弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

97時間分の固定残業代の合意が有効とされた例-裁判所は小規模零細事業者に甘すぎないか

1.裁判所の問題点-小規模事業者・素人に甘い

 以前、

裁判所は素人による逸脱した行為(弁護士の頭越しに行う直接交渉)に甘すぎではないだろうか - 弁護士 師子角允彬のブログ

という記事を書きました。

 私の個人的な実務経験の範囲内で言うと、素人や小規模零細事業者といった法律を読み込む力のない方に対し、裁判所が甘すぎると感じることは少なくありません。大企業や法専門家が行えば厳しい非難の対象になりかねない行為が、能力が不足している以上は仕方ないといわんばかりに放任されるのは、端的に不公平であり、裁判所の問題点の一つではないかと思っています。

 近時公刊された判例集にも、使用者側の事業が小規模な八百屋であるこが考慮要素の一つとされ、相当長時間の時間外労働を予定した固定残業代の合意が有効とされた裁判例が掲載されていました。大阪地判令2.7.16労働判例ジャーナル105-56野菜村事件です。

2.野菜村事件

 本件は被告会社の元従業員が、退職後に残業代を請求した事件です。

 残業代請求の可否及び額を計算するにあたり、固定残業代の合意の有効性が争点の一つになりました。固定残業代の合意の有効性は、幾つかの観点から問題にされていますが、その中の一つに想定残業時間の長さがありました。

 原告の賃金は月額28万円とされていました。被告会社は内13万円は固定残業代として合意された手当に相当すると主張しました。そのような理解に対し、原告は、

「労基法32条は、労働者の労働時間の制限を定め、同法36条は、36協定が締結されている場合に例外的にその協定に従って労働時間の延長等をすることができることを定め、36協定における労働時間の制限は、月45時間と定められている(平成10年12月28日労働省告示第154号)。被告が主張する固定残業代(計13万円)の合意は、約120時間分の時間外労働に対する割増賃金の額に相当するところ、上記法令の趣旨に反し、恒常的な長時間労働を是認する趣旨で合意されたものと考えざるを得ず、公序良俗に反し、無効である。」

と主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、固定残業代の合意の効力を認めました。

(裁判所の判断)

「原告は、被告が主張する固定残業代(計13万円)の合意は、約120時間分の時間外労働に対する割増賃金の額に相当するところ、労働省の労働時間の制限を定める労基法32条、36条及び平成10年12月28日労働省告示第154号といった法令の趣旨に反し、恒常的な長時間労働を是認する趣旨で合意されたものと考えざるを得ず、公序良俗に反し、無効である旨主張する。」

「この点、本件労働契約の固定残業代のうち、時間外割増賃金に相当する早朝手当及び時間外手当計10万5000円を863円(基本給15万円を被告における1か月の所定労働時間数173.8時間で除したもの)に時間外割増賃金率1.25を乗じた1079円で除すると、約97時間分の時間外労働に相当することとなる。

「しかしながら、上記労働省告示154号の基準は時間外労働の絶対的上限とは解されず、また、これらの法令に反する時間外労働が行われたとしても、割増賃金支払義務は当然に発生するから、そのような場合の割増賃金の支払を含めて早朝手当及び時間外手当を本件労働契約において定めたとしても、それが当然に無効になると解することはできない。確かに、労基法36条6項3号(平成30年7月6日法律第71号により改正[平成31年4月1日施行]された。なお、本件割増賃金請求権は、同改正前のものである。)で定められた労働時間(1か月あたり平均80時間)等も超える点で、相当長時間の時間外労働を予定するものであるけれども、上記労働時間を約17時間超えるにとどまること、被告の事業が小規模な八百屋であること等も考慮すると、公序良俗違反として約97時間分の固定残業代全部を無効とするまでの不当性は認められない。なお、労基法36条6項2号及び同項3号の労働時間は休日労働も含むものではあるが、原告が法定休日労働を行っていない月も相当数見られる(休日出勤手当に相当する法定休日労働を行っていない)本件において、休日出勤手当の分も含めて何時間分の労働時間に相当するのか算定し、公序良俗違反の有無を検討することは相当でない。」

「そうすると、本件労働契約の固定残業代の合意が公序良俗に反し、無効であるとまでは認められない。

3.中小企業の人材難は司法に対する不信感も一因となっているのではないか

 中小企業の経営者から、募集をかけても人材が集まりにくいという声を聞くことがあります。その背景には、幾つもの要因があるとは思いますが、法の不遵守が甘くみられていて、いざとなった時に法による保護を受けられるかどうかが不安であることも挙げられるのではないかと思います。

 必ずしも一定しているわけではありませんが、想定残業時間の多さから固定残業代の効力を否定した裁判例は幾つもあります。

固定残業代として許容されない想定残業時間のライン - 弁護士 師子角允彬のブログ

固定残業代における残業時間数の上限について - 弁護士 師子角允彬のブログ

 元々、法令順守の行き届いた大企業では、顕著な労基法違反は生じにくい傾向にあります。働き方改革関連法の成立により、折角残業規制が強化されても、小規模事業者であることが公序良俗違反を否定する事情になり得るとされては、法の趣旨が大きく毀損されることになります。

 流石に小規模事業者であることだけで公序良俗違反が否定されることはないにしても、素人や小規模事業者であること(法の読み込み・遵守を行う力が不足していること)を法違反かどうかを判断するにあたり考慮することは、端的に言って裁判所の悪習ではないかと思います。

 真面目に法令順守に取り組んでいる中小事業者が割を食うことにもなりかねませんし、こうした悪習は直ちに是正されるべきではないかと思います。