弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

雇入れ時に見せてもらえなかった就業規則・賃金規程が労働条件になるのは、それほど自明なことなのだろうか?

1.雇入れ時に就業規則が交付されない問題

 労働者の採用過程は会社によって色々あります。

 丁寧な会社は、労働条件通知書(労働基準法15条1項所定の書面)を交付するとともに、就業規則の写しを渡し、どのような労働条件のもとで勤務することになるのかを通知しています。このような採用プロセスを経て働き始めた場合に、就業規則に記載されている事項が、労働契約の内容になるのは、比較的容易に理解できます。

 しかし、労働条件通知書に一通りの記載をしたうえ「詳細は就業規則による。」などとしながら、採用者に就業規則の内容を閲覧させたり説明したりしない会社もあります。更に簡略化が進むと「詳細は就業規則による。」などといった就業規則への言及すらなされずに、必要最小限の事項が記載された労働条件通知書だけが交付されているケースもあります。

 大抵の場合、就業規則は会社の内部に保管されているため、採用過程で就業規則を見せてもらえなかった労働者は、出勤して初めて就業規則を閲覧する機会を得ることになります。ここで予想外のことが書かれていて、トラブルになるケースが相当数あるように思います。個人的な経験の範囲では、固定残業代をめぐるトラブルが多いです。労働条件通知書に記載されていた特定の手当が、固定残業代であったことが入社後に判明したといった相談を受けることが割と良くあります。

 労働者からすると騙されたように感じますが、使用者側としては、おそらく、

就業規則を労働条件に組み込むために必要な就業規則の「周知」(労働契約法7条)とは、知ろうと思えば知りうる状態にしておくことを言う、

採用内定から実際に働き始める間であっても、請求があれば就業規則は見せていた、

本人から就業規則を見せろという請求がなかったから放っておいただけであり、雇われた後になって「就業規則を見ていない。」と言われたところで、そのようなことは関知するところではない、

という発想でいるのだと思います。

 しかし、一般に公開されていない文書である就業規則について、見せろと言われなかったから見せなかったとの理屈のもと、当然に労働条件に組み込むことは、それほど自明な論理なのでしょうか?

 この問題を考えるうえで、参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地判令2.5.28労働判例ジャーナル102-34 近畿中央ヤクルト販売事件です。

2.近畿中央ヤクルト事件

 本件は売上金の横領を理由に懲戒解雇された従業員が、懲戒解雇の無効を主張して地位確認や未払賃金を請求した事件です。その他にも幾つかの請求が付加されていて、その中の一つに割増賃金(残業代)の請求がありました。

 そして、残業代請求の可否・金額を議論するにあたっては、「営業手当」が固定残業代としての性質を有しているのかが問題になりました。

 会社の給与規程には「営業手当」が「時間外勤務手当相当額を含むものとする。」と定められていたものの、原告に交付された「雇用条件と題する書面」「労働条件通知書」「本件嘱託規程」には、そうした記載が欠けていたからです。

 被告会社は営業手当が固定残業代であることを説明したと主張しましたが、原告はそのような説明を受けたことを否認しました。

 こうした状況のもと、裁判所は、次のとおり述べて、営業手当を固定残業代とする合意の存在は認められないと判示しました。

(裁判所の判断)

「被告会社は、P7総務課長が原告P1に対し、平成27年11月頃、基本給15万5000円のうち営業手当2万円にはみなし残業代が含まれている旨説明し、原告P1の了解を得た旨主張し、これに沿うP5取締役の証言も存する。」

「しかしながら、原告P1に交付された『雇用条件』と題する書面・・・、原告P1に適用される本件嘱託規程には、営業手当にみなし残業代が含まれる旨の記載がない。また、本件嘱託規程には、営業手当等の各種手当は、職務内容等を勘案し、各人ごとに個別の雇用契約書で定める旨記載されているところ、原告P1の労働条件通知書(雇入通知書)・・・には、基本賃金月給15万5000円とあるのみで営業手当に関する定めがない。この点、被告会社の当時の給与規程において営業手当に関し、『ただし、営業手当には、時間外勤務手当相当額を含むものとする。』との定めがあったとしても(原告P1に関し、同給与規程の適用が問題とならないことについては当事者間に争いがない。)、原告P1との間においてはそれと異なる約定であった可能性を否定できない。原告P1の労働条件通知書・・・においては、他の箇所(休暇等)では詳細について就業規則を引用する定めがある一方、賃金については給与規程を引用しておらず、営業手当に関する定めがないことは給与規程とは別段の定めがある可能性を裏付けるものといえる。

そうすると、P5取締役の上記証言部分を裏付けるに足りる証拠がないから、同証言部分を採用できず、原告P1との関係では、被告会社が主張する上記固定残業代の合意があったとは認められない。

「被告会社は、P8執行役員が原告P1に対し、平成28年3月25日、職能営業手当1万円、業務営業手当1万円及び基本営業手当2万円の3種類の営業手当を支給すること、同営業手当が全額、定額の時間外(休日、深夜を含む。)割増賃金となることを説明し、その了解を得た旨主張し、これに沿うP5取締役の証言(陳述書の記載を含む。)も存する。」

「しかしながら、『雇用条件』と題する書面・・・、労働条件通知書(雇入通知書)・・・及び本件嘱託規程には、営業手当に関する定めがないことは上記・・・と同様である。したがって、給与規程に上記説明と同趣旨の定めがあったとしても、このことをもって原告P1との間においても同様の約定があったといえないことも上記・・・と同様である。この点、原告P1に『みなし残業時間のお知らせ』・・・が交付されていたかどうかは、原告P1が否定しており、必ずしも明らかでないが、仮に他の従業員と同様一律に交付されていたとしても、そのことから直ちにその内容の合意が成立しているとはいえないし、また、それに原告P1が異議を述べていないからといって直ちにその内容のとおりの合意が成立したということもできない。さらに、原告P1から被告会社に対し、給与体系の改定についての同意書(平成28年3月25日付けのもの)が提出された・・・としても、原告P1宛に、同月18日付けで、法律の改正等により、就業規則、嘱託規程、給与規程、賞与規程の変更を実施する旨、原告P1の給与明細について、以下のように変更するので、ご理解の上、同意のほどお願いする旨記載された書面・・・には、各営業手当の金額が記載されているものの、それが時間外割増賃金となるとは記載されていないから、上記同意書によって固定残業代の合意が成立していると認めることもできない。加えて、給与改定に伴う面談の際のP5取締役やP8執行役員の説明用の手控えとなる資料・・・に、必ず、営業手当がどれだけの時間相当額に見合うかを説明する旨記載されているとしても、原告P1の労働条件通知書等の上記記載内容からすると、そのことから直ちに原告P1に対しても上記資料のとおり説明されていると認めることができないし、給与規程の改定を回覧していたとしても・・・、原告P1の労働条件通知書等の上記記載内容からすると、原告P1との間でその内容のとおりの合意があったとすることもできない。

「そうすると、P5取締役の上記証言部分を裏付けるに足りる証拠がないから、同証言部分(陳述書の記載を含む。)を採用できず、原告P1との間で、上記固定残業代の合意があったとは認められない。」

「被告会社は、P5取締役が原告P1に対し、平成29年3月頃、『みなし残業時間のお知らせ』を交付するとともに、上記・・・と同様の説明をし、その了解を得た旨主張し、これに沿うP5取締役の証言(陳述書の記載を含む。)も存する。」

「しかしながら、『雇用条件』と題する書面・・・、労働条件通知書(雇入通知書)・・・及び本件嘱託規程には、営業手当に関する定めがないことは上記・・・と同様であるから、原告P1に対し、『みなし残業時間のお知らせ』・・・が交付されていたとしても、また、給与規程の記載によっても、上記・・・と同様、P5取締役の上記証言部分を裏付けるに足りるとはいえず、同証言部分(陳述書の記載を含む。)を採用できないから、原告P1との間で、上記固定残業代の合意があったとは認められない。」

3.労働条件通知書等の採用時の書面の重視、事後の済し崩し的な同意取得には慎重

 本件は、労働条件通知書に給与規程が引用されていないことなどを指摘したうえ、営業手当が固定残業代であることを否定しました。

 会社、は事後的に「みなし残業時間のお知らせ」を交付したり、給与体系の改定についての同意書を取得したりして、固定残業代の既成事実化を図ろうとしたようですが、成立していない固定残業代の合意が成立したことにはならないと判示されています。

 労働契約法7条の「周知」に関して緩やかな理解がされていることもあり、あまり問題提起されてこなかったように思いますが、労働条件通知書に就業規則や賃金規程の引用すらなされていないケースにおいては、それなりに労働契約締結当時の合意の内容を争っていける余地があるのかも知れません。特に、固定残業代の効力をめぐる紛争において、本件は一定の参照価値を持つ可能性のある事件だと思います。

 

セクシュアルハラスメントを受けたら同僚でも構わないのでラインで相談を

1.同僚との間で交わされたラインメッセージがセクハラの認定の決め手になった事例

 セクシュアルハラスメントの中には、第三者の目に触れない態様で行われるものも少なくありません。こうした事案では、セクシュアルハラスメントを構成する具体的事実の存否について、被害者と加害者の供述が真っ向から対立することがあります。

 セクシュアルハラスメントを構成する具体的事実を認定する直接的な証拠がない場合、問題となっている具体的な事実を、周辺的な事実から認定できないかが検討されることになります。

 その際、同僚との間で交わされた電子メールやラインメッセージが有力な資料となることがあります。昨日紹介した東京地判令2.3.3労働判例ジャーナル102-44 海外需要開拓支援機構ほか1社事件は、セクシュアルハラスメントの認定にあたり、同僚との間で交わされたラインメッセージが決め手になっている点においても、実務上の参考になります。

2.海外需要開拓支援機構ほか1社事件

 本件で被告になったのは、株式会社海外需要開拓支援機構法という法律に基づいて設立された株式会社(被告機構 いわゆる「クールジャパン機構」のことです)とその役員ら(元専務執行役員P1、元専務取締役兼最高責任者P2、専務執行役員P3)です。

 原告になったのは、派遣会社に雇われて、被告機構で就労していた方です。

 原告の方は幾つかの請求を立てていますが、その中の一つに、被告P1から執拗に肩に手を回されたことなどを理由とする慰謝料請求があります。

 本件で原告は、

「被告P1は、平成27年7月27日、歓送迎会の二次会後、原告と六本木駅のホームで電車を待っていた約10分間、原告が被告P1の手を払いのけて何度も『やめてください』などと言って拒否したのに、執ように原告の肩に手を回すことを続け、さらに、原告と同じ電車に乗った後、約10分間、鞄を持っていない方の手で原告の手を握り、原告がこれを振りほどいても、『握手しよう』などと言って何度も原告の手を握った(本件セクハラ行為)。」

「被告P1の本件セクハラ行為は原告の人格権を侵害する違法行為であり、これにより原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料の額は少なくとも400万円が相当である。」

と主張しました。

 これに対し、被告らは、

「原告と被告P1とは業務上の接点がなく挨拶をする程度の関係であったこと、駅のホームという衆人環視の中で原告主張のような行為に及べば駅員等に通報される可能性があること、六本木駅では当時4、5分間隔で頻繁に電車が行き来していたことからすれば、被告P1が駅のホームで嫌がる原告の肩に手を回すようなことをするはずがない。また、被告P1は、電車内では片手で鞄を持ちもう片方の手でつり革をつかんでいたことに加え、上記同様、衆人環視の中であることや原告とP1との関係からすれば、被告P1が電車内で原告の手を何度も握ろうとするはずがない。」

と原告の主張を真っ向から否認しました。

 双方の言い分が対立する中、裁判所は、次のとおり判示して、肩に手を回した行為の存在を認めました。

(裁判所の判断)

「原告が上記同日の午後10時50分頃から午後11時11分頃までの間にP8との間でソーシャルネットワーキングサービスである『LINE』を利用してやり取りしたメッセージである・・・として提出する送受信履歴・・・中には、次のメッセージ(判決注・鍵括弧内はいずれも原文ママ。)等のやり取りがある。」

〔P8〕(午後10時50分頃)「わかれた?」
〔P8〕「さっき、オマタまで太もも触れた」「早く連絡頂戴」「なんでもいいから、上司、部下関係なく、拒否して!」
〔原告〕(午後10時52分)「いま別れました!!!!」(中略)
〔P8〕「大丈夫?」「まじ、ありえない」
〔原告〕「もー、次の会の時は先に帰ります」(中略)
〔P8〕「P11さん、心配して、偵察行ってたよ」(中略)「反対ホームから丸見え」
〔P8〕(駅のホーム上の様子を撮影した動画ファイルを送信)
〔P8〕「むしろ」(中略)「P1専務にそそうがないように」
〔原告〕「専務(判決注・被告P2を指すと推認される。)ほんとやばいですよ」「変態」(中略)
〔P8〕「太ももから、又だよ」「普通じゃないよね」
〔原告〕「大丈夫ですか??!!もはや行きましょうか!?」
〔P8〕「大丈夫-!」
〔原告〕「わたしよりP8さん(判決注・P8を指すと推認される。)の方がやばいですよ」(中略)
〔P8〕「△△△(判決注・原告を指すと推認される。)は大丈夫だった?」「大事なところ触られなかった?」
〔原告〕「わたしは大丈夫です、肩触られたくらいです」
〔P8〕「よかった」
〔原告〕「でもほんと、経営企画から離れて良かったです。専務と遠いから...」
〔P8〕「肩も問題!」
〔原告〕(午後11時11分)「肩なんで又に比べたらどってことないですよ!!!」

上記メッセージのやり取りは、

〔1〕午後10時50分頃から午後11時11分頃までに送受信されたものとされており、上記二次会の終了時刻である午後10時過ぎ頃から間もなくやり取りされたものとして時間的に矛盾がなく、

〔2〕その内容において、P8は、直前、被告P1に太ももなどを触られたことから、向かいのホームに被告P1と一緒にいた原告の様子を見て心配し、原告に対して被告P1に体を触られなかったかを尋ね、原告は、被告P12に肩を触られただけであると答えたというものであって、前記・・・に認定した原告、被告P1、P8の当時の位置関係等と矛盾する点や事の流れとして不自然、不合理な点はなく、

〔3〕メッセージ自体を見ても、上記の出来事を前提とするやり取りの流れとして不自然、不合理な点はなく、

原告がねつ造したとの疑いが差し挟まれるような、過度に具体的あるいは不自然に詳細な内容のものはない。

以上によれば、上記メッセージのやり取りは、前記二次会終了後、原告が被告P1と中目黒駅で別れた直後にされたものと認められ、かつ、その内容が真実であることを疑わせる事情は認められない。そして、上記メッセージのやり取りの中で、P8が原告に対して『大丈夫?』とのメッセージを送信しつつ、あえてホーム上にいた原告と被告P1を動画で撮影してこれを原告に送信したこと、原告がP8に対して『わたしは大丈夫です、肩触られたくらいです』『肩なんで又に比べたらどってことないですよ!!!』とのメッセージを送信したことによれば、原告は、現に上記ホーム上で被告P1に肩を触られたものと認められる。

3.例によって慰謝料額は低いが・・・

 本件では肩に手を回そうとするなどの行為が10分間に及んだこと、電車内で手を握ったことなどの事実は認定されていません。そうしたことが影響したためか、裁判所は、

「被告P1は、派遣労働者である原告が執行役員である被告P1に対して拒否の意思を示すことは容易ではないことは明らかであるのに、原告が被告P1に対して拒否する意思を明確にしていることを意に介することなく複数回原告の肩に手を回そうとしたものであって、原告は、相応の羞恥心、強度の嫌悪感を抱いたものと推認される。他方、被告P1が接触した部位は肩というにとどまり、また、上記行為が10分間などの長時間に及んだとまでは認められない。なお、この点、前記ウに認定のとおり、原告は、P8に対し、LINEを用いて『私は大丈夫です』とのメッセージを送信しているが、その前後のやり取りからすれば、P8が太ももなどを触られたというのと比較して述べたのにすぎないことが明らかである。」

以上の事情を考慮すれば、原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料の額としては、5万円が相当である。

と判示し、5万円の限度でしか慰謝料を認定しませんでした。

 例によって、慰謝料としては低額に留まっています。

 しかし、セクシュアルハラスメントの被害を受けた方の中には、金銭の多寡というよりも、裁判所によってセクシュアルハラスメントが行われた事実を認定してもらい、加害者の責任を明らかにすることに力点を置く方も少なくありません。

 冒頭で述べたとおり、閉じられた関係性のもとでセクシュアルハラスメントが行われた場合、具体的事実を認定する客観証拠が乏しく、水掛け論になってしまうことも多々あります。しかし、身近な人にでも、被害を受けた直後に、ライン等の記録に残る形で相談した事実があれば、それが事実認定の決め手になることもあります。

 精神的負荷を軽くするという意味においても、後に法的措置をとる選択を残すためにも、セクシュアルハラスメントの被害に遭った場合には、親しい同僚でも構わないので、被害から近接した時点で、記録に残るような形で相談をしておくと良いのではないかと思います。

 

当たり!!ワインディナーwith監査役(交換不可)-この趣味の悪い企画の代償は低すぎないか?

1.職場におけるセクシュアルハラスメント

 職場におけるセクシュアルハラスメントには、

職場において行われる性的な言動に対する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受けるもの(以下「対価型セクシュアルハラスメント」という。)

と、

当該性的な言動により労働者の就業環境が害されるもの(以下「環境型セクシュアルハラスメント」という。)

があるとされています(事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(平成18年厚生労働省告示第615号)【令和2年6月1日適用】参照)。

 完全に重複するわけではありませんが、セクシュアルハラスメントは同時に不法行為(民法709条)を構成することが多いです。

 そのため、セクシュアルハラスメントの被害を受けた方は、加害者やその使用者である会社に対し、慰謝料などを請求することができます。

 このセクシュアルハラスメントに関係する損害賠償請求事件で、近時公刊された判例集に、悪趣味な企画を実施したことによる慰謝料請求の可否や金額が議論された裁判例が掲載されていました。東京地判令2.3.3労働判例ジャーナル102-44 海外需要開拓支援機構ほか1社事件です。

2.海外需要開拓支援機構ほか1社事件

 本件で被告になったのは、株式会社海外需要開拓支援機構法という法律に基づいて設立された株式会社(被告機構 いわゆる「クールジャパン機構」のことです)とその役員ら(元専務執行役員P1、元専務取締役兼最高責任者P2、専務執行役員P3)です。

 原告になったのは、派遣会社に雇われて、被告機構で就労していた方です。

 原告の方は幾つかの請求を立てていますが、その中の一つに、悪趣味な企画に付き合わされたことによる慰謝料請求があります。

 被告P2(CIO)は、被告機構の監査役P4、P2の女性秘書、原告を含む女性従業員ら3名を参加者とする懇親会を企画、実施しました(本件懇親会)。

 その中で、被告P2は、

「当たり!!ワインディナーwith監査役(交換不可)」が2枚、

「ハズレ!!罰ゲーム 監査役に手作りプレゼント」が2枚、

「ジブリの大博覧会with CIO(交換可能)」が1枚、

「映画with CIO(交換可能)」が2枚、

「宇宙と芸術展with CIO(交換可能)」が1枚、

「ものまねエンターテイメントハウスwith CIO(交換可能)」が2枚

で構成されるくじを作り、これを原告を含む女性従業員らに引かせて行きました。

 本件では、このくじ引き等の違法性が争点の一つになりました。

 被告機構らは、

「被告P2は、P4監査役と共に、両名の仕事をサポートしていた担当秘書のP5や、P5をサポートする原告らアシスタントを慰労する目的で本件懇親会を企画したものであり、本件くじ引きもP5やアシスタントを慰労する贈り物をする目的で実施したものである。そして、被告P2は女性従業員らに対して本件くじは基本的に交換可能でありこれに記載された行先を自由に選ぶことができることなどを説明し、本件くじに「(交換可能)」と記載していたのであって、本件くじの内容は被告P2が女性従業員らと一対一で映画等に行くことを想定したものではない。現に、被告P2は、平成28年7月25日、映画等の行事に行く者が被告P2と一対一にならないように再調整を依頼した。さらに、原告は、本件懇親会の開催前、被告P2に対し、本件懇親会及び本件くじ引きを楽しみにしている旨の電子メールを送信していたし、本件懇親会中も複数の歌謡曲を歌うなど楽しんでいた。」

「本件懇親会及び本件くじ引きに性的目的はなく、女性従業員らに配慮もされており、本件懇親会の開催や本件くじ引きの実施は不法行為に当たらない。」

などと不法行為の成立を否定しました。

 しかし、裁判所は次のとおり述べて、不法行為の成立を認めました。

(裁判所の判断)

「本件懇親会において実施された本件くじ引きは、参加した女性従業員らがP4監査役又は被告P2と共にくじに記載された映画等の行事に参加することやP4監査役に手作りの贈り物をすることなどを内容とするものであって・・・、これらが被告機構における業務でないことは明らかである。そして、本件くじ引きをさせた行為を客観的にみれば、くじ引きという形式をとることにより、単に映画等に誘うなどするのとは異なり、女性従業員らにおいて、その諾否について意思を示す機会がないままに本件くじに記載された内容の実現を強いられると感じてしかるべきものである。しかも、本件くじ引きを企画した被告P2は、被告機構の専務取締役であるから、派遣労働者である原告が本件くじ引き自体を拒否することは困難と感じたことは容易に推認される。」

「また、本件くじは、P4監査役と共にワインディナーに行くことを内容とするくじが『当たり』、P4監査役に対する手作りの贈り物をすることが『ハズレ』とされ、これらは『交換可能』との記載がないこと(ワインディナーは『交換不可』)からすれば、P4監査役を中心に構成されているものと評価することができ、かつ、くじを引いた女性従業員に負担が生じる内容が含まれていること・・・、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、被告P2は本件懇親会の前に本件くじ引きを実施する旨P4監査役に知らせていなかったことに照らせば、被告P2は、P4監査役に対する接待等を主たる目的とするいわゆるサプライズ企画として、本件くじ引きを企画したものと推認される。」

「以上によれば、被告P2が本件くじ引きをさせた行為は、P4監査役の接待等を主たる目的として、原告の意思にかかわらず業務と無関係の行事にP4監査役や被告P2と同行することなどを実質的に強制しようとするものであり、原告の人格権を侵害する違法行為というべきである。

「これに対し、被告P2の陳述書・・・及び本人尋問における供述・・・中には、被告P2は、本件懇親会を原告らアシスタントを慰労する目的で開催したものであって、本件くじ引きもアシスタントを慰労するために贈り物をすることが目的であり、本件くじ中の『with』との記載は費用負担者を明らかにするものであって、必ずしも被告P2が女性従業員らと共に映画等の行事に行くことを意味するものではなかったとの供述等がある。しかし、前記・・・認定のとおり、本件くじの内容がこれを引いた者に負担や被告P2あるいはP4監査役との同行を課するものであったことに照らせば、本件懇親会がアシスタントの慰労を目的とするものであったとは考えられない。また、本件くじに記載された『with』は『一緒に』との意味以外に解し得ないこと、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、被告P2は、後日、P5に対して、女性従業員が引いた本件くじの内容の報告や本件くじに記載された行事の日程調整を指示したことが認められること、被告P2は、本件くじ引きを行う旨P4監査役にあらかじめ告げていなかったこと・・・に照らせば、本件くじの『with』が『一緒に』ではなく費用負担者を明らかにする意味であったというのは不合理である。」

「次に、本件くじのうち被告P2に関するものについては『(交換可能)』と記載され・・・、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、被告P2は、本件懇親会の直後、P5に対して、参加者が一人となった行事について参加者が複数名になるように調整するよう指示したことが認められる。しかし、これらの事情によっても、被告P2と原告らアシスタントとの地位の違いを考慮すれば、本件くじ引きが原告らにその意思にかかわらずその内容の実現を強制するものととらえられることに何らの変わりもないというべきである。」

「さらに、仮に、原告が本件くじ引きの際に本件くじに係る行事に行きたいとの旨述べたことがあったとしても、派遣労働者である原告において専務取締役である被告P2の気分を害しないよう内心と異なる言動をとることは十分想定し得ることであるから、本件くじ引きが原告の意思に反するものでなかったとはいえない。また、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件懇親会の前、上司から『セクハラの証拠写真でも撮ってきてください』との旨記載された電子メールを受信し、『承知しました(笑)くじとか準備しているようで、ぞわっとしてます。』との旨記載した電子メールを返信し、さらに、上記上司に対して本件懇親会前後の被告P2やP5とのやり取りの電子メールを転送したことが認められるが、上記電子メールのやり取りは、原告が上司に対して本件懇親会や本件くじ引きに対する嫌悪感を示したものとも解され、これをもって、直ちに、原告に被告P2を陥れる意図があったとまではいえない。」

「その他、被告P2の性的意図の有無を含め、本件くじ引きが原告の人格権を侵害する違法行為であるとの判断を左右する事情は認められない。」

「前記・・・に認定のとおり、本件くじ引きが主として接待の目的でされたもので業務と無関係な行事への参加等を実質的に強制するという内容であったことに照らせば、原告がこれにより相応の嫌悪感、屈辱感等を抱いたことは優に推認され、被告P2においても、そのことを容易に認識し又は認識し得たというべきであって、被告P2の故意又は過失は優に認められる。そして、被告P2は、本件訴訟でその違法性を争うにとどまらず、今後も同様のイベントを行う所存である旨本人尋問において供述する・・・など、この点につき反省の態度を一切示していない。他方、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、本件くじ引きの内容は実現されず、原告がその意思に反してP4監査役や被告P2と同行することまではなかったことが認められる。」

「以上の事情を考慮すれば、原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料の額としては、5万円が相当である。

3.悪趣味な企画の代償、低すぎないか?

 最高裁が、

「職場におけるセクハラ行為については、被害者が内心でこれに著しい不快感や嫌悪感等を抱きながらも、職場の人間関係の悪化等を懸念して、加害者に対する抗議や抵抗ないし会社に対する被害の申告を差し控えたりちゅうちょしたりすることが少なくない」(最一小判平27.2.26労働判例1109-5 L館事件)

との経験則を示して以来、その場での迎合が、セクシュアルハラスメント行為の問責にあたっての妨げにならないとする判断が増えつつあります。

 懇親会で迎合的な発言をしたとを、請求権を否定する事情や、被害者の落ち度として捉えなかったのは、こうした近時のトレンドに従ったものだと思います。こうした判示は、迎合的な言動をとってしまった被害者が損害賠償請求を行うにあたり、参考になるものだと思います。

 ただ、それにしても、本邦の裁判所が認定する慰謝料額は低いなと思います。この種の悪趣味な企画は、認容が予想される慰謝料額との兼ね合いから訴訟事件化しないことが多いのですが、あからさまなセクシュアルハラスメントであるにもかかわらず、法廷で、

「今後も同様のイベントを行う所存である」

と堂々と供述するといった態度までとられているというのに、その代償を5万円で済ませるのかと思うと、暗澹たる気分になります。

 確かに、違法行為の抑止が本邦の損害賠償法の体系とは合致しないことは否定しませんが、いくら何でもここまで低いと、悪趣味な懇親会企画を助長したり、被害者の泣き寝入りを増やしたりするのではないかと危機感を覚えます。

 

固定残業代の効力-実際の時間外労働等の状況との乖離

1.対価性要件の一要素-実際の時間外労働の状況との乖離

 固定残業代の合意が有効といえるためには、

「時間外労働等に対する対価として支払われるものとされていた」

ことが必要とされています(最一小判平30.7.19労働判例1186-5日本ケミカル事件)。

 日本ケミカル事件では、「業務手当」の対価性が問題になりましたが、最高裁は「業務手当」に対価性を認め、固定残業代としての有効性を認めています。

 最高裁は「業務手当」に対価性が認めらえる理由として、

「業務手当は、1か月当たりの平均所定労働時間・・・を基に算定すると、約28時間分の時間外労働に対する割増賃金に相当するものであり、被上告人の実際の時間外労働等の状況・・・と大きくかい離するものではない

と判示しています。

 こうした判示からすると、想定残業時間と実際の残業時間との間の乖離の大小が、固定残業代の効力を判断するにあたっての考慮要素になっていることは確かだと思います。

 それでは、具体的な事件との兼ね合いで、想定残業時間と実際の残業時間との間の乖離は、どの程度に達していれば固定残業代の効力に疑義が生じてくるのでしょうか?

 昨日ご紹介した名古屋高判令2.2.27労働判例1224-42 サン・サービス事件は、この問題を考えるにあたっても参考になります。

2.サン・サービス事件

 本件は、いわゆる残業代を請求すする事件です。月約80時間分の割増賃金に相当する「職務手当」について、実際の時間外労働等の状況が毎月120時間を超えていたことが問題になりました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり述べて、想定労働時間と実際の労働時間との乖離を指摘し、「職務手当」は有効な固定残業代の合意ではないと判示しました。

(裁判所の判断)

「本件においては、一審被告は、一審原告と一審被告間の雇用契約書である本件提案書に、『勤務時間』として『6時30分~22時00分』と記載し、『休憩時間は現場内にて調整してください。』としていた上、前記のとおり、勤務時間管理を適切に行っていたとは認められず、一審原告は、本判決別紙1、3のとおり平成27年6月から平成28年1月まで、毎月120時間を超える時間外労働等をしており、同年2月も85時間の時間外労働等をしていたことが認められる。その上、一審被告は、担当の従業員が毎月一審原告のタイムカードをチェックしていたが、一審原告に対し、実際の時間外労働等に見合った割増賃金(残業代)を支払っていない。」

「そうすると、本件職務手当は、これを割増賃金(固定残業代)とみると、約80時間分の割増賃金(残業代)に相当するにすぎず、実際の時間外労働等と大きくかい離しているものと認められるのであって、到底、時間外労働等に対する対価とは認めることができず、また、本件店舗を含む事業場で36協定が締結されておらず、時間外労働等を命ずる根拠を欠いていることなどにも鑑み、本件職務手当は、割増賃金の基礎となる賃金から除外されないというべきである。

3.40時間も乖離していれば十分?

 裁判所は「職務手当」に固定残業代としての効力がないという結論を導くにあたり、

時間外労働等が極めて長時間に及んでいること、

実際の時間外労働に見合った割増賃金が支払われていなかったこと、

労働基準法36条1項所定の協定(三六協定)の欠如、

などの種々の事情を指摘しています。

 そのため、乖離さえあれば、直ちに固定残業代の効力が否定されるわけではないのだろうと思われます。

 それでも、本件は、想定労働時間と、実際の時間外労働時間との間に、どれだけの差があったら問題にされるのかを知るための手掛かりとして、留意しておくべき事案だと思います。

 

固定残業代の効力を争う場合の留意点-36協定(労働基準法36条1項所定の協定)の欠缺の主張のし忘れに注意

1.固定残業代の有効要件

 固定残業代の有効性について、最高裁は二つの要件を定立しています。

 一つは判別要件です。固定残業代が有効といえるためには、通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外の割増賃金に当たる部分とが判別できる必要があります(最一小判平24.3.8労働判例1060-5テックジャパン事件、最二小判平29.7.7労働判例1168-49医療法人社団康心会事件)。

 もう一つは、対価性要件です。一定の金額の支払が残業代の支払といえるためには、時間外労働等の対価として支払われたものであることが必要です(最一小判平30.7.19労働判例1186-5日本ケミカル事件)。

 しかし、固定残業代の有効性は、この二つの要件との関係でのみ検討していれば足りるわけではありません。下級審では、判別要件、対価性要件以外の観点からも、固定残業代の有効性を問題にした裁判例が、多数言い渡されています。

2.固定残業代の有効要件と三六協定

 固定残業代の有効性を検討する視点の一つに、労働基準法36条1項所定の協定の欠缺があります。

 労働基準法36条1項は、

使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、厚生労働省令で定めるところによりこれを行政官庁に届け出た場合においては、第三十二条から第三十二条の五まで若しくは第四十条の労働時間(以下この条において『労働時間』という。)又は前条の休日(以下この条において『休日』という。)に関する規定にかかわらず、その協定で定めるところによつて労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる。

と規定しています。

 要するに、残業をさせるためには、きちんと労働組合・労働者代表との間で協定を結ばなければダメだという規定です。この規定による協定は、俗に「さぶろく協定(三六協定)」と呼ばれています。

 この協定を結ぶことは労務管理の基本中の基本ではありますが、残業代請求をしていると、案外、三六協定を結んでいない会社は多くみられます。

 それでは、この三六協定の欠缺は、固定残業代の有効性に何等かの影響を与えるのでしょうか?

 三六協定がなかったとしても、通常の労働時間の賃金部分と割増賃金部分とを物理的に判別できるようにしておくことは可能ですし、就業規則で特定の手当を時間外労働の対価として定義することもできなくはありません。そう考えると、三六協定の欠缺は、判別要件や対価性要件とは直ちには結びつかないようにも思われます。

 しかし、三六協定の欠缺が固定残業代の有効性に何ら影響を与えないかというと、そういうわけではありません。例えば、東京地判平28.5.30労働判例1149-72無洲事件は、

「三六協定が存在しない以上、少なくとも本件契約のうち1日8時間以上の労働時間を定めた契約部分は無効であるところ、いわゆる固定残業代の定めは、契約上、時間外労働させることができることを前提とする定めであるから、当該前提を欠くときは、その効力は認められないはずである。」

と判示しています。

 無洲事件の判示を私なりに理解すると、

① 三六協定がない以上、適法に残業をするということは不可能である、

② したがって、割増賃金として括り出された部分が、時間外労働の対価であることは論理的に在り得ない、

という趣旨なのかなと思っています。

 独自の要件とみるのか、対価性要件との関係で理解するとみるのか二通りの考え方があるとは思いますが、いずれにせよ、三六協定は固定残業代の効力を争う上で無関係な事情ではないと考えるのが、おそらく標準的な理解だろうと思います。

3.三六協定の欠缺の主張のし忘れ?

 前置きが長くなりましたが、三六協定の欠缺は、一見して判別要件や対価性要件との関係を連想しにくいため、固定残業代の有効要件の中では、それほど目立つ要素というわけではありません。

 そのせいか、時折、主張のし忘れだろうかと疑われる例を目にすることもあります。

 近時の公刊物に掲載されていた、名古屋高判令2.2.27労働判例1224-42サン・サービス事件(原審:津地伊勢支判令元.6.20)も、そうした事例の一つです。

 本件は原告労働者が被告使用者に対して残業代を請求した事件です。月額13万円の職務手当を固定残業代とする合意の効力が問題になりました。

 原審は固定残業代を有効だと判示しましたが、控訴審は固定残業代の効力を否定しました。原審の原告の主張、原審の判示、控訴審の一審原告の主張、控訴審の判示を検討してみると、三六協定の欠缺の主張が、決して失念してよい主張でないことが分かります。

 それぞれの判示は次のとおりとされています。

(原審の原告の主張-三六協定の欠缺に言及なし)

「原告は、被告から、職務手当を固定残業代に該当するとの説明を受けたことはない。」

「仮に、固定残業代の合意が認められるとしても、以下の理由により固定残業代の合意は無効である。」

「まず、固定残業代の合意が有効といえるためには、当該手当が実質的に時間外労働の対価としての性格を有していること、固定残業代として労基法所定の額が支払われているかどうかを判定することができるように、その合意の中に明確な指標が存在していること、当該定額が労基法所定の額を下回る場合には、その差額を当該賃金の支払時期に精算するという合意が必要というべきである。」

「本件では、割増賃金とみなされる職務手当が基本給の50パーセント以上と高額であり残業代としての実質を欠いていること、定額分の金額は認められるが、何時間分の労働時間に該当するのかは明確ではないこと、差額についての精算合意もなく、そのような慣行もないことから、かかる合意を有効と考える要件を欠き、労基法37条に反して無効である。」

「また、原告の賃金単価は、職務手当を控除すると、平成27年9月度から平成28年3月度までは1152円、試用期間1015円である。この13万円は、90時間(試用期間においては82時間)の長時間労働を原告に課すものであり、現実にもこれ以上の時間の残業を行っている。労基法37条が時間外労働等について割増賃金を支払うべきことを使用者に義務付けているのは、使用者に割増賃金を支払わせることによって、時間外労働等を抑制し、労働時間に関する規程を遵守させることを目的としているところ、かかる定めは、労基法36条が予定する恒常的な残業時間である月45時間を超え、厚生労働省のガイドラインにおいて過労死との関係が疑われる月80時間を超えるものであり、かかる観点からも本件の固定残業代の合意は無効である。」

(原審の判示-三六協定の欠缺に言及なし 固定残業代有効)

「労基法37条は割増賃金の支払を使用者に明示しているが、これは時間外、休日、深夜の労働に対し、労基法の基準を満たす一定額以上の割増賃金を支払うことであるから、そのような額の割増賃金が支払われる限りは、労基法所定の計算方法をそのまま用いる必要はないといえる。そうすると、定額残業代 の定めが有効とされるためには、通常の労働時間の 賃金に当たる部分と割増賃金の部分とが明確に区別 される必要があり、同条に定める最低賃金を超える ものであることが確認できるのであれば、同法の趣 旨には反しないといえる。」

「本件では、基本賃金月給20万円と明確に区別され た上で、職務手当13万円との記載があり、さらにこ れが残業・深夜手当を(ママ) 見なされる旨の明示もされて いることから、基礎となる賃金を算出すれば、労基 法37条所定の割増賃金との差額が明らかになるとい え、精算が可能ということになるから、あえて同規 定を無効と解する必要はなく、原告の稼働時間と照 らし合わせて、不足額があれば精算させれば足りる ものと解され、この観点で労基法37条に反するとはいえない。」

「もっとも、このように考えうるとしても、基本給が20万円であり、深夜・残業手当に充当されるべき職務手当が13万円であるところ、この13万円に相当する 労働時間は、別紙7「裁判所単価シート」記載の賃金単 価のうち、試用期間等を除く安価な賃金単価(平成27 年9月度から平成27年12月度までの1207円)の1.25 倍(1508円)で換算すると約86.20時間に該当する。 」

「確かに、上記時間は、一般的に恒常的な労働時間の上限とされる労基法36条の45時間の制限を超えるものであるが、本件の固定残業代の合意により、直ちに原告に同時間残業すべき義務が生ずるものでは ないこと、長時間労働により心身の障害と長時間労 働の因果関係が認められる時間ではあるものの、実際の労働内容については、上記・・・記載のとおりで あり、実質的には手待ち時間的なものも含まれるこ とを考えると、望ましいかどうかはともかくとして、本件の合意を無効とすべきとは認められない。」

「そうすると、本件の固定残業代の合意は有効と 解される。」

(控訴審の一審原告の主張 三六協定に欠缺を主張)

「固定残業代の合意が有効となるためには、通常の労働時間の賃金に当たる部分と労基法37条の定める割増賃金に当たる部分とに判別できること(判別要件)が必要とされるが、これは、固定残業代が、時間外労働等の対価の趣旨で支払われていること(対価性要件)を前提とした要件である(最高裁平成29年(受)第842号同30年7月19日第一小法廷判決・集民259号77頁翰日本ケミカル事件・労判1186号5頁-編注。以下、同じ肝。以下「最高裁平成30年判決」という。)。しかるに、原判決は、本件職務手当につき、判別要件のみを検討して所定割増賃金の定めを有効であると判断したが、これは、最高裁平成30年判決に違反するものである。」

「対価性要件は、雇用契約に係る契約書等の記載内容、使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情に照らして、雇用契約においてある手当が時間外労働に対する対価として支払われているかどうかを検討して判断されなければならないところ、原判決は、これをしていない。以下の事情に照らせば、本件職務手当は、勤務実態と大きくかい離しており、労基法36条に違反し、仕事内容との関係でも役職手当というべきであり、かつ、基本給との均衡も欠いているなど対価性要件を充足しないから、固定残業代の合意としては無効である。」

「本件職務手当が固定残業代の合意として有効であるとすると、これは約86時間分の時間外労働分に相当するが、原判決の認定した労働時間を前提としても、一審原告は月平均約170時間の時間外労働をしており、想定している時間外労働時間と実際の時間外労働時間が大きくかい離している。」

「86時間もの残業を想定することは、過労死ラインである月80時間を超えるものであって、その違法性は顕著である。」

一審被告は、36協定を締結しておらず、一審被告の想定する残業は、労基法36条に違反する。

「一審原告は、レトルト食品を使わずに朝食、昼食、夕食の調理を担当し、2人しかいない調理場に穴を空けないようにシフトの穴埋めまで行ってきた。一審原告は、その中で月平均約170時間もの時間外労働に追われていたから、月20万円の基本給は低額にすぎ、13万円の本件職務手当は料理長という立場に対する役職手当というべきである。また、本件職務手当は、基本給の約半分の13万円であり、余りにも所定割増賃金の比率が高い。したがって、本件職務手当は、基本給や、一審原告の仕事の内容に照らせば、均衡を失っている。」

「一審原告は、一審被告から本件職務手当の内容について一切の説明を受けていない。」

「なお、一審被告は、固定残業代の合意が無効になるとしても、その範囲を45時間を超える部分に限られるべきと主張するが、裁判例において『過大な時間数の固定残業代の定めをした上でそれを上回る場合にのみ残業手当を支払っておくとの取扱いを助長するおそれがあるから、いずれにしても本件固定残業代の定め全体を無効とすることが相当である。』として固定残業代の定め全体について無効としており(東京高裁平成30年10月4日判決・労働判例1190号5頁〈イクヌーザ事件-編注〉)、本件でも、同様の趣旨から、固定残業代の合意全体が無効とされるべきである。」

「上記・・・の事情に照らせば、本件職務手当を固定残業代とする旨の合意は、公序良俗に反し、また、信義則に反し無効である。」

(控訴審の判示 三六協定の欠缺に言及あり 固定残業代無効)

「使用者は、労働者に対し、雇用契約に基づき、時間外労働等に対する対価として定額の手当を支払うことにより労基法37条の割増賃金の全部又は一部を支払うことができるところ、雇用契約においてある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かは、雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断すべきである(最高裁平成30年判決)。」

「本件においては、一審被告は、一審原告と一審被告間の雇用契約書である本件提案書に、『勤務時間』として『6時30分~22時00分』と記載し、『休憩時間は現場内にて調整してください。』としていた上、前記のとおり、勤務時間管理を適切に行っていたとは認められず、一審原告は、本判決別紙1、3のとおり平成27年6月から平成28年1月まで、毎月120時間を超える時間外労働等をしており、同年2月も85時間の時間外労働等をしていたことが認められる。その上、一審被告は、担当の従業員が毎月一審原告のタイムカードをチェックしていたが、一審原告に対し、実際の時間外労働等に見合った割増賃金(残業代)を支払っていない。」

「そうすると、本件職務手当は、これを割増賃金(固定残業代)とみると、約80時間分の割増賃金(残業代)に相当するにすぎず、実際の時間外労働等と大きくかい離しているものと認められるのであって、到底、時間外労働等に対する対価とは認めることができず、また、本件店舗を含む事業場で36協定が締結されておらず、時間外労働等を命ずる根拠を欠いていることなどにも鑑み、本件職務手当は、割増賃金の基礎となる賃金から除外されないというべきである。

「なお、一審被告は、割増賃金(固定残業代)の合意が無効となるとしてもその範囲は45時間を超える部分に限るべきである旨主張するが、割増賃金の基礎となる賃金から除外される賃金の範囲を限定する根拠はなく、採用できない。」

4.三六協定の欠缺の主張の存否だけが結論を分けるわけではないだろうが・・・

 原審は三六協定の欠缺に触れることなく、固定残業代を有効と判示しました。三六協定の欠缺に触れることがなかったのは、原告が主張していなかったからだと思います。

 他方、控訴審は三六協定の欠缺に触れたうえ、固定残業代を無効だと判示しました。これは控訴審で一審原告が三六協定の欠缺に関する主張を補充したことに対応しているのではないかと思います。

 判旨を見る限り、原審と控訴審とで結論が異なったのは、三六協定の欠缺だけが原因ではないと思います。

 しかし、結論を真逆にした要素の一つとなっていることを見ると、三六協定の欠缺が固定残業代の効力を争うにあたり、決して失念してはならない要素であることが分かります。

 弁護士の技量を図る指標の一つとして、言うべきことを落とさないことが挙げられます。個人的な経験に照らしても、相手の手落ちによって勝ったと思う事件は、それなりにあります。そう振り返ると、やはり弁護士によって事件の結果が異なることは有り得るし、訴訟に勝つうえでは事案の筋のほか適切な弁護士を選任することも重要な要素になってくるのだろうなと思います。

 

管理監督者性を崩すための証拠収集活動-細かい指示が書かれたメールは要保存

1.管理監督者

 管理監督者には時間外勤務手当を支払う必要がないとされています(労働基準法41条2号参照)。ただ、この管理監督者に該当するためには、

①事業主の経営上の決定に参画し、労務管理上の決定権限を有していること、

②自己の労働時間についての裁量を有していること、

③管理監督者にふさわしい待遇を得ていること

といった要素を満たしている必要があります(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務』〔青林書院、初版、平29〕172-173頁参照)。

 名ばかり管理職であることを理由に労働者が従前不支給扱いとされていた残業代を請求する場合、どうすれば使用者の①~③の主張を切り崩すことができるのかを考えることになります。

 近時公刊された判例集に、②、③の要素を使用者側に有利に理解しながらも、社長から個別具体的な指示を含む電子メッセージを送られていたことを指摘したうえ、経営に関する裁量が与えられていないことを理由に管理監督者性を否定した裁判例が掲載されていました。東京地判令2.2.28労働判例ジャーナル102-52黒馬産業事件です。本件は管理監督者性に関する使用者側の主張を切り崩すにあたり参考になります。

2.黒馬産業事件

 本件で被告になったのは、不動産の賃貸業のほか、旅館(美登利園)の経営等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で雇用契約を締結し、美登利園で働いていた方です。退職後に時間外勤務手当等を請求する訴訟を提起したところ、管理監督者性が争点の一つとなりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、原告の管理監督者性を否定しました。

(裁判所の判断)

「原告は、美登利園の従業員らの中で最も高い月例賃金40万円の支払を受け、高い待遇を受けていた。また、原告は、開業当初から、中国に在住し日本語を解さない被告代表者bと連絡を密に取っていたほか、1か月に1回経営会議に参加して自己の意見を述べる、アルバイト従業員らの採用面接をするなどして、美登利園の経営において、重要な役割を果たしていた。」

「さらに、原告が、美登利園に住み込んでいたこと、宿泊客がチェックアウトした後、次の宿泊客がチェックインするまでの間、美登利園において団体宿泊客がいない日も相当程度あったことなどからすると、原告の労働時間について相当程度裁量が与えられていた可能性はある。」

「しかし、原告は、上記のとおり、被告代表者bから個別具体的な指示を受けることとされており、美登利園の経営に関し、ほとんど裁量を与えられていなかったことを考慮すると、原告が、管理監督者であるということはできず、これに反する被告の主張は採用できない。

3.個別具体的な指示がどのように認定されたのか

 上記のとおり、裁判所は、被告代表者から「個別具体的な指示」を受けていたことを根拠に、経営上の裁量を否定し、原告は管理監督者にはあたらないと判示しました。

 それでは、この「個別具体的な指示」があったことは、どのような事実から認定されたのでしょうか?

 ここで決め手になったのは、被告代表者から送られてきた電子メッセージの内容です。裁判所は、被告代表者から、次のような電子メッセージが送られてきたと認定しています。

(裁判所が認定した事実)

「原告は、美登利園の経営に関し、頻繁に、被告代表者bと中国語の電子メッセージを交換するなどして、食事の内容、スリッパの購入、アルバイトの採用、給与計算の内容等について、被告代表者bの指示を受けていたところ、このような指示の中には、次のものがあった。」

「原告は、平成29年6月6日、美登利園の朝食について、『私は漬物かザーサイと、野菜サラダと焼き魚(サバ、業務スーパーで1本半が1983円、9切れ分とれます)を、温菜として一皿追加したい。』という提案をしたところ、被告代表者bは、『いいですよ。でも、生野菜は朝食には向かない。安全性も難しいし、原価も安くないです。』と回答した。・・・」

「被告代表者bは、同年7月6日、スリッパの購入に関し、『100円ショップの商品を客に提供するのはよくないと思う。』との原告の提案を受入れず、『あなたは100円ショップ見に行って、写真を撮ってきて。合皮のほうがいい。』と指示をした。また、被告代表者bは、原告に対し、上記指示に従い原告が示した桃色のスリッパの画像について、『この色ですか、確認したのは赤茶で、このピンクはよくない』と述べ、茶色のスリッパの画像について、『こっちの方がいい。』と述べた。その後、原告が、被告代表者bに対し、『印字はどうしますか。』と尋ねると、被告代表者bは、『元々、美登利園のスリッパに印刷されていた字に合わせる』と答えた。・・・」

「被告代表者bは、同年7月12日、原告に対し、電子メッセージを送り、原告が、被告代表者bの指示を受けることなく、美登利園のために、各協会費、広告費、調理師会の費用、コップの購入費、掃除機のほか、10万円の食材を仕入れた後未使用であることなどを指摘した上で、被告代表者bの指示を受けて、美登利園を経営するよう指示した。・・・」

「被告代表者bは、原告に対し、同年3月26日、『夜日本人客がいなければ、dが帰るべき、経費を節約。』、同年11月1日、『お客さんが着いているが、まだ定食の冷菜をセットしている。三人いるのだから、先に冷菜のセットをして、団体が着くという電話がきてから温かい料理をつくればいい。また、dさんは調理場にいてはならない。彼女は掃除や接客の仕事をするように。eさんに話して前もって配膳をしてください。』と記載した電子メッセージを送った。・・・」

4.細かい指示が書かれたメールは要保存

 経営上の裁量が与えられていたのかどうかは、管理監督者性の判断要素として、かなり大きな比重を占めます。労働時間管理に裁量があり、相応の待遇が付与されていたとしても、これらの事実を一気に覆せるだけのインパクトを持っています。そのため、労働者側で管理監督者性が争点となる残業代請求訴訟を追行するにあたっては、経営上の裁量が限定されていたことを、どのように立証するのかが、しばしば重要な問題になります。黒馬産業事件では、会社代表者から流れてきていた電子メッセージを活用して、この問題が乗り越えられました。

 残業代請求の局面では、労働時間立証のための資料をどのように確保するのかに、目が奪われがちです。しかし、殊、名ばかり管理職が残業代を請求するにあたっては、普段どのような指揮命令を受けていたのかも立証するため、労働時間立証とは無関係そうであったとしても、細かい指示が書かれたメールを確保しておくことが望まれます。

 

橋本弁護士の入所について

 今月から橋本佳代子弁護士が当事務所に加わっています。 

 https://shishikado.jp/hashimoto-kayoko/

 橋本弁護士は、労働事件全般に極めて優れた知見を有しており、私が最も尊敬する弁護士の一人です。

 当事務所は労働事件を重点的な取扱い分野としています。事案の規模や難易度に応じて事件を共同受任することにより、これまで以上に専門性の高いサービスを提供することが可能になるだろうと思います。

 労働事件と一口に言っても、カバーされる領域は広範です。解雇、残業代請求、労災、ハラスメント、集団労使紛争など様々な紛争分野があり、それぞれに特有の専門的知見が集積されています。こうした広範な事件類型に対処するにあたっては、まだ人的体制の拡充を図って行きたいと思っています。

 当事務所では、引き続き、経営に参加してくれる弁護士の方を募集しています。

 ご興味のある方は、ぜひ、ご一報ください。