弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

刑事責任を追及される危険のある解雇理由を争うにあたり、民事訴訟で主張、供述を拒否することをどう考えるか

1.犯罪を理由とする解雇

 詐欺、横領、営業秘密不正取得行為など、犯罪にも該当する行為を理由に解雇されることがあります。

 こうした場合、犯罪の成立を争い、解雇の無効を主張したい労働者としては、

刑事事件において防御活動を行うとともに、

労働事件で解雇理由がないことを主張して行く、

という二本立ての活動を行って行くことになります。

 刑事事件として捜査機関から取調べを受けるにあたっては、しばしば黙秘権の行使(刑事訴訟法198条2項等参照)が有効な防御方法になります。弁解の内容が分からなければ、捜査機関は無罪となり得るあらゆる可能性を潰さない限り安心して起訴することができないからです。黙秘権の中には、黙秘していること自体から罪となるべき事実の存在を推認することの禁止まで含まれています。そのため、犯罪の成立を争う被疑者は取調べに対して安心して黙秘することができます。

 しかし、これと同じような対応を解雇無効を理由とする地位確認請求訴訟でとることに問題はないのでしょうか?

 民事訴訟でどのような主張を行うのかは、各当事者に委ねられています。解雇の効力を争い地位確認請求訴訟を提起した原告労働者の側で、

解雇事由を構成する事実の立証責任は、飽くまでも使用者の側にある、

ついては、解雇事由を構成する事実が存在しないことについて、労働者側で逐一説明する必要はない、

と事情説明を拒否することは、禁止されているわけではありません。

 また、証言が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受けるおそれがある事項に関するとき、証人は証言を拒絶することが認められています(民事訴訟法196条 証言拒絶権)。当事者には明文で証言拒絶権が保障されているわけではありませんが、証言拒絶権を行使できるような場面は、当事者尋問においても陳述を拒否する「正当な理由」があると理解されています(民事訴訟法208条参照)。そのため、刑事責任を追及される危険のある解雇理由に関する被告使用者側からの質問に対しては、当事者尋問における供述や陳述を拒否するといった対応をとることも原理的には可能です。

 そして、

刑事手続と並行して地位確認を求める民事訴訟が進行中である場合(民事訴訟で主張や供述を行うことが、刑事事件で黙秘していることの意義を毀損してしまう場合)や、

黙秘した結果、嫌疑不十分で不起訴になったにすぎない場合(民事訴訟で得られた資料をもとに刑事事件の再起がありえる場合)

など、民事訴訟においても、原告労働者側からの情報提供を拒否したり、被告使用者からの発問に不回答を貫いたりすることに、刑事弁護的な観点からの必要性が認められる局面は確かに存在します。

 このような場面で、裁判所からの釈明に応じなかったり、被告使用者からの発問・質問への回答を拒否したりして、訴訟進行上、労働者に負の影響はないのでしょうか?

 昨日ご紹介した、大阪地判令4.9.15労働判例ジャーナル131-26 高松テクノサービス事件は、この問題を考えるうえでも参考になります。

2.高松テクノサービス事件

 本件で被告になったのは、土木建設工事の施工・請負等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で労働契約を締結し、マンション改修工事の現場監督などの業務に従事していた方です。Cらと共に自動車保険金の詐欺未遂被疑事件で逮捕、勾留された後、

「現役の反社会的勢力であるC・・・と交友していたこと」

等を理由に普通解雇されたことを受け、その無効を主張し、地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です(詐欺未遂被疑事件は解雇後、嫌疑不十分で不起訴)。

 本件の原告は、刑事弁護的なセオリーを重視したのか、被疑事実やCとの関係に関する主張、供述をしないという手続方針を選択しました。

 具体的に言うと、本訴は、次のような経過を辿ったと認定されています。

(裁判所の事実認定)

「原告は、令和3年2月17日、本件訴えを提起した。」

「被告は、令和3年6月8日受付の答弁書において、原告に対し、本件被疑事実の具体的内容(逮捕状・勾留状等に記載されていた被疑事実)、被疑事実に関連する事実関係(車両の車種、価格、購入経緯、保険会社名及び保険内容、保険金受領の有無、仮に保険金支払を拒否されていればその理由等)及びCとの交流の具体的内容(いつ知り合ったか、いつ面会した等)等を説明するように求めたが、原告は、同年7月8日受付の準備書面(1)において、前記各事項について積極的に釈明する考えはない旨を伝えた。」

「当裁判所は、令和3年7月13日に行われた書面による準備手続の協議時、原告に対して、〔1〕原告に対する被疑事実の要旨、〔2〕これに対する原告の認否等、〔3〕Cと原告との関係に関する説明を補充するように促した。」

「原告は、令和3年8月12日受付の準備書面(2)を提出し,令和元年8月2日に自動車を購入して保険契約を締結したこと、令和2年1月29日に車両の盗難事故が発生して被害届を提出したこと、同年3月上旬に保険会社の担当者と複数回の面談をしたこと、Cとは、本件報告書のとおり、保険契約を締結した時期に、知人の紹介を受けて知り合ったこと、原告は、盗難事故が発生した後にCに連絡して具体的な手続への対応を相談したが、これ以外に連絡を取ったことはないことを回答した。」

「当裁判所は、令和3年8月19日、同年9月21日、同年11月1日の書面による準備手続の協議時に、前記ウ〔1〕から〔3〕と同趣旨の説明を求め、原告はこれを検討することとなったが、原告は前記・・・以上の説明をしなかった。」

「被告は、大阪地方検察庁及び大阪府警察本部を文書の所持者として、原告に関する逮捕状請求書、逮捕状、勾留状、Cと一緒に撮影された写真等及びこれに関連する捜査報告書等並びに原告とCとの交友関係に関して収集・作成された記録一切を送付することを求める文書送付嘱託を申し立て、原告はこれに反対した。当裁判所は、令和3年11月1日、これを採用したが、大阪地方検察庁及び大阪府警察本部は、刑事訴訟法47条の趣旨等を理由に送付を拒否した。」

「当裁判所は、令和4年1月24日に行われた書面による準備手続の協議時、改めて、原告に対し、前記ウの〔1〕〔2〕の他、〔3〕原告とC氏との間の保険契約や保険金請求等のやり取りの具体的内容を説明すること及びその前提として、保険金請求手続の内容やその結果等を釈明するように求めたが、原告は、同年2月25日の書面による準備手続の協議時、現時点でこれ以上回答する意向はない旨を述べた。」

「原告は、令和4年6月2日の口頭弁論期日で実施された本人尋問(原告及び被告の双方申請に基づくもの)において、原告代理人弁護士による質問に対しては、概ね前記ウの内容に沿う供述をし(なお、本件報告書の内容と異なり、Cと知り合ったことと自動車の購入は無関係である旨を述べた。)、Cと原告の母が内縁関係にあること、原告がCの運転手を務めたり、暴力団事務所を訪れたりしたこと、原告が山口組の代紋を背にして写真を撮ったこと等の被告主張事実について、いずれも否定する供述をした。」

「これに対し、原告は、被告代理人から別紙・・・記載の事項を質問されたが、Cが怖いのでできるだけ話をしたくないなどと述べて、そのすべてについて陳述を拒否した。また、裁判官から、請求した保険金が支払われたかどうかを質問された際も、陳述を拒否した。」

 このような手続態度のもと、裁判所は、次のとおり述べて、原告とCの交友関係を認定しました。

(裁判所の判断)

「(1)基礎となる事実関係」

「原告の主張等及び書証・・・によれば、

〔1〕原告が、令和元年8月に自動車を購入し、保険会社との間で自動車保険契約を締結したこと、

〔2〕原告が、令和2年1月29日に自動車が盗難にあったとして保険金請求をし、Cが、原告から相談を受け又は請求手続に協力するといった関与をしたこと、

〔3〕Cは、少なくとも平成28年頃には指定暴力団に属する暴力団の幹部を務め、このことはインターネット等を用いて知ることができる状況にあったこと及び

〔4〕原告とCが、詐欺未遂被疑事件である本件被疑事実を理由として、22日間にわたって逮捕及び勾留され、原告を被疑者とし、被告を捜索場所とする捜索差押許可状が発付及び執行されたことを認定することができる。」

「そして、前記〔2〕及び〔4〕の各事実からすれば、

〔5〕原告の行った前記〔2〕の保険金請求に対して保険会社が疑問を抱き、保険金を支給しなかったこと

も容易に推認することができる。」

「また、〔6〕原告がCと知り合った経緯やCが原告の保険金請求の手続に関与した理由及びその具体的な関わりの内容について、原告は本件解雇に至るまで被告に対して説明せず、本件訴訟においても具体的な説明をしていない・・・。

「(2)検討」

「ア Cとの交友関係について」

「原告は建設会社で現場監督などとして勤務している社会人であり、自動車保険の契約及び保険金請求手続に当たって、特段の交友関係もない知人に助言や協力を求めることは通常考え難い。」

「すると、前記(1)〔2〕の事実(原告が自動車の盗難事故にあった際、Cに相談し又はCが請求手続に協力した事実)は、原告とCとの間で、令和2年1月の時点において、交友関係があったことを示すものといえる。」

「イ Cが暴力団幹部であることの認識について」

「そして、このように原告とCとの間で交友関係があったとうかがわれることに加え、原告とCとの間では年齢や職業で特に共通点は見られない中、原告がCと知り合った具体的な経緯についての説明を一貫して拒否していること(同〔6〕)を併せて検討すれば、原告は、Cが暴力団の幹部を務めていることを知りながら、前記アの交友関係を維持していたものと認めるのが相当である。」

「ウ 小括」

「以上によれば、原告は、遅くとも令和2年1月以降、Cが暴力団関係者であることを知りながら交友を維持し、自らの自動車保険契約の締結及び保険金の請求手続に関与させた旨の前記認定事実・・・が認められるというべきである。」

「(3)原告の主張に対する検討」

「ア これに対し、原告は、Cのことを暴力団関係者と知っていたことや原告とCが深い交友関係にあったことを基礎付ける客観的証拠はない旨を主張する。」

「確かに、本件証拠上、原告とCとの交友関係の具体的内容や原告のCに対する認識を直接基礎付ける客観的証拠は見当たらないが、原告の主張及び供述並びに客観的証拠から認められる前記(1)〔1〕~〔5〕の事実関係に加え、原告が具体的説明を拒んでいること等の経緯(前記(1)〔6〕)も併せて検討すれば、本件交友等の存在を推認することができることは前記(2)のとおりである。」

「イ 次に原告は、Cと知り合ったきっかけや保険金請求手続への関わり等を含む事実関係を具体的に主張せず又は本人尋問において供述を拒んだ場面があったのは、暴力団幹部であるCが好まない可能性が高い刑事事件に関する供述等をした場合、原告が報復や要求を受けるおそれがあり、Cのことが怖かったためであると主張し、本人尋問でもこれに沿う供述をしている。」

「しかし、原告がCと知り合った経緯や保険金請求においてCがどのような関与をしたのかを説明したとしても、特にCに不利益が生ずるものではなく、原告に対する報復や要求行為がされる可能性が高まるとは考え難い。しかも、原告は、本人尋問において、原告代理人からの質問には答え、Cとは、保険契約を締結した令和元年8月頃に知人の紹介を受けて知り合ったことや、盗難事故が発生した後にCに連絡して具体的な手続への対応を相談したが、これ以外に連絡を取ったことはないことは供述しているのであって・・・、これに加えて、1回だけ連絡を取ったにすぎない関係であるはずのCと知り合ったきっかけや、保険金請求手続時の同人への相談内容を供述することが、Cを刺激するとは想定し難い。」

「また、原告は、本人尋問において、Cと知り合ったきっかけが自動車の購入と関係するかについては、積極的にCの弁護人である弁護士が作成した本件報告書の内容と矛盾する説明をしているのに対し、原告の説明によればCと無関係であるはずの、原告が購入した自動車の車種や金額、保険契約の内容、保険事故の内容についてすら、一切の供述を拒否している・・・。

「ウ これらの事情に照らせば、原告が暴力団幹部であるCのことを恐れているとしても、原告が、本件訴訟及び本人尋問において、Cと知り合った経緯、同人の保険金請求手続への具体的な関与の態様並びに保険事故及び保険金請求の内容といった事項を説明しなかった理由がこの点にあると認めることはできず、原告は、これらの事項について説明すると、その説明の不自然さが明らかになるか、又は追加の説明が必要となって、Cとの交友関係が推測されることを懸念して、具体的な説明をしないものと考えざるを得ない。

「エ 以上によれば、原告の前記主張を採用することはできない。」

3.民事訴訟では普通に不利益推認が行われた

 上述のとおり、民事事件の裁判所は、主張や供述を控えたことを原告の不利に評価して結論を導きました。

 こうした裁判例をみると、民事訴訟では必ずしも黙秘的な対応で問題がないとはいえず、地位確認訴訟を提起するにあたっては刑事事件の方を優先するのか、民事事件の方を優先するのかの方針選択が必要になってくるといえそうです。

 

暴力団構成員と交友していることを理由とする解雇の可否

1.暴力団排除条項

 企業が暴力団等の反社会的勢力を契約から締め出すための条項を、一般に「暴力団排除条項」といいます。暴力団排除条項には色々なパターンがありますが、

自身及びその関係者が暴力団等の反社会的勢力とは無関係であると確約すること、

相手方が暴力団等の反社会的勢力と繋がりのあることが判明した場合には、損害賠償を行うことなく契約を解除できること、

などを要素としています。

 全国の自治体で暴力団排除条例が整備されるに従って普及が進み、現在では多くの契約書に定型文として挿入されています。

 自社の構成員が暴力団等の反社会的勢力と交友があると、社会的非難の対象になるだけではなく、暴力団排除条項により取引先から契約を解除されかねないため、企業は役員や従業員が反社会的勢力と付き合っていないのかどうかに無関心でいることはできません。

 それでは、暴力団等の反社会的勢力と交友していることは、労働者を解雇する理由になるのでしょうか?

 暴力団等の反社会的勢力との交友が、不適切であることや、各自治体が制定している暴力団排除条例の趣旨に反していることは確かです。

 しかし、元々、私生活領域で誰と付き合うのかは個人の自由に属する事柄ですし、暴力団等の反社会的勢力との交友は労働者の労働能力の評価に影響を及ぼす事情とはいえません。そうであるとすると、交友関係を足掛かりにして暴力団等の反社会的勢力が企業に干渉してくるなどの実害がある場合はともかく、交友関係だけで直ちに解雇が正当化されるのかという疑問もなくはありません。特に、交友していた従業員が、以降の交友を断つと明言している場合は猶更です。

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地判令4.9.15労働判例ジャーナル131-26 高松テクノサービス事件です。

2.高松テクノサービス事件

 本件で被告になったのは、土木建設工事の施工・請負等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で労働契約を締結し、マンション改修工事の現場監督などの業務に従事していた方です。Cらと共に自動車保険金の詐欺未遂被疑事件で逮捕、勾留された後、

「現役の反社会的勢力であるC・・・と交友していたこと」

等を理由に普通解雇されたことを受け、その無効を主張し、地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です(詐欺未遂被疑事件は解雇後、嫌疑不十分で不起訴)。

 原告の方は、身体拘束を受けるまでの間、被告から懲戒処分を受けたことはなく、無断欠勤や勤務態度上の問題を報告されることもありませんでした。また、Cとの関係について「自動車を購入する時に知人から紹介されて知り合った」という以上に具体的な説明をしなかったものの、弁護士経由で、Cの掲示事件の弁護人が作成した「今後はCが原告と関わることはない」等の記載のある報告書を提出していました。

 このような事実関係のもと、裁判所は、次のとおり述べ、解雇は有効だと判示しました。

(裁判所の判断)

・解雇の必要性・合理性

「前記認定事実・・・のとおり、建設業界では、歴史的経緯から、反社会的勢力排除への取組を行っており、被告においても、被告が施主等との取引相手との間で取り交わされる覚書や契約書には、被告の使用人や従業員が反社会的勢力と不適切な関係を有しないことを約する旨の規定が置かれ、これに違反することは契約の解除事由とされていたことが認められる。」

「すると、原告が暴力団幹部と交友関係を維持していると知りながら、原告を雇用し続けることは、被告にとって、施主等の取引先との間で締結し又は締結する契約全般について、解除される危険を生じさせるものであって、被告は、原告を解雇しなければ、事業の遂行自体に支障が生ずる状況にあったと認められる。

・解雇の相当

「被告において反社会的勢力を排除する取組がされており、その従業員が反社会的勢力と関わりを持つことが許されないものであったこと・・・は、被告で働く原告も当然理解していたと考えられるところ、前記認定事実のとおり、原告は、Cのことを暴力団の幹部であると知りながら、令和2年1月まで交友関係を維持していたことが認められる・・・。」

「また、原告は、自らの自動車保険の保険金請求にCを関与させたことが認められる・・・。他人への金銭の請求である保険金請求手続を行うに当たって、暴力団幹部と相談をするなどして関与させることは、私的な飲食といった行為と比べても、反社会的勢力との関わりとして避けるべき程度の高い行為であったということができる。」

「そして、原告は、詐欺未遂罪を被疑事実としてCとの共犯として逮捕、勾留されながら、本件解雇に至るまで、被告担当者に対し、Cとの関係について具体的な説明をしなかった・・・。」

・小括

「以上のとおり、原告は、Cが暴力団幹部であることを知りながら交友関係を維持して保険金請求手続に関与させ、詐欺未遂罪を被疑事実としてCと共に逮捕及び勾留をされながら、Cとの関係について具体的な説明をしなかったのであって・・・、被告は、このような原告との間の雇用関係を維持すれば、取引先との契約全般について解除される危険を負う状況にあったと認められる・・・。」

「すると、被告に、原告を解雇する以外の選択をすることができたとはいえず、原告の本件交友等及びその後の経緯に照らして、これが社会通念上相当でないともいえないから、本件解雇は就業規則35条1項4号所定の解雇事由である『その他のやむを得ない事由』に当たり、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上の相当性を欠くものとも認められない。」

3.暴力団等の反社会的勢力とは関係を持ったらダメ

 上述したとおり、裁判所は、暴力団構成員と交友していることを理由とする解雇を有効だと判示しました。

 原告の方自身の被告の調査への対応の問題もあったとはいえ、解雇までが認められたことは注目に値します。

 厳しい処分が予想されることもあり、やはり、暴力団構成員等、反社会的勢力には近づかないに越したことはありません。

 

通勤手当の不正取得を理由とする普通解雇が否定された例

1.金銭的不正行為を理由とする解雇

 労働契約法16条は、

「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」

と規定しています。客観的合理的理由、社会通念上の相当性の有無は、厳格に審査されるため、そう簡単に解雇権の行使が有効になることはありません。

 しかし、比較的緩やかに解雇の効力が認められる場合も、ないわけではありません。その一つが、金銭的な不正行為を理由とする場合です。

 金銭的な不正行為、特に横領や着服に裁判所は厳しい姿勢をとっています。例えば、東京地判平23・5・25労働経済判例速報2114-13は、バスの乗務員が運賃1100円を着服したことなどを理由に懲戒免職処分を受けた事案で、

「本件懲戒免職処分の処分理由とされた事実をいずれも認めることができるところ、このうち、運賃1100円の不正領得という事実がバスの乗務員として極めて悪質な行為であり、職務上許されないものであることはいうまでもなく、その額の多寡にかかわらず、これが懲戒免職に値する行為であることは明らかである。したがって、その他の処分理由事実について懲戒免職処分事由としての相当性を問うまでもなく、被告東京都交通局長が、本件において懲戒免職処分を選択したことは相当であり、裁量権の逸脱ないし濫用はないというべきである。」

と判示しています。

 上述の裁判例でも示されているとおり、金銭的な不正行為に対しては、少額でも解雇を有効とする例が少なくありません。

 このように金銭的な不正行為を理由とする解雇を争うことは基本的には困難です。

 しかし、近時公刊された判例集に、通勤手当の不正取得の事実を認めながらも、普通解雇の効力を否定した裁判例が掲載されていました。一昨日、昨日とご紹介させて頂いている、大阪地判令4.12.5労働判例ジャーナル131-1 近鉄住宅管理事件です。

2.近鉄住宅管理事件

 本件で被告になったのは、分譲マンション、賃貸マンションの管理等を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で雇用契約を締結し、マンション(本件マンション)の管理員として働いていた方です。

 本件の被告は、本件マンションの住民から新型コロナウイルスが流行しているにもかかわらずマスクをしていないと苦情が届いていることを告げたうえ、原告に対し、他のマンションの清掃業務への配置転換の話をするとともに、本件マンションに立ち入らないように告げました。この配転転換は、管理員として週5日勤務・給与月額16万3000円であったものを、清掃員として週3~5日勤務、給与月額6万円にするというものでした。

 その後、被告は、

原告から電話で退職することにしたという連絡を受けたこと(合意退職の成立)、

新型コロナウイルス対策の不履行と通勤手当の不正受給を理由に原告を解雇したこと

を理由に原告を退職したものと扱いました。

 これに対し、原告は、合意退職の不成立や解雇の無効を主張して、地位確認や賃金の支払等を求める訴えを提起しました(ただし、係争中に定年に達したため、地位確認請求は取り下げています)。

 裁判所は合意退職の成立、新型コロナウイルス対策の不履行(マスク不着用)を理由とする解雇の効力を否定したうえ、次のとおり述べて、通勤手当の不正受給も解雇理由にはならないと判示しました。

(裁判所の判断)

「原告は、被告で勤務を開始した当初は肩書地に居住していたものの、令和2年9月中旬頃、肩書地とは別のマンションに転居しており、通勤経路に変動が生じている・・・。そうすると、原告は、被告に対し、転居の事実(通勤経路の変更)を申告しなければならなかったのであって、申告をせずに従前どおりの通勤手当を受給したことは不正受給となる。」

「しかし、

原告は、当初から実態と異なる通勤経路を申告していたものではなく、勤務期間の途中で転居をしたことで通勤経路が変更になったものであること、

原告が、殊更に転居の事実を秘して、差額の受給を受けることを意図していたことをうかがわせる証拠はないこと

通勤手当の差額は1か月当たり3000円未満(1か月定期券で比較すると2770円)であること・・・、

原告の不正受給の合計額も3万円弱にとどまっていること、

原告が令和3年6月2日の面談において、令和2年9月11日まで遡って通勤手当を清算することを承諾しており(乙1別紙3-1)、本件訴訟においても、具体的な金額の請求がなされればすぐに支払う意思を示していたこと・・・

などからすれば(なお、E課長も原告が翌月以降の賃金から控除してほしい旨を述べていたことを認めている・・・。)、通勤手当に関する原告の行動が規律違反(パートタイマー就業規程45条14号)に当たるとはいえるものの、同事情をもって、原告を解雇することが社会通念上相当であるとまではいうことができない。」

3.意図がなければ争えることもある

 着服横領で解雇の効力を覆せる事案は、あまりありません。本件が金銭の不正取得を理由とする解雇でありながら、その効力を否定できたのは、おそらく着服横領のケースとは異なり、意図的に不正取得したものではなかったという事実が効いているのではないかと思われます。

 金銭的な不正行為を理由とする解雇が争いにくい紛争類型であることは否定できませんが、本件のように故意的・意図的でない事案では、争える余地もなくはありません。

 本件は手当の不正取得・不正受給を理由とする解雇でありながら、その効力が否定された事例として参考になります。

 

マスク不着用を理由とする解雇の可否

1.新型コロナウイルスの流行によって生じた諸問題

 新型コロナウイルスの流行は、労働者の働き方にも多大な影響を与えています。従前は意識されてこなかった様々な問題が議論されています。

 そうした問題の一つに、会社が命じる新型コロナウイルス対策の不履行を理由に労働者を解雇できるのかという論点があります。従来はワクチン未接種との関係で議論されることが多かった論点ですが、最近はマスク着用の拒否との関係で議論されるようにもなっています。

 ワクチン未接種との関係では、厚生労働省が、

「新型コロナウイルスワクチンの接種を拒否したことのみを理由として解雇、雇止めを行うことは許されるものではありません。」

という見解を出したことにより、解雇は不可というのが通説的な見解を占めるようになっています。

新型コロナウイルスに関するQ&A(企業の方向け)|厚生労働省

 それでは、マスク着用との関係での可否は、どのように考えられるのでしょうか?

 近時公刊された判例集に、この論点を扱った裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、大阪地判令4.12.5労働判例ジャーナル131-1 近鉄住宅管理事件です。

2.近鉄住宅管理事件

 本件で被告になったのは、分譲マンション、賃貸マンションの管理等を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で雇用契約を締結し、マンション(本件マンション)の管理員として働いていた方です。

 本件の被告は、本件マンションの住民から新型コロナウイルスが流行しているにもかかわらずマスクをしていないと苦情が届いていることを告げたうえ、原告に対し、他のマンションの清掃業務への配置転換の話をするとともに、本件マンションに立ち入らないように告げました。この配転転換は、管理員として週5日勤務・給与月額16万3000円であったものを、清掃員として週3~5日勤務、給与月額6万円にするというものでした。

 その後、被告は、

原告から電話で退職することにしたという連絡を受けたこと(合意退職の成立)、

新型コロナウイルス対策の不履行と通勤手当の不正受給を理由に原告を解雇したこと

を理由に原告を退職したものと扱いました。

 これに対し、原告は、合意退職の不成立や解雇の無効を主張して、地位確認や賃金の支払等を求める訴えを提起しました(ただし、係争中に定年に達したため、地位確認請求は取り下げています)。

 裁判所は、合意退職の成立を否定したうえ、次のとおり述べて、マスク不着用は解雇理由にならないと判示しました。なお、結論としても、解雇は無効だと判示しています。

(裁判所の判断)

「被告の業務はマンションの管理等であるところ・・・、新型コロナウイルス禍においては、被告が管理するマンションの住民に不安を与えないようにすることが業務の遂行において必要であるといえ、被告が従業員に対して、感染防止対策の徹底を求める通知を繰り返し発出し、マスク着用等の徹底を求めていること・・・も、その表れであるといえる。そうすると、被告の従業員としては、使用者である被告の指示に従って、業務を遂行する際には、新型コロナウイルス感染防止対策を徹底しながら職務を遂行する義務を負っていたことになる。ところが、本件マンションの住民から、原告に関して、『マンション内や通勤途中でお見かけした時は、マスクをされていません』、『いつお見かけしても、マスクをされていない』との連絡がなされているところ・・・、その文言に照らせば、同住民は、原告がマスクを着用しないことが常態化していると認識していたこと、原告の主張・供述を前提としても休暇を取得していた令和3年5月6日に本件マンションの管理事務所を訪問した際もマスクを着用していなかったこと・・・、管理事務所でマスクを外しており、着け忘れた状態で管理事務所の外に出たこともあること・・・、通勤途中にたばこを吸うためにマスクを外していたこともあること・・・などからすれば、原告は、本件マンションで管理員として業務を遂行する際や、通勤の際に、日常的にマスクを着用していなかったことがうかがわれる。そうすると、原告は、本件マンションの管理員として職務を遂行する際に、使用者である被告からの業務上の指示に従っていなかったことになる。

しかし、原告が過去にも被告から同様の行為について注意を受けていたというような事情はうかがわれないこと、潜在的には認定事実・・・の連絡をした住民以外にもマスクを着用しない原告について不快感や不安感を抱いた本件マンションの住民がいたことがうかがわれるものの、現実に被告に寄せられた苦情は1件にとどまっていること、原告の行為が原因となって、本件マンションの管理に係る契約が解約されるというような事態は生じていないこと、E課長も原告に対してマスク未着用に関する注意をしていないことを認めており・・・、ほかに、被告が原告に対してマスク未着用に関する注意をしたことを認めるに足りる証拠もないこと、原告が新型コロナウイルスに感染したことで、本件マンションの住民あるいは被告内部において、いわゆるクラスターが発生したというような事態もうかがわれないことなどからすれば、新型コロナウイルス対策の不履行に関する一連の原告の行動が規律違反(パートタイマー就業規程45条2号)に当たるとはいえるものの、同事情をもって、原告を解雇することが社会通念上相当であるとまではいうことができない。

3.義務付けは可能、解雇の可否は一律には決まらない

 上述のとおり、裁判所は、感染防止対策としてマスクの着用を義務付けることは可能だと判示しました。しかし、マスク不着用を理由に直ちに解雇することまでは認めず、本事案との関係では解雇の効力を否定しました。

 ワクチンとマスクは身体への侵襲度合いから並列には論じられないだろうとは思っていましたが、今回、それが裁判例としても確認されたことになります。

 本件は、マスク不着用と解雇の可否という新しい論点を扱った裁判例として、実務上参考になります。

 

退職の意思表示の慎重な認定-口頭での発言は迅速な介入により覆せる可能性がある

1.退職の意思表示の慎重な認定

 労使間でトラブルになっている時に、売り言葉に買い言葉で辞意を口にしてしまうことがあります。こうした軽率な発言によって、本意ではないにもかかわらず退職扱いされてしまった場面で労働者を保護する法律構成の一つに、

退職の意思表示が行われたといえるのかどうかを慎重に認定すべきである

という議論があります。後先のことを慎重に考えず口をついて出た辞意は「退職の意思表示」とは認められない、ゆえに合意退職(退職の意思表示の合致)は成立しないとする主張です。こうした理屈で合意退職の効力を否定した裁判例が多々あることは、このブログでも紹介してきたとおりです。

 近時公刊された判例集にも、この理屈によって合意退職の成立を否定した裁判例が掲載されていました。大阪地判令4.12.5労働判例ジャーナル131-1 近鉄住宅管理事件です。

2.近鉄住宅管理事件

 本件で被告になったのは、分譲マンション、賃貸マンションの管理等を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で雇用契約を締結し、マンション(本件マンション)の管理員として働いていた方です。

 本件の被告は、本件マンションの住民から新型コロナウイルスが流行しているにもかかわらずマスクをしていないと苦情が届いていることを告げたうえ、原告に対し、他のマンションの清掃業務への配置転換の話をするとともに、本件マンションに立ち入らないように告げました。この配転転換は、管理員として週5日勤務・給与月額16万3000円であったものを、清掃員として週3~5日勤務、給与月額6万円にするというものでした。

 その後、被告は、

原告から電話で退職することにしたという連絡を受けたこと(合意退職の成立)、

新型コロナウイルス対策の不履行と通勤手当の不正受給を理由に原告を解雇したこと

を理由に原告を退職したものと扱いました。

 これに対し、原告は、合意退職の不成立や解雇の無効を主張して、地位確認や賃金の支払等を求める訴えを提起しました(ただし、係争中に定年に達したため、地位確認請求は取り下げています)。

 このような事実関係のもと、裁判所は、次のとおり述べて、合意退職の成立を否定しました。なお、裁判所は、解雇の効力も否定しています。

(裁判所の判断)

被告は、原告が令和3年6月3日にE課長に電話をかけてきて退職することにした旨を述べ、被告も、同日、退職の申出を承諾したから、同日に退職合意が成立した旨主張し、証人Eもこれに沿う供述をする。

しかし、E課長の供述を的確かつ客観的に裏付ける証拠はない。かえって、原告は、同月11日に、F課長から離職票を交付された際に、その作成を拒絶していること・・・、同月14日付けで、被告に対し、勤務地の変更は可能であるが、管理員から清掃員への変更は承服できず、今後も管理員として雇用を続行することを求める旨の書面を送付していること・・・が認められるところ、これらの行為は、原告に退職の意思がなかったことをうかがわせる事情であって、同月3日に退職合意が成立したことと相容れないものである。

「また、仮に、被告が主張するように、原告が同月3日に電話をかけて退職する旨の意思表示をしていたにもかかわらず、同月11日になって、原告が前言を翻して退職しない旨の意向を示したのであれば、F課長としては、その理由を尋ねたり、退職するよう説得することが想定されるが、F課長がそのような行為をした形跡はうかがわれず、また、同日以降に改めて退職届の提出を求めるなど、退職に向けた協議をした形跡もうかがわれない。」

「さらに、被告は、同月24日付けで、原告に対する普通解雇の意思表示を行っているところ・・・、同月3日の時点で退職合意が成立していると認識していたのであれば、既に原告が被告を退職していることになるから、改めて原告を解雇する理由も必要性もないことになる。そうすると、被告が、原告に対する解雇の意思表示を行ったという事実は、退職合意が成立していたことと相容れない事実となる。なお、被告としては退職合意が成立していると認識しているが、原告のその後の言動を踏まえて念のために解雇の意思表示を行うということは想定し得るが(F課長も同趣旨の供述をしている・・・、被告が原告に送付した書面・・・を見ても、そのような留保を付した上で解雇する旨の記載は見当たらない。」

「確かに、同月11日にF課長が離職票を持参していたこと(・・・なお、原告の陳述・・・を前提にすると、退職届も持参していたことになる。)からすれば、被告としては、原告が同月3日の電話の際に退職する意向を示したとの認識を有していた可能性はあるといえる。しかし、仮に、原告が、同月3日の電話の際に、退職する意向を示したとE課長が認識し得る発言をしたことがあったとしても、労働者にとって退職の意思表示をするということは生活に重大な影響を及ぼすものであることからすれば、口頭での発言をもって、直ちに、確定的な退職の意思表示であると評価するかについては慎重な検討が必要となる。そして、本件において、同日にどのようなやり取りがなされたのか的確かつ客観的に裏付ける証拠はないこと、被告において、通常の退職手続では、従業員から退職届が提出されたものを受理して会社側の承認手続をするという流れになるが・・・、本件において、原告から退職届は提出されていないこと、原告が被告に対し、勤務地の変更は可能だが勤務形態の変更は承服しかねる旨の書面を送付していること・・・など、その後の原告の一連の言動等に照らせば、仮に、同日に原告が何らかの発言をしていたとしても、同発言をもって、確定的な退職の申出であったと評価することは相当ではない。

「以上からすれば、証人Eの供述を採用することはできず、ほかに、原告と被告との間において、同月3日に退職合意が成立したことを認めるに足りる証拠もない。」

3.直後の矛盾行動の積み重ねが効力を発揮する

 上述のとおり、裁判所は、

離職票の作成の拒絶など退職合意とは相容れない行動をしていること、

口頭での発言をもって、直ちに、確定的な退職の意思表示であると評価するかについては慎重な検討が必要となること

などを指摘し、合意退職の成立を否定しました。

 民法的な発想でいうと、契約は一旦成立させてしまったら、基本的にはどうにもなりません。しかし、合意退職という契約に限って言えば、辞意の表明が口頭でのものに留まっている限り、すぐに矛盾行動を起こすことによって覆せることがあります。

 このような特性があるため、うっかり辞意を口にしてしまったことを後悔している方は、一早く弁護士のもとに相談に行くことをお勧めします。(民事的に有効であるかはともかく)辞意を撤回するなど、確定的な退職の申出意思があったことと矛盾する行動を積み上げる手助けができるからです。

 

士業法人と法人格否認の法理-社会保険労務士が法人を解散させて従業員を解雇し、個人として社会保険労務士業を営むことは許容されるのか?

1.社会保険労務士法人の仕組みと法人格否認の法理

 社会保険労務士には、法人を設立して社会保険労務士業を営むことが認められています(社会保険労務士法25条の6)。

 この社会保険労務士法人の法的性質は、株式会社とは大分異なっています。

 株式会社の社員(株主)は出資額以上の責任を負うことはありません。株式会社が債務を負担しても、株主まで自動的に責任を負うことはありません。また、株式会社では所有と経営が分離しており、株主が直接経営を行うことはありません。

 他方、社会保険労務士法人の社員は、法人の債務に対して無限責任を負います。社会保険労務士法人の財産をもって債務を完済できないときは、自分の財産を使ってでも債務を弁済しなければなりません(社会保険労務士法25条の15の3第1項)。また、社会保険労務士法人の社員は、各自が社会保険労務士法人を代表し、業務執行権を持つとされています(社会保険労務士法25条の15、同25条の15の2参照)。

 社会保険労務士法人は上述のように所有と経営が一致しています。法人の債務は半ば自動的に個人の債務にもなります。このような仕組みを前提に考えると、社員1名の社会保険労務士法人は、最早社員である社会保険労務士と大差ないようにも思えてきます。

 それでは、社員1名の社会保険労務士法人を経営する社会保険労務士が、法人を解散させて法人の雇用する従業員を解雇し、その後、個人で別途社会保険労務士業を営むといったことは許容されるのでしょうか? このようなスキームは解雇規制の潜脱として捉えられはしないのでしょうか? 解雇された従業員は、法人と背後者を同一視する法理(法人格否認の法理)を用いて、社会保険労務士個人との間での労働契約が存在することを主張できないのでしょうか?

 昨日ご紹介させて頂いた、東京地判令4.6.24労働判例ジャーナル131-36 TRAD社会保険労務士法人事件は、この問題を考えるにあたっても参考になります。

2.TRAD社会保険労務士法人事件

 本件で被告になったのは、社会保険労務士法人(被告法人)と、その唯一の社員であった代表者です(被告B)。被告法人は、

原告解雇の直前期の売上が5916万3023円、営業損失が540万円、

前々期の売上が7128万5624円、営業利益28万6748円

であったと認定されています。また、被告法人は、直前期の期末時点で資産3275万6630円、負債3767万5552円の債務超過に陥っていました。

 原告の方は、被告法人に入社し、社会保険労務士補助業務に従事していた方です。被告法人の解散に伴い整理解雇されたことを受け、被告法人に対して解雇無効を主張して地位確認等を求めたほか、法人格否認の法理により、被告Bに対しても同様の請求をしました。

 原告が法人格否認の法理を主張した背景には、被告Bが被告法人を解散した後、別途、個人で社会保険労務士業を営み始めたという事情がありました。

 このような事実関係のもと、裁判所は、被告法人による整理解雇を有効だと判示したうえ、次のとおり述べて、法人格否認の法理の適用も否定しました。

(裁判所の判断)

「法人格否認の法理とは、法人自身が権利・義務の独立した主体になるという法人格の独立性を形式的に貫くことで正義・衡平の理念に反する結果が生じる場合に、その事案に限って法人の法人格の独立性を否定し、法人とその背後にいる株主や他の法人を同一視することによって、妥当な解決を図る法理である。」

「ところで、およそ法人格の付与は社会的に存在する団体についてその価値を評価してなされる立法政策によるものであって、これを権利主体として表現せしめるに値すると認めるときに法的技術に基づいて行われるものである。従って、法人格が全くの形骸にすぎない場合、それが法律の適用を回避するために濫用された場合は、法人格を認めることは、法人格なるものの本来の目的に照らして許されないというべきであり、法人格を否認することが要請される場合を生ずる(最高裁判所第一小法廷昭和44年2月27日判決・民集23巻2号511頁参照)。」

「そして、法人格が全くの形骸にすぎないというためには、単に当該法人に対し他の法人や出資者が権利を行使し、利用することにより、当該法人に対して支配を及ぼしているというだけでは足りず、当該法人の業務執行、財産管理、会計区分等の実体を総合考慮して、法人としての実体が形骸にすぎないか判断すべきである。」

「本件では、被告法人の社員は被告Bのみであったが、被告法人が解散するまでの間にこれとは別に被告B個人が個人事業主として社会保険労務士としての業務を行っていたような事情はうかがわれないし、被告法人としての財産管理がされ、決算が行われていたと認められる・・・。このような事情を考慮すると、被告法人が法人としての実体がなく、形骸化していたとは認められない。」

「また、法人格の濫用とは、法人の背後の実体が法人を意のままに道具として支配していることに加え、支配者に違法又は不当の目的がある場合をいう。」

「本件についてみると、被告Bが被告法人の支配者といえるかはひとまず措くとして、前記・・・のとおり、被告法人を解散させる必要性、合理性があったと認められるのであって、原告が主張するように、被告法人の使用者としての責任を不当に免れる目的で本件解雇に及び、被告法人を解散させたとは認められないから,支配者に違法又は不当の目的があったということはできない。したがって、被告Bが被告法人の法人格を濫用したとは認められない。」

「以上のとおりであるから、本件において法人格否認の法理を適用すべきとの原告の主張は採用できない。」

3.適用が緩和されることはなかった

 従来、法人格否認の法理は、主に株式会社とその背後にいる特定株主とを同一視するための理屈として活用されてきました。株式会社の責任を社員(株主)にも問うことは、基本的に株式会社の仕組みとは相容れません。そのため、法人格否認の法理の適用範囲は、かなり限定的に捉えられてきました。

 しかし、一人社会保険労務士法人は、社員である社会保険労務士と、その存在において大差ありません。社員である社会保険労務士は、自分一人の意思で法人の業務執行権・代表権を行使できますし、法人と連動して責任を負います。そうであれば、法人格否認の法理の適用にも多少柔軟さが認められて然るべきであるようにも思われますが、裁判所は、そうした考え方は採用していないように見えます。

 社会保険労務士法人と同様の仕組みは、他の士業法人でも採用されています。

 本件は士業法人と法人格否認の法理との関係を取り扱った事案として参考になります。

法人解散に伴う整理解雇-4か月の収入保証と転職活動のための就労義務免除を提示されたら

1.法人の解散と整理解雇

 整理解雇とは「企業が経営上必要とされる人員削減のために行う解雇」をいいます(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』〔青林書院、改訂版、令3〕397頁)。

 整理解雇の可否は、①人員削減の必要性があること、②使用者が解雇回避努力をしたこと、③被解雇者の選定に妥当性があること、④手続の妥当性の四要素を総合することで判断されます(前掲『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』397頁参照)。

 整理解雇法理は、かなり厳格な解雇規制であり、そう簡単に解雇が認められることはありません。

 しかし、それにも例外はあります。法人の解散に伴う整理解雇の場合、その有効性は、

「整理解雇の4要素により判断されるのではなく・・・、事業廃止の必要性と解雇手続の妥当性を総合考慮することになる・・・。会社が解散した場合、会社を清算する必要があり、もはやその従業員の雇用を継続する基盤が存在しなくなるから、その従業員を解雇する必要性が認められ、会社解散に伴う解雇は、客観的に合理的な理由を有するものとして原則として有効であるが、会社が従業員を解雇するにあたっての手続的配慮を著しく欠き、会社が解散したことや解散に至る経緯等を考慮してもなお手続的配慮を著しく不合理であり、社会通念上相当として是認できないときには解雇権の濫用となる

と理解されています(前掲『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』399頁参照)。

 それでは、この「手続的配慮」とは、具体的にどのような配慮を意味するのでしょうか? 法人の規模や業種、財務状態によっても異なるため一概には言えませんが、この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令4.6.24労働判例ジャーナル131-36 TRAD社会保険労務士法人事件です。

2.TRAD社会保険労務士法人事件

 本件で被告になったのは、社会保険労務士法人(被告法人)と、その唯一の社員であった代表者です(被告B)。被告法人は、

原告解雇の直前期の売上が5916万3023円、営業損失が540万円、

前々期の売上が7128万5624円、営業利益28万6748円

であったと認定されています。また、被告法人は、直前期の期末時点で資産3275万6630円、負債3767万5552円の債務超過に陥っていました。

 原告の方は、被告法人に入社し、社会保険労務士補助業務に従事していた方です。被告法人の解散に伴い整理解雇されたことを受け、被告法人に対して解雇無効を主張して地位確認等を求めたほか、法人格否認の法理により、被告Bに対しても同様の請求をしたのが本件です。

 被告法人は、原告を整理解雇するにあたり、債務超過状態にあることを説明したうえ、合意退職に応じるのであれば、4か月の間の収入を保証するほか、転職活動ができるようにするため就労義務を免除するとの提案をしていました。

 このような事実関係のもと、裁判所は、次のとおり述べて、整理解雇は有効だと判示しました。

(裁判所の判断)

「法人の解散に伴う解雇も経営上の理由に基づく解雇であり、その点において整理解雇と共通するところがあるが、事業の継続を前提としない点において、一般的な整理解雇と異なる点があることは否定できない。すなわち、経営上の理由に基づく解雇である整理解雇は、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当であると認められるかどうかを判断するに当たっては、〔1〕人員削減の必要性、〔2〕解雇回避努力、〔3〕人選の合理性、〔4〕手続の妥当性の4要素を考慮して判断するのが相当であるが、法人の解散に伴う解雇は、整理解雇の4要素のうち、〔1〕人員削減の必要性は常に肯定されるし、〔2〕解雇回避努力は、事業を継続しないのであるから、解雇を回避すること事態が不可能である。また、〔3〕人選の合理性についても、従業員全員が対象になるから、問題とはなり得ない。したがって、法人の解散に伴う解雇は、〔4〕手続の妥当性、すなわち、解散に至る経緯、解雇せざるを得ない事情、従業員に対する解雇の条件の説明などの手続的配慮を著しく欠いたまま解雇された場合、社会通念上相当とはいえないとして、例外的に解雇権を濫用したものと認めるのが相当である。」

本件について見ると、被告法人は、その清算を検討していた令和2年9月の段階で、被告法人がTRADグループから脱退すること、被告法人の清算を含めた検討を行うこと及びその理由を説明した上、原告との間で協議の場を持ち、その後、原告が合意退職することを前提に、4か月の間、収入を保証しつつ、転職活動ができるようにするために就労義務を免除するという条件を提示していたにもかかわらず、原告が被告らに対して根拠の不明な過剰請求をしてこれに応じなかったのであって、手続的配慮を著しく欠いたまま本件解雇がされたとは認められない。そうすると、本件解雇は客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当なものとして有効であるというべきである。

「この点に関し、令和2年10月16日の被告Bの原告に対する説明に誤りが含まれているが、誤りがあったのは被告法人の直近の第13期の財務状況ではなく、第12期の財務状況であり、その時点で被告法人の維持が困難であることに変わりはなかったのであるから、被告Bの説明に上記の誤りがあったとしても、上記の判断を左右するものではない。」

「原告は、被告法人を解散させる必要性、合理性があったのか極めて疑問であると主張する。しかし、使用者がその事業を廃止するか否かは、営業活動の自由(憲法22条1項)として保障されており、客観的かつ合理的な必要性がなければ解散してはならないというものではないし、認定事実(1)の被告法人の経営状況に照らすと、被告法人を解散させる必要性、合理性があったというべきであって、原告の上記主張は採用できない。」

「また、原告は、被告法人の解散の真実の目的は、法人の解散を名目として人員を整理したかっただけであって、被告法人の事業を廃止する意図がなかったことは明らかであると主張するが、被告法人の解散に伴ってTRADグループから脱退し、被告法人の顧客の大半を同グループに引き継いだ上で、解散したことに照らすと、被告法人の事業を廃止する意図があったと認められるから、原告の上記主張は採用できない。」

3.法人の解散を前提とした提案に対し、どう判断するか

 整理解雇はそれほど簡単には認められません。そのため、一定の条件が提示されて退職勧奨をされたとしても、退職が納得できなければ断ればよいと思います。それで仮に整理解雇されてしまったとしても、争える余地がある事件は少なくありません。

 しかし、法人の解散が前提となっている場合、整理解雇の判断枠組は一気に弛緩します。原則と例外が逆転し、解雇無効になるのは例外的な局面でしかありません。

 このような状態で条件提示を断ってしまうと、提示されたメリットを享受できないうえ、解雇までされてしまう(しかも裁判で争っても敗訴してしまう)という、かなりのダメージを受けることになります。

 そのため、解散前提で一定の条件の提示を受けた場合、それが手続的配慮として十分なものなのかを慎重に見極めたうえで意思決定を行うことが求められます。

 この裁判例も、そうした判断を行うに際しての一助として実務上参考になります。