弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

人材不足を背景とする適材適所ではない異動後に発症した精神障害に労災が認められた例

1.精神障害の労災認定

 精神障害の労災認定について、厚生労働省は、

平成23年12月26日 基発1226第1号「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(最終改正:令和2年8月21日 基発0821第4号)

という基準を設けています。

精神障害の労災補償について|厚生労働省

https://www.mhlw.go.jp/content/000661301.pdf

 この認定基準は、

対象疾病を発病していること(第一要件)、

対象疾病の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること(第二要件)、

業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発病したとは認められないこと(第三要件)、

の三つの要件が満たされる場合、対象疾病を業務上の疾病として取り扱うとしています。

 この認定基準は、行政に留まらず、多くの裁判所でも業務起因性の判断枠組として採用されています。

2.具体的な出来事-配置転換

 第二要件、「業務による強い心理的負荷」の認定に関し、認定基準は「業務による心理的負荷表」(別表1)という一覧表を設け、「具体的出来事」毎に、労働者に与える心理的負荷の強弱の目安を定めています。

 具体的な出来事の中には、配置転換もあります。配置転換の基本的な心理的負荷は「中」とされており、「過去に経験した業務とは全く異なる質の業務に従事することになったため、配置転換後の業務に対応するのに多大な労力を要した」場合など、一定の限定的な理由がある場合には「強」になるとされています。

 この配置転換の心理的負荷の認定について、近時公刊された判例集に、興味深い裁判例が掲載されていました。岡山地判令4.3.30労働経済判例速報2508-8 国・笠岡労働基準監督署長事件です。何が興味を惹くのかというと、人材不足を背景とする適材適所ではない異動後に発症した精神障害に労災(業務起因性)が認められたことです。

3.国・笠岡労働基準関東所長事件

 本件は労災の不支給処分に対する取消訴訟です。

 原告になったのは、建築資材の販売・配送業及び飲食業を目的とする会社(本件会社)で勤務していた方です。元々、建築資材の配送業務に従事していたのですが、ラーメンチェーン店のフランチャイズ店(本件店舗)に唯一の正社員として異動になりました。その後、体の不調を感じ、医療機関を受診したところ「ストレス反応性うつ病」との診断を受けました(本件疾病 なお、労災の専門部会では原告の傷病名は「適応障害」と判断されています)。

 これを受けて原告が休業補償給付の支給を請求したところ、労働基準監督署長(処分行政庁)から不支給処分を受けたため、審査請求、再審査請求を経た後、その取消を求めて提訴したのが本件です。

 本件において、裁判所は、次のとおり述べて、「強」ないし「強に近い中」の心理的負荷が発生していると判断しました。結論としても、不支給処分は取り消されるに至っています。

(裁判所の判断)

本件店舗への異動(配置転換)は、それまでの基本的には個人で指示された業務をこなしていれば足りた配送業務から、飲食店業務という調理や接客を伴い、他の従業員と協力しながら成果を上げる集団(チーム)での業務へと大きな変化を伴うものであり、内容的にも質的にも従前の業務ないし過去に経験した業務と全く異なる質の業務への異動であったといえる。また、それまで、原告は、配送業務を担当している複数の従業員(正社員)の中の1人として勤務していたところから、本件店舗の店長候補、唯一の正社員として、いずれは同店の他のアルバイト従業員らの指導監督や業績の維持向上を含めたマネジメントも行うことを期待されて異動したものであり、客観的には相応に重い責任を負うべき立場となったものである。

しかも、上記の異動は、本件会社において、本件店舗の店長不在(正社員不在)の状態が数か月続き、代わりの店長が見つからなかった(要するに人材不足であった。)ため、原告のことをコミュニケーション能力がない、半人前などと評価していたにもかかわらず、行われたものである。上記異動は、本件店舗の店長候補として原告が適任だとして行われたものではなく、他に適当な選択肢がなかったから行われたものといわざるを得ないのであり、もともと、原告の従前の経験・能力と、原告に期待された本件店舗での店長候補としての業務とは、大きなギャップがあったというべきである。実際、上記異動後、原告なりに一生懸命に業務に取り組んでいたものの、効率的に仕事ができず、同じようなミスを繰り返し、Hから指導された内容も十分実行することができず、Gから同じような注意を何度もされていたり、フライパンマイスターの資格も通常の時期には取得できなかったりしたほか、事実上本件店舗のマネジメントを行っていたGや、他のアルバイト従業員らとの関係も良好とはいえないものであったのであり、原告自身、本件店舗での業務は向いていないと感じ、原告の指導を担当していたHも、本件店舗の店長には向いていないと感じていたものである。」

「さらに、上記異動後、原告は、効率的に仕事ができないことや要領が悪いことなどもあり、おおむね月80時間程度(多いときには月100時間程度)もの時間外労働が生じるようになったものである。」

これらの諸事情に照らせば、原告の本件店舗への異動(配置転換)ないしそれに伴う仕事の内容・質・量の変化は、原告に大きな心理的負荷を生じさせるものであったといえ、その心理的負荷の強度は『強』ないし『強に近い中』であったものというべきである。

4.この種の労災は今後増加して行くのではないか

 正社員の人材不足を背景に、この種の異動・配転と従業員の精神障害・精神疾患との業務起因性が争われる事例は、今後増えて行くのではないかと思います。

 そうした事例の処理にあたり、本裁判例の論の進め方は大いに参考になります。

 

事業場外労働のみなし労働時間制の適用に雇用契約書や就業規則での定めは必要ないのか?

1.事業場外労働のみなし労働時間制

 労働基準法38条の2第1項は、

「労働者が労働時間の全部又は一部について事業場外で業務に従事した場合において、労働時間を算定し難いときは、所定労働時間労働したものとみなす。ただし、当該業務を遂行するためには通常所定労働時間を超えて労働することが必要となる場合においては、当該業務に関しては、厚生労働省令で定めるところにより、当該業務の遂行に通常必要とされる時間労働したものとみなす。」

と規定しています。これは一般に「事業場外労働のみなし労働時間制」と呼ばれています。

 「みなす」というのは反証が許されないことを意味します。つまり、所定労働時間以上に働いていたことが立証できたとしても、所定労働時間働いたものとして扱われます。但書があるためあまり無茶はできないにしても、こうしたルールは、しばしば残業代(所定労働時間外の労働の対償)を踏み倒すために濫用されます。

 このように濫用の危険を孕んだ制度(事業場外労働のみなし労働時間制)を導入・運用するにあたっては、雇用契約書や就業規則の定めなど、労働契約上の明確な根拠が必要ではないのでしょうか?

 昨日ご紹介した東京高判令4.11.16労働経済判例速報2508-3 セルトリオン・ヘルスケア・ジャパン事件は、この問題を取り扱った裁判例でもあります。

2.セルトリオン・ヘルスケア・ジャパン事件

 本件は残業代請求の可否を主要なテーマとする事件です。

 被告(被控訴人)になったのは、医薬品の製造及び販売等を業とする株式会社です。

 原告(控訴人)になったのは、被告に入社してから退職するまでの間、医療情報担当者(MR=Medical Representative)として働いてきた方です。原告には事業場外労働のみなし労働時間制が適用されていましたが、「労働時間を算定し難い」との要件に該当しないなどと主張し、割増賃金を請求しました。

 一審は、原告の主張を排斥し、本件には事業場外のみなし労働時間制の適用が認められるとして、割増賃金請求を棄却しました。これに対し、原告側が控訴したのが本件です。

 控訴審において、この事件の原告(控訴人)は、事業場外労働のみなし労働時間制の適用を受けるためには、雇用契約書又は就業規則にその旨が明記されていなければならないと主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、原告(控訴人)の主張を排斥しました。

(裁判所の判断)

「週報は、エクセルの1枚の表に、1週間単位で、当該MRが担当する施設ごとに、業務を行った日付とその内容とを入力するものであり、内容欄のセルには相当の文字数の文章を自由に入力することができるから・・・、被控訴人は、MRに対し、週ごとに、事後的にではあるが、MRが1日の間に行った業務の営業先と内容とを具体的に報告させ、それらを把握することが可能であったといえる。」

「また、週報には始業時刻や終業時刻等の記入欄はないものの、被控訴人は、平成30年12月、従業員の労働時間の把握の方法として本件システムを導入し、MRに対して、貸与しているスマートフォンから、位置情報をONにした状態で、出勤時刻及び退勤時刻を打刻するよう指示した上、月に1回『承認』ボタンを押して記録を確定させ、不適切な打刻事例が見られる場合には注意喚起などをするようになった。そうすると、平成30年12月以降、被控訴人は、直行直帰を基本的な勤務形態とするMRについても、始業時刻及び終業時刻を把握することが可能となったものといえる。」

「そして、被控訴人は、本件システムの導入後も、MRについては一律に事業場外労働のみなし制の適用を受けるものとして扱っているが、月40時間を超える残業の発生が見込まれる場合には、事前に残業の必要性と必要とされる残業時間とを明らかにして残業の申請をさせ、残業が必要であると認められる場合には、エリアマネージャーからMRに対し、当日の業務に関して具体的な指示を行うとともに、行った業務の内容について具体的な報告をさせていたから、本件システムの導入後は、MRについて、一律に事業場外労働のみなし制の適用を受けるものとすることなく、始業時刻から終業時刻までの間に行った業務の内容や休憩時間を管理することができるよう、日報の提出を求めたり、週報の様式を改定したりすることが可能であり、仮に、MRが打刻した始業時刻及び終業時刻の正確性やその間の労働実態などに疑問があるときには、貸与したスマートフォンを用いて、業務の遂行状況について、随時、上司に報告させたり上司から確認をしたりすることも可能であったと考えられる。」

「そうすると、控訴人の業務は、本件システムの導入前の平成30年11月までは、労働時間を算定し難いときに当たるといえるが、本件システムの導入後の同年12月以降は、労働時間を算定し難いときに当たるとはいえない。」

控訴人は、当審において、労基法38条の2第1項により事業場外労働のみなし制の適用を受けるためには、雇用契約書又は就業規則により同項の適用があることを明記しなければならないと主張するが、事業場外労働のみなし制は、労基法の規定に基づく制度であり、雇用契約書又は就業規則に別途定めを置くことは要件とされていないから、控訴人のこの主張は採用することができない。

「以上によれば、控訴人の被控訴人における業務は、事業場外での労働に当たり、本件システムの導入前の平成30年11月までは、労働時間を算定し難いときに当たり、事業場外労働のみなし制が適用されるが、同年12月以降は、労働時間を算定し難いときには当たらず、事業場外労働のみなし制は適用されない。」

3.東京高裁は消極の判断をしたが・・・

 上述のとおり、東京高裁は、事業場外労働のみなし労働時間制の適用にあたり、雇用契約や就業規則上の根拠は必要とされないと判断しました。

 しかし、事業場外労働のみなし労働時間制は、本来的には実労働時間に基づいて割増賃金を請求できる場合であったとしても、それができなくなる(所定労働時間労働したものと擬制される)という不利益と結びついています。

 また、労働基準法の基本原則は実労働時間の計測・管理であって、事業場外労働のみなし労働時間制は「労働時間を算定し難いとき」にのみ適用される例外的なルールとして位置付けられています。例外的なルールを適用するのであれば、本則ではなく敢えて例外を適用することについて、労働契約上の明確な根拠(雇用契約での合意、就業規則の定め)がなければ、労働者にとって不意打ちになりかねません。 

 裁判所の判断に疑問はありますが、東京高裁がこの問題に消極の立場をとったことには留意しておく必要があります。この判断が今後定着して行くのか、裁判例の動向が注目されます。

 

残業代請求の可能性-システム導入によって、事業場外労働のみなし労働時間制が適用できなくなった例

1.導入時に適法だったら、その後もOK?

 労働基準法38条の2第1項は、

労働者が労働時間の全部又は一部について事業場外で業務に従事した場合において、労働時間を算定し難いときは、所定労働時間労働したものとみなす。ただし、当該業務を遂行するためには通常所定労働時間を超えて労働することが必要となる場合においては、当該業務に関しては、厚生労働省令で定めるところにより、当該業務の遂行に通常必要とされる時間労働したものとみなす。」

と規定しています。これは一般に「事業場外労働のみなし労働時間制」と呼ばれています。

 「みなす」というのは反証が許されないことを意味します。つまり、所定労働時間以上に働いていたことが立証できたとしても、所定労働時間働いたものとして扱われます。但書があるためあまり無茶はできないにしても、こうしたルールは、しばしば残業代(所定労働時間外の労働の対償)を踏み倒すために濫用されます。

 この事業場外労働のみなし労働時間制について、近時公刊された判例集に興味深い裁判例が掲載されていました。東京高判令4.11.16労働経済判例速報2508-3 セルトリオン・ヘルスケア・ジャパン事件です。この裁判例の何が興味深いのかというと、システム導入前は適法、システム導入後は違法という判断がされている点です。

2.セルトリオン・ヘルスケア・ジャパン事件

 本件は残業代請求の可否を主要なテーマとする事件です。

 被告(被控訴人)になったのは、医薬品の製造及び販売等を業とする株式会社です。

 原告(控訴人)になったのは、被告に入社してから退職するまでの間、医療情報担当者(MR=Medical Representative)として働いてきた方です。原告には事業場外労働のみなし労働時間制が適用されていましたが、「労働時間を算定し難い」との要件に該当しないなどと主張し、割増賃金を請求しました。

 一審は、原告の主張を排斥し、本件には事業場外のみなし労働時間制の適用が認められるとして、割増賃金請求を棄却しました。これに対し、原告側が控訴したのが本件です。

 本件の裁判所も結論として原告の請求は認めていないのですが、事業場外のみなし労働時間制に関しては、次のとおり述べて、システム導入以後の適用は認められないと判示しました。なお、ここでいう「システム」とは「労働者が、パソコン又はスマートフォンで同システムにログインした後に、打刻画面において『出勤』又は『退勤』ボタンを押すことによって、出勤時間又は退勤時間が打刻されるシステム」を意味しています。

(裁判所の判断)

「週報は、エクセルの1枚の表に、1週間単位で、当該MRが担当する施設ごとに、業務を行った日付とその内容とを入力するものであり、内容欄のセルには相当の文字数の文章を自由に入力することができるから・・・、被控訴人は、MRに対し、週ごとに、事後的にではあるが、MRが1日の間に行った業務の営業先と内容とを具体的に報告させ、それらを把握することが可能であったといえる。」

「また、週報には始業時刻や終業時刻等の記入欄はないものの、被控訴人は、平成30年12月、従業員の労働時間の把握の方法として本件システムを導入し、MRに対して、貸与しているスマートフォンから、位置情報をONにした状態で、出勤時刻及び退勤時刻を打刻するよう指示した上、月に1回『承認』ボタンを押して記録を確定させ、不適切な打刻事例が見られる場合には注意喚起などをするようになった。そうすると、平成30年12月以降、被控訴人は、直行直帰を基本的な勤務形態とするMRについても、始業時刻及び終業時刻を把握することが可能となったものといえる。」

「そして、被控訴人は、本件システムの導入後も、MRについては一律に事業場外労働のみなし制の適用を受けるものとして扱っているが、月40時間を超える残業の発生が見込まれる場合には、事前に残業の必要性と必要とされる残業時間とを明らかにして残業の申請をさせ、残業が必要であると認められる場合には、エリアマネージャーからMRに対し、当日の業務に関して具体的な指示を行うとともに、行った業務の内容について具体的な報告をさせていたから、本件システムの導入後は、MRについて、一律に事業場外労働のみなし制の適用を受けるものとすることなく、始業時刻から終業時刻までの間に行った業務の内容や休憩時間を管理することができるよう、日報の提出を求めたり、週報の様式を改定したりすることが可能であり、仮に、MRが打刻した始業時刻及び終業時刻の正確性やその間の労働実態などに疑問があるときには、貸与したスマートフォンを用いて、業務の遂行状況について、随時、上司に報告させたり上司から確認をしたりすることも可能であったと考えられる。」

「そうすると、控訴人の業務は、本件システムの導入前の平成30年11月までは、労働時間を算定し難いときに当たるといえるが、本件システムの導入後の同年12月以降は、労働時間を算定し難いときに当たるとはいえない。

「控訴人は、当審において、労基法38条の2第1項により事業場外労働のみなし制の適用を受けるためには、雇用契約書又は就業規則により同項の適用があることを明記しなければならないと主張するが、事業場外労働のみなし制は、労基法の規定に基づく制度であり、雇用契約書又は就業規則に別途定めを置くことは要件とされていないから、控訴人のこの主張は採用することができない。」

「以上によれば、控訴人の被控訴人における業務は、事業場外での労働に当たり、本件システムの導入前の平成30年11月までは、労働時間を算定し難いときに当たり、事業場外労働のみなし制が適用されるが、同年12月以降は、労働時間を算定し難いときには当たらず、事業場外労働のみなし制は適用されない。

3.事業場外労働のみなし労働時間制の適用は事後的に不適法になることがある

 入社当時「労働時間を算定し難いとき」に該当して事業場外労働のみなし労働時間制の適用対象とされ割増賃金を請求できなかったとしても、ずっと割増賃金の請求を諦めなければならないわけではありません。

 従来労働時間の算定が困難であったとしても、技術革新やシステムの導入により労働時間の算定が可能になることがあります。こうした場合、その時点から残業代を請求できるようになります。

 冒頭で述べたとおり、事業場外労働のみなし労働時間制は濫用されやすい仕組みです。労働時間の算定が可能になったにもかかわらず、依然として事業場外労働のみなし労働時間制が適用され続け、残業代を払ってもらえないなど釈然としない思いをお抱えの方は、一度、弁護士のもとに相談に行ってみると良いのではないかと思います。もちろん、当事務所でも相談をお受けすることは可能です。

 

タイムカードの文書提出命令-信用性の欠如は必要性を否定するか?

1.時間外勤務手当等の請求(残業代請求)における文書提出命令

 実体的真実を解明するために必要な文書(書証)がある場合、民事訴訟の当事者は、裁判所を通じ、所持者に文書の提出を求めることができます。所持者が任意に文書を提出してくれない場合、当事者は「文書提出命令の申立て」という手続をとることができます(民事訴訟法219条ないし221条)。

 時間外勤務手当等(いわゆる残業代)を請求する訴訟で、使用者側がタイムカード等の労働時間立証に必要な資料を任意に提出してくれない場合、労働者側は文書提出命令の申立てを行うことになります。

 しかし、この文書提出命令の申立てを行うにあたっては「書証の申出を文書提出命令の申立てによってする必要がある」(民事訴訟法221条2項)とされています。

 それでは、対象となる文書に信用性がないことは、提出の必要性を否定する理由になるのでしょうか?

 残業代を請求する訴訟において、使用者が労働時間立証のために必要な資料を全く出さないということは、それほど多くあるわけではありません。そのような誰が見ても不誠実な態度をとれば、裁判所の心証を害すること著しく、どのような判断をされるか分からないからです。

 使用者が労働時間立証のための資料の提出を拒むパターンとしては、既に裁判所に提出されている資料で十分であり、敢えて追加資料を提出する必要性がないのではないかという議論の仕方をすることが多くみられます。

 この時、使用者は、労働者側が求めている書証は労働時間立証の資料として信用性に欠けると主張することにより、必要性を否定することができるのでしょうか? 例えば、労働時間管理は業務日報でやっており、タイムカードには信用性がないから出す必要はないといった議論は通用するのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京高判令4.12.23労働判例ジャーナル133-18 JYU-KEN(旧商号・住建情報センター)事件です。

2.JYU-KEN(旧商号・住建情報センター)事件

 本件は時間外勤務手当等(残業代)を請求する訴訟の中で、原告労働者がタイムカードの提出を求め、文書提出命令を申立てた事件です。

 原審が文書の提出を命じたことを受け、被告使用者は高等裁判所に不服申立て(抗告)をしました。

 この事件で被告使用者(抗告人)は、勤怠管理は業務日報メールで行っており、信用性が高いとはいえないタイムカードを取り調べる必要はないなどと主張して、文書提出命令の申立ての却下を求めました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、文書提出命令を発令した原審判断を維持し、抗告を棄却しました。

(裁判所の判断)

「抗告人は、

(1)従業員の勤怠管理は業務日報メールで行っており、相手方主張の従業員にサイボウズのタイムカード機能への入力を命じたこともなく、それにより賃金計算をしたこともない、同機能は出退勤しなくとも記録を行うことが可能であり、自動入力された時間を変更することができるなど内容の信用性にも限界がある、また、抗告人がサイボウズ社に問い合わせをしたが抗告人のタイムカードの情報は残されていないと回答を受け、相手方からの情報も得られずタイムカードの情報を取得できなかった、

(2)基本事件においては業務日報が提出されており、仮に相手方主張のタイムカードがあったとしても、上記のような信用性の高いとはいえないものを取り調べる必要はない、と主張する。」

「しかしながら、

(1)については抗告人において、上記のタイムカード機能を使用していたことが認められ、そうであれば、導入した抗告人においてタイムカードのデータを保持しているというべきであって、利用契約の契約者である抗告人においてサイボウズ社から入手して提出すること可能であると考えられる。なお、タイムカードの信用性などは文書の所持、保有の事実を左右する事情ではない。

(2)についても、タイムカードの信用性は審理の中で判断されるものであり、受訴裁判所においても必要性があるとしているのであるから、抗告人の主張では本件のタイムカードの取調べの必要性がないとはいえないのであり、抗告人の主張は採用できない。

3.信用性と必要性は別

 上述のとおり、信用性は審理の中で判断されるものであり、必要性を否定する理由にはならないと判断されました。

 より信用できる証拠があるから資料を出す必要はない-こうした議論を主張自体失当として排斥することができるとすれば、それは労働者側にとって画期的なことだと思います。

 文書提出命令の発令の可否を議論する場面において、本裁判例は有力な武器として活用できる可能性があります。

 

中退共の中抜き合意の効力

1.中退共(中小企業退職金共済)

 中退共(中小企業退職金共済)という仕組みがあります。

 これは、中小企業退職金共済法に根拠があり、

事業主が独立行政法人勤労者退職金共済機構(機構)と退職金共済契約を結ぶ、

事業主が毎月の掛金を金融機関を通じて納付する、

従業員が退職したとき、その従業員に機構から退職金が直接支払われる、

仕組みをいいます。

中退共 制度の概要

 それでは、中退共を掛けるものの、事業主の側で中退共よりも低い水準の退職金を定め、労働者との合意のもと、中退共から支払われる退職金を中抜きして交付することは許されるのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地判令4.12.22労働判例ジャーナル133-22 タイムス物流事件です。

2.タイムス物流事件

 本件は会社が原告となって、退職した労働者に対し、金銭の返還を請求した事件です。

 原告になったのは、貨物の輸送等を業とする株式会社です。

 原告は中小企業退職金共済契約を締結する一方、退職金に関して独自の社内規定を有していました。この社内規定は労働組合との間で協定として締結されており、中退共から受け取る解決金の中から社内退職金額を控除して支払うことがなど定められていました。これを根拠として、機構から直接退職金の支払いを受けた元従業員である被告に対し、金銭の返還を求める訴えを提起たのが本件です。

 本件の原告は、協定ではなく合意(本件合意)に基づいて金銭の返還を求めました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、本件合意の効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「中小企業退職金共済法の定め等によれば、同法は、従業員の福祉の増進と中小企業の振興という同法所定の目的を達するため、従業員が、事業主を介することなく、直接、機構から原則として同法の定める額の退職金を取得する仕組みを設け・・・、国は、掛金の助成や事業主に対する税制における優遇といった、通常の退職金制度では認められない措置を講じるものとしている・・・。」

「これを前提に、従業員が、機構から受け取る同法所定の退職金と事業主があらかじめ定めた額との差額を、事業主に対して返還する旨の合意(以下『中退共退職金返還合意」という。)の効力について検討すると、同合意は、使用者である事業主が、労働者である従業員に対し、実質的に、退職金請求権の一部を譲渡することを義務付け、中小企業退職金共済法10条5項の要件を満たさないのに、これが適用された場合と同様の結果をもたらすことを可能とするものといえる。また、中退共退職金返還合意は、事業主が、同法の規定する退職金額よりも低い水準の退職金制度をもうけながら、中退共を利用することによって、国から、より高い水準の退職金の支給を前提とした掛金の助成を受け、自ら運営する退職金制度では得られない税制面の優遇を受けることを可能とするものといえる。」

「これらの点を考慮すれば、中退共退職金返還合意は、中小企業退職金共済法1条、10条5項及び同法20条等の趣旨、目的に著しく反するものであって、民法90条により、無効であると解すべきである。

本件合意も、原告が被告との間で、被告が受け取る機構からの退職金の一部を、事業主である原告が定めた社内退職金の額になるように返還することを内容とするものであり、中退共退職金返還合意に他ならないから、前記・・・のとおり、民法90条により、無効と解すべきである。

3.中抜きは否定された

 制度趣旨から許容されないのではないかと思っていましたが、上述のとおり、裁判所は、民法90条に基づいて本件合意の効力を否定しました。本裁判例は、似たような協定、規定、合意によって中退共の退職金を中抜きされている人の権利擁護を図っていくうえで参考になります。

合意退職・解雇の効力を争っているうちに労働者の就労を前提としない組織運営が定着したことを理由に配転できるのか?

1.退職の効力を争うための時間に起因する問題

 合意退職の効力を争うにしても、解雇の効力を争うにしても、訴訟で一定の判断を得るためにはかなりの時間がかかります。

 最高裁判所が令和3年7月10日に公表した

裁判の迅速化に係る検証結果の公表(第9回)

によると、労働関係訴訟の第一審平均審理期間は15.9月とされています。

裁判の迅速化に係る検証結果の公表(第9回)について | 裁判所

裁判の迅速化に係る検証に関する報告書~目次 | 裁判所

https://www.courts.go.jp/vc-files/courts/2021/09_houkoku_3_minji.pdf

 これだけの時間がかかるとなると、合意退職や解雇の効力が否定され、労働契約上の地位が確認されたとしても、係争中に労働者の就労を前提としない体制へと組織改編が行われてしまっていることがあります。

 こうした場合に、使用者は、復職した労働者に対し、自由に配転を命じることができるのでしょうか? ポストが消滅したことを理由に、左遷したり、未経験の業務に就かせたりすることが許されるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令4.7.5労働判例ジャーナル133-40 メガカリオン事件です。

2.メガカリオン事件

 本件で被告になったのは、iPS細胞株から産生した血小板及び赤血球を用いた血液製剤の開発等を業務とする株式会社です。

 原告になったのは、再生医療科学分野で博士号(医学)を取得し、企業や大学の研究所で再生医療の研究等に従事した後、国立がん研究センター(厚生労働省所管の国立研究開発法人)において、ヒトiPS細胞の再生医療研究やヒトiPS細胞技術のがん治療及び創薬応用研究等に従事してきた方です。平成29年8月1日、被告との間で、京都開発センター長として研究業務の推進や京都開発拠点の組織マネジメントを仕事の内容とする期間の定めのない雇用契約を締結しました。

 しかし、平成30年1月16日、被告は京都開発センターの廃止を理由に原告に退職を勧奨し、同年4月30日付けで合意退職が成立したものとして扱いました。その後、予備的に解雇の意思表示も行ったところ、原告は、合意退職や解雇の効力を争い、労働契約上の地位の確認等を求める訴訟を提起し、勝訴判決を得ました(令和2年12月10日確定)。

 これを受け、被告は、原告に対し、

勤務場所を自宅その他自宅に準じる場所とし、

仕事の内容を競合同行調査、市場動向調査等

とすることを通知しました(本件配転命令)。

 原告は本件配転命令の効力を争いましたが、被告は、賃金支払の停止⇒月額固定求を1%減額する懲戒処分を経た後、配転命令に従わないことを理由に原告を解雇しました。

 これに対し、原告が本件配転命令は無効であると主張し、労働契約上の地位の確認などを求める訴えを提起したのが本件です。

 この事件の裁判所は、次のとおり述べて、配転命令の効力を否定しました。結論としても、解雇は無効であるとし、地位確認請求を認めています。

(裁判所の判断)

「使用者による配転命令権も無制約に行使することができるものではなく、当該配転命令について業務上の必要性が存しない場合、又は業務上の必要性が存する場合であっても当該配転命令が他の不当な動機・目的をもってなされたものであるとき、若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるときなど特段の事情が存する場合は、当該配転命令は使用者が権利を濫用したものとして無効となると解される(労働契約法3条5項、最高裁昭和61年7月14日第二小法廷判決・裁判集民事148号281頁参照)。」

「これを本件配転命令についてみると、被告は、配置転換の必要性として、京都開発センターの廃止後、被告の研究部門では、原告の就労を前提としない組織運営が定着していることを主張するところ、京都開発センターの廃止といっても、同センターで行われていた事業自体は継続され、原告が京都開発センター長として担っていた本件業務を各事業部門の部門長らに分掌させたにすぎず・・・、原告の就労を前提としない組織運営が長期化したのは、被告が京都開発センターの廃止を理由に原告の退職を一方的に推し進めた結果、前訴判決により退職合意の存在及び解雇の効力を否定されたことによるものであって、当該事由は配置転換の必要性として正当なものとはいい難い。

「また、被告は、被告の前CTOの退任に伴いリサーチアナリストの業務を担う人材が必要であることを主張するが、被告の主張立証・・・によっても、従前は前CTOが取締役としての業務に従事しながら行っていたという当該業務を原告に専従させる具体的な必要性が明らかでない上、原告はリサーチアナリストの業務を行った経験がなく(原告本人、弁論の全趣旨)、その適性も未知数であって、配置転換の合理性を認めることも困難である。」

「以上に加え、被告が本件配転命令により就労を命じた業務は、(毎月30時間分の固定残業代を含むものとはいえ)月額117万円という高額な賃金を対価とするものであって、相当高度な専門性や成果が要求されるといえるところ、上記のとおり、原告はリサーチアナリストの業務を行った経験がなく、その適性も未知数である以上、かかる業務に従事する負担や適性不足を理由とする解雇・・・のリスクも看過できないものがあるから、本件配転命令は被告が使用者としての権利を濫用したものとして無効というべきである。」

3.配転の必要性は正当なものでなければならない

 上述のとおり、裁判所は、配転の必要が正当なものとはいいがたいことなどを理由に配転の効力を否定しました。

 配転の必要性に正当性という要件を付け加えたところに本件の特徴があります。本件には、ポストは消滅しても、業務自体が消滅したわけでなかったことも影響しているとは思います。それでも、係争中にポストを消滅させたうえで、地位確認で敗訴すると、本人の未経験・不得手な業務に配転し、改めて退職を促すといった手法が、配転の必要性を根拠付けないと判断された意義は、大きいように思います。

 地位確認請求訴訟で勝訴判決を受けたとしても、長期間仕事から離れた後、業務に戻ろうすると、勤務先との間で摩擦を生じることが少なくありません。本裁判例は、復職後に行われている嫌がらせ的な意図を持った配転に対抗するためのツールとして活用することが期待されます。

 

民族的出自等に関わる差別的思想が放置されることがない職場において就労する人格的利益

1.増える外国人労働者

 外国人労働者は、近年、爆発的に増えています。

 厚生労働省の資料によると、平成20年(2008年)に486,398人であった外国人労働者は、年々増加の一途を辿り、令和4年(2022年)10月末日時点では、1,822,725 人を記録しています。

図表1-1-6 外国人労働者の推移|令和2年版厚生労働白書-令和時代の社会保障と働き方を考える-|厚生労働省

「外国人雇用状況」の届出状況まとめ(令和4年10月末現在)|厚生労働省

 これほどの数になると、外国人と日本の企業との間の労使紛争も目立ってくるようになります。

 昨日、ご紹介した大阪高判令3.11.18労働判例1281-58 フジ住宅ほか事件は、外国人に対する職場環境配慮義務との関係でも、重要な判断を示しています。個人的に特に重要だと思っているのが、民族的出自に関わる差別的思想が放置されることのない職場において就労する人格的利益の存在が承認されているところです。

2.フジ住宅ほか事件

 本件で被告(控訴人兼被控訴人)になったのは、分譲住宅、住宅流通、土地有効活用、賃貸・管理、注文住宅等の事業を営む株式会社と(被告会社)、その創業者でもある代表取締役会長です(被告A)。

 原告になったのは、被告会社に雇用されて働いていた韓国籍の方です。

中国、韓国、朝鮮民主主義人民共和国(中韓北朝鮮)の国籍を有する者を誹謗中傷する旨の得私事的見解が記載された資料を職場で配布されたこと、

教科書展示会に参したうえ、原審被告らが支持する教科書の採択を求めるアンケートの提出を余儀なくされたこと、

上記二つの措置を問題視して本件訴訟を提起したところ、訴訟提起を誹謗中傷する旨の従業員等の感想文等が職場で配布されて報復的非難を受けたこと、

等を理由に、子供の人格権や人格的利益が侵害されたとして、被告らに損害賠償等を請求しました。請求を一部認めた原審の判断に対し、原告、被告の双方が行使したのが本件です。

 この事件の裁判所は、損害賠償請求の可否を判断するにあたり、原告の被侵害利益と被告の職場環境配慮義務について、次のような判断を示しました。なお、控訴審でも原告の損害賠償請求は一部認められています。

(裁判所の判断)

「憲法14条は特に人種による差別を禁止しており、人種差別撤廃条約は、締約国に対し、あらゆる個人、集団又は団体による人種差別を禁止し、終了させるとともに、人種間の分断を強化するようないかなる動きも抑制する義務を課している(人種差別撤廃条約2条1項(d)(e))。当裁判所が原審被告らの不法行為の成否を判断する前提として、原審被告らが原審原告に対して負うべき職場環境に配慮する義務や、原審原告の法的に保護されるべき利益の内容を検討するに当たっても、憲法14条が特に人種による差別を禁止している趣旨や人種差別撤廃条約の国内的実施の観点を考慮しなければならないことは前記したところから明らかである。さらに、平成28年の差別的言動解消法の制定は、憲法制定後、人種差別撤廃条約の加入を経て、現在に至るまでも、なお我が国において本邦外出身者であることを理由とする私人間における不当な差別的言動が行われる土壌が存在しており、これを根絶しようとする国権の最高機関である国会の意思を示したものということができる。差別的な言動は差別的な思想に基づいて発せられるものであるところ、雇用関係において、労働者は、使用者の指揮監督下において労務を提供すべき義務があり、時間的及び場所的な拘束を受ける立場にある一方、使用者は、労働者らに対する指揮監督権や人事権を有し、優越的な地位にある(前記最高裁昭和48年12月12日大法廷判決参照)。使用者が職場において一定方向の内容の意見や思想が表明された資料を継続的にかつ大量に配布したときは、その資料の閲読が使用者により強制されているか否かにかかわらず、労働者らは、使用者において配布される資料の内容に異を唱えることをためらい、迎合することとなりがちであることは、容易に想定することができる。したがって、使用者が、一般に従業員に対し資料の配布その他の方法により働きかけを行うに当たっては、その働きかけの結果、職場において民族的出自等を異にする者に対する差別的思想を醸成し、人種間の分断を強化することがないよう慎重に配慮することが求められるのであり、特に、原審被告らのように、本件自虐史観を克服し、日本人が自国に誇りを持つということを目的として行う場合(前記のとおり、当該目的自体は不当なものではない。)、なおさら、少数派となる民族的出自等を異にする従業員の職場環境に配慮することが求められるというべきである。すなわち、原審被告らは、原審原告に対する関係で、民族的出自等に基づく差別的な言動が職場で行われることを禁止するだけでは足りず、そのような差別的な言動に至る源となる差別的思想が自らの行為又は他者の行為により職場で醸成され、人種間の分断が強化されることがないよう配慮する義務があるものと解するのが相当である。民族的出自等は個人の人格に関わる事柄であり、従業員である原審原告には、私法上、法的保護に値する利益として、自己の民族的出自等に関わる差別的思想を醸成する行為が行われていない職場又はそのような差別的思想が放置されることがない職場において就労する人格的利益(以下単に「本件利益」という。)がある。原審被告らの前記の義務は、このような原審原告の本件利益の存在を前提とし、これを保護するために使用者が負う義務であると解されるのであり、このように解することは、前記の憲法14条、人種差別撤廃条約及び差別的言動解消法の趣旨に合致するというべきである。したがって、原審被告らは、自ら職場において原審原告の民族的出自等に関わる差別的思想を醸成する行為をした場合はもちろん、現に職場において差別的思想が醸成されているのにもかかわらずこれを是正せず、放置した場合には、職場環境配慮義務に違反し、原審原告の本件利益を侵害したものとして、不法行為責任又は債務不履行責任を免れない。

3.差別禁止・差別解消に関する紛争は今後増えるのではないか

 本件は記述することも憚られる差別的な文言を含む文書が配布された特異な事案です。原審被告と同様の行為に及んでいる会社は、私の実務経験を通してみても、流石に見たことがありません。

 また、本件で原審原告になっているのは在日韓国人として昔からいた方であり、近時急激に流入している外国人労働者ではありません。

 しかし、外国人労働者の急増に伴い、今後、差別禁止・差別解消の問題は、遅かれ早かれ表面化してくるのではないかと思います。そうした時に、本件の裁判例が認めた被侵害利益や職場環境配慮義務の考え方は、参考にできる可能性があります。