弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

営業活動の費用を賃金控除の対象にできるのか?-個別合意への自由な意思の法理の適用

1.賃金全額払いの原則とその例外

 労働基準法24条1項は、

「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。ただし、法令若しくは労働協約に別段の定めがある場合又は厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合においては、通貨以外のもので支払い、また、法令に別段の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合においては、賃金の一部を控除して支払うことができる。」

と規定しています。

 この条文には複数のテーマが織り込まれているのですが、傍線を付した部分を「全額払いの原則」ないし「全額払原則」といいます。

 全額払いの原則とは、噛み砕いていくと、

使用者は労働者に賃金全額を支払わなければならない、

ただし、法令に定めがあったり、労使協定があったりする場合にのみ、例外的に一定の費目を控除することが可能になる、

というルールをいいます。

2.労使協定等はだけでは足りない

 上述のとおり、法令に定めや労使協定があれば、使用者は賃金控除を行っても、労働基準法24条違反の責任を問われることはなくなります。

 しかし、実際に賃金控除を行うためには、賃金控除を行うことが労働条件として労働契約に組み込まれている必要があります。具体的に言うと、労働協約や就業規則の根拠規定か、対象労働者との個別合意が必要になります。

 昨日ご紹介した、京都地判令5.1.26労働判例1282-19 住友生命保険(費用負担)事件は、この個別合意との関係でも重要な判断を示しています。何が重要なのかというと、自由な意思の法理の適用を認めていることです。

 自由な意思の法理とは、賃金や退職金の不利益に係る個別合意の効力を論じる中で生じてきた

「労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である」(最二小判平28.2.19労働判例1136-6山梨県民信用組合事件)

とする考え方です。

 上記山梨県民信用組合事件以降、その適用範囲は賃金等の不利益変更以外の場合にまで拡張される傾向にあります。錯誤や詐欺、強迫といった意思表示の瑕疵がない場合であっても合意の効力を否定できるところにその意味があります。

3.住友生命保険(費用負担)事件

 本件で被告になったのは、生命保険業等を行う会社です。

 原告になったのは、被告の営業職員の方です。賃金から被告が業務上の経費を控除したことは労働基準法24条1項の全額払原則に反すると主張し、控除された分の支払い等を求める訴えを提起したのが本件です。

 原告が賃金から控除された費目には、携帯端末使用料、機関控除金(被告が週1回発行するチラシ代など)、会社斡旋物品代(「SUMITOMO LIFE」のロゴ入りチョコレート・飴等の販促品代など)がありました。

 本件では、こうした費用を賃金から控除することが許されるのかが争点になりました。

 裁判所は、労使協定の効力を認めたうえ、個別合意と自由な意思の法理との関係について、次のとおり判示しました。

(裁判所の判断)

「本件協定は、労働基準法24条1項ただし書の協定として、同項本文の原則違反を免れさせるものであるが、労働契約上、賃金からの控除を適法なものとして認めるためには、別途、労働協約又は就業規則に控除の根拠規定を設けるか、対象労働者の同意を得ることが必要である。」

(中略)

「原告は、労働契約において労働者に費用負担をさせることは、憲法、民法、労働基準法に反するものであって許されず、違法であると主張し、これに沿う意見書(甲101)を提出するので、以下検討する。」

「まず、上記意見書は、営業職員に対し、事業遂行上発生する営業活動費を原則として全額負担させることの適法性をその検討事項とするものであるところ、本件においては、前記⑴で判断したとおり、営業活動費を原告の負担とする旨の本件合意が成立したとは認められず、問題となるのは、各物品の購入等に係る個別合意の適法性ということになる。」

「原告は、労働契約上、労働者が生み出す成果を使用者に帰属させつつ、その対価として労働者に賃金請求権を肯定する一般雇用原則が存在することを根拠に、使用者の指揮命令下における事業遂行のために生じた費用は使用者が負担すべきであると主張する。」

「しかしながら、上記原則をもって使用者と労働者の個別合意により事業遂行上の費用の一部を労働者の負担とすることが直ちに排斥されるとまではいえず、むしろ労働基準法89条5号のように、就業規則によって労働者に費用負担をさせる場合があることを定めた条項が存在することからすれば、使用者と労働者との間の合意によりこれを定めることも許容されているというべきである。」

「原告は、報償責任原則及び危険責任原則からすれば、特段の事情がない限り、業務遂行費用は使用者が負担すべきであると主張する。」

「しかしながら、上記・・・(ママ)と同様に、これらの原則をもって使用者と労働者の個別合意により事業遂行上の費用の一部を労働者の負担とすることが直ちに排斥されるとまではいえないと解される。」

「原告は、委任契約における費用償還規定(民法650条1項)の法思想が労働契約に及ぶことを主張の根拠に挙げるが、同規定は任意規定であり、当事者間の合意による排除も可能であるから、同規定の存在により、費用負担に関する個別合意がおよそ違法になるとはいえない。」

「原告は、被告が業務遂行費用を営業職員に負担させることは、労働基準法16条及び24条1項に違反するものであり、同法89条5号の適用範囲は制限すべきであると主張する。」

「しかしながら、業務遂行費用の負担に関する個別合意は、違約金を定め、損害賠償額を予定する契約とは異なり、必ずしも労働者を身分的に拘束したり、労働者に過度な負担を負わせるともいえないから、個別合意をすることが直ちに同条の趣旨に反するとまではいえない。」

「また、労働基準法24条1項については、前記・・・で判示したとおり、労働者がその自由な意思に基づいて同意したものであれば、労働者に費用負担をさせても同項違反となるものではない。」

「原告は、営業職員にだけ費用負担をさせるのは社会的身分に基づく差別又は性差別であり、公序良俗に反して無効であると主張する。しかしながら、本件において、原告を含む営業職員の負担とされている費用は、保険契約の締結及び保全に向けた営業活動に伴い生じる費用であって、営業職員以外の職員とは、その職務の内容に応じて違いを設けているものであるから、社会的身分又は性別に基づく不合理な差別であるとは認め難い。」

「以上によれば、原告の主張はいずれも採用できず、本件費用の負担に関する個別合意の締結が、直ちに憲法、民法、労働基準法に違反し、無効となるとはいえないと解される。」

もっとも、賃金全額払の原則の趣旨とするところに鑑みれば、賃金からの控除が適法に認められるためには、労働者がその自由な意思に基づいて合意したものである必要があるというべきである。そして、本件においては、被告は、原告を含む被告の全従業員(管理監督者等の一部の従業員を除く。)が加入する組合との間で、本件協定を締結しているものではあるが、そのような経緯があっても、控除の対象が、使用者から義務付けられ、労働者にとって選択の余地がない営業活動費である場合には、自由な意思に基づく合意とはいえず、賃金からの控除は許されないものと解される。

4.賃金減額を対照とする個別合意ではないが・・・

 賃金控除の合意は費用を賃金から控除することの可否であり、自由な意思の法理が対象としてきた賃金減額の合意とは異なります。

 しかし、裁判所は、賃金控除の合意にも自由な意思の法理が適用されると判断しました。これは自由な意思の法理の拡張場面の一つとして参考になります。

 

営業活動の費用を賃金控除の対象にできるのか?

1.賃金全額払いの原則とその例外

 労働基準法24条1項は、

賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。ただし、法令若しくは労働協約に別段の定めがある場合又は厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合においては、通貨以外のもので支払い、また、法令に別段の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合においては、賃金の一部を控除して支払うことができる。

と規定しています。

 この条文には複数のテーマが織り込まれているのですが、傍線を付した部分を「全額払いの原則」ないし「全額払原則」といいます。

 全額払いの原則とは、噛み砕いていくと、

使用者は労働者に賃金全額を支払わなければならない、

ただし、法令に定めがあったり、労使協定があったりする場合にのみ、例外的に一定の費目を控除することが可能になる、

というルールをいいます。

 法令に定めがある場合の例としては、給与所得税の源泉徴収や、社会保険料・労働保険料の控除などが挙げられます。

 労使協定がある場合の例としては、組合費のチェック・オフが典型とされています(水町勇一郎ほか編著『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕617頁参照)。

 今回のテーマは、この「労使協定がある場合」の対象です。

 どのような費目を労使協定の対象にできるのかに関しては、昭和27年9月20日基発第675号という通達に規定されています。これによると、労働基準法24条1項但書は、

購買代金、社宅、寮その他の福利厚生施設の費用、労務用物資の代金、組合費等、事理明白なものについてのみ・・・賃金から控除することを認める趣旨である」

とされています。

 それでは、労使協定によって、営業活動費を賃金控除の対象にすることは許されるのでしょうか?

 近時公刊された判例集に、この問題を論じた裁判例が掲載されていました。京都地判令5.1.26労働判例1282-19 住友生命保険(費用負担)事件です。

2.住友生命保険(費用負担)事件

 本件で被告になったのは、生命保険業等を行う会社です。

 原告になったのは、被告の営業職員の方です。賃金から被告が業務上の経費を控除したことは労働基準法24条1項の全額払原則に反すると主張し、控除された分の支払い等を求める訴えを提起したのが本件です。

 原告が賃金から控除された費目には、携帯端末使用料、機関控除金(被告が週1回発行するチラシ代など)、会社斡旋物品代(「SUMITOMO LIFE」のロゴ入りチョコレート・飴等の販促品代など)がありました。

 本件では、こうした費用を賃金から控除することが許されるのかが争点になりました。賃金控除の可否は、

賃金控除に関する労使協定の有効性、

賃金控除の合意の存否、有効性、

と二つの段階で検討されます。

 このうち第一段階の労使協定の有効性について、裁判所は、次のとおり述べて、その有効性を認めました。

(裁判所の判断)

「被告は、組合との間で、営業職員の給与から、『募集資料等有料物品購入代金』、『市場対策・販売促進経費個人負担金』、『通信教育経費および各種受験経費個人負担金』、『会社設備使用時の個人負担金』、『会社が認めた諸研修会費』など、所定の費目を控除することができる旨を定めた本件協定を締結しており、これが労働基準法24条1項ただし書の『協定』に該当すると主張するのに対し、原告は、本件協定は、使用者が負担すべきものを労働者に負担させており、かつ、その具体的費目や金額が特定されていないから、事理明白なものであるとはいえず、無効であると主張する。

「そこで、本件協定が事理明白なもので有効といえるかについて検討する。」

「賃金は、直接労働者に、その全額を支払わなければならず(賃金全額払の原則。労働基準法24条1項本文)、使用者が賃金支払の際に適法に控除を行うためには、書面による協定が必要である(同項ただし書)。賃金全額払の原則の趣旨とするところは、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその保護を図ろうとするものである。」

「同項ただし書については、購買代金、社宅、寮その他の福利、厚生施設の費用、社内預金、組合費等、事理明白なものについてのみ、労使協定によって賃金から控除することを認める趣旨であるとされ、少なくとも①控除の対象となる具体的な項目、②各項目別に定める控除を行う賃金支払日が記載される必要があると考えられている(昭和27年9月20日基発675号、平成11年3月31日基発168号。甲20)。そして、ここでいう事理明白であることについて、厚生労働省は、社宅や寮の費用など、労働者が当然に支払うべきことが明らかなものを意味するとし、例えば、労働者が自主的に募金に応じる場合にはその募金額はこれに該当すると考えられる一方で、募金に応じる意思がない労働者の賃金から義援金として一律に控除することは認められないと解している・・・。」

「以上を踏まえると、事理明白なものとは、労働者が当然に支払うべきことが明らかなものであり、控除の対象となることが労働者にとって識別可能な程度に特定されているものでなければならないが、労働者がその自由な意思に基づいて控除することに同意したものであれば、労働者が当然に支払うべきことが明らかなものに該当すると認めることができ、上記規定に違反するものとはいえないと解するのが相当である。

「これを本件についてみるに、機関控除金に係る物品代及び会社斡旋物品代は本件協定に定める項目のうち『募集資料等有料物品購入代金』に該当し、異業種交流会兼名刺交換会の費用は『市場対策・販売促進経費個人負担金』に該当し、本件携帯端末使用料は『会社設備使用時の個人負担金』に該当し、JAIFA年会費及びオール住生会会費は『会社が認めた諸研修会費』に該当するとみることができ、控除の対象となることが労働者にとって識別可能な程度には特定されているものと認められ、また、控除される賃金支払日も『毎月24日』と定められている・・・。」

そうすると、上記控除対象項目が、労働者がその自由な意思に基づいて同意したものであれば、労働者が当然に支払うべきことが明らかなものとして、上記規定に違反するものではないといえる。

したがって、本件協定は、労働者がその自由な意思に基づいて同意したものに適用する限りにおいては、事理明白なものであり、有効であると認められる。

3.会社が負担すべき経費を労働者の賃金から天引きしてよいのか?

 今回問題となった費用は、会社の事業活動のために発生する経費という意味合いが強いように思います。こういった費用は賃金控除以前の問題として、そもそも労働者に転嫁すること自体に違和感があります。

 裁判所が、労働者への転嫁が許容されることを前提に、労使協定で賃金控除の対象にできると判示した点は、本当にそれが法の趣旨に適っている解釈なのかには、疑問を禁じ得ません。

 しかし、従前それほど十分な議論が行われてこなかったこの問題について、本件のような判断を示した裁判例が出現したことには、留意しておく必要があります。

 

危険な作業を指導する者の注意義務-指導どおりに作業できなかったら声を掛けるよう注意喚起するだけでは足りない

1.危険な作業を指導する者の注意義務

 危険な作業に従事していると怪我をすることがあります。完全に自業自得である場合は仕方がないのですが、指導、監督する立場にある方の指導方法等に問題がある場合は少なくありません。こうした場合、怪我をした方は、指導、監督する立場にある人の過失を捉えて損害賠償を請求することがあります。

 しかし、このような損害賠償請求事件では、しばしば、

「作業工程で問題があったら声をかけるように注意喚起していた。報告がなかったのだから事故は防ぎようがなかった。」

という反論が行われます。

 それでは、このような言い分には理由があるのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪高判令5.1.12労働判例ジャーナル133-44 加古川市事件です。

2.加古川市事件

 本件で原告(控訴人)になったのは、図画工作(図工)の授業を受けていた際、同級生が木材に打ち込まれた釘を抜くために使用していたマイナスドライバーの先端が当たって左目を負傷した小学生です。負傷の原因が市職員(公務員)である教諭の指導、監督の在り方にあるとして、加古川市を相手取り、国家賠償請求訴訟を提起しました。

 原審が原告の請求を棄却したことを受け、原告側が控訴したのが本件です。

 本件控訴審裁判所は、原判決を破棄し、教諭の義務違反を認め、市側に2000万円以上の損害賠償の支払いを命じる判決を言い渡しました。

 この判決は、教諭の負う注意義務や、教諭が児童の行動及び立ち位置を監視すべき義務に違反したのかどうかを判断するにあたり、次のとおり判示しました。

(裁判所の判断)

「工具を使う図工の授業においては、工具それ自体が児童の生命や身体に危害を及ぼす危険性のある刃物類や工具の通常の使用によっては危険性を生じさせないとしても、その使用方法によっては危険を生じさせる可能性のある金属類が含まれているから、児童がこれらを適切に使用することができるように、児童の理解度や習熟度に応じて、教諭が適切に指示した上これを監督すべき注意義務がある。小学生は、一般に工具に対する理解度や習熟度が低く、その危険性を認識せずに工具を使用し、また工具を使用する場所で行動するおそれが高くなるから、教諭は、より一層児童に対する指導監督に配慮すべき注意義務を負うことになると解される。

(中略)

「本件方法は、前記・・・で説示したとおり、小学4年生の児童にとっては難易度が高く、他の児童の身体に対する危険性を伴うものである。」

「したがって、本件方法(マイナスドライバーを釘抜きのために用いる方法 括弧内筆者)を小学4年生に指導する教諭としては、釘の頭と木材との間にマイナスドライバーを差し込むことができない児童がいないか、また、本件方法による作業をしている児童の周辺や正面に児童が近づいていないかを監視するべき注意義務があったというべきである。」

「原判決引用に係る認定事実のとおり、控訴人とfは、向かい合って、一方が木材を押さえ、一方が片手でマイナスドライバーを持って本件方法による作業に取り組み、しかも、本件方法によって釘の頭を起こすことができなかったため、本件方法を交互に複数回行っていたにもかかわらず、e教諭は、控訴人とfの上記の行動に気付かなかったものである。本件事故そのものが発生したのは一瞬のことであったとしても、e教諭が、図工室全体の児童の動静を注視していれば、控訴人とfとが向き合って本件方法による作業を行っていることに気付くことは可能であり、本件方法による作業の中断を指示するか,向き合って作業をしないよう指示することによって本件事故の発生を防ぐことができたと認められる。」

「なお、被控訴人は、e教諭は指導どおりに作業ができないときにはe教諭に声を掛けるよう注意喚起していたから、注意義務違反はない旨主張するが、e教諭の上記注意喚起は作業を円滑に進めるためのものであって、本件方法に伴う事故を防ぐためのものではないから、上記注意喚起をもってe教諭に注意義務違反がなかったとはいえない。

「以上によれば、e教諭は、児童の行動及び立ち位置を監視すべき注意義務に違反したことが認められる。」

3.労働者が受傷した事案ではないが・・・

 本件は学校事故の事案であって、労働者が仕事中に受傷した事案ではありません。

 また、被害者が小学生であること、工具を本来的な用法とは異なる用法で用いたことなど、注意義務を加重されたとしても仕方がない事情もあります。

 それでも、

「e教諭は指導どおりに作業ができないときにはe教諭に声を掛けるよう注意喚起していたから、注意義務違反はない旨主張するが、e教諭の上記注意喚起は作業を円滑に進めるためのものであって、本件方法に伴う事故を防ぐためのものではないから、上記注意喚起をもってe教諭に注意義務違反がなかったとはいえない。」

という部分は、労働事件にも応用可能な判示だと思います。特に、非熟練労働者が危険な作業に従事していた場合や、機械工具類が本来的でない用法で使われている事案において、「声を掛けるよう注意喚起していた」といった反論が出てきた場合に、本件は活用できる可能性があります。

 

公務員の懲戒処分-量定資料をどこまで出させるか

1.処分量定を争う

 懲戒処分の効力を争う場合、大抵の事案では処分量定が議論の中心になります。何の非違行為もないのに懲戒処分が行われることは、それほど多くないからです。一定の非違行為の存在を前提としたうえ、当該非違行為に比して処分が重すぎるのではないかが争われることになります。

 ここで重要な意味を持つのが量定資料です。量定資料とは同種事案でどのような懲戒処分が行われてきたのかを示す資料をいいます。多少の例外はありますが、懲戒処分を行う場合、処分行政庁は先例の存在を強く意識します。先例と懸け離れた処分を行うと、平等原則違反や比例原則違反を問題にされるからです。審査請求や取消訴訟で懲戒処分野効力を争うにあたっては、処分行政庁に対し、処分量定を決めるうえで参考にした先例や類似事案がどのようなものだったのかを明らかにさせ、その先例や類似事案と対照しながら、処分が重すぎるといえるのではないかを検討、議論して行くことが基本になります。

 昨日ご紹介した、東京地判令4.7.14労働判例ジャーナル133-38 国・陸上幕僚長事件は、先例や類似事案を活用した議論の仕方という観点からも、示唆を含んでいる事案です。

2.国・陸上幕僚等事件

 本件で原告になったのは、陸上自衛隊の2等陸曹の方です。銀行の〇駅東口出張所(本件出張所)において、他人がATM付近に置き忘れた現金3万円を窃取したとして(本件規律違反行為)、懲戒免職処分、退職手当支給制限処分(全部不支給)を受けました。

 これに対し、懲戒免職処分(本件処分)は重きに失すると主張し、その取消を求めて出訴したのが本件です。

 裁判所は、結論において、本件処分を適法、有効だと判示しましたが、量定資料に立脚した原告の主張を、次のとおり述べて排斥しました。

(裁判所の判断)

「原告は、自衛隊員以外の公務員が行った窃盗行為に対して、停職処分がされた事例があることを指摘する。しかし、公務員に対する懲戒処分をする際の懲戒権者の裁量権を論ずる上では、当該公務員の職務内容を無視することはできない上に、原告の指摘する事例の具体的事情も明らかではないことから、これらの事例を、本件処分が裁量権の範囲を逸脱し又は濫用したものであるか否かを判断する上で比較の対象とすることは、相当とはいえない。

「また、原告は、陸上自衛隊において窃盗事案に対して免職処分がされた各事例・・・について、確定的故意によるものや、駐屯地内の窃盗事案、民家への侵入窃盗事案が含まれることを指摘して、本件規律違反行為はそれらと比較して悪質性が低い旨主張する。しかし、上記各事例については、規律違反行為の類型、故意の有無、被害金額という類型的に明確な事情以外の個別具体的事情が明らかでなく、本件規律違反行為と上記各事例における違反行為の悪質性を厳密に比較することは困難である上に、そもそも、懲戒権者に裁量があることを踏まえれば、本件処分が、社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を逸脱し、これを濫用したものか否かを判断する上で、上記・・・で説示した処分の傾向の有無を超えて、個別の行為の悪質性の大小を比較することは相当とはいえず、原告の上記主張は採用することができない。

「さらに、原告は、自衛隊法38条1項1号が、禁錮以上の刑に処せられたことを隊員の欠格事由と定めていることを指摘して、本件規律違反行為について不起訴処分がされている原告に対し、懲戒免職処分をすることは相当でない旨主張する。しかし、欠格事由は、国民全体の奉仕者として公務の執行に当たる国家公務員である自衛隊員は、国民の信頼を得るに足りる者であることが必要であることから定められたものであるのに対し、懲戒事由は、自衛隊の組織秩序及び規律の維持のためには自衛隊内部で制裁を課すことが必要であることから定められたものであって、欠格事由と懲戒事由は、その性質、目的を異にするものである。したがって、自衛隊法38条1項1号に上記欠格事由の定めがあるからといって、懲戒免職処分ができる場合を、禁錮以上の刑に処せられた場合に限ると解するのは相当とはいえない。原告の上記主張は採用することができない。」

3.分からないという理由で切り捨てられるのなら・・・

 上述したとおり、裁判所は具体的事情が明らかではないという理由で処分量定の不均衡を指摘する原告の主張を排斥しました。

 しかし、参考にした先例や類似事案の詳細は、別に明らかにできないわけではありません。裁判所が処分行政庁に詳細を明らかにするように指示すればよいだけです。処分行政庁といえども、裁判所からの指示を無視することは事実上困難です。

 本件のように、具体的事情が良く分からないという理由で処分量定に関する主張が排斥されてしまうのであれば、原告公務員側は、気になる先例や類似事案について、概要だけではなく詳細を明らかにして欲しいという要望について、絶対に引いてはならないなと思います。

 裁判所の側もこうした反応を意識してか、処分行政庁には裁量があるから、そもそも処分の傾向の有無を超えて、個別の行為の悪質性の大小を比較することは相当とはいえないという議論で自説を補強しています。こうした観点から原告の要望が採用されないことはあるかも知れません。

 しかし、上訴審で問題にする余地を残すため、裁判所から採用しないと判断されるのは仕方ないにしても、原告公務員側から先例や類似事案の詳細を明らかして欲しいという要望を撤回するようなことは避けた方がいいように思われます。

 

公務員の懲戒処分-ATMに置き忘れられていた3万円の窃取は懲戒免職を正当化するほど重大な非違行為なのか?

1.懲戒処分の処分量定

 公務員に限った話ではありませんが、懲戒処分には軽重があります。そして、懲戒処分の軽重は非違行為の軽重と相関する関係にあります。非違行為が重大であればあるほど重い懲戒処分になり、非違行為が軽微であればあるほど軽い懲戒処分になるといったようにです。

 それでは、ATMに置き忘れられていた現金3万円の窃取は、窃盗としてどのレベルに位置付けられるのでしょうか? 懲戒免職処分を正当化するほど重い非違行為と言えるのでしょうか?

 近時公刊された判例集に、この問題を扱った裁判例が掲載されていました。東京地判令4.7.14労働判例ジャーナル133-38 国・陸上幕僚長事件です。

2.国・陸上幕僚等事件

 本件で原告になったのは、陸上自衛隊の2等陸曹の方です。銀行の〇駅東口出張所(本件出張所)において、他人がATM付近に置き忘れた現金3万円を窃取したとして(本件規律違反行為)、懲戒免職処分、退職手当支給制限処分(全部不支給)を受けました。

 これに対し、懲戒免職処分(本件処分)は重きに失すると主張し、その取消を求めて出訴したのが本件です。

 裁判所は、次のとおり述べて、懲戒免職処分を行った懲戒権者(陸上幕僚長)の判断に裁量の逸脱、濫用はないと判示しました。

(裁判所の判断)

・判断枠組み

「公務員に対する懲戒処分について、法に定める懲戒事由がある場合に、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員の上記行為の前後における態度,懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきかを決定する裁量権を有しており、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を逸脱し、これを濫用したと認められる場合に限り、違法であると判断すべきものである(最高裁昭和47年(行ツ)第52号同52年12月20日第三小法廷判決・民集31巻7号1101頁、最高裁昭和59年(行ツ)第46号平成2年1月18日第一小法廷判決・民集44巻1号1頁、最高裁平成23年(行ツ)第263号、同年(行ヒ)第294号同24年1月16日第一小法廷判決・裁判集民事239号253頁参照)。」

「陸上自衛隊においては、前記・・・のとおり、懲戒処分基準達が懲戒処分の種類及び程度を決定するために必要な基準を具体的に定めている。これは、懲戒処分の公平性を担保し、懲戒権者の判断が恣意に流れることのないように、自ら判断の基準を定めたものと解されるから、懲戒権者は、懲戒処分を行う場合、原則として、懲戒処分基準達に従って懲戒処分を選択すべきものと解される。」 

「本件規律違反行為は、原告が、銀行出張所内において、他人が同所のATM付近に置き忘れた現金3万円を窃取したというものであるから、本件別表『4 私的行為に関する違反』のうち『(26)窃盗・詐欺・恐喝・単純横領等』に当たる。そこで、この点に関する本件別表記載の適用基準の定めに照らして、本件規律違反行為が、処分基準として『免職』が定められている違反態様が『重大な場合』、処分基準として『停職の重処分』が定められている違反態様が『軽微な場合』、又は処分基準として『軽処分』が定められている違反態様が『極めて軽微な場合』のいずれに当たるかを検討する。

・懲戒処分基準達への当てはめ

・適用基準への当てはめ

「本件別表『4 私的行為に関する違反』のうち『(26)窃盗・詐欺・恐喝・単純横領等』における処分基準は、隊員が公金官物以外の財物について窃取、詐取、喝取、横領に該当する行為を行った場合に適用するとされ、その適用基準においては、違反態様が『重大な場合』、『軽微な場合』又は『極めて軽微な場合』のいずれに該当するかは、『損害の有無及び程度、違反者の地位階級、違反行為の内容並びに部内外に及ぼす影響等を考慮して判断するもの』と規定されている。そして、各場合についての一応の基準として、『『重大な場合』とは、隊員としての品位を著しく傷つけ、又は自衛隊の威信を著しく損する場合をいう。』、『『軽微な場合』とは、『重大な場合』に至らないが対象金額が低い場合、違反行為の内容が悪質ではない場合又は財物を一時使用した場合をいう。』、『『極めて軽微な場合』とは、『軽微な場合』には至らないが対象金額が極めて低い財物を窃取した場合又は占有離脱した財物を横領した場合をいう。』と規定されている。」

「以上を踏まえて検討するに、本件被害金の金額は3万円であり、社会観念上それなりに高額であるということができ、『軽微な場合』の例として挙げられている『対象金額が低い場合』には当たらない。

「原告の地位階級は、幹部自衛官ではないものの、准曹士自衛官の中位である2等陸曹であり、前記・・・のとおり、陸士を教育、指導し、上位階級を補佐する立場にあり、中堅の自衛官として、その地位階級にふさわしい振る舞いが求められていたということができる。」

「本件規律違反行為の内容についてみても、本件被害者が銀行出張所内に本件被害金の入った封筒を置き忘れたという偶然の状況を前提とするものではあるが、上記封筒が、前記・・・のとおり個室状に区切られたスペースに設置されていたATM付近にあったことからすれば、少なくとも本件出張所の設置者である銀行の本件被害金に対する事実的支配はいまだ強固であったと認めることができるから、上記銀行による事実的支配が相対的に弱い状態であったという原告の主張は採用することができず、本件規律違反行為が、占有離脱物横領に類するような窃盗行為の中で特に軽微なものであったということはできない。」

「さらに、本件規律違反行為は、原告が、封筒を手に取った際に、厚みを感じて現金が入っているのではないかと思いつつ、これを持ち去った・・・)という故意行為である(未必の故意であっても、故意行為であることには変わりがない。)。以上に加えて、

〔1〕原告の家計が、月額給与の手取額に相当する住宅ローンの返済等の固定的な支出を抱えており、親族の経済的な援助も期待することができず、妻も精神疾患があって就労ができなかったこと・・・、

〔2〕原告が、本件被害金を、本件規律違反行為の翌月に行った引越し代金約16万円の支払の一部として費消し、本件規律違反行為の約6か月後に警察から呼出しを受けるまで何らの申告をもしなかったこと・・・、

〔3〕封筒の中に現金が入っているのではないかと思いつつ当該封筒を持ち帰った理由について、原告自ら『ちょっと現金が必要だった』と述べていること・・・

を併せ考慮すると、本件規律違反行為は、行為の時点では確定的なものではなかったにせよ、本件被害金を、引越し代金を含む家計支出に当てる目的で行われたものであることが推認される。したがって、本件規律違反行為の時点では、本件被害金をアパートの引越し代に当てるつもりはなく、『アパートを引っ越すときにちょっと手持ちがなかったので、ちょっと拝借をしてしまっ』た旨の原告の供述・・・は採用することができない。」

「以上からすれば、本件規律違反行為は、『軽微な場合』の例として挙げられている、『違反行為の内容が悪質ではない場合』又は『財物を一時使用した場合』のいずれにも当たらない。

(中略)

本件規律違反行為は、懲戒処分基準達によれば、免職相当ということになる。そして、前記・・・のとおり、陸上自衛隊において、本件処分に近い時期に、被害額が同等以下の窃盗行為を理由とする免職処分が複数されており、停職処分がされた事例もあるものの、停職処分がされた事例の中に、被害額が本件と同等のものは見当たらないという、同種の事案に対する処分の傾向を踏まえても、懲戒権者である陸上幕僚長の裁量権の行使に基づく本件処分が、社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を逸脱し、これを濫用したものということはできない。

したがって、本件処分は、適法なものであったというべきである。

3.裁判所の見方は厳しい

 ATM内に置き忘れられていた3万円を持ち去ったことは不適切であることは言うまでもありません。

 しかし、直観的には懲戒免職にするほど高額・重大事案といえるのかは議論の余地があるように思います。公務員の場合、懲戒免職処分と退職手当の不支給が紐づいているのですが、原告が不支給とされた退職手当は699万6441円にも及びます。公金を窃取したのであればともかく、公務外の非行で職を剥奪されたうえ、約700万円に及ぶ退職手当まで不支給とされるのは幾ら何でも行き過ぎではないかという見方もあっていいように思います

 それでも、裁判所は、懲戒免職処分を適法、有効だと判示しました。

 結論の当否に議論はあると思われますが、公務員の非違行為に対する裁判所の厳しい姿勢がうかがわれます。

 

家族宛ての帰宅メールに基づいた労働時間立証が認められた例

1.労働時間の立証手段

 労働時間の立証手段となる証拠には、

機械的正確性があり、成立に使用者が関与していて業務関連性も明白な証拠

成立に使用者が関与していて業務関連性は明白であるが、機械的正確性のない証拠、

機械的正確性はあるが業務関連性が明白でない証拠、

機械的正確性がなく、業務関連性も明白でない証拠、

の四類型があります(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ』〔青林書院、改訂版、令3〕169頁参照)。

 家族に対して帰宅を知らせるメールは、

機械的正確性はあるが業務関連性が明白でない証拠

に該当します。業務関連性が必ずしも強いとはいえないため、家族に対して帰宅を知らせるメールをもとに労働時間立証が認められることは、それほど多いわけではありません。

 しかし、近時公刊された判例集に、帰宅メール(何時着の列車に乗って帰宅するかを連絡する妻宛てのメール)に基づいた労働時間立証が認められた裁判例が掲載されていました。東京地判令4.5.19労働経済判例速報2508-26 国・日立労働基準監督署事件です。

2.国・日立労働基準監督署事件

 本件は労災の不支給処分の取消訴訟です。

 原告になったのは、茨城県日立市に所在する勤務先会社(本件会社)の事業場(本件事業場)において、組込みハード開発部組込ハードグループの主任技師として、プログラムの論理設計や検証業務を行っていた方です。平成22年2月上旬に精神障害(反復性うつ病性障害)を発症し、合計3回の休職を経た後、平成29年9月30日に本件会社を退職しました。

 退職前、原告は精神障害が業務に起因すると主張して、療養補償給付を請求しました。しかし、平成29年11月17日、日立労働基準監督署長は、原告の業務による心理的負荷の程度が精神障害を発症させるおそれのあるものであったとは認められないとして、不支給処分を行いました(本件処分)。これに対し、審査請求、再審査請求を経て、取消訴訟を提起したのが本件です。

 結論として取消請求は棄却されているのですが、裁判所は、次のとおり述べて、労働時間を認定しています。

(裁判所の判断)

「原告は、勤休システムは、実際の労働時間を報告したものではなく、原告ノート、卓上カレンダー、帰宅メール及び保安記録表による別紙1の始業・終業時刻が正しい旨主張する。そして、原告は、勤休システムに始業・終業時刻をありのまま報告しなかった理由について、本件会社において、設計開発の案件ごとに予算があり、予算の範囲内で設計開発を達成する必要があるため、Dなどの管理職が作業者に対し、月ごとの作業時間を示し、その範囲内で労働時間を勤休システムに報告するように指示されていたからである旨供述する・・・。」

「確かに、原告は平成22年2月4日及び同年3月1日の未明まで本件事業場にいたことが保安記録により認められ・・・、この事実とDと原告とのメールの内容・・・を併せると、原告は、上記両日の前日から上記両日の未明まで本件プロジェクトの作業のため本件事業場に滞在していたことが認められるところ、勤休システムにはその記録はなかった・・・。また、Dと原告との間のメールの内容から・・・、原告が平成22年1月10日、同月11日及び同月24日に休日出勤したこと、同月20日に残業したことが認められるが、勤休システムにはその記録はなかった・・・。これらのことからすれば、原告の労働時間が、勤休システムにおいて報告された範囲に止まるものであったと認めることはできない。」

(中略)

「他方で、原告が根拠とする原告ノート及び卓上カレンダーに記載された労働時間は、その正確性について確認した者がおらず、いつ記載されたか外形上明らかなものではなく、日々の労働時間をありのまま記録したものといえるかが不明なものであり、労働時間の記録として採用することはできない(原告ノートに関しては、5年以上経過した後の平成28年10月頃に記載したというのであるから、なおさら採用できない。原告本人p8)。」

「帰宅メールは、メールを表示した画面を映した写真のみが現存し、データとしては存在していないが・・・、これに一部対応する妻の返信メールがデータとして現存していること・・・、休日である平成22年3月12日にも仕事帰りのような帰宅メールをしたのは・・・、妻へのホワイトデーのプレゼント購入のため妻に内緒で買い物に行ったからであるとの原告の主張は不合理ではないこと、車による迎えの依頼に対する妻からの返信メールがない日があることや、妻が返信に使用していた機器がWILLCOM03製ではなかったにもかかわらず原告が使用していた機種による『sent from WILLCOM03』といった記載の返信メールがあること(甲26、別紙6参照)についての原告の説明・・・が家族間のメールのやりとりとして不自然、不合理であるとはいえないことからすれば、上記・・・のとおりの日時に送信されたものと認めるのが相当である。」

「そうすると、原告は、平成21年9月1日から平成22年2月9日まで、別紙1の『帰宅電車/小木津駅着』の列の時刻(ただし、平成22年1月13日、同月14日及び同月21日については、別紙1の上記列の時刻を、上記・・・のメールのとおり『22時45分』と訂正する。)に小木津駅に着く列車に乗って、勤務先から帰宅したものと認められる。そして、原告が執務室からその最寄駅の大甕駅まで移動するには15~20分は必要であった・・・。

そうすると、原告は、必ずしも、帰宅メールで乗車したと伝えた列車が大甕駅を発車する時刻の20分前まで就労していたとはいえないものの、その一本前の列車に乗れるならば、その列車に乗ったはずであるから、少なくとも、一本前の列車に乗れない時刻までは就労していたものと認められる。したがって、原告は、少なくとも、原告が乗車した列車の一本前の列車の大甕駅発車時刻の19分前まで(その時刻が所定終業時刻である午後5時10分より前のときは同時刻まで)就労していたものと認められる。また、平成22年2月3日は、保安記録表のとおり翌日5時50分までは就労していたものと認められる。これらを総合し、原告の労働時間を推計すると、別紙3のとおりとなる。

3.労災事件であって残業代請求事件ではないが・・・

 本件は労災の取消訴訟であって残業代請求ではありません。 

 しかし、令和3年3月 30 日基補発 0330 第1号「労働時間の認定に係る質疑応答・参考事例集の活用について」は、

「労災認定における労働時間は労働基準法第32条で定める労働時間と同義である」

としています。

 よくよく裁判例を分析していると、労災認定における労働時間と労働基準法上の労働時間の概念とは必ずしも一致するものではないのですが、大部分において重複しているのは確かです。つまり、労災の可否との関係で労働時間性を認定した裁判例であったとしても、残業代請求の事件で引用することも可能です。

 本件は帰宅メールによる労働時間立証が認められた事例として、労災だけではなく、残業代請求の場面でも活用して行くことが考えられます。

 

不向きな業務への片道切符-無理なら戻ってもいいという約束を反故にして逃げ道を塞いでしまうことの持つ心理的負荷

1.精神障害の労災認定

 精神障害の労災認定について、厚生労働省は、

平成23年12月26日 基発1226第1号「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(最終改正:令和2年8月21日 基発0821第4号)

という基準を設けています。

精神障害の労災補償について|厚生労働省

https://www.mhlw.go.jp/content/000661301.pdf

 この認定基準は、

対象疾病を発病していること(第一要件)、

対象疾病の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること(第二要件)、

業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発病したとは認められないこと(第三要件)、

の三つの要件が満たされる場合、対象疾病を業務上の疾病として取り扱うとしています。

 この認定基準は、行政に留まらず、多くの裁判所でも業務起因性の判断枠組として採用されています。

2.具体的な出来事-配置転換

 第二要件、「業務による強い心理的負荷」の認定に関し、認定基準は「業務による心理的負荷表」(別表1)という一覧表を設け、「具体的出来事」毎に、労働者に与える心理的負荷の強弱の目安を定めています。

 この心理的負荷表は労働者に心理的負荷を生じさせる様々な出来事をカバーしており、大抵の出来事はこの表のどこかに当てはまります。

 しかし、労働者の心理的負荷の原因となる全ての事象がカバーできているわけではありません。それでは、心理的負荷表の「具体的出来事」にぴったりと当てはまらない出来事の心理的負荷は、どのように評価するのでしょうか?

 この場合、類似する「具体的出来事」を探し、それに準じて心理的負荷の強弱を図るというアプローチが多いように思われます。

 昨日ご紹介した岡山地判令4.3.30労働経済判例速報2508-8 国・笠岡労働基準監督署長事件は、非典型的な出来事の心理的負荷をどのように評価するのかという観点からも興味深い判断を示しています。

3.国・笠岡労働基準関東所長事件

 本件は労災の不支給処分に対する取消訴訟です。

 原告になったのは、建築資材の販売・配送業及び飲食業を目的とする会社(本件会社)で勤務していた方です。元々、建築資材の配送業務に従事していたのですが、ラーメンチェーン店のフランチャイズ店(本件店舗)に唯一の正社員として異動になりました。その後、体の不調を感じ、医療機関を受診したところ「ストレス反応性うつ病」との診断を受けました(本件疾病 なお、労災の専門部会では原告の傷病名は「適応障害」と判断されています)。

 これを受けて原告が休業補償給付の支給を請求したところ、労働基準監督署長(処分行政庁)から不支給処分を受けたため、審査請求、再審査請求を経た後、その取消を求めて提訴したのが本件です。

 本件では異動による心理的負荷をどのように評価するのかがポイントになりました。この論点について、被告国側は、適応障害の発症の約8か月前の出来事であったことから「そもそも心理的負荷の評価の対象となる出来事ではない」と主張しました。

 裁判所は、異動の心理的負荷を「強」ないし「強に近い中」であるとして、適応障害の発症の業務起因性を認め、労災の不支給処分を取消しましたが、被告国側の主張を排斥するにあたり、次のような判断を示しました。

(裁判所の判断)

「・・・原告の本件店舗への異動(配置転換)ないしそれに伴う仕事の内容・質・量の変化は、原告に大きな心理的負荷を生じさせるものであったといえ、その心理的負荷の強度は『強』ないし『強に近い中』であったものというべきである。」

「この点につき、被告は、配置転換(本件店舗への異動)は、原告の本件疾病発病の約8か月以上前の出来事であり、そもそも心理的負荷の評価の対象となる出来事ではない旨主張する。」

「確かに、認定基準は、心理的負荷の評価の対象を、発病前おおむね6か月の間に生じた出来事としている。」

「しかし、本件店舗への異動から本件疾病の発病までの期間は、8か月半程であり、上記の対象期間と大きく乖離しているとまではいえない。」

「また、前記認定事実によれば、本件店舗への異動は、とりあえず4~5か月働いてみて、無理なら配送業務に戻ってもいいという話で行われたものであり、当初の異動(平成27年8月の異動)は、いわば試行的な側面を有するものであったといえる。実際に本件店舗での勤務を開始した後、上記のとおり、原告の従前の経験・能力と飲食店業務ないし店長候補として原告に期待される業務とのギャップが顕在化し、原告は、同年10月頃には、本件店舗での勤務を続けられないと感じて、D社長に配送業務に戻してほしいと訴えたものの、まだ2か月しか経っていないなどと説得されて、結局、本件店舗での勤務を続けることなったものである。原告は、その後も、様々な指導・注意を受けることが続き、当初に言われた4~5か月を経過した後の平成28年2月下旬にも、D社長に、本件店舗での業務は自分には向いていないので配送業務に戻してほしいと訴えたものの、D社長の考えは、原告に店長になってほしいというもので、結局、配送業務には戻れず本件店舗での勤務を続けることになり、同年3月9日にはオーナー総会に参加することになり、これにより、配送業務に戻れる可能性が事実上なくなり、本件店舗で店長候補として勤務して頑張って店長になるしかない状況になったものである。原告は、それまでは、自己の経験・能力とギャップのある本件店舗での業務を、向いていない、うまくできなくて情けないなどといった大きな心理的負担を感じながらも、無理なら配送業務に戻ってもいいという話(約束ないし期待、逃げ道)がある中で、とりあえず頑張ってみていたところ、上記のとおり、同年2月下旬から3月上旬にかけて、配送業務に戻ってもいいという話(約束ないし期待)が反故にされ、本件店舗での勤務を頑張って店長になるしかない状況に追い込まれたものといえる。この出来事は、大きな心理的負担のある本件店舗での勤務から離れるという期待を砕かれ(逃げ道を断たれ)、大きな心理的負担のある本件店舗での勤務を続けた上、店長という重い責任のある立場になっていかなければならないことを明確に認識・覚悟させるものであり、それ自体、当初の異動の際の心理的負荷に劣らない大きな心理的負荷を生じさせる出来事であったというべきである。この出来事は、D社長から配送業務に戻ってもいいという話(約束ないし期待)を反故にされたという点では、友人・先輩の裏切り(認定基準別表2の類型⑥では『Ⅱ(中)』とされているが、上記は、会社の社長による業務上での裏切りといえるものである。)よりも大きな心理的負荷を生じさせるものといえるし、経験も能力も不足していて適性があるとはいえないのに店長になれるように頑張るしかなくなったという点では、相当な努力をしても達成困難なノルマが課された(認定基準別表1の項目8)のと類似の大きな心理的負荷を生じさせるものといえるのであり、その心理的負荷の強度は『強』ないし『強に近い中』というべきである。

「上記の同年2月下旬から3月上旬にかけての出来事は、本件疾病の発病から6か月以内のものであり、これを独立の出来事として評価する余地もあるが、とりあえず4~5か月働いてみて、無理なら配送業務に戻ってもいいという話で行われた当初の異動と密接に関連するもので、向いていない本件店舗での勤務という不快な境遇ないしそれによるストレスが持続する中で起こったものであることや、本件疾病の発病に至る経過や期間(当初の異動から1度目の配送業務への復帰要望の不実現まで約2か月、それから上記出来事(配送業務復帰の断念と店長になるしかないという達成困難なノルマ賦課)まで約4か月、それから発病まで約2か月)などに照らせば、当初の出来事(本件店舗への異動)と上記の出来事とは、一連の出来事としてその全体を一つの出来事として評価するのが相当であり、その心理的負荷の強度は『強』あるいは『強に近い中』であると評価するのが相当である。」

「被告の上記主張は、本件店舗への異動に係る心理的負荷、すなわち当初の異動による心理的負荷も、その後の上記出来事による心理的負荷も無視するものであって、不適切である(認定基準が、関連する出来事が複数ある場合は全体評価を行うこととした趣旨にも沿わない。)といわざるを得ず、採用できない。」

4.無理なら戻ってきてもいいという約束を反故にすることの心理的負荷

 裁判所は、

「配送業務に戻ってもいいという話(約束ないし期待)が反故にされ、本件店舗での勤務を頑張って店長になるしかない状況に追い込まれた」

出来事の心理的負荷を評価するにあたり、

別表2の「友人・先輩の裏切り」

別表1の「達成困難なノルマが課された」

が参考にされました。なお、別表2というのは「業務以外の心理的負荷評価表」と呼ばれるもので、業務外で存在する具体的出来事とそれに対応する心理的負荷の強弱をまとめた表になります。

 使用者に広範な配転権限が認められていることもあり、配転によって自分の希望とは異なる業務に就くことを余儀なくされている労働者は少なくありません。そうした労働者が心身のバランスを崩した時に、労災が認められるのかどうかは切実な問題です。

 本件の判示は、配転により精神障害を発症した労働者が労災を申請するにあたり、参考になります。