弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

従業員に身の回りの世話をさせ、精神疾患(うつ病エピソード)を発症させたと認められた例

1.私的な雑用の処理を行わせること

 比較的小規模な会社において、創業者・経営者が、従業員に対して、業務とは無関係の私的な雑用の処理をさせていることがあります。

 直観的に分かるのではないかと思いますが、こうしたことは、法的にも否定的に理解されます。

 多くの場合、私的な雑用を処理させることは、労働契約上認められる業務命令権の範囲を逸脱しているでしょうし、令和2年1月15日厚生労働省告示第5号「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」は、

「労働者に業務とは関係のない私的な雑用の処理を強制的に行わせること」

はパワーハラスメントの一例として位置付けています(過大な要求)。

 パワハラの一例とされていることからも分かるとおり、私的雑用・身の回りの世話をさせることは、労働者に不快感や屈辱感を与えるものだといえます。しかし、これによって精神疾患を発症するなど、深刻な被害が生じる例はあまりありませんでした。

 ところが、近時公刊された判例集に、従業員に身の回りの世話をさせ、精神疾患を発症させたことについて、安全配慮義務違反が認められた裁判例が掲載されていました。東京地判令4.2.17労働判例ジャーナル125-30 葵宝石事件です。

2.葵宝石事件

 本件で被告になったのは、貴金属・宝石等の販売をする株式会社です。

 亡C(平成28年7月16日死亡)は、平成26年当時89歳の女性で、

平成17年3月28日から平成24年2月9日まで、

及び、

平成27年3月10日から死亡日(平成28年7月16日)まで

の間、被告の代表取締役の地位にあった方です。創業者である亡Dの妻で、被告の発行済み株式の98%も保有していました。ただ、被告の事業や経営には関わらず、被告事務所の所在する建物において単身で生活していました。

 Bは元々は専務でしたが、亡Dの死亡に伴い平成28年8月24日から被告の代表取締役の地位にあった方です。

 原告になったのは、平成18年8月1日以降、被告との間で期間の定めのない労働契約を締結し、販売・経理等の業務に従事してきた方です。平成26年5月ころ、うつ病エピソード(本件疾病)を発症し、同年6月4日から欠勤を続け、平成29年10月30日付けで休職期間満了による退職と扱われました(本件退職取扱い)。これを受け、本件取扱いは、亡Cの身の回りの世話を命じられる中で受けた暴言・暴行に起因するとして、本件退職取扱いの無効を主張し、労働契約上の権利を有する地位の確認や、安全配慮義務違反を理由とする損害賠償を求めて被告を提訴しました。

 被告は原告に対して亡Cの身の回りの世話を命じたことを否認しましたが、裁判所は、次のとおり世話の実体を認定したうえ、本件疾病の業務起因性、被告の安全配慮義務違反を認めました。

(裁判所の認定した世話の実体)

「亡Cは、本件建物の6階に居住していたが、同建物の1階にある本件事務所を頻繁に訪れ、原告等の従業員に対して買物等の日常生活上の雑務を行うよう指示していた。なお、亡Cは家政婦を雇っていたが、家政婦が不在の期間や、家政婦の帰宅後には、被告の従業員が亡Cの日常生活上の雑務を行っていた。」

「亡Cは、不機嫌で攻撃的になることがあり、指示に従わない従業員に対して『解雇する』、『くびにする』等と述べたり、『遅刻だ』、『従業員は日の出とともにやってこい』と述べることがあり、原告が会話や電話に応じないときには、『私の言うことを聞きなさいよ』等と述べて、背中を叩くことがあった。」

「原告は、平成20年2月から本件事務所で勤務し、平成21年5月ころ、同事務所で勤務していた従業員の一人が死亡したことにより、亡Cに対応する機会が増えた。なお、原告は、午後5時30分が終業時間とされていたが、午後6時30分ころまで残業することがあった。」

「原告は、亡Cの買物等の日常生活上の雑務を行い、また、平成23年8月ころ、亡Cに座薬を入れる処置をした。亡Cは、原告に対し、『母親はまだ生きているのか。』『介護しても得はない。』『死んでしまえばいいのに。』等と述べることがあった。
 原告は、平成21年5月ころから、Bに対し、亡Cの言動への対応が負担であるとして対応をとるよう求めた。」

「被告は、平成23年10月ころ、原告に対し、入院中の亡Cに新聞を届けることを数回指示した。」

「亡Cは、同年11月14日、原告に対し、『嘘つき、親の育て方が悪い、図々しい、役立たず、事務所から出ていけ』等と述べた。」

「亡Cは、平成24年1月、原告が従業員と電話で話をしていた際、原告の頭部や背中を叩くことがあった。」

「亡Cは、同年2月6日、原告に対し、買物について不満を述べ、『使用人のくせに、店に行け、帰れ』等と厳しい口調で述べ、同日の深夜から翌朝にかけて原告の携帯電話に繰り返し架電した。原告は、Bに対し、亡Cが深夜、早朝に電話をかけてくることへの対応を求めたところ、Bは、携帯電話の着信を拒否するなどしてうまく対応するように指示した。」

「原告は、同月7日、被告の税理士を通じてBに対し、亡Cが身体を叩くことをやめてほしい旨を伝えた。」

「原告は、同年4月16日、Bに対し、亡Cの暴言等について状況を改善してもらいたい旨を伝えたところ、Bは、原告の対応について非難する旨の発言をした。原告は、同日の勤務終了後、福山整形外科・メンタルクリニックを受診し、うつ病との診断を受けた。」

「Bは、同年6月1日、原告に対し、給料を支払っているのだから黙って亡Cの相手をすれば良いなどと述べた。」

「Bは、平成26年5月30日、原告に対し、亡Cの従業員に対する攻撃的な言動が異常で、理不尽である旨を述べ、同人の言動について、『聞き流すぐらいにやっていかないと』『ある程度覚悟して。』などと述べた。」

「Bは、同年6月2日、原告に対し、『いつものことだからさ、つらいだろうけど我慢していなしてよ。ね。あのおばあちゃんの件は。』『その分を給料も増やして』『その分も含めて多めに給料を出してやってきた。』『会社があの人の部分の、生活の部分もある程度見ますよっていう形で含まれてやってきた』等と述べた。」

(裁判所の判断)

・業務起因性について

「証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、原告は、平成25年秋ころから倦怠感や不眠の症状が現れ、心療内科(福山整形外科・メンタルクリニック)を受診するようになり、平成26年5月ころ、本件疾病を発症したことが認められる。」

「前記認定事実によれば、原告は、平成21年5月ころから、本件事務所で勤務し、同じ建物の6階に居住していた亡Cから、買物等の日常的な雑務を行うよう指示され、また、同人から、指示に従わなければ解雇する旨や、早朝からの出勤を求められる等の言動を繰り返し受けていたことが認められる。そして、亡Cは、不機嫌で攻撃的になることがあり、軽度とはいえ原告の身体を叩く等の暴行を行うこともあったところ、かかる行為は、原告が本件疾病を発症する平成26年5月ころまで約5年にわたり継続して行われていたものであり、かかる亡Cの言動は、原告に対して強い心理的負荷を与えるものであったと認められる。

「また、前記認定事実によれば、原告は、Bに対して亡Cへの対応を繰り返し求めていたことが認められるが、亡Cの原告に対する言動が弱まっていたことは窺われず、被告において亡Cの言動を防止するための特段の措置、対応がとられていたとは認められない。かえって、前記認定のとおり、Bは原告の対応を非難する旨の発言をしていたものであり、かかる被告の対応も、原告の心理的負荷を強めるものであったということができる。」

「さらに、前記認定事実によれば、原告は、平成24年4月16日に心療内科を受診し、『うつ病』『PTSD疑い』との診断を受けたが、その後も亡Cからの暴言等が継続し、平成26年5月ころ、本件疾病を発症し、同年6月にはBから亡Cの言動について我慢するしかない旨を述べられ、本件休業に至ったことが認められ、かかる経緯に照らしても、本件疾病の発症が被告の業務に起因するものと認めることが相当である。この点、E医師の意見書においても、本件疾病の原因として、亡Cの言動や被告において配慮を受けられなかったことが挙げられているところ、同意見書の記載内容に特段不合理な点は窺われない。」

「これに対し、被告は、亡Cの身の回りの世話を家政婦に行わせており、原告に命じたことはない旨主張する。しかしながら、被告の従業員にすぎない原告が、亡Cの日常生活上の雑務について、被告や亡Cから指示されることなく、自ら積極的に行う動機は認められない。むしろ、亡Cは被告の創業者の妻で、被告の代表取締役又は取締役の地位にあった者であることからすれば、従業員である原告が亡Cの意向に反する行動をとることは期待し難いというべきであり、また、原告はBに対して亡Cへの対応を繰り返し求めていたことからしても、原告は被告の従業員として亡Cへの対応を余儀なくされていたと認めることが相当である。なお、前記認定のとおり、亡Cは家政婦を雇っていたが、家政婦が不在の期間や家政婦が帰宅した後は、原告等の従業員が亡Cから日常的な雑用を命じられていたものと認められる。したがって、被告の主張は採用することができない。」

「また、被告は、原告は、被告に入社する以前に、配偶者から家庭内暴力を受けていたことがあり、本件疾病は、被告の業務外の原因によるものである旨主張する。しかしながら、被告が指摘する家庭内暴力の具体的内容は明らかでない上、原告が離婚した時期は平成15年ころであり・・・、前記のとおり、E医師は、発症の原因が夫からの家庭内暴力にあると関連付けるのは医学的には根拠に乏しい旨の意見を述べていることからすれば、配偶者からの家庭内暴力が本件疾病の原因であると認めることはできない。したがって、被告の主張は、採用することができない。」

以上によれば、本件疾病は、被告の業務に起因して発症したと認められる。

・安全配慮義務違反の成否について

「前記・・・において説示したとおり、亡Cは、原告に対して日常的な雑務を指示するとともに暴言等の行為を行い、これにより原告は強い心理的負荷を受けていたと認められる。」

「前記認定のとおり、原告は、Bに対し、繰り返し、亡Cから暴言等を受けていることについて改善を求めていたことからすれば、被告は、原告と亡Cとの接触の機会を減らすなどして原告の就業環境を改善するための措置をとるべき義務を負っていたというべきである。それにもかかわらず、前記認定のとおり、Bは、原告に対し、亡Cの言動に対して聞き流すなどして我慢することを求めていたにすぎず、亡Cが本件事務所を訪れることを防止することや、原告と亡Cとの接触の機会を失くすことなど、原告の就業環境を改善するための措置を講じたものとは認められない。

「被告は、原告に対して亡Cの世話を命じたことはなく、原告がBに対して勤務の改善を求めたことがあったが、その理由は、亡Cの言動により業務が阻害されるというものであり、被告は、原告からの求めに応じて、原告を午後3時まで本件店舗の勤務とするなどの対応をしている旨主張する。」

「しかしながら、被告が原告に対して亡Cの世話を明示的に命じていなかったとしても、前記のとおり、原告は、被告の従業員として亡Cへの対応を余儀なくされていたものであり、また、本件店舗に異動した後も午後3時30分以降は本件事務所で勤務することとされ、その時間帯に亡Cへの対応を行う必要があったことからすれば、かかる措置が、原告の亡Cの言動による心理的負荷を抜本的に改善させるものであったということはできない。

「したがって、被告の主張は、採用することができない。」

3.経営者の老親の世話を指示されている人は存外多いのではないだろうか

 比較的小規模な会社では、何が業務で何が業務ではないかの境目が曖昧であることも多く、なしくずし的に創業者一族の身の回りの世話をさせられることがあります。高齢化が進み、創業者世代の引退と共に、身の回りの世話を指示された従業員が物心両面で苦痛を受けるというタイプの紛争は増加することが見込まれます。

 過大な要求-私的雑用処理型のハラスメントが問題となった公表裁判例は類例に乏しく、本件は同種紛争の処理にあたり、数少ない先例として参考になります。