1.開き直った経営者に労働者は太刀打ちできないのか?
ネット上に、
「懲戒解雇と諭旨解雇、同じ『クビ』でもこんなに違う」
という記事が掲載されています。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200223-00059450-jbpressz-bus_all
記事は、
「昨今、中小企業を中心に懲戒解雇を悪用した人員整理が横行しています。本来は、厳格な判断のもとに慎重に有効性が判断されなければなりません。ところが、社員を解雇するために、事件を捏造して懲戒解雇に及ぶ手法が後をたちません。」
「実際に発生した懲戒解雇の事例を紹介します。都内の某広告代理店に勤務する井上さん(仮名)は、営業部門の部門長として勤務していました。ある日、社長に呼ばれ、『会社の業績が悪いから今月末で退職してもらう。これは取締役会の決定事項だから拒否はできない』と、突然退職勧奨を受けました。」
「井上さんは、回答を保留し継続的な話し合いを社長に求めました。ところが社長が忙しいことを理由に話し合いを拒否しました。時期は既に12月中旬に差しかかっており、年末を前になし崩し的に強引に解雇されることを予見した井上さんは、弁護士に依頼をして、話し合いによる協議を開始しました。」
「これを知った社長は激高し懲戒解雇を強行します。懲戒解雇の理由は業務命令違反です。『いまの仕事は会社として認めないから懲戒解雇に処する』という理由です。井上さんは、解雇無効による地位確認と未払い賃金の支払い、損害賠償を求めて訴訟を起こしました。そして最終的には勝訴を勝ち得ますが、それまでに2年の月日を費やしました。さらにこの間、『重責解雇』とされていたので失業保険も満額は支給されず、また結審まで就労の機会がありませんでした。そのため、生活は困窮し、夫婦関係が破たんするという事態に追い込まれてしまいました。」
「しかも会社は、未払い賃金および賠償金の支払いを実行していません。敗訴をしても支払いに応じない事例は非常に多く、法務省によれば年間約5万件の強制執行の申し立てがされています。」
などと述べたうえ、
「法律で労働者は守られていると言います。ところが経営者が開き直ると労働者はなかなか太刀打ちできません。
としています。
しかし、記事の作者がいうほど、現在の法律実務は労働者にとって過酷ではないと思います。むしろ、記事のような事例は本当にあるのだろうか? と疑問に思います。
2.記事のような事例は本当に存在するのだろうか?
(1)無理筋の懲戒解雇事案で2年もかかるか?
所掲のような無理筋の懲戒解雇事案で、懲戒解雇の効力のみを争うとすれば(パワハラや未払残業代といった他の論点がないと仮定すれば)、手続選択としては労働審判になると思います。
「裁判の迅速化に係る検証に関する報告書(第8回)」という裁判所の資料によると、平成30年の労働審判の平均審理期間は80.7日です。
http://www.courts.go.jp/about/siryo/hokoku_08_hokokusyo/index.html
http://www.courts.go.jp/vcms_lf/hokoku_08_02minji.pdf
同統計によると、労働審判では全体の72.6%で調停が成立しています。
労働審判になる事案は全体の14.7%ですが、そのうち31.9%では異議申立はなされていません。
つまり、労働審判の申し立てにより、
72.6%+14.7%×31.9%≒77.3%
の紛争は何等かの形で裁判所の判断が示されたうえで終局していることになります(調停にあたっては裁判所から開示された心証が基準になります)。
無理筋の懲戒解雇事案では、粘ったとしても傷口が広がるだけなので(未払賃金という形で労務の提供を受けられないのに出て行くお金が時間の経過とともに増大して行くだけなので)、裁判所から懲戒解雇無効の心証が示された段階で、それなりの解決金とともに合意退職するような形での道筋が付けられる例が多いように思います。
また、訴訟という手続選択をとるにしても、労働事件の平均審理期間は、14.5か月です(上記報告書参照)。
無理筋の懲戒解雇の効力を争点とする地位確認・未払賃金請求のみを問題とする裁判で、平均以上の審理期間がかかるというのは、少し信じ難いです。
(2)重責解雇がそんなに簡単に認められるか?
雇用保険上の「重責解雇」というのは、「自己の責めに帰すべき重大な理由によつて解雇」された場合の略称です。
重責解雇に該当する場合、雇用保険の受給までに待機期間が生じるほか(雇用保険法33条1項)、特定受給資格者(倒産や解雇などによって離職した方)から除かれている関係で(雇用保険法23条2項2号)、特定受給資格者との比較いおいては所定給付日数が少なくなります。
しかし、重責解雇の認定は、それなりにハードルが高いです。
雇用保険に関しては、厚生労働省が、
「雇用保険に関する業務取扱要領」
という長大な文書をまとめており、これに基づいて運用されています。
これによると、重責解雇かどうかの認定は、
「離職理由について事業主と労働者との間において一致している場合(⑦欄(離職理由)が「5(2)労働者の個人的な事情による離職に該当するもの」を除く。)は、事業所管轄安定所長の判断を主とし、事業主と離職者で主張が異なる場合、並びに⑦欄(離職理由)及び離職区分に記載されている内容では離職理由の適正な把握ができない場合については、次により、客観的事実の把握、離職者の申立の聴取を行い、認定を行う。」
「なお、離職理由の判定については、客観的資料、関係者の証言、離職者の申立等
を基に慎重に判断するものである。」
とされています。
https://www.mhlw.go.jp/content/000555727.pdf
要するに、使用者側が、言い張りさえすれば、それが通るといった単純なものではありません。
また、重責解雇の認定基準は、上記業務取扱要領に書かれていますが、それは、
「刑法各本条の規定に違反し、又は職務に関連する法令に違反して処罰を受けたことによって解雇された場合」
などのように、かなり悪性の強いものに限定されています。
業務取扱要領上、
「労働協約又は就業規則違反の程度が軽微な場合には、本基準に該当しない」
と明記されているため、無理筋の懲戒解雇は、そう簡単に重責解雇に持ち込めるものではありません。
「いまの仕事は会社として認めないから懲戒解雇に処する」といった曖昧な業務命令違反で重責解雇になったということに関しても、本当だろうか? と思います。
(3)賃金仮払いの仮処分がなされるのでは?
他社就労の機会がないまま(別段、他社就労したところで一定の限度まで損益相殺されるだけでそれほどの問題のないことが多いとは思いますが)、審理が長期化し、労働者の生活が困窮するに至った場合、一般的な弁護士であれば、賃金仮払いの仮処分の申し立てを検討します。
これが認められれば、当面の生活費の仮払いが受けられることになります。勝敗が微妙な事案であればともかく、労働者側に代理人弁護士が選任されている無理筋の懲戒解雇事案で(そういう事案で審理が長期化する場面がどれだけあるのかは不明ですが)、夫婦関係が破綻するほど生活が困窮するか? という気もします。
(4)裁判に負けても会社は累積した未払い賃金を払わない?
労働者勝訴判決が確定しても、会社が未払い賃金を払わないというのも、疑問に思っています。
従業員であれば自社の主要な取引先の会社名くらいは把握していることが多いです。そのことは会社も分かっています。
売掛金を対象に強制執行の申立をされてしまえば、取引先に対する体面が悪いうえ、執行費用まで含めて取り立てられてしまうため、倒産しかけているような会社を除けば、判決で支払いを命じられたお金は、支払ってくることが多いように思います。
仮に、支払ってこなくても、強制執行を申し立てれば良いだけであり、それほど困るか? という気もします。
3.疑問の多い記事
(1)地方公務員に就業規則?
上記以外にも、所掲の記事にはたくさんの疑問があります。
例えば、所掲の記事の冒頭には、
「神戸市立東須磨小学校の教員間暴行・暴言問題で、市教育委員会は、2月中に加害教員4人を懲戒処分にする考えを明らかにしました。19日の市議会文教こども委員会で説明しました。本事件の場合、懲戒処分の内容が重要であることは言うまでもありません。厳罰を求める声が大きいですが、学校の就業規則に懲戒の種別及び事由を定めておくことが必要です。就業規則に書いていない事由で懲戒処分を受けた場合、処分は無効となります。また、就業規則に書かれていても教員に周知されていなければ同様に無効になります。」
と記載されています。
市立小学校教員のような地方公務員の場合、懲戒権の根拠は地方公務員法に定められています(地方公務員法29条等参照)。地方公共団体と地方公務員との間の法律関係は、労働契約ではなく行政処分と法令によって規律されています。したがって、就業規則云々といった話とは関係なく、地方公共団体は地方公務員法に基づいて非違行為をした職員に対して懲戒処分を科することができます。
(2)法務省によると年間5万件の強制執行?
「法務省によれば年間約5万件の強制執行の申し立てがされています。」との記述にも疑問があります。
そもそも強制執行について法務省は統計を作っているのだろうか? と思います。
裁判所が司法統計を作っていることは知っていますが、これによると平成30年度の強制執行に関して言うと、新受件数は、不動産執行で5064件、債権執行で11万9034件です。
http://www.courts.go.jp/app/sihotokei_jp/list?page=2&filter%5Btype%5D=1&filter%5ByYear%5D=2018
http://www.courts.go.jp/app/files/toukei/488/010488.pdf
5万件という数値がどこから出てきたのか、出典がよく分かりません。
また、労働事件の執行可能性について議論するのであれば、売買、請負、貸金といったものまで含まれる全事件との関係での強制執行の件数を取り上げても意味がありませんし、数値として重要なのは強制執行をしたにもかかわらず回収できなかった件数ではないかとも思います。
4.開き直った経営者に太刀打ちする方法は幾らでもある
以上のとおり、所掲の記事は、少なくとも私の弁護士としての実務感覚からは大分疑問のある内容を含んでいます。
開き直った経営者に太刀打ちする方法は幾らでもあるし、法的な紛争に持ち込んだからといって、生活が困窮して夫婦生活が破綻するというケースは一般的ではないと思います。また、労働事件は、勝訴した場合の金銭債権の回収率が、それほど悪い事件類型であるとも思っていません。
法律問題に限定して言えば、記事を掲載する媒体・マスコミには、専門的な記事の良否を適切にふるいにかける能力はないと思います。メディアに掲載されている事件報道、法律解説には、疑問を感じるものが少なくありません。
そのため、問題を抱えたら、ネットで検索するよりも、きちんと弁護士等の法律実務家に相談してみることをお勧めします。