弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

黙示の職種限定合意が認められる職業類型-大学教授(薬学部教授)

1.職種限定合意

 職種限定の合意とは、
「労働契約において、労働者を一定の職種に限定して配置する(したがって、当該職種以外の職種には一切つかせない)旨の使用者と労働者との合意」(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務』〔青林書院、初版、平29〕203頁参照)
をいいます。

 使用者には広範な配転命令権が認められています(最二小判昭61.7.14労働判例477-6 東亜ペイント事件)。そのため、不本意な異動を命じられたとしても、配転命令権の濫用を理由に、その効力を争える場面は、かなり限定的です。

 しかし、職種限定の合意を導くことができれば、東亜ペイント事件の枠組みに依拠しなくても、不本意な異動の効力を争うことができます。

 職種限定の合意は、明示的なものだけではなく、黙示的ものが成立していることもあります。そして、「医師、看護師、ボイラー技士などの特殊の技術、技能、資格を有する者については職種の限定があるのが普通」(菅野和夫『労働法』〔弘文堂、令元、第12版〕729頁参照)であると理解されています。

 それでは、医師、看護師、ボイラー技士のほか、特殊の技術等を有しているとして、職種限定の合意が認められやすい職業には、どのようなものがあるのでしょうか?

 近時公刊された判例集に、大学教授(薬学部教授)について、黙示の職種限定の合意が認められた裁判例が掲載されていました。宇都宮地決令2.12.10労働判例1240-23 学校法人国際医療福祉大学(仮処分)事件です。

2.学校法人国際医療福祉大学(仮処分)事件です。

 本件は配転命令の効力が争点となった仮処分事件です。

 本件で債務者になったのは、国際医療福祉大学を開学した学校法人です。債務者は、同大学の附属病院として、A病院も設置していました。

 債権者になったのは、債務者との間で、「国際医療福祉大学薬学部教授及びA病院薬剤部長」として有期雇用契約を締結していた方です。従業員等に対してハラスメントを行ったとして、債務者から薬学部教授等の地位を解任されたうえ、国際医療福祉大学病院において勤務することを命じられました(本件配転命令)。これに対し、本件配転命令の無効を主張して、薬学部教授の地位にあることを仮に定める処分を求める申立を行ったのが本件です。

 この事件では、本件配転命令が、職種限定合意との関係で許されないのではないかが争点の一つになりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、黙示の職種限定合意の成立を認定しました。

(裁判所の判断)

「本件職種限定合意とは、債権者の職種(職位)を薬学部教授の地位に限定し、当該職種以外に債権者を異動させないことを内容とする合意をいうが、前記のとおり、本件雇用契約書においてはもとより、債務者の就業規則(職員・教員)のほか、債権者に対する募集内容や内定通知書の記載内容等によっても、債権者の職種(職位)を薬学部教授に限定することを定めた明文の規定は認められず、その他、採用時及びその後の交渉経過において明示的に上記職種限定合意が取り交わされた形跡もうかがわれないのであるから、明示の合意により本件職種限定合意が成立したとは一応も認められない。

「もっとも、本件職種限定合意は黙示の合意による成立を否定するものではないから、以下、この点につき検討する。」

「前記・・・のとおり、債権者は債務者に薬学部教授として採用されたものであるところ、このような一定の専門性を有する職種(職位)にある者については、採用時及び採用後の交渉経緯、他の職員の雇用・採用条件との相違、職務遂行において求められる職務・資格・技能等の専門性・特殊性の内容・程度等を総合考慮の上、当該労働者の専門技術性等が労働契約締結及びその後の職務遂行過程において不可欠の前提条件とされており、他職種への不異動が想定されていたか否かという観点を踏まえ、黙示の本件職種限定合意の成否を判定すべきものと解される。」

「前記・・・において一応認定したとおり、

(ア)債務者においては、そのホームページ上、他の職員とは別に、『教職員採用情報』という独自のページを作成した上、その募集要項において募集職位を『薬学部教授、准薬学部教授、講師、助教、助手』と定め、そのうち薬学部教授と准教授については応募資格を『博士号を有する者』であって『実務経験を有する者』を条件としているほか、エントリーシートや履歴書において、それまでの大学・大学院等における教育経験、免許・資格、職歴、学会等における活動歴や賞罰等の詳細を記載した書面の提出を求めたこと、また、

(イ)債務者は、平成30年12月、薬学部のある各大学の学部長及び各病院長に対し、A病院のオープンに向けた医療スタッフの更なる充実を図ることを目的として『Y1大学A病院 薬剤部責任者・役職者等の公募について』と題する公募文書を送付し、A病院の薬剤部責任者、役職者として勤務しながら、債務者の医学部若しくは薬学部の教員を兼務することができる人材を募集したこと、そして

(ウ)これら債務者の公募活動等を受け、債権者は、債務者に対し、現職、専門分野、薬物動態学・毒性学、臨床薬理学、薬物性腎障害、臨床施設での臨床経験及び大学・大学院等での教育経験、希望学部・学科等などを記載した平成31年1月1日付け『Y1大学 専任教員応募エントリーシート』を作成した上、学歴、学位(博士(薬学))、職歴、学会活動等を記載した『履歴書(専任教員)』(平成31年1月1日現在のもの)及びこれまでに債権者が執筆した論文等、取得した特許、担当した講演、国際会議等(106件)及び競争的資金の獲得状況を記載した『業績目録』(平成31年1月1日現在のもの)を提出したこと、そうしたところ、

(エ)債務者は、平成31年3月13日付けで、債権者に対し、『Y1大学A病院薬剤部長兼Y1大学 教授』として採用することが内定したことを伝え、その任用条件として、『所属:Y1大学 A病院兼薬学部薬学』、『職位:薬剤部長および教授』、『職務:上記職位に付随する業務』、『任用:任期付専任教員』などの記載がある書面を交付したこと、そして

(オ)債権者は、令和元年7月1日、上記の任用条件により、債務者との間で雇用契約を締結し、平成31年度において、臨床薬学Ⅲの授業を1回担当し、論文を16本、著書を1冊それぞれ執筆したほか、公的研究費を1件支給され、また、22の学会において発表を行い、その後、令和2年4月1日から翌年3月末までを期間として本件雇用契約を更新し、令和2年度においては、研究助成金を3件獲得したこと

が一応認められるから、これらの事情を合わせ考慮すると、学位(薬学博士号)に示された債権者の薬学に関する専門的・学術的知見等は、本件雇用契約の締結及びその後の職務遂行過程において不可欠の前提条件とされていたものということができ、債務者は、かかる債権者の専門性・学術性の高さに着目した上、債権者は余人をもっては容易に代えがたい人材として本件各雇用契約を締結し、『薬学部教授』としての職位を付与したものであって、その地位(職位)は他の職種(例えば薬剤師)との間に互換性を有しないものとみるのが合理的である。

「前記・・・によれば、①本件雇用契約上、債権者は薬学部教授のほかに薬剤部長としての職務遂行が求められており、②債務者の就業規則(教員)が債務者の教員につき職種を限定する規定を置いていないことからみて、本件雇用契約上、債権者の他職種(特に薬剤師)への異動も一応想定されているようにもみえる。」

「しかし、債務者は、上記のとおり、A病院の開設に先立って、薬剤部の責任者と薬学部の教職とを兼任できる者に絞って公募していたのであるから、債務者においては、新たに開設する病院の薬剤部を運営する能力のみならず、債務者において開設している大学において、学生の指導をする能力を兼ね備えた者を採用することを念頭に置いていたものであって、それに応じ、債権者は債務者に応募したものとみるのが自然である。そうすると、本件各雇用契約の締結やその後の職務遂行過程において、債権者は、薬剤部の管理者のほか、薬学部教授として研究・教育活動を行うことが想定されていたものというべきであるから、職位の一つとして『薬剤部長』の肩書きが付与され、薬剤師の資格を有することが望ましいとされていることは、薬学部教授の地位につき職種限定合意を認定する妨げとはならない。」

「むしろ、債務者においては、教職員、医師、医師を除いた看護師や薬剤師等の専門職職員、その他の事務職員について、その採用手続、労働条件がそれぞれ別個に定められ、適用される就業規則も異なること、教職員である薬学部教授が締結する雇用契約は、薬剤師とは異なり1年間の任期付きの労働契約であって、その各更新に当たっては、当該教員の教育・研究に関する勤務評定、当該業務の必要性及び大学の経営状況その他諸般の事情を総合的に勘案し判断するものとされるほか、大学教育の質を上げるため、人事評価の一環として、『教育研究活動報告書』の作成・提出を求めている一方、学長、副学長、学部長、副学部長らから構成される薬学部教授会の一員として債務者の学則が規定する組織の中でも格別の地位が付与されていること、そして、平成28年から本件配転命令時までの間、債務者のY1大学薬学部においては、教職員からその他の職種に配置換えされた者はいないことなどの事情を合わせ考慮すると、債務者においては組織として『薬学部長』の職位にある者を他職種に異動させることは想定されていなかったものとみるのが自然である。」

「以上の検討結果によれば、本件各雇用契約の締結及びその後の職務遂行において、債権者が有する薬学に関する専門的・学術的知見等は不可欠の前提条件とされており、かつ、債務者においては組織として『薬学部教授』の他職種への異動は想定していなかったものというべきであるから、一応、債権者と債務者との間には黙示の合意による本件職種限定合意が成立していたものと認められる。

3.大学教授の特殊性

 大学教授には、就労請求権が認められやすいなど、通常の労働契約にはない種々の特殊性があります。今回、黙示の職種限定合意が認められたことも、その法的地位の独特さを物語っています。

 個人的な経験に照らすと、大学は、組織が巨大である割に、適切な人事労務管理がなされていないことが珍しくないように思います。普通の労働契約では使えないような法律構成が使える場合もあるため、労働問題で困ったときには、適切な知見のある弁護士に面談で相談してみることを推奨します。