弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

有期労働契約者はセクハラ・パワハラ被害を訴えることが遅れても被害救済の可能性がある

1.問題はすぐに事件化すること

 一般の方の中には、

「時効期間が経過するまでは、事件にすることができる」

という誤解をしている方が少なくありません。

 しかし、この発想は実務的には明確な誤りです。一般論として、古い事件を掘り起こしても、勝てることはあまりありません。

 主な理由は二点あります。

 一点目は、主張、立証が困難になることです。人の記憶は時間の経過と共に薄れて行きます。そのため、時間が経過すると、具体的な主張を行うことが困難になります。また、証拠資料は散逸し、証人となってくれる協力者の記憶も曖昧になって行きます。古い事件で主張、立証責任を果たして行くことは、決して容易ではありません。

 二点目は、長期間に渡る問題の放置が、裁判所の心証形成上不利に働くことです。問題が起きても、すぐに事件化していなければ、裁判所は、

黙認する趣旨であった(だから今更文句は言わせない)、

本当はそのような事実はなかった(後付けで創作した話にすぎない)、

などと理由をつけ、声を挙げた人の主張を排斥します。

 そのため、古い出来事を事件化することについて相談を受けても、実務上、多くの事案では消極的な見解を出さざるを得ません。

 こうした状況の中、近時公刊された判例集に、ハラスメント事案について、興味深い経験則を判示した裁判例が掲載されていました。大阪高判令2.10.1労働判例ジャーナル108-32 奈良市事件です。

2.奈良市事件

 本件は奈良市の環境部まち美化推進課で業務嘱託職員として働いていた方が原告となり、奈良市を被告として、再任用拒否の違法性を主張して地位確認等を求めるとともに、セクハラ・パワハラ等を原因とする損害賠償を請求した事件です。

 一審は、地位確認等に関係する請求は棄却しました。しかし、損害賠償請求の一部は認容しました。これに対し、被告奈良市が控訴したのが本件です。

 控訴人奈良市は、セクハラ・パワハラについて、本訴を提起するまで原告・被控訴人が被害を訴えてこなかったのは不自然であるから、被害を受けたとする原告・被控訴人の供述は不自然で信用できないと主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、控訴人の主張を排斥しました。

(裁判所の判断)

「控訴人及び補助参加人は、被控訴人が本訴提起まで補助参加人その他の者にセクハラ、パワハラによる被害を訴えていないから、補助参加人から被害を受けたという被控訴人の供述は不自然で、信用できない旨主張する。」

「しかし、上記・・・で引用した原判決・・・認定のとおり、被控訴人は、平成28年に受験したストレスチェックにより専門家等への相談を推奨される結果となり、平成29年2月22日に、産業医であるF医師と面接し、その際、F医師に対し、補助参加人(E職員)から『お前が大嫌い』と言われる、あからさまに嫌な態度を取られる、E職員が若い職員にセクハラをする、派閥を作っている、などと訴えている(控訴人は、この際、被控訴人はF医師に被控訴人自身に対するセクハラの事実を告げていないというが、F医師作成の『メンタルヘルス 面接指導結果報告書』・・・『相談概要』欄の記載内容、記載順序等に照らしても、被控訴人はF医師に対し、若い職員のみならず被控訴人自身へのE職員のセクハラ行為をも訴えているとみる方がより自然である。)。そして、被控訴人は、抗議等をしなかった理由として『やっぱり職場を辞めさせられるのが怖かったからです。』などと述べている・・・が、任用期間が限定的で、地位が不安定といえる非正規の嘱託職員であった被控訴人において、実際は被害を受けていたとしても、更なる被害や失職を恐れ、あるいは、再度任用されることを優先して、抗議をしたり被害を訴えたりすることをためらい、これをしなかったとしても理解できるところである。なお、控訴人及び補助参加人は、被控訴人が再任用されなかったことへの逆恨みを動機として、セクハラ等の被害を受けた旨の虚偽の供述をしたというが、被控訴人は、D課長から評価の結果水準に達していないとして任用期間を3か月にする旨告げられる5日前に、既に上記のとおり産業医であるF医師に自らのセクハラ被害を訴えていること等に照らしても、採用できない。」

「以上によると、被控訴人及び補助参加人の上記・・・の主張は採用できない。」

3.医療記録上に痕跡の残っていた事案ではあるが・・・

 本件は医療記録上に事件化するための痕跡が残されていた事案であり、ただ単に長期間経過した後に事件化が図られた事案ではありません。

 それでも、不安定な非正規職員の立場に寄り添い、抗議をしたり被害を訴えたりしなかったことを理由に形式的に労働者の主張を排斥しなかった点において、本件は画期的な判断を示した裁判例だと思います。

 本件判決後も古い事件の掘り起こしが困難である現状が劇的に変わることはないと思いますが、裁判所が示した経験則は、非正規・有期労働契約者のハラスメント被害者の救済を考えるにあたり、銘記しておく必要があります。