弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

出張のための移動時間の労働時間性-否定例

1.出張のための移動時間をどうみるか

 通勤時間は一般に労働時間性が否定されています。

 他方、出張時間の労働時間性は見解が分かれています。例えば、水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕653-654頁には、

「出張に伴う移動時間について、電車、新幹線、飛行機など公共交通機関を利用した事案で労働時間性を否定したもの、自ら自動車を運転して出張先に赴いた事案で労働時間性を肯定したものがある。また、物品の運搬自体が出張の目的である場合には移動時間も労働時間にあたるとした裁判例がある。理論的には、出張中の列車乗車時間やトラック運転手のフェリー乗船時間などの例も含め、これらの移動時間・旅行時間において、睡眠や読書をするなどその時間を自由に利用することが認められているか、あるいは、使用者から一定の指示・命令を受けその時間を自由に利用することができない(『職務性』が一定程度認められる)かが、判断のポイントとなる。

と記述されています。

 簡単に言えば、出張時間に労働時間性が認められるのか否かは「職務性」という概念により、ケース・バイ・ケースで決められているということです。

 このような難解な概念を理解するためには、肯定例・否定例それぞれの裁判例を普段から読み込んでおくことが重要なのですが、近時公刊された判例集に、出張のための移動時間の労働時間性を論点とした裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、大阪地判令4.1.31労働判例ジャーナル124-44 国・天満労基署長事件です。

2.国・天満労基署長事件

 本件は労災の不支給処分に対する取消訴訟です。

 原告になったのは、医薬品、医薬部外品の製造・販売等を業とする株式会社(補助参加人)との間で労働契約を締結し、臨床開発モニター等の業務に従事していた方です。平成26年5月31日付けで定年退職するまで勤務を継続し、その後も派遣社員として同社で働いていました。在職中の平成20年11月6日、脳出血を発症し、障害補償給付や療養補償給付の支給を申請したところ、いずれも業務起因性がないとして、処分行政庁から不支給処分を受けました(本件各処分)。これに対し、本件各処分の取消を求めて訴えを提起したのが本件です。

 脳・血管疾患の労災認定にあたっては、しばしば対象疾病の発症前一定期間の時間外労働時間の数が重要な意味を持ちます。本件も類例に漏れず、時間外労働時間の数が争点の一つになりました。

 そうした論争の中で、本件では、出張のための移動時間の労働時間性が問題になりましたが、裁判所は、次のとおり述べて、これを否定しました。

(裁判所の判断)

「原告は、担当施設(医療機関)に赴く際に、施設に直行又は直帰することもあったところ、原告は、出張先へ移動する時間も労働時間にあたる旨主張し、被告はこれを争っている。」

「そこで、出張のための移動時間が労働時間にあたるかを検討するに、労働者が、出張先で業務に従事するためには、出張先に移動することが不可欠ではあるものの、施設に直行又は直帰する場合には、当該移動時間につき、どのように設定・利用するかは、原則として、労働者の自由裁量に委ねられていることに徴すると、当該移動時間は通常の通勤時間と同じ性質を有しているものと解される。そうすると、施設に直行又は直帰する出張の場合の移動時間は、基本的に使用者の指揮命令下に置かれていたということはできず、労働時間に当たるということはできない。

「よって、原告が医療機関に直行した日については、医療機関で業務を開始した時刻が始業時刻となり、医療機関から直帰した場合は、医療機関での業務が終了した時刻が終業時刻となる。」

(中略)

「原告は、

〔1〕補助参加人も、出張旅費について、出張旅費精算書の『Start』時刻から『Finish』時刻までを出張時間と扱って出張手当の支給を判断している、

〔2〕出張に合わせて居住地を選択することは不可能である、

〔3〕出張の際には5キログラム以上の荷物を持参する必要があり、治験薬を持参することもあった、

〔4〕補助参加人から、出張のための移動中も携帯電話の電源を入れておくよう指示されており、実際、移動中に施設からの連絡に対応したこともある、

〔5〕移動や待ち時間が発生し、疲労が蓄積する、

〔6〕移動時間中にも、メールを確認したり、チェックリストを作成するなどの作業をしていた

として、出張のための移動時間も労働時間として扱うべきである旨主張する。」

「しかし、

〔1〕について、補助参加人が、出張手当の支給の可否及び金額の算定に際し、自宅最寄り駅到着時刻を基準にしているとしても、それは、補助参加人が、出張手当の算定に際してそのような運用をしているにすぎず、そのような運用の有無によって、移動時間につき、使用者である補助参加人の指揮命令下にあるか否かの性質が変容することになるものではない。」

「〔2〕について、出張先に合わせて居住地を選択することは不可能であるものの、そのことにより使用者の指揮命令下にあるか否かの性質が変容するのではないから、出張に要する移動時間が労働時間になるものではない。」

「〔3〕について、仮に、原告が出張の際に5キログラム以上の荷物を持参していたとしても、(当該荷物の運搬自体が出張の目的であればともかく)、どのような物や量を持って行くかについては大部分原告の自由な采配に委ねられているのであるから(業務に必要と思われる荷物はパソコンと資料程度であることがうかがわれる。)、荷物の重さによって、出張のための移動時間の性質が変容するものではない。なお、原告の従事していた業務がCRAであり、施設に出張するのは、入力された情報についてカルテ等の原資料と対比するというものであったことからすれば、荷物の運搬自体が出張の目的であったということはできない。

また、原告は、出張の際に、施設に治験薬を持参することがあった旨も主張するが、原告がいつ、どのような治験薬を運搬していたのか客観的かつ的確に裏付けるに足りる証拠はなく、また、治験薬の運搬が毎回必要であったことを客観的に裏付けるに足りる証拠もない。そして、CRAの業務が、前提事実・・・のとおりであることを踏まえると、仮に、原告が出張の際に、治験薬を運搬することがあったとしても、それは例外的な事情というべきであり、そのことをもって、出張のための移動時間の性質が変容するということはできない。

〔4〕及び〔6〕について、仮に、原告が出張のための移動時間において、施設からの連絡への対応、メールの確認、チェックリストの作成を行ったことがあるとしても、補助参加人や医療機関等から出張中のCRAに電話や連絡がされることがあったとしてもその頻度は少なく、かつ、その対応に要する時間も短時間で済むと解されること、その他の移動時間中に可能な対応に要する時間も短時間にとどまることがうかがわれること、補助参加人からCRAに対し、出張のための移動時間中に具体的な照合作業等に従事することを命じていたことを裏付けるに足りる証拠はないことなどからすれば、原告が上記のような行為を行ったことがあったとしても、そのことをもって、出張のための移動時間中、常時、使用者の指揮命令下にあるとはいえず、出張のための移動時間の性質が変容するということはできない。

「〔5〕について、確かに、出張の際には、通常の通勤に比して移動距離が長くなり、電車等に乗車している時間が長くなったり、乗り継ぎのための待ち時間が発生するなど、内勤の場合と異なる疲労が生じ得るということはできるものの、作業の有無・程度、精神的な緊張の度合い等、内勤時の業務遂行による疲労とは質的に異なっていることは否定できない。そして、労働時間に当たるか否かの判断は、使用者の指揮監督下にあるか否かによるのであって、出張の場合に内勤の場合と異なる疲労が生じ得るからといって、移動時間が労働時間になると解することもできない(なお、通勤のための移動であっても、遠距離通勤や都市部の通勤ラッシュなど相応の疲労は生じるものである。)。」

3.職務性の否定例

 上述のとおり、裁判所は、出張のための移動時間の労働時間性を否定しました。

 判決文を見る限り、その理由は職務性の希薄さ(職務性が濃厚であったことを立証しきれなかったこと)にあるように思われます。

 かなり昔の出張について、証拠や記憶が散逸しているのは当たり前であり、客観的な裏付けがない云々と繰り返して原告の主張を排斥するのは酷であるようには感じられますが、このレベルではダメだったという意味において、本件も事件の見通しを立てるうえでの参考にはなります。