弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

合意退職の争い方-就労意思の表示(労務提供の意思表示)は忘れずに

1.未払賃金請求が認められるのは

 解雇や合意退職の無効を理由とする労働契約上の権利を有する地位にあることの確認請求が認められた場合、普通は、解雇・合意退職の時点に遡った未払賃金の請求も認められます。

 しかし、地位確認と未払賃金請求の勝訴要件は、完全に重なり合っているわけではありません。地位確認請求は解雇・合意退職が無効であれば認容されますが、未払賃金請求が認容されるためには、民法536条2項本文に規定されている、

「債権者(使用者)の責めに帰すべき事由によって債務(労務提供義務)を履行することができなくなった」

場合であることが必要になります。つまり、就労意思が喪失されていた場合は、労働者側の都合によって働かないのであって、使用者の責めに帰すべき事由によって労務提供義務を履行することができなくなったという関係には立たないため、未払賃金請求は棄却されることになります。

 合意退職の成否が問題になるような事件では、労働者側も退職を受け入れたと誤解されかねないような言動をとっていることが多く、合意退職の成否とは別に、就労意思の有無が問題になることがあります。そのため、地位確認請求を行うにあたっては、就労の意思があること、労務提供の意思表示を明確に行っておく必要があります。そのことを意識しておかないと、地位確認請求で勝っても、未払賃金請求は認められないといったように、思わぬところで足元を掬われるリスクがあります。

 近時公刊された判例集にも、そのリスクが顕在化した裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、東京地判令3.3.30労働判例ジャーナル114-52 リバーサイド事件です。

2.リバーサイド事件

 本件で被告になったのは、寿司店(本件寿司店)を経営する特例有限会社です。

 原告になったのは、被告と期間の定めのない労働契約を締結していたシフト制の労働者です。被告が合意退職の成立を根拠に平成31年3月31日付けで退職処理をしたことに対し、合意退職は成立していないとして、地位確認・未払賃金の支払を求める訴えを提起したのが本件です。

 被告が合意退職の成立の根拠としたのは、平成31年3月12日に、原告がD店長に対して言った「3月末か4月半ばに辞める」という趣旨の発言です。こうした発言の後、原告は、同月13日以降のシフトを提出せず、出勤しなくなりました。

 このような事実関係のもと、本件では、合意退職の成立や、就労意思が認められるのか否かが問題になりました。

 裁判所は、合意退職の成立を否定し、地位確認請求を認容しましたが、就労意思がないことを理由に、未払賃金請求は棄却しました。

 裁判所の判旨は、次のとおりです。

(裁判所の判断)

「被告内ではD店長から原告が退職する旨の報告を受けて従業員の採用活動をすることが決定されていたところ・・・、D店長は、前記のとおり社会保険の資格喪失日等の確認を目的として平成31年4月10日に原告に架電し、社会保険を停止する旨や現状はシフトが埋まっており復帰できない旨告げ・・・、その後に被告は社会保険及び雇用保険の資格喪失の手続を開始する旨などが記載された同月18日付けの書面を原告に送付するなどしたのであって・・・、被告は遅くとも同日付けの書面を原告に送付した時点で原告による労務の受領を拒絶する意思を明確にしたということができる。」

「しかしながら、原告は、被告の上記の受領拒絶以前から、退職する旨の予告をして平成31年3月13日から出勤せず、同年4月10日まで被告に連絡しなかったこと、同日に至ってもD店長に対して今は休む旨述べ、D店長から問われてもその復帰時期を明らかにしなかったことからすれば・・・、原告は少なくとも同日の時点で就労の意思を欠いていたというべきである。そして、原告は同日にD店長に対して復職時期を明らかにせずに今は休む旨述べた一方で、社会保険を継続してほしい旨述べていたのであり・・・、原告は、長期間にわたって労務の提供をしないことを明らかにしながら本件雇用契約の存続を求めていたということができる。このことに照らすと、その後に原告が本件労働組合を通じて復職を求め、本件訴訟を提起して地位確認と賃金の支払を求めるなどしたこと・・・をもって、当然に原告に就労の意思があったと認めることはできない。そのほか、原告に就労の意思があったと認めるに足りる証拠はない。

「そうすると、原告が同月1日以降就労しなかったのは、被告が原告による労務の受領拒絶をしたことによるものとは認められない。」

(中略)

「以上に述べたところによれば、原告が平成31年4月1日以降に就労しなかったのは、被告の責めに帰すべき事由によるものと認めることはできず、原告の同日以降の賃金請求は理由がない。」

3.確かに、認定が厳しすぎるような感はあるが・・・

 労働組合を通じて復職を求めたり、訴訟を提起して地位確認・未払賃金を請求したりするのは、働きたいからであるにほかなりません。こうした態度の中には、就労意思の表示・労務提供の意思表示が含まれているという理解が成り立つ余地は十分にあると思います。そう考えると、本件の事案で、就労意思を認定しなかった裁判所の判断は、労働者側に厳しすぎるようにも思われます。

 しかし、就労意思の表示・労務提供の意思表示は、通知等で就労意思・労務提供の意思があることを伝えればよいだけであるため、それほどの手間がかかるわけではありません。この手間を省かないでいれば、就労意思・労務提供の意思の有無は、争点にならなかった可能性もあるように思われます。

 通知一本が多額の経済的利益に関わってくることもあるため、就労意思・労務提供の意思表示は、遺漏なく行っておくことが必要です。