弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

セクシュアルハラスメントを受けた後、すぐに弁護士を介入させていることが、被害者供述の信用性の補強要素とされた例

1.早期介入が特に必要とされる事件類型

 一般の方の中には、

「時効期間が経過するまでは、事件にすることができる」

という誤解をしている方が少なくありません。

 しかし、この発想は実務的には明確な誤りです。一般論として、古い事件を掘り起こしても、勝てることはあまりありません。

 主な理由は二点あります。

 一点目は、主張、立証が困難になることです。人の記憶は時間の経過と共に薄れて行きます。そのため、時間が経過すると、具体的な主張を行うことが困難になります。また、証拠資料は散逸し、証人となってくれる協力者の記憶も曖昧になって行きます。古い事件で主張、立証責任を果たして行くことは、決して容易ではありません。

 二点目は、長期間に渡る問題の放置が、裁判所の心証形成上不利に働くことです。問題が起きても、すぐに事件化していなければ、裁判所は、

黙認する趣旨であった(今更文句は言わせない)、

本当はそのような事実はなかった(後付けで創作した話にすぎない)、

などと理由をつけ、声を挙げた人の主張を排斥します。

 そのため、古い出来事を事件化することについて相談を受けても、実務上、多くの事案では消極的な見解を出さざるを得ません。事件は問題が生じた後、すぐに着手して行くのが基本です。

 とはいえ、普通の事件類型では、1日2日を争うといったことはありません。弁護士との間での訴訟委任契約は着手金の額が数十万円規模にまで及ぶのが通常ですが、契約を締結するかどうかを決めてもらうにあたり1週間や2週間待ったところで問題のないケースが殆どです。

 ただ、中には例外もあります。明確な証拠がない中で供述に依拠してセクシュアルハラスメント被害を受けたことを理由に損害賠償を請求する事件は、その典型です。こうした事件類型では可能な限り早く弁護士を介入させることが必要です。なぜなら、被害直後に事件化していることが、被害者供述の信用性の補強要素になるからです。そのことは、近時公刊された判例集に掲載されている裁判例からも分かります。昨日もご紹介させて頂いた、静岡地判令5.8.25労働判例ジャーナル141-48 S歯科医院事件です。

2.S歯科医院事件

 本件で被告になったのは、

昭和30年生まれの男性で、静岡市内において歯科医院(本件歯科医院)を経営する歯科医師の方(被告B)

被告Bの配偶者で、本件歯科医院において経理事務等を担当している方(被告C)

の二名です。

 原告になったのは、平成11年生まれの女性で、本件歯科医院において歯科衛生士として働いていた方です。原告の方は、

被告らからパワーハラスメントに該当する行為を受けた、

被告Bからセクシュアルハラスメントに該当する行為を受けた、

などと主張し、被告らに損害賠償を請求する訴えを提起しました。

 本件でセクシュアルハラスメントへの該当性が問題になったのは、

「被告Bは、令和4年5月11日、原告の自宅を訪問し、同自宅内において原告に対しキスを迫ったが、原告が拒絶したためにキスはせず、握手を求めて立ち去った」行為(本件行為2)

の態様です。

 原告、被告は、それぞれ次のとおり主張しました。

(原告の主張)

「被告Bは、令和4年5月11日、原告の自宅を訪問し、弁当を買ってきたなどと告げて原告の自宅に上がり込み、同自宅内において、原告に対し「年上の男と付き合ったことがあるか」などと聞いた後、原告に対して襲い掛かりキスをしようとし、原告が拒んでも繰り返しキスを求めたが、原告が一貫して拒否したことから、最終的にキスを諦め、原告に対し握手を求め、原告がやむなく握手に応じたところ、ようやく原告の自宅から退去したものである。」

「被告Bの本件行為2は、雇用主の立場を利用して、原告の自宅に押し掛けて性的な言動をし、二人きりの部屋で原告に無理やりキスをしようとするなどして、原告の人格権を侵害し、原告に精神的苦痛を与えたものであり、原告に対する不法行為に当たる。」

(被告Bの主張)

「本件行為2は認めるが、原告主張のような態様であったことは否認する。」

「被告Bは、原告の承諾を得て原告の自宅に立ち入り、原告にキスを求めた際にも原告が拒絶したことからこれを取りやめて、原告に握手を求めて同自宅を退去したものであり、原告の意思に反する行為は何ら行っておらず、強制わいせつ未遂罪やセクシャルハラスメントに当たるような行為ではない。」

 このように両者の主張が対立する中、裁判所は、次のとおり述べて、セクシュアルハラスメント(不法行為)の成立を認めました。

(裁判所の判断)

「被告Bは、令和4年5月11日、原告の自宅を訪問し、インターホン越しに弁当を買ってきたなどと告げて、原告が断り切れずにオートロックを解除すると、原告の自宅に上がり込み、同自宅内において、原告に対し「年上の男と付き合ったことがあるか」などと聞いた後、原告に接近してキスをしようと迫り、原告が拒んでも繰り返しキスを求めたが、原告が一貫して拒否したことから、最終的にキスを諦め、原告に対し握手を求め、原告がやむなく握手に応じたところ、自宅を退去した。」

(中略)

「本件行為2の態様について、原告は認定事実・・・のとおり主張し、被告Bは原告の承諾を得て原告の自宅に立ち入り、原告にキスを求めた際にも原告が拒絶したことからこれを取りやめて、原告に握手を求めて同自宅を退去したものに過ぎず、原告の意思に反する行為をしたことはない旨主張する。」

「しかしながら、本件行為2の態様及びこれに至る経過に係る原告の陳述書及び供述は、原告が自身の勤務する歯科医院の経営者であり年齢も含めて圧倒的に立場が上であると感じていた被告Bからの昼食の誘いや自宅訪問に困惑し、迷惑に感じつつもこれを断り切れずに本件昼食を受入れ、自宅にも上がり込まれてしまい、密室で二人きりの状態に置かれた上、原告の父よりもはるかに年上であって上司としてしか見ていなかった被告Bから突然に密室で二人きりの状態でキスを迫られて強い恐怖心を感じたとする点において、20代前半の女性被用者が60代後半の男性雇用者の職位を利用した性的嫌がらせに直面した体験の供述として自然かつ合理的な内容であるほか、原告が本件行為2の二日後に原告代理人に本件行為2について相談し、被告Bに対して同行為を原因として本件通知をしていること被告Bが本件行為2の翌日に原告に対し『昨日はごめんなさい。どうかしてました。』とのショートメッセージを送信して原告に謝罪したこととも整合し、これを信用することができる。これに対して、被告Bの供述のこれに反する部分は不自然不合理であって信用することができない。」

(中略)

「前記認定事実及び前記事実認定の補足説明のとおり、被告Bが原告に対して本件行為2をしたことが認められるところ、本件行為2は、被告Bが原告から招きを受けたわけでもないのに、独身女性であり被用者である原告の自宅に、弁当を持ってきたなどという合理的な必要性のない口実を用いて上がり込み、原告をして被告Bと密室で二人きりで過ごさざるをえない状況に置き、さらに同状況下で繰り返し原告に対してキスを求め、繰り返し拒絶された後も握手を要求してこれに応じさせたというものであり、被告Bの上記言動は、原告をして、意に沿わない性的行為を要求されて強い不快感を与えるものであったことに加え、密室で意に沿わない性的関係等を強要される恐怖感を与えるものであったと認められる。そうすると、被告Bの本件行為2は、原告に対する違法なセクシャルハラスメントに当たると認められる。

「以上によれば、被告Bは、原告に対して、本件行為2について不法行為責任を負う。」

3.信用性の補強要素は3つだけ

 本件では被害者(原告)と加害者(被告B)の供述が対立していました。

 こうした状況のもと、裁判所は被害者供述の信用性を認めましたが、その根拠となっているのは、①内容の合理性、②被害を受けた日から起算してすぐ弁護士を介入させていること、③被告Bのショートメッセージ(昨日はごめんなさい。どうかしてました)の三点だけです。

 セクシュアルハラスメントは、加害行為の性質上、密室で行われることが多く、客観的な証拠が残りにくいという特性があります。この場合、原告(被害者)としては、自分の言い分(供述)に信用性が認められることを説明する必要が生じます。本件で信用性を補強する要素の一角を占めていることからも分かるとおり、早期の弁護士の介入は、セクシュアルハラスメント関係の事件では、極めて重要な意味を持ちます。

 このように速さそのものが意味を持つこともあるため、セクシュアルハラスメントを理由とする損害賠償請求をお考えの方は、依頼までにあまり日数を掛け過ぎないことを意識しておく必要があります。