弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

持ち帰り残業の労働時間の認定-自宅にインターネット回線を引くことへの補助金の支給が残業の容認とされた例

1.持ち帰り残業

 終業時刻後、家に仕事を持ち帰って残業することを、俗に「持ち帰り残業」といいます。持ち帰り残業については、

「労働者が所定労働時間外に業務に従事するいわゆる残業時間は、まさに職務性が認められる時間であり、これを使用者が明示的に命令・指示している場合だけでなく、残業を行っていることを認識しつつ使用者がこれを黙認・許容している場合についても、使用者の関与・・・があるとして、労基法上の労働時間に該当する」

と理解されています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕652頁参照)。

 しかし、理論的には上述のとおりであったとしても、実務上、持ち帰り残業の労働時間性を立証することは必ずしも容易ではありません。

 その理由としては、先ず、使用者の黙認・許容の事実を立証することの困難さが挙げられます。社屋内に残って仕事をしている場合、使用者において労働者が社屋内で働いていることを認識しながら、特段注意喚起することもなく、労務を受領していたことさえ立証できれば、黙認・許容の事実を立証することが可能です。そして、社屋内で労働者が稼働していることは、使用者が普通に施設管理を行っていれば、当然に認識することができます。したがって、黙示的な命令・指示のもとで労務を提供していた事実の立証には、それほどの困難はありません(労働時間立証の問題は残りますが、それはまた別の話です)。他方、持ち帰り残業は、家で行われるという都合上、使用者において当然に労務提供の事実があることを認識できるわけではありません。また、そもそも家で仕事をする必要性に迫られるのは、社屋内に残って仕事をすることが禁止されているからであることが多く、持ち帰り残業が積極的に禁止されている事案であることも少なくありません。このような状況のもとにおいて、使用者からの(黙示的)命令・指示のもと、家で労務提供を行っていた事実を立証することは、それ自体が容易ではありません。

 また、労働時間立証の困難さの問題もあります。社屋内での残業の場合、タイムカードや入退館記録、パソコンのログイン・ログオフ時刻、備付けの業務用端末からのメールの送信履歴等から労働時間を立証することが可能です。それは、社屋にいる間、普通、人は働いているからです。他方、持ち帰り残業は家で行われます。人は家にいる間、仕事だけをしてるわけではありません。むしろ、持ち帰り残業をしているとはいっても、仕事に充てられている時間は一部であり、それ以外の時間は日常生活に充てられています。そして、家にはタイムカードのような労働時間を客観的に計測するための装置があるわけでもありません。そのため、仮に、使用者からの(黙示的)命令・指示のもと、家で労務提供を行っていた事実を立証することができたとしても、

何時何分から何時何分まで、どれだけの時間働いていたのか、

という労働時間立証で失敗する例は少なくありません。

 このような理由から、持ち帰り残業の労働時間性が認定される事案は、決して多くはないのですが、近時公刊された判例集に、持ち帰り残業に労働時間性が認定された裁判例が掲載されていました。大阪地判令4.1.31労働判例ジャーナル124-44 国・天満労基署長事件です。認定理由と認定の手法が参考になるため、ご紹介させて頂きます。

2.国・天満労基署長事件

 本件は労災の不支給処分に対する取消訴訟です。

 原告になったのは、医薬品、医薬部外品の製造・販売等を業とする株式会社(補助参加人)との間で労働契約を締結し、臨床開発モニター等の業務に従事していた方です。平成26年5月31日付けで定年退職するまで勤務を継続し、その後も派遣社員として同社で働いていました。在職中の平成20年11月6日、脳出血を発症し、障害補償給付や療養補償給付の支給を申請したところ、いずれも業務起因性がないとして、処分行政庁から不支給処分を受けました(本件各処分)。これに対し、本件各処分の取消を求めて訴えを提起したのが本件です。

 脳・血管疾患の労災認定にあたっては、しばしば対象疾病の発症前一定期間の時間外労働時間の数が重要な意味を持ちます。本件も類例に漏れず、時間外労働時間の数が争点の一つになりました。

 このような脈絡のもと、裁判所は、次のとおり述べて、持ち帰り残業の労働時間を一定の範囲でカウントしました(ただし、本件では、結論として、原告の請求は棄却されています)。

(裁判所の判断)

「原告は、認定事実・・・のとおり、自宅において各医療機関の医師や担当者らに対しメールを送信していることが認められるところ、その件名や本文の内容に照らせば、治験に関するものなど業務に関するメールが含まれているということができる。また、EDCデータ・・・に照らせば、原告が自宅においてEDCにアクセスしてデータロック作業やモジュールリリースロック作業を行っていることも認められるところ、これも治験に関するものということができるから、業務に関する作業であるということはできる。さらに、原告は、自宅においてファイル更新を行っているところ、当該ファイルのタイトルに照らせば、これも業務に関するものであるということができる。」

「しかしながら、労働時間とは、労働者が使用者の指揮監督下において業務に従事している時間をいい、この時間に該当するというためには、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものであると客観的に評価できることが必要であるところ、所定終業時刻を過ぎて、勤務先を退社すれば時間的場所的に使用者による指揮監督を脱しているといえ、退社後の時間は、基本的に労働者が自由使用することが可能な時間帯と解される。また、仮に、労働者が、自宅で業務に関する作業をすることがあったとしても、それは私的な生活の場で行われるものであることに照らせば、作業と作業の合間に家事を行ったり、休憩を挟むことも自由かつ容易であるなど、勤務先における労働とは質的にも労働密度の点でも大きな差異があるというべきである。そうすると、労働者が、自宅で作業をすることがあったとしても、原則として、そのことをもって、使用者の指揮命令下にあったものとして、労働時間に含まれると解することは困難であり、このことは、業務の過重性を判断するに当たり、労働時間を検討する際にも同様に妥当すると解される。

「もっとも、本件では、補助参加人は、原告を含むCRAにPHS回線のモバイル機器を貸与して業務に従事させていたものの、PHS回線の速度が遅く、また、接続が不安定であるなどの支障があったことから、CRAが自宅で光回線等のインターネット回線を引いている場合には補助金を支給していたものである・・・。かかる事実に照らせば、補助参加人は、CRAが貸与されていたモバイル機器では業務を効率的に処理することができない場合などに代替手段として、自宅の光回線等のインターネット回線を利用することを想定していたと認められる。そうすると、補助参加人は、原告を含むCRAが自宅で仕事をすることを積極的に指示・奨励していたとまではいえないとしても、CRAが自宅において、短時間で処理できる業務を処理することがありうること自体は認識し、容認していたものといわざるを得ない。

したがって、本件の事実関係の下では、補助参加人が、CRAに対し自宅で継続的に業務ないし作業をするよう命令していたとまでは認めることはできないものの、短時間で処理できる業務ないし作業については、例外的に自宅で業務遂行することを許容していたと解され、その限度で、黙示の業務命令があったものと認められる。そうすると、その限度で、当該業務遂行時間を労働時間として評価することが相当である。

「被告は、補助参加人が、自宅に光回線等のインターネット回線を引いているCRAに対して補助金を支給していたのは、切断されたメールの再送信等の最低限の業務に資する目的であった旨主張し、補助参加人の従業員・・・も同様の証言をする。」

「しかし、被告が主張するように、切断されたメールの再送信程度の業務に限定するのであれば、当該作業のために要する時間は僅か数分程度であることが容易にうかがわれるところ、その程度の業務であれば、翌日に補助参加人に出勤してから行えば足りると解される。しかるに、従業員が自宅で切断されたメールの再送信等の業務遂行を行うことを前提に、通信費用の一部を負担しているということに照らすと、短時間で処理できる業務ないし作業については、上述のとおり、例外的に自宅で業務遂行することを許容していたと解される。」

「また、被告は、安全性情報提供についてスケジュールが定まっており、特段緊急性があるものではない旨も主張するところ、確かに、安全性情報提供について報告期間から一、二週間程度後の日が報告日として定められている・・・。しかし、原告が自宅において行った作業は安全性情報提供のみではないのみならず、そもそも使用者である補助参加人が、原告を含むCRAが短時間であれ自宅で業務を処理することを認識・容認し、黙示的であれ業務命令があったと認められることは上記認定説示したとおりであり、安全性情報提供が緊急性を有しない業務であることによって、上記判断が左右されるものではない。」

・労働時間と認めることができる範囲

(総論)

「自宅において業務に従事する場合、それが私的な生活の場で行われるものであり、勤務先における労働とは労働密度にもおのずから差異があること、補助参加人も、CRAに対し、自宅で(短時間のものは除き)継続的に業務ないし作業をするよう命令していたと認めることはできないことは、既に認定説示したとおりである。」

「そして、原告が送信したメールの内容や件名をみると、ファイルが添付されておらず本文のみのものや、メールのサイズが小さいものが見受けられるところ、その内容や分量に照らせば、当該メールを作成するのに長時間を要するようなものであったということはできない。」

「また、ファイル更新については、ファイルの内容の分量、当該ファイルを最初から作成したのか、それとも作成済みのものに加筆修正したのか、誤字の訂正にとどまるのかなどによって、作業に要する時間は大きく異なるところ、ファイル更新の記録が存在することのみをもってしては、原告が、どのような作業を行ったのかについては何ら明らかとならない。」

「さらに、原告が行ったデータロック作業やモジュールリリース作業も、その内容に照らせば、長時間を要するようなものであったということはできず、EDCへのアクセスが散発的にしか認められない日も存する。」

「なお、原告は医療機関で必要な数値をメモしており、同メモに基づいてEDCの作業をすることがあった旨主張する。しかし、CRAの業務は、カルテ等の原資料と入力内容に誤りがないかを確認するものであるところ、原資料と入力内容をその場で対比するのではなく、原資料の内容をいったんメモに転記し、その後対比することとすれば、転記漏れや転記ミスが生じる危険性があることとなるほか、そもそも、わざわざ転記する時間があるのであれば、その時間を利用して、その場で確認する方が余程効率的であるといえることからすれば、原告が主張するような方法でCRAの業務を行うことが想定されているとはいい難い。そうすると、原告が主張するような方法で自宅でEDCの操作を行っていたと認めることはできず、仮に、行っていたとしても、既に説示したとおり、自宅における当該作業に要した時間は労働時間に当たるということはできない。」

「以上のとおり、原告が上記のような作業(メール送信、ファイル更新、データロック作業及びモジュールリリース作業など)を行っているとしても、そのことをもって、ある作業と次の作業の間の時間も継続して業務に従事していたことが推認されることになるものではなく、ほかに、原告が自宅において長時間業務に従事していたことを客観的に裏付ける証拠もない。」

「また、仮に、原告が短時間ではなく、継続して業務を行っていたとしても、既に認定説示したとおり、補助参加人がCRAに対し自宅で継続的に業務ないし作業をするよう命令していたと認めることはできない。」

「そうすると、労働時間として認めることができるのは、メール1通につき、平均して最大でも5分程度、ファイル更新についても1回につき5分程度の限度で認めるのが相当である(なお、上記メールの内容等をみても、原告が自宅において行った作業につき、期限が切迫するなどの高度の必要性に迫られて継続的な業務を行っていたというような事情を認めることはできないことに徴すると、仮に原告が継続的に業務をすることがあったとしても、原告の仕事の仕方に対するこだわりや生活スタイルとして、そのような作業を行っていたことがうかがわれるというべきである。)。

3.認定された労働時間は短いが・・・

 裁判所が認定した労働時間は、メール1通につき平均5分、ファイル更新1回につき5分という短いものでしかありません。

 しかし、自宅にインターネット回線を引くことへの補助金の支給が残業の容認とされている点は、興味深いところです。リモート勤務が広がるにつれて、この種の補助金を支給する企業は増えています。本件の判示の射程が、コロナ禍での補助金を導入した企業にまで及ぶのかは、なお検討を要しますが、覚えておいて良さそうな理屈だと思われます。