弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

労災取消訴訟-審査請求段階と訴訟段階、異なった疾病を主張できるか

1.審査請求前置

 労災の業務起因性の判断は、

① 対象となる疾病、障害等が何なのか、

② 対象として特定された疾病、障害等に業務起因性が認められるか、

という二重構造のもとで行われます。

 こうした構造のもとでなされた労働基準監督署長の処分に不服のある方は、労働者災害補償審査官に対して審査請求をすることができます。この審査請求を経なければ、原則として訴訟で労災の不支給処分の効力を争うことはできません(労働者災害補償保険法38条1項、40条参照)。

 審査請求前置というシステムが採用されている趣旨は、

「労災保険給付に関する決定が大量に行われる処分であり、行政の統一性を確保する必要があること、処分の内容も専門的知識を要するものが多いことから、できる限り行政機関内部において迅速かつ簡易に違法又は不当な処分を是正することが望ましいこと、行政不服審査は簡易迅速な処理をその本旨とすることから、訴訟の前に審査請求を経由させても、審査請求人の裁判を受ける権利を損なうことにはならないこと」

などにあると理解されています’(平成28年3月 労働基準局 労災保険審査請求事務取扱手引 参照)。

https://joshrc.net/wp-content/uploads/2020/04/joshrc201610.pdf

 それでは、労災の不支給処分に納得のいかない労働者が、審査請求段階で主張していなかった疾患、障害等を、訴訟の段階で新たに主張することは、許容されるのでしょうか? 

 もう少し分かりやすく言うと、審査請求においてA疾患に業務起因性が認められるかというテーマで争われていた問題について、訴訟提起後に

「真に検討にされるべきはB疾患に業務起因性が認められるか否かである」

といった争点設定をすることが、果たして審査請求前置等との関係で許容されるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。福井地判令2.4.15労働判例ジャーナル103-96 国・福井労基署長事件です。

2.国・福井労基署長事件

 本件は労災の不支給処分に対する取消訴訟です。

 原告になったのは、死亡した労働者P4の妻です。P4が死亡したのは業務に起因する疾病によるとして、遺族補償給付と葬祭料の請求をしたところ、労働基準監督署長は、いずれも不支給とする処分(本件各処分)を行いました。

 その後、審査請求、再審査請求のいずれもが棄却されたことを受け、本訴が提起されたという経過が辿られています。

 審査請求、再審査請求で問題にされていたのは、急性膵臓壊死の業務起因性でした。しかし、原告は、訴訟段階になって、

P4の死因は急性膵臓壊死ではなく虚血性心疾患であり、業務起因性の有無が検討されるべきは虚血性心疾患である

という趣旨の主張を展開しました。

 本件では、こうした主張が、審査請求前置との関係で許容されないのではないかが問題になりました。より具体的に言うと、被告国側は、

「審査請求において主張されなかった主張が取消訴訟の段階において主張される場合に、同主張が訴訟物の同一性の範囲を超えていた場合は、同主張に係る請求は審査請求手続を経ていないことになり、審査請求前置主義に反するため、取消訴訟で主張することはできない。」

「そして、取消訴訟の訴訟物の同一性は、処分の同一性により画されるところ、労災保険給付の不支給決定の取消訴訟においては、給付の種類が同一で、『傷病』及び『災害原因』が同じであれば、処分に同一性があるが、『傷病』又は『災害原因』のいずれかが異なれば、各給付の支給要件の判断も異なるため、処分の同一性が失われ訴訟物が異なる。」

「原告は、亡P4の傷病を急性膵臓壊死であるとして本件各給付請求をし、本件不服申立てにおいても、同様の主張をしていたが、本件訴訟では、亡P4の傷病を心臓疾患であると主張している。」

「しかし、急性膵臓壊死と心臓疾患では、傷病が異なり、処分の同一性が認められず、本件訴訟は審査請求前置の要件を満たさず訴訟要件を欠くため、却下されるべきである。」

と主張し、訴えの不適法却下を求めました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、訴訟提起の適法性を認めました(ただし、結論において原告の請求は棄却しています)。

(裁判所の判断)

「被告は、原告が本件不服申立てにおいて急性膵臓壊死を死因と主張していたにもかかわらず、本件訴訟において虚血性心疾患を死因と主張していることから、審査請求が前置されていない旨主張する。」

「しかし、審査請求と取消訴訟の対象の同一性は、それぞれの対象たる処分の同一性があれば足り、それ以上に審査請求における理由と取消訴訟において主張する違法事由が同一であることまでは要しないと解すべきである。

「そして、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件各給付請求に際して、過労による死亡を原因として遺族補償給付及び葬祭料の支払を求め、処分行政庁が本件各処分をしたことに対し、本件各処分の取消しを求めて本件不服申立てをした上で、法定期間内に本件各処分の取消しを求めて本件訴訟を提起したことが認められ、本件不服申立て及び本件訴訟の対象となる処分はいずれも本件各処分であることからすれば、本件訴訟が審査請求前置の要件を満たすものと認められる。

よって、被告の主張は採用できない。

3.疾患の差し替えは大丈夫

 なぜ、死因となった疾患の差し替えといった現象が起きるのかというと、疾患には労災認定との間の相性があるからです。

 例えば、本件では、急性膵炎について、

「急性膵炎の原因としては、飲酒(約30%)、胆石(約25%)、原因不明(約15%)等が主なものである。」

との医学的知見が認定されています。つまり、長時間労働過労→急性膵炎→急性膵臓壊死→死亡の因果経路は認定しにくいのです。

 これに対し、虚血性心疾患の場合、厚生労働省が、

基発第1063号 平成13年12月12日 改正 基発第0507第3号 平成22年5月7日 改正 基発第0821第3号 令和2年8月21日「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」

という文書を出しており、長時間労働→虚血性心疾患→死亡という因果経路を認定しやすいのです。

脳・心臓疾患の労災認定 −「過労死」と労災保険−|厚生労働省

https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/rousai/dl/040325-11a.pdf

 そのため、手続をとっている最中に、より業務起因性の認められやすい疾患が死因となっているらしいことが判明したような場面では、疾患に関する主張を構成し直したくなるという現象が生じるのです。

 本件は結論こそ原告の請求棄却になっているものの、こうした死因の取り換えに係る主張が許されると判示した点に特徴があり、同種事案の処理を考えるうえで参考になります。