弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

義務者の年収が極めて高い場合(1億5000万円超)の婚姻費用・不貞と婚姻費用の関係

1.義務者が超高額所得者である場合の婚姻費用・不貞と婚姻費用の関係

 義務者の年収が極めて高い場合に婚姻費用をどのように算定するかが問題になった事案が公刊物に掲載されていました(東京高判平29.12.15判例タイムズ1457-101)。

 実務上、婚姻費用の金額は、裁判所のHPで公開されている算定表に従って定められる例が多いです。

http://www.courts.go.jp/tokyo-f/saiban/tetuzuki/youikuhi_santei_hyou/

http://www.courts.go.jp/tokyo-f/vcms_lf/santeihyo.pdf

 ただ、算定表上、義務者の収入は、給与の場合2000万円が、自営の場合1409万円が上限になっています。

 これを超える収入が義務者にある場合、婚姻費用がどのように計算されるかに関しては、幾つかの論稿は存在しても、定説と呼べるような見解はないと思います。

 本件では義務者に1億5000万円超という算定表の上限を大幅に超過する年収があったことから、婚姻費用をどのように算定するのかが問題となりました。

 また、本件は、婚姻費用の破綻の原因が相手方の不貞にある場合の金額への影響の可否についても興味深い判断を示しました。

2.裁判所の判断

(1)婚姻費用の算定について

 先ず、裁判所は次のような一般論を述べました。

 抗告人とあるのが超高収入な夫で、相手方とあるのが婚姻費用の分担を求めている妻です。

「一般に、婚姻費用分担金の額は、いわゆる標準算定方式を基本として定めるのが相当であるが、本件では、義務者である抗告人が年収1億5000万円を超える高額所得者であるため、年収2000万円を上限とする標準算定方式を利用できない。高額所得者については、標準算定方式が予定する基礎収入割合(給与所得者で34ないし42パーセント)に拘束されることなく、当事者双方の従前の生活実態もふまえ、公租公課は実額を用いたり、家計調査年報等の統計資料を用いて貯蓄率を考慮したり、特別経費等についても事案に応じてその控除を柔軟に認めるなどして基礎収入を求める標準算定方式を応用する手法も考えられる。しかし、抗告人の年収は標準算定方式の上限をはるかに上回っており、職業費、特別経費及び貯蓄率に関する標準的な割合を的確に算定できる統計資料が見当たらず、一件記録によっても、これらの実額も不明である。したがって、標準算定方式を応用する手法によって、婚姻費用分担金の額を適切に算定することは困難といわざるを得ない。」
「そこで、本件においては、抗告人と相手方との同居時の生活水準、生活費支出状況等及び別居開始から平成27年1月(抗告人が相手方のクレジットカード利用代金の支払に限度を設けていなかったため、相手方の生活費の支出が抑制されなかったと考えられる期間)までの相手方の生活水準、生活費支出状況等を中心とする本件に現れた諸般の事情を踏まえ、家計が二つになることにより抗告人及び相手方双方の生活費の支出に重複的な支出が生ずること、婚姻費用分担金は飽くまでも生活費であって、従前の贅沢な生活をそのまま保障しようとするものではないこと等を考慮して、婚姻費用分担の額を算定することとする。

 その後、

「抗告人及び相手方」が「長女と共に自宅マンションで同居していた当時」の「基本的な生活費」から導かれる「相手方の基本的な生活費」(月額約87万円)

「相手方が抗告人との別居時から平成27年1月まで」の「相手方の基本的な生活費」(月額約114万円)

を基にして、

「相手方が従前の生活水準を維持するために必要な費用」

を認定しました(月額105万円程度)。

 この金額に、

① 別居に伴い抗告人においても同居時には必要がなかった賃貸マンション賃料、公共料金等の支出が生じること、

② 相手方は専業主婦であるが、犬の飼育を考慮に入れてもおよそ稼働が困難とはいい難く・・・、しかも、自宅マンションの床面積が広大とはいえハウスキーピング・・・を利用していること、

③ 相手方には、上記・・・で考慮した支出以外に公租公課の負担が生じたこと、

といった修正要素を加味し、

「抗告人が相手方に支払うべき婚姻費用分担金は月額75万円(なお、この額は、相手方が自宅マンションに自己の負担なく居住を継続することができることを考慮すると、実質的には相当高額ということができる。)と定めるのが相当である。」

と判示しました。

(2)不貞と婚姻費用の関係について

 不貞と婚姻費用の金額との関係については次のとおり判示しています。

「抗告人は、婚姻関係の破綻の原因は相手方の不貞にあるから、婚姻費用分担金の額を定めるに当たり、これを減額要素として考慮すべきであると主張する。」
「しかし、婚姻費用分担金の支払義務は夫婦間の協力扶助義務(民法752条)に基づき発生するものである。したがって、夫婦の一方が、およそ別居を開始せざるを得ない事情がないにもかかわらず、他方を遺棄して別居を開始した上で婚姻費用分担金の支払を求めたなどの信義則に反するような特段の事情がない限り、別居を巡る夫婦間の事情は婚姻費用分担金の支払義務の有無及び額に消長を来すものではない。これを本件についてみるに、一件記録によっても、上記特段の事情は認められない。
「したがって、抗告人の上記主張は採用することができない。」

3.算定表が使えない、不貞と婚姻費用との関係が分からないとお悩みの方へ

 義務者に算定表を超過する収入がある場合にどのように婚姻費用を認定するか、不貞と婚姻費用との関係をどのように理解するか、いずれの問題に関しても、私の知る限り定説と言えるような見解はないと思います。

 後者の問題について言うと、例えば、森公任ほか編著『簡易算定表だけでは解決できない 養育費・婚姻費用算定事例集』〔新日本法規出版、初版、平27〕の243頁以下では、「不貞関係にあるとみられてもやむを得ない」申立人妻からの婚姻費用分担請求について、子どもの養育費相当額を超える請求が認められなかった事例が報告されています。

 弁護士によって見解が分かれることも多く、お悩みの方に対して有益な情報になればとご紹介させて頂くことにしました。

 

セクハラ・アカハラ等で不幸になる人を減らすには

1.セクハラ・アカハラ等をした大学教授が懲戒解雇された例

 セクハラ・アカハラ等を理由としてなされた女子大の大学教授への懲戒解雇の効力が争われた事例が公刊物に掲載されていました(東京高判平31.1.23判例タイムズ1460-91)。

 裁判所は多数の懲戒事由を認定し、懲戒解雇を有効だと判断しました。

2.裁判所が懲戒事由として認定したセクハラ・アカハラ等

 裁判所が懲戒事由として認定したセクハラ・アカハラ等は次のとおりです(判決書別紙1 懲戒事由 より引用)。

① 平成23年6月から7月頃、資料室及び**教室において、数回にわたって、C科期限付助手(当時)乙山花子(旧姓乙川)に対し、「バッグを買ってあげるから一緒にお出かけしよう。」「買い物に行きませんか。」などと執拗に買い物に誘った。

② 平成23年9月頃、**教室において講義中、アシスタントをしていた乙山花子に対し、突然モノマネをするように指示し、同人にその意思に反して学生らの前でこれをさせた。

③ 平成23年12月9日、居酒屋✕✕において、D大学語学研修の打ち合わせのために来校したP4との食事会が行われた際、乙山花子が同席しているにもかかわらず、C科研究科教授P5と、「全教授のAP4さんは、ジョッキーの旦那さんと結婚して退職した。今は、AP4さんの方が馬乗りになっているのでは。」「騎乗位ってことですか。」などと談笑した。

④ 平成24年頃、資料室において、前屈みになって印刷・製本作業をしていた乙山花子の後ろを通りながら、「お尻を触りたくなる。」と発言した。

⑤ 平成25年夏頃、資料室において、数回にわたって、乙山花子及び他の女性教職員に対し、同人らの着衣の素材を尋ねたうえ、「ちょっと触らせて。」と言って、同人らの着衣の肩や腕の辺りを触った。」

⑥ 平成25年頃、**教室において講義中、学生らに対し、英語で「96」を「無いねセックス」と発音するように指導し、学生らにその旨発音させ、その後も、数回にわたって、同様のことを繰り返した。

⑦ 平成26年12月頃、資料室において、自らの手を乙山花子の腕に伸ばそうとし、同人が「触らないでください。」と言うと、近くのデスク上の箱をバンと大きな音を立てて叩いたうえ、激しい口調で「もう絶対触らないからない。」と怒鳴った。

⑧ 平成27年1月頃、資料室において、乙山花子に対し、大学を辞めるのか辞めないのかはっきりさせるよう部屋の外まで聞こえるような大声で怒鳴った。

⑨ 平成24年頃、当時本学学生であったS1に対し、同人1人を映画に誘って、同人の意向を無視して洋服を買い与え、映画館内では同人の手を握り、拒否されたにもかかわらず映画館外に出た後も身体を密着させようとし、また、D大学語学研修の際、同人の意思に反して金員を渡した。

⑩ 乙山花子など特定の女性教職員に対する呼びかけやメールなどで、下の名前で呼び捨て、あるいは様付けで呼び、また「東方三美人」等と呼称した。

⑪ 平成27年3月27日、研究室において、C科期限付助教AP2に対し、同日ハラスメント防止対策委員会の事情聴取があったことやその内容について話をするなどした。

3.セクハラ・アカハラ等に対する裁判所の判断

 上記のようなセクハラ・アカハラ行為に対し、裁判所は次の評価を下しています。

「第1審被告が開設する学校は、幼稚園を除き、女子学生のみを受け入れる女子学校である。Z大学も女子大学である。いうまでもなく、女子大学にとって、男性教授による女子学生や若手女性職員に対するセクハラ行為があることは、教育機関としての信用を失墜させ、学校法人の経営自体にも大きな悪影響を及ぼす行為である。セクハラ行為以外のパワハラ行為やアカハラ行為につていも同様である。」

「第1審原告は、C科の学科長又はベテラン教授という学科内のハラスメント防止等を主体的に推進していくべき地位にありながら、本件懲戒事由であるハラスメント行為を、多数にわたり、反復継続して実行してきた。また、本件懲戒解雇時においては、第1審被告は、懲戒事由に当たる行為の多くについて反省が不十分であり、常習性がみられ、同種行為の再発のリスクが非常に高かったものである。」

「本件懲戒事由は、個々の行為を個別に処分すると仮定すれば、懲戒免職を選択するのは処分として重すぎるという判断に傾くものが多いことは事実である。しかしながら、懲戒事由が多数に及び、その内容も第1審被告の教育機関(女子大学)としての信用・評判を著しく低下させるもの(女子学生との個人的交際の試みなど)が複数含まれているほか、本件懲戒解雇時においては、第1審原告に十分な反省がみられず、懲戒事由の多くに常習性がみられて第1審原告による同種行為の再発リスクも非常に高かった。これらのことに加えて、第1審原告が学科長というC科のトップの地位にあったことから通常の職員よりも行為に対する責任が重いこと、本件懲戒事由からうかがわれる第1審被告のパワハラ体質がC科内部の風通しを悪くして、C科の教育環境、職場環境を著しく汚染し、ハラスメント行為が包み隠されて表面化が著しく遅れたことに一役かっていると評価せざるを得ないこと、第1審原告の本件懲戒事由により第1審被告の教育機関としての信用や評判を落とすリスクも非常に高かったこと(同種行為の再発リスクも非常に高かったこと)を併せて考慮すると、本件懲戒解雇には労働契約法15条及び16条にいう客観的に合理的な理由があり社会通念上の相当性も備えているものであって、懲戒免職処分を選択したことについて第1審被告の学校法人(女子大学)としての裁量権の乱用は逸脱があったというには、無理があるところである。」

4.当該大学の企業統治の在り方はどうなっていたのか?

 この裁判例に目を通した時に第一印象は、当該大学のガバナンスは一体どうなっていたのだろうか? という疑問でした。

 問題の大学教授は学生と個人的な交際をしようとしたり、助手に手を出そうとしたり、講義では学生に性行為を連想させる言葉を言わせたり、ハラスメント行為を繰り返していました。しかも、こっそりと隠れてやるのではなく、人目を気にせず大っぴらにやっていた形跡があります。

 何年にもわたって、このようなことが繰り返されていて、誰も止めなかったのだろうかと思います。

 早い段階で制止されていれば、大学教授は不名誉な懲戒解雇は避けられたはずですし(個々の行為が懲戒解雇事由として弱いことは傍線部参照)、大学は評判を下げずに済みました。女性職員は大学を辞めずに済んだかも知れませんし、悪ふざけに付き合わされた学生はもっと少なくて済んだのではないかと思います。

 こうしてみると、セクハラ・アカハラ等で不幸になる人を減らすには、職場環境が汚染される前に、早期に芽を摘んでいくことが重要であることが分かるのではないかと思います。

 早期にセクハラ・アカハラ等の芽を摘んでいくにあたり、企業はもっと弁護士を積極的に活用しても良いのではないかと思います。

 ハラスメント対応は企業にとって難しい仕事の一つです。被害を看過すれば被害者から訴えられかねないし、加害者とされた人の言い分を適切に理解できなければ懲戒処分が違法不当であるということでやはり訴訟リスクを抱えることになります。

 関係者の供述の信用性を評価し、証拠から事実を認定し、当該事実を法的にどのように評価するのかを考え、適切な処分を下し、再発の防止に何が必要なのかを考えて行く、こうした作業を行うためには、事実認定に関する知見と、裁判例に関する豊富な知識が必要になります。

 弁護士は法専門家としてハラスメント事案に関する知識を蓄積していますし、訴訟実務の中で事実認定に関する知見を磨いています。

 大学を擁するような学校法人であれば、顧問弁護士の一人や二人いてもおかしくないと思います。ハラスメントを目にした人が顧問弁護士に直接コンタクトをとれるような仕組みが採用され、周知されていたとすれば、本件も違った経過を辿っていた可能性があるのではないかと思います。

 

自殺者のノートに残された「バカは、バカなりに努力しろ。」の言葉

1.知的障害・学習障害を持った方の自殺の業務起因性が問題となった事案

 知的障害・学習障害を持った方の自殺に対し、勤務先会社に責任があるかが争われた事案が公刊物に掲載されていました(静岡地判平30.6.18労働判例1200-69富士機工事件)。

 この事件で原告になったのは、自殺者(A)の両親です。

 Aさんは知的障害、学習障害を持っていた男性です。

 裁判所の認定によると、Aさんは、小学校5年次に知能検査(WISC-Ⅲ)を受けたところ、全検査IQが70で、「精神遅滞(軽度)~境界線」段階であると判断されました。

 また、中学校進学後、週1回受けていた特別支援教育の担当教諭から、知的障害に加え、学習障害があると指摘されました。

 野球の推薦枠で高校の普通科に入学し、その後、一般高卒枠での入社試験には落ちたものの、障害者枠で被告会社に採用されました。

 被告とされた会社は自動車部品の製造販売を業とする会社です。

 新入社員教育を受けた後、Aさんは被告の製造〇課プレス係に配属され、プレス機械を使用しての実習に従事していました。

 プレス作業の実習が開始されたのが平成26年5月で、その月の内にAさんはホームから走行中の貨物列車に飛び込み、自殺しました。

 Aさんが生前に持っていたノートには「バカは、バカなりに努力しろ。」と記載された部分がありました。この記述は生前、母親によって見つけられていましたが、Aさんは自分で書いたとしか答えませんでした。

 裁判で争点となったのは、Aさんの自殺の業務起因性です。

2.裁判所の判断

 裁判所は、業務に対する心理的負荷がAさんの自殺を招いたことは認めました。しかし、自殺を予見することは不可能であったとして、会社の責任を否定しました。

(1)自殺の原因について

 自殺の原因についての判断は次のとおりです。

「業務の加重性について、一般に、プレス機での作業をすべて覚えるには、健常者でも2、3年かかると言われているところ、本件プレス機での作業内容も、プレス機一般と同様に覚えることは多く、プレス作業の経験を有するFであっても一通りの作業ができるようになるまでに1か月程度は必要なものであった(前記1(3)イ)。とりわけ金型交換作業(段取り)は、前記1(3)オ、カのとおり、別紙のとおり多くの作業手順から成り、その修得には時間を要することが容易に推測できる。」
「亡Aは、プレス作業の経験がなかっただけでなく、知的障害及び学習障害があり、一生懸命話を聞いても内容を理解することが難しいという障害特性を有していたから(前記1(1)イ)、本件プレス機での作業内容を覚えることが困難であったことは想像に難くない。現に、亡Aは、本件プレス機での作業内容をノートに熱心に記載していたが(前記1(1)エ、カ)、そのノート(甲14の1)は、油で汚れ、その記載も決して整理されているとはいえず、亡Aが作業内容を覚えようと、とにかく必死にメモを取っていたことを示している。また、亡Aは、帰宅後も、上記メモをノートに清書する等、作業内容を覚えようと努力していたことが窺われるものの(甲14の2・3、前記1(3)ク)、亡Aが、Eから調子を聞かれた際、Eに対し、馬鹿だから覚えが悪いと述べ(前記1(3)キ)、高校の同級生とのLINEグループに「マジ覚えること多すぎ(絵文字)」「プレスだから(絵文字)」「退職するまで、指あってほしい(絵文字)」と投稿しているとおり(前記1(3)ケ)、努力の成果が得られずに苦慮していたことが窺える。本件手順書も、一般的には作業内容を細分化して記載することで作業手順を覚える補助となり得るものと考えられるが、文章から意味を理解することが苦手な亡Aにとっては、かえって混乱と困惑を来す原因となったものと解される。そして、プレス作業は、作業ミスが作業者の安全に直結するものであるところ、亡Aの上記投稿からは、亡Aが、安全面においても、本件プレス機での実習に心理的負担を感じていたことが窺える。
「これらの事実からすれば、亡Aにとって、本件プレス機での実習が、その能力に比して加重であり、その心理的負荷は大きかったというべきである。」
「そして、証拠(甲26、32)によれば、知的障害や発達障害を有する者は、その障害が原因で、頑張って努力しても努力が報われず、できるようにならないため、無力感や劣等感、自己否定感を抱きやすく、ストレスへの耐性も他の人と比べて低いという見方もあって、うつ病や適応障害といった二次障害に陥りやすいとされていること、亡Aが自殺したのは、本件プレス機が停止する出来事があった日の翌日の通勤途中であったこと(前記1(3)サ、シ)を併せてみれば、亡Aがうつ病などの精神障害を発症していた可能性もないとはいえず、本件全証拠によっても業務以外に自殺の原因となる要因は見当たらないから、被告の業務に対する心理的負荷が亡Aの自殺を招いたものと推測される。

(2)予見可能性について

  予見可能性についての判断は次のとおりです。

「亡Aは、新入社員研修後に実施された理解度テストで満点をとり(前記1(2)ア)、プレス機の安全教育や金型取り付け特別教育の後に実施された理解度テストでも満点であったこと(同イ)、確認作業や梱包作業を順調に覚え(同エ)、プレス作業への意欲を見せていたこと(同オ)、本件プレス機でのプレス作業の実習も、原材料の投入、完成品の取出、完成品の確認、容器への積載といった比較的平易なものから始め、亡Aはそれらの各作業も比較的すぐにできるようになったこと(前記1(3)エ)、金型交換作業(段取り)の実習に進んだ後も、本件プレス機での実習中は、常にFが亡Aの傍についており、亡Aが1人での作業を命じられることはなかったこと(同ア)、Fは、手本を示して亡Aにやらせてみるという方法で指導し、亡Aが出来なくても叱責することはなかったこと(同ア、エ、カ)、本件プレス機は生産負荷が低く、亡Aに作業速度や作業効率は求められていなかったこと(前記1(2)オ)、亡Aは、被告に入社して以降、体調不良を訴えたことはなく、自殺する前日まで無遅刻無欠勤であり、本件プレス機での実習開始後においても、残業や休日勤務はなかったこと(前記1(4)イ)、亡Aは、自殺する3日前の土曜日には被告のソフトボール大会に参加し、活躍していたこと(前記1(3)コ)、自殺する2日前の日曜日に亡Aと遊んだ高校の同級生も、亡Aに異変があるとは感じていなかったこと(同コ)、自殺する前日には、本件プレス機が停止する事態が発生したが、そのことでEやFが亡Aを叱責したことはなく、亡Aに普段と変わった様子はなかったこと(同サ)、亡Aは同僚と良好な関係を築いており(前記1(2)カ、同(4)ウ)、EやFをはじめとする上司との人間関係も良好であったこと(前記1(4)イ)に鑑みれば、自殺までの間に、亡Aに精神障害の発症や自殺の兆候は見当たらず、被告が、亡Aにとって業務が加重であり、自殺や精神障害を招き得る心理的負荷となっていたことを予見することは困難であったというほかない。

3.雇用管理上の留意点

 判決文からは、Aさんが作業内容を覚えようと一生懸命努力していたことが窺われます。

 会社の側も、Aさんを放置したりせず、手本を見せながら指導し、出来なくても叱責することなく、比較的丁寧に仕事を教えていたことが窺われます。上司や同僚とも人間関係は良好であったと認定されています。

 「バカはバカなりに努力しろ」という言葉が誰から発されたものなのかは、Aさんが明らかにしなかったため、分かりません。自殺との因果関係も不明です。

 しかし、「作業ミスが作業者の安全に直結する」という業務の性質上、荒っぽい職人気質の上司や同僚の方が、悪気なく言ってしまった可能性はあると思います。

 徒弟制のような形式で技術が承継されていく職場において「バカはバカなりに努力しろ」といった言葉が出ることは、いかにもありそうだなと思います。

 言った側は、ソフトボールでもやれば、適当に受け流されると、軽く考えたのかも知れません。

 しかし、

「知的障害や発達障害を有する者は、その障害が原因で、頑張って努力しても努力が報われず、できるようにならないため、無力感や劣等感、自己否定感を抱きやすく、ストレスへの耐性も他の人と比べて低いという見方もあって、うつ病や適応障害といった二次障害に陥りやすい」

ことを考えると、こうした言葉は、軽はずみに使うべきではなかったのだろうと思います。この言葉を真に受けて、Aさんは苦しんでいたのかも知れません。

 一生懸命やっても成果に繋がらないということは、仕事をしていれば誰もが経験することだと思います。

 部下や後輩が障害者であろうがなかろうが、悪気があろうがなかろうが、そうした時に荒っぽい言葉で発破をかけるようなやり方は、見直されるべき時代になっているのだろうと思います。

 

職場で暴力を振るったら契約更新は期待できない?

1.職場で暴力を振るって契約更新を拒絶された事件

 職場で暴力を振るったことなどを理由とする雇止めの適否が問題となった事案が公刊物に掲載されていました(大阪地裁平30.12.20労働判例ジャーナル87-99沢井製薬事件)。

 この件で原告になったのは、医薬品の製造販売及び輸出入等を目的とする株式会社の学術部学術グループで、部署内業務の補佐及びそれに付随する業務を担当していた方です。

 平成26年11月1日に雇用され、3か月の使用期間を経て、平成27年3月18日に、契約期間を同年4月1日から平成29年3月31日までとする有期雇用契約を締結しました。

 しかし、平成29年2月28日、被告会社は原告が職場で暴力事件を起こしたことなどを理由として雇止めにすることを通知しました。

2.暴力の内容

 本件で問題となった暴力は次のとおりです。

「e、f及びh(職場の同僚 括弧内筆者)は、平成28年11月10日午前10時頃、上記ケのSPASを確認してSPAS確認表に入力する作業の分担について話し合っていた。その際、eの向かいの席に座っていた原告が、eに対し、確認表の内容では、SPASの運用をテストする上で不十分である旨話かけてきた。eは、原告に後で話を聞く旨述べたものの、原告が更に話をやめることなく話し続けてきたことから舌打ちをした。これに対し、原告は、大声で『お前なんやねん、その口の利き方は。なめんとんのか。』と言って、eに詰め寄った。そして、原告は、両手でeのシャツの襟の辺りを掴んで上に引き上げた(以下『本件暴行』という。)。これに対し、eは、抵抗らしい抵抗は見せず、なされるがままになっていた。」
「gは、・・・、eの席の近くにあるコピー機辺りにいて書類をコピーしていたところ、原告の・・・声を聞いて振り返り、原告が本件暴行に及ぶのを目撃したため、原告を止めに入り、自席付近にいたkと2人がかりで両者を引き離した。」

3.裁判所の判断

 裁判所は次のように述べて雇止めを有効としました。

「原告は、勤務時間中、多数の従業員がいる中で、同僚の態度に怒って『なめんとんのか』などと大声を発しただけでなく、詰め寄って両手でシャツの襟辺りを上に引き上げたのであって、殴るなどの行為には及ばなかったものの、無抵抗の者に一方的にそのような行為を行い、他の同僚に2人がかりで引き離されるまでそれを止めなかった・・・。この点、eが舌打ちしたなど同人に全く非がないわけではないにしても、思わず声を荒げてしまったというだけであればともかく、更に詰め寄ってシャツの襟辺りを掴むといった身体に対する有形力の行使まで許容されるものではなく、明らかに過大な対応といわざるを得ない。これによって直接被害を受けたeの精神的ショックは大きく、また、このような事態を目撃した同僚が受けた衝撃も大きかったことは容易に推察される。そうすると、本件暴行は重大なものであったといわざるを得ない。

これらの事情からすれば、原告が本件暴行後に謝罪していること等を考慮しても、原告が本件契約の更新を期待することについて合理的な理由があるとはいえず、また、仮にその期待に合理的な理由があるとしても、被告による本件契約の更新申込拒絶は、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当性であるといえる。」

4.何があっても暴力はダメ

 雇止めの有効性の判断枠組みは二段構造になっています。

 具体的に言うと、先ず、

「有期労働契約が更新されるものと期待することについて合理的な理由があるものであると認められる」か否か、

が審査されます。

 ここで、契約更新への期待に合理的な理由があると認められる場合、次に、雇止めに客観的合理的理由・社会通念上の相当性が認められるか否かが審査されます(労働契約法19条柱書及び同条2号参照)。

 沢井製薬事件では、同僚への暴力行為が、客観的合理的理由・社会通念上の相当性の段階ではなく、契約更新への期待に合理的な理由があるかという部分で考慮されています。

 職場で暴力行為に及んだ場合、殴るなどの行為に及ばなかったとしても、契約更新を期待することさえダメだ、第一段階での審査さえクリアできないと判断されました。

 何があっても暴力が正当化されることはありません。暴力は言い訳が効きにくい非違行為の一つです。

 その職場で働き続けたい場合、何があっても暴力だけは振るわないことが肝要です。

 

育休明けに周囲への気兼ねからパート契約を結んでしまった(雇用形態の変更に応じてしまった)正社員の方へ

1.出産後に職場復帰する際に取り交わしたパート契約の効力が問題になった事例

 出産後に職場復帰する際に取り交わしたパート契約の効力が問題となった判例が公刊物に掲載されていました(東京地判平30.7.5労働判例1200-48 フーズシステムほか事件)。

 原告となった女性は、期間の定めなく雇用されていて、事務統括という役職を務めていました。

 第一子の妊娠、出産を経て、勤務先に復帰しようとしたところ、勤務先から

「勤務時間を短縮するためにはパート社員になるしかない」

と説明されました。

 原告女性は

「雇用形態が・・・パート社員へと変更され、賞与も支給されなくなることについて釈然としないながらも、出産で被告会社の他の従業員に迷惑を掛けているという気兼ねもあり、出産直後であり別の就職先を探すのも事実上きわめて困難な状況にあることも考慮し、有期雇用の内容を含むパート契約書に署名押印」

しました。

 本件では、こうした経緯のもとで締結されたパート契約の効力が争点になりました。

2.裁判所の判断

 裁判所は、次のように述べて、パート契約の効力を否定しました。

「育児休業法23条は、事業主は、その雇用する労働者のうちその3歳に満たない子を養育する労働者であって育児休業をしていないものに関して、労働者の申出に基づき所定労働時間を短縮すること(以下『育児のための所定労働時間の短縮申出』という。)により当該労働者が就業しつつ当該子を養育することを容易にするための措置(以下『育児のための所定労働時間の短縮措置』という。)を講じなければならないとし、同法23条の2は、事業主は、労働者が前条の規定による申出をし又は同条の規定により当該労働者に上記措置が講じられたことを理由として、当該労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならないと規定している。これは、子の養育又は家族の介護を行う労働者等の雇用の継続及び再就職の促進を図り、これらの者の職業生活と家庭生活との両立に寄与することを通じてその福祉の増進を図るため、育児のための所定時間の短縮申出を理由とする不利益取扱いを禁止し、同措置を希望する者が懸念なく同申出をすることができるようにしようとしたものと解される。上記の規定の文言や趣旨等に鑑みると、同法23条の2の規定は、上記の目的を実現するためにこれに反する事業主による措置を禁止する強行規定として設けられたものと解するのが相当であり、育児のための所定労働時間の短縮申出及び同措置を理由として解雇その他不利益な取扱いをすることは、同項に違反するものとして違法であり、無効であるというべきである。
「もっとも、同法23条の2の対象は事業主による不利益な取扱いであるから、当該労働者と事業主との合意に基づき労働条件を不利益に変更したような場合には、事業主単独の一方的な措置により労働者を不利益に取り扱ったものではないから、直ちに違法、無効であるとはいえない。
「ただし、労働者が使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれており、当該合意は、もともと所定労働時間の短縮申出という使用者の利益とは必ずしも一致しない場面においてされる労働者と使用者の合意であり、かつ、労働者は自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力にも限界があることに照らせば、当該合意の成立及び有効性についての判断は慎重にされるべきである。そうすると、上記短縮申出に際してされた労働者に不利益な内容を含む使用者と労働者の合意が有効に成立したというためには、当該合意により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者が当該合意をするに至った経緯及びその態様、当該合意に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等を総合考慮し、当該合意が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在することが必要であるというべきである。」
「これを本件についてみるに、それまでの期間の定めのない雇用契約からパート契約に変更するものであり、期間の定めが付されたことにより、長期間の安定的稼働という観点からすると、原告に相当の不利益を与えるものであること、賞与の支給がなくなり、従前の職位であった事務統括に任用されなかったことにより、経済的にも相当の不利益な変更であることなどを総合すると、原告と被告会社とのパート契約締結は、原告に対して従前の雇用契約に基づく労働条件と比較して相当大きな不利益を与えるものといえる。」

「加えて、前記認定のとおり、被告Y1は、平成25年2月の産休に入る前の面談時をも含めて、原告に対し、被告会社の経営状況を詳しく説明したことはなかったこと、平成26年4月上旬頃の面談においても、被告Y1は、原告に対し、勤務時間を短くするためにはパート社員になるしかないと説明したのみで、嘱託社員のまま時短勤務にできない理由についてそれ以上の説明をしなかったものの、実際には嘱託社員のままでも時短勤務は可能であったこと、パート契約の締結により事務統括手当の不支給等の経済的不利益が生ずることについて、被告会社から十分な説明を受けたと認めるに足りる証拠はないこと、原告は、同契約の締結に当たり、釈然としないものを感じながらも、第1子の出産により他の従業員に迷惑をかけているとの気兼ねなどから同契約の締結に至ったことなどの事情を総合考慮すると、パート契約が原告の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在すると認めることはできないというべきである。」

「原告が自由な意思に基づいて前記パート契約を締結したということはできないから、その成立に疑問があるだけでなく、この点を措くとしても、被告会社が原告との間で同契約を締結したことは、育児休業法23条の所定労働時間の短縮措置を求めたことを理由とする不利益取扱いに当たると認めるのが相当である。」
「したがって、原告と被告会社との間で締結した前記パート契約は、同法23条の2に違反し無効というべきである。」

3.周囲への気兼ねからパート契約を結んでしまった正社員の方へ

 法の趣旨からは疑義がありますが、育休明けに勤務時間の短縮を申し出たところ、雇用形態をパートに変更されたという話は、それなりに耳にします。

 こうした勤務先からの打診に対し、釈然としない思いを抱えながらも、周囲に迷惑をかけているのではという気兼ねから、雇用形態の変更を受け入れてしまう方は、決して珍しくありません。

 民法の意思表示理論のもとでは、誤解があるだとか、騙されただとか、脅かされたといった事情がない限り、契約の効力を否定することはできないのが原則です。

 しかし、労働法の世界では、錯誤、詐欺、強迫といった事情がなかったとしても、

「労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在する」とは認められない

という理由で、契約の効力を否定できる場合があります。

 フーズシステムズほか事件では、原告の方は、結局、勤務先から雇い止めされました。

 パート契約の有効性は、雇い止めの効力との関係でも問題になった争点です。パート契約が無効であることから、勤務先からの雇い止めの通知は解雇の意思表示として理解され、解雇は客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であるとは認められないとして、その効力を否定されました。

 雇用形態の変更は、職場から排除するための嫌がらせの一環で、雇い止めや解雇へと発展して行く可能性があります。

 フーズシステムほか事件の原告は、期間の定めのない嘱託社員の方ですが、裁判所の判示は正社員からパート社員への雇用形態の変更の場面にも応用可能です。

 出産からの復職を機会にパート契約に雇用形態を変更させられてしまった人、パート契約に雇用形態を変更させられたうえ雇い止めや解雇をされてしまった人で、釈然としない思いをお抱えの方がおられましたら、一度弁護士に相談してみても良いだろうと思います。

 地位の回復を図れそうな事案は、決して少なくないのではないかと思います。

 

無期限謹慎とは何だろうか?

1.無期限謹慎処分?

 ネット上に、

「吉本興業、スリムクラブと2700を無期限謹慎処分 反社会的勢力参加のパーティに出演」

という記事が掲載されていました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190628-00010000-huffpost-soci

 記事には、

「吉本興業は6月27日、同社所属の『スリムクラブ』の真栄田賢と内間政成、「2700」の八十島宏行と常道裕史を、無期限謹慎処分にすると発表した。

吉本興業の発表によると、4人は3年ほど前に、知人の他社所属芸人を通じて、飲食店オーナーの誕生日パーティーに出演し、金銭を受け取っていたという。

このパーティーには反社会的勢力が参加していたといい、4人にその認識はなかったとしている。」

と書かれています。

 しかし、この「無期限謹慎処分」とは、一体どういう処分なのでしょうか。

 一般の方には分かりにくいのではないかと思います。法専門家である私にも、よく分からないからです。

2.労働契約上の懲戒処分なのだろうか?

(1)労働契約?

 「無期限謹慎処分」に関しては、労働契約上の懲戒処分として理解しようとする考え方があると思います。

 しかし、芸人さんと吉本興行との間では、契約書が交わされていないようなので、芸人さんと吉本興行との間の契約が労働契約なのかは分かりません。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190625-00000139-spnannex-ent

(2)芸人さんに適用される就業規則はあるのか?

 佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務』〔青林書院、初版、平29〕58頁には以下の記載があります。

「懲戒処分は、服務規律や企業秩序を維持するために、従業員の企業秩序違反行為に対する制裁罰として課される労働契約上の不利益措置として理解されるところ(菅野658頁)、その法的根拠に関して、最高裁判例は、労働者は労働契約を締結したことによって企業秩序遵守義務を負い、使用者は労働者の企業秩序違反行為に対する制裁罰として懲戒処分を課すことができるとしたうえで、懲戒権について、使用者が本来的に有する企業秩序を定立・維持する権限の一環ではあるものの、就業規則に明定して初めて行使できるものとした(最二小判平15・10・10集民211号1頁・労判861号5頁」

 仮に労働契約であるとすれば、使用者である吉本興行が、労働者であるスリムクラブに対して制裁罰としての懲戒処分を課すことが可能な立場にあることは理解できます(懲戒対象行為を競業と理解しているのか、反社会的勢力と付き合ったことなのか、その両方と考えているのか、といった疑問はありますが)。

 しかし、懲戒処分を課するには、懲戒権が就業規則に明定されている必要があります。芸人さんの働き方は、吉本興行の会社事務を担っている従業員さんとは相当異なると思われますが、芸人さんの働き方を規律するための就業規則は存在するのだろうかという疑問が生じます。

(3)周知性はあるのか?

 また、上記文献で引用されている最高裁判例は、

「使用者が労働者を懲戒するには、あらかじめ就業規則において懲戒の種別及び事由を定めておくことを要する(最高裁昭和49年(オ)第1188号同54年10月30日第三小法廷判決・民集33巻6号647頁参照)。そして、就業規則が法的規範としての性質を有する(最高裁昭和40年(オ)第145号同43年12月25日大法廷判決・民集22巻13号3459頁)ものとして、拘束力を生ずるためには、その内容を適用を受ける事業場の労働者に周知させる手続が採られていることを要するものというべきである。」

と判示しています。

 芸人さんが自分たちに適用される就業規則を知っていたという話は、私が接した報道からは聞こえてきません。就業規則に基づいて懲戒権を発動させたのだとすれば、その前提として、周知措置がとられていたといえるのだろうかという疑問も生じます。

(4)「無期限謹慎」の意味するところは? 永遠に休ませられる?

 更に言えば、「無期限謹慎」とはどのような効果を持つ処分なのかも気になります。

 出勤停止・停職と似たような理解になるのでしょうか。

 そうだとすると「無期限」というのを、どのように理解したら良いのかという問題が生じます。

 国家公務員の場合、国家公務員法83条1項が、

「停職の期間は、一年をこえない範囲内において、人事院規則でこれを定める」

と規定しており、停職期間は長くても1年を超えないことが法定されています。

 使用者の裁量によって、いつまでも出勤停止・停職させておけるかのような懲戒事由を規定することが、果たして適法なのかという疑問も生じます。

 「無期限謹慎処分」を労働契約上の懲戒処分として理解しようとすると、どのような法的根拠のもと、どのような効果が生じる処分が下されたのか、処分は適法要件・有効要件をきちんと満たしているのだろうかといった疑問が、次々に生じてきます。

3.事業者間での契約上の措置なのだろうか?

(1)競業避止義務・専属義務を契約書上の明確な規定もなく課することが可能か?

 スリムクラブと吉本興行との関係は、労働契約ではないとすれば、事業者間での契約として理解されることになります。

 しかし、労働契約の締結によって導かれる懲戒権とは違い、事業者間の契約では、一方が他方を処分できる権限が、当然に導かれるわけではありません。

 競業避止義務・専属義務といった強度の制約を、契約書上の明確な規定もなく、業界の慣行というだけで負担させることが、果たして可能なのだろうかと思います。

(2)事業者間における「無期限謹慎処分」の効果とは?

 「無期限謹慎処分」が、事業者間において、どのような法的効果を生じさせるものなのかという疑問もあります。専属義務は解除するけれど仕事を回さないということなのか、専属義務を負わせたまま仕事を回さないという意味なのか、良く分かりません。

(3)専属契約を維持したまま、無期限に仕事を回さないということが適法か?

 専属契約を維持したまま、無期限(発注者の裁量で永遠に?)仕事を回さないといったことが、独占禁止法上許容されるのかといった問題もあると思います。

 公正取引委員会が公表している「(平成30年2月15日)『人材と競争政策に関する検討会』報告書」には、専属義務について次の記載があります。

https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/h30/feb/20180215.html

https://www.jftc.go.jp/cprc/conference/index_files/180215jinzai01.pdf

「優越的地位の濫用の観点(前記第6の1⑶〔26~28頁〕)からも問題となり得る。専属義務は、役務提供者が他の発注者に対して役務を提供する機会を失わせている点において、役務提供者に不利益をもたらしている。したがって、役務提供者に対して取引上の地位が優越していると認められる発注者が課す専属義務が、役務提供者に対して不当に不利益を与えるものである場合には、独占禁止法上の問題となり得る。」

「不当に不利益を与えるものか否かは、これら義務の内容や期間が目的に照らして過大であるか、役務提供者に与える不利益の程度、代償措置の有無及びその水準、これら義務を課すに際してあらかじめ取引の相手方と十分な協議が行われたか等の決定方法、他の取引の相手方の条件と比べて差別的であるかどうか、通常の専属義務との乖離の状況等を考慮した上で判断される。」

と書かれています。

 競業もできないまま、無期限に仕事を干されるという事態は、かなり大きな不利益だと思われますが、優越的地位の濫用との関係で許容されるのかという疑問が出てきます。

 結局、事業者間での契約上の措置として理解しようとしても、「無期限謹慎処分」の法的根拠や、法的効果、その適法性に関しては、良く分からないことばかりです。

4.法令遵守には適用されるルールを明確にすることが重要ではないか

 ルールが明確であることは、ルールを守る前提です。

  法令遵守の前提としては、先ずは芸人さんと会社との間に適用されるルールをきちんと定め、何をしたら契約上問題となり得るのかを契約書で明確にすることが重要になってくるのではないかと思います。

 反社会的勢力と関係が判明した場合に何等かの処分をするにしても、どのような法的根拠に基づいてどのような効果を持った処分をするのかを書面上明確しておくことが、大切ではないかと思います。

 

公務員欠格条項が社会福祉法人の支援者に看過された疑いのある事件(専門職間での連携の重要性)

1.障害のある職員に対する再任用拒否の可否が問題となった事件

 障害(先天性のある知的障害及び自閉症)のある自治体職員に対する再任用拒否の可否が問題となった事例が、公刊物に掲載されていました(大阪地判平31.2.13労働判例ジャーナル87-75 地位確認等請求事件)。

 公務員で、かつ、障害者という、労働事件の中でも比較的特殊な事件類型です。

2.欠格条項

 本件では次のような経過が辿られています。

「先天性の知的障害及び自閉症を有する原告は、平成22年12月1日、任用期間を6か月として被告職員に任用されたところ、任用期間中である平成23年4月19日に保佐開始の審判を受けた。
被告は、任用期間満了後である平成23年6月1日以降の原告の任用を行わなかった(以下「第一次不再任用」という。)。」
原告は、その後、保佐開始の審判の取消し及び補助開始の審判を受けたところ、被告は、平成23年12月1日、任用期間を6か月として原告を任用したが(以下「平成23年任用」という。)、その期間満了日(平成24年5月31日)以降の任用を行わなかった(以下「第二次不再任用」という)。」

 原告となった方は、元々、平成18年6月1日から3か月ないし6か月の有期任用を繰り返していました。

 第一次不再任用と第二次不再任用との間で一旦任用が中断しているのは、地方公務員法上の欠格条項が関係しています。

 地方公務員法16条は、

「次の各号のいずれかに該当する者は、条例で定める場合を除くほか、職員となり、又は競争試験若しくは選考を受けることができない。
一 成年被後見人又は被保佐人

(以下略)」

と規定しています。

 本件は、保佐開始の審判を受けて保佐人になったことが、任用の打ち切りの背景事情となっている点に特徴があります。

3.福祉施設が欠格条項が看過された疑い

(1)原告の方の支援は補助でも対応可能であった

 被保佐人になったことによる任用の打ち切りを不適切と考えたのか、保佐人に選任された司法書士は、

「平成23年8月18日、原告の保佐人として、f家庭裁判所に対し、原告に対する補助開始の審判を申し立て」

ました。

 これを受け、
「f家庭裁判所は、平成23年10月6日、原告について、保佐開始の審判を取り消すとともに、補助開始の審判をし」

ました。

 これによって欠格条項への該当性が解消された後、平成23年任用がなされたという経過が辿られています。

(2)保佐開始の審判の申し立ての経緯

 判決では保佐開始の審判の申し立ての経緯として、次のとおり書かれています。

「原告の父は、平成22年頃までに癌に罹患しており、この頃、余命宣告を受けた。なお、原告の父は、平成23年7月10日に死亡した。」
「原告は、平成23年3月22日、f家庭裁判所に保佐開始の審判を申し立てた。同日、同裁判所で行われた面接には、原告のほか、支援者で、原告が入居するグループホームを運営する社会福祉法人Aの代表者であるB代表、被告の職員であるケースワーカーのC職員らが同席した。」

(3)欠格条項の存在は申立にあたり、きちんと考慮されたのか?

 判決文で触れられている事実は上述の程度であり、保佐開始の審判の申し立てに、福祉専門職がどの程度関与していたのかを詳細に確認することまではできません。

 しかし、面接に同席している以上、社会福祉法人の支援者が、一定程度、申立に関与していたことは確かではないかと思います。

 この時、支援者は、公務員欠格条項のことを、きちんと考慮に入れていなかった可能性があると思っています。

 民法は後見制度について、三つの類型を設けています。

「精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者」を対象とする成年後見制度(民法7条参照)、

「精神上の障害により事理を弁識する能力が著しく不十分である者」を対象とする保佐制度(民法11条参照)、

「精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分である者」を対象とする補助制度(民法15条参照)、

の三つです。

 本件では、保佐開始の審判がなされて半年も経たない内に、保佐開始の審判が取り消され、補助開始の審判に移行しています。

 こうした事実経過を考えると、原告となった方は、知的障害・自閉症があるといっても、元々、事理弁識能力が著しく不十分とまではいえず、単に不十分といえる限度に留まっていたことが推察されます。

 被保佐人が公務員欠格条項に該当することを知っていたとしたら、障害者が長年勤務している職場を奪ってしまうような申立はしなかったと思います。

 保佐か補助かが就労継続にあたり重要な意味を持っていることを踏まえ、障害の程度をもっと丁寧にアセスメントし、初めから補助を選択するように勧め、原告となった方の就労機会を奪うような経過は辿られていなかったのではないかと思います。

4.任用が途切れて、その後どうなったのか

 任用が途切れた後、原告の方は平成23年に不更新条項付きで期間6か月の再任用を受けました。そして、6か月後、改めて再任用を拒否されました(第二次再任用拒否)。

 第二次再任用拒否は、地位確認請求、国家賠償請求の両面から争われましたが、いずれの請求も認められませんでした。

5.地位確認-公務員の雇い止めの特殊性

 民間の労働関係には、雇い止め法理と呼ばれているルールが適用されます。

 これは労働契約法19条に根拠があるルールです。

 大雑把に言うと、有期雇用であったとしても、

更新が反復されていて期間の定めのない労働契約と同視できる事情があるだとか、

契約が更新されることに合理的期待があるだとか、

そういった事情がある場合に、期間満了で契約を打ち切るにあたっては、客観的合理的理由・社会通念上の相当性が必要になるということを内容としています。

 客観的合理的理由・社会通念上の相当性が認められない場合、労働契約は従前と同一の労働条件のもとで更新されたものとして扱われます。

 しかし、公務員には雇い止め法理は適用されませんし、類推適用もされません。

 任用拒絶が違法であることを理由とする地位確認を認めた例は、東京地判平18.3.24労働判例915-76情報・システム研究機構(国情研)事件が存在するのみですが、これも上級審で破棄されています。

 本件でも、

「現行法の立場や民間労働類似の勤務実態等の原告指摘の諸点を踏まえても、任用期間満了後の任用(再任用)の拒否について解雇権濫用法理(雇止め制限に関する法理を含む。)が適用ないし類推適用される余地はないというべきである。」

と地位確認の方は、あっさりと棄却されました。

6.国家賠償請求

 一旦任用を打ち切られてしまうと、現行の裁判実務上、地位確認請求を通すのは非常に困難です。

 しかし、一定の場合には、国家賠償請求は可能だとされています。

 本判決でも、

「任命権者が、期限付任用に係る非常勤職員に対して、任用期間満了後も任用を続けることを確約し保障するなど、同期間満了後も任用が継続されると期待することが無理からぬものとみられる行為をしたというような特別の事情がある場合には、当事者間の信頼関係を不当に侵害するものとして、当該非常勤職員がそのような誤った期待を抱いたことによる損害につき、国賠法に基づく賠償を認める余地があり得る(最高裁判所平成6年7月14日第一小法廷判決・裁判集民事172号819頁)。」

との理解が示されています。

 しかし、本判決は、

「〔1〕被告が平成23年任用に至ったのは、再度の任用について一貫して拒否する対応を続けるも、原告支援者からの強い要望がなされた末の判断であったこと、〔2〕それ故、被告は、任用の際の臨時雇用員誓約書に本件不更新文言を設け、同文言について、原告に説明した上で同誓約書の提出を受けるなどしており、合意としての効力の有無にかかわらず、少なくとも原告に対し、任用が継続するか否かについて誤った期待(今後も任用は継続されるという期待)を生じさせないための明確な措置を講じていたといえること、〔3〕平成23年任用の任用期間中においても、原告について、今後任用が継続されるとの期待を抱かせるような被告の言動や具体的な出来事があったとは窺われないこと、以上の点が認められ,これらの点に鑑みれば、平成23年任用に関し、被告が、原告に対し、その期間満了後も任用が継続されると期待することが無理からぬものとみられる行為をしたというような特別の事情があるとは認められない。」

と述べて原告の請求を認めませんでした。

 これは23年の再任用の経緯に着目した判断なので、同じく雇い止めにあったとしても、保佐開始の審判を契機とする中断期間がなければ、国賠の方は結果が変わっていたかも知れません。

7.専門職連携の重要性

 第一次不再任用受け、

「原告の支援者であり、原告の所属する労働組合Fの執行委員長であるG委員長は、同年6月1日及び同年6月14日に、被告のb部d課室長であったH室長及びe会事務局長であったI事務局長と面談した。その際、G委員長らが原告を被告職員として任用することを求めたのに対し、H室長は、原告が地公法上の欠格条項に該当することになったため、公務員として任用することができない旨説明した。」

とされています。

 裁判所は、欠格条項に関する役所の情報提供義務違反の主張に対し、

「第一次不再任用は、原告が地公法上の欠格条項に該当することを理由とするものではなく、飽くまでも、任用期間が満了したことを理由とするものである」

から問題ないとの認識を示していますが、上述の経緯に鑑みると、額面通りに受け取っていいのか疑問です。

 大方、元々問題行動があって職場からの排除を企図していたところ、保佐開始の審判がなされたことをいいことに、欠格条項の存在を黙っていたうえで雇い止めを行い、組合から交渉を持ち掛けられるや、欠格条項を盾に任用継続を拒否したといったところではないかと思います。

 実際、自治体は、欠格事由への該当性だけではなく、

「〔1〕女性職員の名札を至近距離からのぞき込む、〔2〕特定の女性職員に付きまとう、〔3〕トイレに人が入っているにもかかわらずドアを強くたたく、〔4〕勤務時間中に庁舎内を歩き回り他の部課に行く、〔5〕市庁舎内で走ったり、食堂で順番の列を割り込み市民からクレームが寄せられる、〔6〕公用車のボンネットをたたく、〔7〕自分の胸や顔を殴ったり壁を蹴ったりする。」

などの問題行動も踏まえて第一次不再任用を決めたと主張していました。

 ただ、元々長年に渡って任用が継続されてきたことからすると、保佐開始の審判という分かりやすい口実がなければ、疎まれはするものの、原告の方が何事もなく就労を継続できた可能性は、それなりにあったのではないかと思います。

 社会福祉法人の支援者の方が、保佐審判開始の申し立ての前に、一言、弁護士に法的観点からの意見照会をしていれば、本件は違った経過を辿っていたかも知れません。

 欠格条項は、法改正によって削除されるため、

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45820490X00C19A6000000/

https://www.cao.go.jp/houan/196/index.html

https://www.cao.go.jp/houan/doc/196_7shinkyu.pdf

本件と同じような事案は今後なくなって行くのでしょうが、専門職間での連携体制を構築しておくことの重要性が注意喚起される事案だと思われます。