弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

事業譲渡に伴う労働条件の不利益変更に対抗するための法律構成

1.事業譲渡と労働契約

 一定の営業目的のため組織化され、有機的一体として機能する財産(得意先関係等の経済的価値のある事実関係を含む)を譲渡することを、事業譲渡といいます。

 ある会社が別の会社に対して事業譲渡をすることは、日常的に行われています。

 それでは、その事業の中で働いている人の労働契約は、事業譲渡に伴って、どのような影響を受けるのでしょうか?

 事業譲渡が行われていたとしても、自動的に労働契約上の使用者の地位が譲受人に承継されるわけではありません。引き続きその事業の中で働き続けるためには、譲受人との間で新たに労働契約を締結し直す必要があります。

 しかし、譲受人には、従前の通りの条件で労働契約の申込みをする義務があるわけではありません。そのため、事業譲渡の場面では、往々にして、労働条件の不利益変更の打診が伴います。

 このように労働条件の不利益変更を突き付けられた労働者は、厳しい選択を迫られます。

 これを受け入れなかった場合、労働者の労働契約は、元々の雇い主(事業の譲渡人)との間で存続します。しかし、労務の提供先となる事業そのものが消滅しているわけですから、良くて配転、悪ければ整理解雇されることになります。

 他方、これを受け入れると、当面の雇用は維持されます。しかし、労働条件は従前よりも悪化します。労働条件の不利益変更には法律や判例で一定の制限が課せられてますが(労働契約法9条、10条、最二小判平28.2.19労働判例1136-6山梨県民信用組合事件等参照)、事業譲渡に伴う労働条件の変更は、旧労働契約の破棄と新労働契約の締結であるため、こうした法理が直接適用されることはありません。

 それでは、事業譲渡に伴い、労働条件の切り下げられた労働契約を譲受人と新たに締結してしまった場合、もう労働者は何も言えなくなってしまうのでしょうか?

 この問題に挑んだ裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地判令3.3.26労働判例1245-13 ヴィディヤコーヒー事件です。

2.ヴィディヤコーヒー事件

 本件で原告になったのは、喫茶店、レストランの経営及び管理等を目的とする旧Cに採用され、その直営の店舗(本件店舗)の店長として勤務していた方です。旧Cから被告への本件店舗等の事業譲渡に伴い、平成28年8月16日付けで被告と雇用契約を締結した後も、本件店舗の店長として働いていました。

 原告と旧Cとの間の労働契約には退職金の定めがありました。しかし、被告と新たに締結した雇用契約書には、「退職金は、支給しない。」と明記されていました。

 これだけを見れば、原告が被告を退職しても、被告に対して退職金の請求をすることは認められないように思われます。旧Cを一旦退職した後で、新たに被告と退職金なしの雇用契約を締結したと理解されるからです。被告からすれば、退職金は旧Cに請求してくれという話になります。

 しかし、旧CとF(本件店舗の事業譲受会社として被告を設立した会社)との間で交わされた事業譲渡契書には、

「現在、旧Cが雇用している従業員は現在の雇用条件と同条件で旧Cがそのまま雇用し被告に出向させる。毎月の給与明細については給与日前に被告に報告する。なお、全店舗を被告に移行した時点で被告が引き継ぐこととする。(以下、この条項を『本件条項』という。)」

という付加条件がつけられていました。

 こうした付加条件を根拠に、退職金の支払義務を含め労働契約が包括的に承継されているとして、被告を退職した原告は、被告に対し、退職金の支払を求める訴えを起こしました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、退職金支払義務の承継を否定しました。

(裁判所の判断)

「原告及び補助参加人は、本件事業譲渡契約において、旧Cと従業員との雇用に関する契約内容や権利義務関係は被告が包括的に承継する旨が合意されたから、原告がこれに同意したことをもって、旧Cと原告との雇用契約とこれに基づく権利義務関係は被告に承継されたと主張し、証拠・・・中にはこれに沿う部分がある。」

「しかし、前記認定事実・・・によれば、旧CとFとの間で、本件事業譲渡契約の条件交渉の際、本件店舗等の従業員の処遇について、勤務地、給与、交通費、店舗における立場を変えずに被告が引き継ぐものの、Fにおいて退職金の定めはないことが明らかにされていたこと、Gから本件店舗等の各店長に対しても、経営者が変わっても雇用条件や地位に変更はないが退職金はなくなること、ただし旧Cの下での退職金は旧Cにおいて支払うことが説明されたこと、その上で、原告を含む本件店舗等の店長は、Fが設立した被告との間で新たに雇用契約書及び労働条件通知書を取り交わし、本件店舗等のアルバイトは、改めて被告に履歴書を提出し、被告との間で労働条件通知書を取り交わしていることが認められ、これらの事実によれば、本件事業譲渡契約において、Fは、本件店舗等の従業員が望めば、勤務地、給与、地位等の条件を変えることなく被告において雇用を維持することを約したにすぎず、被告においては退職金の定めがないこともあって、被告による雇用を望む従業員とは新たに雇用契約を締結し直すことが予定されていたものであり、原告についても、本件雇用契約書及び本件労働条件通知書の内容で、被告と新たな雇用契約を締結したというべきである。

「これに対し、原告及び補助参加人は、本件条項に『現在、旧Cが雇用している従業員は現在の雇用条件と同条件で旧Cがそのまま雇用し・・・全店舗を被告に移行した時点で被告が引き継ぐこととする。』とあるのは、本件事業譲渡契約後も維持された雇用契約の内容や権利義務関係を被告が引き継ぐことを意味すると主張する。」

「しかし、前記認定事実・・・によれば、旧CとFは、本件事業譲渡契約後も本件店舗等の賃貸人の承諾が得られるまで、対外的には本件店舗等の経営者は旧Cのままとし、従業員の雇い主も旧Cのままとして、賃貸人の承諾が得られた後に、被告が本件店舗等の経営を引き継ぎ、従業員の雇い主も被告とすることを合意していたものと認められ、このような事実によれば、本件条項は、上記のような取扱いについて定めたにすぎないというべきであり、被告において雇用の維持を約する以上に、旧Cにおける雇用契約を承継することまで定めたものとは解されない。」

「また、原告は、本件店舗等の従業員に対する退職金債務を被告が承継しないのであれば、その旨が明示されていてしかるべきところ、本件覚書にそのような記載はないと主張する。」

「しかし、前記認定事実・・・によれば、本件事業譲渡契約の条件交渉の際、本件店舗等の従業員が旧Cで勤務していた期間の退職金の帰趨が話題になることはなかったこと、本件覚書・・・をみても、本件事業譲渡契約における譲渡の対象は、本件店舗等の事業に関する動産、権利等の資産であり、負債は対象とされていないことが認められ、本件吸収分割契約書等・・・には、承継する負債として退職給付債務が明示されていることと対照的である。そうすると、本件覚書に退職金債務を被告が承継する旨の明示がないことは、むしろ、そのような承継の合意がないことを裏付けるというべきである。」

「さらに、原告及び補助参加人は、原告はGから、労働条件や労働者としての地位が被告にそのまま引き継がれ、退職金も被告に引き継がれ、被告を退職する際に被告から支払われるとの説明を受け、これに同意する趣旨で本件雇用契約書及び本件労働条件通知書に署名押印したにすぎず、その証拠に原告は旧Cに退職金請求をしないまま被告の下での勤務を続けたと主張し、原告はこれに沿う供述・・・をする。」

「しかし、前記認定事実・・・によれば、Gは、本件店舗等の各店長に対し、被告の下では退職金がないことを説明し、旧Cの下での退職金については被告を退職する際に旧Cが責任を持って支払う旨のMからの回答を伝え、退職金の支給はない旨が記載された雇用契約書及び労働条件通知書に署名押印を得ており、原告についても同様であったことが認められる。

「この点、前記認定事実・・・のとおり、Gは被告に転職した者であり、被告の主張に沿うGの供述の信用性は慎重に吟味する必要があるものの、退職金に関するGの説明は、被告の意向に沿う動機がないIの供述とも一致すること、とりわけIは自ら退職金の帰趨を問い合わせており、これに対する回答についての記憶も正確なものということができることにかんがみ、信用することができる。」

「また、本件店舗等の各店長といえども、旧Cの経営の内実を把握する立場にはなく、前記認定事実・・・のとおり、旧Cは本件事業譲渡契約後も被告から業務委託を受けて本件店舗等の運営を引き続き行っていたから、『今はお金がないので、被告を退職するときに責任をもって旧Cが支払う。』との説明を信じたとしても不自然とは言い難く、現にIもこの説明を信じたと供述するところである。」

「さらに、本件労働契約書や本件労働条件通知書は、いずれも一覧性のある書類であり、条項も少ない上、原告自身が空欄を埋めて完成させる形式となっており、そこに退職金の支給はない旨の記載があることに気付かないことは通常考え難く、またその記載に意味がないと考える理由もない。

「したがって、前記認定に反する原告の供述は採用できない。」

「以上によれば、旧Cと原告との雇用契約が被告に承継されたとの原告の主張は採用できず、雇用契約の承継に伴い退職金に関する権利義務関係も被告に承継されたとする原告の主張には理由がない。」

3.承継の合意よりも合理性審査の議論の方が適切

 上述のとおり、裁判所は、事業譲渡に際してG(旧Cの常務取締役)から退職金支払債務の承継がないと説明を受けていたことなどを指摘したうえ、被告が旧Cとの労働契約を承継したとの主張を排斥しました。

 しかし、このことは事業譲渡に伴う労働条件の不利益変更に対抗するための法律構成の不存在を意味するわけではありません。

 本裁判例が掲載されていた雑誌のコメント部分に、次のような論評が書かれていました。

「東京日新学園事件(さいたま地判平16.12.22労判888号13頁)は、客観的に合理的な理由を伴わずして、いわゆる全部譲渡に当たり一部の労働者の雇用関係のみが承継を排除される場合には、『当該労働者と事業譲受人との間に、労働力承継の実態に照らし合理的と認められる内容の雇用契約が締結されたのと同様の法律関係が生じるものと解するのが相当である』と判示している。また、勝英自動車学校(大船自動車興行)事件(東京高判平17.5.31労判898号16頁)は、営業譲渡に際して、譲受会社・譲渡会社が『譲渡人の下での賃金等の労働条件を相当程度下回る水準に改訂することに異議のある従業員については承継の対象から除外する』旨の合意を交わしていたところ、当該合意については、民法90条違反として無効になると判示している。」

 そして、コメントは会社分割と事業譲渡の機能的類似性に着目したうえで、会社分割に関する労働契約承継のルールを定めた労働契約承継法を事業譲渡の場合にも類推適用する可能性にも言及し、

「退職金を支払わないとする事業譲渡後の労働条件が『合理的』であるのか否か」

という問題設定の立て方をする余地があったのではないかと指摘しています。

 これは鋭い指摘であり、事業譲渡に伴い不本意な合意をしてしまった労働者の保護を考えるにあたっての有力な法律構成を示唆するものだと思います。本件でも、こうした構成で争っていれば、結論が異なっていたかも知れません。