弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

背信性の強さは競業避止義務を定める合意の効力に影響を与えるか

1.競業禁止特約

 従業員が退職するにあたり、勤務先から同業他社に雇用されないこと(競業禁止特約)を求められる場合があります。

 この種の契約の有効性に関しては、横地大輔『大阪民事実務研究会 従業員等の競業避止義務等に関する諸論点について』判例タイムズ1387-5で詳細な裁判例の分析がなされていて、

「最大公約数として集約すると、①使用者の利益、②退職者の従前の地位、③制限の範囲、④代償措置の有無・内容から、退職者の競業避止義務を定める合意等の効力を検討すべきと判示している」

との認識が示されています。

 要するに、裁判所は、この種の契約の効力を、一律に有効だとか無効だとか判断しているわけではなく、①~④に掲げられているような要素を検討したうえ、個別事案ごとに判断をしているということです。

 それほど明確に有効・無効の基準が確立していないこともあり、競業禁止特約の有効性をめぐる紛争は一定の頻度で発生し、定期的に公刊物にも掲載されています。

 近時の公刊物に掲載されていた、東京地判平29.5.29判例タイムズ1464-162も競業禁止特約の効力が問題になった事案の一つです。

2.東京地判平29.5.29判例タイムズ1464-162

(1)事案の概要

 本件で原告になったのは、エレベーターやエスカレーターその他の昇降機の販売、取付、保守、修理及び点検等を業とする会社です。

 被告になったのは、原告の元従業員です。

 原告は早期希望退職制度を運用していたところ、この制度を使うと退職金規程による退職金とは別に、給与及び賞与の2.43年分の早期退職加算金が一括支給されることになっていました。

 ただ、早期退職希望制度の適用を受けるにあたっては、原告指定の退職合意書を作成する必要がありました。その退職合意書には、

「被告は、退職日の翌日以降2年間は、直接であると間接であるとを問わず、日本国内において原告の行う業務と競業する事業を行う企業に雇用され、あるいはその役員となり、又は原告の行う業務と競業する事業を自ら行わないものとする」(本件競業禁止条項)

との内容が記載されていました。

 早期希望退職制度の利用を申し出た被告は、上記の退職合意書の作成に応じ、これを原告に差し入れ、本来の退職金303万5219円に加え、割増金1587万2000円の支払いを受けました。

 しかし、平成26年9月30日をもって原告を退職した翌日である同年10月1日付けで原告の競業会社(A社)に入社し、就労を開始しました。

 これは詐欺ではないかということで、原告会社が1587万2000円部分の支払を請求して被告元従業員を訴えたのが本件です。

 原告会社が詐欺ではないかと構成したのは、制度の利用申出から同業他社への就職の間に、以下のような事実経過があったからです。

(平成26年7月28日)

被告が原告の人事部長宛てに早期希望退職制度の利用を申請する。

申請書の応募理由欄には、

「母親が自宅で呉服屋を経営し、脳梗塞を患い身体の不自由な父親に代わり生計を維持しているが、高齢化に伴い、両親から家業を継いでほしいと相談を受けている。・・・色々悩んだが、やはり両親を放っておくことができず、今回の早期退職に応募した。」

などと書かれていた。

(平成26年9月10日)

被告が退職合意書を差し入れる。

(平成26年9月22日)

被告がA社に「中途採用をしているのか」などと問い合わせる。

(平成26年9月24日)

被告が送別会において

「本当は会社を辞めたくなかったが、家業を継がなければならなくなった。」

と涙ながらに挨拶をする。

(平成26年9月26日)

被告がA社の採用面接を受ける。

(平成26年9月29日)

被告がA社から採用通知を受ける。

(平成26年9月30日)

被告が原告を退職する。

(平成26年10月1日)

被告がA社での就労を開始する。

(平成26年10月3日)

被告が原告から本来の退職金部分を受領する。

(平成26年10月24日)

被告が原告から退職金の早期退職割増金部分を受領する。

(2)裁判所の判断

 裁判所は次のとおり述べて競業禁止条項の有効性と詐欺不法行為の成立を認め、原告の請求を認容しました。

-競業禁止条項の有効性-

「㋐競業制限理由は、原告の業務上の機密事項及び原告の不利益となる事項に関する一定の情報、原告の顧客その他原告と取引関係のある第三者の業務上の機密事項及び当該第三者の不利益となる事項に関する一切の情報の漏洩防止である・・・ところ、被告のようなひら社員であっても、そのような情報に接する可能性は十分にあり、その漏洩を防止する必要性は肯定できる。㋑次に、制限の範囲が日本国内全部に及んでいるけれども、原告が著名なエレベーターメーカーであり、その顧客が日本全国にまたがり、営業範囲も日本全域を対象としている・・・から、その機密情報保持のためには国内全域での競業禁止義務を課す必要があるといえる。㋒また、その制限期間は、退職日の翌日から2年間であって不当に長いとはいえない上、本件早期退職割増金は当時の被告の年収額の2年分を優に超える額となっている(確かに、早期退職割増金制度が退職合意書記載の競業禁止約束の代償措置として明記されていないことは被告が指摘するとおりであるが、少なくとも、本件が早期退職割増金相当額の賠償請求であることに鑑みれば、約束違反による効果との均衡を考慮することも不合理ではないと考える。)。㋓さらに、本件競業禁止約束違反の適用の可否を検討するに当たり、本件で問題とされている被告の背信性の程度は、後記3判示のとおり、一定の確信に基づいての行動と評価せざるを得ず、非常に強いというべきである。以上の㋐ないし㋓記載の諸事情を総合考慮すると、本件競業禁止約束は有効であるといわなければならない。」

-詐欺不法行為の成否-

「被告は、本件退職合意書を提出した後、本件競業禁止約束が上記合意書に記載されていたこと及びそれを前提にして早期退職割増金が支払われることを認識していた・・・のであるから、信義則上、当該事情を告知する義務もしくは当該事情を告げて不測の損害を与えないよう配慮すべき注意義務を負っていたというべきであって、それ以降、競業他者への就職活動を慎むか、何等かの事情告知をするのが通常である。ところが、被告は、全く意に介することなく、本件競業禁止約束に違反することを明確に認識した上で、A社の面接を受け、退職日よりも前に同社の採用決定告知を受けていながら、誤信状態の下で早期退職割増金の給付を準備する原告には何も告げず、本件早期退職割増金全額の支払を受けたものである。したがって、誤信状態にある原告に対し、上記信義則上の義務に反して当該事情を全く告げずに本件早期退職割増金の支払を受けた被告の行為は、不作為の欺罔行為によって本件早期退職割増金を詐取したものと評価すべきであり、原告に対する不法行為が成立する。」

3.背信性の強さと競業避止義務

 本件で目を引かれたのは、背信性の強さを競業禁止約束の有効性を判断する上での考慮要素として明示的に掲げていることです。

 冒頭で指摘した論文には、

「退職者の競業行為の態様が極めて悪質である場合に、合意による制限範囲を悪質な行為に限定する旨解釈し、その範囲内で合意を有効と判断することが許されるかについては両論ありうると思われる」

との指摘があり、競業行為の悪性と競業避止義務を定める合意との関係性については、歯切れの悪い形で積み残しの問題となっていました。

 今回はかなり手厚い代償措置が講じられていたため、背信性がそれほどでもなくても競業避止義務を定める合意が認められていておかしくなかったとは思いますが、それでも背信性を競業避止義務を定める合意の考慮要素として明示的に位置づけたことは注目されて良いように思われます。裁判所の判示は、代償措置が薄くても、背信性が極端に強い場合には、競業避止義務を定める合意の効力は否定されず、当該合意に基づて法的措置をとる余地が生じる、そうした方向に発展する可能性のある考え方ではないかと思われます。

4.勤務先を騙しても何がきっかけでバレるかは分からない

 本件で被告が同業他社に就職したことが原告に発覚した経緯に関しては、

「顧客から『エレベーターの部品交換につき、原告で対応したらいくらになるか。』との問い合わせを受け、参考資料としてA社の見積もり関係書類が渡されたところ、その中の見積書・・・に担当者として被告名が記載されていたことから、被告がA社に再就職していることを初めて把握するに至った。」

と認定されています。

 上手くやったと思っていても、何がきっかけで事実が発覚するかは分からないので、勤務先を欺くようなことは、決してお勧めできません。