弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

賃金の支払義務が遵守されない場合の取締役に対する損害賠償請求(積極)

1.取締役個人に対する賃金相当額の損害賠償請求

 賃金を支払わない会社の中には、支払わないというよりも(資金が払底していて)支払えない会社が少なくありません。

 こうした場合、賃金の支払いを受けられない労働者は、取締役の個人責任を追及することはできないのでしょうか?

 会社法429条1項は、

「役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは、当該役員等は、これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う。」

と規定しています。

 法令を遵守することは、取締役としての基本的な職務の一つです(会社法355条 忠実義務)。

 そして、使用者である会社が労働者に対して賃金を支払うことは法令上の義務とされています(労働基準法24条、37条等参照)。

 取締役には会社が法令に違反しないように経営を行う職務があるのであって、賃金を支払わないことは、「職務を怠るについて」悪意又は重過失がある(任務懈怠がある)といって良さそうです。

 また、会社に支払能力があれば、会社から支払を受けられるため「損害」を考えらませんが、会社に支払能力がなければ、労働者には「損害」が発生しているともいえそうです。

 しかし、それだけで、取締役個人に対する責任追及が可能になるわけではありません。損害賠償を請求するには、任務懈怠と損害との間に因果関係のあることが必要だからです(会社法429条1項「これによって」参照)。

 以前、この因果関係を厳格に理解し、

「現時点で被告会社に支払能力がない可能性が相応に高いと考えられるものの、仮に被告B(被告会社の代表取締役 括弧内筆者)に割増賃金不払に関する任務懈怠があったとしても、かかる任務懈怠と被告会社の支払能力の喪失との間に相当因果関係があると認めるに足りる的確な証拠はない」

と述べ、取締役の個人責任を否定した事案として、東京地判令4.8.26労働判例ジャーナル134-48 Holywood事件をご紹介しました。

残業代を支払能力を喪失した会社の取締役に請求する時のチェックポイント-支払能力喪失との間の相当因果関係 - 弁護士 師子角允彬のブログ

 このように賃金不払と会社の支払能力喪失との間の因果関係を狭く理解すると、取締役の個人責任を追及できる場面が極めて限定的に理解されることになります。このような帰結は、労働者の犠牲のもと、放漫経営を行った経営者を保護する結果になるため、不適切ではないかという問題意識を持っていたところ、近時公刊された判例集に、賃金未払に関する取締役の個人責任が認められた裁判例が掲載されていました。大阪高判令5.1.19労働判例1289-10 エヌアイケイほか事件です。

2.エヌアイケイほか事件

 本件で被告になったのは、

人材派遣業を目駅とする株式会社(エヌアイケイ)、

労働者派遣事業等を目的とする株式会社(コミュニケーションズネットワーク)、

コミュニケーションズネットワークの取締役2名(Y1、Y2)

コミュニケーションズネットワークの代表取締役1名(Y3)、

の三名です。

 原告になったのは、エヌアイケイとの間で労働契約を締結していた方です。

 本件の原告は未払時間外勤務手当等を請求するにあたり、

エヌアイケイだけではなく、

濫用型の法人格否認の法理の適用を主張して、

コミュニケーションズネットワークを、

また、会社法429条の適用を主張し、Y1~Y3を、

被告に加え、未払時間外勤務手当等の支払いを請求する訴えを提起しました。

 原審は、エヌアイケイ、コミュニケーションズネットワークに対する請求を認める一方、Y1~Y3に対する請求を棄却しました。

 これに対し、原告側がY1~Y3ら個人を相手取り、控訴提起したのが本件です。

 裁判所は、次のとおり述べて、Y1~Y3の個人責任を一部認めました。

(裁判所の判断)

「賃金債権は要保護性が高く、労基法上も、賃金の支払義務の違反については罰則が設けられている(労基法24条、120条)。したがって、原審会社被告らをして法令違反及び契約違反がないように賃金の支払義務を遵守させることは、原審会社被告らの役員の職務(任務)である。原審会社被告らの役員において、当該任務の懈怠につき悪意又は重過失があり、これにより控訴人に損害を与えたときは、会社法429条1項に基づき賠償責任を免れないというべきであるところ、前記のとおり、賃金債権等の不払により、控訴人に損害が発生していることは明らかである。以下、被控訴人らが同責任を負うか、前記認定事実等を踏まえて検討する。」

・固定給の未払について

「原審会社被告らにおいては、従業員に勤怠表を提出させ、給料明細書を作成交付して、賃金を支払っていたのであり、従業員に対する賃金支払の仕組みは一応整えられていたものといえる。」

「前記のとおり、控訴人に対する令和元年5月分及び6月分の固定給(基本給と技術手当で月33万円。これが不支給とされたり減額されたりする理由は一切ない。)が未払となっているが、本件証拠上、その原因(単に支給手続に漏れ(事務処理上のミス)があったにすぎないのか、Eから原審被告Aの口座の仮差押えを受けたために支払資金が不足したのか、意図的に支払わなかったのかなど)は不明であり、前記固定給が支払期日に支払われなかったことについて、直ちに同社の役員らに悪意又は重過失による任務懈怠があったものと認定することはできない。」

「しかし、令和元年5月分及び6月分の賃金のうち固定給部分について、原審会社被告らが支払を拒絶する合理的理由があったことを窺わせるに足りる証拠はない(原審会社被告らが実態としては同一法人であり、原審被告Aのもとで発生した賃金債権であることが、原審被告Bにおいて支払を拒絶する理由にならないことは前記のとおりである。)。そして、控訴人は、同年9月4日には、被控訴人Y1と面談した際に同年5月分及び6月分の給料が未払になっていることを伝え、被控訴人Y1は、被控訴人Y2に確認しないと分からないと返答したものである。被控訴人Y2は、被控訴人Y3から、賃金を支払うべきである旨の助言を受けていたものである。そうすると、被控訴人Y1及び被控訴人Y2(以下、この2名を「被控訴人両名」ともいう。)は、遅くとも同年9月末までには、控訴人に対する同年5月分及び6月分の固定給の支払が未了になっていることを認識した、あるいは容易に確認して認識することができたものと推認することができるのであり、直ちに原審会社被告らをしてその支払を行わせる必要(任務)があったというべきである。しかるに、被控訴人両名は、原審会社被告らをしてその支払を行わせておらず、その後も未払のまま放置していたものである。したがって、被控訴人両名には、同年10月1日以降も控訴人に対する同年5月分及び6月分の固定給が未払であったことについて、悪意又は重過失による任務懈怠があると認められる(なお、当時、控訴人の雇用主は形式的には原審被告Aから原審被告Bに変わっていたが、原審被告BはEとの紛争を避ける等の目的で設立されたにすぎず、控訴人に対する関係では両社の実態は同一であることなどは前記のとおりである。被控訴人Y2が主導して原審被告Bを設立し、被控訴人Y1もその事情を知りながらこれに協力・加担したのであるから、両者の法人格が形式的には異なることをもって、前記の任務懈怠について重過失がないなどということはできない。)。」

「また、被控訴人Y3は、原審会社被告らの設立に関与した上、取締役に就任している。被控訴人Y3は、被控訴人Y2とは友人関係にあり、経営に関する助言等もしていたことが認められるから、単なる名目的な取締役であったということはできない。被控訴人Y3において、原審被告Bの設立の経緯や、原審会社被告らの実態が同一であることを認識していたことは明らかである。原審会社被告らの従業員は、控訴人を含め8名ないし10名程度・・・であるから、被控訴人Y3において、控訴人の賃金債権の支払状況を確認することが困難であったとは認められないし、被控訴人Y3は、被控訴人Y2からの話により、控訴人に未払労働債権があることを認識していたものである。それにもかかわらず、被控訴人Y3は、一般的な助言を被控訴人Y2にしただけで、具体的な未払の賃金債権等の額や内容を確認することもなく放置していたことが認められる。したがって、被控訴人Y3は、原審会社被告らの経営陣の一員として、被控訴人両名の任務懈怠に加担したものであり、取締役として会社に法令を遵守させるべき自らの任務の懈怠について重過失が認められるというべきである。

したがって、被控訴人らは、控訴人に対し、各自、令和元年5月分及び6月分の固定給合計66万円が同年10月1日以降も未払であったことにつき、会社法429条1項に基づく損賠賠償責任を負う。

(中略)

・割増賃金の未払について

「前記のとおり、平成30年4月分から令和元年9月分までの割増賃金(残業代)合計116万7627円が未払となっている。しかし、これは、技術手当がみなし残業代であるかどうか等について、原審会社被告らと控訴人との間で見解の相違があったことによるものであり、原審会社被告らの見解・主張が全く根拠を欠くものであったとまではいえないから、原審会社被告らから前記残業代が支払期日に支払われず、原判決確定まで支払がない状態が継続していたことをもって、同社の役員らの悪意又は重過失による任務懈怠であるということはできない。したがって、被控訴人らが、この点について、会社法429条1項に基づく損害賠償責任を負うとは認められない。」

(中略)

・通勤手当の未払について

「前記のとおり、平成元年7月分から9月分の通勤手当の一部(合計2万0459円)が未払となっているが、それ以前は通勤手当はきちんと支払われていたし、前記月分も通勤手当の一部は支払われていたものである。未払額は、従前の派遣先(F)への通勤費用の金額と、新たな派遣先への通勤費用の金額との差額であるところ、本件証拠上、同額の未払が生じた原因は不明であり、前記通勤手当の一部が支払期日に支払われなかったことについて、原審会社被告らの役員らに悪意又は重過失による任務懈怠があったものと認定することはできない。」

「しかし、控訴人は、令和2年4月10日到達の被控訴人Y1(原審被告B代表取締役)宛の書面により、前記通勤手当の一部が未払であるとして、その支払を求めている・・・。原審被告Bの実質的な代表者は被控訴人Y2であり、被控訴人Y1は、当然、これを被控訴人Y2に伝えたものと推認することができる。そうすると、被控訴人両名は、遅くとも同年4月末までには、控訴人に対する令和元年7月分ないし9月分の通勤手当の一部の支払が未了になっていることを認識した、あるいは容易に確認して認識することができたものと推認することができるのであり、直ちに原審会社被告らをしてその支払を行わせる必要(任務)があったというべきである。しかるに、被控訴人両名は、原審会社被告らをしてその支払を行わせておらず、その後も未払のまま放置していたものである。したがって、被控訴人両名には、令和2年5月1日以降も控訴人に対する前記通勤手当の一部が未払であったことについて、悪意又は重過失による任務懈怠があると認められる。また、彼控訴人Y3も、被控訴人両名の任務懈怠に加担したものとして、同様の任務懈怠責任を免れない。

したがって、被控訴人らは、控訴人に対し、各自、前記通勤手当の一部合計2万0459円が令和2年5月1日以降も未払であったことにつき、会社法429条1項に基づく損賠賠償責任を負う。

3.因果関係がそれほど厳密には問われていない

 本件の特徴は、

「取締役が賃金等を支払わなかった⇒その結果、会社に支払能力がなくなった⇒労働者が割増賃金の支払いを受けられなくなった」

という因果関係を厳密に検討されていないことにあります。

「賃金等が支払われないのを放置していた⇒未払であったことに損害賠償責任を負う」

といったように、会社の支払不能を媒介にしていないように読めます。

 賃金債権の回収のため、取締役ら経営陣の個人責任を問うことが意味を持つ事件は一定数あります。そうした事件の処理にあたり、本件の判示は参考になります。