弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

自由な意思の法理の適用例-説明の立証がないとして趣旨の不明瞭な合意書の効力が否定された例

1.趣旨の不明瞭な条項の文言

 契約書の中に、趣旨の不明瞭な条項、多義的な条項、曖昧な条項が存在していると、その解釈をめぐって紛争が発生することがあります。

 このような場合、民法的な観点からは、当該条項が作られるに至った経緯を丁寧に紐解き、契約時点における当事者の合理的意思がどこにあったのかを確認し、当該条項の意味内容を明らかにして行く作業が必要になります(契約解釈)。

 しかし、近時公刊された判例集に、契約解釈に立ち入る以前の問題として、使用者からの説明内容が証拠上明らかにされないまま結ばれた不明瞭な約定の効力を否定した裁判例が掲載されていました。東京地判令3.12.22労働判例ジャーナル124-72 Kofler Group Japan事件です。

2.Kolfer Group Japan事件

 本件で被告になったのは、スポーツイベント等での飲食のケータリングサービスの提供を主な業務とする会社です。

 原告になったのは、令和元年9月1日、被告との間で賃金月額を125万円とする雇用契約を締結していた労働者です。

 令和2年3月30日、被告は、東京オリンピックの開催の延期に伴い資金難に陥り、従業員に対する賃金の支払が困難になりました。そこで、令和2年4月分から同年6月分の賃金について、従前の賃金の60%である75万円に減額することを原告と合意しました。この時、原告と被告との間では書面が取り交わされましたが、そこには次の文言が記載されていました。

(本件書面の記載内容)

「次の3か月(4月、5月、6月)の従業員の労働時間を削減する必要があります」

「この休業期間に対して平均賃金の最低60%相当の休業手当を支給します」

プロジェクトが再開されると作業が再開されます、定期的に更新します

 本件ではこの、

「プロジェクトが再開されると作業が再開されます、定期的に更新します」

という条項の効力が問題になりました。

 原告はこれを7月分以降の賃金減額に係るものではないと主張し、差額賃金を請求しましたが、被告はこれにより7月分以降の賃金も減額されるとして、賃金支払義務の存在を争いました。

 このような状況のもと、裁判所は、次のとおり述べて、原告の請求を認めました。

(裁判所の判断)

「被告は、原告との間で、令和2年7月分以降の賃金につき、75万円に減額する旨の本件減額合意が成立したと主張し、これを裏付ける証拠として乙1(本件書面)を提出する。」

「そこで検討するに、本件書面には、『次の3か月(4月、5月、6月)の従業員の労働時間を削減する必要があります』『この休業期間に対して平均賃金の最低60%相当の休業手当を支給します』との記載がある(乙1)ところ、これらの記載を素直に読めば、同書面において賃金減額の合意がなされたのは、令和2年4月分から同年6月分の3か月分の賃金であると解するのが相当であり、同書面をもって、同年7月分以降の賃金減額が合意されたと認めることはできないというべきである。」

「この点、被告は、本件書面に『プロジェクトが再開されると作業が再開されます、定期的に更新します』との記載があることをもって、同年7月分以降の賃金についても減額合意があった旨主張するものと解されるが、当該記載の趣旨は明確でなく、これをもって同年7月分以降の賃金についても減額の合意が成立したと直ちに評価することはできない。加えて、原告と被告が本件書面を作成する際、原告に対していかなる説明がなされたのかは証拠上明らかでないところ、賃金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも判断されるべきものと解される(最高裁平成28年2月19日第二小法廷判決・民集70巻2号123頁参照)ことを踏まえれば、上記記載をもって同年7月分以降の賃金が減額されたものと認めることはできない。

3.契約解釈が行われないまま合意の効力が否定された

 裁判所は、大意、

不明確な条項に賃金債権放棄の意思は読み込めない、

使用者からの説明内容が良く分からなければ、合意は無効と解するよりほかない、

と述べているように見受けられます。

 古典的な思考の手順は、

不明確な条項は、その契約当時の真意を確認し(契約解釈を行い)、

認められた契約の意味内容が、不当・不合理であれば、意思表示理論や、信義・公平に反するものではないのかを検討する、

というものです。

 裁判所はこうした検討過程を抜きにして、いきなり不明確・説明の欠如する約定の効力を否定しました。

 こうした判断の手法は、同種事案の処理にも活用できる可能性があり、労働者側での事件処理の参考になります。