弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

企業組合の組合員の労働者性

1.企業組合

 企業組合という組織があります。一般の方はもちろん、法律専門職にも、それほど良く知られている仕組みではないと思います。

 企業組合は、中小企業等協同組合法という法律に根拠があり、中小企業等協同組合の一類型として位置づけられています(中小企業等協同組合法3条4号)。

 それでは、この「企業組合」という組織は、どのようなものなのでしょうか。

 経済産業省の関東経済産業局のホームページでは、次のように説明されています。

「この組合は、独特の協同組合の形態であり、その組合員は自己の資本と労働力とのすべてを組合に投入し、企業組合自体が1個の企業体として事業を行うものです。
 したがって組合員は、組合の経営に参画するとともに、原則として組合の事業に従事して報酬を受ける勤労者的存在となるものです。このように、この組合の活動は、外見からは会社に類似していますが、内部的には協同組合の原則によって運営されます。このような企業組合は、小規模事業者が企業合同により、その経営単位を拡大して、経済的地位を向上するための組織として、利用されるとともに、創業・新事業挑戦のための多様なパートナーシップ組織として利用されているものです。
 企業組合が行う事業は、商業、工業、鉱業、運送業、サービス業、その他組合の定款で定める事業です。」

https://www.kanto.meti.go.jp/seisaku/kumiai/index.html

https://www.kanto.meti.go.jp/seisaku/kumiai/data/kumiaigaiyo.pdf 

 この仕組みの興味深いところは、組合員が事業者としての性質を維持しながら、労働者に準じた法的保護を受ける可能性が開かれているところです。

 例えば、企業組合と同じく中小企業等協同組合法に基づく協同組合の一つに、事業協同組合という仕組みがあります(中小企業等協同組合法3条1号)。

 事業協同組合は、

「組合員の経済的地位の改善のためにする団体協約の締結」

を行うことができ(中小企業等協同組合法9条の2第1項6号)、

「事業協同組合・・・と取引関係がある事業者・・・は、その取引条件について事業協同組合・・・の代表者・・・が政令の定めるところにより団体協約を締結するため交渉をしたい旨を申し出たときは、誠意をもつてその交渉に応ずるものとする」

とされています(中小企業等協同組合法9条の2第12項)。

 簡単に言えば、事業者の集合体でありながら、労働組合のように団体交渉ができるということです(ただし、労働組合による団体交渉ほど強力な権利性・救済手段は与えられておらず、労働組合と同じようにと言うと語弊があります。この点は誤解なきように注意してください。)。

 近時、フリーランスの方など、労働者の定義からはみ出た人が、労働法の枠外で交渉力格差のある企業と向き合わなければならないことが問題となっています。こうした人達を保護する仕組みとして活用することができないか、個人的に注目している仕組みです。

 ただ、この仕組みは個々の組合員に事業者性があることを前提にすることから、脱法スキームとしても利用可能なものです。実質的には理事長ら上層部が意思決定を行い、他の組合員を指揮命令しているにもかかわらず、各組合員に事業者性があることを理由に労働法上の義務を遵守しないといったようにです。

 それでは、企業組合の組合員の労働者性については、どのように判断すればよいのでしょうか。企業組合という形式をとることが、一般的に採られている労働者性の判断枠組みに何等かの影響を与えることはあるのでしょうか。

 この点について、目を引く判断を示した裁判例が公刊物に掲載されていました。

 東京高判令元.6.4労働判例1207-39企業組合ワーカーズ・コレクティブ轍・東村山事件です。

2.企業組合ワーカーズ・コレクティブ轍・東村山事件

 この事件は企業組合の組合員の労働者性が問題となった事件です。結論としては、労働者性を否定していますが、興味深いと思ったのは一審(東京地立川支判平30.9.25労働判例1207-45)を含めた以下の判示です。

当該法人が形式的にワーカーズ・コレクティブ『であるという』一事のみでは、これを事業者性を肯定する事情とみることはできないのであって、組合契約の本質に照らせば、当該組合の事業全体にわたって、主体的に、組合員が実質的な協議を行ってこれを決定しているか否かが重要な要素であると解され、形式的には組合員が決定しているようでも、実質的な協議や決定がされず、理事者の提案ないし決定を単に追認しているにとどまるような場合(例えば、組合員の人数が多数に及ぶ場合には、実質的な協議決定はおよそ期待できないし、組合員の人数が少数であったとしても、組合員間に同質性がなく、理事者ら一部の組合員の発言力が強く、あるいは組合員が全体として協議決定に無関心で、およそ組合員による実質的な協議決定が行われていないといえる場合等がこれに当たると解される。)には、およそ事業者性を肯定する事情とすることはできない。

(中略)

被告においては、理事長を含むメンバー全員が拠出金とトラックドライバーとしての労働力を提供し合って活動しており、理事長ら役員と原告を含むその他のメンバーの地位との間に大きな差はなく、メンバーの全員が、同等の立場で、多数決により被告の運営に実質的に関与しており、その組合員は、主体的に出資し、運営し、働き、共同で事業を行っていたものといえるから、原告は組合員として事業者性が肯定され、その労働を他人の指揮監督下の労働とみるのは困難である。」

※ 『』は高裁の改め文で補正された文言で置き換えた箇所・内容です。以下の『』も同様です。

3.本来的な利用方法と脱法スキームとの違い

 以上の判示は「労働者性の判断を補強する『その他の要素』」と題された項目の中での判断であり、労働者性を否定する判断が出た後での傍論的な判示です。

 しかし、健全な協同組合と脱法スキーム的な協同組合とを区別するうえでの指標を示したものとして、かなり重要な意味があるように思われます。

 近時、労働法の規制を免れるため、従業員を個人事業主化するという動きが危惧されるようになっています。協同組合の仕組みは、フリーランスの方を保護する方策になる一方、労働者を事業者として働かせるという脱法スキーム的な利用も可能なもので、どのような利用がなされて行くのかは、今後とも注目されるところです。

 

義務者の年収が高い場合の婚姻費用の算定-よくある間違ったアドバイス

1.義務者の年収が高い場合の婚姻費用の計算

 ネット上に、

「小室哲哉氏は“8万円”提示? 別居中の生活費『婚姻費用』はどう決まるのか」

という記事が掲載されていました。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191103-00052418-otonans-soci&p=1

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191103-00052418-otonans-soci&p=2

 記事には、

「婚姻費用の金額ですが、年収が2000万円以下なら、家庭裁判所が公表している婚姻費用算定表に互いの年収を当てはめることで計算できます。例えば、夫の年収が1000万円、妻が100万円なら、婚姻費用は月13万円、夫が600万円、妻が無収入なら、月9万円という具合です(いずれも給与所得者で数字は総支給額)。」

「しかし、算定表の上限は、給与所得者の場合は2000万円、自営業者の場合は1400万円なので、これを超える場合、算定表を使うことは難しいです。どうすればよいのでしょうか。

「今度は、家庭裁判所が公表している『新しい算定方式』(判例タイムズ1111号291頁)という別の計算式を使います。具体的な算定方法は以下の通りですが、夫の年収が1億円、妻が無収入なら、婚姻費用は毎月約166万円が妥当な金額です。裁判所を通した場合、毎月8万円では済まされないでしょう。」

などと婚姻費用に関する考え方が記載されています。

 しかし、これは、よくある類の間違ったアドバイスです。

2.婚姻費用算定表と「新しい算定方式」との関係

 記事の論者が指摘している「新しい算定方式」というのは、正確には、三代川俊一郎ほか『簡易迅速な養育費等の算定を目指して-養育費・婚姻費用の算定方式と算定表の提案』判例タイムズ1111-285です(以下「三代川論文」といいます)。三代川論文が掲載されているのは、2003年4月1日に発行された判例タイムズという雑誌です。今から16年以上前の論文であり、全然新しくはないため、「新しい算定方式」というのは誤解を招く表現です。

 婚姻費用算定表は、三代川論文に添付されている表です。

 三代川論文は、義務者の収入が、給与2000万円・自営1409万円までの事案を念頭に、年収区分毎に基礎収入割合をシミュレートし、それを一定の数式に組み込むことにより、婚姻費用を計算しようとする試みです。

 三代川論文をきちんと読んでいれば、三代川論文添付の婚姻費用算定表からはみ出ている場合に、三代川論文本文に書かれている計算式を用いて婚姻費用を計算しようという発想にはならないのではないかと思います。

3.義務者の年収が高い場合の婚姻費用の認定

 義務者の年収が高すぎて婚姻費用算定表を用いることができない場合に、婚姻費用をどのように認定するかに関しては、比較的早くから問題意識がもたれていました。

 この点を論じたのが、岡健太郎『養育費・婚姻費用算定表の運用上の諸問題』判例タイムズ1209-4です(以下「岡論文」といいます)。

 2006年7月15日に発行された岡論文には次のとおり書かれています。

「算定表は、給与所得者の基礎収入の割合を総収入の34~42%、自営業者の基礎輸入の割合を47~52%の範囲内として計算している。基礎収入割合は収入に応じて変動し、所得が高額になるほど小さくなるが、これらの基礎収入割合は、給与所得者について2000万円、自営業者については1409万円を上限として算出されたものであるから、総収入がこれらの上限額を超える場合には、基礎収入割合が更に小さくなるものと思われる。ただ、高額所得者の場合、生活実態も様々である上、公租公課の額も異なるので、算定表の予定する基礎収入割合を用いることができない。

(中略)

「婚姻費用については、もっぱら各事案の個別的事情を考慮して基礎収入の額を認定することになろう。

(中略)

総収入の額が算定表の上限額に比較的近い事案については、基本的に、概ね算定表の上限額を婚姻費用の分担額と認定することで足りるであろう。また、これまでの審判例や婚姻費用の性格(あくまで生活費であり、従前の贅沢な生活をそのまま保障しようとするものではない。)からすると、よほどの事情がない限り、婚姻費用の額が月額100万円を超えることはないように思われる。

 私の理解では、この岡論文は現在の裁判実務にも大きな影響を及ぼしていて、義務者の年収がどれだけ高かろうが、100万円を超える婚姻費用月額が認定されることは殆どないだろうと思います。義務者の年収が高額である場合でも、三代川論文の数式を機械的にあてはめて婚姻費用を算定したという例は私の知る限りありません。

4.最近の裁判例

 今年の4月1日発刊の判例タイムズに義務者が年収1億5000万円を超える高額所得者である場合の婚姻費用額が争点になった裁判例が掲載されていました。東京高決平29.12.15判例タイムズ1457-101です。

 この事案で認定された婚姻費用は、月額75万円です。義務者の年収が1億5000万円を超えていても75万円で166万円の半額以下です。

 東京高裁は同居中及び現在の生活状況から婚姻費用の額を算定しました。

 義務者の年収が高い場合の婚姻費用の算定方法は、標準算定方式を修正して計算する方法と、同居中及び現在の生活状況から算定する方法に大別されます。東京高裁の決定は後者の方法によるものです。前者による考え方も存在はしますが、三代川論文に掲載されている数式を修正することもなく、そのまま適用するという発想は普通の法曹実務家にはないと思います。

5.ネットで得た法律知識をあまり真に受けないこと

 ネットに掲載されている法律知識は本当に玉石混交です。専門家が読めば正確な情報か、胡散臭い情報かは一見して分かりますが(離婚事件をある程度取り扱っている弁護士であれば、義務者の年収がはみ出る事例の一つや二つ経験しているのが普通であり、実体験として裁判所が三代川論文の数式をそのままあてはめていないことは知っていると思います)、一般の方にとっては難しいと思います。

 ネットで聞きかじった知識をもとに法律相談に来られ、相談の中で訂正をするというパターンは多くみられますが、義務者の年収が高い場合の婚姻費用の算定についての法曹実務家の標準的な理解は上述のとおりだと思います。

 なお、記事に関しては、他にも突っ込みたくなるところはあり、本記事で指摘した以外の点が正しいという趣旨でないことも指摘しておきます。

 

裁判資料の横流し? 訴訟記録と非当事者の名誉・プライバシー保護の問題

1.NGT裁判と山口真帆氏の立ち位置

 ネット上に、

「『山口真帆に集団訴訟も』NGTメンバー保護者会が激怒 暴行事件裁判で”場外乱闘”勃発」

という記事が掲載されていました。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191101-00015183-bunshun-ent

 記事には、

「NGT48暴行事件をめぐりグループ運営会社『AKS』が犯行グループを相手取って起こした民事訴訟が新潟地裁で進行中だが、この事件について報じたネットニュースについて、被害者の元メンバー・山口真帆(24)がツイッターで《名誉毀損すぎる》などと反論したことが話題になっている。」

「10月30日付のスポニチが掲載したのは、主犯格とされている男性と山口のツーショット写真。2017年4月に千葉・幕張メッセで開催された写真イベントで撮影されたという2枚の写真の中で、2人は指で数字を示している。数字は事件現場となったマンションの、山口と男性のそれぞれが借りていた自宅の部屋番号だという。『襲撃グループの主犯格とされた男性は約2年前から(山口の)自宅を知っていたことになる』とスポニチは指摘した。」

「この報道に対して、山口の反応は早かった。同日午前6時過ぎ、たて続けにツイッターに反論を投稿。山口がNGT事件について触れるのは事務所移籍後、初めてだ。」

「《スポニチさんが名誉毀損すぎるのでもう関わりたくないけど言わせてもらいます。ファンの方はご存知の通りイベント写真会はリクエストされたポーズをします。それをカメラ目線でやるので相手が何のポーズしているかもほぼ分かりません。AKB新聞やってて写真会の仕組みも分かっているはずなのに酷すぎる》」

《独占入手って昨日の裁判資料?横流ししてもらった以外何があるんだろう?襲われたら会社に謝されて、メンバーにはSNSで嫌がらせされて、辞めてからは他のメンバーがやってたことを私のせいにされて。こんな会社ある? 犯人との私的交流は現メンバーが認めてるのに。出してないけどその音声もあります》」

「山口の反論には多くのファンが反応し、現在のリツイート数は3万5千件を超え、10万以上の『いいね』が付いている。写真の出所にも関心が集まっている。」

「山口が指摘した通り、写真は裁判の証拠資料として提出されているものです。AKSは写真の出所について関与を否定していますが、スポニチといえば『AKB新聞(月刊AKB48グループ新聞)』の販売元で、AKSとスポニチの両者が蜜月関係にあるのは公然たる事実。AKSはくだんの写真よりもさらに強い証拠を準備しており、二の矢、三の矢として提出する予定だと言われています。裁判を通して、事件にはNGTメンバーが関与していなかったこと、ひいては『メンバーが犯人をけしかけて、犯行が行われたというのは、山口の妄言だった』ことを立証するため、AKSの吉成夏子社長は躍起になっています」(同前)」

などと書かれています。

2.証拠資料は横流しされたものか?

 民事訴訟法91条1項は、

何人も、裁判所書記官に対し、訴訟記録の閲覧を請求することができる。

と規定しています。

 また、同条3項は、

当事者及び利害関係を疎明した第三者は、裁判所書記官に対し、訴訟記録の謄写、その正本、謄本若しくは抄本の交付又は訴訟に関する事項の証明書の交付を請求することができる。

と規定しています。

 要するに、訴訟記録は、閲覧は誰でもできるものの、謄写(コピー)は当事者又は利害関係者しかすることができないという制度設計になっています。

 スポーツ新聞が訴訟に利害関係を持っているということは普通は考え難いため、訴訟資料の写しを入手したのだとすれば、AKSが故意に流出させたのかまでは分からないにしても、当事者(AKSもしくは被告)のルートか利害関係人のルートに限られてきます。

3.プライバシー保護の仕組み

 もちろん、法律は、訴訟を起こしたことで、当事者のプライバシーが衆人環視に晒されることを、良しとしているわけではありません。

 具体的に言うと、訴訟当事者は、

「訴訟記録中に当事者の私生活についての重大な秘密が記載され、又は記録されており、かつ、第三者が秘密記載部分の閲覧等を行うことにより、その当事者が社会生活を営むのに著しい支障を生ずるおそれがあること。」

を疎明して、訴訟記録のうち秘密記載部分の閲覧等の請求をすることができる者を当事者に限るように申し立てることができます。これを受けて裁判所が閲覧等の制限を認めれば、第三者は秘密記載部分を閲覧することができなくなります。

 しかし、こうした措置を申し立てる資格があるのは、訴訟当事者だけですし、閲覧等の制限は当事者の私生活上の秘密等を保護するもので、第三者・部外者のプライバシーの保護が図られる設計にはなっていません。本件の裁判の当事者はAKSと被告犯行グループであり、山口氏の情報が「当事者の私生活上についての重大な秘密」といえるのかは条文の文言との関係で疑義が生じます。

 また、それを措くとしても、AKSや被告犯行グループが閲覧等の制限を申し立てなければ、訴訟記録を誰でも見れる状態は解消されません。

 つまり、山口氏は、関係者であるにもかかわらず、興味本位で訴訟記録を見るなということが言いにくい立場に置かれています。

4.本件に関して言えば、訴訟で真実が捻じ曲げられる可能性がある

 報道によると、AKSが本件訴訟を提起した目的に関しては、

「被害による損害賠償請求ということもありますが、真相解明をメンバーの方々、親族の方々が求めている。そういった思いを会社も受けて、原因を究明して再発防止につなげたい。少しでも真実に近づければと思っている」

と説明されています。

https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/akb/1467066/

 しかし、真相の究明が本当に可能なのだろうかと疑問に思います。

 根拠は事件のキーパーソンである山口氏とAKSとの関係が必ずしも良好ではなさそうであることです。

 訴訟は認否反論をぶつけ合って進めて行きます。

 被告となった二人が、事件についていい加減な事実主張をしたとしても、当該主張の真偽を山口氏に直接確認することができなければ、有効な反論を打ち出すことに難渋するのではないかと思います。山口氏の側にしても、自分が当事者になっている裁判というわけではないため、訴訟に積極的に関与して自分の事実認識を語ることができるわけではありません。結果、事実認定が被告の主張の側に流れ、真相がますます良く分からなくなってしまうこともあり得ると思います。

5.山口氏のような立ち位置にいる人の法的保護はそれでいいのだろうか?

 冒頭の記事には、

「裁判を通して、事件にはNGTメンバーが関与していなかったこと、ひいては『メンバーが犯人をけしかけて、犯行が行われたというのは、山口の妄言だった』ことを立証するため、AKSの吉成夏子社長は躍起になっています」

と書かれています。

 報道だけでは請求原因(損害賠償請求権の発生を根拠付ける具体的な事実)を把握しづらいため、上記の事実がどのような意味を持っているのかはよく分かりません。

 しかし、山口氏のいないところで原告が

「メンバーが犯人をけしかけて、犯行が行われたというのは、山口氏の妄言だった。」と主張し、それに被告側が乗っかって、

「はい、自分たちもメンバーが私達をけしかけたなんて言っていません。山口氏がAKSさんに何と説明したのかは、自分たちの知ったところではありません。『メンバーからけしかけられた』云々の私達の発言が加害行為であるとのご主張であれば、そのような加害行為は存在しないことから、損害賠償を請求されるいわれはありません。」

と主張してきたら、どうなってしまうのだろうかと思います。

 報道によると原告はお金を回収することにはそれほど強いこだわりはなさそうですし、原告と被告との合作により、山口氏を蚊帳の外に置いたまま、山口氏が先走って変なことを言ってしまったという「真実」が作られてしまわないかが危惧されます。

 確かに、理屈のうえでは、AKSの犯行グループに対する損害賠償請求権が存在しようがしまいが山口氏の法的な立場とは関係がありません。しかし、人気商売である方にとっては、裁判所でどのような事実認定がされるのか、それがどのような報道をされるのかは極めて切実な問題だと思います。

 報道によると、裁判所は非公開審理を提案するなどの手当を講じようとしたようですが(公開が禁止された場合、民事訴訟法91条2項によって、訴訟記録の閲覧の主体が当事者及び利害関係人に限定されます)、原告AKSは公開法廷でのやりとりを望んだようです。訴訟記録の問題にしても、自分のいないところで「真実」っぽいものが衆人環視のもとで議論されて行くのも、大変気の毒な立場だなと思います。こうした方の保護に関しては、何等かの立法的な手当が図られても良いのかも知れません。

 

労災の認定基準の適用・運用-裁判所の運用は行政の運用よりも緩やか?

1.精神障害の労災認定基準

 精神障害の労災認定に関して、行政は、

「心理的負荷による精神障害の認定基準について(平成23年12月26日付け 基発第1226第1号)」

との名前の文書を作成・公表しています。

https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken04/090316.html

https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken04/dl/120118a.pdf

 精神障害の労災認定基準は、業務起因性を判断する基準として、裁判所でも用いられている例が多く見られます。しかし、同じ基準が用いられていても、行政段階で労災認定が認められなかった一方、裁判所では労災認定が認められたという事案が一定数あります。

 この理由は、裁判所の方が、行政よりも実態・実質に踏み込んだ判断をしているからではないかと思います。近時の公刊物に掲載された広島地判令元.5.29労働経済判例速報2390-3 萩労働基準監督署長事件も、このことを裏付ける事案の一つです。

2.広島地判令元.5.29労働経済判例速報2390-3 萩労働基準監督署長事件

(1)事案の概要

 本件は、自殺者(医師)の遺族である女性が、夫が自殺したのは過重な業務に起因して精神障害を発病したからだとして、労災の不支給処分(遺族補償給付等の不支給処分)の取消を求めて出訴した事案です。

(2)裁判所の判断

 裁判所は、労災の認定基準の位置づけを明確にしたうえ、必ずしも認定基準の文言にこだわらずにハラスメントについて実質的な検討を行い、不支給処分を取り消しました。

(「判決要旨)

-行政が定めた精神障害の労災の認定基準の位置づけ-

「厚生労働省は、精神障害の業務起因性を判断する基準として、認定基準を規定しているところ、認定基準は、行政処分の迅速かつ画一的な処理を目的として定められたものであり、裁判所がこれに拘束されることはないが、認定基準について、精神医学、心理学及び法律学当の専門家により作成された平成23年報告書に基づき、医学基準についてなされたとの経緯や、業務による心理的負荷評価表・・・及び業務以外の心理的負荷評価表・・・に基づいて、具体的な出来事とごとに各々の心理的負荷の強度を評価した上、総合考慮するという内容であって、経験則に基づく業利敵な推認判断としての一面も有すること等を踏まえると、認定基準は、当裁判所の認定判断においても相応の合理性のということができる。」

「したがって、本件においては、認定基準を参考にしつつ、さらに本件事案から看取し得る個別具体的な事情を総合考慮して、被災者の発病した被災者の発病した精神障害が業務に起因するものであるかを判断するのが相当である。

-部下とのトラブル-

 本件では長時間労働、連続勤務ほか種々の心理的負荷が主張されていますが、処分行政庁の運用と裁判所の運用の違いが端的に表れているのは、部下とのトラブルに係る下記の部分です。

「被災者とF医師との間では、常勤医師としての業務遂行に関し、客観的にみて明らかな対立が生じており、その後も根本的な解決に至ることがなかったものと認められる。以上は、別表1(略)の具体体出来事の項目32『部下とのトラブルがあった』との項で心理的負荷の強度が『中』とされる例として挙げられる事由『業務を巡る方針当において、周囲からも客観的に認識されるような対立が部下との間に生じた』に該当するといえ、その心理的負荷の強度は『中』と認める(上記事由は、文言上は、部下との対立が周囲からも客観的に認識されるようなものであることを前提としている。しかしながら、周囲の者が現にそのような対立の存在を認識していたか否かによって、部下との対立で生じた本人の心理的負荷の強度が左右されるものとは思われず、上記事由の『周囲からも客観的に認識されるような対立』とは、要するに、当該対立が客観的にみて人同士の明らかな対立といい得る態様であることを示すものと解される・・・)。

3.同じ判断基準に依拠するとしても、裁判所は事案の個別性に着目した実質的な解釈・運用を行う

 処分行政庁も裁判所も、精神疾患の発症が労災に該当するかに関しては、類似した基準に基づいて判断しています。

 しかし、処分行政庁には認定基準を形式的に解釈する傾向がある反面、裁判所は、個別具体的な事案に応じ、制度の趣旨にまで立ち返って、認定基準をより実質的に解釈・運用する傾向が強いように思われます。認定基準の中に掲げられている具体例として明示されている事実(周囲からも客観的に認識されるような対立であること)について、これを不要だと明確に判示したのも、心理的負荷の内容を実質的なものとして位置づけているからだと理解されます。

 労災の不支給処分に関しては、不服の申立により結論が変わる例を、それなりに目にします。形式的な取扱いのもとで不支給処分にされたが、どうしても納得できない、そうお考えの方は、弁護士に対して不服申立を依頼することも検討してみて良いのではないかと思います。

 

新人がパワハラ上司と二人きりはきつい-協力者が確保できたことで、適応障害の発症が上司からのパワハラによる労災と認められた例

1.精神障害の労災認定

 精神障害が労災になるというと、長時間労働で欝病になったような場面を想定される方が多いのではないかと思います。しかし、精神疾患で労災が認められるパターンは長時間労働の場面に限られるわけではありません。いじめや嫌がらせによって精神疾患を発症するパターンも、労災はカバーしています。

 むしろ、精神障害の労災認定に関していうと、統計的な数値としては、いじめや嫌がらせを原因とする労災認定の方が、長時間労働を原因とする労災認定よりも多いくらいです。

 厚生労働省は、平成30年度の精神障害に関する事案の労災補償状況を公表しています。これによると、

「(ひどい)嫌がらせ、いじめ又は暴行を受けた」

での労災の支給決定件数が69件であるのに対し、

「1か月に80時間以上の時間外労働を行った」

での労災の支給決定件数は45件に留まっています。

 出来事別支給決定件数で言うと、「(ひどい)嫌がらせ、いじめ又は暴行を受けた」は「仕事内容・仕事量の(大きな)変化を生じさせる出来事があった」と同数で、1位となっています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_05400.html

https://www.mhlw.go.jp/content/11402000/000521999.pdf

 パワハラなどの嫌がらせ・いじめによる労災認定は、これまでも、今後も、重要な意味合いを持ち続けて行くのだと思います。

 ただ、パワハラによる精神疾患の発症を労災として認定してもらうためのハードルは、かなり高いというのが一般的な実務家の感覚ではないかと思います。それは精神疾患の発症の原因となるほどの強度をもった嫌がらせ・いじめの事実を立証することが大変だからです。嫌がらせ・いじめで精神疾患を発症した認めてもらうためには、相応の質量を兼ね備えた嫌がらせ・いじめの事実を立証する必要があります。しかし、嫌がらせやいじめは、周囲に誰も助けてくれる人がいないから辛いのであって、労災認定のために協力してくれといっても、協力者を確保することは簡単ではありません。結果、加害者が嫌がらせ・いじめを否認すれば、水掛け論になってしまい、嫌がらせ・いじめ行為を十分に立証できない→労災とは認められない、といった経過が辿られることになります。

 平成30年に都道府県労働局に寄せられたパワハラでの相談件数は8万2000件を超えています。

https://www.no-harassment.mhlw.go.jp/foundation/statistics/

 もちろん、パワハラで相談する人みんなが精神疾患を発症しているわけではありませんが、労災の認定件数が69件でしかないことと対比すると、精神疾患の発症がパワハラに起因する労災だと認定してもらうことが、どれだけ大変なことなのかは理解できるのではないかと思います。

 そうした状況の中、精神疾患の発症がパワハラに起因する労災だと認定された裁判例が公刊物に掲載されていました。大阪地判平30.10.24労働判例1207-73国・伊賀労基署長(東罐ロジテック)事件です。

2.国・伊賀労基署長(東罐ロジテック)事件

(1)事案の概要

 本件で原告となった方は、東罐ロジテック株式会社の大阪営業所三重出張所で勤務していた方です。東罐ロジテックは、貨物自動車運送業や倉庫業等を目的とする株式会社です。原告が家出張所で勤務していた当時、三重出張所の人員は原告と、その上司であるDだけでした。

 適応障害を発症した原告が、精神疾患の発症の原因はDのパワハラにあるとして労災認定を申請したのに対し、処分行政庁(伊賀労働基準監督署長)は業務上の事由によるものであるとは認められないとして不支給処分をしました。

 これに対し、原告が不支給処分の取消を求めて出訴したのが本件です。

(2)裁判所の判断

 裁判所は次のように述べて、精神疾患の発症の業務起因性を認め、不支給処分を取り消しました。

Dは、原告に対し、業務上の指導をほとんどしないまま、また、Dの部下として勤務した経験があるEから見て、原告の仕事ぶりには大きな問題はなかったにもかかわらず、ほぼ毎日のように、原告に対し、『こんなこともできないのか。』、『やる気がないなら帰れ。』などと怒鳴っていたことが認められ、かかる事実は、原告の発病(平成23年6月頃)前おおむね6か月の間の出来事であるといえる。」
「そして、Dの上記言動の内容及び同言動がほぼ毎日行われていたことに鑑みると、同言動は、業務指導の範囲を逸脱し、執拗に行われたものであると認められ、心理的負荷評価表によれば、『29 (ひどい)嫌がらせ、いじめ、又は暴行を受けた』に該当すると認められる。そして、当時、原告が本件会社に入社して1年が経過しておらず、原告は本件会社前に短期間別会社に勤務した以外社会人経験を有していなかったこと・・・、原告は当時二十四、五歳、Dは当時45歳前後で約20歳の年齢差があったこと・・・、三重出張所の人員は原告とDのみであったこと・・・、原告とDの体格差(・・・Dは、身長が原告より20cm以上高く、体重は原告の約2倍である。)、これらの点を総合的に勘案すると、Dの言動による心理的負荷は、客観的にみて、精神障害を発病させるおそれのある程度に強度であったと認めるのが相当である。

3.協力者がいればパワハラの立証は何とかなる可能性がある

 裁判所の認定からは、新人がパワハラ上司の二名体制の出張所に押し込められ、特段の問題もないのに毎日のように怒鳴られていたことが窺われます。こういう状態は新人でなくても辛くて、精神的に病んでしまうというのも察するに難くありません。

 ポイントになるのは、原告がどうやって、そのような事実を立証したのかです。

 この点に関しては、Eという協力者の存在が大きかったのではないかと思います。

 裁判所はDのパワハラ行為について次のような事実認定をしています。

「Dは、原告に対し、業務上の指導をほとんどしなかった。三重出張所においてDの部下として勤務した経験があるEから見て、原告の仕事ぶりに大きな問題はなかったが、Dは、ほぼ毎日のように、原告に対し、『こんなこともできないのか。』、『やる気がないなら帰れ。』などと怒鳴っていた。Dは、原告に対し、安全靴で原告が痛がるほど蹴ったり、30cmないし50cmの定規で音が出るほど机を叩いたり、叱責した際に大分まで行くよう命じたりしたことがあり、Dが、原告の胸倉を掴んだため、EがDを制止したことが2回あった。(甲21の⑪の①、証人E・24ないし26、28ないし30頁)」
「なお、Dは、本件会社に対し、原告に対しては何度も根気強く同じことを注意していたが、原告は生返事を繰り返したり、反抗的な態度等で業務に従事していたので、指導・教育が行き過ぎた旨報告し(甲47の④)、伊賀労働基準監督署における聴取において、原告が業務上のミスをした際に叱責をしたことはあるが、原告を蹴ったり、定規で机を叩いたり、胸倉を掴んだりしたことはない旨供述する(甲13)。」
「しかしながら、Eは、証人尋問において、①Dは、原告に対し、業務上の指導をほとんどせず、Eが教えるなどした、②原告がほぼ毎日ミスを行っていた印象はなく、勤務態度に問題はなかった、③原告は、Dから、ほぼ毎日怒鳴られているようなイメージで、『こんなこともできないのか。』、『やる気がないなら帰れ。』などと怒鳴られていたと記憶している、④Dは、原告に対し、安全靴で蹴ったことがあり、原告は痛がっていた、⑤Dは、原告を叱責する際、30cmないし50cmの定規で音が出るほど机を叩いたことがあった、⑥Dが原告の胸倉を掴んだのを止めたことは2回ある旨証言しているところ(証人E・24ないし26、28ないし30頁)。Eの個別具体的な証言内容は、それ自体十分信用に値するものであると認められる。そして、Dの上記報告等については反対尋問の機会を経ていないことをも併せ鑑みると、Dの上記報告・供述は採用できない。」

 EというのはDの元部下で、次のような立ち位置にいた人物とされています。

「E(以下『E』という。)は、平成15年6月頃、本件会社に入社して三重出張所で勤務し、平成21年3月1日、Cに転籍して、本件事務所で勤務していた。Eは、Dが本件会社に入社してからEがCに転籍するまでの間、Dの部下として勤務していた。」

 「本件事務所」とあるのは、三重出張所が設置されていたグループ会社の三重工場の物流事務所のことです。この物流事務所に勤務していが元部下が原告のためにパワハラの様子を証言したのが本件では効いたのだと思われます。

 パワハラの立証のため、会社の人が証言までしてくれるのは、比較的珍しいケースではないかと思います。しかし、こうした協力者が得られるケースでは、水掛け論にならず、きちんとパワハラを認定してもらえる可能性があります。強度のパワハラを認定してもらうことは、精神疾患の発症を労災として認定してもらうことに繋がります。

 労災認定が可能かどうかは別として、法律相談をしていると、パワハラでメンタルを病んだという方は、割とたくさん目にします。確保が難しいことは否定できませんが、協力者まで確保したうえで弁護士のもとに相談に行くと、損害賠償請求をするにしても、労災認定を求めるにしても、弁護士から肯定的な回答が得られる可能性は、大分高まるのではないかと思います。

 

背信性の強さは競業避止義務を定める合意の効力に影響を与えるか

1.競業禁止特約

 従業員が退職するにあたり、勤務先から同業他社に雇用されないこと(競業禁止特約)を求められる場合があります。

 この種の契約の有効性に関しては、横地大輔『大阪民事実務研究会 従業員等の競業避止義務等に関する諸論点について』判例タイムズ1387-5で詳細な裁判例の分析がなされていて、

「最大公約数として集約すると、①使用者の利益、②退職者の従前の地位、③制限の範囲、④代償措置の有無・内容から、退職者の競業避止義務を定める合意等の効力を検討すべきと判示している」

との認識が示されています。

 要するに、裁判所は、この種の契約の効力を、一律に有効だとか無効だとか判断しているわけではなく、①~④に掲げられているような要素を検討したうえ、個別事案ごとに判断をしているということです。

 それほど明確に有効・無効の基準が確立していないこともあり、競業禁止特約の有効性をめぐる紛争は一定の頻度で発生し、定期的に公刊物にも掲載されています。

 近時の公刊物に掲載されていた、東京地判平29.5.29判例タイムズ1464-162も競業禁止特約の効力が問題になった事案の一つです。

2.東京地判平29.5.29判例タイムズ1464-162

(1)事案の概要

 本件で原告になったのは、エレベーターやエスカレーターその他の昇降機の販売、取付、保守、修理及び点検等を業とする会社です。

 被告になったのは、原告の元従業員です。

 原告は早期希望退職制度を運用していたところ、この制度を使うと退職金規程による退職金とは別に、給与及び賞与の2.43年分の早期退職加算金が一括支給されることになっていました。

 ただ、早期退職希望制度の適用を受けるにあたっては、原告指定の退職合意書を作成する必要がありました。その退職合意書には、

「被告は、退職日の翌日以降2年間は、直接であると間接であるとを問わず、日本国内において原告の行う業務と競業する事業を行う企業に雇用され、あるいはその役員となり、又は原告の行う業務と競業する事業を自ら行わないものとする」(本件競業禁止条項)

との内容が記載されていました。

 早期希望退職制度の利用を申し出た被告は、上記の退職合意書の作成に応じ、これを原告に差し入れ、本来の退職金303万5219円に加え、割増金1587万2000円の支払いを受けました。

 しかし、平成26年9月30日をもって原告を退職した翌日である同年10月1日付けで原告の競業会社(A社)に入社し、就労を開始しました。

 これは詐欺ではないかということで、原告会社が1587万2000円部分の支払を請求して被告元従業員を訴えたのが本件です。

 原告会社が詐欺ではないかと構成したのは、制度の利用申出から同業他社への就職の間に、以下のような事実経過があったからです。

(平成26年7月28日)

被告が原告の人事部長宛てに早期希望退職制度の利用を申請する。

申請書の応募理由欄には、

「母親が自宅で呉服屋を経営し、脳梗塞を患い身体の不自由な父親に代わり生計を維持しているが、高齢化に伴い、両親から家業を継いでほしいと相談を受けている。・・・色々悩んだが、やはり両親を放っておくことができず、今回の早期退職に応募した。」

などと書かれていた。

(平成26年9月10日)

被告が退職合意書を差し入れる。

(平成26年9月22日)

被告がA社に「中途採用をしているのか」などと問い合わせる。

(平成26年9月24日)

被告が送別会において

「本当は会社を辞めたくなかったが、家業を継がなければならなくなった。」

と涙ながらに挨拶をする。

(平成26年9月26日)

被告がA社の採用面接を受ける。

(平成26年9月29日)

被告がA社から採用通知を受ける。

(平成26年9月30日)

被告が原告を退職する。

(平成26年10月1日)

被告がA社での就労を開始する。

(平成26年10月3日)

被告が原告から本来の退職金部分を受領する。

(平成26年10月24日)

被告が原告から退職金の早期退職割増金部分を受領する。

(2)裁判所の判断

 裁判所は次のとおり述べて競業禁止条項の有効性と詐欺不法行為の成立を認め、原告の請求を認容しました。

-競業禁止条項の有効性-

「㋐競業制限理由は、原告の業務上の機密事項及び原告の不利益となる事項に関する一定の情報、原告の顧客その他原告と取引関係のある第三者の業務上の機密事項及び当該第三者の不利益となる事項に関する一切の情報の漏洩防止である・・・ところ、被告のようなひら社員であっても、そのような情報に接する可能性は十分にあり、その漏洩を防止する必要性は肯定できる。㋑次に、制限の範囲が日本国内全部に及んでいるけれども、原告が著名なエレベーターメーカーであり、その顧客が日本全国にまたがり、営業範囲も日本全域を対象としている・・・から、その機密情報保持のためには国内全域での競業禁止義務を課す必要があるといえる。㋒また、その制限期間は、退職日の翌日から2年間であって不当に長いとはいえない上、本件早期退職割増金は当時の被告の年収額の2年分を優に超える額となっている(確かに、早期退職割増金制度が退職合意書記載の競業禁止約束の代償措置として明記されていないことは被告が指摘するとおりであるが、少なくとも、本件が早期退職割増金相当額の賠償請求であることに鑑みれば、約束違反による効果との均衡を考慮することも不合理ではないと考える。)。㋓さらに、本件競業禁止約束違反の適用の可否を検討するに当たり、本件で問題とされている被告の背信性の程度は、後記3判示のとおり、一定の確信に基づいての行動と評価せざるを得ず、非常に強いというべきである。以上の㋐ないし㋓記載の諸事情を総合考慮すると、本件競業禁止約束は有効であるといわなければならない。」

-詐欺不法行為の成否-

「被告は、本件退職合意書を提出した後、本件競業禁止約束が上記合意書に記載されていたこと及びそれを前提にして早期退職割増金が支払われることを認識していた・・・のであるから、信義則上、当該事情を告知する義務もしくは当該事情を告げて不測の損害を与えないよう配慮すべき注意義務を負っていたというべきであって、それ以降、競業他者への就職活動を慎むか、何等かの事情告知をするのが通常である。ところが、被告は、全く意に介することなく、本件競業禁止約束に違反することを明確に認識した上で、A社の面接を受け、退職日よりも前に同社の採用決定告知を受けていながら、誤信状態の下で早期退職割増金の給付を準備する原告には何も告げず、本件早期退職割増金全額の支払を受けたものである。したがって、誤信状態にある原告に対し、上記信義則上の義務に反して当該事情を全く告げずに本件早期退職割増金の支払を受けた被告の行為は、不作為の欺罔行為によって本件早期退職割増金を詐取したものと評価すべきであり、原告に対する不法行為が成立する。」

3.背信性の強さと競業避止義務

 本件で目を引かれたのは、背信性の強さを競業禁止約束の有効性を判断する上での考慮要素として明示的に掲げていることです。

 冒頭で指摘した論文には、

「退職者の競業行為の態様が極めて悪質である場合に、合意による制限範囲を悪質な行為に限定する旨解釈し、その範囲内で合意を有効と判断することが許されるかについては両論ありうると思われる」

との指摘があり、競業行為の悪性と競業避止義務を定める合意との関係性については、歯切れの悪い形で積み残しの問題となっていました。

 今回はかなり手厚い代償措置が講じられていたため、背信性がそれほどでもなくても競業避止義務を定める合意が認められていておかしくなかったとは思いますが、それでも背信性を競業避止義務を定める合意の考慮要素として明示的に位置づけたことは注目されて良いように思われます。裁判所の判示は、代償措置が薄くても、背信性が極端に強い場合には、競業避止義務を定める合意の効力は否定されず、当該合意に基づて法的措置をとる余地が生じる、そうした方向に発展する可能性のある考え方ではないかと思われます。

4.勤務先を騙しても何がきっかけでバレるかは分からない

 本件で被告が同業他社に就職したことが原告に発覚した経緯に関しては、

「顧客から『エレベーターの部品交換につき、原告で対応したらいくらになるか。』との問い合わせを受け、参考資料としてA社の見積もり関係書類が渡されたところ、その中の見積書・・・に担当者として被告名が記載されていたことから、被告がA社に再就職していることを初めて把握するに至った。」

と認定されています。

 上手くやったと思っていても、何がきっかけで事実が発覚するかは分からないので、勤務先を欺くようなことは、決してお勧めできません。

 

手当型の固定残業代の有効性の検討のポイント-契約書等に記載がない・明確な説明がなかった・想定残業時間数と実際との乖離

1.手当型の固定残業代の有効要件

 平成30年7月19日に手当型の固定残業代の有効性についての最高裁判決が言い渡されました(最一小判平30.7.19労働判例1186-5日本ケミカル事件)。

 日本ケミカル事件の最高裁判決は、

「使用者は、労働者に対し、雇用契約に基づき、時間外労働等に対する対価として定額の手当を支払うことにより、同条の割増賃金の全部又は一部を支払うことができる。」

と、手当型の固定残業代が割増賃金の支払いと認められるにあたっての要件として、当該手当が時間外労働等に対する対価であることを掲げました。

 そして、日本ケミカル事件最高裁判決は、ある手当に時間外労働等に対する対価としての性質が認められるか否かについては、

「雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断すべきである。」

としています。

 以降、手当型の固定残業代の有効性は、日本ケミカル事件の最高裁判決に示された規範が引用され、これに基づいて判断されています。

 日本ケミカル事件の最高裁判決が言い渡されたのは、昨年7月19日と比較的最近のことです。最高裁が示した規範が、下級審の裁判例において、どのように運用されて行くのか気になっていたところ、近時の公刊物に、この規範に準拠して、手当型の固定残業代の有効性を判断した裁判例が掲載されていました。東京地判平31.4.26労働判例1207-56国・茂原労基署長(株式会社まつり)事件です。

2.東京地判平31.4.26労働判例1207-56国・茂原労基署長(株式会社まつり)事件

(1)事案の概要

 この事件は労災認定処分に対する取消訴訟です。

 原告になったのは、過重労働による不整脈で夫を亡くした妻の方です。

 遺族給付や葬祭給付の支給を申請したところ、夫の死は労災とは認められたものの、固定残業代を除外した賃金をもとに給付基礎日額が認定されました。

 これに対し、問題の固定残業代は、固定残業代としての有効要件を満たすものではなく、これを除外した賃金をもとに給付基礎日額を認定するのはおかしいとして、国(処分行政庁:茂原中央労働基準監督署長)を訴えたのが本件です。

(2)裁判所の判断

 裁判所は日本ケミカル事件の最高裁判決を引用したうえ、次のとおり判示し、固定残業代の有効性を否定しました。

(判決要旨)

本件雇用契約は、口頭でされたにすぎず、これを証する契約書は作成されていない・・・。また、本件会社名義の就業規則・・・及び賃金規程・・・は、本件会社の設立日(平成25年7月25日)よりも前の平成22年11月1日にいずれも施行されているなどの問題があることからその効力を認めることはできない(当事者間に争いがない)。さらに、G社長が被災者に対して本件雇用契約締結時において本件固定残業代と割増賃金の関係について説明したことも証拠上窺われない。
「以上に対し、被告は、本件固定残業代(「超過手当」、「深夜業手当」)の名称・・・からすれば、社会通念上、超過手当が時間外労働に対する手当、深夜業手当が深夜労働に対する手当と認識することができること、賃金台帳及び給料明細書に基本給及び役職手当とは別に本件残業代が記載されていること・・・、本件会社は被災者に対して同給料明細書を交付していること・・・、本件固定残業代が現に支払われていたこと・・・からすれば、本件会社及び被災者は、本件固定残業代が時間外労働等の対価として支払われていたことをそれぞれ認識していた旨主張する。確かに、被告主張の事実からすれば、本件会社が本件固定残業代を時間外労働等の対価として支払う旨の認識があったことを推認できなくはないし、他方で、被災者もそのような推測をすることが不可能であったとはいえない。しかしながら、被災者が、上記のとおり、雇用契約書も就業規則もなく、しかも、本件雇用契約締結時において、本件会社から本件固定残業代についての説明がされたことは窺われないような状況において、わずか4か月程度の給与明細書の交付と本件固定残業代の受領・・・のみをもって、本件雇用契約の締結に当たり、本件固定残業代が時間外労働等に対する対価として支払われることについてその内容を理解した上で、応諾するに至ったことを推認することまではできず、その他にこれを認めるに足りる証拠はない。
「また、被告は、G社長が本件雇用契約の締結に先立って被災者の前職の給料を確認していること、基本給の金額について本件雇用契約(基本給と役職手当)と前職の雇用契約とでおおむね整合すること、本件固定残業代が支払われていることからすれば、被災者と本件会社は、一定程度の時間外労働等を想定し、本件会社がその対価として本件固定残業代を支払い、被災者がこれを受領することをそれぞれ認識した上で本件雇用契約を締結したことを推認することができる旨主張する。しかしながら、この被告主張事実をもってしても、本件会社側の意図はさておき、被災者において一定程度の時間外労働等を想定した上でその対価として本件固定残業代が支払われるという内容の契約として本件雇用契約を理解し締結したことまで推認するには足りないといわざるを得ない。上記被告主張は、そもそも本件固定残業代が有効であるか否かによってこれが通常の労働時間の賃金に含まれるか否かが決せられるべきであるにもかかわらず、通常の労働時間の賃金(労基法37条)が基本給と役職手当とに限られ本件残業代がこれに含まれないことを前提としてしまっているきらいもあり失当であるといわざるを得ず、採用することができない。
「さらに、被告は、超過手当10万円は約67時間の時間外労働に対する割増賃金に相当するところ、被災者と本件会社との間において、本件会社が被災者に対して前職の月給21万円の2倍以上にあたる月給約46万円を支払う旨の雇用契約が成立していたとは考えられないから、時間外労働等の対価として本件固定残業代を支払う旨の合意があった旨主張する。しかしながら、具体の固定残業代について、それが雇用契約の内容となっていることが否定された以上は、使用者の雇用契約締結時に有していた意図等の如何にかかわらず、法律上通常の労働時間の賃金として組み入れざるを得ないのである。その意味で、本件固定残業代が通常の労働時間の賃金に組み入れられた場合の賃金水準の問題を指摘する被告の上記主張は失当であり、採用することができない。本件雇用契約の契約当事者の合理的意思を推認するための基礎事情との観点からしても、被告は、上記のとおり、超過手当10万円は約67時間の時間外労働に対する割増賃金に相当することのほか、被災者の本件算定期間中の時間外労働時間数は約123時間ないし約141時間であることを主張するが、その主張を前提としても、超過手当においてあらかじめ想定される時間外労働時間数(約67時間)と被災者の実際の時間外労働時間数(約123時間ないし約141時間)から窺われる勤務状況との間に約2倍もの大きな乖離が見られるところであり、この点はかえって本件雇用契約において本件固定残業代が時間外労働等に対する対価として支払われていないことを推認させるものである。
「以上の事情を総合的に考慮すると、本件雇用契約において本件固定残業代が時間外労働等に対する対価として支払われているものとはされておらず、ひいては本件固定残業代が本件雇用契約の内容となってはいないこととなる。」

3.雇用契約書等の客観証拠がなく、想定時間外労働時間数と実際の時間外労働時間数にある程度の乖離が認められれば、対価性を争える可能性はある

 日本ケミカル事件の最高裁判決は、

① 雇用契約に係る契約書等の記載内容

② 使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、

③ 労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情

を考慮要素として指摘しました。

 本裁判例は、

①に対応する事実として、雇用契約書の不存在、有効な就業規則・賃金規程の不存在を指摘し、

②に対応する事実として、雇用契約締結時において固定残業代と割増賃金の関係について説明したことをうかがわせる証拠はないと指摘し、

③に対応する事実として、想定時間外労働時間数(約67時間)と実際の時間外労働時間数(約123時間ないし約141時間)の乖離を指摘し、

固定残業代の有効性を否定しました。

 被告側は雇用契約書等の客観証拠がないことを前提に、本件残業代が記載されいてる給与明細書を交付していたことなど、労働者が本件固定残業代を時間外労働等の対価であると認識していたことを推測させる周辺事実を積み重ねる形で応訴活動を展開しています。しかし、こうした主張はことごとく排斥されています。裁判所は、①契約書等の記載内容、②説明内容に関しては、かなり明確なものを求めていて、「空気読んだら分かるでしょ。」といったレベルのことでは足りないと考えているのではないかと推測されます。

 そうなると、当該手当が時間外労働等の対価であることについては、それをうかがわせる周辺事情がそれなりにあったとしても、明確な書証・文書が存在しない場合には、それなりに争う余地があるのではないかと思います。

 想定時間外労働時間数と実際の時間外労働時間数との乖離が大きい場合には、それを補強材料として勝ち切ることができるかも知れません。

 固定残業代に関する紛争は頻発しています。その有効要件は比較的厳しめに判断される傾向にあるので、「この仕組みはおかしいのではないか?」と思ったら、弁護士に相談してみるとよいと思います。固定残業代の有効性を否定できると、それが通常の労働時間分の賃金に組み入れられたうえ、改めて残業代を請求できるため、かなりの経済的利益に繋がる場合もあります。