弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

使用者側の訴訟代理人による自滅事案-労働事件で適切な代理人弁護士を選任することの重要性

1.労働事件の特性

 労働事件の特性の一つに、依拠するルールが抽象的であることがあります。

 例えば、懲戒処分の有効性を判断するうえでの基準となる労働契約法15条は、

「使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、当該懲戒は、無効とする。」

と規定しています。

 法文を見ているだけでは、個別事案における懲戒処分が有効かどうかは、良く分かりません。

 では、専門家がどのように事案に見通しをつけているかというと、過去の裁判例を参考にしながら判断しています。

 労働の分野では、裁判例によって、不文のルールや、客観性・合理性・社会通念・相当性といった抽象的な規範の意味内容が形成されています。そのため、的確な見通しのもと、事件を適切な手順で進めるためには、裁判例に関する知識がどれだけあるのかが重要な意味を持ちます。

 しかし、裁判例の数は膨大であるため、一朝一夕で読み込めるようなものではありません。また、古い裁判例の中には、現代まで生き続けているものと、時代背景の移り変わりによって参照に適さなくなっているものがあり、判例データベースを調査するだけで結論が予想できるかというと、そういうものでもありません。きちんとした仕事をするためには、日常業務の合間を見つけて判例集を読み込み、常に知識をアップデートさせて行く必要があります。欲を言えば、公刊物の発刊と同時に読み込んで、データベースに登載されるまでのタイムラグもなくした方がよいとも思います。

 このように知識の蓄積が重要な領域であることから、不慣れな弁護士に依頼することには慎重になった方が良いと思っています。

 近時公刊された判例集にも、適切な代理人弁護士を選任することの重要性を意識させる裁判例が掲載されていました。大阪地判令元10.15労働判例ジャーナル95-26 JFS事件です。

2.JFS事件

 この事件で被告になったのは、資産運用コンサルティング及び投資コンサルティング等を目的とする合同会社です。

 原告になったのは、被告に雇われていた方です。被告との法律関係が委任契約なのか雇用契約なのかは争いがあったようですが、裁判所では試用期間付き雇用契約であったと認定されています。

 この事件の中心的な争点は懲戒解雇の有効性です。

 そして、特徴的なのは、就業規則が存在しないにもかかわらず、訴訟代理人弁護士を通じて懲戒解雇の意思表示がされていることです。

 一瞬、見間違いかと思ったのですが、判決の「前提事実」には、次のとおり明確に書かれています。

「被告は、平成29年12月28日付けで、原告に対し、本件の被告訴訟代理人(以下単に「被告訴訟代理人」という。)を通じて、『当社は貴殿を懲戒解雇処分とし、本書面をもってお伝えいたします』、との内容を含む内容証明郵便を送付した(以下『本件内容証明郵便1』という。甲3)。」
「被告は、平成30年2月9日付けで、原告に対し、被告訴訟代理人を通じて、『なお、当社から貴殿に対する平成29年12月28日付内容証明郵便に記載したとおり、貴殿は既に懲戒解雇されておりますが、念の為、本書面にても懲戒解雇の意思表示をいたします』、との内容を含む内容証明郵便を送付した(以下『本件内容証明郵便2』という。甲5)。」

3.就業規則がなくても懲戒処分はできるのか?

 かなり昔、就業規則上、懲戒に関する根拠規定が存在しない場合にも、使用者は懲戒処分をできるのかが議論になったことがあります。

 しかし、最三小判昭54.10.30労働判例329-12 国労札幌支部事件が、

「企業は、その存立を維持し目的たる事業の円滑な運営を図るため、それを構成する人的要素及びその所有し管理する物的施設の両者を総合し合理的・合目的的に配備組織して企業秩序を定立し、この企業秩序のもとにその活動を行うものであつて、企業は、その構成員に対してこれに服することを求めうべく、その一環として、職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢を確保するため、その物的施設を許諾された目的以外に利用してはならない旨を、一般的に規則をもつて定め、又は具体的に指示、命令することができ、これに違反する行為をする者がある場合には、企業秩序を乱すものとして、当該行為者に対し、その行為の中止、原状回復等必要な指示、命令を発し、又は規則に定めるところに従い制裁として懲戒処分を行うことができるもの、と解するのが相当である。」

としたうえ、

最二小判平15.10.10労働判例861-5 フジ興産事件が、

使用者が労働者を懲戒するには、あらかじめ就業規則において懲戒の種別及び事由を定めておくことを要する

と明確に判示したことにより、この問題には実務上の決着がつけられました。

 つまり、最高裁判例に照らせば、就業規則が存在しない時点で、懲戒解雇に関する主張は意味のない主張(確実に負ける主張)だということになります。

 これは裁判例によって形成されている不文のルールの一例です。

4.使用者側瞬殺

 上記のようなルールがあるため、JFS事件では、委任契約なのか雇用契約なのかの論点で負けた後、使用者側が瞬殺されました。

 裁判所は、次のような判示をしています。

(裁判所の判断)

使用者が労働者を懲戒するには、あらかじめ就業規則において懲戒の種別及び事由を定めておくことを要する(最高裁昭和54年10月30日第三小法廷判決・民集33巻6号647頁、最高裁平成15年10月10日第二小法廷判決・裁判集民事211号1頁参照)ところ、被告が、原告に対し、懲戒解雇の意思表示をした当時、被告に就業規則が存在しなかったことについては当事者間に争いがないから、被告の原告に対する平成29年12月28日付け及び平成30年2月9日付けの懲戒解雇の意思表示・・・は、いずれも懲戒権の根拠を欠き、無効というべきである。

「よって、原告の地位確認請求は理由がある。」

5.普通解雇でも解雇の有効性は否定された事案ではあろうが・・・

 本件では、裁判所によって次の事実が認定されています。

「原告は、平成29年12月26日付けで、被告に対し、『私は、貴社に勤務しておりました期間のうち、平成29年12月1日から平成29年12月20日までの給与をお支払いいただいておりませんので、下記の通りご請求申し上げます。つきましては本書面到達後3日営業日以内に銀行振込にてお支払いください』との内容を含む『賃金請求書』と題する書面を送付した・・・。」
「被告は、平成29年12月28日付けで、原告に対し、被告訴訟代理人を通じて、上記・・・『賃金請求書』の内容について、『貴殿が当社に入社する際に署名押印した誓約書の第2条及び第3条に違反すると言わざるをえません』、『当社は貴殿を懲戒解雇処分とし、本書面をもってお伝えいたします』、『本件につきましては、当職ら(担当:大坪)が委任を受けておりますので、ご意見がおありの場合は、当社への直接の連絡はなさらず、当職らまでご連絡ください』との内容を含む本件内容証明郵便1を送付し、懲戒解雇の意思表示をした。」

 賃金請求の書面を出したことが解雇理由になるとは、通常考え難く、普通解雇であったとしても、解雇の効力は否定されていた可能性が高いのではないかと思います。

 しかし、同じ負けるにしても、瞬殺されるルート(懲戒解雇)よりは、まだ格好がついたかも知れません(雇用契約なのか委任契約なのかを争う事案において、解雇を通知することの是非という問題は残りますが)。

 懲戒処分に就業規則上の根拠が必要であることは、概ねの教科書に書いてあるレベルの知識ではあります。

 例えば、菅野和夫『労働法』〔弘文堂、第12版、令元〕702頁には、

「使用者は懲戒の事由と手段を就業規則に明定して労働契約の規範とすることによってのみ懲戒処分をなしうる」

と明記されています。

 本件はやや極端な事案でありますが、労働事件を適切な手順で進めるためには、普段から裁判例を読み込み、アップデートを繰り返している事件処理に慣れた弁護士を代理人に選任する必要があります。

 建築や医療のような法律以外の知識という分かりやすい特殊性がないせいか、誤解されがちであるように思いますが、労働事件が弁護士であれば誰でもできる分野でないことは、一般の方も知っておくと良いと思います。