弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

セクハラの懲戒処分を争うリスク・係争中に余計なことを通知するリスク-懲戒解雇の誘発例

1.セクハラを理由とする懲戒処分

 一般論として言うと、セクシュアルハラスメント(セクハラ)は、第三者の目に触れない場所・態様で行われる傾向にあります。そのため、セクハラに関しては、主要な証拠が被害者の供述しかないことも少なくありません。

 証拠が被害者の供述だけであったとしても、加害者とされた人が行為を認めているのであれば、それほどの問題はありません。しかし、加害者とされた人が行為を全面的に否認しているとなると、話は全く異なってきます。

 セクハラの被害を放置することはできません。しかし、セクハラを理由とする懲戒処分の烙印は強烈であり、誤った事実認識のもとで懲戒処分を行うことは決して許されて良いことではありません。被害を受けたと主張する方と、加害者とされた方との供述が対立し、決め手に欠ける客観証拠がない場合、使用者としては、いずれの言い分が正しいのかについて、極めて厳しい判断を迫られることになります。

 こうした緊張関係のもとでは、固いところに絞って懲戒事由が認定され、それのみを理由として懲戒処分が行われることがあります。裁判所で懲戒処分の効力が争われても判断は覆らないだろうと確信できる限度でのみ処分するという考え方です。

 このように懲戒事由の認定が絞られている場合、事件の全貌が審理された結果、当初懲戒事由とされた行為を超える非違行為が裁判所で認定されることがあります。

 それでは、こうした行為を理由に新たに懲戒処分を行うことは許されるのでしょうか? これが許容されるとなると、懲戒処分を受けた労働者は、悪くても現状維持だという発想のもと、安心して懲戒処分の効力を争うことができなくなります。

 近時公刊された判例集に、この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が掲載されていました。東京地判令4.1.20労働経済判例速報2480-3 学校法人A大学事件です。

2.学校法人A大学事件

 本件で被告になったのは、大学を設置運営する学校法人です(被告大学)。

 原告になったのは、大学の准教授の方です。

 この方は元々は教授の地位にありましたが、被告大学大学院の女子学生(本件学生)にハラスメント行為に及んだとして准教授に降格されました(前件処分)。

 前件処分の理由になったのは、

「平成28年5月22日、原告が、学会終了後の慰労会後に、本件学生のアパートまで電車と徒歩で送った後、午後11時半頃、再度、最寄駅の駅前のファミリーレストランに本件学生を誘い、翌午前2時頃まで二人で飲酒し、本件学生を本件学生のアパートまで送った後、一人暮らしの本件学生の部屋に入り、朝まで退出しなかった」こと(前件懲戒事由①)

「その後、数度にわたり謝罪と称するメールを送信した後、さらに、授業後に本件学生を呼び出し、食事に誘」ったこと(前件懲戒事由②)

の二点でした。

 原告は、降格処分の効力を争い、裁判所に出訴するとともに、代理人弁護士(前件の代理人弁護士、本件の代理人弁護士とは異なる)を通じ、

「逆に、本件学生に対して批判の目を向ける大学院生も少なくなく、極端な場合、原告を陥れるために本件学生がしくんだハニートラップだったのではないかと、あらぬ憶測を巡らす人間さえいるように聞いています。」

「将来本件学生が頑張って学問で頭角を現そうとした際に、誰かがやっかみ半分で、このことを蒸し返す可能性は極めて濃厚です。彼女が頑張れば頑張るほど、その危惧は強くなります。噂の真偽とは無関係に、学界内で本件学生に『先生を陥れた人間』という過激なレッテルが貼られることになりかねないわけですから、就職その他の将来に対して、甚大な悪影響を与えることになりましょう。研究人生における深刻な足かせです。しかし、それは本件学生が特に望んでもいなかった大学側の処分断行の、いわば『代償』であり、実に罪作りな話しにほかなりません。」

などと記載された文書(本件書面)を送付しました。

 しかし、懲戒処分(降格処分)の効力を争う事件を受訴した裁判所は、原告が本件学生宅の部屋に入室した後の出来事として、

「原告が、ベッドの上に横になり、本件学生に対し自分の傍に来るように誘った事実、本件学生の手や肩を触った事実、本件学生の着ていたブラウスのリボンやボタンを外し、服の上から両手で本件学生の胸を触った事実」(本件接触行為)

を認定したうえ、原告の請求を棄却しました。そして、この結論は高裁でも最高裁でも維持されました(前件訴訟)。

 こうした一連の経過を経た後、被告は、前件訴訟の判決を受け、

本件接触行為を本件懲戒事由①と、

本件書面の発出行為を本件懲戒事由②と、

構成したうえ、原告を懲戒解雇しました。

 この懲戒解雇の効力を争い、原告が被告に対して地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件には複数の争点がありますが、その中の一つに、

降格処分時に懲戒事由とならなかった本件懲戒事由①を理由に改めて懲戒処分を行うことができるのか、

という問題がありました。

 裁判所は、次のとおり述べて、本件懲戒事由①、②を理由とする懲戒解雇の効力を認めたうえ、本件懲戒処分は時期・契機においても問題ないと判示しました。

(裁判所の判断)

「本件懲戒事由①及び②の存在が認められ、本件懲戒事由①は本件懲戒規程2条4号及び7号、本件懲戒事由②は同条7号所定の懲戒事由にそれぞれ該当する。」

「これを前提として、本件懲戒処分が社会通念上相当なものとして有効であるかを検討するに、本件懲戒事由①に係る行為は、教え子である女子学生に対し、深夜、二人しかいない室内において、同意なく身体接触を伴う性的行為を行ったというものであり、極めて悪質な行為である。かかる行為が行われたことは、教育機関である被告大学の信用を失墜させる行為であるとともに、同大学の秩序を大きく乱すものということができる。」

「そして、本件懲戒事由②に係る行為は、本件学生の申立てに適正に対応しようとする被告大学の取組みや、本件学生の受けた性的被害に対する理解の無さを示すものであり、被告大学の秩序を乱す程度は本件懲戒事由①ほどには大きくないものの、懲戒処分の量定において相応の考慮をすべきものである。」

「以上を踏まえれば、原告を懲戒解雇とした本件懲戒処分につき、裁量権の逸脱又は濫用があったということはできず、同処分は社会通念上相当ということができる。」

「原告は、本件懲戒処分が時期・契機において合理性がない旨主張するので、以下この点について検討する。」

「前記認定事実・・・によれば、前件訴訟における第一審判決において本件接触行為の事実が認定されたことを契機として、本件懲戒処分に係る懲戒審査委員会が招集されたものであるところ、訴訟において確認された事実に基づいて、新たに懲戒処分を行うこと自体は制限されるものではない。そして、証人dの供述及び陳述書・・・には、当初は本件学生の負担を考慮したこともあり、本件接触行為についてはハラスメントの認定をしなかったが、前件訴訟の第一審判決において本件接触行為が認定されたことから、これを放置することができず、本件懲戒処分の対象とした旨の証言・陳述があるところ・・・、かかる判断が不合理なものであるということはできない。

そして、上記経緯に照らせば、本件接触行為があった時から本件懲戒処分までに時間が経過していることをもって、同処分の相当性を失わせるような瑕疵があるとは評価できない。

「原告は、本件懲戒処分が、原告が前件訴訟の取下げをしないことに対して報復的になされたものである旨主張するが、前記・・・のとおり、本件懲戒処分がなされたのは前件訴訟の第一審判決において本件接触行為の事実が認定されたためであると認められ、被告に報復の意図があったということはできない(なお、原告は、本件訴訟の本人尋問において、前件訴訟の第一審の係属中、訴えを取り下げるよう求められ、取り下げなければ、その判決を口実に新たな処分を検討する旨の脅しのような通告を受けた旨供述するところ、ここでいう『通告』は、前記認定事実・・・の被告の対応を指すものと考えられ、これをもって原告に対する脅しや不当な圧力があったと評価することもできない。)。」

「加えて、被告において、原告に本件接触行為に基づく懲戒処分がなされない旨の合理的期待を抱かせるような言動、対応があったと認めるに足りる証拠はなく(処分の対象としなかったからといって、それをもって保護に値すべき期待が生じるということはできない。)、上記・・・によれば、本件懲戒処分は訴訟提起それ自体を契機としてなされたものではないから、裁判を受ける権利を侵害したものとも評価できない。」

「以上によれば、本件懲戒処分が時期・契機において合理性がないとする原告の主張は採用できない。」

3.判決後に懲戒処分を打たれることはありえる・余計な挑発はしないこと

 本件の経過は二つの教訓を示唆しています。

 一つは使用者側が何等かの理由で懲戒事由を抑制的に認定している場合、法的措置をとって争うのかどうかを慎重に見極めなければならないということです。セクハラのような事案で被害者が出廷して生々しい事実を語ってきた場合、更なる懲戒処分を誘発し、争わなかった方がましだという事態が生じかねません。

 もう一つは、係争中に、二次加害と受け取られかねないような通知は送らないことです。勝てばいいですが、負けた場合、これも更なる懲戒処分を誘発しかねません。必要な主張は裁判所ですればいいし、名誉回復のための広報や要望を行うのは勝訴した後でも十分です。係争中にハニートラップだという通知を大学に送るという判断は、私ならしないだろうなと思います。

 セクハラ系の非違行為を理由とする懲戒処分の効力を争う事件を処理するにあたり、本件の判示は参考になります。