弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

遺書の証拠力-遺書に書いてあるストレス因でも事実として認められないことがある

1.遺書の証拠力

 職場でのストレスが背景にある自死・自殺事案では、遺書に上司や同僚等の心ない言葉が書かれていることがあります。

 このような内容の遺書を目にした遺族には、

当該心ない言動が存在したに違いない、

当該心ない言動が自死・自殺の原因になったに違いない、

と思う方が少なくありません。

 確かに、遺書の記載は、自死・自殺の原因を立証するための有力な証拠になります。

 しかし、遺書の記載さえあれば訴訟で責任を問うことができるのかというと、そう言い切れるわけでもありません。自死・自殺は精神障害(精神疾患)の影響のもとで行われることが多いからです。正常ではない心理状態のもとでは、特に攻撃的ではない言動であっても、被害的に受け取られることがあります。このような可能性が排除されないため、遺書に書かれているから責任追及等が可能になるというほど単純な問題だとは考えられていません。

 昨日ご紹介した釧路地判令4.3.15労働判例ジャーナル127-52 国・釧路労基署長事件も、遺書に記載されていた心ない言動が、裁判所によって、事実として認められなかった例になります。

2.国・釧路労基署長事件

 本件は自死した新人看護師(亡P5 平成25年3月卒業、平成25年9月15日死亡)の両親が原告となって提起した労災の不支給決定に対する取消訴訟です。亡P5が自死したのは職場の上司からのパワーハラスメントなどの業務上の心理的負荷を受けて精神障害を発病したことによると主張して、遺族補償給付及び葬祭料の不支給決定に対する取消を求める訴えを提起しました。

 本件の亡P5は遺書を残しており、その中に、次のような記載がありました。

(裁判所が認定した遺書の内容)

「入職して、6ヶ月が経ちました。

この6ヶ月、注射係しかできませんでした。その注射係すらまともにできませんでした。

異常な緊張が続き、6月にはプロポフォールのインシデント、手術台のロックを外してしまうアクシデントを起こしてしまいました。

「本当に申し訳ありませんでした。

毎日、胃痛と頭痛に悩やまされ、夜中に目が覚めてしまう日々が続きました。
集中力に欠けて、ミスを連発し、言われたことを直せないでいました。
P11先生に『お前はオペ室のお荷物だな』と言われて、確信しました。
成長のない人間が給料をもらうわけにはいきません。
本当に申し訳ありません。
勉強しても、イメトレしても手術部屋に入ると、抜けてしまいました。
だから、あきれられても仕方ありません。
6ヶ月本当に皆様にはお世話になりました。」

 本件の原告(遺族)は、P11の言動等によって強い心理的負荷が発生したと主張しました。

 しかし、裁判s如は、次のとおり述べて、原告の主張を採用しませんでした。

(最場所の判断)

確かに、本件遺書には、P11医師から本件発言がなされた旨の記載がある(前提事実・・・から、少なくとも、亡P5は本件遺書を作成した当時において、P11医師から本件発言を受けたと認識していたということはできる。しかし、本件遺書はその全体の趣旨からして亡P5の精神障害に由来すると考えられる強度の自責傾向や自己評価の低さが顕著に示されており、精神障害の強い影響下で作成されたものと考えられることからすれば、亡P5が死亡前に遺書として作成したという特殊性を考慮しても、亡P5がP11医師の発言内容について体験した事実を正確に記載したことが推認されるとまではいえない。なお、亡P5は、平成25年7月1日付の(提出期限は8月1日)『勤務異動及び退職に関する調査』の中の『その他看護部長へ伝えたいこと・困っていること・提案などについて自由にご記入ください。』の欄に「仕事の要領が悪く、職場の皆様のお荷物になっていることが辛いです。」と記載していることからすると・・・、この時点ですでに『職場の皆様のお荷物』という自己評価を抱くに至っていたことがうかがわれるが、これが精神障害の影響下で亡P5が自ら考察したものであるのか、第三者からの影響を受けて内面化したものであるのかについても、証拠上明らかではない。

亡P5とP11医師との接点について検討するに、P11医師は、手術場における看護師との雑談を通じて、その年の新人看護師である亡P5が業務の習得に苦労していることを知り、手術場の出入りの際やドクターラウンジで亡P5を見かけた際には「どう、がんばっているか?」「また怒られちゃったの?」などと声をかけてあいさつ程度の会話をすることがあったほか、亡P5の業務習得を図るため、自らが行う手術に入ることを提案したが、亡P5を指導する看護師側から基本的技術の習得を優先すべきであるとの意見を受けて撤回したことがあることが認められる・・・。そうすると、P11医師は、亡P5の業務の習得状況を気に留め、仕事上の接点はなかったものの、亡P5と複数回にわたり雑談する機会を有していたといえるから、こうした機会に亡P5に対して本件発言を行うことが不可能であったとはいえない。

「この点について、原告は、亡P5が、P11医師の行う手術場に複数回立ち会っていた旨主張するが、仮に、亡P5がP11医師の手術場に入る機会があったとしても、亡P5が行う業務は、麻酔に関する間接介助業務にすぎず(・・・、同僚看護師ら及びP「11医師は、亡P5がP11医師の手術について間接介助業務を行うとしても、P11医師が入室する前の時点にすぎないと供述していること・・・からすれば、亡P5とP11医師が手術室内において直接会話し、P11医師が亡P5に直接何らかの指導をする機会があったとは認められない。」

P11医師は、亡P5と雑談する機会は有していたものの、亡P5の仕事ぶりを直接認識する機会はなく、看護師から間接的に亡P5の仕事ぶりを伝え聞いたにすぎないから、P11医師自身の評価として亡P5に対して本件発言を行ったとすることは不自然である。」

「一方で、亡P5は、平成25年6月頃、男性更衣室あるいはドクターラウンジでP11医師と雑談した際に、P11医師に対し、「先生はどうしていつも優しいんですか、僕の評判はそんなに悪いですか。」と質問したことがあることが認められ・・・、このことと、眼科部長であるP11医師が、はげましのつもりで、新人看護師である亡P5に、『どう、がんばっているか?』『また怒られちゃったの?』などと声をかけていたことを併せて考えると、亡P5は、雑談におけるP11医師の何らかの発言を、精神障害の影響下における自己評価と結びつけて認知するに至った可能性も考えられる。」

「いずれにしても、本件遺書の記載は、本件発言の存在を裏付けるに足りるものではなく、他に、P11医師が本件発言をしたと認めるに足りる証拠はないから、本件発言がされたことを前提に亡P5とP11医師との間に『上司とのトラブル』があったとする原告らの主張は採用することができない。

3.遺書に書かれているからといって立証が容易とは限らない

 上述のとおり、裁判所は、遺書の記載を目にしながらも、遺書に記載されていた同僚医師P11の言動を否定しました。

 遺書に書かれているからといって、その事実が当然のように裁判所で認定されるとは限りません。

 即断せず、その証拠としての価値は、慎重に吟味検討することが必要です。