重業務への該当性について、

「発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できる」

という基準が定められています。これが俗に過労死の認定基準と言われているものです。

 それでは、この過労死の認定基準としてカウントされる時間外労働はどのようにカウントされるのでしょうか。

 より具体的に言うと、所定労働時間が、1日7時間、週35時間といったように法定労働時間(1日8時間 週40時間)以内で定められている場合、時間外労働のカウントはどこから始まるのでしょうか。

 行政解釈では、

「ここでいう時間外労働時間数は、1週間当たり40時間を超えて労働した時間数である。」

と定義されています。

 したがって、週35時間労働のケースについて言うと、労災認定に影響を与える時間外労働時間は、5時間を超えたところからカウントされます。

 それでは司法判断ではどうなっているのでしょうか。

 司法判断も基本的には行政判断と同様です。労災認定に影響を与える時間外労働時間数は法定労働時間を超えたところからカウントされます。近時の公刊物に掲載されていた、熊本地判令2.1.27労働判例ジャーナル98-26 地方公務員災害補償基金熊本支部長事件 でも、そのような判断がされています。

2.地方公務員災害補償基金熊本支部長事件

 本件は公務災害認定請求に対する公務外認定処分に対する取消訴訟です。

 原告になったのは、小学校教諭の方です。脳幹部出血を発症し、後遺障害を負ったところ、これが公務に起因するものであると主張して公務災害認定請求を行いました。しかし、地方公務員災害補償基金熊本支部長が公務外認定処分を行ったため、審査請求、再審査請求を経て、取消訴訟を提起するに至ったという経過が辿られています。

 本件の争点は多岐に渡りますが、労災認定に影響を与える時間外労働のカウントの仕方も争点の一つになりました。

 原告は所定労働時間(週38時間45分)を超えた時間をカウントすべきであると主張しました。しかし、裁判所は、次のとおり述べて、原告の主張を採用しませんでした。

(裁判所の判断)

「原告は、週38時間45分(本件小学校における1週所定勤務時間数)を超える勤務時間数を校内時間外労働時間として主張するが、認定基準が前提とする『通常の日常の職務』とは、『1日当たり平均概ね8時間勤務』内に行う日常の職務であって、認定基準策定に当たって参考とされた専門検討会議報告書も、1日の労働時間が8時間であることを前提としていること(乙30)に照らせば、公務起因性の認定判断に際しては、週平均40時間(1日平均8時間)を超える労働時間数を時間外労働時間と考えるのが相当である。

3.通達類は原典を参照すること

 脳血管疾患及び虚血性心疾患等の労災の「長期間の過重業務」類型への該当性を判断するにあたっては、時間外労働時間をどのようにカウントするのかが重要な意味を持ってくることが少なくありません。

 ところが、時折、この時間外労働時間のカウントを所定労働時間を超えたところから始めているのではと疑われるケースを目にすることがあります(熊本地裁の上記事件がそうだと言っているわけではありません)。

 なぜ、このようなエラーが生じるのかというと、厚生労働省のパンフレットに書いていないからではないかと思います。

 しかし、時間外労働時間のカウントが週40時間を超えて労働した時間数から始まることは、文字で書かれている通達の原典にはきちんと書かれています。

 公務災害の場合、類似した内容の別の通達(平成13年12月12日 地基補第239号 第1次改正 平成15年9月24日 地基補第154号 第2次改正 平成16年4月19日 地基補第104号 第3次改正 平成22年7月1日 地基補第168号 第4次改正 平成30年4月1日 地基補第80号)が適用されるのですが、ここにも「1日当たり平均概ね8時間勤務」が通常の日常の職務であることが明記されています。

 パンフレットは平易な言葉や図が使われていて分かりやすくはあるのですが、正確な見通しを立てるためには、読みにくくても、きちんと原典類を都度参照する必要があります。

 

フィクション(風刺画)、リツイートの権利侵害性

1.ジャーナリストによる漫画家らの提訴

 ネット上に、

「伊藤詩織さん、はすみとしこさんらを提訴 『ツイッターで虚偽の内容を投稿された』」

との記事が掲載されていました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/0f023370f34adba41267684acda4bd25c7148e57

 記事には、

「ジャーナリストの伊藤詩織さんが6月8日、元TBS記者の山口敬之さんからの性暴力被害を訴えた事件を巡り、ツイッターに虚偽の内容を投稿され名誉を傷つけられたとして、漫画家のはすみとしこさんら3人を相手取り、慰謝料など計770万円の支払いと謝罪広告、投稿削除などを求めて東京地裁に提訴した。」

「イラストは伊藤さんの名前を明示せず、『この作品はフィクション』と付記したものもあるが、風貌や『伊藤さんと面識がある者、書籍の読者や、マスコミ報道を通して伊藤さんの属性または経験を知る人がイラストをみた場合は、イラストに描かれた女性と伊藤さんとを同定することは容易に可能』だと主張。」

「ツイートが社会的評価を著しく評価させることは明らかで、名誉および名誉感情を毀損するとしている。」

「他2人は、はすみさんのツイートをリツイートした。『フォロワーに対し、ツイートの内容に賛同する意思を示しておこなう表現行為と解するのが相当』として、社会的評価の低下や名誉感情の毀損について、責任を負うべきとしている。」

などと書かれています。

2.フィクションであることは権利侵害性を否定するか?

 フィクションであると言い張っても、そのこと自体には、あまり意味はないと思います。権利侵害性との関係で重要なのは、登場人物に日常接している人からの同定可能性が認められるかどうかです。

 記事の原告代理人が依拠しているのは、おそらく東京高判平13.2.15判例タイムズ1061ー289だと思います。これは「石に泳ぐ魚」事件という有名な最高裁判例(最三小判平14.9.24判例タイムズ1106-72)の二審判決です。

 この事件はモデル小説のプライバシー・名誉侵害性が問題になった事案です。

 裁判所はモデル(被控訴人)と詳説中の人物との間の同定可能性について、

「・・・このような被控訴人の属性からすると、T大の多くの学生や被控訴人が日常的に接する人々のみならず、被控訴人の幼いころからの知人らにとっても、本件小説中の『朴里花』を被控訴人と同定することは容易なことである。したがって、本件小説中の『朴里花』と被控訴人との同定可能性が肯定される。」

と判示しています。

 モデルが一介の無名の留学生であり、不特定多数の読者が小説中の人物とモデルになった人物とを同定することはできないのだから、プライバシー等を侵害することはありえないとの小説家側の主張に対しては、

表現の対象となったある事実を知らない者には当該表現から誰を指すのか不明であっても、その事実を知る者が多数おり、その者らにとって、当該表現が誰を指すのかが明らかであれば、それで公然性の要件は充足されている。

と判示し、これを排斥しました。

 文学的価値と名誉・プライバシーとの関係についても、

文学作品が人間を描き、これが多数の人々に読まれることは、人々の人間存在についての認識の内容を豊かなものとする。このことの社会的価値を否定してはならないことは、控訴人らの主張するとおりである。しかし、小説を創作する際、他者の人格的価値、特に、障害を有する者をモデルとする場合はその者の心の痛みにも思いを致し、その名誉やプライバシーを損なわないよう、モデルとの同定の可能性を排除することができないはずはないのである。このような創作上の配慮をすることなく、小説の公表によって他者の尊厳を傷つけることがあれば、その侵害に対して法的に責任を負うのは当然のことである。ことは人間の尊厳にかかわるのであって、芸術の名によってもその侵害を容認することはできない。他者の実生活が、文学作品の形成のために犠牲に供されてはならないのである。

と判示しています。

 要するに、身近な人が普通の捉え方をして、モデルをその人だと同定することができるのであれば、同定可能性としては足りるのであり、別人だとか、特定できないはずだとか、はたまた、芸術作品だとか言い張ったところで、権利侵害性との関係では、あまり意味がないということです。

 芸術作品として何か訴えたいことがあるのであれば、同定可能性を排除するような工夫のもとで行ってくださいというのが裁判所の考え方であり、この考え方は上級審でも維持され、その後の裁判例にも影響を与えています。

 上記はモデル小説についての裁判例ですが、その考え方は風刺画や漫画にも妥当する可能性があります。重要なのは、見る人が見て人物の同定可能性があるのかどうかであり、フィクションだと文字で付記したとしても、そのこと自体は、法的な責任を免れる理由にはならないのではないかと思われます。

3.リツイートは名誉毀損か?

 これは近時話題になった新しい裁判例(大阪地判令元.9.12判例タイムズ1471-121)を踏まえた議論だと思います。

 上記大阪地裁の裁判例は、元大阪府知事が、自分の名誉を毀損するメッセージをリツイートした方を相手取り、リツイート行為が名誉毀損であるとして損害賠償を請求した事件です。

 この事件で、裁判所は、リツイート行為の性質について、次のような判示をしています。

「ツイッターにおいては、投稿者は、自己の発言を投稿するのみならず、他者の投稿(元ツイート)を引用する形式で投稿(リツイート)することができるところ、リツイートの際には、自己のコメントを付して引用することや、自己のコメントを何も付さずに単に元ツイートをそのまま引用することもできる。そして、投稿者がリツイートの形式で投稿する場合、被告が主張するように、元ツイートの内容に賛同する目的でこれを引用する場合や、元ツイートの内容を批判する目的で引用する場合など、様々な目的でこれを行うことが考えられる。」
「しかし、他者の元ツイートの内容を批判する目的や元ツイートを他に紹介(拡散)して議論を喚起する目的で当該元ツイートを引用する場合、何らのコメントも付加しないで元ツイートをそのまま引用することは考え難く、投稿者の立場が元ツイートの投稿者とは異なることなどを明らかにするべく、当該元ツイートに対する批判的ないし中立的なコメントを付すことが通常であると考えられる。したがって、ツイッターが、140文字という字数制限のあるインターネット上の簡便な情報ネットワークであって、その利用者において、詳細な説明や論述をすることなく、簡易・簡略な表現によって気軽に投稿することが想定される媒体であることを考慮しても、上記のような、何らのコメントも付加せず元ツイートをそのまま引用するリツイートは、ツイッターを利用する一般の閲読者の普通の注意と読み方を基準とすれば、例えば、前後のツイートの内容から投稿者が当該リツイートをした意図が読み取れる場合など、一般の閲読者をして投稿者が当該リツイートをした意図が理解できるような特段の事情の認められない限り、リツイートの投稿者が、自身のフォロワーに対し、当該元ツイートの内容に賛同する意思を示して行う表現行為と解するのが相当である。

 要するに、前後の脈絡から意図を読み取れない場合、メッセージのない単なるリツイートは、元ツイートの内容に賛同する意思を示した表現と解するのが相当だと言っています。

 この判示に対しては行き過ぎではないかと指摘する実務家も相当数います。上記大阪地裁の裁判例は控訴されており、これが高裁でも維持されるかは分かりません。

 しかし、未確定裁判例であっても裁判例には違いないので、ジャーナリスト側は、さっそく活用を試みることにしたのではないかと思われます。

4.判決の行方は・・・

 本件は、風刺画・一枚漫画の登場人物のモデルとの同定の認定方法や、リツイート行為に対する法的評価など、学術的に興味深い論点を含んだ事件になると思います。

 個人的には、表現したいことがあるにしても、絵に実在の人物との同定可能性のある人物を登場させなければならない必要性がどこまであったのかという感覚はありますが、どのような判決が言い渡されるのか注目されます。

 

精神科の既往歴のない方の自殺事案-行動力を振り絞ってでも生前の状況の速やかな記録化を

1.自殺事案の労災申請の特殊性(精神障害の立証)

 自殺が労災であるとして遺族が労災保険給付を受給するためには、自殺者が精神障害を発症していたことを立証する必要があります。

 これは、労働者災害補償保険法12条の2の2第1項が、

「労働者が、故意に負傷、疾病、障害若しくは死亡又はその直接の原因となつた事故を生じさせたときは、政府は、保険給付を行わない。」

と規定していることに理由があります。

 本項を字義通りにあてはめると、死の結果を認識・認容・意図したうえで行われる自殺は、故意に死亡結果を生じさせたときに該当するため、保険給付の対象にならなくなります。

 しかし、自殺を労災保険給付の対象から画一的に除外することは明らかです。

 そのため、厚生労働省は、

基発第545号 平成11年9月14日 「精神障害による自殺の取り扱いについて」

という文書を発出し、労働者災害補償保険法12条の2第1項の「故意」について、

「業務上の精神障害によって、正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたと認められる場合には、結果の発生を意図した故意には該当しない。」

との解釈を示しています。

https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken04/090316.html

https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken04/dl/090316d.pdf

 行政実務にしても裁判実務にしても、こうした理解を前提に運営されているため、自殺者の遺族が労災認定を申請するにあたっては、前提として自殺者が精神障害を発症していたことを立証する必要があるのです。

2.自殺者に精神科の既往歴がない場合、どうするのか。

 自殺者に精神科を受診した既往歴がある場合、精神障害を発症していたことを立証するにあたり、それほどの不都合はありません。

 しかし、精神科を受診することもなく、突然、自殺してしまったケースでは、どうなるのでしょうか。この場合、労災認定を受けられる余地は、なくなってしまうのでしょうか。

 結論から申し上げると、そのようなことはありません。

 精神科の既往歴がない場合、同僚や家族の供述などから、自殺者がどのような行動をしていたのかを探求して行くことになります。そうして集められたエピソードの一つ一つを精神障害の診断基準にあてはめて、自殺が業務上の精神障害によって行われたと認められるかどうかを判断して行くのです。

 医師による問診ができないこともあり、こうした形での精神障害の立証が一般論として困難であることは否定できません。

 しかし、こうした立証が奏功した裁判例は、定期的に公表されています。

 近時の公刊物に掲載されていた、福井地判令2.2.12労働判例ジャーナル98-24 国・敦賀労基署長(適応障害)事件も、そうした事案の一つです。

3.国・敦賀労基署長(適応障害)事件

 本件は労災の不支給処分の取消訴訟です。

 原告になったのは、自殺したP5の母親です。

 P5は不動産会社の関連会社に出向していた方です。平成24年8月3日に自宅において自殺しました。

 遺書には、

「もう、これ以上こき使われるのにはつかれた。P5」

と記載されていました。

 ただ、P5に精神疾患に係るの既往歴はありませんでした。

 原告の方は、自殺に業務起因性があることを前提に、遺族補償年金及び葬祭料の各支給申請をしました。しかし、処分行政庁は、P5に精神障害は発生していないとして、遺族補償年金及び葬祭料を不支給とする処分(本件処分)を行いました。

 審査請求、再審査請求が棄却されたため、本件処分の取消訴訟を提起したという経過が辿られています。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、精神障害の発症の事実を認定しました。結論としても、原告の請求を認容し、本件処分を取り消すとの判決を言い渡しています。

(裁判所の判断)

-うつ病エピソードについて-
「ISD-10診断ガイドラインによれば、うつ病エピソードのうち、軽症うつ病エピソードについての診断基準は、〔1〕抑うつ気分、〔2〕興味と喜びの喪失、〔3〕活動性の減退による易疲労感の増大や活動性の減少のうち、少なくとも2つを満たす必要があることが認められる。」
「しかし、・・・原告が指摘する事実のうち、平成24年3月又は4月頃、P5が不眠を訴えていたこと、同年6月28日午後8時頃、P5が原告宅に突然トラックで乗り付け、玄関の戸を外して道路に投げつけるということがあったこと、P5が同年8月2日にP7から叱責を受けた後、イライラしている様子であったこと、その翌日電話において元気のない声であったこと、P5が自殺前に本件遺書を作成したことは認められるものの、P5について、上記〔1〕ないし〔3〕の症状発生をうかがわせる事情は認められない。」
「むしろ、上記認定事実のとおり、本件浜茶屋従業員やP12が、上記の点を除き、P5の様子について普段と変わった様子を感じなかったというのであるから、P5について、上記〔1〕ないし〔3〕の症状があったとは認められないものというべきである。」
「これに対し、原告は、平成24年6月以降のP5の様子から、上記〔1〕ないし〔3〕を満たす旨主張し、原告本人尋問及び陳述書ないし聴取書・・・において、P5の様子・・・に関する供述を行い、証人P17も証人尋問及び陳述書・・・において、P5の様子・・・に関する供述を行っているが、・・・同月以降、本件自殺までの間、原告がP5と同居し、その様子をつぶさに観察していたものとは認められないこと、原告、P17いずれの供述もこれを裏付けるに足りる証拠がないから、原告及びP17の供述は採用できない。」
「以上より、P5がうつ病エピソードを発症していた事実は認められない。」
-適応障害について-
「適応障害の診断基準として、ICD-10DCRがあり、これによると、〔1〕症状発症前の1か月以内に、心理社会的ストレス因を体験した(並外れたものや破局的なものではない)と確認されていること(診断基準A)、〔2〕症状や行動障害の性質は、気分(感情)障害やF40-F48の障害(神経症性、ストレス関連性及び身体表現性障害)及び後遺障害(F91.-)のどれかに見られるものであるが、個々の診断要件は満たさない、症状はそのありようも重症度もさまざまであること(診断基準B)、〔3〕上記各症状は、遷延性抑うつ反応(F43.21)を除いて、ストレス因の停止またはその結果の後6か月以上持続しないこと(しかし、この診断基準がまだ満たされない時点で、予測的に診断することはかまわない)(診断基準C)が診断基準となる。なお、適応障害については、ICD-10DCR以外の診断基準も存在するものの、認定基準専門検討会報告書において、「アメリカ精神医学会による基準(DSM-〈4〉-TR)などほかの診断基準を否定するものではない」・・・とされていることから、ICD-10DCRの基準によるのが相当である。」
「・・・P5は、平成24年6月の本件浜茶屋開業後、P7からたびたび叱責を受けており、また、同年8月2日には不動産登記の名義変更に関する書類の不備に関して叱責され、『後の処理のことはお前には頼まん。』と言われたこと、同日以前の1か月時間外労働時間が100時間を超えていたことが認められる。」
「これらの事実によれば、P5が心理社会的ストレス因を体験した(並外れたものや破局的なものではない)ものと認めるのが相当であるから、P5について診断基準Aを満たしているものと認められる。」
「上記認定事実によれば、平成24年8月2日以降、P5にはイライラしている様子や、声に元気がなくなった様子が認められるとともに、P5が同月3日に三和不動産事務所に出勤することになっていたにもかかわらず出勤せず、『もう、これ以上こき使われるのにはつかれた。P5』と記載した本件遺書を残して自殺したことが認められる。」
「とすれば、同日頃のP5には、前記前提事実記載の適応障害の症状のうち、少なくとも、無気力、統制のとれない行動、不機嫌などの攻撃的傾向、欠勤という問題行動があったことが認められ、かつ、これらの症状が気分(感情)障害やF40-F48の障害(神経症性、ストレス関連性及び身体表現性障害)及び後遺障害(F91.-)の診断基準を満たしていることは認められない。」
「そうとすれば、P5について診断基準Bを満たしているものと認められる。」
「・・・P5の症状が現れたのが平成24年8月2日以降であり、その翌日に本件自殺が発生したことに照らせば、予測的診断として診断基準Cを満たすものと認めるのが相当である。」
「以上によれば、P5について、適応障害の診断基準を満たしていたことが認められ、上記認定事実のとおり、平成24年8月2日以降、P5がイライラしたり、その声に元気がなくなっていたこと、その翌日には欠勤して、本件遺書を作成の上、自殺に至っていることからすれば、P5の適応障害発症時期は遅くとも同月2日であったものと認めるのが相当である。」
「これに対し、被告は、P5には精神障害を疑わせる症状は認められなかったと主張し、本件意見書・・・及びP16鑑定・・・にもこれに沿う記載がある。」
「しかし、本件意見書及びP16鑑定は、同月2日以降のP5の精神障害(適応障害)発症の有無について十分に検討しているものではないから、上記・・・の判断を左右しない。」
「また、被告は、本件遺書の記載について、誰にどのようにこき使われたのか、何が原因となって疲れたのかが判然としない以上、本件遺書をもってP5が精神障害を発症したとの積極的証明とはならないと主張しているが、上記認定事実のとおり、本件自殺前のP5の時間外労働時間が100時間を超えていたことや、P5がP7からたびたび業務上の指示ないし叱責を受けていたことが認められる反面、本件各会社の業務以外にP5の疲れの原因となる事実は認められない。そうすると、P5の疲れの原因は本件各会社における業務であると認めるのが相当であるから、被告の主張は採用できない。」
「ほかに、被告は、P5が本件各会社の業務の負荷により精神障害を発症していないことの証拠として聴取書(福井労働局地方労災補償監察官)・・・を提出する。本件聴取書は、P5が業務による強い心理的負荷を受けていなかったことを前提として作成されたものであるところ、上記認定事実のとおり、P5が1か月につき100時間を超える時間外労働を行っていたことやP7による叱責があったことが認められ、これらの事情は適応障害発症の有無の検討に当たって考慮されるべきであるが、本件聴取書においては検討された形跡がないことからすれば、その内容は採用できない。」

4.生前の状況の速やかな記録化が何よりも重要

 上述のとおり、裁判所は、生前の様々なエピソードを事実として認定したうえ、それをもとに精神障害を発症していたと認定できるのかを検討しています。

 結果、うつ病エピソードへの該当性は否定しましたが、適応障害を発症していたことは認めました。

 こうした判断構造から分かるとおり、精神科の既往歴のない方の自殺事案において、遺族が労災給付を受けるためには、自殺者の生前の行動に関するエピソードをどれだけ豊富に準備できるのかが極めて重要な意味を持ってきます。エピソードが豊富にあれば、本件のように、うつ病エピソードのルートが塞がれても、適応障害による救済のルートを見出せることがあるからです。

 家族にしても同僚にしても、人の記憶はどんどん薄れて行くのが通常です。日常の中での細かなエピソードであれば猶更です。また、職場の方の協力を得ることは、時間が経てばたつほど難しくなるのが一般です。そのため、厳しいことを言うようですが、自殺事案においては、気持ちに整理ができていなかったとしても、とにかく早い段階で事実を調査・収集することが重要になります。

 こうした情報が参考になる場面には出くわさない方がいいに決まっていますが、遺族の生活を守るために、労災は重要な役割を果たしています。

 仕事に起因する心理的な負荷が原因で自殺したのではないか、そうした疑念を持たれた方は、行動力を振り絞ってでも、できるだけ早く弁護士に相談しておくことをお勧めします。それは、動き出すスピードによって、事件の帰趨が分かれてきてしまう可能性の高い紛争類型であるという厳然とした現実があるからなのです。

 

男性差別-性犯罪の発生傾向を理由にプラットフォームから一律に男性を排除することは許されるのか?

1.男性シッターによる新規予約受付の一時停止

 ネット上に、

「キッズライン、男性シッターの予約受け付けを停止 登録者の強制わいせつ事件が問題に」

という記事が掲載されていました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/a2d5b7840a991d3a5df06abcc2989b0a3e941af0

 記事には、

ベビーシッターマッチングアプリの大手『キッズライン』は、男性シッターによる新規予約受付を一時停止すると2020年6月4日に発表した。

専門家から性犯罪が男性により発生する傾向が高いことを指摘された

「ベビーシッター・キッズシッター(サポーター)と利用希望者をマッチングさせるサービスを提供している。このサービスに登録していた元ベビーシッターの男性が、保育していた男児の下半身を触ったとして強制わいせつの疑いで逮捕されたことが報道されていた。」

「キッズラインは公式サイトを更新し、『本日2020年6月4日14時から、男性シッターによる新規予約受付を一時停止いたしますので、お知らせいたします』と発表。」

「『過去に登録していた男性サポーターが逮捕されたことを重く受け止め、様々な安全管理の対策のみならず、性犯罪撲滅のためにも、社内に安全対策委員会を設置し、専門家とも度重なる協議を重ねてまいりました』『弊社としましては、国や自治体との性犯罪データベースの共有が実現することや、安全性に関する充分な仕組みが構築されるまで、また、専門家から性犯罪が男性により発生する傾向が高いことを指摘されたことなどを鑑み、男性サポーターのサポート(家事代行を除く)を一時停止することといたしました』」

と書かれています。

 犯罪発生率を根拠として特定の性を締め出すとの対策は、一見して非理性的であるように思われますが、こうした措置は法的に許容されるのでしょうか。

2.労働者なら先ず許容されないだろう

 雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(男女雇用機会均等法)5条は、

「事業主は、労働者の募集及び採用について、その性別にかかわりなく均等な機会を与えなければならない。」

と規定しています。

 そして、労働者に対する性別を理由とする差別の禁止等に関する規定に定める事項に関し、事業主が適切に対処するための指針(厚生労働省告示第614号)第2-2(2)は、

「一定の職種・・・について、募集又は採用の対象を男女のいずれかのみとすること」

を男女雇用機会均等法第5条による禁止対象であると位置付けています。

 したがって、企業がベビーシッターを労働者として雇用するにあたり、男性を排除した募集をかけたり、採用の場面から男性を一律に排除したりすれば、それは違法性ありと判断される可能性が極めて高いのではないかと思います。

 こう言うと、一般の方の中のは、犯罪の発生傾向が締め出しを正当化する根拠にならないのかと、条文の形式的な適用に疑問を持つ方がいるかもしれません。

 しかし、これはならないと思います。

 根拠は二点あります。

 一点目は、公正な採用選考から逸脱していることです。

 厚生労働省は「厚生な採用選考の基本」という考え方を提示しています。

https://www.mhlw.go.jp/www2/topics/topics/saiyo/saiyo1.htm

 ここでは、

「応募者の適正・能力のみを基準として行うこと」

「本人のもつ適正・能力以外のことを採用の条件にしないこと」

を構成な採用選考の基本として位置付けています。

 性差による犯罪の発生傾向は、応募者個人の適正・能力とは関係がありませんし、応募者個人がコントロール可能な事情でもありません。

 犯罪の発生傾向を理由として特定の性を排除することは「公正」さに関する行政解釈に合致しません。

 二点目は、犯罪の発生傾向が理由になるなら、法規制としての意味がなくなるからです。

 統計上の数値という意味では、犯罪の発生傾向は男性の方が女性よりも高い傾向にあります。例えば、法務省の矯正統計「刑務所・拘置所別 被収容者の入手所事由別人員」によると、令和2年3月の月末時点において、男性受刑者は3万8231人いるのに対し、女性受刑者は3456人しかいません。

https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00250005&tstat=000001012930&cycle=1&year=20200&month=11010303

 犯罪=受刑ではないにしても、犯罪の発生傾向を理由とした募集・採用の場からの男性の締め出しが許容されるのであれば、男女雇用機会均等法による法規制は殆ど意味を持たなくなります。そうした状況を法が許容しているとは到底思えません。

3.プラットフォームなら許容されるのか?

 それでは、労働者に対しては性差別として許容されないことであったとしても、プラットフォーム事業者がフリーランスに対して行うのは許されるのでしょうか。

 私の感覚では、許容されないのではないかと思います。

 確かに、男女雇用機会均等法のようなダイレクトにフリーランスの募集・採用の在り方を規制する法律はありません。

 しかし、法は男女差別に対して消極的な評価を与えています。

 例えば、憲法14条1項は、

「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

と規定しています。

 こうした価値観は私人間での法律関係にも反映されます。

 例えば、最三小判昭56.3.24 最高裁判所民事判例集35-2-300 労働判例360-23 日産自動車事件は、男性の定年を60歳、女性の定年を55歳とする雇用システムに対し、

専ら女子であることのみを理由として差別したことに帰着するものであり、性別のみによる不合理な差別を定めたものとして民法九〇条の規定により無効であると解するのが相当である(憲法一四条一項、民法一条ノ二参照)」

と判示しています。

 これは労働契約を対象とするものではありますが、民法90条は、

「公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする。」

という条文であり、労働契約に限らず、広く法律行為(契約)全般に干渉する建付けになっています。

 労働契約だろうが、プラットフォームの提供契約であろうが、

「専ら男性/女性であることのみを理由として差別した」

と理解されるような措置が不適法と理解される余地は十分にあるだろうと思います。

 また、男女共同参画社会基本法10条は、国民の責務として、

「国民は、職域、学校、地域、家庭その他の社会のあらゆる分野において、基本理念にのっとり、男女共同参画社会の形成に寄与するように努めなければならない。」

と規定しています。

 「男女共同参画社会の形成」という言葉は、

男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会を形成することをいう。」

と定義されています(男女共同参画社会基本法2条1号)。

 男女共同参画の概念は社会のあらゆる分野において妥当するものであり、これも労働契約に限られるわけではありません。

 加えて、雇用によらない働き方に対する法的保護の在り方は、世界的にも重要な課題として位置付けられています。例えば、日本労働研究雑誌2019年5月号に掲載されている鎌田耕一「雇用によらない働き方をめぐる法的問題」という論文の中には、次のような記述があります。

「イギリスの差別禁止法83条2項は、その適用対象を雇用契約、徒弟契約及び個人的就業契約人就業契約(contract personally to do work)の下にある者としている。これは employee, workerとも異なる概念である。役務提供契約の下で使用される者も、それが個人で仕事または業務を行うことが義務付けられている限り適用される

 プラットフォームを使用者的な立場で理解できるのかという議論はあるにしても、労働契約以外の法形式における働き方に(性)差別禁止に関する考え方を及ぼして行くという発想は、決して特異な考え方ではありません。

 私個人の考えとしては、プラットフォームからであろうが(労働契約の場面ではなかったとしても)、個々人の能力や適性とは離れ、男性であることを理由とした排除には問題があり、不法行為(民法709条)上の違法性が認められる可能性は十分にあるのではないかと思っています(訴訟自体が先例性のない難易度の高いものである反面、仮に損害賠償請求が認められても、逸失利益の立証はしにくいですし、慰謝料は微々たるものになることが想定されるため、事件化はしにくいと思いますが)。

4.犯罪の発生傾向などという議論は理性的思考の放棄ではないか

 犯罪の発生傾向などという大雑把な議論がが許容されるのであれば、黒人・アジア人・白人で犯罪発生率を比較して、特定の人種を就労の場所から排除することまで許容されかねません。

 「男性シッターによる新規予約受付を一時停止する」という意思決定の背景には専門家の存在もいたとのことですが、男性の就労者数に占める性犯罪者の割合を考慮するなど、もう少し理性的な判断はできなかったのかと疑問に思います。

 

退職金不支給処分・返納命令の処分事由説明書の記載を軽信するのは危険

1.処分事由の追加主張

 職員に対して不利益処分が行われる場合、処分権者には「処分の事由」を記載した「説明書」を交付する義務があります(国家公務員法89条1項、地方公務員法49条1項)。

 懲戒・分限などの不利益処分を受けた公務員が、不服申立を行うのか否かを判断するにあたっては、この「説明書」を精査検討することが出発点になります。

 しかし、いざ不服申立手続をとると、この「説明書」に記載されていない事由が縷々主張されることがあります。

 こうした取扱いは、果たして適法なのでしょうか。

 これは講学上、処分事由の追加主張と呼ばれている論点です。

 国家公務員法の概説書は、

「判例は、処分説明書に記載のない事実についての追加主張を何らの限定なしに認めるものもあるが・・・、その大勢は、基本的処分事由たる事実については、処分説明書記載の事実と同一性のない事実を後の争訟過程で追加主張することはできないが、情状事実については、処分説明書に記載のない事実も主張することができるとしている」

との現状認識を示しています(森園幸男ほか『逐条 国家公務員法』〔学陽書房、全訂版、平27〕772頁)。

 また、

「懲戒処分の場合は、具体的な行為の責任を問う処分であるので、処分説明書に明示された行為以外の行為を処分理由として追加することは、一般に、処分説明書に記載された事実と基本的事実関係において同一性を有する事実の範囲にあるものとは評価されないことになろう。」

との解釈も示してます。

 地方公務員法の概説書も、

「懲戒処分の場合は、具体的な行為の責任を問う処分であるので、明示された行為以外の行為を追加することは問題である。処分者が処分当時把握しており、その責任を問う意思であった事実以外の事実が後になって判明したときは、これについて別途懲戒処分を行うべきであり、追加理由とすることは消極に解すべきである」

との理解を示しています(橋本勇『逐条 地方公務員法』(学陽書房、第4次改訂版、平29〕867頁参照)。

 このように不服申立段階で「説明書」に記載された処分事由以外の事由を追加主張することに関しては、法は積極的な評価を与えていません。

2.懲戒免職処分と退職金不支給・返納命令処分との関係ではどうか

 それでは懲戒免職処分と退職金不支給・返納命令処分との関係ではどうでしょうか。

 国家公務員退職手当法では、懲戒免職処分等が退職手当の支給制限事由として掲げられています(国家公務員退職手当法12条、同報14条参照)。また、地方公務員の場合でも、多くの地方公共団体においては、条例で似たような制度設計がなされています。

 こうした仕組みのもと、懲戒免職処分の処分事由として掲げていなかった事実を、退職金不支給・返納命令処分の事由として追加することは可能なのでしょうか。

 昨日ご紹介した札幌地判令元.11.12判例タイムズ1471-48は、この問題を考えるうえでも有益な示唆を与えてくれます。

3.札幌地判令元.11.12 判例タイムズ1471-48

 本件は退職手当返納命令に対する取消訴訟です。

 原告になったのは、教育委員会の元職員の方です。定年後再任用された後、在職中の非違行為が発覚して懲戒免職処分を受け、それに引き続く形で、退職金返納命令を受けました。この方は懲戒免職処分は争っておらず、退職手当返納命令だけを問題にしています。

 懲戒免職処分の処分事由説明書には、

① 偽造した校長、教頭の私印を用いて、私費会計(PTA会計等のこと)の事務処理を紅潮の決済を受けることなく繰り返し単独で行ったこと等、

② 私費会計から関係団体に支払う負担金や業者への支払金を原告の個人口座に入金し、その口座から関係団体等へ振り込むことによって、振込手数料の差額を横領したこと、

③ 体育科実習費を預金していたC信用金庫の口座を解約した際、解約残金を新設した口座に入金せず、使途不明とした、

ことが記載されていました。

 退職金返納命令を行うに先立って発出された聴聞通知書には、①~③の各事由が記載されていました。

 しかし、聴聞を経て行われた退職金返納命令の命令書には、①、②の非違行為しか記載されていませんでした。

 この退職金返納命令に対して原告が審査請求を行ったところ、処分行政庁から、③のほか、

④ 私文書偽造等により自己負担すべき物品等を私費会計に負担させ、私的流用を行ったこと、

⑤ その他の使途不明金を発生させたこと、

が処分事由として追加主張されました。

 そして、処分行政庁による処分事由を①~⑤とする主張が、審査請求の棄却採決後の取消訴訟でも維持されたという経過が辿られています。

 当然、原告側は③~⑤が処分事由とされることに文句を言うのですが、裁判所は、次のとおり述べて、③~⑤のいずれについても、退職金返納命令の処分事由になると判断しました。

(裁判所の判断)

-③を処分事由とすることについて-

「確かに、本件命令書には非違行為③に関する記載はない・・・。」

「しかしながら、上記・・・のとおり、本件処分は、本件懲戒処分を受けて行われたものであるから、その処分理由となる非違行為が本件処分の処分事由と同一であることは、特段の事情のない限り、被処分者である原告にとっても明らかであったというべきである。そして、非違行為③については、本件懲戒処分の処分事由の一つとされており、本件命令書に非違行為③を処分理由から除外することをうかがわせる文言はなく、他に上記特段の事情の存在は伺われない。

-④、⑤を処分事由とすることについて-

「本件懲戒処分の処分事由説明書においては、非違行為④、⑤は記載されていないところ、このような重大な事実をあえて処分事由説明書に記載しない合理的な理由は見当たらない。そうすると、処分行政庁においては、本件懲戒処分をするに当たって、非違行為④、⑤につえも処分事由とすることが検討されたものの、結局あそれは見送られたとみるほかないのであって、本件懲戒処分において非違行為④、⑤が処分事由になっていたと認めることはできない。」

「本件懲戒処分を受けて行われた本件処分についてみても、本件聴聞に先立ち原告に示された本件通知書には非違行為④、⑤に関する記載はなく、本件退職手当返納命令の理由として非違行為④、⑤に関する説明があったことはうかがわれない。加えて、前期・・・のとおり、本件処分理由が記載された本件命令書においても、非違行為④、⑤は理由として明記されていないのである・・・。」

「そうすると、非違行為④、⑤が本件処分の処分理由になっているとは認められない。」

(中略)

「本件条例12条1項1号、15条1項2号によれば、退職手当返納命令処分は『当該退職をした者が行った非違』の内容等を勘案して行われるものであるところ、上記処分は懲戒免職等訴分を前提とするものであるから、上記各条項にいう『当該退職をした者が行った非違』とは、懲戒免職等処分の処分事由となった非違行為と同一であることが当然に想定されているというべきである。一方、上記各条項によれば、退職手当返納命令処分を行うに当たっては、非違の内容程度のほか、被処分者の勤務状況や非違後の言動当を勘案するものとされているのであるから、懲戒免職等処分の処分事由となっていなかった非違行為がある場合、これをいわば情状事実をとして勘案して処分の内容を決することも、上記各条項の下では想定されているというべきである。

したがって、本件においても、被告が非違行為④、⑤についても本件処分の処分理由として主張することは許され、裁判所もこれを考慮して本件処分の適法性を判断することができると解するのが相当である。

4.退職手当不支給処分・返納命令の説明書の処分事由の記載はあてにならない

 裁判所は、退職手当返納命令の処分事由の説明書に記載されていなくても、懲戒免職と連動するシステムがとられていることから、懲戒免職処分の処分事由の説明書に記載されている処分事由は、退職手当返納命令の処分事由にもなると判示しました。

 また、退職手当返納命令を行うにあたっての考慮要素が懲戒免職処分を受けたこと以外にも広がっていることを捉え、懲戒免職の処分事由以外の事由を退職手当返納命令の処分事由として処分行政庁が主張することも問題ないとしました。

 こうなってくると、退職手当の不支給処分・返納命令の処分事由説明書の記載は、事件の見通しを考えるにあたり、殆ど役に立たないことになります。懲戒免職処分の処分事由説明書に記載されていることがゾンビのように復活してきたり、説明書に記載されていないことが「情状事実」の名のもとに際限なく出されてきたりするからです。

 公務員の退職手当の不支給処分・返納命令を争う事件では、大きな金額を取り扱うことが少なくありません。本件でも、返納が命じられた金額は、2618万8547円にも及んでいます。

 金額規模の大きな事件を受任するにあたっては、普段以上に見通しを慎重に精査検討し、依頼人に伝えて行くことが必要になります。本件のような処分事由説明書の記載が許容されると、事件の結論の予測精度が著しく悪くなるため、弁護士にとっては非常に困ります。

 この種の事件を取り扱う弁護士は、退職金不支給処分・返納命令の説明書の処分事由の記載を鵜呑みにして事由の質量がこの程度なら勝てると軽信すると、火傷しかねないことを意識しておく必要があるのだと思われます。

 

退職金返納命令処分を争うにあたり、懲戒免職処分の処分事由を争えるのか?

1.懲戒免職処分と退職金返納命令処分

 国家公務員退職手当法12条1項1号は、

「懲戒免職等処分を受けて退職した者」

に退職金の全部又は一部を支給しない処分を行うことができるとしています。

 ただ、「できる」とはいうものの、昭和60年4月30日 総人第261号 国家公務員退職手当法の運用方針が、

「非違の発生を抑止するという制度目的に留意し、一般の退職手当等の全部を支給しないこととすることを原則とする」

と規定している関係で、懲戒免職処分を受けた場合、原則として退職手当の不支給処分がなされることになります。

 そして、こうした国の仕組みは、多くの地方公共団体でも、条例の形で採り入れられています。

 ここで問題になるのは、退職金の不支給処分を争うにあたり、懲戒免職処分で認定された処分事由を争うことができるのかという点です。

 懲戒免職処分と退職金不支給処分とは、運用上、基本的に連動するようになっていますが、法の規定で結びつけられているわけではありません。両者は飽くまでも別個の処分で、懲戒免職処分を争っていなかったとしても、退職金不支給処分を争い、その中で懲戒免職事由の存否や意味付けを争うことはできるのでしょうか。

 それとも、懲戒免職処分の処分事由は、懲戒免職処分の段階で争っておかなければならず、審査請求期間の徒過等によって懲戒免職処分が確定してしまった場合、後の退職金不支給処分の中で、その存否や意味付けを争うことはできなくなってしまうのでしょうか。

 懲戒処分などの不利益処分に対する審査請求は、処分説明書を受領した日の翌日から起算して3か月以内にしなければならないと、不服申立期間が極めて短く設定されています(国家公務員法90条の2)。

 そのため、退職金不支給処分だけを争い、懲戒免職処分を放置しておくと、退職金不支給処分を争う中で懲戒事由の存否や意味付けが問題になるにもかかわらず、懲戒免職処分の効力を争うことができなくなるという現象が生じることがあります。

 この場合、懲戒免職処分の処分事由の存否や意味付けを争うことができなくなってしまうとなると、退職金不支給処分の取消の依頼を受けた弁護士としては、懲戒免職処分の取消まで争っておかなければならず、これを失念した場合、弁護過誤としての責任を問われかねないことになります。そのため、懲戒免職処分と、それに続く退職金不支給処分との関係性が、弁護士にとっては大きな関心事になるのです。

 近時公刊された判例集に、地方公務員の事案ではあるものの、この問題を考えるにあたり、参考になる裁判例が掲載されていました。札幌地判令元.11.12判例タイムズ1471-48です。

2.札幌地判令元.11.12判例タイムズ1471-48

 本件は退職手当の返納命令(本件処分)の取消訴訟です。

 原告は北海道教育委員会の職員であった方です。定年退職により退職手当を受領した後、定年後再任用されました。

 しかし、再任用期間中、定年退職前に、偽造した校長・教頭の私印を用いて私費会計の事務処理を校長の決済を受けることなく繰り返し単独で行ったことなどが発覚し、懲戒免職処分を受けました。その後、退職手当の返納命令(本件処分)がなされ、これだけが取消訴訟の対象になったという経過が辿られています。

 この裁判の中で、原告は、

「本件処分の前提となる本件懲戒処分が違法であるから、本件処分も違法である」

という主張を展開しました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり判示し、退職手当返納命令処分は懲戒免職処分とは別個独立の処分であるとして、非違の内容等を改めて考慮する可能性を認めました。

(裁判所の判断)

「原告は、本件懲戒処分が違法であるから、本件処分も違法であると主張する。」

「しかしながら、本件条例12条1項1号、15条1項2号によれば、退職手当返納命令処分は、懲戒免職等処分を受けて退職した者に対し、非違の内容等を勘案して行われるものであって、その判断に当たっては、懲戒免職等処分の処分事由となった非違の内容等が改めて考慮されることになっている。そうすると、退職手当返納命令処分は、懲戒免職処分等を前提とするものではあるが、これとは別個独立の処分であるというべきであるから、前者の処分の違法性が後者の処分に承継されると解することはできない。このように解しても、被処分者としては、懲戒免職処分等を受けた時点で当該処分の違法性を争うことができるのであるから、その手続保障に欠けるところはない。」

3.分かりにくい判示にはなっているが・・・

 北海道職員等の退職手当に関する条例は、以下のような規定になっています。

-12条1項-

退職をした者が次の各号のいずれかに該当するときは、当該退職に係る退職手当管理機関は、当該退職をした者(当該退職をした者が死亡したときは、当該退職に係る一般の退職手当等の額の支払を受ける権利を承継した者)に対し、当該退職をした者が占めていた職の職務及び責任、当該退職をした者の勤務の状況、当該退職をした者が行った非違の内容及び程度、当該非違に至った経緯、当該非違後における当該退職をした者の言動、当該非違が公務の遂行に及ぼす支障の程度並びに当該非違が公務に対する信頼に及ぼす影響を勘案して、当該一般の退職手当等の全部又は一部を支給しないこととする処分を行うことができる。
(1) 懲戒免職等処分を受けて退職をした者

(略)

-15条1項-

退職をした者に対し当該退職に係る一般の退職手当等の額が支払われた後において、次の各号のいずれかに該当するときは、当該退職に係る退職手当管理機関は、当該退職をした者に対し、第12条第1項に規定する事情のほか、当該退職をした者の生計の状況を勘案して、当該一般の退職手当等の額(当該退職をした者が当該一般の退職手当等の支給を受けていなければ第10条第2項、第5項又は第7項の規定による退職手当の支給を受けることができた者(次条及び第17条において「失業手当受給可能者」という。)であった場合にあっては、これらの規定により算出される金額(次条及び第17条において「失業者退職手当額」という。)を除く。)の全部又は一部の返納を命ずる処分を行うことができる。
(略)
(2) 当該退職をした者が当該一般の退職手当等の額の算定の基礎となる職員としての引き続いた在職期間中の行為に関し再任用職員に対する免職処分を受けたとき。

(略)

 細かな表現の違いはありますが、基本構造としては、国家公務員退職手当法と同様の形になっており、本件の判示は、国家公務員の場合のほか、多くの地方自治体の職員に対しても、妥当する可能性があります。

 そのため、一地方条例の解釈を示す判示ではあるものの、退職金返納命令について、懲戒免職等処分の処分事由となった非違の内容等を改めて考慮することが可能との判断を示した点には、重要な意義があります。

 「被処分者としては、懲戒免職処分等を受けた時点で当該処分の違法性を争うことができるのであるから、その手続保障に欠けるところはない。」との判示は、通常、退職金返納命令の段階で懲戒免職事由の存否や内容を争うことを否定するベクトルに働く事情であることから、本件の判示は理解しづらいものになっています。しかし、別の個所で、本件の裁判所が、懲戒免職処分との関係での不服申立手続でも提出可能な事情にも踏み込んで、これを排斥していることからも、退職手当の不支給処分・返納命令の中で、懲戒解雇事由の存否や意味付けを否定することは、不可能ではないのだろうと思います。

 実務的には、退職手当の支給を受けたい場合、懲戒免職処分の効力の段階から争った方が無難だとは思いますが、何らかの理由でこれをしなかったとしても、必ずしも懲戒免職処分の処分事由の存否や意味付けを争うことを諦める必要はなさそうです。

 

性的指向、性自認に対する侮辱的な言動の実例

1.パワハラ防止指針

 令和2年6月1日から、事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(パワハラ防止指針)が適用されます。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyoukintou/seisaku06/index.html

https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000584512.pdf

 この指針では、パワハラの類型のほか、具体例が記述されています。

 ただ、具体体が記述されているとはいっても、その中には抽象度が高いものも少なくありません。

 その最たるものが、SOGI(Sexual orientation and gender identity)ハラです。

 パワハラ防止指針におけるパワハラの一つに、

「精神的な攻撃」

という類型があります。

 これに該当する例として、

「人格を否定するような言動を行うこと。相手の性的指向・性自認に関する侮辱的な言動を行うことを含む。

という記述があります。

 このように、SOGIハラはパワハラの概念の中に位置づけられています。

 しかし、「相手の性的指向・性自認に関する侮辱的な言動」といっても、それが具体的にどのような言動を指すのかは、抽象的で十分に分かりません。

 それでは、「相手の性的指向・性自認に関する侮辱的な言動」とは、具体的にどような言動を指すのでしょうか。

 近時公刊された判例集に、これを推知するうえで参考になる裁判例が掲載されています。

 東京地判令元.12.12労働経済判例速報2410-3 経済産業省事件です。

 これは、以前「性同一性障害者が自認する性別に対応するトイレを使用する利益と行政措置要求の可能性」という題目でご紹介させて頂いた裁判例と同じ事件です。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/03/18/003059

 違う判例集にも掲載されていたため、別の切り口から書いてみたのが本記事です。

2.経済産業省事件

 本件は、性同一性障害者(Male to Female)の方が、

女性用トイレの使用に関する制限を設けないこと等を要求事項とする行政措置請求を認めない判定の取り消し

及び、

経済産業省の職員による違法な言動等を理由とする国家賠償

を請求した事件です。

 国家賠償請求の対象行為は多岐に渡りますが、その中の一つに、直属の上司bの

「なかなか手術を受けないんだったら、もう男に戻ってはどうか」

という発言があります。

 本件では、こうした発言の違法性が争点になりました。

 裁判所は、次のとおり判示して、上記発言を違法だと判示しました。

(裁判所の判断)

「原告は、bが平成25年1月17日面談において、『なかなか手術を受けないんだったら、もう男に戻ってはどうか』と発言した旨を主張しており、その陳述書・・・及び本人尋問においてこれに沿う内容の陳述をしている。そして、証拠・・・によれば、bが平成25年1月17日面談において、原告に対して当該発言とおおむね同じ内容の発言をしていたことを認めることができる。」
「そこで、検討するに、このようなbの発言は、その言葉の客観的な内容に照らして、原告の性自認を正面から否定するものであるといわざるを得ない。」
「被告は、当該発言の趣旨について、上記・・・のとおり主張しており、bは、『なかなか手術を受けないんだったら、服装を男のものに戻したらどうか』という発言をしたものであって、当該発言は、原告の性自認を否定する趣旨でされたものではない旨を主張している。しかしながら、性別によって異なる様式の衣服を着用するという社会的文化が長年にわたり続いている我が国の実情に照らしても、この性別に即した衣服を着用するということ自体が、性自認に即した社会生活を送る上で基本的な事柄であり、性自認と密接不可分なものであることは明らかであり、bの発言がたとえ原告の服装に関するものであったとしても、客観的に原告の性自認を否定する内容のものであったというべきであって、・・・、個人がその自認する性別に即した社会生活を送ることができることの法的利益としての重要性に鑑みれば、bの当該発言は、原告との関係で法的に許容される限度を超えたものというべきである(なお、被告は、bがそのような発言に至った事情として、丙において原告が性別適合手術を受けていないことを疑問視する声が上がっていたことや、当時の原告の勤務態度が芳しいものではなかったことなどを主張しているが、これらの事情を客観的に裏付ける的確な証拠はないし、仮にそのような事情があったとしても、上記の法的な評価を左右するに足りるものではないというべきである。)。
「したがって、bによる上記の発言は、原告に対する業務上の指導等を行うに当たって尽くすべき注意義務を怠ったものとして、国家賠償法上、違法の評価を免れない。

3.SOGIハラの具体例

 原告の方は、上記言動を、パワハラやセクハラの概念の媒介させることなく、端的に人格権侵害として構成しています。

 SOGIハラは比較的新しい概念であるうえ、法律用語でもないため、違法性を有する言動の外延は、それほど明確になっているわけではありません。

 そのため、言動に違法性を認めた本件裁判例は、具体的にどのような発言が人格権侵害に該当するのかを推知するための資料として、非常に重要な意味を持っています。

 性自認に即した社会生活を送る上で基本的な事柄とは何か、今後の事例の集積が期待されます。