1.名誉回復措置請求
民法730条は、
「他人の名誉を毀損した者に対しては、裁判所は、被害者の請求により、損害賠償に代えて、又は損害賠償とともに、名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができる。」
と規定しています。
これは名誉毀損に特有の仕組みで「名誉毀損における原状回復請求」「名誉回復措置請求」などと呼ばれています。
労働事件との関係でいうと、名誉回復措置請求は、懲戒処分を受けたことなどの不名誉な事実が社内公示された場合に活用されています。
それでは、この名誉回復措置請求を、それよりも少し前の段階、例えば、ハラスメント防止委員会で厳重注意をすべき答申が出された段階等で行うことはできないのでしょうか?
近時公刊された判例集に、この点が問題になった裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、札幌地判令3.8.19労働判例1250-5 A大学ハラスメント防止委員会委員長ら事件です。
2.A大学ハラスメント防止委員会委員長ら事件
本件で原告になったのは、学校法人A1(本件法人)が運営するA大学(本件大学)のA2学部A3学科の教授で、外国語(中国語)を担当していた方です。
被告になったのは、A大学ハラスメント防止委員会の委員であった方です。
本件でハラスメント被害に遭ったのは、本件大学A4学部A5学科の教授であり、原告と同じく外国語(中国語)を担当していたHという方です。この方は、中国出身で、過去、日本に帰化した経歴を持っていました。
令和元年9月に本件大学の初修外国語の担当教員による会議が開催されました。この会議には、原告、H教授、被告B(本件ハラスメント防止委員会委員長)、I教授、J教授の5名が出席しました。
この会議の席上で、原告は、H教授に対し、
「私は先輩ですよ。」
「あなたは何人ですか。中国人でしょ。」
「Hは日本の文化を知らない」
などと発言しました(本件発言)。
H教授が本件大学のハラスメント相談員に本件発言等の言動を相談したことを受け、A大学ハラスメント防止委員会は、
「思想・信条・国籍等に関する発言は相手の受け止め方でハラスメントに該当する。このたびの被申立人の発言は公の会議の場における申立人の国籍に対する感情的で理不尽な言動であり、申立人が精神的身体的にも大変な苦痛を感じていることから、人権侵害にあたるハラスメント(モラル・ハラスメント)であると判断する。」
などとして、再発防止とハラスメント根絶のため、
「被申立人であるまる 〇〇教授に対して、学長より限りなく懲戒に近い口頭による厳重注意をするとともに、宣誓書を提出することを命じる」
ことが適当であると決定し(本件決定)、学長に報告しました。
これに対し、本件決定により名誉感情が侵害されたなどと主張して、原告はハラスメント防止委員会の構成員らを相手に、A大学ハラスメント防止委員会の本件決定の取り消と損害賠償を請求しました。
しかし、本件決定自体は法的効果を生じるものではなかったため、本件ではハラスメント防止委員会の決定の取消を求めるという形態の訴訟を提起すること自体の適法性が問題になりました。
この論点について、裁判所は、次のとおり述べて、不適法だと判示しました。
(裁判所の判断)
「原告は、本件決定の取消しを求めているが、本件決定は、本件大学において、ハラスメントの相談や苦情申立てを受けた本件委員会が、その調査結果や対応措置、処分の検討結果等を学長に報告するというもので、私人による事実行為に過ぎず、原告に対する具体的な権利義務を形成する法的効果を生ずるものではなく、本件決定の取消しによる権利関係の変動等も観念できない上、その取消権を求める実体法上の根拠も見当たらない。したがって、本件訴えのうち本件決定の取消しを求める部分について、訴えの利益は認められない。」
「原告は、本件決定の存在により名誉感情が継続的に侵害されており、その侵害の排除を求める法的利益があると主張するが、本件決定は、原告と被告らとの間ではもちろん、本件法人との雇用契約関係(ただし、原告は既に本件決定に関して何ら処分を受けることなく退職している。)においても具体的な法的効果のない事実行為であり、原告主張の名誉感情の侵害もその事実上の影響に過ぎないのであって、その除去を求める法律上の利益は想定し難い(なお、主観的な評価である名誉感情の侵害は民法723条の原状回復処分の対象とならず(最高裁昭和45年12月18日第二小法廷判決・民集24巻13号2151頁参照)、これを除去するための処分等を認める余地にも乏しい。)。そうすると、原告の上記主張を本件決定の効力の無効確認を求める趣旨と解したとしても、その確認の利益は認め難いものというほかない。」
「以上によれば、本件訴えのうち、本件決定の取消しを求める部分は、訴えの利益を欠き、不適法である。」
3.名誉感情侵害を理由とする請求は難しいが・・・
上記のとおり、裁判所は、取消の訴えの適法性を否定しました。
ただ、その理由として実体法上の根拠がないこと(民法723条の名誉回復措置請求は名誉「感情」の侵害を根拠としては使えないこと)を挙げています。逆に言えば、名誉毀損として構成することが可能なケースであれば、取消の訴えが許容される可能性があるということだと思われます。
ここで留意しておかなければならないのは、名誉毀損の成立にあたっては、必ずしも多数人に事実を告知する必要はないことです。例えば、東京地判平21.8.27LLI/DB 判例秘書登載は、
「事実の摘示ないし意見論評が公然となされたといえるためには、必ずしも不特定多数人に対して直接事実の摘示ないし意見論評がなされたことを要せず、特定少数人に対して事実の摘示ないし意見論評がされた場合であっても、不特定多数人に伝播する可能性があれば足りるものと解される。」
「そうすると、本件文書1は、本件管理組合の理事11名に配布されたものであるが、耐震診断等の本件マンションの管理を問題にしている文書の性質上、その文書の記述は、理事を通じて、本件マンションの区分所有者やテナントに伝播する可能性があったものといえる。したがって、その配布は、公然とされたものということができる。」
と判示し、マンション管理組合の理事11名に対する名誉毀損文書の配布に公然性を認めました。
もちろん、マンション管理組合の理事-各区分所有者・テナントとの関係性と、大学学長-大学職員・学生らとの関係との関係を同列には語れません。特定個人のハラスメントに関する情報は大学の関係部局において秘密情報として扱われるのではないかとも思われます。
しかし、一定の範囲内で報告内容が共有されるような建付けになっていた場合、名誉毀損を理由に民法723条に基づく名誉回復措置請求という法律構成を試みることが考えられたかも知れません。
少なくとも、今後、類似の事案に取り組むにあたっては、伝播性の理論を媒介としながら、名誉回復措置請求を根拠にできないかを検討対象にする必要があるように思われます。