弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

残業代請求-労働時間管理がなされるようになった後の実績値に基づく推認

1.労働時間立証の方法

 使用者にはタイムカードによる記録等の客観的方法で労働時間を管理する義務があります(労働安全衛生法66条の8の3、労働安全衛生規則52条の7の3、 労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン |厚生労働省  等参照)。

 未払残業代を請求する際にも、タイムカード等の客観的な資料があれば、それに基づいて金額を計算することになります。

 しかし、弁護士のもとに持ち込まれる事件について言うと、タイムカード等の客観的な資料が、そもそも作られていないことが珍しくありません。こうした場合、日報・週報、PCのログイン・ログアウト時刻、メールの送受信記録、入退館記録等のセキュリティデータ、メモ、手帳等の資料に基づいて、労働時間の立証を試みることになります(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ』〔青林書院、改訂版、令3〕169頁参照)。

 ただ、こうした立証方法は、いずれも、個々の労働日に残された痕跡から、個々の労働日にける労働時間を立証しようとするものです。

 ある期間の労働実体から、別の期間の労働実体を推認するという手法に関して、裁判所は基本的に慎重な立場を採用しています。サンプリング方式といって「一定の時期をサンプルとして抽出し、当該時期についての主張立証を尽くし、残余の期間についてはサンプル期間の立証結果によって推認する方式」はあります。しかし、サンプル方式による立証を行うためには、どの期間をサンプルとするか、抽出した結果をどのように用いるか等について、当事者及び裁判所で認識を共有できることが前提になります(前掲『類型別 労働関係訴訟の実務』173頁参照)。

 こうした状況のもと、労働時間管理がなされるようになった後の実績値から、それ以前の労働時間(休憩、仮眠時間)を推認した裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令3.2.26 労働判例ジャーナル112-64 千代田石油商事事件です。

2.千代田石油商事事件

 本件はいわゆる残業代請求事件です。

 被告になったのは、液化天然ガス及び液化石油ガスの輸入に伴う受渡代行業務等を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告に雇用され、ガス部次長の地位にあった方です。

 被告における荷役作業は次のような業務であったと認定されています。

「液化天然ガスの荷役作業は、通例、輸送船の基地港への着桟の後のアーム接続、カーゴポンプの起動を経て、安定した流量の荷揚がされている定常荷役状態、カーゴポンプの停止とアーム切り離しという過程を経る。定常荷役状態となるまでには概ね6時間前後の時間がかかり、定常荷役は12時間から14時間ほどの時間がかかることが標準的で、全体では通じて21時間ないし23時間ほどの時間がかかるのが通例的であった。」

「被告が担当していた荷役立会業務(本船業務)は、要旨、かかる液化天然ガスの受入基地への搬入(荷役作業)につき、これをコーディネートするというものであるところ、その具体的な内容は、前記前提事実・・・のとおり、受入基地、供給者及び船会社との事前確認作業、初入港船にあっては受入基地との整合性確認作業の準備や官公庁への提出書面の作成補助、荷役手順の確認及び船陸間のコミュニケーションのコーディネート、取引量計測、税関対応等を行うというものであり、これら業務が、依頼会社との契約内容に基づき全部又は一部行われていた。」

 そして、この本船業務に関しては、

「夜通し行われる業務であったこともあり、被告において、同業務は、2、3名体制で行われるのが通例的であった。もっとも、被告と被告への依頼会社との間の契約において、CCR(中央制御室 括弧内筆者)業務に従事しないと定められている場合もあり、そのような場合を念頭に、1名体制で行われることもあった。」

「本船業務を行うに当たって、被告は6時間以上は休憩を取るように指導をしており、複数名で本船業務に当たる場合、本船業務に従事する被告の担当者は、マニホールド業務及びCCR業務の間に交代で取る休憩、仮眠時間を各人で割り振ったシフトにより決定し、これを取得していた。他方、本船業務が1名体制で行われる場合は通例、定常荷役の状態となっているCCR業務の時間に休憩、仮眠時間を当てていた。」

との事実が認定されています。

 本件で問題になったのは、こうした働き方のもとにおける労働時間です。

 被告では平成29年8月以降、

「原告を含むガス部の従業員に対し、各月毎に、各本船勤務日の始業・就業時間、休憩時間、本船勤務日に当たる日である場合においてはその旨等の事由を時間管理表に記入させ、また、本船勤務日にあっては、始業・終業時間とともに具体的な休憩・仮眠時間の開始・終了時刻及び時間等を、各本船勤務の度毎に本船立会勤怠管理表に記入させ、これらの提出を受ける」

方法で労働時間管理を行っていました。

 しかし、それ以前は、時間管理表や本船立会勤怠管理表は作成されておらず、出勤届の様式に各本船勤務日の始業・終業時刻が記入されていただけでした。

 こうした事実関係のもと、本件では、時間管理表・本船立会勤務作成前の本船勤務に関する労働時間をどのように認定するのかが問題になりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、本船勤務に関する実労働時間を認定しました。

(裁判所の判断)

「本件請求期間中同日より前においては、原告につき本船立会勤怠管理表はもちろん、時間管理表の作成・提出も行われていないため、これにより始業・終業時刻等を推認することができない。」

「もっとも、前記認定事実記載のとおり、原告は、本件請求期間中の本船勤務日の始業・終業時刻に関して、被告の出勤届の書式に、各本船勤務日の始業・終業時刻(所定就業時間外の時間帯における就業状況)を記入していたものである。その記載内容は、同日以降(時間管理表や本船立会勤怠管理表の作成・提出により労働時間管理がされるようになった後)のものについては、これら管理表の記載内容にも基本的に沿っているといえる。また、同日より前(上記各管理表による労働時間管理が行われるようになった前)の期間の記載内容も、被告に対して提出されていた本船手当届記載のPOB・出港時間より窺われる勤務時間とも基本的に沿う相当なものと評価することができる。これらの点に照らせば、基本的にはその信用性を首肯することができるというべきである。したがって、本件請求期間中、平成29年8月7日より前の本船勤務日の始業・終業時間については、他に的確な反証のない限りは、これにより認めるのが相当である(ただし、出勤届はあくまで所定時間外の勤務状況を書き記したものにとどまり、本船業務の終了時刻が原告の所定始業時刻に後れた場合には、出勤届によるだけでは終業時刻は明らかとならない。もっとも、被告も出港時刻後1時間までが勤務時間であることは認めているから、出勤届の記載上、本船業務の終了時刻が原告の所定始業時刻に後れると認められるときは、本船手当届・・・上の出港時刻後1時間の時刻をもって終業時刻と認めるのが相当である。)。」

「なお、同期間中の本船業務日における休憩、仮眠時間数については、被告に提出されていた原告作成に係る本船手当届はもとより原告作成の出勤簿にもこれに関する記載はない。もっとも、被告においてはシフト勤務等で休憩、仮眠時間が割り振られてこれら時間をとるものとされていたところ・・・、時間管理表や本船立会勤怠管理表の作成・提出により労働時間管理がされるようになった前後で具体的な勤務の在り方が変わったというような事情も特段窺うことができないから、これらの点にも照らすと、上記各管理表により労働時間管理がされるようになった後の実績値を踏まえて上記期間の本船業務の日における休憩、仮眠時間を推認することにも相応に合理性があるというべきであり、証拠・・・にも照らし、証人Cの供述している概ね6時間程度には休憩、仮眠時間があったと推認するのが相当である(ただし、当該休憩、仮眠時間の労働時間該当性については、後記・・・参照。)。

3.資料のある期間からない期間の労働時間(休憩、仮眠時間)の推認

 裁判所が推認したのは、休憩時間や仮眠時間であって、始業時刻や就業時刻ではありません。それでも、サンプリング方式によることなく、資料のある期間の実績値から、資料のない期間の労働事案を推認するという事実認定の手法をとったことは、注目に値します。

 タイムカード等のない事案では、代替資料の保存期間との関係から、請求対象期間が客観的記録のある部分とない部分に分かれることも珍しくありません。本件の判示は、こうした事案における労働時間の立証の場面でも、活用できる可能性があるように思われます。