1.解雇撤回に対する反論パターン
無理筋の解雇がなされているケースでは、労働者を代理して解雇無効・復職を主張すると、使用者側から、解雇を撤回されることがあります。
しかし、解雇された職場から、その舌の根も乾かないうちに解雇を撤回すると言われても、復職することに不安を示す労働者は少なくありません。特に、解雇前にハラスメント被害や退職強要を受けたりしているような事案では猶更です。
このような場合に、信頼関係が回復し、復職の条件が整うまでの間の不就労期間の賃金を得ることはできないのでしょうか?
これは使用者側が解雇を撤回したにもかかわらず、なお債権者(使用者)の責めによって労務提供をすることができないといえることができるのかという問題です。不就労期間の賃金を請求するためには、労務提供の不能が使用者の責めに帰すべき事由によるといえる必要があるからです(民法536条2項)。
そのための法律構成として、そもそも解雇を撤回すること自体、許容されないという主張があります。
「解雇の意思表示は使用者が従業員に対し一方的に行う労働契約解除の意思表示であってこれを撤回することはできない」
と判示した、東京高決平21.11.16判例タイムズ1323-267等に基づいた議論です。
しかし、東京高裁の上記裁判例は解雇撤回による強制執行妨害を許容しないと述べた裁判例であり、いわゆる労働事件の裁判例とは性質が異なります。
また、解雇が無効で労働者としての地位の確認を求めているのに、解雇の撤回は許さないとして争うのが、矛盾を含んだ主張であることは否定できません。賃金請求を行うためには、解雇の撤回は許されないという形式論理に依拠するだけでは弱く、労務不提供の理由が使用者の責めに帰する事由によることを示す実質的な根拠を主張、立証して行く必要があります。
そのための法律構成として、安全配慮義務違反の主張があります(労働契約法5条)。労務提供をすることができないのは、ハラスメント等を引き起こした就業環境が改善されていないのが原因であり、使用者側の責めに帰するべき事由によるという立論です。
ただ、このような立論を採用した公表裁判例は見たことがなく、裁判実務で通用する議論なのかが今一よく分からない状況にありました。
しかし、近時公刊された判例集に、安全配慮義務違反を理由として、不就労期間中の賃金請求を肯定した裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した東京地判令4.2.17労働判例ジャーナル125-30 葵宝石事件です。
2.葵宝石事件
本件で被告になったのは、貴金属・宝石等の販売をする株式会社です。
亡C(平成28年7月16日死亡)は、平成26年当時89歳の女性で、
平成17年3月28日から平成24年2月9日まで、
及び、
平成27年3月10日から死亡日(平成28年7月16日)まで
の間、被告の代表取締役の地位にあった方です。創業者である亡Dの妻で、被告の発行済み株式の98%も保有していました。ただ、被告の事業や経営には関わらず、被告事務所の所在する建物において単身で生活していました。
Bは元々は専務でしたが、亡Dの死亡に伴い平成28年8月24日から被告の代表取締役の地位にあった方です。
原告になったのは、平成18年8月1日以降、被告との間で期間の定めのない労働契約を締結し、販売・経理等の業務に従事してきた方です。平成26年5月ころ、うつ病エピソード(本件疾病)を発症し、同年6月4日から欠勤を続け、平成29年10月30日付けで休職期間満了による退職と扱われました(本件退職取扱い)。これを受け、本件取扱いは、亡Cの身の回りの世話を命じられる中で受けた暴言・暴行に起因するとして、本件退職取扱いの無効を主張し、労働契約上の権利を有する地位の確認や、休業期間後の(令和3年4月からの)賃金の支払、安全配慮義務違反を理由とする損害賠償等を求めて被告を提訴しました。
裁判所は本件疾病の業務起因性、安全配慮義務違反を認めたうえ、賃金請求の可否について、次のとおり判示しました。
(裁判所の判断)
「前記・・・において説示したとおり、本件休業(平成26年6月4日から欠勤)の原因である本件疾病の発症は、被告の業務に起因するものと認められ、また、前記・・・において説示したとおり、本件疾病の発症について、被告に安全配慮義務違反が認められることからすれば、本件休業は被告の責任によるものであり、民法536条2項所定の債権者の帰責事由が認められる。」
「したがって、原告は、令和3年4月分以降の賃金支払請求権を有するものというべきである。」
3.解雇撤回の事案ではないが・・・
本件は解雇撤回の事案ではありません。
また、ハラスメントが精神疾患を生じさせた事案であり、職場環境の調整だけが問題になっていた事案でもありません。
しかし、安全配慮義務違反を理由として、不就労期間の賃金請求を認めた点は、解雇撤回の場面を含め様々な場面で活用できる可能性のある画期的な判断であるように思われます。