弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

捜査段階で釈放された後も、起訴の可能性等を考慮して休職を発令できるのか?

1.起訴休職

 「刑事事件で起訴された者をその事件が裁判所に係属する期間または判決が確定するまで休職とすること」を起訴休職といいます(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、第2版、令3〕540頁参照)。

 起訴休職の亜種には、逮捕、勾留されるなど、起訴前に身体拘束を受けたことまで、休職事由に含めているものもあります。

 それでは、このような制度のもと、

一旦身体拘束を受けたものの、捜査段階で釈放され、物理的な意味で労務提供可能になった方

に対し、休職を発令することは許されるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地判令5.6.8労働判例ジャーナル139-24 プルデンシャル生命保険事件です。

2.プルデンシャル生命保険事件

 本件で被告になったのは、生命保険業等を事業内容とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で労働契約を締結し、以降、生命保険募集人として登録され、ライフプランナーとして稼働していた方です。

 本件の原告は、平成31年4月18日、

平成31年3月6日に、自宅マンション12階から1回共用広場に向けて消火器を投げたという殺人未遂の被疑事実で逮捕されました。

 その後、勾留されましたが、平成31年4月22日、不服申立てが認められ、原告は釈放されました。

 しかし、被告は、平成31年4月22日、求職事由である

「刑事事件に関して逮捕、勾引、勾留または起訴され、就業させることが不適当であると会社が認めるとき」(3号休職)

に該当するとして、休職を発令しました(休職期間:平成31年4月22日から令和元年9月4日まで)

 令和元年8月8日、原告は、消火器を投げた件について軽犯罪法違反で略式起訴され、科料9900円に処せられました。

 科料は令和元年8月21日に納付しましたが、令和元年9月5日、被告は、休職事由である

「前各号のほか、特別の事情があって休職させることを適当と認めたとき。」

に該当するとして、改めて休職を発令しました(休職期間:令和元年9月月5日から令和3年1月31日まで)。

 このような事実関係のもと、各休職命令が違法であるとして、休職期間中の未払賃金等の支払いをも求めて訴訟提起しました。

 3号休職の適否について、原告は、

「原告は、釈放日翌日である平成31年4月23日から就労することに何ら支障はなかった。したがって、本件3号休職は、営業社員就業規則9条3号の解釈適用を誤ったものであり、違法無効である。」

などと主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、3号休職は適法だと判示しました。

(裁判所の判断)

・判断枠組み

営業社員就業規則9条3号は、休職事由の一つとして、『刑事事件に関して逮捕、勾引、勾留または起訴され、就業させることが不適当であると会社が認めるとき。』と定めている。このうち、同号は、逮捕、勾引、勾留又は起訴されたことを休職の要件としているところ、前三者は身柄拘束を伴うものであることからすると、物理的に労務の継続的給付ができなくなる場合において、解雇を猶予して労働者を保護することを目的とするものと解される。また、同号は、就業させることが不適当であると会社が認めるときを休職の要件としているところ、これは、労務の提供自体が物理的には可能であるものの、逮捕等の手続を経て犯罪の嫌疑が客観化した労働者を業務に従事させることによって使用者の対外的信用が失墜し、職場秩序の維持に障害が生じるおそれのある場合には、事実上労務提供をさせることができなくなることから、これによる使用者の不利益を回避することを目的とするものと解される。

以上によれば、同号の上記文言は、〔1〕逮捕、勾引、勾留若しくは起訴されたことによって現実の労務提供が不可能又は困難であると認められるか、〔2〕逮捕、勾引、勾留若しくは起訴されたことによって、使用者の社会的信用や職場秩序の維持の観点から当該労働者の職務遂行を禁じることが必要かつ相当であると認められる場合であると解するのが相当である。

・本件3号休職について

本件3号休職は、原告に係る勾留請求が最終的に却下されて釈放された日にされたものであり、原告が被告c支社においてライフプランナーとして労務の提供ができない状態にあったとはいえない。しかし、原告は、釈放後もなお本件投擲行為に係る殺人未遂被疑事件の被疑者であった上、上記認定事実・・・のとおり、逮捕時には新聞、テレビ及びインターネットで原告が本件投擲行為をして殺人未遂罪で逮捕された旨が実名で報道され、一部では生命保険会社員という肩書を付して報道されていることからすると、原告がライフプランナーとして労務を提供すると、営業先の顧客において原告の氏名から上記報道に係る被疑者であることが特定され、これによって被告が上記被疑事件の終局結果について問合せを受けたり、上記被疑事件である原告を生命保険の営業担当者として就労させることについて被告が非難を受けたりすることによって、被告の信用が低下したり問合せ対応等による業務上の支障が生じたりする可能性が相応に認められる(原告は、釈放日翌日以降の就労に何ら支障はなかったとか、本件逮捕の報道によって被告の対外的信用失墜のおそれや職場秩序の維持に支障が生じるおそれはなかった旨主張するが、上記説示に照らし採用することができない。)。

以上によれば、原告の釈放時において、被告の社会的信用や職場秩序の維持の観点から原告の職務遂行を禁じることはやむを得ないものといえるから、本件3号休職は、その発令時において営業社員就業規則9条3号を満たすものといえる。

「以上に加え、本件3号休職の後も、インターネット上で原告の氏名を入力して検索すると上記報道が表示されている・・・一方で、原告が本件投擲行為に係る具体的な事実関係や経緯について説明及び報告をしていなかったこと・・・、原告が被告に対して本件略式命令に係る科料納付所及び領収書写しを提供してから2週間後に本件3号休職を終了させたこと・・・からすると、本件3号休職は、その終期である本件5号休職の発令時まで同号の要件を満たすものであるといえる。」

「したがって、本件3号休職はその期間を通じて適法である。」

・原告の主張に対する判断

「原告は、本件3号休職当時担当していた既客との1120件以上の契約が、原告の長期休職によって定期的な新規加入に対応できない不都合からやむなく担当者を原告から他の社員に変更された数件を除いてほとんど維持されていたのであるから、本件被疑事実による逮捕によって被告の企業秩序や信用を毀損することはなかった以上、本件3号休職は違法である旨主張する。」

「しかし、上記・・・で説示したとおり、本件3号休職発令時には、被告の信用が低下したり問合せ対応等による業務上の支障が生じたりする可能性が相応に認められた以上、休職処分後に結果として被告の企業秩序や信用の毀損が顕在化する出来事がなかったからといって、本件3号休職が違法とはならない。したがって、原告の上記主張は、指摘する事情をもって本件3号休職の違法性を基礎づけるものではないから、採用することができない。」

「原告は、殺人未遂罪の被疑事実で逮捕されたが、勾留請求は却下されて釈放されていることからすれば、殺人未遂罪の嫌疑は実質的に消滅しており、原告が同罪で起訴されて有罪判決を受けることを想定しなければならないような状況ではなかったとして、原告が保険業法に基づいて生命保険募集人の登録取消処分又は業務停止処分を受ける蓋然性など全くなかった旨主張する。」

「しかし、被疑者勾留の要件は、〔1〕罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由、〔2〕罪証隠滅を疑うに足りる相当な理由又は逃亡し若しくは逃亡すると疑うに足りる相当な理由(本件では住居不定は問題とならない)及び〔3〕勾留の必要性と解されるところ(刑事訴訟法207条1項、60条1項)、本件では勾留却下の理由が上記のいずれによるものかを認めるに足りる的確な証拠はない(本件では、準抗告の申立てが認容されて上記勾留請求は却下されており・・・、上記申立てに係る決定書には勾留請求却下の理由が記載されているものと思われるが、原告は上記の主張をする一方で、上記決定書の書証提出をしない。)。したがって、原告の上記主張は、勾留請求却下によって犯罪の嫌疑が消滅したという前提が認められないから、採用することができない。」

「原告は、被告は、原告に対する事情聴取に1週間程度、その後、営業社員就業規則9条3号所定の要件を満たしているか否かの判断に1週間を要するとしても、遅くとも原告事情聴取までに1週間程度、その後、起訴休職の要件を充たしているか否かの判断に1週間程度の時間を要するとしても、原告の釈放日から14日を経過した令和元年5月6日か、経緯書(乙8)を提出した同年8月6日から14日経過後の同月20日の時点では、本件3号休職は同号所定の要件を欠くに至っていた旨主張する。」

「しかし、本件略式命令がされたのは同月8日であり・・・、原告は同月21日に科料を納付して・・、同月22日頃に被告側に科料納付書等を提供したのであるから・・・、原告が指摘する時点では、未だ原告に対する終局処分は決しておらず、同号所定の要件を欠くに至ったということはできない。したがって、原告の上記主張は、指摘する事情をもって同号の要件を欠くとはいえないから、採用することができない。」

3.休職の発令が許容された

 以上のとおり、裁判所は、釈放された後においても、休職を発令できると判示しました。この種の問題を扱った裁判例を目にすることは稀であり、実務上参考になります。