弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

法を無視する会社には、手帳の●印で残業代を請求できることもある

1.労働時間を管理する責任を放棄している会社ほど残業代請求を受けにくい?

 任意の支払いを拒否する使用者に対して残業代(割増賃金)の支払いを請求する場合、法的措置を取らざるを得ません。

 しかし、残業代を請求するにあたっては、労働者の側で労働時間を特定し、主張・立証して行かなければなりません。

 訴訟実務においては、

「時間外・休日労働をしたことは、割増賃金請求訴訟の請求原因事実であり、原告である労働者において主張立証責任を負う。具体的には、原告は、割増賃金請求期間の1日ごとに始業時刻・終業時刻を主張したうえで、そのうち法定時間外労働時間、法内時間外労働時間、深夜労働時間、休日労働時間を特定して主張する必要がある。」

という考えが採用されているからです(山川隆一ほか編著『労働関係訴訟Ⅰ 最新裁判実務体系7』〔青林書院、初版、平30〕425頁参照)。

 使用者にはタイムカードによる記録等の客観的方法で労働時間を管理する義務があります(労働安全衛生法66条の8の3、労働安全衛生規則52条の7の3)。

 労働安全衛生法66条の8の3は平成30年7月6日公布の働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律で整備された条文ですが、この条文ができる以前からも労働時間を管理する責務はあるとされていました。

 その趣旨は、厚生労働省が公表している

「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置 に関するガイドライン」

に記載されているとおりです。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/roudouzikan/070614-2.html

https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11200000-Roudoukijunkyoku/0000149439.pdf

 法令順守にある程度の意識を払っている会社に対しては、タイムカード等の労働時間管理のための資料の開示を受けることにより、残業代を請求するための主張・立証を組み立てて行くことが可能です。

 しかし、順法意識のない会社では、根拠の良く分からないマイルール(年俸制の労働者には残業代を支払う必要はないし、労働時間を管理する必要もないなど)のもと、全く労働時間の管理がされていないことがあります。

 こうした会社に対する残業代請求は、労働時間を特定する手がかりとなる資料がないため、行き詰まってしまうこともあります。

 ここに、法無視の態度が著しい会社ほど、残業代の請求が難しくなるという逆転現象の余地が生じることになります。

2.手帳による立証

 もちろん、逃げ得を許さないため、これまでも様々な立証方法が考えられてきました。前掲の書籍にも、

「①職場のパソコンのメールやシャットダウン時間の履歴、②労働者作成の業務日報や手帳等、③業務報告書のファクシミリ送信日時の記録、④警備会社の鍵授受簿などが考えられる。トラック等の運転手の時間外手当が問題になるようなケースでは、休憩時間の関係でタコメーターが証拠として提出されることもある。」(前掲書籍426頁)

と種々の立証上の工夫が言及されています。

 パソコンの履歴などの客観的な資料や、労働者が作成するものであったとしても使用者側で管理されている業務日報に関しては、比較的高い証拠価値を期待できます。

 しかし、手帳に基づいて労働時間を主張し、その通りの認定が得られる事案は、決して多くはないのではないかと思います。手帳をもとに主張、立証を組み立てようとしても、会社側から何等かの客観証拠との矛盾を突き付けられ、全体としての信用性を減殺されてしまう例は少なくないように思います(時折、「手帳も証拠になります」という議論を見かけますが、「なるにしても証拠提出の可否と立証の成否は全く別の問題で、手帳での立証なんて、そんなに簡単に認められているわけではないのでは?」と思います)。

 こうした状況のもと、手帳の●印をもとに労働時間の認定をした裁判例が公表されていました。東京地判平31.1.25労働判例ジャーナル89-56ディートライ・プラス事件LEX/DB25562976です。手帳での立証が比較的簡単に認められてしまっていたので、目を引かれました。

3.ディートライ・プラス事件

 この事件の原告は、コマーシャル映像の企画、制作等を業とする会社です。

 被告になったのは原告会社でプロデューサーとして働いていた方です。

 原告が退職後の被告に対してCM制作に関して支払った仮払金の返還を求めたところ、逆に被告から残業代を請求する反訴を起こされたという経過をたどっています。

 原告は被告の労働時間管理を何ら行っておらず、被告は手帳に記された●印の記載などをもとに労働時間に関する主張、立証を行いました。

 この事件で、裁判所は次のとおり判示し、手帳に基づく労働時間の立証を認めました。

「割増賃金請求訴訟において、時間外労働等を行ったこと(実労働時間)については、割増賃金を請求する労働者において主張立証すべきであるが、他方で、労働基準法(以下『労基法』という。)が時間外、深夜、休日労働について厳格な規制を行い、使用者に労働時間を管理する責務を負わせているものと解されることからすれば、割増賃金請求訴訟においては、上記のとおり労働時間を管理すべき責務を負う使用者が適切に否認の理由を主張し、あるいは間接反証を行うことも期待されているというべきであり、使用者が適切にその責務を果たしているとすれば容易に主張ないし間接反証することができるはずの労働時間管理に関する否認の理由の主張をせず、あるいは資料を提出しない場合には、公平の観点に照らし、労働者の労働実態に即した適切な推計方法を用いて実労働時間の算定を行うことも許されるものと解するのが相当である。」

「本件では、上記認定事実のとおり、原告会社が被告Bの労務管理を何ら行っていないから、そもそも原告会社が使用者として労基法上求められる労働時間管理の責務を何ら果たしていない。そして、上記認定事実によれば、被告Bの業務内容は、CM制作に係るプロデューサーであって上記認定事実のとおり相当の作業量を要する業務であるから、業務に要する時間も相当にのぼるものと推認されるところ、このことは、本件手帳に記載されている業務内容及び自衛のために記載していたと説明する時間軸上に記載された●印等によって認められる時刻と整合的である上、この時刻と、原告会社の業務に関連して作成されていた本件管理表のうち被告Bが最終退出者として記載したものと認められる記載に係る最終退室時間とも整合的である。そうすると、終業時刻については、証拠の客観的な信用性をも踏まえ、本件管理表に記載のあるものについてはその時刻を、本件管理表に記載がないものについては本件手帳記載の時刻を終業時刻と解するのが相当である(なお、上記のとおりの被告Bの業務内容に照らすと、いずれの証拠からも終業時刻が明らかでないものについては、少なくとも本件雇用契約で定められた所定労働時間に係る終業時刻までは勤務していたものと推計するのが相当である。)。また、上記認定事実のとおり、被告Bは毎週月曜日にはP会に参加するため午前9時半までには出社しており、それ以外の日にも午前10時までには出社していたものと認められる。この点、本件手帳には、出社時刻に関する印等の記載は基本的にないものの、上記認定が、上記認定事実のとおりの被告Bの業務状況や、本件管理表のうち、被告Bが最初入室者として記載したものと認められる記載に係る最初入室時間及び月曜日の最初入室時間の記載とも整合的であることからすれば、被告Bの労働実態に即するものと解される。したがって、本件手帳又は本件管理表の記載内容から上記時刻とは異なる時刻に業務を開始したことが明らかな場合を除き、毎週月曜日の始業時刻を午前9時半、それ以外の日の始業時刻を午前10時と推計するのが相当である。」

4.労働時間管理義務が懈怠されている場合、かなりラフな立証も許される場合がある

 文中で指摘されている

「本件管理表」

は、

「プライバシーマーク取得事業者として求められる安全管理措置のため、最初入室者、最終退室者の名前及び当該時刻」

を記録していた表を指しています。

 裏付けとなる資料が本件管理表程度しかない中で、「自衛のために記載していた」という手帳の●印をもとに労働時間を認定したのは、ずいぶんとラフな認定だなという印象は受けます。

 しかし、このようなラフな認定がなされたのは、労働時間管理を全くしていないという会社側の法無視の態度が著しかったのが原因ではないかと思います。

 裁判所としても、法無視の態度が著しく、労働時間に関する記録がない会社ほど立証の壁によって得をするといったような逆転現象は許したくなかったのではないかと推察されます。

 会社側の法無視の態度が著しかったがゆえに労働時間を特定する手がかりがない、そういう方も、必ずしも残業代請求を諦める必要はありません。

 公平の観点から、立証の壁には調整が図られる余地があります。諦める前に一度弁護士のもとに相談に行ってもよいのではないかと思います。