弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

ストレスに対し「大丈夫です。」と言っていたら、精神を病んでも職場への責任追及はできなくなるか?

1.問題があっても問題がないと答えてしまう労働者

 仕事上のストレスに晒されていても、そのことを表に出そうとしない労働者は少なくありません。こうした行動に及ぶ背景には、プライドから弱みを見せることが恥ずかしい、上長から不利な評価を受けたくない、今取り組んでいる仕事から外されたくないなど、様々な動機があります。

 強がってみたところで、ストレス因が緩和されないと、やがては精神障害を発症したり、酷い場合には自殺に至ったりします。

 強い心理的負荷が発生していることが予見可能であったにもかかわらず、適切な回避措置がとられなかった場合、使用者は労働者に対して損害賠償責任を負います。

 しかし、深刻な損害が発生する以前に、労働者が「問題ない。」という趣旨の発言をしている事案では、因果関係や過失(予見可能性)の認定において、困難な問題が生じます。具体的に言うと、責任の追及を受けた使用者側から、

「本人が問題ないと言っていたのだから、精神障害の発生と仕事上の心理的負荷とは関係がない。」

「本人が問題ないと言っていた以上、深刻な結果が生じることを予見できなかった(ゆえに過失がない)。」

という反論を受けることになります。

 それでは、使用者に対して「大丈夫です。」などと強がった発言をしていた場合、労働者やその遺族は、使用者に対して損害賠償責任を追及することができなくなってしまうのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。長崎地判令3.1.21労働判例ジャーナル110-22 社会福祉法人むつみ福祉会事件です。

2.社会福祉法人むつみ福祉会事件

 本件は、いわゆる労災民訴です。

 被告になったのは、保育園(本件保育園)の経営を行っている社会福祉法人です。

 原告になったのは、自殺した被告の労働者(亡e)の遺族です。亡eは被告に採用され、本件保育園で園児らの保育業務に従事していました。

 平成28年3月、本件保育園で虐待騒動が発生しました。

 この虐待騒動は以下のような経過を辿ったと認定されています。

「平成28年3月23日、本件保育園の保護者及び元保護者が、帰宅途中の保育士を呼び止め車内に引き込むなどして、本件保育園に対し、保育士らが園児を虐待していると訴え、事実関係を確認したいと要望した。」

「同月24日午後8時頃から、本件保育園において、保護者らとの間で本件会合が開かれ、本件保育園側は、g理事長、f園長、d主任、亡eを含む保育士ら8名、看護師1名、被告役員2名が出席し、保護者は20名弱が出席した。新聞記者2名が許可を得て同席したほか、テレビ局の記者が保護者に紛れて無断で同席していた。」

「本件会合では、虐待を訴える保護者らが、他の保護者に内部職員から情報を得て作成したとする虐待の内容、保育士名及び園児名を記載した一覧表を配布し、亡eを含む保育士らに対し、一覧表に記載した虐待行為を行ったかどうかを一人ずつ確認した。亡eも、一覧表に記載された2つの虐待行為について保護者らから事実かどうかを問われ、これを否定したが、その際、保護者らから強く追及されたり、責められることまではなく、他方で、i(以下『i』という。)保育士及びj(以下『j』という。)保育士は、保護者らから執拗に強く責められていた。虐待を訴える保護者らは、全般に威圧的で、これを否定する保育園側の説明に聞く耳を持たず、これに同調する保護者もいたが、多くの保護者は保育園側に好意的で、職員を擁護し、一覧表に記載された虐待行為に疑義を挟むものもいた。」

「本件会合は約3時間に及び、平行線のまま終了した。終了後には憔悴して泣く職員もおり、亡eも、『なんでこがんこと言われんばいけんとやろう』と言って涙を流した。」

「同月27日には、虐待疑惑についてテレビで報道され、翌28日には、長崎市が特別行政指導監査を実施し、全職員に対し聴取り調査を行った。長崎市は、同年4月21日、同監査の結果、本件保育園において、関係条例の不遵守が認められたとして、本件保育園に対し、しつけの範囲として行われていた園児をたたくなどの行為を改め、保育士に対する研修等の指導を行い、保護者の信頼回復に努めるよう指摘するとともに、虐待・体罰防止等に関する改善計画の作成、実施結果の報告を求めることなどを内容とする勧告をした。」

(中略)

「本件会合後、虐待騒動の影響で、本件保育園全体に動揺が広がり、職員の多くに食欲がない、眠れない、痩せる等の症状が出現していた。」

「本件保育園では、本件会合直後の平成28年3月下旬頃から、職員のストレス状況や体調等を把握するために、職員全員に対して定期的にd主任やg理事長との個人面談が実施され、正規職員については月3回程度の頻度で行われた。」

「また、本件保育園では、平成28年5月6日から同月21日にかけて、臨床心理士による職員全員のカウンセリングが行われた。その際、保育士の多くが涙を流し、食欲の減少、下痢、悪夢を見る、不眠、人間不信等の心身の不調を訴えるとともに、保育に関する悩み、保護者に対する不安、園児にけがをさせられないプレッシャー、保育士の退職、休職による仕事の負担の増加、問題が解決していない疲労感等を話した。」

 この虐待騒動による心理的負荷が継続し、亡eは平成29年6月20日に失踪し、同年7月16日、路上に駐車した自動車内で遺体で発見されました。

 亡eの遺体が発見された自動車内には、

「本とうにごめんない bさんゆるしてください mちゃんごめんなさい kくんのおとうさんおかあさん ばつうけます ごめんなさい kくんのこと大好きでした どうしてああなったか はんせいしてます ほいくえんごめんなさい」

との書置きが残されていました。

 長崎労働医淳監督署長は、調査の結果、亡eについて、

「平成28年5月頃に業務に起因して軽症うつ病エピソードを発症し、その後、業務による心理的負荷によって重症化して自殺するに至った」

などとして労災認定を行いました。

 本件はそうした経緯のもと、亡eの遺族が原告となって、未填補損害の賠償を求めて被告を訴えた労災民訴です。

 本件では幾つかの争点がありますが、その中の一つに、生前の亡eの言動をどのように評価するのかという問題がありました。

 虐待騒動後の亡eの本件保育園の状況として、裁判所では、次の事実が認定されています。

「平成28年度の職員の配置は本件会合時には既に決まっており、亡eが担当した平成28年度の3歳児クラスには、本件会合の際、虐待を訴えていた保護者とこれに同調した保護者の子が在籍していた。前者の子は、亡eら保育士に対し、『今怒った』『先生今叩いたやろ』などと言うことがあった。」

「また、同クラスには、従前から本件保育園に苦情を述べることが多かった保護者の子が在籍しており、亡eは、平成28年4月21日、その保護者から、避難訓練の際に子供の防災リュックに水と保存食が入っていないことについて、『どうしてうちの子だけ入っていないんですか。』と強い口調で指摘された。」

亡eは、g理事長や同僚保育士に対し、上記3名の子やその保護者との関わりがつらいなどと話すことがあったが、他方で、d主任との定期面談の際には、虐待を訴えていた保護者がいるクラスだが大丈夫かとの問いに対し『お母さんともよく話せます』(同年3月29日)などと、保護者からのクレームに動揺していないかとの問いに対し『大丈夫です』、『私にとても優しく対応してくれてます』(同年4月30日)などと答え、同年5月9日、同月30日、同年7月1日にも上記保護者らと良好な関係を築けている旨を述べていたことが記録されている。

「また、亡eら虐待騒動を経験した保育士らは、それ以降、いつ虐待と言われるかもしれないと怯え、虐待を疑われることのないよう神経を使い、登園時に園児のあざや怪我の有無、場所を確認するなどしていた。」

 傍線部に書かれているとおり、亡eは保護者からクレームを受けることについて「大丈夫です。」などと述べており、この点が因果関係や予見可能性(過失)の認定にどう影響するのかが問題になりました。

 この事実の扱いについて、裁判所は、次のとおり評価し、因果関係や予見可能性を認めました。裁判自体の結論としても、被告の損害賠償責任を認めています。

(裁判所の判断)

・因果関係論における評価

本件保育園では、虐待騒動後、d主任らとの個人面談が実施され、亡eは、平成28年5月及び7月に実施された個人面談で、虐待騒動の中心となった保護者らと良好な関係を築けている旨を述べていたことが記録されている。

「しかし、前記・・・のとおり、亡eは、g理事長や同僚保育士らに保護者との関わりがつらいなどと話し、f園長らに上記保護者の子を退園させることができないのかと訴え、同年11月に就業継続の意思確認が行われた際には、上記保護者らの子の在籍するクラスを担当しないのであれば継続したい旨述べていたことや、自宅では、原告aに本件保育園での不満や愚痴を毎晩のように話していたこと、虐待騒動後、本件保育園では、虐待を疑われないように登園時に園児の身体を確認するなど細心の注意を払い続けていたこと、また、本件会合に出席した常勤保育士は亡eとi保育士のほかは全員平成28年度末までに退職したことなどの諸事情に照らせば、亡eが、表面的には保護者との関係を改善していたとしても、これにより心理的負荷が軽減された状態にあったとは認められない。

・予見可能性における評価

被告は、前記・・・のとおり、虐待騒動後、定期面談や臨床心理士によるカウンセリングを実施し、一部業務を削減し、・・・のとおり、個人面談の際、亡eは保護者と良好な関係を築けている旨を述べている。しかし、これらの措置等にかかわらず、亡eの心理的負荷が継続していたことは、前記・・・で説示したとおりであり、亡eが、平成28年11月の次年度の就業継続の意向確認の際にも、その中心となった保護者らの子の担当クラスを外れることを希望していたことからすると、被告において、平成28年度中は亡eの心理的負荷が継続していたことを認識していたか容易に認識し得たことは明らかである。

3.全体的な時系列の流れの中での評価になる

 冒頭で述べたとおり、職場からの聞き合わせに対し、真実はストレスを受けていても、メンタル等の問題はないと回答してしまうことは少なくありません。

 しかし、そのような回答をしてしまっていたとしても、直ちに因果関係や予見可能性が否定されるわけではありません。その言葉の意味は、全体的な時系列の流れの中で評価されます。結果、因果関係や予見可能性が認められることは、十分に有り得ます。

 強がった発言をしてしまったからといって、心理的負荷を放置した使用者が免責されるわけではありません。「大丈夫です。」などと話したことが、必ずしも訴訟提起を断念する理由にならないことは、広く認識されておく必要があると思います。