弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

精神疾患の影響とそれまでの公務への貢献が評価されて退職手当支給制限処分(全部不支給)が取り消された例

1.公務員の懲戒免職処分と退職手当支給制限処分

 国家公務員退職手当法12条1項は、

「退職をした者が次の各号のいずれかに該当するときは、当該退職に係る退職手当管理機関は、当該退職をした者(当該退職をした者が死亡したときは、当該退職に係る一般の退職手当等の額の支払を受ける権利を承継した者)に対し、当該退職をした者が占めていた職の職務及び責任、当該退職をした者が行つた非違の内容及び程度、当該非違が公務に対する国民の信頼に及ぼす影響その他の政令で定める事情を勘案して、当該一般の退職手当等の全部又は一部を支給しないこととする処分を行うことができる。

一 懲戒免職等処分を受けて退職をした者

・・・」

と規定しています。

 文言だけを見ると、懲戒免職処分を受けた国家公務員に対しても、退職手当等が一部支給される余地が広く残されているように思われます。

 しかし、懲戒免職処分を受けた国家公務員に対して退職手当等が支払われることは、実際にはあまりありません。昭和60年4月30日 総人第 261号 国家公務員退職手当法の運用方針 最終改正 令和4年8月3日閣人人第501号により、

「非違の発生を抑止するという制度目的に留意し、一般の退職手当等の全部を支給しないこととすることを原則とするものとする」

と定められているからです。

内閣人事局|国家公務員制度|給与・退職手当

https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/jinjikyoku/files/sekougo_2.pdf

 上記は国家公務員についてのルールですが、多くの地方公共団体は地方公務員に対して同様のルールを採用しています。

 しかし、近時公刊された判例集に、懲戒免職処分が有効とされながら、退職手当支給制限処分(全部不支給)が取り消された裁判例が掲載されていました。横浜地判令5.9.13労働判例ジャーナル142-48 神奈川県・神奈川県警察本部長事件です。

2.神奈川県・神奈川県警察本部長事件

 本件で原告になったのは、神奈川県警の警察官であった方です。

 以下の各非違行為により懲戒免職処分・退職手当支給制限処分(1290万9229円全部不支給)をされたことを受け、各処分の取消を求める訴えを提起したのが本件です。

(各非違行為の内容)

「令和2年2月19日、q1交番において、巡査長Aに対し、右手で胸倉を掴むなどの暴行を加えて、その職務の執行を妨害し、巡査Bが公務執行妨害の現行犯人として逮捕しようとした際、その胸倉を掴み、その顔面に頭突きする暴行を加え、職務を妨害するとともに、全治1週間の傷害を負わせた(本件非違行為1)。

「令和2年2月4日、小田原市所在の本件飲食店において、店員Cに対し、自己がトラブルとなった相手方を呼び出せと因縁をつけ、『ぶっ壊すぞ、この野郎。呼べよ早く。テメー常連だっつったろこの野郎。』等と語気鋭く、執拗に申し向けて脅迫し、同人にトラブルの相手方を呼び出させる義務のないことを行わせようとしたが、その目的を遂げなかった(本件非違行為2)。

「令和2年1月20日、神奈川県小田原市内のJR小田原駅において、非番時に、神奈川県迷惑行為防止条例違反(盗撮)の被疑者を、警察官として現行犯逮捕したにもかかわらず、事案の詳細を説明せずに、被疑者を引致する手続をとることなく、また、現行犯人逮捕手続書を作成することなく、その場から立ち去り、引致までに1時間半以上を要したほか、被疑者を釈放するなど捜査に支障を来した(本件非違行為3)。

「川崎市警察部において、

〔1〕令和元年12月23日、通勤手当の申請手続を実施したが、当該職員の申請した通勤経路が認定されない旨を説明した職員Dに対し、「認定されないことに納得がいかない」等と大声で叱責するなどし、職員Dが体調不良となった(本件非違行為4〔1〕)

〔2〕令和元年12月24日、庶務係長Eに『俺が目の前で話しかけたのに無視したな。今更口を出すな』等と大声で叱責し、庶務係長Eが体調不良となった(本件非違行為4〔2〕)

〔3〕令和2年1月31日午前9時3分頃、当該職員は出勤した際、右肩に持っていたカバンを執務中の調査官Fにぶつけ、調査官Fを睨みつけながら『お前、嘘ばかり監察についてんじゃねえよ。』等と激高するなど不適切な行為をした(本件非違行為4〔3〕)。」

「座間警察署長らに対し、

〔1〕令和2年1月15日午前3時41分頃から午前5時33分頃までの間、座間警察署長に対し、連続して5回電話をかけるなど、不適切な行為をした(本件非違行為5〔1〕)

〔2〕令和2年1月15日午前3時43分頃から午前3時50分頃までの間及び同日午前4時7分頃から同日午前5時33分頃までの間、座間警察署副署長に対して、2回に分け、合計93分間電話するなど、不適切な行為をした(本件非違行為5〔2〕)

〔3〕令和元年12月13日午前10時15分頃から午前10時25分頃までの間、警察本部庁舎内において、調査官Gに対し、監察官室において監督上の措置を受けたことに腹を立て、『自分の上しか見てねーんだな。お前なんかやってやんかんな。こいつはバカだから。こんなやつなんだよ。』等と語気荒く申し向けるなど、不適切な行為をした(本件非違行為5〔3〕)。

 本件の裁判所は、懲戒免職処分を有効としましたが、次のとおり述べて、退職手当支給制限処分を取消しました。

(裁判所の判断)

「本件条例の規定により支給される一般の退職手当等は、勤続報償的な性格を中心としつつ、給与の後払的な性格や生活保障的な性格も有するものと解される。そして、本件条例12条1項は、個々の事案ごとに、退職者の功績の度合いや非違行為の内容及び程度等に関する諸般の事情を総合的に勘案し、給与の後払的な性格や生活保障的な性格を踏まえても、当該退職者の勤続の功を抹消し又は減殺するに足りる事情があったと評価することができる場合に、退職手当支給制限処分をすることができる旨を規定したものと解される。このような退職手当支給制限処分に係る判断については、平素から職員の職務等の実情に精通している者の裁量に委ねるのでなければ、適切な結果を期待することができない。」

「そうすると、本件条例12条1項は、懲戒免職等処分を受けた退職者の一般の退職手当等につき、退職手当支給制限処分をするか否か、これをするとした場合にどの程度支給しないこととするかの判断を、任命権者の裁量に委ねているものと解すべきである。したがって、裁判所が退職手当支給制限処分の適否を審査するに当たっては、任命権者と同一の立場に立って、処分をすべきであったかどうか又はどの程度支給しないこととすべきであったかについて判断し、その結果と実際にされた処分とを比較してその軽重を論ずべきではなく、退職手当支給制限処分が任命権者の裁量権の行使としてされたことを前提とした上で、当該処分に係る判断が社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したと認められる場合に違法であると判断すべきである(最高裁令和5年6月27日第三小法廷判決・裁判所時報1818号1頁参照)。」

「前記・・・で説示のとおり、原告は、警察の中でも上級職の警部でありながら、粗暴な態様で複数の犯罪行為(本件非違行為1及び2)に及んだものであり、その非違の内容及び程度並びに警察に係る公務に対する信頼に及ぼした支障の程度は重大というべきである。また、本件非違行為3では、原告が捜査手続を懈怠したことにより、被疑者を釈放せざるを得なくなったもので、公務の遂行に及ぼした支障の程度を軽視することはできない。さらに、原告は警察内部における職員への暴言等の非違行為(本件非違行為4〔1〕ないし〔3〕及び5〔1〕ないし〔3〕)により、職場環境を悪化させ、公務の遂行に及ぼしており、この点も看過することはできない。」

しかしながら、前記・・・のとおり、本件各非違行為は、いずれも本件疾患の影響を受けて行われたものであり、特に公務に対する信頼を損なわせた点において重大といえる本件非違行為1及び2に加え、本件非違行為3、4〔3〕、5〔1〕及び〔2〕の当時にも、原告は重度の躁状態であったものである。そして、これらの非違行為の態様や本件疾患の特徴及び症状・・・等にも照らすと、各行為時において、本件疾患が原告の行動制御能力に与えた影響は著しいものであったと考えられ、その責任全てを原告に帰することはできないというべきであり、本件各非違行為に至った経緯には酌むべきところがある。

加えて、原告は、約24年にわたり勤続し、神奈川県内における犯罪の検挙や治安維持に貢献をしてきたこと、平成19年2月からは警察学校教官を務め、平成24年には警部に昇任し、上級職として警察官の指導、育成等にも貢献をしてきたこと、家族の事情で断念することにはなったが、在外公館警備対策官の試験にも合格するなどし、その職務に精励していたことが認められ・・・、令和元年12月に本部長注意を受けているが、その対象となった行為は、その内容に照らし、本件疾患の影響によるものとみることができるものであり、原告には、本件疾患の症状が悪化する前の処分歴もなかったものである・・・。これらによれば、原告のこれまでの公務への貢献の程度は、相応に大きいものということができる。

以上の事情を勘案すれば、本件各非違行為について、原告の勤続の功を抹消するに足りる事情があったとまでは評価することはできない。そうすると、原告の一般の退職手当等について、その一部にとどまらず、全部(1290万9229円)の支給を制限とした本件支給制限処分に係る処分行政庁の判断は、社会通念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を逸脱し、又は濫用したものというべきである。

3.退職手当支給制限処分の取消が認められた珍しい例

 懲戒免職処分を受けると基本的に退職手当は全額不支給になります。裁判所は行政の裁量を広範に認めており、こうした処分行政庁の判断が取り消される例は、それほど多くありません。

 本件は精神疾患の非違行為への影響とそれまでの公務への貢献が評価されて退職手当支給制限処分の取消が認められました。裁判所の判断は、退職手当支給制限処分を争うにあたっての視点を示すものであり、実務上参考になります。