弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

企業への犯罪歴の申告義務と名の変更

1.企業から聞かれたに犯罪歴は答えなければならないのか?

 企業の採用面接等で犯罪歴を聞かれた時、答えなければならないのかという論点があります。

 応募者に犯罪歴がある場合、特に、それが重大であったり奇異であったりする場合、普通の企業は採用を敬遠します。

 しかし、企業からの質問に対し、常に犯罪歴の有無を回答しなければならないとすると、罪を犯した人が永続的に社会から排除されることになってしまいます。犯罪歴のある方を採用したくないという気持ちは分からなくもありませんが、罪を犯した人が永遠に前科者という烙印を背負い続けるのも、社会全体の在り方からすれば、好ましいとはいえません。

 企業の採用の自由と罪を犯した人の社会への再統合の要請とのバランスの取り方として、消滅前科という考え方があります。

 刑法34条の2第1項は、 

禁錮以上の刑の執行を終わり又はその執行の免除を得た者が罰金以上の刑に処せられないで十年を経過したときは、刑の言渡しは、効力を失う。罰金以下の刑の執行を終わり又はその執行の免除を得た者が罰金以上の刑に処せられないで五年を経過したときも、同様とする。」

と規定しています。

 刑の執行を終わってから何事もなく10年経過すれば、その人は、法律上、前科のない人と同じように取り扱われることになります。

 これを消滅前科といいます。

 経歴詐称等の形で前科の不告知が問題になった裁判例の中には、前科を聞くこと自体は問題ないものの、労働者は消滅前科まで告知しなければならないわけではないという形で、バランスを図っているものがあります。

 例えば、仙台地裁昭60.9.19労働判例459-40 マルヤタクシー事件は、

使用者が雇用契約を締結するにあたつて相手方たる労働者の労働力を的確に把握したいと願うことは、雇用契約が労働力の提供に対する賃金の支払という有償双務関係を継続的に形成するものであることからすれば、当然の要求ともいえ、遺漏のない雇用契約の締結を期する使用者から学歴、職歴、犯罪歴等その労働力の評価に客額的に見て影響を与える事項につき告知を求められた労働者は原則としてこれに正確に応答すべき信義則上の義務を負担していると考えられ、したがつて、使用者から右のような労働力を評価する資料を獲得するための手段として履歴書の提出を求められた労働者は、当然これに真実を記載すべき信義則上の義務を負うものであつて、その履歴書中に「賞罰」に関する記載欄がある限り、同欄に自己の前科を正確に記載しなければならないものというべきである(なお、履歴書の賞罰欄にいう「罰」とは一般に確定した有罪判決(いわゆる「前科」)を意味するから、使用者から格別の言及がない限り同欄に起訴猶予事案等の犯罪歴(いわわゆる「前歴」)まで記載すべき義務はないと解される。)。」

「しかしながら、犯罪者の更生にとつて労働の機会の確保が何をおいてもの課題であるのは今更いうまでもないところであつて、既に刑の消滅した前科について使用者があれこれ詮策し、これを理由に労働の場の提供を拒絶するような取扱いを一般に是認するとすれば、それは更生を目指す労働者にとつて過酷な桎梏となり、結果において、刑の消滅制度の実効性を著しく減殺させ同制度の指向する政策目標に沿わない事態を招来させることも明らかである。したがつて、このような刑の消滅制度の存在を前提に、同制度の趣旨を斟酌したうえで前科の秘匿に関する労使双方の利益の調節を図るとすれば、職種あるいは雇用契約の内容等から照らすと、既に刑の消滅した前科といえどもその存在が労働力の評価に重大な影響を及ぼさざるをえないといつた特段の事情のない限りは、労働者は使用者に対し既に刑の消滅をきたしている前科まで告知すべき信義則上の義務を負担するものではないと解するのが相当であり、使用者もこのような場合において、消滅した前科の不告知自体を理由に労働者を解雇することはできないというべきである。

と判示しています。

2.犯罪歴のインターネット検索の問題

 上述のような裁判例はありますが、企業も前科を無制約に聞くことが許容されるというわけではないのだろうと思います。そのことは、マルヤタクシー事件の判示が、

「労働力の評価に客額的に見て影響を与える事項につき」

という留保を付けていることからも伺われます。

 元々、前科をみだりに公開されない利益は、それをプライバシーと言うかは別として、古くから裁判例で承認されてきました。

 その歴史は、最三小判昭56.4.14民集35-3-620が、

「前科及び犯罪経歴(以下「前科等」という。)は人の名誉、信用に直接にかかわる事項であり、前科等のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益を有する」

と判示したことにまで遡れます。

 労働力評価との関連性を説明できなければ前科を聞くこと自体が権利侵害の問題を生じさせかねないためか、面接で「前科があるか」とダイレクトに尋ねられたというケースは、それほど多く耳にしなくなっています。

 その代わりに出てきたのが、犯罪歴のインターネット検索の話です。

 自分はどの企業に応募しても落とされる、これはインターネット上に実名報道が残り続けているからではないかという相談です。

3.インターネット検索から逃れるのは容易ではない

 罪を犯した人が、インターネット検索から逃れることができるかというと、それは必ずしも容易ではありません。

 最三小判平29.1.31民集71-1-63という判例があります。

 本件は児童買春をして逮捕された方が、検索事業者に対し、検索結果の削除を求める仮処分命令を申し立てた事件です。

 この事件で、最高裁は、

「検索事業者が、ある者に関する条件による検索の求めに応じ、その者のプライバシーに属する事実を含む記事等が掲載されたウェブサイトのURL等情報を検索結果の一部として提供する行為が違法となるか否かは、当該事実の性質及び内容、当該URL等情報が提供されることによってその者のプライバシーに属する事実が伝達される範囲とその者が被る具体的被害の程度、その者の社会的地位や影響力、上記記事等の目的や意義、上記記事等が掲載された時の社会的状況とその後の変化、上記記事等において当該事実を記載する必要性など、当該事実を公表されない法的利益と当該URL等情報を検索結果として提供する理由に関する諸事情を比較衡量して判断すべきもので、その結果、当該事実を公表されない法的利益が優越することが明らかな場合には、検索事業者に対し、当該URL等情報を検索結果から削除することを求めることができるものと解するのが相当である。」

との一般論を示したうえ、

「抗告人が妻子と共に生活し、・・・の罰金刑に処せられた後は一定期間犯罪を犯すことなく民間企業で稼働していることがうかがわれることなどの事情を考慮しても、本件事実を公表されない法的利益が優越することが明らかであるとはいえない。」

と検索結果からの削除を認めませんでした。

 要するに、検索結果からの排除というのは、一般論として絶対不可能ではないにしても、そのハードルは極めて高いのです。

4.氏の変更も容易ではない

 そこで出てくるのが、氏の変更という手続です。

 氏の変更というのは、戸籍法107条1項に根拠のある手続で、「やむを得ない事由」があるときに、家庭裁判所の許可のもとで氏を変更できるという仕組みのことです。

 氏の変更が前科の秘匿との関係で着目されていたのは、今に限ったことではなく昔からのことです。

 ただ、前科との関係で氏を変更することは必ずしも容易ではありません。

 例えば、宮崎家審平8.8.5家月49-1-140は、

単に心情的に氏に改めて心機一転したいとか、前科を隠したい等という申立人の主観的理由によって氏変更を求めるのではなく、客観的に現在の氏による社会生活上の現実の支障や不利益があり、氏変更の必要があると認められる場合であって、加えて、氏を変更することが当該人物の更生に必要と認められる事情がある場合には、戸籍法にいうやむを得ない事由に該当すると解される。」

と述べたうえ、結論として氏の変更を認めてはいますが、単に前科を隠したいといった主観的理由による氏の変更を否定しています。

 やや古い裁判例になりますが、千葉家八日市場支審昭39.2.7家月16-8-119は、

「 軽々に変更されると、選挙、徴税などの行政事務上にも支障を来すし、取引上も混乱を来し、税金や債券を免かれるため、或は又前科や犯罪を隠すために悪用される恐れもある。

と前科隠しは氏の変更の悪用例だとまで言っています。

5.名の変更

 それでは、名の変更はどうでしょうか。

 戸籍法107条の2は「正当な事由」があるときに、家庭裁判所の許可のもとで名前を変更することを認めています。

 名の変更に必要な「正当な事由」は氏の変更の要件である「やむを得ない事由」よりも緩やかだと理解されています(島田充子「『改名許可基準と手続』-名の変更・氏名変更手続」判例タイムズ1100-106参照)。

 氏の変更よりも要件が緩やかな名の変更であれば、前科を隠すために使うことができるのでしょうか。

 前振りが長くなりましたが、近時公刊された判例集に、公然わいせつ在で執行猶予付きの判決を受けた方が、就職に不利益であるとして名の変更を求めた事件が掲載されていました。

 東京家審令元.7.26判例タイムズ1471-255です。

 裁判所は、次のとおり述べて、名の変更を認めませんでした。

(裁判所の判断)

「本件申立は、平成30年〇月〇日に公然わいせつの罪により懲役4月、執行猶予3年の有罪判決を受けた申立人が、逮捕時に報道された自己の氏名及び顔写真が現在もインターネット上に拡散されているため、就職の応募先にこれを知られてしまい、就職することが出来ない状態にあるとして、申立人の名をインターネット検索できる『B』から『C』に変更することを求めるというものである。」

犯罪歴は、企業にとって、企業への適応性や企業の信用の保持等企業の秩序維持の観点から重要な情報の一つであって、応募者が雇用契約に先立って申告を求められた場合は、信義則上真実を告知すべき義務を負うものであるから、現在執行猶予期間中である申立人が応募に当たり、当該犯罪歴を募集企業に知られることで採用を拒否されるなど一定の不利益を受けることがあったとしても、それは社会生活上やむを得ないものとして申立人において甘受すべきである。したがって、このような不利益を回避することを理由として名の変更をすることは許されず、戸籍法107条の2にいう『正当な事由』があるとは認められない。

6.犯罪は割に合わない

 感覚的には、労働部の裁判官であれば、労働能力評価の観点から全く留保を付けることなく「信義則上真実を告知すべき義務」といった一般的な義務を措定することはなさそうな気はしますが、裁判所は、前科隠しは名の変更である「正当な事由」にはならないと判示しました。

 従来、前科隠しと名の変更との関係では、目立った公表裁判例がありませんでした。

 インターネットの発達や氏の変更ほど要件が厳しくない関係で、どういう判断がされるのかなと気になってはいましたが、大方の予想通り、名前の変更という方法も塞がれました。

 報道されるか否かは私人でコントロール可能なことではありません。インターネット検索からも逃れられず、氏名を変更することも容易ではありません。

 犯罪は割に合わないように出来ているので、やはり、しないに越したことはありません。

 

賭け麻雀の朝日新聞記者「停職1か月」について

1.賭け麻雀の朝日新聞記者「停職1か月」

 ネット上に、

「賭け麻雀の朝日新聞記者『停職1カ月』の妥当性

という記事が掲載されています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/35d51973b42387b3ba3ffc9ffcb2c3d5f4741586?page=1

 記事には、

「朝日新聞社は5月29日、前東京高検検事長の黒川弘務氏の賭け麻雀問題に関し、同氏らとともに賭け麻雀を行っていたことが判明した社員を停職1カ月の懲戒処分としたことを発表しました。また、管理責任を問い、執行役員経営企画室長の福島繁氏をけん責としています。」

「世論の多くは、この処分に対し、刑法に抵触する可能性のある賭け麻雀をして、しかも、新型コロナウイルスで自粛が必要な時期にさえ行ったのだから、処分を受けて当然と考えるでしょう。筆者も、いち国民として同感です。」

「しかし、社労士としての視点から冷静に考えると、感情論だけで、この懲戒処分を正当化してしまうのは性急であると感じました。」

「今回の懲戒処分の妥当性を法的に検証するにあたり、考慮すべき論点は3つあります。先にキーワードだけ申し上げると、第1は『推定無罪の原則』、第2は『トカゲの尻尾切り』、第3は『行為と処分のバランス』です。

と書かれています。

 一次資料に触れているわけでもないため、懲戒処分が妥当なのか不当なのかは分かりませんが、弁護士(私)とは少し着眼点が違うのだなと思いました。

2.弁護士が考えること

(1)懲戒事由は何?

 弁護士的な観点で言うと、私は何を懲戒事由として判断したのかが気になります。

 朝日新聞のホームページを見ると、

「社員は、緊急事態宣言下に黒川氏、産経新聞記者2人と賭けマージャンをしており、本社は極めて不適切な行為と判断しました。定年延長、検察庁法改正案が国会などで問題となっており、渦中の人物と賭けマージャンをする行為は、報道の独立性や公正性に疑問を抱かせるものでした。深くお詫びいたします。」

と書かれています。

https://www.asahi.com/corporate/info/13413852

 しかし、この文言を見るだけでは、新聞社がどこに企業秩序の侵害を見出したのかが良く分かりません。

 具体的に言うと、

① 「賭け麻雀(刑法犯である賭博罪)をした」という行為の属性の問題なのか、

② 「緊急事態宣言下に」不適切な行為に及んだという時節の問題なのか、

③ 渦中の人物(取材対象者)との距離の取り方の問題なのか、

という点です。

 それによって「行為と処分のバランス」は全然違ったものになるのではないかと思われるからです。

(2)行為と処分のバランス

 例えば、賭博行為に力点があったとします。

 単純な比較はできませんが、公務員の懲戒処分の基準となっている、

人事院事務総長発 平成12年3月31日職職-68「懲戒処分の指針について」

によると、公務外非行関係での単純賭博は、

「減給又は戒告」

とされています。

https://www.jinji.go.jp/kisoku/tsuuchi/12_choukai/1202000_H12shokushoku68.html

 「緊急事態宣言下に」という部分に力点があったとすると、緊急事態宣言下であるとはいえ、出歩くこと自体は違法とされていない中、三密を避けることを強く報じていた会社の方針に反したことをもって、どこまで重い処分を科することができるのかが問題になります。

 渦中の人物(取材対象者)との距離の取り方の問題であるとすれば、同種の行為がこれまでどのように取り扱われてきたのかが気になります。「同種の行為を行った他の労働者への処分との均衡」は懲戒権濫用の判断要素になるからです(荒木尚志ほか『詳説 労働契約法』〔弘文堂、第2版、平26〕159頁参照)。

3.公正な言論のための独立の確保とは?

 法令ではないものの、新聞倫理綱領というものがります。

 ここには、

「新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。」

と書かれています。

https://www.pressnet.or.jp/outline/ethics/index.html

 本件に関しては、特に学術的興味以上のものを持っているわけではありませんが、メディアが、

渦中の人物(取材対象者)との距離の取り方を是としているのかどうか(懲戒事由として認識しているのかどうか)、

これまで同様の付き合い方を律してきた事実があるのかどうか、

今後、業界として、同様の付き合い方を何等かのルールをもって律するつもりがあるのかないのか、

は気になるところです。

 個人的には「重い(妥当な)処分がされたのだから・・・」という処分の量定の問題だけではなく、懲戒事由が何なのかを追求する報道が、もう少しあってもよいのではないかと感じています。

 

無駄そうに思える場合であっても、パワハラを会社に相談する意味はある

1.労災認定基準の改定

 長時間労働やパワハラで精神的な疾患にかかってしまった場合、労災認定を受けられる可能性があります。その基準となっているのが、

平成23年12月26日付け基発1226第1号

「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(認定基準)

という行政文書です。

 これが5月29日に改正されたとの報道発表がありました。

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_11494.html

 厚生労働省によると、パワーハラスメント防止対策の法制化を踏まえ、「心理的負荷

評価表」に「パワーハラスメント」という出来事を追加するなどの見直しを行ったとのことです。

 心理的負荷表というのは、具体的な出来事毎に、それが労働者にどの程度の心理的負荷を与えるのかを類型化した表をいいます。心理的負荷は「強」「中」「弱」の三段階に分けられています。

 心理的負荷を与えた出来事をこの表にあてはめ、総合評価が「強」と判断される場合、発症した精神障害は業務上の疾病として労災の対象になります。

2.改正認定基準は単なる言葉の言い換えか?

 改正前の認定基準でも「(ひどい)嫌がらせ、いじめ、又は暴行を受けた」という具体的出来事が規定されていて、この枠組みの中で、パワハラによる精神疾患が労災認定を受けられるのかどうかは判断されていました。

 そのため、「パワーハラスメント」という出来事が追加されたとしても、従来労災認定の対象でなかったものが労災認定の対象になるといったような劇的な影響があるわけではありません。

 その趣旨は同時に公表されている

「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会報告書 令和2年5月」(専門検討会報告書)

の中でも、

今般の見直しは、新たな医学的知見等に基づきパワーハラスメントに係る出来事を新しく評価対象とするものではなく、パワーハラスメント防止対策の法制化等に伴い職場における『パワーハラスメント』の用語の定義が法律上規定されたことを踏まえ、同出来事を心理的負荷評価表に明記するとともに、これに伴って整理を要すると考えられる心理的負荷評価表の項目について必要な改定を行うものである。」

と書かれているとおりです。

https://www.mhlw.go.jp/content/11201000/000634906.pdf

 それでは、今回の認定基準の改定は、単に概念整理が行われただけで、実務的にそれほど大きな影響はないと考えてもいいのでしょうか?

 まだ実務が動き始めていませんし、専門家によって評価は分かれるのだとは思いますが、私は必ずしもそうではないだろうと思います。

3.会社が適切に対応しなかった場合の取り扱い

 個人的に一番着目しているのは、会社が適切に対応しなかった場合の取り扱いです。

 専門検討会報告書の中には、心理的負荷が『強』である具体例として、

「心理的負荷としては『中』程度の身体的攻撃、精神的攻撃等を受けた場合であって、会社に相談しても適切な対応がなく、改善されなかった場合

が明記されています。

 つまり、心理的負荷が「中」の出来事しかなかったとしても、会社に申告して適切な対応がなかったという事実があれば、精神疾患の発症が労災として認められる可能性が出てくるということです。

 これは私の主観的な感覚になりますが、パワーハラスメントによる精神疾患を労災と認定してもらうためのハードルはかなり高いという印象を持っています。

 余程のことがなければ、心理的負荷を「強」として評価してもらうことは難しいですし、「中」のエピソードを幾ら集めても総合評価で「強」を勝ち取ることは決して容易ではありません。

 そうした状況の中、

「心理的負荷としては『中』程度の身体的攻撃、精神的攻撃等を受けた場合であって、会社に相談しても適切な対応がなく、改善されなかった場合」

を心理的負荷が「強」となる類型として規定したことにはかなり大きな意味があるように思います。

 なお、パワーハラスメントに該当しない同僚間の暴行やいじめ、嫌がらせは「パワーハラスメント」の括りではなく「同僚等から、暴行又は(ひどい)いじめ・嫌がらせを受けた」という類型として扱われます。

 この類型においても、

「心理的負荷としては『中』程度の暴行又はいじめ・嫌がらせを受けた場合であって、会社に相談しても適切な対応がなく、改善されなかった場合」

は心理的負荷が「強」になる場面として位置付けられています。

3.労災が認定されると?

 当然のことながら、労災が認定されると労災保険給付が受けられます。

 また、それ以外にも、労働者側にはメリットが生じます。それは民事訴訟で損害賠償請求を行う時に、精神障害によって生じた損害(長期間働けなくなったなど)に加害行為との因果関係が認められやすくなることです。

 労災の業務起因性の判断は、厳密には区別されはするものの、労災民訴における加害行為と損害との間の因果関係の認定と密接に関連しています。業務起因性が認められながら、相当因果関係が否定されるということはあまりありません。

 そのことは、水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕819頁の

「理論的には、労災保険法上の労災認定における業務起因性と、労災民訴における義務違反と損害との相当因果関係とは、別の問題であるが、判例・裁判例は両者を理論的に明確に区別せずに論じていることも少なくない。」

との記述からも伺われます。

 労災認定がされると、そのこと自体が、加害行為と精神障害によって生じた損害との間の相当因果関係を立証するうえでの有力な根拠になります。

4.相当因果関係が認定されると?

 相当因果関係が認定されると、パワハラの慰謝料が跳ね上がる可能性が高まります。

 慰謝料は労災保険給付の対象にならないので、これを請求しようと思えば、民事訴訟によらざるをえません。

 パワハラの慰謝料は予測が難しい訴訟類型の一つです。

 東京弁護士会労働法制特別委員会編『労働事件における慰謝料』〔経営書院、第1版、平27〕112頁以下で、平成15年1月~平成25年12月の労働判例という雑誌に掲載されたパワハラによる慰謝料事案の分析がされていますが、これによると、

10万円以下・・・・・・・・・・・7件

10万超~50万円以下・・・・・12件

50万円超~100万円以下・・・・7件

100万円超~150万円以下・・17件

150万円超~200万円以下・・・1件

200万円超・・・・・・・・・・・4件

といった分布状況になっています。

 基本的に金額は伸びにくいのですが、

「自殺に追い込まれるほどパワハラの程度が重い事案や、パワハラ行為が原因で精神疾患等を発症した事案では、比較的高額な慰謝料が認容される傾向」

があることが報告されています(同117頁参照)。

 低い方の数十万円程度しか慰謝料が得られない可能性もあるため、パワハラを理由とする慰謝料請求事件を弁護士に依頼することが経済的に割に合うのかは悩みどころです。

 しかし、労災認定が先行していて、業務に起因して精神疾患にかかったことが明確になっている場合、働けなくなった期間などにもよりますが、それなりに高額の慰謝料を請求できる芽が出て来ます。

5.無駄だと思わず会社に相談を

 労働得柵総合推進法30条の2第3項の規定に基づいて、厚生労働省から令和2年1月15日付けで、

「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」

という告示が出ています。

 この告示は事業主が講ずべき措置の内容として、

「相談(苦情を含む。以下同じ。)に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備」

を掲げています。

 罰則がないだとか、相談しても握りつぶされてしまうのではないかだとか、パワハラの防止対策には疑問を呈する人もいます。

 しかし、仮に、会社がきちんとした対応をとらなかったとしても、相談していた事実は、後々、労災認定や労災民訴(損害賠償請求訴訟)の場面で意味を持ってくる可能性があります。

 会社がきちんとした対応をとってくれれば何の問題もありませんし、仮に、きちんとした対応をとってくれなかったとしても、相談することに意味がないわけではありません。

 制度を実効性のあるものにするためにも、パワハラの被害に遭ったら、きちんと相談してみることをお勧めします。

 独力での相談が難しい場面では、弁護士が代理することもできます。パワハラへの対応に関しては、メディアにありがちな「罰則がないからどうせ・・・」といった言説に惑わされないことが大切です。

 

女子プロレスラーの自殺問題-番組制作・放送側に法的責任はないのか

1.問題は発信者情報開示だけか?

 ネット上に、

「木村花さんを苦しめたSNSの誹謗中傷。匿名の相手を訴える方法は?」

という記事が掲載されています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/560d0eb9adaa2825d52f51e58b4baa978dbfc873

 記事には、

「プロレスラー木村花さん(享年22)の死をきっかけに、SNS上での誹謗中傷やデマについて、大きな話題となっています。これまでいくつもの事件が起こり、問題視されながらも、いっこうになくならないネットいじめやネットリンチ。一般人でも、いつ、なんのきっかけで自分がターゲットとなるかわかりません。」

「もし、SNS上でトラブルが起こったら、どうすべきなのでしょうか?」

と書かれています。

 この問題に関しては、誹謗中傷する人をどのように訴えるかという観点からの解説が多いように思います。

 確かに、誹謗中傷する人が一番悪いのは、その通りなのですが、番組制作・放送側にも法的責任はないのでしょうか。

 遺族の立場になった時、大量の誹謗中傷の発信者情報を一つ一つ特定して行って訴訟提起するというのは、あまり現実的ではないと思います。

 理由はたくさんありますが、主なものとしては、

① 発信者を特定するための手続は、一つやるだけでも、かなり大変であること、

② 大量に集まると人を自殺に追い込むほどの威力を持つ書き込みでも、一つ一つの威力はそれほどでもないこと、

③ 一つ一つの威力が微弱であるため、個々の書き込みに対して、自殺結果への因果関係を認定できるかという問題があること、

④ 因果関係を認定できるとしても、被告に選定した行為者の寄与度を、どのように評価するのかという問題があること、

⑤ 誹謗中傷した加害者に十分な賠償資力があるかが分からないこと(自殺事案の損害賠償金は、むしろ個人で払える人の方が少ない)、

といったことが挙げられると思います。

 そのため、本件のような事件で遺族側から相談を受けた場合、弁護士的な発想で言うと、先ず考えるのは番組制作・放送側を被告として法的責任を追及できないかということになります。

 誹謗中傷者の特定の問題はかなりクローズアップされていて、多くの弁護士がメディア上にコメントを出しています。

 しかし、番組制作・放送側の法的責任をテーマにした論考はあまりみられないため、この問題についての弁護士的な考えを書いてみようと思います。

2.番組制作・放送側の安全配慮義務

 この問題を考えるうえで、先ず考えなければならないのは、番組制作・放送側に、出演者の心身の安全を確保すべき何等かの義務(安全配慮義務)を措定することができるのかどうかです。

 結論から申し上げると、安全配慮義務を導ける可能性はあると思います。

 本件類似の問題をダイレクトに扱った先行裁判例は、私の知る限りではありません。

 しかし、参考になる裁判例なら幾つかあります。

 その中の一つに、大阪地判平27.4.17LLI/DB判例秘書登載という裁判例があります。

 これは、タレント養成学校に所属していた方(X1)が、被告Y1(放送番組の企画制作及び販売等を含めた放送事業を目的とする株式会社)の主催するイベントの開幕特別番組の製作に向けて実施した駅伝の試走リハーサルに参加した際、重度の熱中症に罹患して後遺障害が残ったとして、被告Y1と被告Y2(当時所属していたタレント養成学校の運営主体)に損害賠償を請求した事件です。

 この事件で裁判所は、

「被告Y1は、本件駅伝リハーサルに参加した原告X1らタレント生徒に対し、信義則上または役務提供契約に付随して、原告X1の生命及び身体を危険から保護するように配慮する義務を負う場合があると解される。
「被告Y1が原告X1に対して負う安全配慮義務は、リハーサルの危険性に関する要素として、本件リハーサル時の気象条件、本件駅伝リハーサルにおける原告X1の行動及び求められた運動量、タレント生徒がリハーサルから脱退することの現実的可能性に関する要素として、原告X1の年齢や個性、本件駅伝リハーサルに参加したタレント生徒と被告Y1の関係、本件駅伝リハーサルの危険性に関する被告Y1の認識もしくは認識可能性に関する要素として、本件駅伝リハーサルにおける状況認識、各通達の内容など、以上の諸要素を総合的に考慮して、その有無及び内容が決せられるべきである。
と判示しています。

 被告Y2の責任についても、

被告Y2が原告X1に対して信義則上又は在学契約に付随する安全配慮義務を負うか否か、負う場合の具体的な義務の内容は、本件駅伝リハーサルにおける被告Y2と被告Y1の関係、本件駅伝リハーサルに参加したタレント生徒と被告Y2の関係、被告Y2による本件駅伝リハーサル参加者の募集態様、本件駅伝リハーサルの危険性に関する被告Y2の認識等の具体的事情を総合的に考慮して決せられるべきものである。

と判示しています。

 安全配慮義務違反をめぐる訴訟では、直接の契約関係がないことや、当事者を規律している契約関係が労働契約でないことは、必ずしもネックにはなりません。

 安全配慮義務を負わせることが正当と言えるだけの関係性の存在を立証し、それを説明することができれば、安全配慮義務を導くことは可能です。

 もちろん、その作業は決して簡単ではありませんし、緻密な議論の積み上げが必要になります。安全配慮義務を措定できたとしても、義務違反の事実を立証できるかという問題があります。義務違反の事実が認定できたとしても、結果との間の因果関係を立証できるかという問題もあります。実際、大阪地判平27.4.17LLI/DB判例秘書登載でも、被告Y1の責任に関しては、

「被告Y1は、本件駅伝リハーサルの2回目の試走を中止すべきであったにもかかわらず、これを中止しなかった」

ことを認定しながら、後遺障害との間の因果関係は認定せず、結論として請求を棄却しています(Y2に関しては安全配慮義務違反を否定)。

 しかし、重要なのは、番組制作・放送側の責任が必ずしも一律に否定されるわけではないことです。

 本件は熱中症の事案ではありますが、生命や身体に危険が生じかねない番組を制作・放送する側に対し、出演者の生命及び身体を、予想される危険から保護するように配慮する法的義務があるという結論を導くことは、従来の裁判例の枠組みから考えても、決して無理のある議論ではありません。

 裁判所が採用するかまでは分かりませんが、リアリティ・ショーの出演者に不幸が生じていることが知見として報告・集積されている中、現にSNSで誹謗中傷されていることがリアルタイムで観測できていて、本人が弱っている様子も覚知できていたのであれば、被害にあっている出演者の健康や生命が損なわれないように何等かの安全配慮のための措置を講じるべきだったという議論を組み立てることに、それほどの違和感はありません。

3.自殺の予見可能性

 番組制作・放送側の法的責任を問題にしていくにあたり、もう一つ問題になるのが、自殺の予見可能性をどのように捉えるのかという点です。

 予見可能性という概念は、法文に書かれているわけではありません。

 しかし、損害賠償を請求するにあたっては、随所で問題になる概念です。

 例えば、「過失」という概念は予見可能性と結果回避義務という二つの要素から構成されると理解されています(我妻榮ほか『我妻・有泉 コンメンタール民法 総則・物権・債権』〔日本評論社、第6版、令元〕1467頁参照)。

 因果関係の認定にあたっても、加害者に特別の事情によって生じた損害(普通発生しない損害)を帰責するにあたっては、「当事者がその事情を予見すべきであったとき」(予見可能性があるとき)に該当することが必要とされています(民法416条2項)。

 誹謗中傷で自殺に至る事案というのは、割合的には全体のごく一部であることから、安全配慮義務違反が認められたとしても、予見可能性という観点から、義務違反に過失を観念することができるのか・相当因果関係を認めることができるのかが問題になります。

 ただ、この点については、労働法学の観点からではありますが、

「炭鉱労働者のじん肺発症の事案では、使用者の予見義務(可能性)は、生命・健康という被害法益の重大性に鑑み、安全性に疑念を抱かせる程度の抽象的な危惧で足り、必ずしも生命・健康に対する障害の性質・程度や発症頻度まで具体的に認識する必要はない

(中略)

「長時間労働やいじめ・嫌がらせによる疾病・死亡等の事案では、使用者がその原因であるいじめの存在やうつ防の発症などを認識している場合だけでなく、それを認識しうる状況にった場合にも予見可能性は肯定されうる。したがって、使用者が単に被害者がいじめを受けていたことやうつ病を発症していたことを知らなかったというだけでは、使用者はその責任(結果回避義務)を免れない。また、うつ病等の精神障害が発症した場合には、その病態として自殺に至る蓋然性が高いことが医学的に認められており、そのことを使用者が知らなかった(それゆえ自殺という結果を予想できなかった)というだけでは、使用者の責任は否定されない

という見解が示されています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕820-821頁参照)。

 人の死という重大な結果が問題になる事案においては、必ずしも発症頻度が予見可能性を否定するわけではありません。

 私の感覚で言うと、じん肺のような特殊な訴訟類型を除いて、実際の損害賠償請求訴訟では、何だかんだで具体的な予見可能性を主張・立証することが求められることが多いように思われます。

 そのため、軽々なことは言えないにしても、自殺の発生頻度が低いことは、誹謗中傷を放置していていい理由にはならないはずだ(自殺に至る可能性を考えなくて良い理由にはならないはずだ)という議論は、裁判所で展開しても決して変ではないです。

4.メディアは自身の法的責任の存否について議論してもよいのではないか

 この問題については、メディア側からも幾つかの倫理的な問題提起がなされているように思います。

 しかし、現行法の枠内においても、果たして番組制作・放送側に法的な責任がなかったのかについて、考察がされても良いのではないかと思います。この問題が倫理的な観点に矮小化される限り、言い換えると、法令順守の問題として認識されない限り、類似の問題はまた引き起こされると思います。

 誹謗中傷をする人が悪いことは指摘するまでもありませんし、発信者情報開示の手続に種々の問題があることはその通りなのですが、それと同じくらい、遺族の損害賠償の問題をどう考えるのか、番組制作・放送側の法的責任をどう考えるのかの考察には力点が置かれてもいいように思います。

 一般の方には少し難解な内容になっているかもしれませんが(自殺事案の法的責任の所在、損害賠償の問題は、専門家にとっても難解なので、なかなか簡単に説明することはできないのです)、遺族の損害賠償の問題、番組制作・放送側の法的責任に関する議論を進める一助になればと思い、本記事を書いてみました。

 

違和感のあるネット記事-解雇の効力を争うことにそれほど悲観的にならなくていい

1.違和感のあるネット記事

 ネット上に、

「突然のクビ宣告、そのときあなたはどう行動すべきか」

という記事が掲載されています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d35a769bb445b019e725efb10a7eb0d84d5370f7?page=1

 記事は、

「あなたは年齢は45歳、大学を卒業後にA社に入社し、営業畑ひと筋に23年が経過したとしましょう。結婚し、子どもも2人。ローンを組んで郊外に自宅も購入しています。通勤は会社まで片道1時間半かかりますが、充実した生活を送っています。」

「そんな時、上司から急に呼び出しがありました。呼び出された部屋に入ると、上司と人事部の課長が座っています。上司は突然、『今日で辞めてもらう。書類や荷物はあとで宅急便で送るから心配しないでくれたまえ!』とひと言。人事部の課長も、『今日で解雇になりますので来月の給料ありません』。あなたは必死に掛け合いましたが、けんもほろろで取り合ってくれません。パソコンは押収されて、ルームキーも取り上げられました。」

 あなたの来月以降の給料の見込みは立たなくなりました。早急に対策をしなければなりません。奥さんは専業主婦なので収入がありません。

という事例をもとに、

「あなたは何とかして会社に残る道を探すことにしました。だったらまずどんな行動に出るべきなのか。」

という問題を設定し、話を進めています。

 しかし、筆者の解説には、かなり強い違和感があります。

 細かいところを挙げると際限がないので、下記のポイントに絞って指摘します。

2.あっせんの説明が相当おかしい

 記事には、

「労働委員会に調停をお願いするとどうなるのでしょうか。労働委員会は都道府県の行政機関で、労働者個人と事業者の間に生じた職場のトラブルについて、『個別労働関係紛争処理制度』によって中立・公正な立場でその解決を支援してくれる組織です。しかし、労働委員会に相談をしても、実際のあっせん案が出されるまでに通常1年以上かかります。

と書かれています。

 しかし、あっせん案が出るまでに1年以上もかかりません。

 筆者が都道府県労働委員会が行う個別労働紛争のあっせんのことを言っているのか、労働局の紛争調整委員会が行うあっせんのことを言っているのかは分かりません(両者は法的には別物です。一般の用語法に従えば、個別労働関係紛争処理制度と呼ばれているものは、労働局の紛争調整委員会が行うあっせんのことを指すとは思いますが。)

https://www.mhlw.go.jp/general/seido/chihou/kaiketu/index.html

 ただ、いずれであるにしても、中央労働委員会の資料によると、

労働委員会のあっせんでは、全体の76%が、

労働局の紛争調整委員会のあっせんでは、全体の86.5%が、

2か月以内に終わっています(平成30年度実績)。

https://www.mhlw.go.jp/churoi/assen/toukei.html

https://www.mhlw.go.jp/churoi/assen/toukei/dl/06.pdf

 私が観測する範囲で言うと、行政機関の行う個別労働紛争のあっせん手続で、あっせん案が出されるまでに通常1年以上かかることはありません。労働局の紛争調整委員会が行うあっせんに関して言えば、原則1回の期日で終わる手続ですし、代理人なしで普通に本人からの申立が行われてもいます。

3.普通の使用者はそんなに無茶しない

 記事には、

「団体交渉が開始されれば、解雇はしにくくなりますのであなたにとっては『時間稼ぎ』にもなります。しかし、その間にも、社内では降格人事や異動が行われ、場合によっては事件をでっち上げられた懲戒がおこなわれることもあります。本来は、組合員に不利益な扱いをしてはいけないのですが(労組法第7条、第24条など)、そんなことは通じません。」

と書かれています。

 しかし、絶無とは言いませんが、普通の使用者は、解雇→組合加入→組合による交渉→解雇撤回の流れの直後に降格人事をしたり、懲戒事由をでっちあげて懲戒処分をしたりしないと思います。

 法的措置をとってサンドバッグにしてくれと言っているに等しい行為だからです。でっちあげで懲戒解雇でもしてくれようものなら、大方の弁護士は楽に金銭をとれる事案として認識するでしょうし、依頼に不自由することもないのかなと思います。

 退職に追い込むにしても、近年ではもっと洗練された方法がとられることが多く、所掲のような指摘は、使用者側を舐めすぎた記述であるように思います(こんな使用者ばかりだったら本当に仕事が楽です)。

 ちなみに、労働組合法24条というのは、

「第五条及び第十一条の規定による事件の処理並びに不当労働行為事件の審査等(次条において『審査等』という。)並びに労働関係調整法第四十二条の規定による事件の処理には、労働委員会の公益委員のみが参与する。ただし、使用者委員及び労働者委員は、第二十七条第一項(第二十七条の十七の規定により準用する場合を含む。)の規定により調査(公益委員の求めがあつた場合に限る。)及び審問を行う手続並びに第二十七条の十四第一項(第二十七条の十七の規定により準用する場合を含む。)の規定により和解を勧める手続に参与し、又は第二十七条の七第四項及び第二十七条の十二第二項(第二十七条の十七の規定により準用する場合を含む。)の規定による行為をすることができる。」
「2 中央労働委員会は、常勤の公益委員に、中央労働委員会に係属している事件に関するもののほか、行政執行法人職員の労働関係の状況その他中央労働委員会の事務を処理するために必要と認める事項の調査を行わせることができる。」

という規定です。

 記事の文脈上、どうして労働組合法24条が引用されているのかは分かりません。

4.普通の組合は当事者の意思に反してまで無茶はしない

 記事には、

「対立は精鋭化したら、労組やユニオンは争議活動をおこないます。会社の前でシュプレヒコールをあげ事件の概要と実名入りのビラを配布します。」

と書かれています。

 断定的に書かれていますが、これも自動的にそういうことが行われるわけではありません。普通の組合は会社と交渉するにしても、当事者の意思を尊重しながら行います。

 そのため、組合に頼んだら実名でビラがまかれるのではと心配する必要もありません。

5.労働審判の説明もかなり違和感がある

 記事は、労働審判について、

「弁護士とメールのやりとりなどによって、訴状を作成するのに1カ月を要しました。裁判所への提出は1週間後。第1回期日は2カ月後に決まりました。」

「そして最終的に双方合意のうえ和解しました。期間は3カ月かかりました。あなたが手にしたのは、給料の5カ月分です。かかった弁護士費用は70万円でした。」

と言及しています。

 多分、これは架空設例であって、実際の流れとは大分違うと思います。

 労働審判を選択する時に時間がかかるのは事前交渉です。迅速に判断を得るため、申立書を起案するにあたっては(労働審判の申立にあたって作成するのは訴状でははなく申立書です)、相手方となる会社としっかりと事前交渉を行い、争点に対する申立人側の検討結果を的確に記載しておく必要があります。

 また、労働審判規則では、

「特別の事由がある場合を除き、労働審判手続の申立てがされた日から四十日以内の日に労働審判手続の第一回の期日を指定しなければならない。」

と規定されています(労働審判規則13条)。

 裁判所の都合だとか、補正対応に時間を要しただとか、事件規模を勘案してだとか、種々の理由が考えられるため、第1回目の期日までに2か月を要することは、少ないまでいうつもりはありませんが、労働審判規則上例外と位置付けられている期間を、それと断らないで記載するのは一般の方への誤解を招くのではないかと思います。

 事前交渉を充実させる必要があるため、事件の依頼から第1回目の期日が入るまでに3か月程度かかることは、それほどおかしいとは思いませんが、実際の仕事と記事の表現との間には違和感があります。少なくとも、ぼんやりしながら1か月もかけて書面を作ることは普通はありません(事前交渉と並行して書面を書いて行って受任から1か月後に申立は普通にあるとは思いますが)。

 また、得られた利益と弁護士費用との対照も、少し分かりにくいかなと思います。

 計算を単純化するため消費税を省きますが、着手金30万円、報酬金16%(旧日弁連報酬規程の経済的利益300万円までの報酬計算のパーセンテージに準拠)で受任したと仮定して計算すると、弁護士費用がトータルで70万円になるのは、250万円くらいの経済的利益が得られている事案になります(250万円×16%=40万円)。

 安いと言うつもりはありませんが、70万円の弁護士費用が発生する事案では、依頼人の側にも結構な経済的利益が生じていることが多いのではないかと思います。

6.上告する/されることなんて普通ない、バックペイは使用側に資力があれば普通に回収できる

 記事には、

「労働審判での結果に納得いかないので本訴で争うという人もいるかもしれません。ただ、本訴に移行しさらに上告審で争うと数年掛かります。勝訴しても解雇時以降のバックペイが全額支払われることはまずありません。

と書かれています。

 しかし、上告審まで行くことは、実務的にはあまり心配しなくて大丈夫です。

 平成30年度の司法統計では、民事・行政事件の新受件数について、

地裁で、58万8904件

最高裁で、6830件(4 989件)

https://www.courts.go.jp/app/sihotokei_jp/list?filter%5Btype%5D=1&filter%5ByYear%5D=2018&filter%5ByCategory%5D=1&filter%5BmYear%5D=&filter%5BmMonth%5D=&filter%5BmCategory%5D=

https://www.courts.go.jp/app/files/toukei/484/010484.pdf

となっています。

 括弧内の数値は1つの原判決に対する上告申立事件・上告受理申立事件を1件で換算した数値です。つまり、実質的な上告件数は4989件です。

 単純比較はできないにしても、地裁の新受件数の1パーセントにも満たない件数しか上告審には行きつきません。

 また、資力のある会社である限りという留保はつきますが、私の経験上、勝訴しさえすれば、会社はバックペイも遅延損害金も訴訟費用も全額払ってくれます。資力のある会社が判決で払えと言われたお金を払ってくれなかったことはありません。

 筆者の方が何を根拠に「勝訴しても解雇時以降のバックペイが全額支払われることはまずありません」と記述しているのかは全く分かりません。

7.記事に書かれていることを参考にするのは勧めない

 雇用保険(基本手当)の仮給付だとか、賃金仮払の仮処分だとか、生活の資を確保しながら争う手段も普通にあります。損益相殺の問題はあるにしても、他社就労しながら解雇の効力を争うことも、別段珍しいわけではありません。

 それぞれの紛争解決手段の実体・特性についても、正確に記述しているようには思われないので、お悩みをお抱えの方は、やはりネット記事を真に受けることなく、弁護士に相談してみることをお勧めします。

 

解雇・雇止めの意思決定は一発勝負-意思決定の繰り返しによる理由追加は許されない?

1.認識していなかった事実と解雇理由・雇止め理由

 「使用者は、解雇時に認識していなかった事実も解雇理由として主張できるのか?」という問題があります。

 この問題に関しては、

「普通解雇は解雇権の行使であり、使用者が主張する解雇の理由は、法的には解雇権濫用の評価障害事実に該当する事実であることからすれば、懲戒解雇の場合とは異なって、解雇時に客観的に存在した事実であれば、使用者が当時認識していないものであっても、解雇を有効ならしめる事由として主張することができるということになる。」

しかし、使用者が解雇時に認識もしていなかった事実が、解雇の有効無効を決める重大な事由になるとは一般的にはいいがたいであろうし、使用者がこの主張を無限定に行うことを許すとすれば、次々と新しい争点が発生することとなり著しい訴訟遅延を招くことになる。したがって、裁判所としては、解雇権濫用の評価障害事実については、適示に主張させるよう訴訟指揮をすることが不可欠となろうし、使用者側も適示に主張するよう努めるべきである。」

と整理・理解されています(山川隆一ほか編著『労働関係訴訟Ⅱ』〔青林書院、初版、平30〕746頁参照)。

 この理解は雇止めに関しても、基本的に妥当するのではないかと思います。

2.意思決定のやり直しによって、解雇理由・雇止め理由を追加できるか?

 それでは、意思決定をやり直すことによって、先行する意思決定時点において認識されていなかった事情・存在しなかった事情を、解雇や雇止めの理由にすることは許容されるのでしょうか。

 特に、契約の終期が明確に予想できる雇止め事案においては、雇止め・更新拒絶の実質的意思決定がなされている時点と、実際に雇止めを告知することが予定されている時点との間に、かなりの時間的間隔が生じていることも少なくありません。

 こうした事案において、改めて意思決定を行うことにより、先行する意思決定の時点では存在しなかった事情を、雇止め・更新拒絶の理由にすることが許容されるのかという問題です。

 この問題を考えるにあたり、参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。横浜地判令2.2.27労働判例ジャーナル98-12 学校法人信愛学園事件です。

3.学校法人信愛学園事件

 本件は幼稚園の園長に対して行われた雇止めの効力が問題となった事件です。

 被告になったのは、幼稚園(本件幼稚園)を経営する学校法人です。

 原告になったのは、平成21年4月から本件幼稚園の園長として期間1年の有期労働契約を繰り返していた方です(本件は原告の労働者性も争点になっていますが、裁判所は労働者性を肯定する判断をしています)。

 平成29年11月14日、被告のB理事長は、原告に対して、平成30年4月1日以降は契約を更新しないことを通告しました(本件更新拒絶)。

 その後、平成29年12月17日に理事会が開催され、ここで平成30年度の体制が議論されました。

 しかし、原告を雇止めにすることは、実際には平成29年1月29日の理事会の時点で決まっていました。この理事会で、平成29年度限りで原告に園長を退任させることと、原告への通知時期をB理事長に一任することは既に決められていました。

 被告は原告の園長退任の方針を決定したのは、平成29年12月の理事会であるとして、その時までに生じた理由を色々と主張しました。

 しかし、その中には平成29年1月29日以降に生じた事情も含まれていて、こうした事情を、雇止めの効力を判断するにあたり、どのように評価するのかが問題になりました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり述べて、新たに生じた事実を、雇止めの理由として重視することを否定しました。結論としても、雇止めの効力を否定し、原告からの地位確認請求を認めています。

(裁判所の判断)

・雇止め事由「遊具からの園児の転落事故に関する対応に問題があったこと」の評価

園児の転落事故があったのは平成29年7月であるところ・・・、原告に対する更新拒絶は同年1月29日の理事会の時点で既に決定されていたというべきであり・・・、その後に発生した園児の転落事故に対する対応は、被告としては、もともと更新拒絶の理由として考慮していなかった事情である。G理事やB理事長は、平成29年1月29日の理事会では原告の退任を決定していない旨証言、供述するが・・・、B理事長が自己の名義で全ての理事及び監事に宛てて作成した文書・・・において、原告の退任を『2017年1月29日開催の理事会』で『全員異議無く決定した』『決定事項』と記載しているのであるから・・・、これを決定していないという前記証言及び供述はたやすくは信用しがたい。そうすると、被告自身、更新拒絶の理由として考えていなかったような原告の園児の転落事故に対する対応について、これを本件更新拒絶の合理的な理由として重視することはできない。

・雇止め事由「理事会前に園長を含む人事体制を他の職員に口外してしまい、法人に混乱をもたらしたこと」の評価
被告が問題にする原告の行動は、平成29年11月14日に更新拒絶を通告した後の出来事であるから、更新拒絶が決定された同年1月29日の段階では判明していない事実であり、これを理由として更新拒絶が決定されたものではなく、本件更新拒絶の合理的な理由として重視することはできない

「前記・・・のとおり、理事会は既に平成29年1月29日の時点で本件更新拒絶を決定していたというべきであるから、理事会による承認前の人事情報を口外したとの評価も当たらない・・・原告の上記行動は、本件更新拒絶の合理的な理由を補完する事情ともならないというべきである。」

4.解雇・雇止め事件の訴訟戦略-実質的意思決定の時点の特定

 本件は実質的意思決定のやり直しというよりは、実質的な意思決定が一度しか行われていない事案だという見方も成り立つように思われます。

 しかし、そういう見方が可能であるとしても、実質的意思決定が先行していたことを理由に、雇止め・更新拒絶事由としての重要性を否定する判断をしたことは、なお注目に値します。

 実質的意思決定の時点よりも後に生じた解雇理由・雇止め理由に関しては、重視されていないとの立論で排斥できる可能性があります。この議論に裁判所を乗せることができれば、解雇・雇止め事件における主張の分量や審理期間を大幅に減らすことができるかもしれません。

 本件では、平成29年11月30日ころ、B理事長が原告に対して、

「『2017年1月29日開催の理事会において、A理事(園長)を除く全理事と両監事で協議し、下記の事項を全員異議無く決定した。』、『決定事項:2017年度末をもって、A園長にご退職いただく。』、『A園長は2017年度に70歳となるので、これを一つの区切りとしたい。』などの記載がある」

文書を交付していました。ここから雇止めの意思決定が平成29年1月29日の理事会であることが判明したという経緯があります。

 認識ないし認識可能性の議論に埋没することが多いように思われるものの、解雇・雇止め事件の訴訟戦略として、実質的意思決定の時点を特定することは、もっと明瞭に意識・注意喚起されてもいいのではないかと思っています。

 本件では被告のエラーによって、実質的意思決定の時点との乖離の問題が顕在化しましたが、これが不明である場合には、どの時点で・いかなるプロセスを経て意思決定がされたのかを、必ず求釈明で明確にしておく必要があるだろうと思います。

 

自殺の予見可能性-問責にどこまでの認識が必要なのか?

1.安全配慮義務の不履行と自殺

 労働契約法5条は、

「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」

と規定しています。

 これはいわゆる安全配慮義務を定めた条文です。

 安全配慮義務違反により損害を受けた労働者は、使用者に対して損害賠償責任を追及することができます。

 安全配慮義務違反が認められるか否かが激しく争われる場面の一つに、労働者が自殺している事件があります。

 自殺の背景には、過重労働がある場合や、いじめ・嫌がらせがある場合、その両方が競合している場合などがあります。

 こうした背景のもとで労働者が自殺した場合、その責任を民事訴訟(労災民訴)で問いたい遺族としては、先ず、

過重労働、いじめ・嫌がらせなどの背景要因 ⇒ 精神障害の発症 ⇒ 自殺

という事実経過とそれが相当因果関係という概念で結節されていることを主張、立証して行く必要があります。

 「精神障害の発症」という概念を媒介にしなければならないのは、自殺の業務起因性に関する考え方に理由があります。

 旧来、自殺は本人の故意行為であると考えられ、労災保険の対象から除外されていました(故意行為が労災保険の対象から除外されていることについて、労働者災害補償保険法12条の2の2第1項参照)。しかし、その後、精神障害によって正常な認識・行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われた場合には、故意に該当しないと解されるようになり、自殺に対する業務起因性が承認されるようになったという経緯があります(山川隆一ほか編著『労働関係訴訟Ⅱ』〔青林書院、初版、平30〕622頁参照)。

 そして、業務起因性が認められるためには、

「右負傷又は疾病と公務との間には相当因果関係のあることが必要であり、その負傷又は疾病が原因となって死亡事故が発生した場合でなければならない」

と理解されています(最二小判昭51.11.12判例時報837-34参照)。これは公務災害の事案ではありますが、労働災害の事案にも等しく引用されています。

 労災認定における業務起因性と労災民訴における相当因果関係とは理論的には別の問題です。しかし、判例も裁判例も両者をそれほど明確に区別していません(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕819頁)。

 労災民訴で使用者に労働者の自殺についての責任を問うにあたり、

過重労働、いじめ・嫌がらせなどの背景要因 ⇒ 精神障害の発症 ⇒ 自殺

という事実経過が相当因果関係という概念で連結されている否かを主張、立証のテーマにするのは、上述の学問的背景があります。

 ここで問題になるのが「予見可能性」という概念です。

 過失責任を問題にしたり、相当因果関係があると言ったりするためには、「予見可能性」という概念が必要になります。

 予見できない結果に対して責任を負うことはない、通常予見できない結果は当該行為との間に因果関係があるとはいえないと理解されているからです。

 それでは、自殺を理由として損害賠償責任を追及するにあたり必要な「予見可能性」の内容は、どのように理解されるのでしょうか。

 背景要因さえ認識していれば、自動的に予見可能性ありとなるのでしょうか。

 それとも、精神障害の発症の可能性があることまで予見できる必要があるのでしょうか。

 さらに進んで、精神障害を発症して自殺することまで予見できるケースでなければ、予見可能を認めることはできないのでしょうか。

 この問題に関して、代表的な学術文献は、

「長時間労働やいじめ・嫌がらせによる疾病・死亡等の事案では、使用者がその原因であるいじめの存在やうつ防の発症などを認識している場合だけでなく、それを認識しうる状況にった場合にも予見可能性は肯定されうる。したがって、使用者が単に被害者がいじめを受けていたことやうつ病を発症していたことを知らなかったというだけでは、使用者はその責任(結果回避義務)を免れない。また、うつ病等の精神障害が発症した場合には、その病態として自殺に至る蓋然性が高いことが医学的に認められており、そのことを使用者が知らなかった(それゆえ自殺という結果を予想できなかった)というだけでは、使用者の責任は否定されない

と記述しています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕820-821頁参照)。

 こうした記述からすると、精神障害の背景要因さえ認識していれば予見可能性は認定できそうな気はするのですが、そう単純に言い切っていいかは、あまり良く分かっていないとういのが正確な実務認識ではないかと思います。

 以上のような議論状況のもと、自殺に対する責任を問うにあたり必要な予見可能性の内容を理解するにあたり、参考になる裁判例が近時公刊された判例集に掲載されていました。昨日もご紹介した高知地判令2.2.28労働判例ジャーナル98-10 池一菜果園事件です。

2.池一菜果園事件

 本件は自殺が関係する労災民訴事案です。

 被告とされた会社は、減農薬及び減化学肥料による農産物の生産等を目的とする特例有限会社です。

 自殺したのは被告会社で勤務していたP6です。

 P6の遺族である原告P1~3は、P6が死亡したのは、長時間労働による心理的負荷がかかっている中で、被告会社の代表取締役(P4)の娘である常務取締役P5から酷い嫌がらせ・いじめを受けたことで精神障害を発病したからであるとして、安全配慮義務違反を理由に被告会社に損害賠償を請求しました。

 酷い嫌がらせ・いじめというのは、判決文では詳細な事実が認定されていますが、ごく簡単に言えば、繁忙期に有給休暇を取得したことを詰られたことや、それをきっかけに感情的な非難を受けたことです。

 ごく大雑把に要約すると、平成22年2月6日に詰られ、同月8日に感情的な非難を受け、同月9日の未明に、

「ごめんね 会社をうらんではいけません 今まで長い間お世話になった所だから 感謝しなさいね」

との書置きを残して縊死したという経過が辿られています。

 急激な経過が辿られていることから、安全配慮義務違反を問えるかの判断にあたり、予見可能性の存否が争われました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり判示し、被告会社の予見可能性を認めました。

(裁判所の判断)

「P6が自死前の6か月間における時間外労働によって相応の心理的負荷を受けていたことは、前記認定のとおり、労働時間をタイムカードによって管理していたことや、業務内容を業務日誌等で把握していたことから、被告らにおいて認識し又は容易に認識することができたというべきである。」
「また、代表取締役である被告P4と常務取締役である被告P5が2月の出来事の当事者であり、専務取締役であるP7も関与していたことからすれば、被告らにおいて、この出来事によってP6が相応のストレスを受けることを認識し又は認識することができたというべきである。」
「そして、時間外労働と2月の出来事による心理的負荷の強度が『強』と評価されるものであるから、被告らにおいて、P6が心身の健康を損ない、何らかの精神障害を発病する危険な状態が生ずることにつき、予見できたといえる。」
「確かに、時間外労働時間自体は月100時間を超えた月以外は80時間を超えておらず、P6は、2月6日の出来事が起こるまでは、被告らには勿論、原告ら家族に対しても自死することを疑わせるような重大な心身の不調を見せたことがなかったものである。しかしながら、長時間労働による疲労それ自体のみで心身の健康を損ない、何らかの精神障害を発病する危険な状態が生ずるとまでは予見できなくとも、長時間労働による疲労が蓄積しうる状況にあることは認識できたはずであり、また、疲労が蓄積された状態ではストレスに対する耐性が減退することも認識できたはずである。
「そして、2月の出来事については、2月6日の出来事自体が、P6に相当高い程度にストレスを与えたことは、発言をした被告P5はもとより、その場に途中から居合わせた被告P4においても認識したはずであり、被告らにおいて、冷静に状況を確認すれば、同族会社の役員らが、家族の都合で予め許可を得て休暇を取得していた従業員の休暇を理不尽に怒鳴りつけて返上させることになった状況を知ることができ、常識的に考えれば、従業員に対して謝罪するなどの措置を講ずべき場面であると容易に想像できたはずであるのに、かえって、休暇中のP6を呼び出した挙句、部下の前で、更に追い打ちをかけるように一方的な叱責を加えたのであるから、被告P4及び被告P5において、更に重度のストレスを与えることになったことは認識していたといえる。
「そうすると、被告会社において、P6の心身の健康を損ない、何らかの精神障害を発病する危険な状態が生ずることを予見できたというべきである。
「よって、予見可能性は認められる。」

3.予見対象は精神障害の発症、弱っている人に追い打ちをかけるのはダメ

 本件ではP6の死亡逸失利益の損害まで認定されています。つまり、安全配慮義務違反と死亡との間の相当因果関係が肯定されています。

 死亡に起因する損害賠償を認めるために必要な予見可能性の内実について、裁判所は精神障害の発症と判断しました。

 そして、長時間労働によってストレス耐性が減退することを認識しながら、強い心理的な負荷をかければ、何らかの精神障害を発症する危険な状態が生じることは予見できたはずだという論理構成のもと、予見可能性を認定しました。

4.SNSの事案との関係ではどうか

 この「弱っている人に追い打ちをかければ精神障害の発症 ⇒ 自殺 となることは予見可能であろう理論」は、労働事件に限らず、自殺が関係する種々の事案に応用できる可能性があります。

 例えば、近時、SNS上で誹謗中傷を受けていたとされる女子プロレスラーの方が自殺した事件が報道されています。

 膨大な誹謗中傷が下地にある中で、追い打ちをかけるように行われた誹謗中傷行為については、精神障害の発症の予見可能性、ひいては、自殺に対する責任を問う余地を切り開けるかもしれません。

 SNS上の誹謗中傷のコメントは、一つ一つは軽いものなので、池一菜果園事件のように下地がある中で強い心理的負荷がかけられたという事案での議論が単純に妥当するわけではないだろうと思います。

 しかし、一つ一つは軽いとはいっても、膨大な誹謗中傷が積み重なっている中で人を傷つける言葉の追加投稿することに関していうと、表面張力で盛り上がているコップに水滴をたらせば溢れるであろうことを容易に予測することができるのと同じように、人に精神障害を発症することも予見可能だろうという議論はあってもいいような気はします。精神障害の発症まで予見できれば、そこから先の自殺についても帰責することは理論上は可能ではないかと思います。

 被告選定の問題など、他にも検討する論点はたくさんあると思いますが、誹謗中傷者に人の死についての責任を帰責させるための民事訴訟は、別段あっておかしくないのではと思います。