弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

会社が倒産状態にないのに従業員に対する賃金不払いに代表取締役の個人責任(損害賠償責任)が認められた例

1.賃金の不払と取締役の個人責任

 会社法429条1項は、

「役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは、当該役員等は、これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う。」

と規定しています。

 賃金を払ってもらえない労働者は、この規定を根拠として役員(取締役)に個人責任を追求することが考えられます。

 ただ、会社法429条1項に基づく損害賠償として残業代を請求するにあたっては、幾つかの乗り越えなければならない壁があります。

 一つは、損害の発生です。

 会社から賃金を払ってもらえる限り、労働者に損害が発生することはありません。そのため、「損害」があったといえるためには、会社が倒産状態に陥るなど、会社から残業代を取り立てることができない事情が必要になります。

 もう一つは、任務懈怠と損害の発生との間の因果関係です。

 賃金の不払と会社の支払能力の喪失との間に因果関係があるといえるのか(賃金を払わなかったから支払能力がなくなったのか)という問題です。裁判所によっては、これを比較的厳格に要求します。そして、これを厳格に理解する見解によると、賃金を払わないことは、通常、会社のキャッシュを増やす意味を持つため、因果関係が認められる場面は極めて限定的に理解されることになります。

 最後に、「悪意又は重大な過失」が認められることです。

 賃金の不払は取締役の任務(法令遵守義務)に違反します。しかし、損害賠償責任を発生させるには、単に法令違反行為が確認されれば足りるわけではなく、それが「悪意又は重大な過失」に基づいていることが必要になります。

 このように、会社から賃金を支払ってもらえなかった労働者が、取締役の個人責任を追及することは、それほど容易ではないのですが、近時公刊された判例集に、これを肯定した裁判例が掲載されていました。東京地判令5.7.19労働判例ジャーナル144-32 ネクサスジャパン事件です。この事件は、会社が倒産状態(賃金を支払えない状態)になかったにもかかわらず、代表取締役の個人責任を肯定している点に特徴があります。

2.ネクサスジャパン事件

 本件は三つの事件が併合されている複雑な事件です。

 賃金を支払わなかった会社の代表取締役の個人責任との関係でいうと、本件で被告になったのは、

弁当、総菜の加工、販売等を目的とする株式会社(被告ネクサス)

被告ネクサスの代表取締役B(被告B)

の二名です。

 原告になったのは、被告ネクサスとの間で雇用契約を締結し、弁当工場で労務を提供するなどしていた方です(原告A)。

被告ネクサスに対して雇用契約に基づいて支払われるべき未払賃金を請求するとともに、

被告ネクサスが賃金を支払わなかったのは、取締役としての任務懈怠にあたるとして、被告Bに会社法429条1項に基づく損害賠償を

請求しました。

 被告Bは、被告ネクサスは設立当初から経営状態が悪く、賃金の支払が困難な状況にあったなどと主張していましたが、裁判所は、次のとおり述べて、被告Bの責任を認めました。

(裁判所の判断)

「賃金の支払義務は、労働基準法24条及び37条に定められた使用者の被用者に対する基本的な義務であって、使用者がこれらに違反した場合には、使用者は、6か月以下の懲役又は30万円以下の罰金刑に処せられることとされている(労働基準法119条1号、120条1号)。」

「したがって、株式会社の代表取締役は、会社に対する善管注意義務ないし忠実義務として、会社に労働基準法24条及び37条を遵守させ、被用者に対して賃金を支払わせる義務を負っているというべきであり、会社が賃金を支払っていない場合は、当時倒産の危機にあり賃金を支払うことが極めて困難であったなど特段の事情がある場合を除き、会社の代表取締役には当該義務に違反する任務懈怠があったというべきである。

「これを本件について見ると、被告Bは、被告ネクサスは設立当初から経営状況が悪く、賃金の支払いが困難な状況にあった旨主張し、その旨を供述するとともに・・・、現に被告ネクサスにおいては、令和元年8月分(約20万円)、同年9月分(約10万円)、同年11月分(約50万円)について未払賃金があるとともに・・・、令和元年9月から同年10月・・・、令和2年8月から9月・・・、令和2年7月から令和3年2月・・・にかけて、複数の従業員から賃金を支払うように催促されていることは、これに沿うものといえる。」

「しかしながら、他方で、被告ネクサスの賃金台帳・・・によれば、他に賃金が支払われている者も多数いることが認められる。加えて、被告ネクサスの令和元年5月から令和3年5月までの売上げは別紙2のとおりであり、これによれば、おおむね売上げの少ない月は50万円前後ではあるものの、100万円から400万円前後の月が多いこと・・・が認められ、売上げの金額自体からは、賃金の支払いが困難な状況にあったとは認められない。被告ネクサスは、借入金(月額105万円)、賃料(月額25万円)、諸経費(月額30万円)について主張するものの、被告ネクサスの貸借対照表、損益計算書等の会計帳簿等の証拠は提出されておらず、これらの金額を含め、被告の資金繰りの状況を認定するための的確な証拠はない(被告Bは売り上げを経費が上回る赤字状態が続き、さらにはスムージーの材料を腐敗させてしまったことで多額の損害賠償義務を負ったことで、経営状態が悪かった旨を供述するが・・・、被告Bの供述は会計帳簿等によって裏付けられたものとはいえず、その供述は採用できない。)。これに加えて、被告ネクサスは現在も営業を継続していることを併せ考えると、本件においては、被告ネクサスが令和元年5月から令和3年5月までの間、賃金を支払うことが極めて困難であったとまでは認められない。

「したがって、被告Bには、原告Aに対する賃金を支払わなかった点で任務懈怠があり、賃金を支払うことができていた従業員がいることからすると・・・、原告Aに賃金を支払わなかったことについて、少なくとも被告Bに重過失があったというべきである。」

(中略)

「被告ネクサスが、同420万円を支払わなかったのは、被告Bの任務懈怠によるものであり、これについて重過失があるというべきであるから、会社法429条1項に基づき同額及び令和4年11月3日(第3事件の訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年3%の割合による遅延損害金の支払義務を負うというべきである。」

3.会社が倒産状態にないのに会社法上の損害賠償責任が認められた

 冒頭で指摘したとおり、賃金を支払ってもらえない労働者が会社法429条に基づく取締役の個人責任を追及するにあたっては、通常、会社が倒産状態に陥っている必要があります。そうでなければ、「賃金の支払を受けられなくなった」という「損害」が認められないからです。

 しかし、本件の裁判所は、

「株式会社の代表取締役は、会社に対する善管注意義務ないし忠実義務として、会社に労働基準法24条及び37条を遵守させ、被用者に対して賃金を支払わせる義務を負っているというべきであり、会社が賃金を支払っていない場合は、当時倒産の危機にあり賃金を支払うことが極めて困難であったなど特段の事情がある場合を除き、会社の代表取締役には当該義務に違反する任務懈怠があったというべきである」

という規範を定立し、

会社(被告ネクサス)に賃金を支払うことが極めて困難であった

といった事情は認められないとして、代表取締役である被告Bの個人責任を認めました。

 個人責任を否定しようとした場合、取締役側としては、通常、会社に資力があることを立証することになります。そうすれば、「損害」がなくなるため、個人責任を負うことを免れられるからです。

 それでは、なぜ、代表取締役である被告B側が会社に資力がないことを主張したのかというと、任務懈怠がなかったという主張を本筋に置こうとしたからだと思います。会社に金銭がなかったのだから、払えなくても仕方ないではないかという理屈です。会社に資力があるという主張は、これと排反する関係にあるため、資力があるのだという主張を切り捨てたのだと思います。

 それが裏目に出たという事案ならではの特殊性のある裁判例ではありますが、

任務懈怠の捉え方について、当時倒産の危機にあり賃金を支払うことが極めて困難であったなどの特段の事情がある場合を除き、これが肯定されるといった理解のもと、

会社に資力があっても取締役の個人責任が認められるとされたこと

は興味深く思います。

 この理屈が通用するのであれば、取締役の個人責任が認められる範囲は、かなり広く理解されるのではないかと思います。

 本裁判例は、賃金の支払いを受けられない労働者が取締役の個人責任を追及するにあたり、活用できる可能性があります。