1.法人格否認の法理
法人格否認の法理とは、
「ある法人を実質的に支配している者が、法人格が異なることを理由に責任の帰属を否定することが正義・衡平の原理に反すると考えられる場合に、信義則(民法1条2項)上、そのような主張をすることを許さないものとする法理」
をいいます(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、第2版、令3〕81頁参照)。
法人格否認の法理には、形骸型と濫用型があります。濫用型とは、文字通り法人格が濫用されている場合をいいます。濫用型の法人格否認の法理が認められるためには、
「法人を背後から『支配』している者がその法人格を違法・不当な『目的』で濫用したという事情(『支配』の要件と『目的』の要件)が必要である」
と理解されています(前掲『詳解 労働法82頁参照)。
それでは、労働者が未払賃金(割増賃金、時間外勤務手当等)を請求するために濫用型の法人格否認の法理の適用を主張する場合、適用要件となる違法・不当な目的は、賃金支払債務を免脱する目的であることを要するのでしょうか? それとも、より広く一般的な意味での違法・不当性があれば足りるのでしょうか?
この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪高判令5.1.19労働判例1289-10 エヌアイケイほか事件です。
2.エヌアイケイほか事件
本件で被告になったのは、
人材派遣業を目駅とする株式会社(エヌアイケイ)、
労働者派遣事業等を目的とする株式会社(コミュニケーションズネットワーク)、
コミュニケーションズネットワークの取締役2名(Y1、Y2)
コミュニケーションズネットワークの代表取締役1名(Y3)、
の三名です。
原告になったのは、エヌアイケイとの間で労働契約を締結していた方です。
本件の原告は未払時間外勤務手当等を請求するにあたり、
エヌアイケイだけではなく、
濫用型の法人格否認の法理の適用を主張して、
コミュニケーションズネットワークを、
また、会社法429条の適用を主張し、Y1~Y3を、
被告に加え、未払時間外勤務手当等の支払いを請求する訴えを提起しました。
原審は、エヌアイケイ、コミュニケーションズネットワークに対する請求を認める一方、Y1~Y3に対する請求を棄却しました。
これに対し、原告側がY1~Y3ら個人を相手取り、控訴提起したのが本件です。
本件の裁判所は、次のとおり述べて、原審と同様、法人格否認の法理の適用を認ました。
(裁判所の判断)
「原審被告Bは、被控訴人Y2が、Eによる原審被告Aの口座の仮差押えを同社に対する業務妨害と捉え、Eによる原審被告Aに対する債権行使ないし責任追及を回避し、Eとの間の紛争を避けるという目的(原審被告Aの業務は人材派遣業であり、同社が派遣先から支払われる派遣料ないし委託料の他に特段の収入源や資産を有していた形跡はなく、同社(旧会社)の業務を原審被告B(新会社)に移せば、旧会社で業務を行うことはできず収益も生じなくなり、債権者から旧会社への責任追及ないし債権回収も不可能となるという関係にある。)で設立した会社にすぎない。前記のとおり、原審被告Aと原審被告Bとは、経営陣、従業員、事業内容などからして、法人としての実態は同一のものである。原審被告Bは、雇用契約承継のための手続等も行わないまま、原審被告Aの業務及び従業員のすべてを引き継ぎ、本件案内文前と同様に労務提供を受けていたのである。そうすると、原審会社被告らにおいて、控訴人その他の従業員に対する関係で、雇用主が原審被告B又は原審被告Aのいずれかであり、両者の法人格が形式的に異なることを前提に、一方のみが賃金支払債務を負う旨主張することは、信義則上許されないというべきである。したがって、控訴人は、原審会社被告らのいずれに対しても、雇用契約に基づく賃金債権等を請求することができるというべきである。
3.賃金支払債務を免れる目的ではなくても足りる
本件で違法・不当な目的が認定されたのは、別件訴訟の債権者からの仮差押えを免れるためであり、必ずしも原告からの賃金請求を回避するためであったわけではありません。
それでも、裁判所は法人格否認の法理(濫用型)の適用を認めました。これは、当該訴訟における原告の債権を免脱する目的がなかったとしても、目的要件が充足される場合はあり得るとの前提に立っているからだと思われます。
濫用型の法人格否認の法理の適用に必要とされる目的要件との関係で議論される債務免脱目的は、必ずしも原告に対する債務であることを要しない-法人格否認の法理は実務上もそれなりに活用する法律構成であり、このような判断が出たことは、覚えておく価値があるように思います。