弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

正当な苦情とカスタマーハラスメントの区別

1.カスタマーハラスメント

 企業で働く従業員に対する顧客からの嫌がらせを「カスタマーハラスメント」といいます。クレームに疲弊する人が増えてきたことを受け、数年前から注目されている概念です。

 法令上、カスタマーハラスメントは、令和2年厚生労働省告示第5号「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」という文書の中に位置づけられています。

 具体的に言うと、この指針には、

「事業主は、取引先等の他の事業主が雇用する労働者又は他の事業主(その者が法人である場合にあっては、その役員)からのパワーハラスメントや顧客等からの著しい迷惑行為(暴行、脅迫、ひどい暴言、著しく不当な要求等)により、その雇用する労働者が就業環境を害されることのないよう、雇用管理上の配慮として、例えば、(1)及び(2)の取組を行うことが望ましい。また、(3)のような取組を行うことも、その雇用する労働者が被害を受けることを防止する上で有効と考えられる。」 

「(1) 相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備」

「(2)被害者への配慮のための取組」

「(3)他の事業主が雇用する労働者等からのパワーハラスメントや顧客等からの著しい迷惑行為による被害を防止するための取組」

と書かれています。この「顧客等からの著しい迷惑行為」と書かれているのが「カスタマーハラスメント」に対応する概念で、事業者はカスタマーハラスメントにより労働者の就業環境が害されることのないよう、雇用管理上の配慮を行うことが望ましいとされています。

 こういった立法の動向もあり、近時、顧客からの苦情やクレームに対しては、働く人の就業環境を守るという観点から批判的な視点で語られることが多くなっているように思われます。

 しかし、正当な苦情やクレームを入れることが問題視されないのは勿論のことです。

 近時公刊された判例集に、顧客からの苦情申し入れの適法性が争われた裁判例が掲載されていました。東京地判令3.12.22労働判例ジャーナル124-64 ベルリッツ・ジャパン事件です。苦情申し入れの適法性がどのように判断されるのかを知るうえで参考になるため、ご紹介させて頂きます。

2.ベルリッツ・ジャパン事件

 本件で被告になったのは、語学塾、各種文化教室の経営等を目的とする株式会社と(被告ベルリッツ)、被告ベルリッツが運営する英語学校の生徒です(被告B)。

 原告になったのは、被告との間で雇用契約を締結し、被告ベルリッツが運営する英語学校で講師をしていた方です。

 被告Bが、

ベルリッツの外で原告からレッスンを受けた後,多くの文字と音声のメッセージをラインを通じて受け取った

原告はベルリッツの外でレッスンを受けるよう繰り返し求めた

未登録の番号から多数回電話が来た。原告からだと思う

原告には、メッセージの送付、留守電の録音、電話をやめてほしい

原告に会うのが怖く、この状況は不満である

原告は自宅を知っているので、接近してほしくない

このようなことが他の人にも起こるのではないかと心配している

という苦情を申し入れたところ(本件苦情)、被告ベルリッツは、原告に対し、出勤停止5日間の懲戒処分を行いました。

 これを受け、原告は、

被告Bに対しては名誉毀損を理由とする慰謝料の、

被告ベルリッツに対しては職場環境義務違反を理由とする慰謝料・逸失利益の

支払いを求める訴えを提起しました。

 裁判所は、次のとおり述べて、被告Bが行った本件苦情の違法性を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告Bは、令和元年6月18日、原告から、『どれほどあなたのことを思っているか本当に恥ずかしい。』、『ただあなたがとても好きで、これはわがままです。』などと、恋愛感情を伝えるものととれるテキストメッセージや音声メッセージの送付を受け、同月20日、これに対し、自分は原告のただの生徒だということも分かってもらいたいと返信して、原告に対する恋愛感情は有していないことを示していた。ところが、原告は、被告Bが外資系航空会社の英語による面接試験に合格した後も、同人を業務外レッスンに誘い、被告Bがこれを断り、返信をしないでいたところ、同月24日には、一方的に時間と場所を指定して業務外レッスンを求めるなど、被告Bに会って話をすることを繰り返し求め、同月27日の深夜には、『なんだか頭がおかしくなったような気持ちです。この2週間眠っていません。』等の切迫した内容の音声メッセージを送り、同日午後7時半頃には、原告からの電話に出た被告Bを一方的に罵るなどした。また、原告は、業務外レッスンの際、被告Bから自宅の住所が記載された履歴書の送付を受けたほか、被告Bの自宅の近くまでついてきたことがあり、被告Bの自宅のおおよその位置を知っていた。」

「上記のような経過に鑑みれば、被告Bが、原告の言動に恐怖を感じたのは無理からぬところがあり、自身の安全を確保するため、被告ベルリッツに本件苦情を申し立てたというのも、正当な目的に基づく相当な行動であるというべきである。また、前記前提事実・・・のとおりの本件苦情の内容も、虚偽や明白な誇張はなく、基本的に真実であると認められる。他方で、本件苦情の申立てによって原告の社会的評価が低下したとしても、本件苦情の内容が不特定多数の者に拡散されたものではないことを踏まえると、その影響は限定的であるというべきである。

以上によれば、被告Bによる本件苦情の申入れは、原告の権利又は法律上保護される利益を違法に侵害したということはできないから、原告に対する不法行為を構成しない。

「これに対し、原告は、本件苦情の内容は、単なる事実の報告にとどまらず、原告に対して恐怖を抱いている、原告は自宅を知っているので来てほしくない、他の生徒についても同じことが起こることを心配しているといった、あたかも原告がストーカー行為を繰り返しているかのような印象を与えるものとなっているが、原告は被告Bにストーカー行為やセクハラ行為と認められるようなことは一切していないから、本件苦情は原告に対する名誉毀損であり、不法行為を構成する旨主張する。しかし、前判示のとおり、原告の一連の言動は、被告Bをして恐怖を感じさせ得る内容であって、被告Bが、自身の安全を確保するため本件苦情を申入れたことは、正当な目的に基づく相当な行動というべきである。また、前判示のとおり、本件苦情は、基本的に真実であると認められる原告の言動について申告したものにすぎず、その内容が不適切であるともいえない。よって、原告の上記主張は採用することができない。」

「また、原告は、被告Bに好意があるかのようなラインメッセージを送ったのは、被告Bに対する恋愛感情からではなく、被告Bが自宅の部屋まで来るよう誘ったのを原告が断ったこと、被告Bが原告の厳しいレッスンに対して泣き言を言ったことについて、申し訳ない気持ちになったからであるなどと主張する。しかし、原告と被告Bとのラインメッセージのやり取り・・・の内容等を踏まえても、被告Bが原告を自宅の部屋まで来るよう誘ったとか、原告の厳しいレッスンに対して泣き言を言ったという事情はうかがわれず、本件全証拠に照らしても、これらの事実を認めることはできない。かえって、原告が被告Bに送った前提事実等に記載のメッセージの内容等に照らせば、原告は被告Bに思慕の情を抱いていたと認めるのが相当であるから、原告の上記主張は採用することができない。」

「さらに、原告は、被告Bが、原告からレッスンへの取組が不十分であることを咎められ、また、自分の部屋に来るよう誘ったことを断られたことへの報復として、被告ベルリッツに対し、あたかも原告がストーカーであるかのような印象を与える報告をしたなどと主張する。しかし、被告Bが原告を自宅の部屋まで来るよう誘ったこと等が認められないのは前記のとおりであるし、原告は、令和元年6月18日に被告Bの取組が不十分である旨のメッセージを送った後に、先ほど言ったことは本気ではない、既に英語の面接の準備はできているなどと伝えているのであるから、これらを理由に、被告Bが原告に報復する意図で本件苦情を申し立てたと認めることはできない。その他、原告の前記のような言動をやめさせてほしいという以上に、本件苦情に原告に対する報復の意図をうかがわせる事情は認められないから、原告の上記主張は採用することができない。」

「その他、原告がるる主張するところを考慮しても、本件苦情の申入れに不法行為が成立しないとの前記判断は動かない。」

3.目的の正当性/内容の真実性/手段の相当性(無暗に不特定多数人に知らせない)

 苦情の対象とされた従業員が個人で顧客を訴える事件は、それほど先行裁判例が充実しているわけではありません。そのため、苦情申し入れの適法/違法の判断がどのように行われるのかが気になっていたのですが、裁判所は苦情申し入れの適法性を、目的の正当性、内容の真実性、不特定多数人に拡散させたのかどうか、といった観点から検討し、不法行為の成立を否定しました。

 判示されている事実関係を前提とすれば、結論自体はそれほど驚くようなものではないものの、本件は、カスタマーハラスメントに対する社会的注目が集まる中、苦情申し入れの適法性に関する考慮要素を示した裁判例として参考になります。