弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

会社経営者が解雇と辞職の区別さえ知らないのは不合理であるとされた例

1.解雇か辞職か

 労働契約法16条は、

「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」

と規定しています。一般に解雇権濫用法理と言われるもので、この条文により、解雇の有効性は厳格な司法審査に服することになります。

 これに対して、労働者の側から会社に対して退職の意思表示をすることを辞職といいます。発生する法的効果が重大であるため、退職の意思表示があったといえるのかどうかは慎重に認定される傾向にありますが、辞職には解雇権濫用法理のような法令上の制約があるわけではありません。

 このように解雇と辞職とでは、法的な性質が大きく異なります。そのため、労働者が職場に出勤しなくなった時に、それが解雇によるものなのか、辞職によるものなのかが争われることがあります。労働者の側は解雇されたから職場にいかなくなっただけだと解雇を主張しますし、使用者の側は労働者が勝手に辞めただけだとして辞職を主張します。

 近時公刊された判例集に掲載されていた、東京地判令4.4.22労働判例ジャーナル128-18 PASS-I-ONE事件も、解雇か辞職かが問題になった事件の一つです。

2.PASS-I-ONE事件

 本件で被告になったのは、接骨院及び整骨院等の経営、運営、管理などを目的とする合同会社です。

 原告になったのは、被告との間で機関の定めのない労働契約を締結していた方です。

 令和3年3月21日、被告代表者から翌日から出金しなくてよい旨が述べられ、以降、原告は被告で就労しなくなりました。

 原告は、これを退職の意思表示をしていないにもかかわらず退職したものとして扱われ、労務提供を拒絶されたものと主張し、地位確認等を求める訴えを提起しました。これに対し、被告は、退職の意思表示を受けたものだと反論しました。

 令和3年3月21日の発言の内容及び趣旨には争いがありましたが、裁判所は、次のとおり述べて、被告代表者の供述の信用性を否定し、退職の意思表示があったとは認められないと判示しました。

(裁判所の判断)

「令和3年2月21日、原告は、被告代表者に対し、『頭が痛いので明日休みたい』と言ってきた。被告代表者は、前日、原告が、被告の指示に反し、被告の別の従業員と駅で立ち話をしていたことから、新型コロナウイルスに感染したことも疑わなければならないので、原告に対し、『明日からしばらく来なくていい。』と伝えた。なお、原告に対し、『クビだ』とは言っていない。そうしたところ、被告代表者は、いきなり原告から、1か月分の給与を支払ってほしいと言われた。被告代表者は、支払をしなければならないか全く判断できなかったので、そのようなことは第三者を通して話し合うと回答し、その際、原告と口論になった。その後、原告は、被告の店舗に置いていた私物を持ち帰ろうとしていたことから、被告代表者は、原告に対し、忘れ物がないように伝えた。翌日(同月22日)以降、原告が出勤しなくなったことから、被告代表者は、原告が退職したものと思った。」

「しかし,被告代表者の前記陳述及び供述は、採用することができない。その理由は次のとおりである。」

・本件解雇予告通知書との不整合

「被告は、令和3年3月3日付けで、原告に対し、被告代表者が自ら起案した本件解雇予告通知書を送付しているところ、本件解雇予告通知書には、就業規則の具体的な条番号(解雇事由に係るもの)を引用した上で、原告を解雇する旨が明確に記載されているほか、解雇予告手当を支払う旨が記載されている・・・。仮に、原告が自ら退職の意思表示をしていたなら、被告代表者がこのような通知書を作成する必要性は全くなく(なお、被告代表者は、本人尋問において、過去に被告を退職した従業員に対し、本件解雇予告通知書と同様の通知書を送付したことはない旨を供述している・・・、極めて不合理である。」

被告は、本件解雇予告通知書の作成当時、被告代表者は解雇と退職の区別を知らず、解雇予告手当についても会社を辞めることになった社員に支払う手当であって、請求があれば支払わなければならないといった程度の認識しかなかった旨を主張する。しかし、会社経営者である被告代表者が解雇と退職の区別さえ知らなかったというのはそれ自体不合理である上、被告は、本件解雇予告通知書の送付後、弁護士に委任し、原告に対し、被告は原告を就業規則違反により解雇したものであり、当該解雇は正当である旨等が記載された通知書を送付している・・・のであって、被告代表者が弁護士への委任後も自らの誤解に気付かないまま、このような通知書を作成させたとはおよそ考えられない。前記主張は不合理なものといわざるを得ない。

・陳述及び供述自体の不自然さ

「被告代表者の陳述及び供述によれば、原告は、被告代表者から、解雇を告げられることもなく、新型コロナウイルスの感染が疑われるため『明日からしばらく来なくていい。』と言われただけで、突如1か月分の給与の支払を求めたり、被告代表者との間で大声による口論が発生したり、被告の店舗における私物の全部又は大部分を持ち帰ったことになるし、被告代表者も、自らの意図を正解せず、私物を持ち帰ろうとする原告に対し、特段の釈明をすることもなく、ただ、忘れ物がないようにとだけ声をかけたことになるが、事実経過として余りに不自然である。」

「ほかに原告が令和3年2月21日に被告に対して退職の意思表示をしたことを認めるに足りる証拠はなく、同事実を認めることはできない。」

3.解雇予告通知書等、解雇を前提とする書面を発行させる

 一般論としていうと、解雇なのか辞職なのかが曖昧な時は、解雇として争った方が労働者側に有利です。解雇として争うには、解雇予告通知書の交付を求めるなど、解雇であることを基礎づける事実や証拠を集めて行くことが重要な意味を持ちます。

 本件の裁判所が判示するとおり、会社経営者に解雇と辞職の区別がつかないはずがないという経験則があります。この経験則があるため、「解雇」として既成事実を積み重ねてしまえば、問題の契機は解雇として認識されます。後に使用者側が解雇と辞職を区別できなかったと述べたとしても、解雇であるという既成事実が一度できてしまうと、それを覆すことは一般論として困難です。

 そのため、辞職なのか解雇なのかが微妙なケースの初動では、どのように解雇であることを基礎づける事実を積み重ねて行くのかを考えて行くことになります。解雇予告通知書が発行されていれば辞職ではなく解雇であるのは当たり前だと思うかもしれませんが、その当たり前と思えるような状況が作り出されているところに本件の勝因があります。

 初期対応が上手くゆくのかによって事件の難易度は大きく変わることがあります。そのため、トラブルが生じたときには、できるだけ早く弁護士等、専門家のもとに相談に行くことが大切です。