弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

特別職の地方公務員への雇止め法理の類推適用の可否(否定例)

1.非正規公務員の雇止め

 有期労働契約が反復更新されて期間の定めのない労働契約と同視できるようになっていたり、契約が更新されることについて合理的な期待が認められたりする場合、使用者が労働者からの契約更新の申込みを拒絶するには、客観的合理的理由・社会通念上の相当性が必要になります。客観的合理的理由・社会通念上の相当性が認められない場合、有期労働契約は従前の労働条件のもとで更新を擬制されます(労働契約法19条)。

 このルールは従前の判例法理を成文化したもので、「雇止め法理」と呼ばれることがあります。民間の非正規労働者の地位は、この雇止め法理により、一定の保護が図られています。

 しかし、この雇止め法理が公務員に適用されることはありません。労働契約法21条1項が、

「この法律は、国家公務員及び地方公務員については、適用しない。」

と明記しているからです。

 それでは、雇止め法理をストレートに適用することはできないにしても、その趣旨を類推して適用すること(類推適用)はできないのでしょうか?

 この問題に関しては、多数の裁判例が存在します。しかし、類推適用を否定するものが圧倒的多数です。信義則等を根拠に雇止めの効力を否定した下級審裁判例が1例(東京地判平18.3.24労働判例915-76 大学共同利用機関法人情報・システム研究機構(国情研)事件)存在するものの、これも上級審で破棄されています(第二東京弁護士会労働問題検討委員会編『2018年 労働事件ハンドブック』〔労働開発研究会、初版、平30〕566頁)。

 しかし、地方公務員法や国家公務員法の適用される一般職の公務員に対してはともかく、特別職の公務員に対しても類推適用は否定されるのでしょうか?

 国家公務員法2条5項は、

「この法律の規定は、この法律の改正法律により、別段の定がなされない限り、特別職に属する職には、これを適用しない。」

と規定しています。

 また、地方公務員法4条2項は、

「この法律の規定は、法律に特別の定がある場合を除く外、特別職に属する地方公務員には適用しない。」

と規定しています。

 公務員法による保護を受けられない特別職の公務員に対しても、やはり雇止め法理の類推適用は認められないのでしょうか?

 近時公刊された判例集に、この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が掲載されていました。大阪地判令3.3.29労働判例ジャーナル113-40 大阪府・府教委事件です。

2.大阪府・府教委事件

 本件で原告になったのは、府立支援学校(本件学校)の特別非常勤講師(看護師)として勤務していた方3名です(原告a、原告b、原告c)。任用期間を1年として再任用を重ねていたところ、平成29年3月31日の任用期間満了をもって、任用関係を打ち切られることになりました(本件各不再任用)。これに対し、労働契約法19条の類推適用を主張して地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件の特徴は、原告らが特別職の地方公務員(地方公務員法3条3項3号)であったことです。

 原告らは、

「労契法22条1項は、地方公務員への同法の適用を排除しているものの、非常勤職員には、地公法4条2項により同法の適用が排除される結果、私法上の労働契約関係と同様に労基法が適用される。殊に、原告らと被告との間の勤務に関する法律関係(以下『本件勤務関係』という。)においては、原告らに対して示された労働条件明示書に『雇用期間』などと労働契約関係であることを示す記載があるほか、その形式や内容も労働契約の場合と同様の記載がされていることからすると、本件勤務関係は、私法上の有期労働契約と変わらないといえる。地公法が適用されない非常勤職員の勤務関係について労契法の保護を否定することは、非常勤職員の無権利状態を放置するものであって、不当である。」

などと主張し、労働契約法19条の類推適用を主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、労働契約法19条の類推適用を否定しました。

(裁判所の判断)

「地公法は、地方公務員を一般職と特別職に分け、非常勤職員を始めとする特別職については、法律に特別の定めがある場合を除く外、同法を適用しないと規定し(地公法3条1項、2項、3項3号、4条2項)、勤務条件について条例で定められる(24条5項)一般職と扱いを異にしている。」

「もっとも、地方公務員に対しては、そもそも、一般職又は特別職のいずれであっても、労契法の適用が明文上排除されている(労契法22条1項)。」

「また、特別職の地方公務員につき地公員法の適用が排除されているのは、その職務内容等の多様性を踏まえ、同法の委任を受けた条例によってその勤務条件を一律に定めるのではなく、個別の法律や条例のほか、各地方自治体の定める要綱等の内規によって定めるのが相当であるとの趣旨に基づくものと解されるのであって、原告らの任用形態、任用期間、報酬及び勤務時間等の勤務条件も、非常勤看護師配置要項の内容に従って定められている・・・。そうすると、地公法の適用が排除されていることをもって非常勤講師の勤務関係が実質的に私法上の労働契約関係とみることは困難である。」

「さらに、職員の任用にあたっての手続をみても、

〔1〕学校の職員の身分取扱等を定める地方教育行政の組織及び運営に関する法律は、地方公共団体が設置する学校の校長は、当該学校に所属する職員の任免その他の進退に関する意見を任命権者に対して申し出ることができるものと定め(36条)、

〔2〕大阪府立学校条例は、校長の前記意見を尊重するものと定めている(20条1項)ところ、

被告は、

〔3〕大阪府公立学校非常勤講師取扱要綱において非常勤講師の採用についての意見上申の手続やその後の府教委による措置を定め(2条2項、3条1項)ているほか、

〔4〕教員の免許状を有しない者等の特別非常勤講師の任免、報酬等について特別非常勤講師取扱要綱を定めた上、そのうち非常勤看護師については、非常勤看護師配置要項及び休暇取扱細則により、職務内容、任用形態、給与又は報酬、勤務時間、休暇等の勤務条件を具体的に定めている・・・。」

「加えて、

〔5〕地方自治法制定附則は、同法及び他の法律に特別の定めのあるものを除き、都道府県の職員の服務等につき政令で定める旨規定し(5条1項ないし3項、9条1項及び2項)、特別職の地方公務員についても、当該規定に係る政令である地方自治法施行規程において、服務や休暇及び休日等についての定めが適用されること(10条ないし12条、15条)からすると、非常勤職員を含む都道府県の特別職である地方公務員について、同施行規程による規律を及ぼすことも想定されているといえる。」

以上のような関係法令及び被告における各内規の定めに照らせば、被告における非常勤看護師の任免や勤務条件等は、法令等によりその手続や具体的内容があらかじめ定められており、公務員に対して適用される法令の適用もあるといえるのであって、その任命行為は行政処分であると解されるから、本件勤務関係に労基法の適用があること(労基法112条)を踏まえても、本件勤務関係が、当事者の合意によって内容を定めることを基本とする私法上の労働契約関係と異質なものであることは明らかである。

上述したとおり、労契法22条1項は、地方公務員に対する同法の適用を明文で排除しているところ、以上のような本件勤務関係の性質を踏まえると、その他原告ら主張の事情を考慮しても、同法の明文規定に反して、本件勤務関係に同法19条を類推適用すべきということはできない。

「なお、大阪府公立学校非常勤講師取扱要綱2条2項は『雇用』との文言を用いており、求人票等の記載の中には、『雇用期間』や『雇用保険の適用』がある旨の記載があるものの、上述したところを踏まえると、上記文言ないし記載が使用されていることは、上記認定判断を左右するものではない。」

3.やはり雇止め法理の類推適用は難しい

 上述のとおり、裁判所は、特別職の地方公務員であっても、雇止め法理の類推適用は認められないとの判断を示しました。

 非正規公務員を雇止め法理で救済することは、やはり難しそうです。

 

高体連(高等学校体育連盟)主催の安全講習会への引率・参加・他校生への訓練が「公務」とされた例

1.部活動の位置づけ

 現行法上、公立学校教員の部活動顧問に関連する業務が「公務」といえるのかは、あまり明確ではありません。このことは、

労働時間をどのようにカウントするのか(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法3条2項により時間外勤務手当等は支給されませんが、公務災害の場面では労働時間の計算が必要になります)、

部活動中の事故に対して教員の個人責任を問えるのか(国家賠償責任が発生する場合、公務員の個人責任は否定される 最三小判昭30.4.19民集9-5-534等参照)、

そもそも個々の教員は部活動顧問業務の割り振りを断れるのか、

といった、種々の難しい論点を生じさせる原因となっています。

 そのため、部活動顧問関連業務についての裁判例は、公務員の労働事件を扱う弁護士にとって、注視する対象になっています。公務員の労働事件は関心領域の一つでもあることから、私も注目していたところ、近時公刊された判例集に、高体連(高等学校体育連盟)主催の安全講習会への引率・参加・他校生への訓練が「公務」として認定された裁判例が掲載されていました。宇都宮地判令3.3.31労働判例ジャーナル113-36 地方公務員・栃木県支部長事件です。

2.地方公務員・栃木県支部長事件

 本件は公務災害認定請求に対する公務外認定処分への取消訴訟です。

 原告になったのは、栃木県の県立高校に勤務し、登山部の顧問をしていた方です。高体連主催の登山講習会(本件講習会)に登山部顧問として自校生徒を引率して参加し、講習会の行使として他校生に対して雪上歩行訓練を実施中、雪崩に巻き込まれて傷害を負いました(本件災害)。本件災害について公務災害認定請求をしたところ、雪上歩行訓練が公務ではないことなどを理由に公務外認定処分を受けました。これに対し、審査請求の後、取消訴訟を提起したのが本件です。

 本件では高体連関連業務の「公務」への該当性が争点になりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、高体連関連業務の公務遂行性を認めました。

(裁判所の判断)

「地方公務員の『負傷、疾病、傷害又は死亡』が地公法に基づく公務災害に関する補償の対象となるには、それが『公務上』のものであることを要し、そのための要件の一つとして、当該地方公務員が任命権者の支配管理下にある状態において当該災害で発生したこと(公務遂行性)が必要であると解するのが相当である(最高裁昭和59年5月29日第三小法廷判決・裁判集民事142号183頁参照)。」

「ところで、上記・・・のとおり、本件災害は、原告が本件講習会の講師として行っていた高体連関連業務としての雪上歩行訓練中に発生したものであるが、前記・・・のとおり、高体連それ自体は、栃木県内に所在する高校の職員・生徒によって組織された任意の団体であって、公益財団法人全国高等学校体育連盟の会員にすぎず、地方公共団体の一組織でないことはもとより、これに準じる公的な団体であるとも解されない。したがって、本件講習会のような高体連が主催する業務(高体連関連業務)は『公務』としての法的性格を有するものではなく、当該公務員がかかる業務を行うことがあったとしても、『任命権者(職務命令権者)によって、特に勤務することを命じられた場合』を除き、その業務遂行は、任命権者の支配管理下にある状態で行われたものではなく、『公務遂行性』の要件を満たさないものというべきである。

「そこで問題は、本件において原告が関与した高体連関連業務は、原告を真岡高校登山部顧問に任命した同高校学校長によって、『特に勤務することを命じられた』業務に当たるか否かである。」

「この点、上記のとおり高体連関連業務それ自体は『公務』ではない。したがって、任命権者である真岡高校学校長の原告に対する登山部顧問への任命は、飽くまで同部顧問への就任を命じるものにとどまり、高体連関連業務への従事ないし関与を『特に勤務』として命じたものとは解されない。また、上記・・・のとおり、原告に対して発出された本件旅行命令は、本件講習会に参加するため、原告が部活動の一環として生徒を引率して出張し、泊を伴う指導業務に行ったことに対する教員特殊勤務手当を支給する前提として発出されたものであって、それ自体に、高体連関連業務への従事を『特に勤務』として命じる趣旨を含むものとは解されない。」

「以上のとおり、原告が行った高体連関連業務は、上記任命権者である真岡高校学校長が明示的に『特に勤務』を命ずることによって行われたものであるとはいえないが、ただ、このことは黙示的な職務命令によって非公務である高体連関連業務が行われる場合があることを排除するものと解されないところ、上記・・・で認定した各事実によれば、本件においては、この点につき以下のようにいうことができる。

「上記のとおり、本件旅行命令が予定する原告の『用務』は、本件講習会に参加する真岡高校登山部の生徒を引率することにあるが、かかる本件講習会を主催し、主管する高体連の登山専門部は、組織として高体連加盟校の登山種目加盟校を構成員としており、その部長その他の役員については、当該加盟高校の学校長が部長、副部長を、当該登山部の顧問が委員長、副委員長をそれぞれ務めており、実際、本件講習会当時、真岡高校学校長は副部長、登山部顧問の原告は副委員長の地位にあった。また、本件講習会に生徒を引率した教員は、単に自校生徒の引率にとどまらず、講習会の講師をすることが予定されており、とりわけ原告のような経験の豊富な教員は、自校の生徒を引率しつつ、経験の少ない教員が引率する他校の生徒の指導に当たることで、全体として安全を確保する指導体制がとられており、そのため、他校の生徒だけを指導することもあった。そして、高体連加盟校のうち当該年の4月及び5月に登山を計画している学校は、必ず春山安全登山講習会を受講することが慣例化しており、その一環である本件講習会についても、その主催者である高体連は、関係高等学校長宛に、『4月・5月に登山を予定している学校は必ず受講するようにして下さい。また、夏山登山においても雪渓の通過を伴うことがあり、雪上技術が必要となる場合があり、夏山登山を計画している学校については積極的に受講して下さい。』などと記載した書面を配布して、半ば強制的に本件講習会への参加を呼びかけ、この呼びかけを受けた真岡高校学校長は、上記慣例に従って、自校登山部の生徒を本件講習会に参加させるべく、顧問の原告に対して本件旅行命令を発出したというのである。」

「以上の各事情によれば、高体連が主催する本件講習会は、加盟高等学校が自ら主催する公務としての部活動ではないものの、これに加盟校として参加した真岡高校にとっては、同校登山部の部活動の一環ないしその延長線上の活動として実施されたものというべきである。そうすると、同校の学校長から本件旅行命令を受け、同校の生徒を引率して本件講習会に参加した原告は、単に同校登山部の生徒を引率するだけでなく、本件講習会において予定された諸々の講演や訓練等に講師として参加し、自校だけでなく他校の生徒に対しても当然指導を行わないわけにはいかない立場に置かれており、その結果、仮に、その指導対象の生徒の中に自校の生徒が含まれていない場合であっても講師として役割を果たさざるを得ない状況にあったものと認められる。そして、このことは、職務命令を発出する真岡高校学校長からみると、原告に対し、公務の一環ないしはその延長線上の行為として、本件講習会に自校登山部の生徒を引率し、本件講習会の講師として、自校だけでなく他校の生徒だけであっても指導業務を行い、その目的の達成に貢献することを要請していたものということができる。

「また、上記のとおり高体連が主催する本件講習会は、加盟校登山部の部活動の一環ないしその延長線上の活動として実施されたものであって、その活動に参加することは、真岡高校登山部が予定している部活動(例えば春山登山)を安全に遂行するためには不可欠なものとして位置付けられており、その意味で、本件講習会は、公務としての真岡高校登山部の部活動に密接に関連して行われたものというべきである。

以上の諸事情を合わせ考慮すると、原告は、自校の職務命令権者である学校長から本件旅行命令を受けたのを機に、単に同校登山部の生徒を引率するだけでなく、公務としての真岡高校登山部の部活動に密接に関連する本件講習会に講師として参加し、自校だけでなく他校の生徒に対しても当然指導を行わないわけにはいかない立場に置かれ、これにより、その指導対象の生徒の中に自校の生徒が含まれていない場合であっても講師として役割を果たすことが当然のごとく求められ、他校の生徒だけから構成される班を率いて雪上歩行訓練の指導を行っていたものであって、かかる原告の一連の行動は、客観的にみて、本件旅行命令が発出される時点で、当然想定されていたものというべきであるから、真岡高校学校長は、本件旅行命令を発出するに際して、これとは別に、本件講習会に講師として参加し、上記一連の行動をとることについて黙示の職務命令を発していたものと認めるのが相当である(なお、前記・・・によれば、本件要領上、本件講習会は登山計画審査会の審査対象とはされていないが、このことは上記黙示の職務命令の存在の認定を妨げるものではない。)。

「そして、本件災害は、原告が、他校生のみ構成される1班を率いて、上記ゲレンデ内にある一本木から、その左側の樹林帯を縦一列になって支尾根沿いを登り、前方の岩を目指して雪上歩行訓練を再開した直後に発生したものであって、『那須温泉ファミリースキー場ゲレンデ』内ではないにしても、その『周辺』から大きく逸脱した場所で発生したものではなく、実際、他の2ないし4班も原告率いる1班の後から支尾根沿いを登っていたというのであるから、原告が本件講習会の講師として行っていた指導訓練は、上記黙示の職務命令の範囲を逸脱するものではない。」

「以上によれば、本件災害は、任命権者(職務命令権者)の支配管理下にある状態において発生した災害であるということができるから、公務遂行性の要件を満たすものというべきである。 

「そして、上記・・・の検討からも明らかなとおり、原告が本件講習会の講師として行っていた上記指導訓練と本件災害との間に相当因果関係の存在を肯定することができ、公務起因性の要件も満たす。

以上によれば、本件災害は、地公法1条所定の『公務上の災害』に当たるものというべきである。

3.「黙示的な職務命令」

 裁判所は公務と言い難いうえ、明示的な職務命令もなかったという事実関係のもと、「黙示的な職務命令」という概念を使い、原告の方の救済を図りました。

 純理論的な問題はともかく、部活動顧問として高体連に生徒を引率していって、行事への参加中に事故に巻き込まれたにもかかわらず、適切な補償を受けられないというのは、あまりにも過酷な結論であるように思われます。

 結論の妥当性を図るにあたり、「黙示的な職務命令」という法律構成を用い、部活動顧問業務中に被災した方を救済した事案として、本件は参考になります。

 

査定がなくても最低額以上の賞与を請求できた例

1.解雇無効の場合の賞与の取扱い

 解雇の効力を争って労働契約上の権利を有する地位の確認を求める事件では、解雇が無効であることを前提に、未払賃金を請求するのが通例です。しかし、これに加えて賞与を請求することは、あまりありません。これは、就業規則上「会社の業績等を勘案して定める」程度の記載しかない場合、「各時期の賞与ごとに、使用者が査定基準を決定し、労働者に対する成績査定等をしない限り(又は労使で金額を合意しない限り)、具体的な権利として発生しない」と理解されているため(佐々木宗啓ほか編著『労働関係訴訟の実務Ⅰ』〔青林書院、改訂版、令3〕46頁参照)、請求してもあまり意味のない場合が多いからです。

 しかし、「就業規則又は労働契約書等において、支給時期及び支給金額が具体的に算定できる程度に算定基準が定められている場合には、使用者の成績査定等を要することなく、具体的な権利として発生する」ため、解雇無効の場合にも賞与を請求額に計上することがができます(前掲『労働関係訴訟の実務』46頁参照)。

 それでは、その中間的な形態では、どのように理解されるのでしょうか?

 具体的には、賞与を支給すること自体は決められているものの、支給金額に幅がある場合です。この形態の賞与請求の可否について、近時公刊された判例集に、興味深い裁判例が掲載されていました。東京地判令3.3.24労働判例ジャーナル113-60 michil事件です。何が興味深いのかというと、最低額ではなく、パフォーマンスを100%達成した場合の額を請求できると判断されていることです。

2.michil事件

 本件で被告になったのは、経営コンサルティング事業等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で雇用契約(本件雇用契約)を締結していた方です。被告は平成31年2月28日付けで合意退職が成立したと主張しました。しかし、原告は退職の意思表示をしたことはないとしてこれを争い、雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認のほか、未払賃金・未払賞与を請求する訴えを提起しました。

 本件の特徴は賞与請求に関する判断にあります。

 本件雇用契約では、賞与について、

「夏期・冬期に各77万円
パフォーマンス評価あり。会社業績及び個人業績に基づき、50%~200%の範囲で変動あり。上記金額は、100%の達成率であった場合。」

と定められていました。

  原告は、

「本件雇用契約は終了していないところ、原告は、被告における勤務を継続していれば、パフォーマンス評価として100%の評価を受けられた。」

と主張しましたが、被告は、

「本件雇用契約は平成31年2月28日に終了しているから、平成31年3月分以降の給与並びに令和元年夏期及び令和2年冬期の賞与の各支払請求は理由がない。また、賞与については、会社業績や個人業績、パフォーマンス評価などによって変動があるから、原告が被告に対して各期ごとに77万円の支払請求権を有しているわけではない。」

とこれを争いました。

 裁判所は、次のとおり述べて、各期77万円の賞与請求を認めました。

(裁判所の判断)

「賞与については、判断の前提となる事実・・・のとおり、パフォーマンス評価による変動が前提とされているものの、その変動幅は50%~200%であること、原告が被告における勤務を継続していれば、100%に相当するパフォーマンス評価を受けることができた可能性が高いこと(原告本人、弁論の全趣旨)からすれば、原告は、令和元年夏期(8月)及び令和2年冬期(2月)の賞与として・・・、少なくとも上記100%に相当する金額(各77万円)の支払を受けることができたと認めるのが相当である。

「したがって、原告は、被告に対し、本件雇用契約に基づき、154万円の支払を求めることができるというべきである。」

3.途中から被告が欠席した事案であるが・・・

 本件では、

「被告には訴訟代理人が就いていたが、同訴訟代理人は令和2年12月21日付けで辞任し、その後、被告は、適式の呼出しを受けながら、令和3年1月12日の第4回弁論準備手続期日及び同年2月24日の第2回口頭弁論期日にいずれも出頭しなかった」

との事実が認定されています。

「100%に相当するパフォーマンス評価を受けることができた可能性が高い」

との評価には、被告側が途中から反証活動を放棄したことも影響しているのは確かだと思います。

 とはいえ、欠席裁判でもないのに、最低限度(50%)を超えた査定を前提とした賞与請求が認められたことは注目に値します。本件のような事案では、どうせ請求しても無駄だからとの理由で、最低査定を受けたとしても、これだけは得られていたはずだとして、初めから下限を請求する例も散見されますが、あながち諦めたものではないのかも知れません。

 

懲戒にあたり、弁明の機会・手続保障の利益を放棄させることはできるのか?

1.懲戒の手続違反

 懲戒解雇の効力を議論するにあたり、手続違反が問題にされることがあります。

 この論点に関しては「就業規則や労働協約上、懲戒解雇に先立ち、賞罰委員会への付議、組合との協議ないし労働者の弁明の機会付与が要求されているときは、これを欠く懲戒解雇を無効とする裁判例が多い」と理解されています(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』〔青林書院、改訂版、令3〕391頁)。

 それでは、労働者側の承諾のもと、弁明の機会・手続保障の利益を放棄させることは許容されるのでしょうか? 弁明の機会・手続保障の利益を放棄することを了承してしまった労働者は、懲戒の効力を争うにあたり、もう手続違反を問題にすることができなくなってしまうのでしょうか?

 昨日ご紹介した、札幌地判令2.11.16労働判例1244-73国・陸上自衛隊第11旅団長(懲戒免職等)事件は、この問題についても有益な示唆を含んでいます。

2.国・陸上自衛隊第11旅団長(懲戒免職等)事件

 本件で原告になったのは、自衛官の方です。地上波デジタル放送への切替えに伴い、自動車教習所内に設置されていたテレビを買い替えるため、同僚の私的練習を公費で行われる練成訓練に組み入れ、私的練習費用としてもらったお金をテレビ購入費用に充当したところ、これが同僚に対する詐欺を構成するとして、懲戒免職処分を受けました。これに対し、国を相手取り、その取消を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件では、原告のしたことが懲戒免職処分に値するほど重大なことなのかが争われたほか、懲戒の手続違反が問題になりました。

 自衛官の懲戒処分は、自衛隊法施行規則66条以下に定める手続のもとで行われます。本件で問題になった手続との関係でいうと、懲戒権者が懲戒処分を行うにあたっては、「審理」という手続を経なければなりません(自衛隊法施行規則71条)。

 ただ、これには例外があり、自衛隊法施行規則85条2項は、

「規律違反の事実が軽処分を超える場合においても、その事実が明白で争う余地がなく、かつ、規律違反の疑いがある隊員が審理を辞退し、又は当該隊員の所在が不明であり第七十三条第二項の規定により官報に掲載した出頭すべき期日に当該隊員が出頭しないときは、前項本文の規定に準じて処分を行うことができる。」

と規定しています。

 本件の原告は、被疑事実通知書を受け取った後、引き続き審理辞退届への署名・押印を求められ、これに応じてしまったという経緯がありました。

 こうした経緯について、原告は、

「平成27年8月17日、第○○旅団第○○後方支援隊隊長室において、F1佐から、本件行為に係る被疑事実通知書を受領したが、その際、F1佐は、原告に対し、処分後に不服申立てをすべき旨述べたのみで、処分前に審理という機会があることを教示しなかった。」

「原告は、その後、別室で、G2尉から、2通の書面を差し出され、署名するように求められたところ、原告は、不当な被疑事実通知書の交付を受けたことへの強い怒りで動転していたため、よく内容も見ずに2通の書類がそれぞれ(被疑事実通知書は別件のものと併せて2通交付されていた)の受領書であると思い込んで署名押印した。そのうちの1通が本件審理辞退届であったと考えられる。」

「したがって、本件審理辞退届は、原告の真意に基づいて作成されたものではなく、原告の審理の辞退は無効であるから、審理を行わずに本件処分1(懲戒免職処分 括弧内筆者)を行うことはできない。」

などと主張し、懲戒免職処分の手続違反を主張しました。

 裁判所は、次のとおり述べて、手続上の重大な瑕疵を認めました。

(裁判所の判断)

「隊員による審理の辞退に関し、懲戒手続特例通達は、本件通達書面を添付すること、及び、審理辞退届の受理に当たっては、被疑隊員が審理の意義を理解するために必要な相当の考慮期間を確保することを定めているところ、その趣旨は、審理が、懲戒権者が必要な証拠調べを行い、引き続き被審理者又は弁護人の供述を聴取して、当該事案の真相を明らかにし、もって懲戒処分を行うべきか否かの、又は懲戒処分を行う場合にその種類及び程度を決定するための重要な手続であることを前提に、被疑隊員が審理の意義を十分理解しないまま審理辞退届を提出する可能性があることを防止するというところにあると解される。」

「上記趣旨に照らすと、本件処分1の手続の適法性を判断するに当たっては、懲戒手続特例通達の定めを考慮すべきである。」

「この点についてみると、本件では、平成27年8月17日に被疑事実通知書が交付された際、本件通達書面の添付も審理の意義について口頭での説明もないまま被疑事実通知書交付の直後に本件審理辞退届が作成され、その後、時間をおいて原告が改めて本件審理辞退届を目にすることもなかったのであり・・・、原告が本件審理辞退届を作成し、提出した際には、原告は、審理という手続の存在及びその意義について認識していなかったと認められる。

このような経緯で作成された本件審理辞退届は、懲戒手続特例通達やその趣旨に反することは明らかであり、本件処分1に際し、原告が審理を辞退したとは認められない。

「そうすると、本件処分1には、自衛隊法施行規則85条2項の定める、審理を行わず懲戒免職処分をすることのできる要件を満たしていないにもかかわらず、審理を行わずに本件処分1をしたという手続的瑕疵がある。」

「そして、審理は懲戒処分の手続において被疑隊員に防御の機会を与える重要な手続保障であることからすれば、本件処分1の手続には重大な瑕疵があったというべきである。

したがって、本件処分1は、かかる手続的瑕疵によっても取り消されるべきである。

3.手続の存在・意義の説明をしないまま書面だけとってもダメ

 上述のとおり、裁判所は、審理の存在や意義を説明しないまま審理辞退届に署名・押印を得たところで、審理を辞退したとは認められないと判示しました。また、その瑕疵は重大で取消事由にも該当すると位置付けられています。

 この判示は自衛官の場合だけではなく、民間企業で就業規則等に懲戒手続が規定されている場合にまで広く妥当する可能性があります。公務員関係の裁判例ではありますが、個人的には、その射程に注目しています。

 

 

重大な詐欺か軽微な詐欺か-懲戒免職処分の効力が否定された例

1.公務員への懲戒処分が違法かどうかはどのように判断されるのか

 公務員に対し、懲戒事由がある場合に、

懲戒処分を行うかどうか、

懲戒処分を行うとして、どのような処分を選択するのか、

は懲戒権者の裁量に委ねられていると理解されています(最三小判昭52.12.20労働判例288-22 神戸税関事件)。

 したがって、この裁量の枠内にある限り、懲戒処分は違法はなりません。

 この裁量の枠はかなり広く、

「懲戒権者が右の裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして、違法とならない」

とされています(前掲 神戸税関事件)。

 それでは、ある懲戒処分が、社会観念上著しく妥当を欠くのかどうかは、どのように判断されるのでしょうか?

 判断にあたり第一次的な資料になるのは、懲戒処分の指針(裁量基準)です。国にしても地方公共団体にしても、裁量権行使の基準となる懲戒処分の指針を定めています(国の場合、平成12年3月31日職職-68参照)。

 ここには

「正当な理由なく10日以内の間勤務を欠いた職員は、減給又は戒告とする。」

といったように、何をすれば、どのようなレベルの懲戒処分を科されるのかが、定められています。例えば、10日以内の欠勤であるにも免職処分が言い渡されたといったように、指針を逸脱する処分が科されている場合、裁量権の逸脱・濫用といえる可能性が高まることになります。

 懲戒処分の適法性審査は上述のような構造を持っているところ、近時公刊された判例集に、詐欺行為が裁量基準にいう「重大な場合」に該当するのかが問題になった事案が掲載されていました。札幌地判令2.11.16労働判例1244-73国・陸上自衛隊第11旅団長(懲戒免職等)事件です。

2.国・陸上自衛隊第11旅団長(懲戒免職等)事件

 本件は自衛官に対する懲戒免職処分の可否が問題となった事件です。

 懲戒免職処分の処分理由になったのは、詐欺です。

 自衛隊には

「懲戒処分等の基準に関する達」(基準達)

という裁量基準があり、これによると、

重大な場合は免職

軽微な場合は停職

極めて軽微な場合は軽処分

と定められていました。

 処分行政庁(陸上自衛隊第11貯団長)は、原告自衛官が行った詐欺が「重大な場合」に該当するとの認識のもと、懲戒免職処分を行いました。

 しかし、本件は、原告のしたことが重大な詐欺といえるのかに疑義のある事案でした。

 原告は自衛隊内に設置されていた自動車教習所(本件教習所)の養成教官として勤務し、自動車教習所の教習指導員や技能検定員となる隊員を養成する業務を担当していました。

 隊員が自衛隊内の自動車教習所で勤務するにあたり、教習指導員や技能検定員になるための審査(教習指導員審査・技能検定員審査)を受ける必要がある場合、これに係る費用は公費で支給されていました。

 他方、自衛隊員が退職後の再就職に備えて教習指導員の資格を取得するなど、私的な目的でコースや車両を借り上げに係る費用(私的練習費用)等は、受審者が個人負担する必要がありました。

 原告が行ったのは、地上波デジタル放送への切替えに伴い、自動車教習所内に設置されていたテレビを買い替えるため、同僚の私的練習を公費で行われる練成訓練に組み入れ、私的練習費用としてもらったお金をテレビ購入費用に充当したというものでした。

 これが同僚に対する詐欺だというのが懲戒理由の骨子です。

 しかし、一見して分かるとおり、お金をとられた同僚が果たして損をしたといえるのかは微妙な事案でした。元々練習をするにはお金を払う必要がありましたし、実際練習はできていたからです。

 原告は、こうした行為は「重大な場合」に該当しないとして、懲戒免職処分の効力を争いました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、処分の違法性を認めました。

(裁判所の判断)

「被告は、懲戒処分に係る裁量権の行使の基準として、基準達を定めていると解されるところ、これを定めた趣旨は、懲戒処分の公平性を担保し、懲戒権者の判断が恣意的となることを防ぐことにあると解される。そうすると、懲戒処分の選択に当たっては、個別の事情により基準達によることが相当でないといった例外的な場合のほかは、原則として、これに従うべきであるといえるから、被告の裁量権の範囲の逸脱・濫用の有無の判断に当たっても、基準達を考慮すべきである。」

「そこで、基準達の定めをみると、基準達においては、免職は、『隊員が職務の遂行上特に重大な影響を及ぼす規律違反、特に悪質な刑事犯に該当する規律違反等自衛隊に対し著しい不利益を与える規律違反を行った場合』に適用するとされ(6条)、規律違反の態様に応ずる懲戒処分等の基準が別表に定められており(13条)、詐欺(別表の(26))の処分については、『重大な場合』は免職、『軽微な場合』は停職の重処分、『極めて軽微な場合』は軽処分と定められている。そして、これらのいずれの場合に該当するかは、損害の有無及び程度、違反者の地位階級並びに部内外に及ぼす影響等を考慮して判断するものとした上で、『重大な場合』とは、隊員としての品位を著しく傷つけ、又は自衛隊の威信を著しく損する場合が、『軽微な場』とは、『重大な場合』に至らないが対象金額が低い場合が、『極めて軽微な場合』とは、価額の極めて低い財物の一時使用又は横領等が一応の基準とされている。」

「これを本件についてみると、まず、本件行為の動機は、アナログ放送から地上デジタル放送に完全移行したことに伴い、本件教習所に設置されていたテレビが映らなくなったため、所長室等に設置するテレビを購入しようとしたというものであり・・・、原告が個人的に経済的な利得を得ようとしたものではない。また、その態様も、少なくとも、原告からみて先任者という上位の立場にあるB曹長に相談を持ち掛け、その同意を得た上で、本件教習所の金銭として出納管理をして行われたものであり・・・、本件行為を殊更隠蔽しようとしたとも認められない。そうすると、本件行為は、その動機及び態様において、悪質なものということはできない。」

「また、本件行為による被害について検討すると、D曹長らが詐取された金額は合計6万3660円であり・・・、それ自体高額とまではいい難い。しかも、D曹長らが支払った私的練習費用は、仮に、原告が本件行為をしなかったとしても、本来、D曹長らが個人として負担すべき車両及びコースの借上費用であって・・・、現実にも、D曹長らは、自らの支払った金額に対応する練習ができている・・・ことからすれば、本件行為によって、D曹長らに実質的な経済的損害は発生していないともいえる(本件行為により実質的に経済的損害を受けたのは国であるが、この点は、本件処分1において問題とされていない。)。そうすると、本件行為の被害者とされているD曹長らが被った損害が重大であるとはいえない。」

「さらに、原告は、養成教官として本件実施計画の訓練時間を事実上融通できる立場にあったことを利用して本件行為をしたものではあるが、D曹長らから私的練習費用を受領すること自体は、養成教官の職務とは直接関わらず・・・、本件実施計画に基づく養成集合訓練そのものは支障なく行われた・・・ことからすれば、その本来の職務の遂行に支障を来したとはいえない。また、本件行為当時、原告は、陸曹長であり・・・、幹部自衛官(3等陸尉以上の自衛官[自衛隊法施行規則24条2項])ではなく、社会一般から自衛隊を代表するものとして見られるような立場とはいえない。」

以上のような、本件行為の動機及び態様、本件行為による損害の内容、本件行為がもたらす影響並びに原告の地位階級を具体的に考慮すれば、被告が主張するところの自衛隊の職務の性質に由来する要請、すなわち、武力行使といった強力な権限を適切に行使する必要がある自衛隊においては、組織の規律保持が特に強く求められ、その保持のためにも金銭に関する違反については厳しく処分を行う必要があるという点を考慮してもなお、本件行為が隊員としての品位を著しく傷つけ、又は自衛隊の威信を著しく損するものであるとまではおよそ考え難く、本件行為について『重大な場合』に当たるとした判断は重きに失する不合理なものというべきである。なお、被告は、直近5年以内の過去事例は、被害金額が371円であったもの以外の財産犯に係るものは全て免職となっている旨主張するが、被告が主張する過去事例は、いずれも被処分者が個人として経済的利益を得ている事案であって・・・、本件行為とは性質を異にするといえ、これらの事例と同列に扱うべきとはいえない。」

 「以上によれば、本件処分1は、社会観念上著しく妥当性を欠き、裁量権の範囲を逸脱・濫用した違法な処分として、取り消されるべきである。」

3.犯罪を「軽微」だというための参考裁判例

 一般論として、犯罪を「軽微」だと主張することには困難が伴います。犯罪とは、元々、重大な結果を生じる悪質な行為を定義したものだからです。

 しかし、公務員の懲戒処分の効力を争う事件では、軽微であるという論証に挑まなければならない場合が少なくありません。

 本件は、詐欺類型の非違行為が問題になっている場合に、事案軽微を主張する尺度として、参考になるよう思われます。

 

PTSDの主張は容易には認められない

1.PTSDに罹患したという主張

 PTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)とは、

「死の危険に直面した後、その体験の記憶が自分の意志とは関係なくフラッシュバックのように思い出されたり、悪夢に見たりすることが続き、不安や緊張が高まったり、辛さのあまり現実感がなくなったりする状態」

をいいます。

PTSD|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省

 ハラスメントが問題になる事件では、しばしばPTSDに罹患したという主張がなされます。しかし、そうした主張は、裁判所では、容易には認められない傾向にあります。裁判では、PTSDの概念が、かなり厳格に捉えられているからです。昨日ご紹介した、旭川地判令3.3.30労働判例ジャーナル113-38 旭川公証人合同役場事件も、PTSDに罹患したという診断書の信用性が否定された事件の一つです。労働者側の主張が認められなかった事例ではありますが、立証のポイントを理解するうえで参考になるため、紹介させて頂きたいと思います。

2.旭川公証人合同役場事件

 本件で被告になったのは、旭川公証人合同役場(本件役場)で公証人業務を行っていた方です。

 原告になったのは、公証人である被告との間で労働契約を交わし、書記として勤務していた方です。本件役場には、原告のほか、被告の妻であるC書記、D書記の3名が勤務していました。こうした職場において、被告から、多数回のメッセージの送信、身体的接触、性的言動等のセクシュアル・ハラスメント(セクハラ)行為や違法な退職勧奨を受けたとして、不法行為に基づく損害賠償を請求したのが本件です。

 損害論に関する主張の中で、原告は、

「被告の一連の言動によってPTSD及び不眠症を発症し、その旨診断を受け治療を受けている。」

と主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、原告の主張を排斥しました。

(裁判所の判断)

「原告は、被告の不法行為によってPTSD及び不眠症を発症したので、これらの治療に要した治療費の賠償も認められるべきである旨主張し、本件各診断書には、G医師が、原告に対し、同旨の診断をしたとの記載がある。もっとも、本件各診断書の内容を見ても、PTSDと診断されるためには、『実際にまたは危うく死ぬ、重傷を負う、性的暴力を受ける出来事』に対する曝露を要するとされるところ・・・、G医師は、セクハラ行為が上記出来事に当たると記載するのみで、この要件を充足していると判断した具体的な理由を示していない・・・上、原告が主張する被告の行為は、仮にその存在が全て認められたとしても、直ちに上記要件に該当するものとはいい難い。

「この点を措くとしても、本件各診断書は、被告によるメッセージ等の送信行為が終了してから少なくとも4か月が経過し、既に団体交渉の始まっていた平成31年2月以降に、原告の供述のみに基づいて作成されたものであり、本件各診断書の前提となったと考えられる原告の主張する被告の不法行為について、その全てを認定できないことは既に説示したとおりである。そして、被告によるメッセージ等の送信行為が終了した後、本件各診断書が作成されるまでには原告の息子の受験などの出来事もあり・・・、原告は、労働基準監督署による調査に対して、平成30年11月下旬頃から眠りが浅かったとする一方、不安が高まり動悸が激しくなったり、精神症状が著しくなったのは、被告に対して団体交渉の申入れをし、被告の態度や対応がどのように変わるか不安感が高まった後であると説明しており・・・、原告の精神症状が、被告の不法行為自体から生じたものといえるか疑問が残る。

「これらの事情に照らすと、仮に原告にPTSD及び不眠症その他の精神症状が認められたとしても、被告による前記・・・の不法行為とこれらの症状との間に相当因果関係があるとは認められない。」

3.PTSDの主張を通すにはポイントがある

 裁判所の判示から分かるとおり、PTSDの主張を通すには、幾つかのポイントを押さえておく必要があります。

 先ず、診断基準への該当性について判断過程の分かる形で説明されている医学的証憑が必要になります。雑駁に「PTSDと診断する。」とだけ書かれているような診断書だけでPTSDへの罹患を認定してもらうことは困難です。

 次に挙げられるのは、診断の前提となる事実関係が揺らがないことです。診断の基礎とされた事実関係が相手方の反証によって揺らいでしまうと、診断自体の正確性に疑義をもたれてしまいます。

 また、ハラスメントの終了から、あまり事案を置かずに医療機関を受診していることも重要です。PTSD症状は数か月~数年の後にはっきりとしてくることもあるため、受診までに時間がかかっているからといって、直ちに罹患が否定される疾患ではありません。しかし、本件のように受診していない期間にストレス因が生じてしまうと、ハラスメントとの因果関係が分かりにくくなってしまうからです。

 最後に挙げられるのが、入念な尋問リハーサルです。尋問で本来話す必要のないストレス因まで口を滑らせてしまうと、やはりハラスメントとの間の因果関係に疑義をもたれてしまいます。

 PTSDに罹患したことを裁判所に認定してもらうには、要所々々を的確に押さえて行くことが必要です。こうしたことを考えると、事件を組み立てて行くにあたっては、できるだけ早い段階から証拠収集、証拠形成について弁護士の関与があった方が望ましいように思われます。

 事件化するかどうかはいつでも決められます。しかし、流れてしまった時間は元には戻りません。ハラスメントを受けて苦しい思いをしている方に関しては、できるだけ早めに弁護士のもとに相談に行き、将来事件化する場合の勘所についてアドバイスを受けておくことをお勧めします。

 

メッセージへの反応・食事に誘った時の反応からみるセクハラのサイン

1.メッセージを送ったり、食事に誘ったりしたい

 「セクハラかどうかの境目が分からない。」という相談を受けることがあります。

 仕事をするうえで性的な言動をする必要性がある場面は、あまり想定できません。そのため、分からなければ性的な言動を一切とらなければいいと思うのですが、そういう回答で納得しない方は少なくありません。そして、納得しない方からは、「何気ない日常の出来事についてメッセージを送ったり、食事に誘ったりするのもダメなのか。」ということを、しばしば尋ねられます。

 そうした時は、やめておいた方が無難であると話しています。メッセージの授受や、食事への誘いがトラブルに発展することは、割と良くあることだからです。

 近時公刊された判例集にも、会食の誘いを断られたにも関わらず、部下の女性にメッセージを送り続けたことが不法行為に該当すると判示された裁判例が掲載されていました。旭川地判令3.3.30労働判例ジャーナル113-38 旭川公証人合同役場事件です。

2.旭川公証人合同役場事件

 本件で被告になったのは、旭川公証人合同役場(本件役場)で公証人業務を行っていた方です。

 原告になったのは、公証人である被告との間で労働契約を交わし、書記として勤務していた方です。本件役場には、原告のほか、被告の妻であるC書記、D書記の3名が勤務していました。こうした職場において、被告から、多数回のメッセージの送信、身体的接触、性的言動等のセクシュアル・ハラスメント(セクハラ)行為や違法な退職勧奨を受けたとして、不法行為に基づく損害賠償を請求したのが本件です。

 このうち多数回のメッセージの送信行為の不法行為該当性について、裁判所は、次のとおり判示し、これを認めました。

(裁判所の判断)

「前記認定事実・・・のとおり、被告は、原告に対し、本件アプリをスマートフォンにインストールするように告げた上で、本件アプリを利用して多数回のメッセージ等の送信を行っている。」

「そこで検討するに、被告が送信したメッセージ等は、原告に対する信頼や感謝の辞を述べるものはあったものの、それを超えて直接的に原告に対する恋愛感情を示したり、性的な内容を述べたりするものはなく、送信されたイラストの中には、動物を模したキャラクター同士が抱き合っているものや、ハートマークが使用されているものも含まれていたが、そのようなイラストが恋愛関係にない知人間で用いられることが明らかに不適切と評価されるとまではいえず、その内容を個々に取り上げてみた場合には、直ちに使用者として明らかに不適切なメッセージ等を送信したとはいえない。」

「しかしながら、他方で、被告は、本件期間のうち平成30年8月下旬から同年10月下旬にかけて、原告に対し、ほぼ毎日のように多数のメッセージ等を送信しており、被告が送信したメッセージ等に業務とおよそ無関係なものが多数含まれていたこと、同年8月31日を除いて、原告からメッセージ等の送信を開始したことはなく、いずれも被告から送信が開始されていること、平日はその大部分が業務時間外に送信されており、休日の午前4時台に送信されたり、夜間、被告が飲酒した上で送信されることもあったことなどに照らすと、被告からのメッセージ等の送信は、業務上の必要性のみから行われたとは到底認め難く、職場内の親睦を図るという趣旨があるとしても、社会通念上、相当な範囲を逸脱していると評価せざるを得ない。」

「また、前記認定事実・・・のとおり、被告は、本件期間中に、原告を2人きりの会食に誘い、本件会食1及び2を行っているほか、同年9月22日にも原告を会食に誘おうとし、交際相手に心配をかけたくないとの理由で断られている。この点、被告が、本件会食1及び2において、原告に対する恋愛感情や性的意図を表すような言動に及んだとは認められず、後述のとおり本件会食1及び2に及んだこと自体をもって不法行為に当たるとまでは認め難いものの、短期間のうちに何度も2人きりでの会食に誘っていることや、本件会食2の後で『粗相がなかったか、心配』などとメッセージを送信していることなどに照らすと、少なくとも被告が、業務上の必要性のみならず、原告と親密になりたいとの意図も有していたことが強くうかがわれる。」

「加えて、前記認定事実・・・のとおり、被告は、原告の息子が原告のスマートフォンを時々使用していると聞くと、『このメッセージ、大丈夫でしょうか』とのメッセージを送信し、原告から交際相手が気にしている旨の返信を受けて、メッセージ等の内容や頻度を変化させており、自らのメッセージ等の送信について、原告の息子や交際相手に知られると問題となり得るものであるとの認識があったことがうかがわれる。」

「そして、前記認定事実・・・のとおり、原告は、当初から、被告からメッセージ等が送信されることを快く思っておらず、交際相手とのやり取り・・・からは、被告の性的意図を疑っていたとうかがわれるところ、被告から送信されるメッセージ等の内容や頻度に加えて、上記・・・のとおり被告が2人きりでの会食に何度も原告を誘ったことなども併せ考えると、原告がそのように疑い、被告に対する性的な嫌悪感を抱くことも理解し得る。」

「これらの事情を総合的に考慮すると、被告は、遅くとも原告から交際相手が心配していることを理由に会食の誘いを断られた時点で、被告の言動が原告にとって迷惑であり、性的な嫌悪感を含む精神的苦痛を生じさせるものあることを認識し得たといえ、使用者として、これを認識し、業務上の必要性に乏しいメッセージ等の送信を控えるべき注意義務を負っていたというべきである。そうであるにもかかわらず、被告は、会食の誘いを断られた後も、原告に対するメッセージ等の送信を続けており、被告によるメッセージ等の送信を全体としてみれば、社会通念上、許容される限度を超えて、原告に対する精神的苦痛を与えたと評価され、その人格権を侵害するものとして不法行為に該当する。

被告は、原告も積極的に親しみを込めたメッセージ等を送信していたとか、早朝にメッセージ等を送信してくることがあったなどと主張するが、前記認定事実・・・のとおり、被告と原告との間のメッセージ等の送受信は、ほぼ全て被告によって開始されており、原告が使用者である被告との関係を考慮して返信せざるを得ない立場にあったことは明らかであるから、原告から送信されたメッセージ等の内容によって上記判断が左右されるものとはいえない。

3.婉曲的な拒絶を甘くみないこと

 本件は、交際相手が心配していることを理由に会食を断られてからは迷惑に思われていることに気付くべきであったとして、それ以降のメッセージの送信行為に不法行為該当性を認めました。

 また、原告側も親しみを込めたメッセージを送信していたとの被告の反論に対しては、メッセージ等の送受信のほぼ全てが被告側から開始されていることを理由に、これを排斥しました。

 冒頭に挙げた「セクハラかどうかの境目が分からない。」という方は、会食を断られる理由として交際相手の存在が言及されていることや、メッセージの開始が一方通行になっているなどの婉曲的なサインから、相手方の真意を読み取ることが不得手な場合が多いように思われます。

 本件のように婉曲的なサインを読み取れなかったことを過失だと構成される事案もあるため、やはり、境界がよく分からない場合には、メッセージのやりとりや食事も含め、職場外での異性との繋がりは持とうとしないに越したことはありません。