弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

部下への接し方に問題がある上司が原因で、部署全体の雰囲気が悪くなり、自殺者が出た例

1.パワーハラスメントに対処しなければならないのは?

 職場において行われる

① 優越的な関係を背景とした言動であって、

② 業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、

③ 労働者の就業環境が害されるもの

をパワーハラスメントといいます(令和2年厚生労働省告示第5号『事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針』参照)。

 パワーハラスメントに対し、企業は法令に基づいて適切な対応をとらなければなりません。これは被害者のためだけではありません。ハラスメントを放置すると、部署全体の雰囲気が悪くなり、仕事が停滞するからでもあります。

 しかも、被害者のダメージと部署全体の雰囲気の悪化は、しばしば悪循環を生じさせます。ハラスメントを目の当たりにしてるのを見て、部署全体が自由に発言をしにくい雰囲気になり、その雰囲気がますます被害者を委縮させるといったようにです。萎縮した被害者は仕事をすることが億劫になり、それが更にハラスメントの口実を与えます。

 こうした悪循環が生じると、職場の空気は際限なく悪くなって行き、いずれは自殺者が出ます。近時公刊された判例集にも、部下への接し方に問題のある上司を放置したことで、自殺者が生じた裁判例が掲載されていました。新潟地判令4.11.24労働経済判例速報2521-3 新潟市事件です。

2.新潟市事件

 本件で原告になったのは、自殺した新潟市水道局職員Dの遺族(妻A、子BC)です。Ⅾが自殺したのは、被告新潟市が安全配慮義務に違反したからだとして、損害賠償を請求する訴えを提起しました。

 本件で問題になったのは、主に直属の上司E係長の対応です。

 Dが自殺に至る経過は概ね次のとおりです。

「E係長には、同僚や部下に対し、仕事上、厳しい対応や頑なな対応を行う傾向があり、時折、強い口調で発言することもあった。そのようなE係長の影響もあって、少なくとも平成18年度の維持計画係及び平成19年度の給配水係では、職員の誰かが他の職員に対して業務に関する質問をするような雰囲気が余りなく、係内での会話が少なくて係内での挨拶も余りされず、緊張感のある雰囲気があった。定時になると係の職員はおおむね早めに退庁し、E係長が一人だけで残業をしていることが多く、係外の職員の中には、余り係の雰囲気が良くない、係に元気がないなどと感じていた者も少なくなかった・・・。」

「水道局の職員から見たDの性格は、おおむね、真面目、温厚、物静か、おとなしいなどというものであった・・・。また、Dは、悩みがあっても、他者に相談することは余りしなかった・・・。」

「Dは、E係長から注意や叱責を受けて萎縮することが多く、特に、平成18年以降は、E係長と接することが苦痛であり、E係長の自分に対する態度が「いじめ」であると感じ、E係長と接することをなるべく避けようとしていた・・・。」

「Dには、平成19年4月初めの時点で、少なくとも管路の修繕業務の経験はあった・・・が、修繕単価表の改定業務を、その主担当として、分からない点を前担当者や当該業務の経験がある他の職員に質問したりすることなく単独で行うことができるだけの能力や経験はなかった・・・。」

「Dは、平成19年4月以降、修繕単価表の改定業務の処理方法について、給配水係内の他の職員又は前担当者であるJ副主査に対し、直接質問をしたり、指導を仰いだりすることはなかった・・・。」

「一方、Dは、平成19年4月中に10回程度、修繕単価表の改定業務の処理方法に関して、K主査に対して質問をした。K主査は、これに対してK主査なりに対応したが、Dの業務に対する理解は、新たな工種の追加を単独で十分に行える程度にまで深まることはなかった。Dは、当時、4月末頃までに終わらせるべき新たな工種の追加等の業務を(業務に対する理解が十分でないために)終わらせることができない状態であり、そのことに悩んでおり、5月の連休明け頃(新年度の単価を既存の単価と入れ替える作業を行わなければならない時期)になってもその前段階の業務が完了していないことについてE係長から叱責されることなどを恐れていた・・・。」

「Dは、自殺する前に、携帯電話機の中に、携帯電話機のメモ機能を用いて以下の文章のデータを残していた・・・。」

(文章)

「Aへ・・あとの事はたのむ・・ごめんね・・何にも力になれなくて・・」

「あの人とはもうやっていけない。1年目はまあ優しかったが、2年目からはすごく変わり自分の事しか信じない。3年目は、いわゆるいじめ。たとえば答えがあるのに教えないで考えさせ、あげくに説教されても、わたしには、どうしていいかわからないけど、あの人の態度は変わる事なく日を増すごとに悪化してこれ以上耐えられません。これだけは、実際になった人しか分からないと思うけど、馬鹿は死ななけゃ直らない」

「生きていく自信がない・・無理してもいつかはどこかでしわよせがくる・・わがままを許してくれ」

「中途半端な気持ちじゃない事は分かって下さい。真剣です。」

「Dは、自殺する前に、自宅のパソコンの中に、以下の文章のデータを残していた・・・。」

「どんなにがんばろうと思っていてもいじめが続く以上生きていけない。わかないのは少なくとも分かっている筈なのにいじめ続ける 人を育てる気持ちがあるわけでもないし、自分が面白くないと部下に当たるような気がする。このままではどうしていいかわからないし、相談しろとたてまえ的には言うけれど回答がもらえるわけだもない。逆に怒られることが多い。いままで我慢してたのは、家族がいたからであるが、でも限界です。」

 このような事実関係のもと、裁判所は、次のとおり述べて、被告新潟市の過失責任を認めました。

(裁判所の判断)

「死亡当時のDは、水道局における勤続18年目の中堅職員であり、主査という(自治体においては一般的に係長クラスの)肩書を付与されていたのであるから、上記のような業務上の困難に直面した場合であっても、前担当者がJ副主査であったことを他部署への問合せ等によって確認した上でJ副主査に対して業務の処理方法について質問したり、E係長及びI主査に対して(E係長から叱責される可能性を覚悟の上で)4月末までに行うべき業務を終了させる見込みがないことを率直に告げて助力を求めたり、E係長の上司であるL課長に対して直接、給配水係内のコミュニケーションの問題により担当業務に関して十分な助力を得られない状況を相談したりすることも、客観的に見れば、可能であったと考えられる。」

「他方において、当時の水道局内は、大部分が基本的に水道局以外の新潟市の部署への異動が予定されていない職員ばかりで、水道局内の人間関係が定年で退職するまで継続するような状況にあって、このような環境に応じた組織結束の文化もあった(証人M)ところ、そのような中において、物静かでおとなしく、自身の悩みを他者に余り相談しないDが、上記のような積極的な対応を採ること、特に、給配水係内のコミュニケーション上の問題についてE係長を飛び越えて直接その上司であるL課長に相談することは、その性格上難しい部分があり、そのため、Dは、一人で悩みを抱え込むことになったのではないかと考えられる。」

「これらの状況(日頃の執務等を通じ、E係長においてこれらの状況は認識していたか、少なくとも認識し得たはずである。)に照らせば、平成19年4月当時、E係長には、自分自身のDを含む他の職員に対する接し方が係内の雰囲気に及ぼす悪影響や、Dとの人間関係の悪化による悪影響によって、Dが係内で発言しにくくなり、他の係職員に対し業務に関する質問をしにくくなっている給配水係内のコミュニケーション上の問題を踏まえて、初めて担当するDにとって比較的難しい業務であった修繕単価表の改定業務に関し、①Dによる業務の進捗状況を積極的に確認し、進捗が思わしくない部分についてはE係長又はI主査が必要な指導を行う機会を設けるか、又は、②E係長において部下への接し方を改善して給配水係内のコミュニケーションを活性化させ、DがE係長又はI主査に対して積極的に質問しやすい環境を構築すべき注意義務があったというべきである。

そして、E係長はこれらの措置を何ら実施していなかったものと認めることができるから(E係長は、Dの自殺後まもなく、L課長から部下への接し方に問題があるとして厳しく叱責された・・・にもかかわらず、本件訴訟の証人尋問において、Dが遺書で言及した人物・・・について自分のことだと思わない、至らないことがあったとは思っていないなどと証言しているところであって、このようなE係長が上記のような措置を適切な形で採っていたものと認めることはできない。)、本件では、上記の注意義務に違反した過失があったものというべきであり(なお、上記ア記載の原告ら主張の注意義務違反のうち、その余の注意義務違反については、認めるに足りる証拠がない。)、これによりDがその遺書・・・に記載されたような心境に陥って自殺するに至ったものと認めるのが相当である。

3.積極的に質問しやすい環境を構築すべき注意義務

 本件の過失論で特徴的なのは、

「部下への接し方を改善して給配水係内のコミュニケーションを活性化させ、DがE係長又はI主査に対して積極的に質問しやすい環境を構築すべき注意義務」

の存在を認めていることです。

 質問しやすい環境を構築することは上司にとって重要な仕事ですが、これが自殺者を出さないための法的な義務として位置付けられたことは、かなり画期的なことです。この判断は銘記したうえ、他の類似事案でも活用して行くことが考えられます。

 ハラスメントを受けた側は、かなり気にします。加害者側が想像しているよりも、ずっと深刻なダメージを受けているというのが、労働相談・労働事件に携わってきた弁護士としての実感です。

 ハラスメントは、適切に対応されなければ、文字通りの意味で人が死亡することがあります。使用者には、問題の深刻さを見誤ることなく、ハラスメント加害者に対して早期に適切な措置をとってもらいたいと思います。